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2012年1月

3・11問題の中間総括のために(11)

 少し前回の東北の貧困について補足しておきたい。まず、貧困=差別ではないということを確認しておきたい。作家のヤン・ソギル氏が前に雑誌『情況』(2011年6・7月号)に載ったインタヴューで語ったところによると、大坂南部の紡績工場の女工には、主に済州島出身の朝鮮人と被差別部落民と東北の人が混在していたという。この話は昔京都で聞いた記憶がある。被差別部落には東北の人がよくいたというのである。徐勝氏はオモニの思い出話の中で、氏のオモニは「「正直に生きて、自分のできることは一生懸命にやり、貧しい人、苦しい人に同情心をもって暮らしていた」(『徐勝の東アジア平和紀行 韓国、台湾、沖縄をめぐって』かもがわ出版15~6頁)が、彼女は、「「被植民地民族の子どもとして、ずいぶんいろんな苦しい思いにあったでしょう」と聞かれて、「いろんなことはありました。しかし私だけではないんです。日本の人でも田舎から出てきて奉公してる女の子なんかは、手も足もあかぎれだらけで、自分よりもっとつらい目におうてはりましたえ」と話して」(16頁)いたというエピソードを書いているが、宮沢賢治が格闘した岩手の農村の貧しさもそうしたものだったのだろう。東北地方の近代以降の貧困の要因として、それをもっぱら封建遺制に帰する講座派の見方は間違っていると思うが、それでも、明治維新=近代ブルジョア革命という抽象的規定で満足して具体的な歴史分析を怠っている労農派よりは具体的な歴史分析を試みたという点は優れているところもあると思う。講座派の山田盛太郎の『日本資本主義分析』(岩波文庫)や大河内一男の『黎明期の労働運動』(岩波新書)で類型化されている出稼ぎ型労働という形態は、地方、そして東北からの出稼ぎ労働者が日本近代の最初のプロレタリアートであったことを意味しているが、その後の東北の歴史から見て、例えば、それが福島県の自由民権運動の性格などにも影響を与えていると思われるので、示唆的だと思う。福島の自由民権運動の代表的人物の三春の河野広中は土佐の板垣退助らの立志社と組み、愛国社、後に自由党に合流するが、次第により愛国主義化して、対露強硬派となり、日露戦争後の対露講和に反対して日比谷焼き討ち事件を起こす。しかし彼の甥の河野広躰はその前に加波山事件に参加し、それは秩父蜂起と並んで、自由党左派の代表的事件とされている。これらの事件は、自由民権運動が地主のヘゲモニーから、農民や下層、後には大井憲太郎らのように労働者の運動と結びつく傾向へと移っていく過程を示している。こうした左右の対立が激化したため自由民権運動は分裂する。

 中沢氏の『日本の大転換』に戻る前になんとも腹立たしいにニュースがいくつかあったのでそれについて触れておく。

 最初に、前回転載した経産省前テント村(私は今福島の立場に立っているので、福島の女性たちの呼び名で呼ぶことにしている)に経産省からの撤去命令書が出て、27日の期限が過ぎたが、経産省からは何の動きもなかった。当日の抗議集会には少なくとも750名が参加したという。延べにしたらもっと大勢いただろう。記者会見も行われ、その様子はユーストリームなどで見れるので、ごらんいただきたい。まず、経産省に、喫煙がどうだとか防火がどうだとかうるさく言う資格などあるはずがない。下記してるが、かれらはまず多くの子供たちを被曝させたという大罪を犯していることを恥じ入るべきであり、自らその責任を明らかにして責任を取るべきである。それをしていない以上、かれらは大罪を犯した者で悪党であり、経産省敷地は悪党の巣食う巣窟という性格を持ち続けている。それに対して、それを正そうとする者は正義という性格を持っている。自分たちが今は悪であるという自覚がない、認識がないというところに、この国の現在の性格が現れていて、そう いう認識をもたらすべき知が形成されていないところに、知の危機、学問の危機が現れている。それを自ら正すことができない以上、誰かがそれをさせるようにしなければならない。かれらが引き起こした原発事故で何が一番腹が立つかといえば、まず子供たちが被曝したこと、していることだ。それに対して我々も責任を感じてしまうので二重の怒りを感じるのだ。それは自分のせいでもあるというふうに感じてしまう。都市の市民運動に時々欠けていると思うのは、そういう自己の責任性、つまり電気を大量に使って築かれてきた都市生活に対する自己洞察や自己批判がないということだ。それは弱点であって、それを直せればより深い運動へと発展していくことは間違いないのだが。そういうのと対照的な原発推進派の石原東京都知事が画策する都市連合なるものは、それが、原発の電気を使って走らすリニア・モーターカーで三大都市圏を一つの都市圏に統合するという石原が推進するプランの上に構想されていると思うと、腹立たしい。こういう怒りを晴らす日本的な物語として「忠臣蔵」を思い起こすべきだ。もし被曝した子供たちに何かよくないことが起こったらどうするか。日本的心情物語としては「四十七士」だ。

 次に、議事録を作っていなかったという件である。「政府の東日本大震災関連の10組織で、議事録や議事概要の全部もしくは一部が作成されていないことが27日、明らかになった」(1月28日読売)のだが、これは怠慢なのか、それとも意図的な証拠隠滅なのか、あるいは非常時に気が動転して忘れていたのか、わからないが、いずれにしても、こういう重要な会議の議事録がないと、後からの検証がやりづらくなることは明らかで、責任問題も明らかにしにくくなる。しかし、そもそも、「安全」だからと安全対策を軽視し対策を怠ったことが福島第1原発の今回の事故を引き起こしたことは間違いないし、それがチェルノブイリを上回る史上最悪の放射能放出を結果していることに、政府・東電の責任があることははっきりしている。その点で、過去に原発建設を積極的に推進してきた自民党はもちろんだが、それに取って代わった民主党政権も地球温暖化対策の切り札のクリーンエネルギーだとして原子力エネルギー開発推進政策を取ってきたので、同じく責任がある。民主党野田は、「冷温停止」という概念をきわめてゆるく解釈して、まだ原発内の状態をしっかりと検証することもできないうちに、さっそく、海外に向けて事態終息宣言を発した。野田総理は、ASEANビジネス投資サミットでの挨拶で、「東京電力福島第一原発の事故についても、原子炉の冷却も順調に進んでいます。事故の収束は、想定よりも前倒して進んでおり、もはや日本でビジネスを行う大きな支障とはなっていません」(首相官邸HP1月18日)とふざけたことを述べている。福島県知事は先の野田総理の事態収束宣言に対して、原発事故の事態は収束していないと抗議し、福島県の復興計画(第1次)(2011年12月28日)は、基本理念に、「いのち最優先」を掲げていて、被災地の行政は、投資がどうのこうのという段階にはまったくなく、事故の真の収束と放射線被害への対応に追われ、知事が年頭所感で言っているように、原発事故対策に追われて津波被害への対応まで手が回っていないという状態なのだ。昨年10月に南相馬市を訪れた時、地震と津波で建物が破壊された原町火力発電所はそのままだったし、陸地に打ち上げられた漁船が何隻も海岸から何百メートルも離れた陸の上にそのま 1 まになっているのを見た。緊急避難地域では津波による犠牲者の遺体や遺品の回収もままならなかった。そんな状態で一周忌を迎える被災者の心情を野田はこうして逆撫でするのだ。吉良上野介並のとんでもないお殿様だ。国内では原発再稼動策を推進しながら、世界に向かっては分散型エネルギーへの投資を求めているのだから、二枚舌でもある。嘘をついたり、二枚舌を使うのに対して閻魔様の加える罰は舌を抜くことである。もちろんそれは死後の地獄でのこととされているのだが。

