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3・11問題の中間総括のために(11)

 少し前回の東北の貧困について補足しておきたい。まず、貧困=差別ではないということを確認しておきたい。作家のヤン・ソギル氏が前に雑誌『情況』(2011年6・7月号)に載ったインタヴューで語ったところによると、大坂南部の紡績工場の女工には、主に済州島出身の朝鮮人と被差別部落民と東北の人が混在していたという。この話は昔京都で聞いた記憶がある。被差別部落には東北の人がよくいたというのである。徐勝氏はオモニの思い出話の中で、氏のオモニは「「正直に生きて、自分のできることは一生懸命にやり、貧しい人、苦しい人に同情心をもって暮らしていた」(『徐勝の東アジア平和紀行 韓国、台湾、沖縄をめぐって』かもがわ出版15~6頁)が、彼女は、「「被植民地民族の子どもとして、ずいぶんいろんな苦しい思いにあったでしょう」と聞かれて、「いろんなことはありました。しかし私だけではないんです。日本の人でも田舎から出てきて奉公してる女の子なんかは、手も足もあかぎれだらけで、自分よりもっとつらい目におうてはりましたえ」と話して」(16頁)いたというエピソードを書いているが、宮沢賢治が格闘した岩手の農村の貧しさもそうしたものだったのだろう。東北地方の近代以降の貧困の要因として、それをもっぱら封建遺制に帰する講座派の見方は間違っていると思うが、それでも、明治維新=近代ブルジョア革命という抽象的規定で満足して具体的な歴史分析を怠っている労農派よりは具体的な歴史分析を試みたという点は優れているところもあると思う。講座派の山田盛太郎の『日本資本主義分析』(岩波文庫)や大河内一男の『黎明期の労働運動』(岩波新書)で類型化されている出稼ぎ型労働という形態は、地方、そして東北からの出稼ぎ労働者が日本近代の最初のプロレタリアートであったことを意味しているが、その後の東北の歴史から見て、例えば、それが福島県の自由民権運動の性格などにも影響を与えていると思われるので、示唆的だと思う。福島の自由民権運動の代表的人物の三春の河野広中は土佐の板垣退助らの立志社と組み、愛国社、後に自由党に合流するが、次第により愛国主義化して、対露強硬派となり、日露戦争後の対露講和に反対して日比谷焼き討ち事件を起こす。しかし彼の甥の河野広躰はその前に加波山事件に参加し、それは秩父蜂起と並んで、自由党左派の代表的事件とされている。これらの事件は、自由民権運動が地主のヘゲモニーから、農民や下層、後には大井憲太郎らのように労働者の運動と結びつく傾向へと移っていく過程を示している。こうした左右の対立が激化したため自由民権運動は分裂する。

 中沢氏の『日本の大転換』に戻る前になんとも腹立たしいにニュースがいくつかあったのでそれについて触れておく。

 最初に、前回転載した経産省前テント村(私は今福島の立場に立っているので、福島の女性たちの呼び名で呼ぶことにしている)に経産省からの撤去命令書が出て、27日の期限が過ぎたが、経産省からは何の動きもなかった。当日の抗議集会には少なくとも750名が参加したという。延べにしたらもっと大勢いただろう。記者会見も行われ、その様子はユーストリームなどで見れるので、ごらんいただきたい。まず、経産省に、喫煙がどうだとか防火がどうだとかうるさく言う資格などあるはずがない。下記してるが、かれらはまず多くの子供たちを被曝させたという大罪を犯していることを恥じ入るべきであり、自らその責任を明らかにして責任を取るべきである。それをしていない以上、かれらは大罪を犯した者で悪党であり、経産省敷地は悪党の巣食う巣窟という性格を持ち続けている。それに対して、それを正そうとする者は正義という性格を持っている。自分たちが今は悪であるという自覚がない、認識がないというところに、この国の現在の性格が現れていて、そう いう認識をもたらすべき知が形成されていないところに、知の危機、学問の危機が現れている。それを自ら正すことができない以上、誰かがそれをさせるようにしなければならない。かれらが引き起こした原発事故で何が一番腹が立つかといえば、まず子供たちが被曝したこと、していることだ。それに対して我々も責任を感じてしまうので二重の怒りを感じるのだ。それは自分のせいでもあるというふうに感じてしまう。都市の市民運動に時々欠けていると思うのは、そういう自己の責任性、つまり電気を大量に使って築かれてきた都市生活に対する自己洞察や自己批判がないということだ。それは弱点であって、それを直せればより深い運動へと発展していくことは間違いないのだが。そういうのと対照的な原発推進派の石原東京都知事が画策する都市連合なるものは、それが、原発の電気を使って走らすリニア・モーターカーで三大都市圏を一つの都市圏に統合するという石原が推進するプランの上に構想されていると思うと、腹立たしい。こういう怒りを晴らす日本的な物語として「忠臣蔵」を思い起こすべきだ。もし被曝した子供たちに何かよくないことが起こったらどうするか。日本的心情物語としては「四十七士」だ。

