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2012年2月

3・11問題の中間総括のために(14)

 中沢氏は第8次エネルギー革命は、「太陽エネルギーを直接的に受け取り変換して生態圏に組み込むさまざまなインターフェイス(媒介)技術をとおして」(65頁)実現されるという。つまり、媒介をへた太陽エネルギーの利用であって、直接性ではなく媒介性を特徴とするエネルギー利用への転換である。したがって、それは、「中庸」という性格を持つ。

 近代をもたらした市民革命・ブルジョア革命・民主主義革命は過激な急進性を特徴としており、それは、ソ連崩壊の際の市民革命でも同じであった。革命と反革命はいずれも過激であるが、それは歴史的な社会原理の転換が帯びた必然的な性格である。日本における明治維新後の急激な変化もそうだし、自由民権運動の性格にもそれはあったし、中国における辛亥革命、朝鮮半島での民主主義革命の場合もそうだった。その際に西洋から入ってきた一神教が大きな役割を果たした。李氏朝鮮末期の済州島における李在守の乱(1901年)は、「韓末の不平等条約(韓仏修好条約)に便乗したフランス人カトリックの横暴に抵抗した民乱であった。それは、甲午農民戦争、さらには義和団事件などとともに、この時代の、列強の圧力にあらがう東アジアの民衆反乱というひろい文脈に位置づけられる」(『韓国近現代史』文京洙 岩波新書)というが、そこには、当時の民間信仰の粋を集め編成し直した東学思想・信仰の民衆への広がりということがあった。この時、民衆反乱のヘゲモニーを形成したのは、民間信仰をはじめとする諸宗教思想をいくつも含んだ媒介された宗教思想として形成された東学であった。この過程で、列強の意を汲んで、先に列強に屈して開国した日本が、李氏朝鮮の開国の先導役を引き受けたということがあった。この時代、日本では屈折した近代化が進んでいたのである。日本では、廃仏毀釈・神仏分離・神社統廃合等々をへて神道の一神教化・一元的体系化(国家神道化)が図られることになる。仏教の側でも教団改革・教義の改革が図られる。

 しかし、日本の近代化の開始は、列強との戦争の敗北(薩摩対イギリス、長州対英米仏蘭の下関戦争)、内戦(鳥羽伏見の戦いから始まる戊辰戦争)、西南戦争、そして、台湾出兵、北海道の一方的領有、琉球処分、秩父蜂起に対する武力鎮圧、という内乱・内戦の過程、外への軍事侵略の過程でもあった。そして、それを進めた大久保利通をはじめとする要人暗殺も頻発する。古代における東北の大和政権による征服以来、少なくとも大きくは3度目の自立化を押しつぶしたのが、戊辰戦争の中の東北戦争での奥羽越列藩同盟の敗北である。それによって、東北の中央からの自立の力は大きく損なわれた。

 平安時代、胆沢(現岩手県奥州市)で、征東将軍紀古佐美率いる52,800余人の精鋭部隊を「胆沢の戦い」(789年)に蝦夷のリーダーのアテルイは少数で破った。その後、征夷大将軍大伴弟麻呂と副将軍坂上田村麻呂の率いる部隊によってこの地は制圧され、投降したアテルイとモレの二人の蝦夷のリーダーは平安の都に連れて行かれ、田村麻呂の助命の嘆願が貴族たちによって退けられ、河内の国で処刑されたという(ただし、処刑地や墓はわかっていない)。アテルイは、坂上田村麻呂伝説によく登場する悪路王のモデルという見解もある。福島県田村市の滝根には、坂上田村麻呂が退治した大多鬼丸伝説がある。悪路王と同じような存在として、大嶽丸というのもあるという。悪路王伝説、坂上田村麻呂伝説については、赤坂憲雄氏(福島県立博物館長)が、『東北学/忘れられた東北』(講談社学術文庫)でいろいろ書いている。第2の自立期は奥州藤原三代の時代で、平泉に拠点を置いて繁栄を誇った時代である。これは、源頼朝の鎌倉幕府によって滅ぼされた。そして、奥羽越列藩同盟の敗北である。この東北戦争の性格について、新たな分析・検討が必要である。