  それから、福島県が要求してきた18歳以下の子供たちの医療費無料化を政府が拒否したのだが、そのやり方が姑息である。確かに、例えば、栃木県の那須あたりは、福島県の会津よりは放射線量が高い。だから、「福島県だけに無料化を認めれば、原発事故で同様の健康不安を抱える隣県などから批判が出かねない」し、11「原発事故と無関係の病気の診察まで無料化するのは説明がつかない」というのだが、福島県 だけで無料化するのではなく、宮城や栃木などの原発事故によって子供たちが放射能を浴びたところはどこでもそうするという方策は選択肢から除いているのだ。さらに、原発事故による医療費だけを無料化するのではなくというような言い方は、今後、原発事故で医療費が支出されるということを認めた言い方で、まもなく、被曝した、あるいは今も低線量長期被曝をし続けている子供たちを中心に健康被害が出ることを暗黙の前提にしているのだ。そのくせ、こうして医療費の支出に歯止めをかけ、別のかたちで、400億円を出すというのである。こんなありさまの現代の吉良上野介をいただく日本国家=政府に対して、もし原発事故による子供の犠牲者が一人でも出たら、日本人が好む赤穂浪士のごとく吉良邸に討ち入るのは正義ということになるだろう。こういう時にきちんとした対策を取ることが本来の国の役目として期待されることなのだが、この国の官僚は、それよりも、どうやって責任を取らないですむようにするかということばかり考えて、それを正当化する理屈をひねるのを官僚の仕事と思っているらしい。それは学問の定義から遠く離れているし、当然、公的には否定されていることである。やってはならないこと、否定されるべきこと、と公式になっているはずだ。そうしないということは、官僚に学問がないことを意味している。こういうところには官僚的処世術しか感じられないのだ。

 そして、東電である。東電には、経済主義労働運動路線を取る東電労組がいて、労使一体の「悪」のブロックを組んでいて、労組員を「悪」の精神で教育しているので、自分たちは冬のボーナスを貰いながら、自分たちの会社が起こした事故の被害者に対する賠償をできるだけ削ろうとしている会社の姿勢を正そうとしない。これでは、労働者が自分の労働に対してプライドが持てなくなる。労働はたんなる手段になって、それと引き換えに、空しい抽象的な数字を積み上げてよしとしようとしているのだ。それには労働者もそんなに長くは耐えられないだろう。なぜなら、経験的に明らかなように、人々の欲望は経済的なものに向かうだけではなく、別のものにも向かうものだからである。

 その一つが、里山の景観であった。繰り返しになるが、自然法則は生態系の入れ子構造を通して人間の心に作用して、それに対するリアクション(反作用)として労働を呼び起こした。そうして、自然法則の作用と人間労働の共同労働が行われ、その共同生産物として、里山のみごとな景観を生み出したというのである。こうした作品を見るときに、それを人間の力が自然を征服したと感じるのではなく、自然との共同生産物として自然の力を人間労働の力と同時に感じる。ところが、近代になると、人々は、そういう感覚を否定し抑圧するイデオロギーが形成され、それが様々な手段で人々の頭に刷り込まれ習慣化され固化され、そう感じにくいように洗脳されているのである。しかし、前者の方が根源的な感覚であるため、人々は自然を鑑賞したり、登山に行ったり、海に入ったり、風景を眺めたり、庭や鉢植えなどを通して、そうした感覚を求めるのである。人々は外部性と触れ合うという矛盾を受け入れる社会のダイナミズムの体験を求めるのだ。

 東北の漁民や農民に対して中沢氏は、「土地や海は、自分たちと分離することのできない、キアスム的結合の相手である。彼らは、動物と植物とも。このようなキアスム的構造にもとづく関係を結んできた。それゆえに、長く親しんできた土地での農作業ができなくなったり、海での操業へ出られなくなったり、住み慣れた土地を離れなければならなかったときの彼らの悲しみの深さを、かれらは想像してみなければならない(50頁)」という。

 そして、中沢氏は、愛憎や道徳や義務の感情の多くの部分が自然や他者とのキアスムの構造をつうじて作られてきたというカント的な倫理・感情論をも加えている。それに対して、市場は、「無縁」の原理で動くシステムで、物は「無縁」の商品となる。そこで、売り手と買い手はクールな態度で交換する。つまり、交換の際には、交換価値にしか興味のない、数字だけを見、利害だけを気にする人格になりきっている。そうすると商品は交換可能形態に止まるだけのただのモノとなる。「商品にはそれ固有の価値があった」(51頁)。例えば、形見分けされた時計が、交換価値として100円程度のものであったとしても、簡単には譲れない特別の意味を持つものであって、故人の名前が彫ってあって、その文字と共に思い出が刻まれていて、残された家族の思い出の品となっているというような場合がある。ところが、「それがいったん商品として扱われると、交換価値だけが意味をもつことになり、その価値はお金で計算できるようになる」(同)。そういう市場が社会を包摂するようになるのが産業革命以後の近代である。

福島県、18歳以下医療費無料化を独自実施へ
(2012年1月29日 読売新聞)

  特集 福島原発

 政府は28日、東京電力福島第一原子力発電所事故を受けて福島県が求めていた18歳以下の医療費無料化の見送りを県側に伝えた。

 原発事故の影響を受けている他県とのバランスを考慮したためだ。ただ、政府は県が創設する新たな基金に400億円を拠出することを決め、県は医療費無料化の制度を独自に導入する方向となったため、事実上、国が「穴埋め」をした形だ。

 医療費無料化は、福島県が原発事故に伴う県民の健康不安を背景に国に要望してきた。野田首相は今月8日の佐藤知事との会談で、「政府内でしっかり検討したい」と前向きな意向を示していた。

 しかし、政府内で検討した結果、「福島県だけに無料化を認めれば、原発事故で同様の健康不安を抱える隣県などから批判が出かねない」との懸念が強まった。県外の一部地域では、福島県内より放射線量が高い地域があるためだ。「原発事故と無関係の病気の診察まで無料化するのは説明がつかない」との意見もあり、最終的に首相は国民理解が得られないと判断した。

双葉町長:東電に抗議 男性の慰謝料増額拒否で
(2012年1月29日毎日)