 次に、議事録を作っていなかったという件である。「政府の東日本大震災関連の10組織で、議事録や議事概要の全部もしくは一部が作成されていないことが27日、明らかになった」(1月28日読売)のだが、これは怠慢なのか、それとも意図的な証拠隠滅なのか、あるいは非常時に気が動転して忘れていたのか、わからないが、いずれにしても、こういう重要な会議の議事録がないと、後からの検証がやりづらくなることは明らかで、責任問題も明らかにしにくくなる。しかし、そもそも、「安全」だからと安全対策を軽視し対策を怠ったことが福島第1原発の今回の事故を引き起こしたことは間違いないし、それがチェルノブイリを上回る史上最悪の放射能放出を結果していることに、政府・東電の責任があることははっきりしている。その点で、過去に原発建設を積極的に推進してきた自民党はもちろんだが、それに取って代わった民主党政権も地球温暖化対策の切り札のクリーンエネルギーだとして原子力エネルギー開発推進政策を取ってきたので、同じく責任がある。民主党野田は、「冷温停止」という概念をきわめてゆるく解釈して、まだ原発内の状態をしっかりと検証することもできないうちに、さっそく、海外に向けて事態終息宣言を発した。野田総理は、ASEANビジネス投資サミットでの挨拶で、「東京電力福島第一原発の事故についても、原子炉の冷却も順調に進んでいます。事故の収束は、想定よりも前倒して進んでおり、もはや日本でビジネスを行う大きな支障とはなっていません」(首相官邸HP1月18日)とふざけたことを述べている。福島県知事は先の野田総理の事態収束宣言に対して、原発事故の事態は収束していないと抗議し、福島県の復興計画(第1次)(2011年12月28日)は、基本理念に、「いのち最優先」を掲げていて、被災地の行政は、投資がどうのこうのという段階にはまったくなく、事故の真の収束と放射線被害への対応に追われ、知事が年頭所感で言っているように、原発事故対策に追われて津波被害への対応まで手が回っていないという状態なのだ。昨年10月に南相馬市を訪れた時、地震と津波で建物が破壊された原町火力発電所はそのままだったし、陸地に打ち上げられた漁船が何隻も海岸から何百メートルも離れた陸の上にそのま 1 まになっているのを見た。緊急避難地域では津波による犠牲者の遺体や遺品の回収もままならなかった。そんな状態で一周忌を迎える被災者の心情を野田はこうして逆撫でするのだ。吉良上野介並のとんでもないお殿様だ。国内では原発再稼動策を推進しながら、世界に向かっては分散型エネルギーへの投資を求めているのだから、二枚舌でもある。嘘をついたり、二枚舌を使うのに対して閻魔様の加える罰は舌を抜くことである。もちろんそれは死後の地獄でのこととされているのだが。

