« 2012年2月 | トップページ | 2012年4月 »

2012年3月

福島主体=声なき声を物語る者をめぐって

 3月11日、3・11一周年に福島県郡山市で開かれた「原発いらない!3・11福島県民大集会と前日の「原発いらない地球(いのち)のつどい」に参加するため、金曜から福島にいた。両方の集会とも、都市部のややゆるく感じる集会とはちがって、緊迫感の強いものであったが、地元紙『福島民報』『福島民友』を読んでも同じように感じられる。それら地元紙と東京の全国紙を比べると、野田政権のゆるい反応と全国紙の記事の持っている感じが似ていることは一目でわかる。ただし、運動については変化が感じられる。3・10-11福島現地報告はすでに書いたものが出ているので、ここでは繰り返さない。ただ、それに書ききれなかったことについては今後書いていくつもりである。これは、主体についての雑感であり、つぶやきである。

 3月11日の地元2誌の一面トップは政府が双葉郡の大熊町、双葉町、楢葉町の三町に除染などで出る放射能で汚染された土壌を保管する中間貯蔵施設の建設を求めたという記事である(福島民報「中間貯蔵施設3町に提示 政府富岡に管理型処分場」、福島民友「中間貯蔵大熊双葉楢葉3町に」)。また、福島民友は、一面で、「「古里に戻る」63%」の見出しで、アンケート結果を載せている。福島暮しが圧倒的に長いので、都市市民的感覚の人とはあまり合わないのだが、都市市民でも、中沢新一氏は、『すばる』2011年12月号の玄有宗久さんとの対談で、「玄有さんは福島県の三春町にお住まいでしよう。そこから二、三十キロ北のほうに、松川町金沢という地区があって、その村の人たちのことが心配で。その村につたわっている「羽山ごもり」という儀式に参加させてもらっていたこともあって、その村には格別の感情をいだいていて、村の人たちの顔がしょっちゅう浮かんできました「フクシマ」ではなく、福島に暮らしている具体的な人のことが、まず気にかかりました。/事態が深刻になってくるにつれて、ますます福島のことが心配になって、そういうときぼくは、変な話ですが、相馬の歴史とか双葉町の歴史について書かれれた本なんかの読み直しをはじめるのです。そうなってはじめて、「フクシマ」ということを客観的な問題として、とらえなおすようになり、この「フクシマ」の問題が、日本人にとっていったい何を意味しているのかということを、ちゃんとした言葉にしてみる必要がある、と思うようになりました。単に原発問題だけでなく、仏さまや神さまやお祭りのこと、農業のことなどを、報道されていることの奥まで入って、深いところで考えなければならないと思ったのです(153~4頁 下線は引用者)と述べているように、福島の人を、隣人と感じていることがわかる。こういう感覚がある人の言うことには真面目に耳を傾けようと思う。他方で、正直言えば、原発批判、原発問題への専門的な知識からする鋭い告発などには耳を傾けるべきだし学ぶべきであるが、反原発・脱原発の専門家や再生エネルギーの専門家の多くに、こうした感覚があまり感じられないことを残念に思うことがある。運動内で中間貯蔵施設問題についての議論が見られない。福島の人々が関心を持っていることが、都市部では話題にすらならない。無関心なんじゃないかと思ってしまう。

 3・24一千万人署名脱原発集会には、6千人(主催者発表)が集まった。労働組合はもちろん多かったが、それ以外の部分がどれだけいるかを注意して見ていたが、けっこうな数であった。多分二千はいたと思う。3・11福島県民集会で感じたことだが、明らかに、集会の中身の成熟、進歩、深化が感じられる。会場の参加者は、登壇者の発言の単なる受動的な一方的聞き手ではなく、それに応答し反応する主体になってきた。例えば、3・11県民集会の時、来賓の大江健三郎氏のユーモアに会場から笑い声があがり、被災者の話に慟哭し涙を流す人がいたし、発言に対して、「そうだ」などの声が会場から返されていた。それら様々な感情が肌で感じられるまでになり、運動は生命感を持つようになってきた。共感が生まれ、生き生きとした息吹を持つまでに成長してきたのである。

 他方で、運動への参加者の増加につれて、今後、運動内に、「運動屋」的な傾向、思い上がり、勘違い、運動のための運動的傾向(ベルンシュタイン主義)、出世主義、無責任などの悪弊も目立つようになるかもしれない。すでに目立つのは、右でも左でもないという無責任主義、立場を曖昧にして責任を引き受けようとしない傾向である。それを中間主義と名づけたい。どっちでもない主義でもいいが、それは階級的に言えば、小ブルジョア主義であり、動揺と日和見主義の立場である。わたしは今福島の立場に意識的に立っているので、都市の立場の人とは対立関係にあると思っている。時には、敵だと思うこともある。例えば、原発の電気でリニア・モーターカーを走らすと言った石原都知事は敵だと思っている。こういう具合に自らの立場を明瞭にすることで、同時に責任が生じることを自覚している。そして、その責任を果たそうと決意している。どうも、そういう責任を引き受けないで、しっかりとした運動をやれると思ってる者がいるようなのだが、それはあまいし、無理である。そんなものが長く残ったのにお目にかかったことがない。外から運動を見ていた運動の近傍にいたような人が、運動内に入った時に、そういう幻想を強く持つように見受けられるが、それはとんでもない勘違いである。自分も周りも傷つけるだけだから、早くそういう幻想は捨てた方がいい。