 東日本大震災に伴う東京電力福島第1原発事故の賠償をめぐり、福島県双葉町の井戸川克隆町長は29日、同県大熊町の男性の申し立てに基づいて原子力損害賠償紛争解決センターが示した和解案に対し、東京電力が慰謝料の増額を拒否したことなどに抗議を表明した。避難先の埼玉県加須市内で記者会見した。

 井戸川町長は「原発立地自治体として東電に全面協力してきた。東電の態度は遺憾」と述べた。町の弁護団は慰謝料の増額などを求めて、2月下旬にも同センターに集団で仲介申し立てする予定で、今回の東電の回答を「(賠償について)モデルケースになりかねない」としている。

 東電は26日、センターの和解案に対して、初めて住宅への損害賠償は認めたものの、慰謝料の増額は拒否するなどの回答をした。【藤沢美由紀】

「政治主導」、官僚と溝…議事録作らず(読売新聞 1月28日)

 政府の東日本大震災関連の10組織で、議事録や議事概要の全部もしくは一部が作成されていないことが27日、明らかになった。

 「政治主導」を重視する民主党政権が頻繁に設ける関係閣僚会議などでも、議事録があるのかどうか不明だ。国家運営に対する感覚や歴史観が足りないとの批判が多い民主党の体質が、改めて問われそうだ。

 「このような問題が発生したもととなる原因を分析し、必要な改善策が作成されることが必要だ」。27日夜の記者会見で、岡田副総理(公文書管理担当)は早急に改善策を取りまとめる考えを強調した。

 今回調べた15組織のうち、議事概要すらない原子力災害、緊急災害の両対策本部、被災者生活支援チームの3組織は、震災と東京電力福島第一原子力発電所事故対応を担う中核だ。

          ◇

 日本の国家的危機への対応はなぜ記録されなかったのか。会合の大半に官僚がいたにもかかわらずだ。政府関係者は、昨年3月の東日本大震災の直後、災害対応に忙殺されたことを理由に挙げる。「電力需給に関する検討会合」の事務局の内閣官房職員は、「昨年3月の被災直後は業務が多忙で、正直なところ、議事録作成まで頭が回らなかった」と釈明する。

 しかし、物理的な多忙さだけでなく、「政治主導」をひょうぼうする民主党政権の体質が影を落としたのでは、との指摘も出ている。

 政府内では、震災直後から公文書作成が重要だとの認識は共有されていたはずだった。

 「震災から1か月経過したことを踏まえ、関連資料保存に留意願いたい」

 滝野欣弥官房副長官(当時)は昨年4月12日の被災者生活支援各府省連絡会議で、居並ぶ各府省の担当者に文書作成と保存の徹底を指示した。

 ところが、その後も議事録問題は事実上、たなざらしになっていた。当時の内閣官房幹部は「政務三役から言われない限り、あえて過去の会議の議事録を事後作成しようと言い出す発想は官僚にはない」と語り、政権内での政治家と官僚の“溝”を指摘する。

 鳩山政権下で迷走し、政権の命取りとなった米軍普天間飛行場移設問題に関する関係閣僚の協議などは、官僚は最初から排除され、政治家との距離は広がった。そのあげく、「非公式扱いで、議事録に残していないものも多い」(政務三役経験者)とされる。

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転載:<緊急>行動の呼びかけ

<緊急>行動の呼びかけ

1月27日(金)午後4時~6時の抗議行動(経産省前テント広場)に全ての人々の参加を!

経産省のテント撤去命令に心底からの怒りをもって抗議し、再稼働阻止・脱原発のためにテントひろばを守り抜こう!

テントひろばに心を寄せ、思いを共にする全ての人々に、経産省前テントは今重大な事態に立ち至っていることを告げ知らせねばならない。そして経産省の不当な退去・撤去命令に心底からの怒りをもって抗議し、テントひろばを守り抜くための行動に共に結集されるよう呼びかける。

 今日1月24日(火)、枝野経産相は定例の記者会見において自ら経産省前テントを話題にし、テントの自主撤去を強く求めると言明した。テントは不法占拠である、火気に関して管理上の危険が存在する、というのがその理由であった。

それを受けて、経産省大臣官房情報システム厚生課厚生企画室長は、「1月27日(金)17時までに当省敷地からの退去及びテント・持ち込み物等の撤去」命令を文書でもって通告してきた。その理由として火気についての細々としたことを書き連ねられている。

  この経産省の一連の行動は、とみに強まっている再稼働策動の重大な一歩である。とりわけ、先日のストレステスト意見聴取会での傍聴人排除、利益相反委員による審査という不法行為、密室での少数委員によるお墨付きというなりふり構わぬ姿勢と共通のものである。テントひろばが4ヶ月半にわたって存在しているのは、福島の女たちをはじめ、全国津々浦々の、さらには全世界の人々の脱原発を求める心と思いに支えられてであり、反原発の象徴として、それらを一つに結び合わせ、交流・表現する公共空間となっているからである。

  枝野経産相もそれは充分承知の上であろう。彼が9月に言明した「国民的議論が必要」という考えをなお保持しているのであれば、テントひろばと向き合い、話し合いや公開議論の場をこそつくるべきであろう。

テントは24時間の泊まり込み、「とつきとおかの座り込み」に表されるように生活の場でもある。そして雪が降り積もるような厳冬下、暖房の確保は生存権・生活権に関わることである。一切の暖房を認めないとする経産省は、凍死者が出ることを願っているのであろうか。原発を推進してきた経産省にとって、人命とはかくも軽視すべきものなのだろうか。

  テント広場では防火責任者をおき自主管理で運営し、消防法上も「危険な行為」など一切ない。経産省とテント防火責任者が何度も話し合っており、これからも共同で防火に努めれば「危険」などないはずだ。経産省は姑息な口実はやめるべきである。

今必要なことは、テントの撤去ではなく、再稼働をやめ、原発をなくすための努力をすることである。そのためにテントを守り抜かねばならない。

  テント運営会議は、1月27日には、記者会見・声明の発表、枝野経産相への会見申し入れ、そして午後4時~6時の抗議行動を決定した。ともかく、本当に大規模な抗議行動が必要であり、どれだけ多くの人々がテントを必要とし、テントと結び付いているかを、経産省に思い知らせねばならない。テントに心と思いを寄せる全ての人々の結集を呼びかける。

  そして明日から週明けまでの1週間は、右翼の襲来も予測される。(当日すでに街宣車4台で登場。)様々な事態がありうる。是非テントひろばに駆けつけて、朝~夕の座り込み・夜の泊まり込みに参加して下さい。

土・日にはテントひろばで様々なイベントを繰り広げよう。

 

再度、1月27日午後4時~6時の抗議行動(経産省前テント広場)への結集を!