 ちょっと歴史に踏み込んだのは、中沢氏が、「原子核技術の思考のなかに、ユダヤ思想が生み出した一神教と、まったく同型の考え方を見出した」(66頁)として、「第8次エネルギー革命は、一神教から仏教への転回として理解することができる」(同)として、仏教を評価するのだが、その仏教の実際の歴史においては、近代化の過程で一神教的な原理や思想を持ち込んでおり、それ以前の神仏習合の仏教とは異なるからである。中沢氏はいう。

 仏教は一神教の思考を否定する。一神教は、人類の思考の生態圏にとっての外部を自立させて、そこに超越的な神を考え、その神が無媒介的に生態圏に介入することによって、歴史が転回していくという考えを発達させた。このような超越論的な歴史主義の思考から、モダニズムの技術化思考は生まれた。仏教はこのような思考法を、ラジカルに否定するのである。仏教は、生態圏の外部の超越者という考えを否定する。そして、思考におけるいっさいの極端と過激を排した中庸に、人類の生は営まれなければならないと考えた。(66~7頁)

 そして、日本の場合、神仏習合があって、神道をアニミズム、自然崇拝として、それと仏教の融合があったという。しかし、それは、近代になると、廃仏毀釈・神仏分離などを通して、破壊された。神道には自然崇拝ばかりではなく人を祭るものもある。明らかに、赤坂氏も言うように、東北にも色濃く残ったアイヌ、縄文、蝦夷の方が自然崇拝的である。そしてそれを強く受け継いでいる宮沢賢治の思想世界の方が。ここは中沢氏はかなり抽象化した神道像を描いているところだ。もちろん、神道にもいろいろな歴史的変化があったので、古い時代には自然崇拝的なところが強かったとは言える。大木に注連縄を張って祭るということもあったように。

 第8次エネルギー革命を支える技術の原型を、植物の光合成に見出すことができる。(68頁)

 これは媒介的インターフェイスを駆使した中庸なエネルギー技術であると氏は言う。そして、太陽光発電、風力発電、バイオマス発電、海洋温度差発電、小水力発電などを同型のエネルギー取り出しの仕組みであるとする。

共通しているのは、太陽エネルギーを媒介的に取り込んで変換するインターフェイスの働きそのものによって、発電をおこなう点である。(76頁)

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3・11問題の中間総括のために(13)

 2月11日、細野原発事故担当相が、福島原発の再稼動はないと断言したという記事が出た。しかし、再稼動の決定権限は、最終的には地元知事にある。今のところ東電は、福島第一原発の1から4号機の廃炉は明言しているが、それ以外については何も言っていない。3月11日に福島現地へ行くという人がまわりで増えてきている。ここからがようやく福島主体の本格的な出発点で、そのことは、脱原発福島の女たちの会が、もともと、経産省前テント座り込み再開を3・11、1周年以降に予定していたと述べていることにも示されている。福島での放射能被災との闘い、そして復興の闘いの内容を、従来の中央―地方の関係の復元ではなく、新たな関係の創出、福島主体、あるいは津波・地震被害からの復興という課題と合わせた復興の中で、東北の復興ということと結び合わせるならば、東北主体の復興ということが、近代化の行き着く先としてのこの有様であるということを踏まえた、近代総括を含むものになる必要がある。近代主義という価値軸からする東北像から解放された東北像というものが、政府の復興計画に描かれているような最先端産業地帯としての東北像に置き換えられるとしたら、同じことの繰り返しであり、しかも、それは、先端技術者などの大量移動を伴うことは自明だから、絵に描いた餅でしかないということがあらかじめ十分に予想されるのである。そうではない東北像による復興を描いていかなければならない。

 福島の場合は、まず放射線被災の解決が先であり、「いのち優先」である。しかし、そもそも「いのち優先」という理念を強調せざるをえなくなったのは、福島第1原発事故による放射能放出が起きたからで、東電をはじめとする「原子力ムラ」が「安全だ。安全だ」と言い続けてきたことが完全に覆されたにも関わらず、未だに誰も責任を公然と認め、責任を取っていないためということもある。それに対する怒り、不満は、保守・革新を問わず、深まり、広がっており、それが3・11を契機に噴出する可能性が高いのである。