 こうした福島の立場は、超階級的な立場であるように見えるかもしれない。しかし、3・11という具体的な事件の性格と階級階層分析をすると、そうではないという答えが出る。3・11事態によって生じた歴史的社会的任務の解決主体は、言うまでもなくプロレタリアートであるが、それが具体的には誰かということを考え抜いていけば、答えは、福島という主体しかないのである。3・11の被災者であり、その状態から解放されるための具体的な解決を運動として全面的に推進していけるのは福島主体しかないのである。それは、当事者主権という考え方からしてもそうである。ただ、今の当事者主権論の主流には声ある者の主権しか考えていないという限界がある。3・11当事者が声なき声を含んでいる以上、その声は誰かによって代弁されなければならない。消されてきた武相困民党の主体の声を色川大吉氏が再び聞こえるようにしたように、痕跡から物語を甦らせることによってそうするしかないのである。それは、死者を共同体の一員として扱う共同主体を前提とする。だから、それは近代主義的個人主義者という主体には不可能事なのである。まなざしが違うのだ。それを可能にするには、まなざしの変更が必要なのである。すでに、震災関連死という大勢の死者が出ているのだ。原発から近かった浪江町請戸地区(請戸漁港に釣りに行ったことがある)の津波被害の生存者は、原発事故による避難命令が出たことから、捜索が打ち切られ、何人もがそこで息絶えたものとみられる。かれらの声を物語るのは生者であるわれわれしかない。それは代弁するしかない。そこで、代弁の方法や手続き、ルール、倫理などの問題が生じるのは当然である。言うまでもなく、好き勝手に、適当に嘘やでっち上げを言っていいというわけではない。例えば、青森県の恐山のイタコは、死者の声を代弁し物語る制度であるが、イタコの語ることはそれらしいものにすぎないにしても、一定のルール・倫理を持って物語るのであって、それは、死者を知る家族や縁者などにとっては、生前の死者の記憶を喚起し、自らの脳裏で、リアルな物語を再生させるきっかけとなっているに違いない。このへんは、『季刊東北学』などで東北の民俗学の研究を進めた赤坂憲雄氏などの論考から学んでいる。

 いずれにしても、こうした資本主義生産体制を支えてきた基幹的な発電施設の原発の大事故によって、死に追いやられ、死の恐怖にさらされ、避難の過程で大勢の死者を出させられ、被曝させられ、未来を担う子供たちの生命を脅かされている福島の人々こそ、これと最も対立する敵対的な存在とされてしまっているのであり、それからの全面的な解放は全面的な取り戻しによってしかありえない(命も含むから)。かれらは、まさにマルクス・レーニンの言ったプロレタリアートそのものになっているのである。資本主義によって、命まで「持たざる者」にされ、あるいは、そうされようとしているのである。資本主義によって命を奪われた「命を『持たざる者』」=死者の声なき声を物語ることはプロレタリアートの重要な任務の一つであり、それを含めた3・11の解決主体を福島主体と名づけたのである。

 福島の農村でそういう生きた運動の歴史的経験を探れば、60年安保でもなく、全共闘運動でもなく、労働運動でもなく、市民運動でもなく、ましてやアメリカの公民権運動だの、プレカリアートの運動だのということはありえない。近代においては、それは自由民権運動である。『福島民報』も『福島民友』も、三春の郷士出身の河野広中らの福島の自由党の機関紙として出発したと主張している。3月11日の福島民報社説「『3・11』を迎えて 英知集め ふるさと再生」は、「福島民報は8月1日に創刊120年を迎える。明治、大正、昭和、平成と四代にわたって県民と共に悩み、悲しみ、怒り、喜び、楽しみを分かち合ってきた」と書いている。それに対して、3・11で、プレカリアートの運動を推進するネグリには都市のみしか見ていないという限界があることがはっきりとわかった。彼は、都市という脆弱な基盤の上の運動しか見ていない。電気がなければ、パソコンもただの箱であり、認知労働の労働手段ではなくなる。孫正義ソフトバンク会長が、携帯電話も停電すればただの小箱になってしまうことに、3・11によって気づかされたと述べているように。それに対して、以下の福島民報の記事は、着実に、福島の人が向かうべき歴史的経験の反復に向かっていることを示している。

 自由民権運動について書かれた色川大吉氏の『新編 明治精神史』(中央公論社)を読んだ。それと岩波書店から出ている日本近代思想体系『民衆運動』を読んだ。色川大吉氏の『自由民権の地下水』(岩波書店 同時代ライブラリー)と『加波山事件』(野島義太郎 東洋文庫)を読んでいる。色川氏の三多摩自由民権運動についての記述は興味深い。氏は歴史学の方法論に意識的である。氏が、極めて大規模な運動であったにも関わらず歴史から忘れ去られていた武相困民党の運動の歴史を復元した業績は大きいものだと思う。加波山事件についても、たんなる激化事件の一つというのではなく、より民衆運動史の視覚、あるいは民衆思想史の面からの再評価が必要だと思う。色川氏の歴史学の方法論の提起は、今日の歴史学における実証主義と歴史構成主義の関係を考える上でも示唆的である。