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3・11問題の中間総括のために(10)

 「社会がまだ市場を包摂していた頃」(48頁)と中沢氏は言う。その頃までは「人間は自然―生態系のなかに、社会という局所的な生態系をつくり、さらに個人の心のなかにもいっそう局所的な生態系をつくりだしていた」(同)と、生態系の入れ子構造があること、つまり、自然と社会と心は、生態系的存在形態を持っているということである。それの基本となるのはキアスムの構造であると中沢氏は言う。それによって、自然の中で働く複雑なメカニズムが、人間の心に働きかけて、両者の共同作業としてみごとな景観を生み出したというのである。これを一般的な言葉に直して言うと、自然法則が人間の心に作用を及ぼして、それに対応して人間は、自然に対して労働を行って、自然を変えて、美しい風景を生み出したというのである。この時、自然は、人間にとっての自然であると同時に自然にとっての自然(人間)へと止揚されている。つまり、媒介されている。一方の極=項ともう一方の極=項が媒介されているのである。

「市場が社会を包摂する」という事態が全面化する以前には、社会はキアスムの構造をつうじて、自分と外部との間をつなぐ回路を確保しながら、生態圏のなかの生態系として、生き生きとした活動をおこなっていた。社会はかならず外部性とのつながりを保ちながら、みずから活動する。つまり、社会は矛盾を受け入れながら作動するダイナミズムなのであった。(49頁)

 このあたりは、『はじまりのレーニン』(岩波書店、中沢新一著)のドリン・ドリンという魚が釣り針にかかったときの「当り」や「引き」の感覚の記述を思い起こさせる。自然という社会にとっての外部とつながる時の生き生きした感覚である。自然を釣ると同時に自然に釣られている。引っ張ると引っ張られるという感覚である。矛盾なしにダイナミズムはありえないし、そうしたダイナミズムを失った社会は死んだ社会である。そうなるとその社会は滅びた。原発事故という極大な矛盾が生じた時に、それに対してダイナミックな対応が出来ずに、「冷静に」とか「ただちに人体に影響はない」などと言って、平静を装ったのか本当に平静だったのかはわからないが、落ち着いた口調で記者会見していた政府、そして枝野官房長官の態度に現れたのは、現政府、経産省などの「原子力ムラ」がすでに滅びかけているということだった。あろうことか、その枝野が横滑りして原子力安全・保安院を管轄する経済産業相になった。これほどの不適材適所の人事もないが、その人事を行った野田首相もまた社会のダイナミズムに無感覚で、それによって滅亡の相を露にしたのだ。

 それに対して、東北の世界は縄文文化の特徴を色濃く持っているが、「その大きな特徴は、人間の文化がつくりあげる人工秩序と、それを取り巻く自然秩序の間に、太いキアスム構造のパイプがつくりだされていたところにある」(49~50頁)という。

動物や植物や先祖霊をはじめとする霊的存在が、生者の世界との間を、自由に行き来して、人工と自然、生と死が渾然一体となった全体世界を形成してきた。(50頁)

 つまり、アニミズムの世界である。それが宮沢賢治の童話に見事に示されている。『風の又三郎』では、風の化身が転校生の又三郎となって現れる。『銀河鉄道の夜』では、沈没したタイタニック号の死者が列車の乗客となって現れる。『やまなし』では、クラムボンという魚とそれを見上げる蟹の親子の会話がある。ある作品では電柱同士が会話する。東北には平野部が少なく、自然は人間が征服したなどという思い上がりを許すほど、あまい存在ではなかった。自然はそれに絶えず労働を加えて加工し続けなければ、あっという間に人間の生活を脅かす。と同時に、木の葉は肥料ともなり、木の枝はまきになり、木の実は食料となる。自然を人間生活の脅威にならないように変え、生活のためになるように変える労働をしてきた。中沢氏は、その結果が里山の景観だというのである。三内丸山縄文遺跡は、栗の木を残して他の種類の木は伐採して作られていた。

東北の農民と漁民にとって、土地や海は、たんなる作業場でも資源でも固定資本でもない。農民や漁民にとって、土地や海は、自分たちと分離することのできない、キアスム的結合の相手である。(50頁)

 そのことを研究で明らかにしてきたのが、民俗学、そして東北学(赤坂憲雄氏ら)である。時々、こういう感覚の弱い人と話をするとちょっといらいらすることがある。それに対して、福島県南相馬市長桜井氏は、宮沢賢治の影響で賢治と同じ岩手大学農学部(旧盛岡高等農林学校)に入ったと述べていて(『情況』2012年1・2月号)、それで彼のこの間の反原発の思想の根拠がそこにあるというのがわかってほっとする。以下、ウィキペディアから、賢治の世界形成に影響したと思われる自然災害や東北の農民生活(当時は東北の圧倒的多数が農漁民や山の民であり、貧しかった)についての記述を抜粋する。賢治がキアスム的構造に敏感であったことは明らかである。つまり、生態圏の傷を自分の受けた傷としてj感じ、社会の傷、つまりは人間の心の傷として感じやすかったのである。おそらく、震災と原発事故は、多くの人に生態圏と社会の生態系と心の生態系についた傷として感じられ、それを直したいという欲求を呼び起こしている。そうでなければ、あれだけの多くの人々が脱=反原発運動に参加し、行動することはありえなかっただろう。自然と社会と心の間にキアスム的結合がなければ、そうしたことは起こらなかっただろう。

賢治が生まれる約2ヶ月前の6月15日に「三陸地震津波」が発生して岩手県に多くの災害をもたらした。また誕生から5日目の8月31日には秋田県東部を震源とする「陸羽地震」が発生し、秋田県及び岩手県西和賀郡・稗貫郡で大きな災害が生じた。この地震の際に母は賢治の入ったえじこ(乳幼児を入れる籠)を両手でかかえながら上体をおおって念仏を唱えていたという。

質店の息子であった賢治は、農民がこの地域を繰り返し襲った冷害などによる凶作で生活が困窮するたびに家財道具などを売って当座の生活費に当てる姿をたびたび目撃、これが賢治の人間形成に大きく影響したと見られる。

この年(1933年(昭和8年))3月3日に「三陸沖地震」が発生し、大きな災害をもたらした。誕生の年と最期の年に大きな災害があったことは、天候と気温や災害を憂慮した賢治の生涯と何らかの暗合を感ずると宮澤清六は指摘している。地震直後に詩人の大木実(1913年-1996年)へ宛てた見舞いの礼状には、「海岸は実に悲惨です」と津波の被害について書いている。

 この頃の東北では「北方性教育運動」が広がっていく。すなわち、「1934年(昭和9年)、おりからの東北地方大凶作を契機にして、秋田・山形・宮城・福島(のちに岩手・青森)の青年教師たちが結集して、北日本国語教育連盟をつくり、北方性教育運動は、飛躍的な活動期に入ったのであった」(三一新書『日本教育運動史3』第3章 北方性教育運動 62頁)。