 それから、技術進歩に対する物神崇拝への自覚も責任感も反省もない「トンデモ」知識人も相変わらずいるようだ。技術論が文明論として考察されねばならないのは、それが技術論論争で、自然と社会の両方に関わる問題として議論されていったということから明らかであるが、かれらにはそういう視点がないのである。『技術の哲学』(岩波書店)を著した村田純一という人もそうで、この本では、もっぱら技術を社会的視点から捉えるデューイの立場に立ちつつ、技術論論争を不毛な議論だったと結論付けている。これは、氏が、技術論論争での意識的適用派(武谷三男)の立場に近づいていることを意味するものだ。自然と社会は二つとも富の源泉である(マルクス)ということからもそう言える。というのは、デューイがもっぱら技術を道具とみなし、歴史的文脈という主体的要素、あるいは社会的次元へと限定するのを村田氏も肯定し、それとヨナスというハイデガーの現象学の人間主義的存在論からくる技術の論理学を組み合わせることで、徹頭徹尾、社会=人間主義的に技術を捉えているのである。しかし、技術は、自然と社会を媒介する位置においてあるので、自然というファクターを絶対排除できないのである。技術の哲学はそれを踏まえなければ成り立たない。言い換えれば、これまでの社会=人間主義の技術論から、社会=自然主義の技術論へのパラダイムシフトが必要なのである。

 いよいよ、日本の大転換である。しかし、この部分を考えるためには、技術哲学にあたるものが必要で、それは例えば、次のような部分を読むと明らかになる。

 東京電力福島第一原子力発電所の事故によって、はからずも露呈したことのひとつは、第七次エネルギー革命の誇る「傑作」であるはずの原子力発電のシステムにおいて、原子炉とその外の生態系を媒介するインターフェイス装置が、きわめて脆弱につくられている、という事実である。私たちはこの事実を、「生態圏の外部に属する核反応の現象を、無媒介的に生態圏の内部に持ち込んだシステム」として、表現してきた。(58頁)

 こう書いてあると、原子炉とその外の生態系を媒介するインターフェイス装置がきわめて脆弱につくられているのが悪かったのなら、それを技術的に強化すれば今後は大丈夫じゃないかと思えてしまう。ところがそうではないと中沢氏は言う。ボイラー技術の応用で作られている原子炉自体の構造は安定していて、「その技術としては、そうとうに完成度は高い作品だと言うことができる」(59頁)。

 ところが、この原子炉とその周辺装置(発電システム、外部電力供給システムなど)とをつなぐ働きをする媒介の機構に目を転じると、、私たちはその脆弱さに驚かされることになる。蒸気タービンやガスタービンでは、熱を発生させている燃焼炉で通常の生態圏内部の現象に収まる化学・電気反応が起こっているから、それを外部に引き出して、運動や電気のエネルギーに変換する装置群との間には、ひとつながりの連続性があって、断絶はない。しかし、原子炉の内部で起こっていることと、その周辺装置群との間には、あきらかな断絶が存在している。
 原子炉内では、地球生態圏の内部では、自然状態ではほぼ起こりえない原子核の分裂が、連鎖的にたえまなく起こっている。そして、この分裂から、莫大な熱エネルギーが発生している。しかし、その熱エネルギーを電気に変換する装置群や、原子炉をコントロールするのに必要な電源を発電所の外から供給するシステム自体は、まったく通常の生態圏内の「古典的」な仕組みでできている。
 このように原発システムにおいては、生態圏外的な仕組みと、生態圏内的な仕組みとが、軽水(ふつうの水)や配管やコードや厚めの鋼鉄版などといった、古典的の域を超えてむしろ原始的と言ったほうがいい素材で、媒介されているにすぎないのである。しかも中心部では、核分裂によって発生したエネルギーは、燃料棒のまわりに接触している水を直接振動させて、それを沸騰させ、その蒸気が配管をとおしてタービンに送り込まれている。(59~60頁)

 中沢氏は、これと一神教の過激性との共通性を指摘する。超越神という観念は、実は生態圏外部という表象不可能なものへ思考を誘い出そうとすることによって、生態圏内の思考、矛盾を思考すること、それへの感覚を麻痺させる働きをする。絶対的な超越者はないということは経験がつねに示していることであるにも関わらず、われわれの思考はそういう超越的なものに向かい、そこで錯誤に陥る。カントは、超越論的理性批判の論考(『純粋理性批判』など)で、そうした理性の超越的使用が陥るアンチノミーを指摘している。スラヴォイ・ジジェクは、このカントの純粋理性批判のアポリアをラカンの精神分析学と結びつけることで、症候として解釈しようとする。理性の超越的使用は、必然的な症候であるというふうに読もうとしているのだ。