「自由と民権」原発問題考える 石川で学習会(2012・3・11 福島民報 25面)

 自由民権運動から原発問題を考える学習会は十日、石川町共同福祉施設で開かれた。講師の早稲田大名誉教授の安江邦夫さん(72)=東京在住、福島高卒=は本県の現状を踏まえ「幸せをつくるという創造の運動が自由民権運動であるとすれば当時の精神から学び活かすことは大変多い」とし、自由民権運動の視点をよみがえらせる必要性を説いた。
 「自由」と「国会」を例に民権運動の精神を生かす方法を紹介。原発を推進する国に対し異議を唱える自由がなかったのではないかと問題提起した上で、浪江町の自由民権運動家苅宿衛(1854~1907年)らが弾圧に負けず自由のため活動した例に学ぶべきとした。
 民権運動家がより良い未来のため国会開設を求めたことと政治不信が広がっている現状を対比し「国会を求めた民権家の夢はどうなったのか。ここから今の国会を見るべき」とした。最後に、県民自身が自由民権運動に学ぶべきとした。
 石陽社顕彰会の主催、石陽史学会の共催。約80人が聞き入った。

(注)石陽社顕彰会ホームページから
http://www.wave-yui.or.jp/sekiyousha/index.html

石川地方での自由民権運動の流れ

自由民権運動の起こり

 今から百四十年前、日本は江戸時代から明治時代という新しい時代に大きく変わりました。 新しい世の中になって、士農工商の身分や職業、居住の制限から自由になりましたが、政治は一部の人たちによる藩閥政治でした。そのため、国民が自由に代表を選び、議会を開き、国民による政治を実現しようと、政府に国会の開設と憲法の制定を要求する「自由民権運動」が起こります。 自由民権運動は、たちまち国会に広がり、大きく盛り上がります。 政府はこの盛り上がりに危機を感じ、弾圧を行ないます。 しかし、遂に、明治22年(一 八八九)帝国憲法を発布し、翌年国会を開催します。 ここに近代日本の政治的な基礎がつくられ、現代に引き継がれています。  

東北で最初に運動に参加、大きな役割

 石川地方の人々は、この自由民権運動にいち早く参加し、大きな役割を果たします。 最初に始めたのは高知県の板垣退助らですが、東北地方では最初に石川地方で始められました。 
 当時石川区長であった河野広中を中心にしながら、地元から神官、元庄屋、医者、教師、豪農、村役人などの人たちが多く参加しました。

自由民権運動をすすめた政治結社

 自由民権運動を進めた政治結社は、石川地方には石陽社と第二嚶鳴社の二社がありました。石陽社が最初に結成されたので、県内各地からも、宮城県や山形県、茨城県、栃木県、福井県、高知県からも多くの加入者がありました。
 河野ほか、吉田光一や吉田正雄、鈴木嘉平、鈴木荘右衛門などが中心で、ほかの結社と手をつなぎ、東北遊説などに、積極的に出かけていきました。

政府による弾圧との戦い

 中央に自由党や立憲改進党が結成されると、石川の人たちもこの政党に加入し、盛んに演説会を開催しました。 しかし、政府は力でこの運動をつぶそうとしました。 
 明治15年(1882)11月、福島・喜多方事件が起きると、県内の自由党員が一斉に逮捕されました。 石川地方からは8人が逮捕されました。 
 全員無罪になりましたが、吉田光一は官吏侮辱罪で再逮捕され、福島監獄所に服役しました。 しかし、石川の人々は弾圧にひるむことなく、明治20年には、吉田正雄他、106名と、大越藤蔵他87名による「条例改正」の建白書を元老院に提出します。 
 国会が開催されると、河野広中と吉田正雄は衆議院議員に、他の民権家も県会議員や町村長などになり、活躍し、石川地方の発展に大きく貢献しました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

3・11問題の中間総括のために(16)

  3・11は日本社会にとって決定的な転換点となっているという中沢新一氏の認識に同意する。ただ、中沢氏には、階級概念や共産主義観や宗教観では異論がある。しかし、3・11はもう後戻りできない大変化の始まりであったというのは確かだと考える。脱原発運動内でも、必ずしもこうした認識は共有されておらず、その意識を明瞭に持っている人はあまりいないように思うが、この認識は重要である。3・11前には、いわゆる「アラブの春」という北アフリカや中東での民衆運動が高揚していた。そしてギリシャ危機からEU経済の危機があった。さしもの中国経済も成長率が下がってきた。そして、3・11は世界史的な文明転換の契機になった。