 この運動は、「1929年(昭和4年)ごろから1937年(昭和12年)ごろにかけて、東北地方において行われた生活綴方を中心とする教育運動をいう。しかし、これは昭和10年代にはいると、地域的な教育運動・文化運動の域を脱し、封建的・官僚的・ファッショ的な日本教育を改造しようとする全国的な運動としての性格をおびていった」(61頁)。それは、「自分の子供たちが、都市の子ほど出来がよくないこと、教室で活気がないこと、学習意欲がとぼしいことが、貧しい村に赴任した教師の悩みだった」(63頁)ことに示されるような当時の東北の貧困問題への取り組みとして、生活を第一に押し出したものであった。東北は近代以降ずっと出稼ぎ労働者の供給地であり、昭和農村恐慌の際には娘の身売りもあった。

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3・11問題の中間総括のために(9)

 さて、キアスムである。これを、中沢氏は交差と訳されているが、それだけではこの概念をとても言い表せない。この概念がいわく言いがたい何かを示そうとしているからである。例えば、メルロ・ポンティのキアスムという概念は、様々な性格が付与されていて、訳語も、交差、交叉、絡み合い、などいろいろある。その重要な性格を、交換可能性とする研究者もいる。ただし、この場合の交換可能性というのは、マルクスが『資本論』第1巻第1章商品で言った商品の交換可能性とは違う。キアスムの交換可能性(可換性)は、表と裏の交換可能性、英語のリバーシブルのことである。だから、中沢氏は、キアスムの説明に、メビウスの輪を使っているのである。それはちょっと後の話である。その前に、中沢氏の社会観が、次のようなものであることを踏まえる必要がある。

社会というものはどこでも、具体的な人間の心のつながりでできている。社会のなかの個人は、程度の違いはあっても、けっして孤立して存在していない。さまざまな回路をとおして、人間同士の心のつながりを維持しようという方向に、社会は働きをおこなおうとする。つまり、人間同士を分解するのではなく、結びつける作用が、社会には内在しているのである。このような社会の本質を、「キアスム(交差)」の構造としてとらえることができる。(47頁)

 社会というのは具体的な人間の心のつながりでできているという中沢氏の社会観は、もし、それが唯物史観で言う土台と上部構造という社会構造を踏まえていないならば、単なる観念論になりかねない。しかし、中沢氏はそんな単純なことを考えているわけではない。エネルゴロジーという存在論には経済学が含まれているのである。そこで、ここで言う人間とは何であり、その心とは何であるかが問題になる。社会が構造をなしていて、それが働き、作用し、その力が内在しているということが重要である。氏は、人の間を結びつける作用をなす構造(システム)として社会を定義しているのである。そしてそれを心という意思、あるいは志向性として捉えているのだ。その志向性とは人間の心をつなぐということである。言語という媒介を使ってかたちづくられる精神構造として、人間の心の全体性をも示唆しているのだ。

キアスムは、さまざまな人格の交差した状態をあらわしている。私の心とあなたの心に、なにかのつながりが発生している状態では、主客を分離して、あなたのことを自分にはつながりのない対象のように取り扱うことはできない。このとき二人の間には「縁(つながり)」が発生する。(47頁)

 「縁は異なもの味なもの」の「縁」である。主客の分離以前の経験を西田幾多郎は純粋経験と呼んだ。主体・客体未分離の状態では、例えば、自分の心は、原発事故の被災者の心との縁(つながり)があって、分離できない。そこに社会の本質があると中沢氏は言う。そして、キアスム関係にある人同士の交換では、モノと所有者の縁も一緒に相手に手渡されるから、価値計算できない「+α」の要素が組み込まれて、交換は贈与という性格を帯びるようになると言う。例えば、形見分けで与えられたモノは、故人の人格的な要素、気持ちや意思、思い出などが組み込まれているので、商品交換価値に還元できないモノとして贈与される。こういうことは日常経験として誰しも経験していることだが、市場経済が圧倒的に支配している中ではそれは普遍的ではなく、例外的なケースと見なされる。しかし、

資本主義以前の世界では、人間と生態系の間にも、このキアスムの構造が貫かれていた。このことは、農民のしめす自然にたいする深い共感情を思い浮かべてみれば、すぐにわかる。自分が耕作している土地ばかりではなく、そのまわりに広がっている自然を、農民はただの資源とはみなしていない。まるで、自分の存在の一部であるかのように、あるいは自分がまわりの自然の一部であるかのように感じている。キアスムの構造が、このような共感覚を発生させているのである。(48頁)

 メルロ・ポンティのキアスム論より、中沢氏は、キアスムの構造に、「縁」=つながりの方にかなり片寄った意味を与えている。しかし、「共に」ということが、単なる独立した人格の並行関係として抽象的に捉えられていないということは重要な指摘で、「共に在る」ということの錯綜した構造をキアスム=交差として捉えるということだけでも、大したことだ。交差点というものを思い浮かべてみれば、それがとても複雑な現象でありながら、全体性としてバランスのとれた秩序を保ち、構造を持っていることがわかる。心もまた他の心とキアスムの交差状態にある。あるいは絡み合いの構造があるので、反省によってそれを分離してみるまでは、私の心と他人の心、自然も分離できない状態だから、他者の痛みや苦しみを自分のことのように感じる。それができるのは、言語を通して他者が私と似たところを持っているとわかっているからである。しかしそれは大ざっぱに言えることで、変化もするし、さらに、条件にもよる。それでも、そういうことも言語を通してわかるので、結局は、私の心は他者の心(他の私の心)に共感できるということになる。

 ただし、このことは、やはりデカルト的な方法論を通すことがあっての上でわかることである。だから、メルロ・ポンティの「絡み合い―キアスム」という晩年の小論は、哲学が、最初からすべてをやり直す必要があるとして、白紙状態に身をおく必要性を指摘することから始めている。

哲学が反省や合致を自称すると同時に、自分がみいだそうとするものをすでに前提としているという批判が正しいとすれば、哲学は最初からすべてをやり直す必要がある。反省や直観が手にいれた道具を投げ捨て、まだ反省も直観も区別されていない場所に身をおくこと、「主観」と「客観」、実存と本質が混ざりあったまま、一挙にわたしたちに与えられ、まだ「加工されていない」経験のうちに、これらをふたたび定義しなおせるような場に身をおく必要がある。(『メルロ=ポンティコレクション』ちくま学芸文庫 116頁)

 もちろん、これは、方法としての懐疑をもって哲学をやり直し、そこで疑っている私という疑いえない私を理性=懐疑するものとして見出したデカルトとは違って、反省も直観も区別されていない場所にまで行くという、よりラディカルな哲学的方法なのである。懐疑はまだ反省であるから、デカルトの懐疑は不徹底だったのだ。