 第7次エネルギー革命を乗り越える第8次エネルギー革命の技術とは何か。それは「弁証法的否定」によって得られると中沢氏は言う。「弁証法的否定」とは、古い内容を含んだ止揚ということである。したがって、第8次エネルギー革命には、第7次エネルギー革命の原理が否定的に含まれている。

 第一の否定。「生態圏の内部に太陽圏的現象を直接・無媒介に持ち込む第七次的様式が否定されて、ふたたび太陽エネルギーは変換・媒介されることによって、生態圏に持ち込まれる」。つまり、まず、否定され、表面上の古いものへの復帰が生じている。「しかし、石炭と石油を用いるそれまでのエネルギー資源の場合とは異なって、むしろ原子力発電の思想と同じように、過去に蓄積され化石として保存された太陽エネルギーを取り出す技術が開発されなければならない。このためには、第七次エネルギー革命の副産物である半導体技術が駆使されることになる」(64頁)と、今度は、否定されたものが回帰する。そうすると、「原子核に手を差し込んで、そこに核融合や核分裂を起こさせるのではなく、ふたたび原子核の外殻を回る電子を操作する技術に立ち戻る」(同)ということになる。

第8次エネルギー革命は、これまで人類が積み重ねてきたエネルギー革命の成果のすべてを、自分のなかに組み込みながら、それらすべてを否定的に乗り越えていく。(64~5頁)

 細野原発事故担当相:「福島の原発、再稼働ない」(毎日新聞 2012年2月12日)

 

細野豪志原発事故担当相は11日、青森県三沢市で開かれた討論会で「福島にある原子力発電所の再稼働は、全くあり得ないと明確に申し上げる」と述べ、東京電力福島第1、第2原発の再稼働を認めない考えを明らかにした。また4月に発足予定の原子力規制庁について、経済産業省の影響を排除するため、課長級以上の人事は自ら面接した上で決める意向も表明した。

 県内には、事故を起こした第1原発1~4号機と、同5、6号機、第2原発の1~4号機の計10基がある。政府と東電は昨年12月、第1原発1~4号機の廃炉工程表を作成。だが、それ以外の6基について東電は、明確な方針を示していない。県は、県内全ての廃炉を求めている。【笈田直樹】

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3・11問題の中間総括のために(12)

 中沢氏は、「市場が社会を包摂し飲み込んでいく」(52頁)ことの問題点を次のように指摘して、そこからの脱出の道を探っていく。

経済合理性で動くこのシステムにとっては、キアスムの構造で人間同士のつながりをつくりだそうとする社会などは、ゲームの進行に妨害を加える雑音のようなものであるから、個人主義を推し進めて、社会からの干渉をできるだけシステムの外部にとどめ置こうとした。自然生態系をつくりなしている複雑系の生命活動なども、自己調節機能を備えたこのシステムには、情報を伝えてくることがない。生態系が産業に与えるものは、資源としてのその価値だけであり、景観が市場にとって意味をもつとしたら、そこが観光のスポットになりうるからにほかならない。(52~53頁)

 生態圏の外部の核が生態圏内部に無媒介に置かれていることの破壊的な作用を中沢氏は指摘し、共同体=社会の外部にあった市場が社会の内部にあって社会を破壊している資本主義経済の破壊的作用を原理的に同じものと中沢氏はみなしている。社会と生態圏が結びつくところに形成されるのが「文明」であるから、それらは「文明」を破壊し続けているということになる。そして、「とりわけ日本文明は。西欧的な文明と違って、キアスムの構造を基礎として、生態圏との豊かな交通の上になりたってきた一種の「生態圏文明」である特質を備えている。その日本文明がいま、かつてないほど深刻な危機に直面している」(56頁)というのである。そして、「大転換へ」と進む。