 まもなく、3・11から一年が経とうとしているが、土曜日のNHKの夜9時からの特集は、福島の置かれている現実の深い一面を捉えているものだった。浪江町の消防団長の話は、地域社会の末端でモラルが生きていることをよく示していた。浪江町は原発に近いということと同時に津波被害にあったところで、3・11の地震発生から、地震被害と津波被害への対応に追われていたが、翌12日には、今度は一転して政府の避難指示によって、原発事故への対応に追われ、その中で、消防団の活動も、津波被害者の救援の打ち切り→町民避難誘導へ任務が切り替わり、その中で、3月12日早朝の捜索活動ができず、津波に襲われた生存者を救い出すことができなかったのである。取材された消防団長は、3月11日夜、まだ原発事故の発生を知らない段階で、なぜ搜索する判断が出来なかったのかと後悔の言葉を発していた。また双葉厚生病院の看護師の話も胸を打つ。重病患者を避難させる時、酸素ボンベもなにもないまま避難し、被曝し、そして移送の最中に、2名が死亡した。彼女は、時間が経てば経つほど苦しくなると言っていたが、それは被曝被災地の人々の現在の心情を代表する言葉だと思う。一周年を迎えるにあたって、心が軽くなることはなく、だんだん重くなってくるのである。被曝の影響はこれから本格的に出てくるからである。そこで起きるだろう人々の苦しみや悲しみや悲劇を想像すると、彼女と同じ心情にならざるをえない。あのショックから今も立ち直れていないし、未来を想像すると胸が苦しくなる。東電のビルを見ると、あの惨禍を思い出し、未来の悲劇を想像してしまうので、本当は、あまり行きたくない。しかし、東電に責任を取らせるために行かねばならない。

 菅元総理が登場して、この原発事故が過去の原子力政策の結末であることを指摘して、謝罪の言葉を述べていた。しかし、彼は、「原子力村」の住民ではない。それに対して、「原子力村」の住民から未だに責任を取る者がないという途方もないモラル崩壊が目の前で起きている。私は責任を感じるが、「原子力村」は責任をはるかに重く感じるべきだし、右翼にも責任を感じてもらわねばならない。

 福島の未来を展望する福島テーゼは、その自覚を前提に、新たな福島へと生まれ変わるための基礎をいのち優先の原理に置くことになる。いのちを脅かす経済もエネルギーも拒否し、多様な生を保証するシステムを創造することを宣言しなければならない。その主体としての福島主体を創造しなければならない。その第一歩が3・10福島アクションと3・11福島県民大集会だ。3・11一周年にあたって、以下の闘争宣言を書いた。そして、「いくつもの日本」の東北南部の、大まかには会津・中通り・浜通りと3つの特色ある地域を持ち、水と緑が多くあり、媒介的で複合的なエネルギー資源を豊富に持つ福島が、文明転換の先頭を進むことを宣言しなければならない。それが新しく生まれ変わる福島の誇りとなるはずだ。これで、3・11問題の中間総括を終える。技術論や東北論、福島論など展開できなかった課題が残ったが、それらについては稿を改める。

3・11福島現地・全国アクションへ!

3・11/1周年は運動の節目になる

 3・11東日本大震災から1年になる。地震と津波による被害は、12月22日現在で、死者1万5843人、行方不明者3469人である。漁船、港、農地、家屋の被害は、阪神大震災を大きく上回った。そして、同時に、福島第1原発事故が起き、放射能災害が発生した。その被害はこれから長く続く。しかも、低線量被曝の人体への影響がどうなるかは未知の部分が多い。被災地の桜井南相馬市長が、「危険ということからすると、多分、放射能に対する恐怖が1番大きいし、健康被害がどの程度に及ぶかっていうのが、まだまったくわからない……」(『情況』2012年1・2月号 50頁)と述べている。
 福島県だけの被害は、2011年12月27日現在で、死者1,915人、行方不明65人、家屋の全・半壊81,216棟(「復興計画(第1次)2011年12月28日策定)である。
 他方で、3月末の高円寺素人の乱などの若者の1万5千人脱原発デモをはじめ、6・11新宿1万人をはじめとする全国同時アクション、9月11日経産省包囲、9月23日明治公園6万人集会デモ、10・27からの福島の女性たちの経産省前テントでの座り込み、11月13日福岡脱原発デモ1万5千人、12月1日からの福島女性たちの再度の「とつきとおか」の座り込み、等々と、空前の脱原発運動が起こっている。今年の2・11代々木集会は1万2千人である。(ここまでの集会参加者数はすべて主催者発表。)それは、さらに、3月11日の全国アクション、そして福島県郡山市での県民大会で、ひとつの節目を迎えることとなる。
 それは、運動の緊急という性格から、粘り強い持続的運動への運動の性格転換が必要となるということだ。福島県は「復興計画(第1次)」〔2011・12・28〕の理念の最初に「脱原発」を掲げた。そして、その場合に、原発なき復興を掲げた県の選択から必然的に生じる変化と放射線被害が大きい福島の自己変革の闘いということが重要性を増す。そこに、福島県当局が策定し想定している「復興」像と被災者が求める「復興」像の間の矛盾も浮かび上がってこよう。「復興計画」は、理念としては立派なことが並べてあるが、放射線被曝の健康被害への対応として、最先端の医療技術の導入などの医療産業の誘致促進の思惑などが、「いのち優先」のスローガンと共に記されているように、矛盾したものを掲げている。それについて、福島の市民運動などから福島を医療の実験場にするなという批判の声があがっている。こうして、被災地となったことによって、その立場による固有の問題が発生していて、それが、被災地内での対立、矛盾、論争として、場合によっては、家族、友人、知人の間の対立を激化させ、ばらばらにしている。すでに、自主避難者と残留者の間での反目が生じ、避難した者と残った者の間で家族が分解したケースがあるとも聞く。このような福島に固有の問題や矛盾がある。そのことが、「脱原発と真の復興を! 福島の会(仮称)」の意義である。脱=反原発運動1般とは異なる固有性に即し、それに具体的に対応する特殊性を持った運動を考えなければならないのである。
 その場合に、まず第1に子供たちの命を守るということがなければならない。それから、除染を急ぎ産業再建を優先して命を軽視するような産業優先の復興をさせないこと、そして、原発なき復興のなかで、分散型エネルギーの地産地消という復興計画の考え方の方向を、それを本物にするために必要な共同体(コミューン)の復興を推進するということが必要である。それは、大量生産・大量消費のフォード・システムとは正反対の方向を示しているので、現行の経済システムの根本と違う方向へ地域社会経済を転換させていくことを含まざるを得ない。つまり、包括的な福島テーゼが必要なことを意味している。それは、さらに、都市と地方との分業関係の変革をも含むので、都市の変革(都市変革テーゼ)をも必要とするのは明らかだ。福島においては、県当局が脱原発を掲げ、県議会で超党派の脱原発決議が全会一致で採択されたように、県民の多数意思が脱原発となっているが、脱原発後の県の方針としては、別の産業誘致ぐらいしかないし、そのひとつとして太陽光発電などの再生可能エネルギーの開発ということを考えているのだろう。だから、県の脱原発に多大な幻想を持つことはできない。しかし、まだ原発推進派の巻き返しの可能性がある現段階では、脱原発の理念を実現する方向に県の意志を固めてさせていくことは必要であり、その点で、3・11福島県民大会は重要なステップなのである。