 この間、東電幹部や政府、文科省や経産省や御用学者の言動を見ていて、かれらから、被災者の心との絡み合い=キアスムが感じられないのが気になっていた。そして、「原子力ムラ」という名称がその理由をよく言い表していると思うのだが、それはかれらの心の絡み合いのある範囲をあらわしているのである。しかし、かれらとて、本当は被災者の心とキアスムの構造で結ばれており、それは言語を通じてわかるから、そういう言葉を生み出して表現して語り聞かせれば、それがわかるはずである。それが、10月27日から3日間の経産省前テント座り込み行動で福島の女性たちが行った経産省交渉での彼女たちのやり方であった(この行動中のレイバーネットでの座談会での佐藤幸子さん(原発いらない福島の女たちの会)などの発言にある)。しかし、それを打ち消す国家主義の力はなかなか強い。それはレーニン言うところの慣習の力であり、階級利害のしばりなのだが、それが官僚の頭を支配し、手足を縛っている。しかし、キアスムの構造でかれらの心は被災者の心と結びついているので、ソ連邦が崩壊した際に、モスクワ市役所に立てこもった反体制派とそれを支援する民衆を鎮圧するために出動した戦車が民衆に弾を浴びせることができず、逆に民衆を戦車に乗せて凱旋するというようにひっくり返ったように、ひっくり返るということはありうることではある。今のところはなかなかそうなりそうもないのだが。

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3・11問題の中間総括のために(8)

 中沢新一氏の『日本の大転換』にもどろう。

 続いての章は、「3 資本の「炉」」というタイトルがつけられている。そこでまず指摘されているのは、日本の科学者が原子炉を「地上の太陽」と呼んだということのエネルゴロジー的矛盾である。

核分裂をおこなうことによって莫大なエネルギーを放出する原子炉は、巨大な距離を隔てて地球にエネルギーを送り続けているほんものの太陽ではなく、もともと太陽圏に属する高エネルギー現象(それは地球内部の核やマントルでも活動中である)を、空間的な距離の媒介もなく、地上に直接持ち込む技術装置であることが、そこでは思考から抜け落ちてしまっている。原子炉という「小さな太陽」とは、存在論的にまったくの別ものである。それをあえて混同することによって、核分裂する「炉」を、まるで自然物であるかのように扱う、錯覚まで生じさせることになった。(40~1頁)

 そして、資本主義と原子力のエネルゴロジー構造との同型性を指摘する。資本主義経済システムは、「社会」という人類の「サブ生態圏」に、異質な原理で作動する「市場メカニズム」を持ち込んで社会を変質させてきたというのである。社会とは、人類が言語を媒介にして精神活動を可能にするサブ生態圏を自然生態圏の一部に形成してきたものである。それが、「第七次エネルギー革命」のもとに発展してきた資本主義では、市場メカニズムが社会を完全に包摂して、サブ生態圏の持続そのものを深いレベルで脅かしているという。資本主義システムは、生命生態圏と精神的な生態圏の両方を脅かしてきたとして3つの点を指摘する。

① 市場メカニズムで運動する資本主義は、人間の心がつくるサブ生態圏である「社会」を、解体する可能性をはらんでいる。核技術と違って、資本主義はもともと生態圏の内部に発生した経済現象であるが、核分裂と同じように、人類に特有な社会と呼ばれる特別なサブ生態圏を破壊する可能性をもつのである。これは市場と社会とが、異なる理法で作動していることに起因している。

② 資本主義は成長を続けなければ、衰退ないしは停止に向かうシステムである。この点は原子炉ときわめてよく似ている。核分裂の連鎖反応が続かなければ原子炉は稼動できないが、そのためには中性子の倍増率が1以上でなければならない。資本主義の場合も、利潤率が1以上でなければなりたたないからである。成長を持続できるシステムであるために、資本主義は大量生産・大量消費を世界に要求する。そのために、資本主義は資源とみなされた生態圏の一部を、無際限に開発・消費することによって、生態圏のバランスを破壊する。また大量消費がおこなわれることで、莫大な量の産業廃棄物や生活廃棄物と並んで、大量のCO2が排出され、生態圏にとってきわめて重大なリスクを生み出している。

③ 原子の「炉」を、もっとも重要なエネルギー源とする産業形態を発達させることによって、生態圏をリスクにさらす。このことはとくに現代の日本において著しい。原子力発電は、その原理から言って、生態圏の外部に属するものを内部に持ち込む技術であるが、日本ではそれがまるで別の種類の「新しい自然」であるかのようにして、資本主義システムを稼動させる「炉」として、生態圏のなかに設置されてきたのである。それが異常な事態であることを、地震と津波という生態圏の強度現象が、まざまざと私たちに見せつけてくれた。(44~5頁)

 そして、福島第1原発の事故を、その固有性において捉え、規定する。すなわち、「福島第一原発での事故では、たんに原子力発電所が機能不全に陥ったのではなく、資本主義システムに組み込まれた原子の「炉」が、破綻しているのである」(45頁)という認識が生産されている。多くの知識人が、原子力発電のことを、様々な角度から検討しているが、ここまで現存社会の問題と深く結びつけるものはなかった。技術的な側面、しかも即物的な一面だけで、原発事故を捉えるというものが多かった。それだと、技術開発や技術の改良だけで事態が解決するという誤解が広まってしまう恐れがある。それでは、チェルノブイリ原発事故やスリーマイル原発事故、そして、日々おきている小規模の被曝事故が、人々に対して与えている深刻な不安や恐怖という感覚もまた錯覚とみなされてしまうだろう。放射線被曝が生命生態圏と精神生態圏を根本から脅かしているからこそ、言い知れぬ恐怖や危険を深いところで感じるのである。それには根拠があるのだ。それがやばいと感じたから政府は「安全」キャンペーンを張ったのだが、その結果、20キロ圏内からの避難者が、さらに50キロ圏まで逃れたことで安心したら、そこが風向きなどの関係で放射線量の高い地域で、さらなる被曝を余儀なくされたというような取り返しのつかない2次被害をこうむることになるという悲惨な事例まで出たのである(最初、飯舘村に避難した浪江町の人たちなど)。コンパスでマルを書いて、そこから外は安全だなどというのは、まったく机上の計算でしかなかった。誤りを速やかに訂正して、適切な避難措置をすることができなかったのは、「安全」神話に拘泥したからであり、それは、明らかな政治的ミス、判断ミスであり、人為的ミスである。だから、それを信じないで、半ば本能的に遠くに避難した人の判断は正しかったわけだ。意識的にある種の覚悟を決めて残った人はまた別である。

 こうして、様々なことが短期間に起きるのが、非常時の特徴であり、革命という非常時と似た点もある。地方自治体の事実上の解体ということも起きた。統治機能が事実上麻痺状態にある中で人々が自主的に行動したということもそうだし、避難生活の中で自治を組織したということもそうだし、相互扶助を行ったというのもそうである。それは、中沢氏の考えから言えば、サブ生態圏を再組織化すること、言い換えれば、社会を構成することであった。そのことにまったく無感覚なのは8日の野田首相の福島県庁で開かれた「原子力災害からの福島復興再生協議会」での双葉郡に除染で出た放射能汚染物の中間貯蔵施設を作ることを重ねて要請するという傲慢な態度である。それに対して双葉町長は、 「双葉郡民を国民だと思っていますか、法の下の平等が保障されていますか、憲法で守られていますかと尋ねた」ということが報道された(8日付河北新報)。3・11後の政府や原子力の対応を見ていて私が感じたのと同じことだ。このような政府=中央の態度や扱いについて、あるいは福島や被災地への「まなざし」については後述する。似たような態度や視線や感覚を首都圏の「市民」に感じることがあるので困惑することがある。