 その前に、この間、技術論をやらねばならないということを書いた。そこで、ハイデガーの『技術への問い』とか、三枝博音の『技術の哲学』とか嶋啓の『技術論論争』や村田純一『技術の哲学』を読んでいるところである。これらには技術論をめぐって学べる内容がある。

 それから、同時に、福島の固有性ということを考えるために、まず、赤坂憲雄氏の『東北学/忘れられた東北』(講談社学術文庫)を読んだ。これは非常に興味深い本だった。赤坂氏の父親は、福島で炭焼きを生業とした山の民であったと書いてある。そこには、東北の多様性ということが基調にあり、都市のまなざしによって描かれた東北像の単調さとまったく異質の東北の姿がある。そこには、柳田国男の稲作中心主義や松尾芭蕉の枕詞という都のまなざしからのみちのく観のイデオロギー性ということも指摘されている。そして、宮沢賢治の縄文性、アイヌとの世界観の共通性、山のアジール性、等々と興味深い指摘が次々と登場する。網野善彦氏の中世史研究での水田=稲作中心主義の歴史像の見直しとも絡んでいるし、生態史観というのは、京都学派の文明観念も踏まえていると思われる。階級観も見受けられるなど、多角的な分析と判断が示されてもいる。氏の東北学に強い興味がわいた。赤坂氏の考えと中沢新一氏の考えには共通するところがかなりある。生態圏文明という生態観も共通する。自然と社会の関係をたんなる対立関係とも共存関係とも一面的に見るのではなく、矛盾関係として、敵対的であると共に相互依存的でもあると弁証法的に捉えているのも共通する。

 まもなく3・11から1周年になるが、この自然が人間社会に大きな脅威を及ぼし、すさまじい破壊をもたらす敵体性を示したということと原発事故による放射能汚染が及ぼした人間社会と自然に与えたダメージの敵対性の違いをしっかりと区別して認識しなければならない。そうしないと、岩手などの復興話と福島の放射線被曝との闘いとがだぶって見えかねない。それから、福島の福島性ということを明らかにしなければならない。その時に、東北の東北性に、多様さということ、それは日本の多様さということをも示してるのだが、があるということもまた中沢氏の論と共通するところであるが、それと同じように、福島の多様性ということに注意しなければならない。それは、網野善彦氏も明らかにしようとしたことでもある。「がんばろう日本」なるスローガンが空しく響くのは、それがそうした多様性を消そうとしたからでもある。そして、「同じ日本人」という観念が東北の豊かな多様性を消去するのに抵抗しなければならない。石原都知事の日本=東京ないしは都市連合という空疎な灰色の世界へとこの地を変貌させようとするのに抵抗しなければならない。多様で豊かな東北へ、そして原発のない多様で豊かな福島の未来への飛躍こそが、それへの決定的な対案である。福島は福島であり、東京ではなく、東京によって代理も代行もされないし、させてはならない。福島の自己決定、自立こそが福島の脱原発と真の復興の力である。この間、鎌田慧氏が思い起こさせてくれた戊辰戦争の際の官軍の「白河以北、一山百文」という侮蔑の言葉の意味するものは何かを、『戊辰戦争』(中公新書)を読みながら、よく噛み締めてみた。そして思ったのだが、3・11に対する運動の現地、現場はどこか? それは、白河以北しかありえない。それが東京ではないことは言うまでもないことだ。ようやく、1周年を、福島で福島の人々が集い、福島で声を上げるられる時がきた。現地にとって、一周忌でもある。その足を引っ張る者、後ろに手を引っ張る者の妨害をきっぱりとはねのけて、3・11福島現地へ集まろう。そして、巻き返しをはかる「原子力ムラ」の策動を打ち破らねばならない。

 まず、そうした福島主体の形成のためにグループを作ることが必要なので、そのよびかけ案を作った。それから、福島主体の脱原発と復興、福島の未来の共同体社会を創造するための道しるべとなる福島テーゼの骨子をいくつか考えた。それらは、いずれ、ここで公開しようと思う。それと、都市変革テーゼ、あるいは、東京変革テーゼが、セットで、中央と地方の関係の変革のために必要なことも忘れてはならない。ようやく、福島主体への自己変革がここまできた。ここまでくるのは大変だった。思想を考えること、思想を持つには、必ず苦闘が伴うからだ。思想を持つということは、簡単でも、楽でもないのである。

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