「原子力村」と福島の闘い
 佐藤栄佐久前福島県知事と原発推進派との対立のきっかけは、1989年1月6日に発覚した福島第2原発3号機の部品脱落トラブルである。原子炉冷却水再循環ポンプ内にボルトや座金が脱落し、炉内に流入するという福島第2原発3号炉の事故隠しであった。東電は、88年暮れから3回も警報が鳴っていたのに隠し続け、1月6日の異常警報でようやく県に報告した。2002年8月29日には、原子力安全・保安院の内部告発文書「「福島第1原発と第2原発で、原子炉の故障やひび割れを隠すため、東電が点検記録を長年にわたってごまかしてきた」と記され」(『世界』2011年7月 「問題の根源は“偽装民主主義”だ」飯田哲也 49頁)た内部告発のファックスが届いた。しかも、この告発を2年前に原子力安全・保安院が受けていたのに、調査するどころか、東電に知らせていた。それを指して、佐藤前知事は「警察と泥棒が一緒にいるようなもの」と発言している。佐藤栄佐久前知事は、東電や原子力安全・保安院と対立し、プルサーマルの凍結を決定したが、その後、収賄容疑などで知事を辞任したが、現在裁判で無罪を主張している。昨年3・11以降、12月3日に福井県敦賀市での「もんじゅ反対集会」で発言、2012年1月14・15日の神奈川県横浜市での「脱原発世界会議」でも発言するなど、積極的に脱原発集会で発言している。福島県に佐藤栄作久前知事のように「原子力村」と闘った経験があるということは今とても重要な意味を持っている。彼と共に闘った県官僚が少なからずあって、かれらの経験や人脈が残っていれば、それも、今後の「原子力村」との闘いの力にすることができるだろう。当然のことながら、脱福島ネットワークをはじめ、福島原発に反対する運動は少数ながらも長く続いていって、その蓄積も今の闘いに結びついている。

3・11福島現地・全国アクションへ!