 福島復興計画の基本理念に掲げられている「命優先」ということが、現在の資本主義経済システムの首都(キャピタル)たるところが変わらないと、本当にそうならないのだ。残念なことの一つは、原発の廃炉を目指している運動団体の中に、すでに、福島から廃炉への流れが現実化しつつあるときに、まだ、旧来のスタイルや主張ややり方や表現や思想や政策や政治をそのままにしているところがあるということだ。それでは、3・11があって、そして多くの犠牲が出、またこれから幼い命がどうなるかという不安を抱えながら、原発廃炉へと踏み出した福島の固有性をしっかりと組み込んだ運動ができない。また、運動は、数と同時に質が問題になりつつあるという時期になってきている。もう一度、なぜ廃炉なのかということをしっかりと考えてみなければならないのだ。つまり、なぜ、人類と原子力は共存できないのかということを考えてみる必要があるのである。おそらく、そこには、戦後反核運動がはらんでいた弱点が浮かび上がるだろう。すなわち、科学技術の進歩がおしなべて人類を幸福に導くという神話への依存という問題である。それが核の平和利用論である。今の脱原発運動の中にもその神話が根付いていて、技術の低さを根拠とする脱原発思想というものにとらわれている人がけっこういるのではないかと思わざるを得ないことがある。現存経済社会システムは基本的なところで「命優先」を実現できるのかと問わねばならない。命の選抜、健康維持の義務化、自己責任思想、そしてナチスの「禁煙法」に示されている「優生思想」と共通点を持つ健康促進増進法ができ、それに基づいて厚生労働省が上から自治体などを指導して、禁煙条例を作る動きが盛んになった。それは、ナチスの優生思想の、健康で優秀な民族を作り、それ以外の民族を劣等民族とみなして差別・選別し、抹殺するというものと共通性がある。健康であることを国が法律で国民の義務にしたら、健康を権力が強制するということになり、日本国憲法の「健康で文化的な生活を営む権利」という権利概念と対立する。この点でも、いつの間にか、憲法の事実上の改悪がなされていたわけだ。こういう「命優先」が後退化しつつある現存経済社会で、ただ言葉の上だけで、健康増進とか言われても、現実には逆の結果をもたらすという危険性があるのだ。命には社会的意味も含まれなければならない。充実した生、生き生きとした生、静かな生、幼い生、老いた生、等々の固有の生の複数性が保たれねばならない。それを一つの生、例えば、日本民族の生というような選ばれた生のみを中心的生として固定化し単一化してしまい、生の唯一の型とか、健康の唯一の型とかに単一化あるいは固定化すれば、生としての意味の充実はなくなり、社会的な意味での生は死んでしまう。

  続いて中沢氏は、社会の原理と市場の原理の違いについて展開していく。その際に、キアスムというキー概念が出てくる。キアスムという概念は、メルロ・ポンティが晩年にキー概念として考えていたものである。市場はもともと「共同体と共同体の間に発生する」(マルクス)もので、共同体的絆を解体するように作動する。また、氏は、ポランニーの市場論を肯定している。それは、共同体の外部から持ち込まれたもので、共同体の内部では贈与経済が成り立っていたのに対して、それを破壊するという論を引用しているのだ。キアスムというのは興味深い概念なので、メルロ・ポンティの研究者の書いたものを読んでみた。そこで、キアスムというものについて少し詳しく見ていきたい。これは福島民友の1月1日の社説が言う金やモノを中心とした価値観からの価値転換の中身を考えることになるだろう。金やモノという場合、現存の社会・経済システムでは、ほぼ資本・貨幣・商品のことだからである。「資本制社会の富は商品の巨大な集積として現れる」(『資本論』第1巻第1章商品 K・マルクス)。

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3・11問題の中間総括のために(7)

福島

2012年1月1日福島民友トップ:「帰還困難者支援へ」復興相インタヴュー
1月3日民友トップ:福島高専 原子力安全、減災、再生エネ 復興関連人材育成へ
1月4日民友トップ:国内有数産地 復活へ ふくしま再・興 第1部生きる1
1月4日福島民報トップ:避難区域 除染難航 モデル事業住民同意 手間取る 放射性物質特措法が施行 3・11大震災断面

 他に、1日付福島民友では、佐藤県知事の年頭所感の要約(全文は県のホームページに掲載されている)。佐藤知事の新春座談会(鈴木浩福島大学名誉教授・県復興ビジョン検討委員長、高校生4人)。鈴木氏は、「県外に避難した人たちは苦しい選択をし、生活の地を求めた。避難した人たちの姿勢、考え方、行動に共鳴した気持ちを持つべきだ」(3面)と述べている。細野原発担当相のインタヴューも載っている。3日付民友には、福島3区選出の玄葉外務大臣のインタヴューが載っている。東京の新聞では、玄葉外相が、地元のことをどう考え、どうしようとしているのかについて報道するものはほとんどない。

 福島民友の1月1日の社説(5面)は、「年が改まっても、弾んだ気持ちにはならない」として、震災と原発事故が「長引く経済不況、急速に進む少子高齢化。地方社会の病弊に歯止めがかからない中で起きた自然災害と人災が重なった「複合災害」だった」と述べているが、これも、3・11直後に感じたのと同じである。テレビに映し出された避難所での多くを占める高齢者たちの姿がそれを明確に物語っていた。それからの脱却の夢を原発に託した40年を、もはや「流れは変わりつつある」として、過去のこととし、12月28日に決定された県の復興計画が理念の最初に脱原発を掲げたことを紹介する。同時に、「脱原発」の決定が重い課題を突きつけていることを指摘する。

「原発で支えられてきた立地地域の雇用をどう確保するか」「原発に頼らない太陽光や風力、水力といった再生可能エネルギーへの転換も迫られている」。

 重要なのは、「かつてない災害は制度や仕組みにとどまらず、モノやお金に象徴される従来の価値観も大きく揺るがしている」という指摘だ。

「豊かさ」の新たな尺度といったものが求められているのではないか。エネルギーだけでなく、生活様式なども含め、私たちの思考や行動の前提を問い直すことでもある。

 原発事故がなければ、ここまでの根本的で全面的な価値転換を求める主張を新聞の社説が書くということはなかっただろう。事故直後に国益のための原発は必要だと冷静な対応を呼びかけた産経・読売・日経の全国紙の社説とは決定的に違っている。