  それから、福島県が要求してきた18歳以下の子供たちの医療費無料化を政府が拒否したのだが、そのやり方が姑息である。確かに、例えば、栃木県の那須あたりは、福島県の会津よりは放射線量が高い。だから、「福島県だけに無料化を認めれば、原発事故で同様の健康不安を抱える隣県などから批判が出かねない」し、11「原発事故と無関係の病気の診察まで無料化するのは説明がつかない」というのだが、福島県 だけで無料化するのではなく、宮城や栃木などの原発事故によって子供たちが放射能を浴びたところはどこでもそうするという方策は選択肢から除いているのだ。さらに、原発事故による医療費だけを無料化するのではなくというような言い方は、今後、原発事故で医療費が支出されるということを認めた言い方で、まもなく、被曝した、あるいは今も低線量長期被曝をし続けている子供たちを中心に健康被害が出ることを暗黙の前提にしているのだ。そのくせ、こうして医療費の支出に歯止めをかけ、別のかたちで、400億円を出すというのである。こんなありさまの現代の吉良上野介をいただく日本国家=政府に対して、もし原発事故による子供の犠牲者が一人でも出たら、日本人が好む赤穂浪士のごとく吉良邸に討ち入るのは正義ということになるだろう。こういう時にきちんとした対策を取ることが本来の国の役目として期待されることなのだが、この国の官僚は、それよりも、どうやって責任を取らないですむようにするかということばかり考えて、それを正当化する理屈をひねるのを官僚の仕事と思っているらしい。それは学問の定義から遠く離れているし、当然、公的には否定されていることである。やってはならないこと、否定されるべきこと、と公式になっているはずだ。そうしないということは、官僚に学問がないことを意味している。こういうところには官僚的処世術しか感じられないのだ。

 そして、東電である。東電には、経済主義労働運動路線を取る東電労組がいて、労使一体の「悪」のブロックを組んでいて、労組員を「悪」の精神で教育しているので、自分たちは冬のボーナスを貰いながら、自分たちの会社が起こした事故の被害者に対する賠償をできるだけ削ろうとしている会社の姿勢を正そうとしない。これでは、労働者が自分の労働に対してプライドが持てなくなる。労働はたんなる手段になって、それと引き換えに、空しい抽象的な数字を積み上げてよしとしようとしているのだ。それには労働者もそんなに長くは耐えられないだろう。なぜなら、経験的に明らかなように、人々の欲望は経済的なものに向かうだけではなく、別のものにも向かうものだからである。

 その一つが、里山の景観であった。繰り返しになるが、自然法則は生態系の入れ子構造を通して人間の心に作用して、それに対するリアクション(反作用)として労働を呼び起こした。そうして、自然法則の作用と人間労働の共同労働が行われ、その共同生産物として、里山のみごとな景観を生み出したというのである。こうした作品を見るときに、それを人間の力が自然を征服したと感じるのではなく、自然との共同生産物として自然の力を人間労働の力と同時に感じる。ところが、近代になると、人々は、そういう感覚を否定し抑圧するイデオロギーが形成され、それが様々な手段で人々の頭に刷り込まれ習慣化され固化され、そう感じにくいように洗脳されているのである。しかし、前者の方が根源的な感覚であるため、人々は自然を鑑賞したり、登山に行ったり、海に入ったり、風景を眺めたり、庭や鉢植えなどを通して、そうした感覚を求めるのである。人々は外部性と触れ合うという矛盾を受け入れる社会のダイナミズムの体験を求めるのだ。

 東北の漁民や農民に対して中沢氏は、「土地や海は、自分たちと分離することのできない、キアスム的結合の相手である。彼らは、動物と植物とも。このようなキアスム的構造にもとづく関係を結んできた。それゆえに、長く親しんできた土地での農作業ができなくなったり、海での操業へ出られなくなったり、住み慣れた土地を離れなければならなかったときの彼らの悲しみの深さを、かれらは想像してみなければならない(50頁)」という。

 そして、中沢氏は、愛憎や道徳や義務の感情の多くの部分が自然や他者とのキアスムの構造をつうじて作られてきたというカント的な倫理・感情論をも加えている。それに対して、市場は、「無縁」の原理で動くシステムで、物は「無縁」の商品となる。そこで、売り手と買い手はクールな態度で交換する。つまり、交換の際には、交換価値にしか興味のない、数字だけを見、利害だけを気にする人格になりきっている。そうすると商品は交換可能形態に止まるだけのただのモノとなる。「商品にはそれ固有の価値があった」(51頁)。例えば、形見分けされた時計が、交換価値として100円程度のものであったとしても、簡単には譲れない特別の意味を持つものであって、故人の名前が彫ってあって、その文字と共に思い出が刻まれていて、残された家族の思い出の品となっているというような場合がある。ところが、「それがいったん商品として扱われると、交換価値だけが意味をもつことになり、その価値はお金で計算できるようになる」(同)。そういう市場が社会を包摂するようになるのが産業革命以後の近代である。

福島県、18歳以下医療費無料化を独自実施へ
(2012年1月29日 読売新聞)