 政府・東電・原発メーカー、御用学者などの「原子力村」は、世界最悪の原発事故でこれだけ多くの犠牲を出し、そしてさらに長きわたる放射能被害を与えながら、未だに責任を取ろうとしない。3・11からすでに1年である。全国では、脱=反原発アクションが空前の規模で行われてきたが、被災地福島でようやく大規模県民集会が開催される日が来た。この日を心待ちにしていた者として、感無量である。全国からも多くの人が福島にかけつけるようだ。心強く感じる。
 現地・郡山市では、3月10日から、様々な催しが行なわれる。10日と11日午前中には、「原発いらない地球(いのち)のつどい」が多種多様な企画を連ねて行われる。それをやや詳しく紹介しよう。
 郡山駅前のビッグアイ市民プラザ7階では、10時30分から、シンポジウム「福島原発事故被害者のいのちと尊厳を守る法制定を求めて」が、脱原福島ネットワーク、ハイロアクション福島、子どもたちを放射能から守る福島ネットワークの主催で行われる。郡山市労働福祉会館中ホールでは、10時から「子どもは訴える~子どもたちの声を聞いてください」(大山和子さん)という企画が行われる。同じ場所で午後1時からは「検証3・11~障がい者にとっての東日本大震災」(主催)同実行委(協賛)FIL、福障連、JIL、被災地障がい者支援センター福島、きょうされん、が行われる。同第3会議室では、10時から市民放射能測定所交流会、1時から「震災とジェンダー」(NPO法人全国女性シェルターネット 屋嘉比ふみ子さん)の講演会がある。そして、第4会議室では10時から15時まで、「被曝労働の実態~使い捨てられる下請け労働者」DVDと講演(共催:福島原発事故緊急会議・被曝労働問題プロジェクト、ふくしま連帯ユニオン、自治労郡山市職員労働組合、いわき自由労働組合)が行われる。
 ビッグアイ大会議室では、15時30分から鎌田慧さん講演会「脱原発と民主化への道」(主催:子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク、命・地球・平和・産業協会)が行われる。その他、第1会議室では15時から映画『福島 6ヶ所未来への伝言(仮称)のプロモーションビデオ上映会、第2会議室では、10時から「福島原発事故の現状は?」という「たんぽぽ舎」原田裕史さん講演(主催)「原発いらない福島の女たちの会」、12時30分から「野菜カフェはもる模擬店はもるサロン&パネル展示」(主催:子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク)。第3会議室では、10時から「世界市民法廷」(予告編)(主催:ふくしま集団疎開裁判の会)。特別会議室では「快医学健康相談会」(主催:自然医学放射線防護情報室)が10時からある。パネル展示、被災動物の写真展もある。
 3月11日も、ビッグアイ大会議室では、「3・11後のドイツと日本」FoE ドイツ代表フーベルト・ヴァイガーさんのお話、「福島での診療所づくり―今、なぜ? どんな?」吉本哲郎医師、橋本俊彦さん、上関原発予定地祝島 氏本農園の氏本長1さんのお話、「避難者として」(松本徳子さん)、「原発いらない」ひとり活動を始めて (植月美子さん、太田清代子さん)、「高汚染区域住民として」渡利地区の方と南相馬市の吉田さんから。労働福祉会館中ホールでは、9・30分から、「ドイツ報告」蛇石郁子さん (主催)みどりの未来・ふくしま、第1会議室では、「情報公開は市民の権利! ワークショップ 使ってみよう 情報公開制度」(主催:安全・安心・アクションin郡山、NPO法人情報公開クリアリングハウス)、第3会議室では、「沈黙のアピール活動報告&アクション―雄平知事に直接面会申入れよう!」(主催:沈黙のアピール)。
 3月11日。あの日から1周年、津波と地震で多くの犠牲者が出た日である。福島でも津波で大勢の人が亡くなり、地震による地滑りその他で犠牲者が出た日である。そして、津波によって水没した非常用発電機が止まり、全電源喪失から放射能漏出にいたった福島第1原発事故が起きた3・11である。水素爆発等によって放出された放射性物質は遠くまで飛んで降下し、広範な地域を汚染し、そして今もむき出しの炉から放射性物質が拡散し続けている。そして、2012年3月11日、13時から福島県郡山市の開成山野球場で、「原発いらない! 3・11福島県民大集会~安心して暮らせる福島をとりもどそう~」が開かれる。オープニングは加藤登紀子さんらのコンサートで、2時からが集会だが、途中14時46分に黙祷が入っている。被災地ならではのことである。そして、15時15分からいくつかのコースに分かれての市内行進である。県民はもとより、全国からも多くの人に参加してもらいたい。被災者抜きで運動が長期継続した例を見たことがない。現地の実態をよく知り、理解して、共同闘争を組むというのが運動の変わらない原則である。
 集会案内ビラには、全国へ発信するとして3つのことが書かれている。

○福島では将来も原発は実施せず、再生可能エネルギーの拠点に!
○国と東電の責任で、放射能で奪われた安全・安心の実現を(特に子どもたちを守れ)!
○すべての賠償の実現と、県民の生活と雇用の保障を!

 これらのことはすでに県内の多数の人々の共通認識となりつつあるものである。今年の正月に福島に行った時に話した人たちも、こうした話に賛成していた。保守的な立場の人でもそうだった。しかも、国と東電に対する不信感はきわめて強くあった。代替エネルギーを、石油や天然ガスなどの火力発電ではなく、再生可能エネルギーとしていることも、現地の友人との話でも簡単に一致できた。それはともかく、上の2つは、福島県の復興計画(第1次)の理念と共通するもので、福島では、行政も農協・漁協などの農漁民も、脱原発で再生エネルギー推進派に変わっている。放射能被害からいのちを守ることは、福島の未来を守ることでもある。無論、「原子力村」が未だ責任を取ってないので無反省と思わざるを得ないから、かれらが巻き返しに出てくることが予想される。その意図を挫折させるためにも、この県民集会は重要である。そして、このことと放射能被害との闘い、脱原発=廃炉を実現する闘い、エネルギー転換の闘い、はいずれも長期的な課題であり、それを推進、支援する福島主体のグループを必要とすることは明らかである。そこで、こういう呼びかけ(案)を作った。素案は、正月に福島で書いたものである。
 この日は同時に全国各地で脱原発アクションが取り組まれている。福島とそれらをつなぎ、同時に成功させたい。