 こうして、3・11を受けて福島には確実に変化が生じている。

 4日、中央のニュースでは、環境省の除染対策のための環境事務所の辞令交付式の様子を映し、1日に全面施行された放射性物質汚染対処特別措置で中間貯蔵所候補とされた双葉町長が埼玉県の町役場で、受け入れを拒否すると表明したことが報道された。数年、数十年にわたって影響が続いていく未知の領域に突入している福島を中心とする放射能被災地にとって、この事態に対応するには、社説が言うように、「生活様式なども含め、私たちの思考や行動の前提を問い直す」ことが必要なのだが、それは福島だけではなく、原発の電気を使って営んできた都市の生活様式や思考や行動の前提を問い直すことが同時になければ、本当には実現できないのである。その点で、既存の価値観や生活様式や思考や行動の前提を問い直さないで福島の未来を考えると、福島出身の前毎日新聞社主筆菊池哲郎氏が5日付福島民報(2面)で言うような思考に陥らざるを得ない。氏は、放射能の危険性を専門家がわかっていないということを指摘しつつ、「毒を食らわば皿まで」「転んでもただ置(ママ)きない」として、「例えば、解決不能になった普天間基地を誘致、同時に英語教育の先端県になるというのも一考に値する」というような、破れかぶれというか、敗北主義、負け犬根性に陥ることになる。危険な国の施設を受け入れる代わりに大きな見返りを取るというのは、これまでの中央と地方の関係と同じである。この構造のままで原発の代わりに普天間基地を受け入れ、英語のできる一部エリートだけを育てれば、英語エリートを中央に供給することになるだけのことである。

 氏は、「日本の発展を実現した首都圏の電源を供給し、日本を支えてきたのだから、見返りは将来に向け堂々と主張すべきだ」というように、首都への資源・エネルギー、人、物、富、価値の集中とそれの供給源としての地方という関係を変えることをすっかり選択肢から除いていて、思考すらしない。最初からあきらめているのである。しかし、ソ連崩壊の教訓として、あの末路を、中央集中的な国権主義の行き着く先ととらえるならば、それと正反対の方向こそが歴史的な進歩の道であり、現場、末端の自治、新たな村(コミューン)を作ることが、人々を幸福に導くと考えねばならない。地域分散型エネルギーへの道が、大量生産・大量消費の現行の経済システムと基本的にマッチするのかどうかも考えて見なければならない。そのことを大衆的な規模で考えてみるべきだというのが民友社説の主張であると言えよう。そこに、まずは福島が直面し、その道に踏み入っていくのは、強いられたことであるとはいえ、一歩前進のよいことである。

 新年を迎えて/県土の再生へ確かな一歩を(1月1日付福島民友新聞)

 2012(平成24)年を迎えた。年が改まっても、弾んだ気持ちにはならない。東日本大震災、さらに続いて起きた東京電力福島第1原発事故が重くのしかかる。県民は、甚大な災害に苦しめられている。

 だが、こんなときだからこそ、私たちは本格的な復興へと着実に歩みを進める必要がある。難局を乗り切るために県民一人一人が力を合わせる時だ。振り返ってみたときに、県土の再生に向けての大きな一歩となった年だった、と言えるような1年にしていきたい。

 大地震や大津波によって多くの尊い命が失われた。復興が遅々として進まない中、「3・11」の惨状の記憶と深い悲しみだけは今も消えることはない。

 第1原発の周辺は警戒区域、計画的避難区域に指定され、多くの人たちが避難を強いられている。原発事故で放出された大量の放射性物質は県民の健康だけでなく、農産物をはじめとする食への不安を招いている。風評被害もあらゆる産業に広がり、収まる気配は見えない。政府、東電は一日も早い事態の収束と被害者救済のために全力を傾注しなければならない。

 長引く経済不況、急速に進む少子高齢化。地方社会の疲弊に歯止めがかからない中で起きた自然災害と人災が重なった「複合災害」だった。県民を取り巻く環境は、かつてなく厳しい。

 本県は40年間にわたって原発と「共生」してきたが、今度の事故によって流れは変わりつつある。想像すらできなかった深刻な被害が県民の「安全」「安心」への思いを切実なものにしている。

 県が復興計画に「原子力に依存しない社会づくり」の基本理念を掲げたのも、県民の現実を直視してのことだ。

 「脱原発」は同時に、重い課題を背負うことでもある。これまでの地域づくりからの転換も意味するからだ。原発で支えられてきた立地地域の雇用をどう確保していくか、といった深刻な問いにも答えていかなければならない。資源には限りがあると考えるなら原発に頼らない太陽光や風力、水力といった再生可能なエネルギーへの転換にも迫られることになる。

 かつてない災害は制度や仕組みにとどまらず、モノやお金に象徴される従来の価値観も大きく揺るがしているといえよう。「豊かさ」の新たな尺度といったものが求められているのではないか。エネルギーだけでなく、生活様式なども含め、私たちの思考や行動の前提を問い直すことでもある。

 古里・福島の再生にとってこれから何が大切なのか。将来に向けた新たなデザインを県民一人一人が真剣に考えなければならない。
     
 原発電源回復 日本の技術の信頼かかる(産経2011.3.24)

 東日本大震災の大津波で被災した東京電力福島第1原子力発電所に、外部からの電気が届く状態になった。

 不眠不休の現場の働きで実現した待望の電源回復だ。巨大な原発システムをコントロールする中央制御室内にも明るい照明が戻り始めた。

 作業効率が上がるだけでなく、計器類も回復すれば原子炉内の圧力や温度などが把握できるようになる。原子炉を安全な「冷温停止」に向かわせるための前準備が整い始めた。進展を注意深く見守りたい。

 第1発電所では6基中、4基の原発が停止後の冷却失敗などで、危機的な状況に陥った。最悪の状態を脱しつつある感はあるが、まだまだ楽観は許されない。

 今回の原子力多重事故は、世界にもまれだ。完全終息への全作業を、そびえ立つ連山に登る道程に見立てると、今は、登山口にさしかかった段階にすぎない。

 高温の原子炉圧力容器は、やむを得ず注入した海水で、内部が“塩釜”状態になっている。

 この容器内と燃料貯蔵プールのウラン燃料を水の循環で冷やすことが焦眉の急である。注水ポンプだけでなく、燃料が出し続ける余熱(崩壊熱)を海水の冷却力で取り去る系統の復活が不可欠だ。

 そうした上で燃料の損傷程度を確認し、本格的な炉心溶融への進行を食い止め、放射性物質の外部飛散を阻止したい。

 事故の推移を全世界が固唾をのんで見守っている。爆発は起きているが、稼働中の爆発だったチェルノブイリ事故とは本質的に異なる。正確な安心情報を発信していく努力が、放射能汚染へと段階が進んだ今こそ必要だ。

 欧米諸国では、原子力発電を危惧する声が起き始めている。安全技術の高い日本で事故が発生したがための皮肉な現象だ。

 東京電力と国には、大災害に発展した事態の克服を通じて、日本の原子力技術の信頼性を世界に示してほしい。事故を理由に原子力発電に背を向けてはなるまい。

 米国でも炉心溶融が起きた1979年のスリーマイル島事故後、原発の建設が止まってしまった。エネルギー小国・日本での、そうした事態は避けたい。それには、まずは国民の理解が必要だ。

 これからの長い取り組みに、日本と世界のエネルギー利用の将来がかかっている。

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