  特集 福島原発

 政府は28日、東京電力福島第一原子力発電所事故を受けて福島県が求めていた18歳以下の医療費無料化の見送りを県側に伝えた。

 原発事故の影響を受けている他県とのバランスを考慮したためだ。ただ、政府は県が創設する新たな基金に400億円を拠出することを決め、県は医療費無料化の制度を独自に導入する方向となったため、事実上、国が「穴埋め」をした形だ。

 医療費無料化は、福島県が原発事故に伴う県民の健康不安を背景に国に要望してきた。野田首相は今月8日の佐藤知事との会談で、「政府内でしっかり検討したい」と前向きな意向を示していた。

 しかし、政府内で検討した結果、「福島県だけに無料化を認めれば、原発事故で同様の健康不安を抱える隣県などから批判が出かねない」との懸念が強まった。県外の一部地域では、福島県内より放射線量が高い地域があるためだ。「原発事故と無関係の病気の診察まで無料化するのは説明がつかない」との意見もあり、最終的に首相は国民理解が得られないと判断した。

双葉町長:東電に抗議 男性の慰謝料増額拒否で
(2012年1月29日毎日)

 東日本大震災に伴う東京電力福島第1原発事故の賠償をめぐり、福島県双葉町の井戸川克隆町長は29日、同県大熊町の男性の申し立てに基づいて原子力損害賠償紛争解決センターが示した和解案に対し、東京電力が慰謝料の増額を拒否したことなどに抗議を表明した。避難先の埼玉県加須市内で記者会見した。

 井戸川町長は「原発立地自治体として東電に全面協力してきた。東電の態度は遺憾」と述べた。町の弁護団は慰謝料の増額などを求めて、2月下旬にも同センターに集団で仲介申し立てする予定で、今回の東電の回答を「(賠償について)モデルケースになりかねない」としている。

 東電は26日、センターの和解案に対して、初めて住宅への損害賠償は認めたものの、慰謝料の増額は拒否するなどの回答をした。【藤沢美由紀】

「政治主導」、官僚と溝…議事録作らず(読売新聞 1月28日)

 政府の東日本大震災関連の10組織で、議事録や議事概要の全部もしくは一部が作成されていないことが27日、明らかになった。

 「政治主導」を重視する民主党政権が頻繁に設ける関係閣僚会議などでも、議事録があるのかどうか不明だ。国家運営に対する感覚や歴史観が足りないとの批判が多い民主党の体質が、改めて問われそうだ。

 「このような問題が発生したもととなる原因を分析し、必要な改善策が作成されることが必要だ」。27日夜の記者会見で、岡田副総理(公文書管理担当)は早急に改善策を取りまとめる考えを強調した。

 今回調べた15組織のうち、議事概要すらない原子力災害、緊急災害の両対策本部、被災者生活支援チームの3組織は、震災と東京電力福島第一原子力発電所事故対応を担う中核だ。

          ◇

 日本の国家的危機への対応はなぜ記録されなかったのか。会合の大半に官僚がいたにもかかわらずだ。政府関係者は、昨年3月の東日本大震災の直後、災害対応に忙殺されたことを理由に挙げる。「電力需給に関する検討会合」の事務局の内閣官房職員は、「昨年3月の被災直後は業務が多忙で、正直なところ、議事録作成まで頭が回らなかった」と釈明する。

 しかし、物理的な多忙さだけでなく、「政治主導」をひょうぼうする民主党政権の体質が影を落としたのでは、との指摘も出ている。

 政府内では、震災直後から公文書作成が重要だとの認識は共有されていたはずだった。

 「震災から1か月経過したことを踏まえ、関連資料保存に留意願いたい」

 滝野欣弥官房副長官(当時)は昨年4月12日の被災者生活支援各府省連絡会議で、居並ぶ各府省の担当者に文書作成と保存の徹底を指示した。

 ところが、その後も議事録問題は事実上、たなざらしになっていた。当時の内閣官房幹部は「政務三役から言われない限り、あえて過去の会議の議事録を事後作成しようと言い出す発想は官僚にはない」と語り、政権内での政治家と官僚の“溝”を指摘する。

 鳩山政権下で迷走し、政権の命取りとなった米軍普天間飛行場移設問題に関する関係閣僚の協議などは、官僚は最初から排除され、政治家との距離は広がった。そのあげく、「非公式扱いで、議事録に残していないものも多い」(政務三役経験者)とされる。

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