脱原発と真の復興を!福島の会(仮称)呼びかけ(案)
 2011年3月11日、東日本大震災と津波は大きな被害をもたらした。福島県の被害は、2011年12月27日現在、死者1,915人、行方不明65人、家屋の全・半壊81,216棟(「復興計画(第1次)、2011年12月28日策定)。地震と津波は福島第1原発事故を引き起こした。電源喪失によって原発はコントロール不能となり、放射性物質が外部に大量に放出された。政府は半径20キロ区域を強制避難地域に指定し、多くの住民が避難を余儀なくされた。しかし、その後、政府が設定した避難区域外でも放射能濃度が高いところがあることがわかり、新たな避難区域が設定され、さらなる避難民が出た。その結果、福島の県内避難民と県外避難民は、自主避難者も含めて、15万人に及んでいる(2011年12月25日現在)。人口は、震災前の202万44千人から198万55千人に減少している(12月1日現在)。また、9 町村が役場機県内外の地域に移転した。県内全域に風評被害が及び、農林水産業のみならず製造業を含めたあらゆる産業が大きな打撃を受けた。

 「復興計画(第1次)」は、理念の第1番目に「原子力に依存しない、安全・安心で持続的に発展可能な社会づくり」として「脱原発」を掲げている。そして、「 「脱原発」という考え方の下、原子力に依存しない社会を目指し、環境との共生が図られた社会づくりを推進。このため、国及び原子力発電事業者に対し、県内の原子力発電所についてはすべて廃炉とすることを求める」として、福島第1原発・第2原発全10基の廃炉を求めている。
 佐藤雄平福島県知事は、年頭所感で、「発災時から現在に至るまでの取組みは、大地震、大津波、それに伴う原子力災害、さらには風評被害のまさに4重苦との闘いでした。発災以来240回以上に及ぶ災害対策本部員会議のほとんどが原子力災害への対応であり、避難者の支援を始め、被災施設等の復旧、放射性物質のモニタリングと公表、放射線量の低減化対策、県民の健康管理、さらには、農産物や工業製品、観光などに対する風評被害などへの対応、原子力損害賠償への対応等、直面する課題に1つ1つ 丁寧に、誠心誠意を尽くし対応してまいりましたが、現在に至っても、新たな課題が次々と生じてきており、いまだに苦悩の日々が続いております」と県が原発被害対策に終始したことを振り返っている。
 また、「……復興計画では、「原子力に依存しない、安全・安心で持続的に発展可能な社会づくり」という復興ビジョンの理念を踏まえ、「県内の原子力発電所を全基廃炉にすることを求めることを盛り込みました」と述べ、脱原発をはっきりと表明している。そして、復興計画の「ふるさとで働く」項目の(再生可能エネルギー推進プロジェクト)で、「再生可能エネルギーについて導入拡大を図るとともに、最先端技術開発などを実施する研究開発拠点の整備、関連産業の集積・育成、スマートコミュニティ(快適性、利便性を損わず、再生可能エネルギーを有効に利用し、エリア単位で社会のエネルギー効率化を図るシステム)等による再生可能エネルギーの地産地消の振興により、原子力に依存しない、安全・安心で持続的に発展可能な社会づくりを進めてまいります」と、分散型エネルギーへの転換を進めることを表明している。

 福島県は、福島第1原発の事故の被害をもっとも強く受け、避難者が多数出て、帰還困難な状態が長く続くことが確実なことや、放射線被害が長期にわたって続くこと等々の問題を抱えたのに対して、政府・東電・御用学者などの「原子力村」が責任を取らないし、誠意ある対応を示していないのを是正すること。県の脱原発の決定を確実に政府・東電に実行させること。それから、地域分散型の再生可能エネルギーへの転換を図り、放射線被害を低減した上での未来の復興を地域主導でおこなえるようにすること等の目的を達成するために、福島出身者や福島に縁のある人々、心を寄せてくださる方々とともに、「脱原発と真の復興を!福島の会」(仮称)を結成したいと思います。多くの皆さんのご参加・ご協力・ご支援をお願いします。まずは、ご連絡を。(文案作成:大谷浩幸、福島県三春町出身)

(名称)
  脱原発と真の復興を!福島の会(仮称)

(目的)
1.福島原発の完全廃炉を実現するために活動すること。
2.再生可能エネルギー、地域単位の分散型エネルギーへの転換を促進すること。
3.いのち優先の復興を目指すこと。
4.避難者の権利を守ること。
5.現地の人々の生活と健康と権利を守ること。被災者間の分断を許さないこと。
6.福島出身者や縁の人々を結集し、コミュニケーションを図りつつ、上記の目的の実現を図ること。

〔当面の連絡先〕
 情況出版 
 住所 〒101―0065 東京都千代田区西神田3-1‐2ウィンド西神田ビル502
 電話  080―3879―2334、080-2671-1511
 FAX 03-5213-3239

| | コメント (0) | トラックバック (0)

3・11問題の中間総括のために(15)

 続いて、中沢氏は、エネルギロジーという観点からは、「原発とロシア革命」はいずれもモダニズムの華とも言うべきもので、共に同じ種類のエネルごロジー的矛盾を抱えているという。しかし、ソ連国家はとっくに「博物館入り」(77頁)してしまっている。あれからすでに20年以上の長い歳月が流れた。その間も資本主義は「原子力発電による大量のエネルギーを利用しながら、かつてないほどの成長を続けてきた」(78頁)。

 そして、太陽である。

 化石燃料の時代にも、原子力の時代にも、隠蔽されてきたひとつの重要な事実が、それによって浮かび上がってくることになる。地球生態圏を生きるすべての生命のほとんどの活動は、太陽エネルギーによって支えられている。太陽と私たちは生命との間に、交換関係はなりたっていない。太陽からの一方的贈与によって、私たちは支えられている。(81頁)

 このような太陽の贈与性が第8次エネルギー革命の技術によって示される。「かくして、「脱原発」のさきに、私たちは「脱資本主義」への変化を予測することができる」(81~2頁)というのである。今やマルクス主義を自称する者でさえ、「脱資本主義」革命を言わなくなり、言ったとしても、はるか遠い未来としか考えなくなっている時に、実に大胆な主張をするものだと思うけれども、リアリティを感じるのは、資本主義の危機がこれほど深く広く世界を襲っていることが誰の目にも隠しようがないほど明瞭に映っているからでもある。3・11の震災の時にも、共同体(共産主義)が人々を助け、それが復権したという例がいくつもあった。しかしそれは今のところ、個別的ないくつかの事例にとどまっている。そこで、中沢氏は、太陽の贈与性を本質とする経済思考、超マクロ経済学を構想する。それは、バタイユの「普遍経済学」よりも、18世紀のフランスの重農主義者ケネーの「フィジオクラシー」にヒントがあるという。

 第8次エネルギー革命は、資本主義を贈与の原理を最深部におき、その上に生産と消費をコントロールする交換原理が作動する経済に変革する。それは暮らしと実存の全領域を変革する。これによって、科学技術は発展するが、それを抑圧している産業と大学の一体化を解体しなければならないというのである。かつて、産官学協同路線粉砕の闘いを関西大学共闘(学研都市を撃つ関西学生連絡会)の一員として取り組んだことがあるが、中沢氏のかかる主張はまさにその時のわれわれの運動の基本スローガンの思想と同じである。

 「5 リムランド文明の再生」で、中沢氏は、認識をまとめている。

①原子力発電という技術体系は、エネルゴロジーの構造において、致命的な欠陥を抱えている。生態圏の内部に太陽圏的物質現象を無媒介に持ち込むその技術しそうは、いまの人類の知識段階では、生態圏のなかで安全に運用することが、きわめて困難である。そのためビル・ゲイツなどが提案している程度の場当たり的な「イノヴェーション」で、この困難を取り除くことは、原理的に不可能である。しかも、この技術体系は、自分のなかから生み出される大量の放射性廃棄物を、安全に処理することができない。すべてのイデオロギーを排除して考えてみても、エネルゴロジーの視点からは、原子力発電からの脱出こそ、人類の選択すべき正しい道である。

②太陽光発電、風力発電、バイオマス発電などの、いわゆる「自然エネルギー」の開発と普及は、原子力発電が生んだ第7次エネルギー革命の時代を、ゆっくりと終焉に向かわせ、新しいエネルゴロジーの秩序である第8次エネルギー革命の時代を開始させることになるだろう。
 これらのエネルギー技術は、太陽が放射するエネルギーを地球で受け止め、それを生態圏の内部に媒介的に持ち込む手だてとして、開発されてきた。いまや、それらの技術に潜在する思想があきらかとなった。原始の地球に、原始的な植物がはじめた生態圏生成の運動を、人類は科学技術をもって模倣することによって、再開しようとしているのである。
生態圏をただ収奪するのではなく、生態圏を蘇らせることによって、人類ははじめて、地球上でほかの生き物を益する生き物となるであろう。

③エネルギーの存在論におけるこのような転換は、人類の経済活動全体にも、大きな転換を生み出していくことになる。第8次エネルギー革命は、経済活動に「贈与」の次元を回復することになる。かつてはこの贈与の次元が活動することによって、社会と市場経済の間をつなぐインターフェイス構造が働き、市場が自閉的な運動に向かって運動していくのを阻んでいた。第5次エネルギー革命がきっかけとなってはじまった産業革命以後、社会と市場の間のこのようなインターフェイス構造はつぎつぎに破壊されて、ついには新自由主義によって、その完全な無効性が宣言されるにいたった。
第8次エネルギー革命はその副産物として、いったん消滅に向かわされたこのインターフェイス構造の、大規模な復活を誘発していくことになる。資本主義の全構造が、それによって変容を起こすことが予測される。マルクスが語った「下部構造が上部構造を規定する」ということばは、このような事態にまで拡大して理解する必要がある。すなわち、エネルゴロジーの構造転換が、今後は経済の構造をも変えていくのである。

④地球生態圏のなかで展開されたエネルゴロジー的進化のなかから、人類の心は生み出された。第8次エネルギー革命の生み出すものは、その人類の心の本性との親和性がきわめて高い。人類の心はアナロジーの機構によってつくられている。そのために、ことばとことば、概念と概念の間は、のりしろの部分をなすインターフェイス構造によって、相互につながれている。矛盾のない、明確な概念だけを組み合わせて、私たちは思考していない。具体性の世界はインターフェイス構造を働かせながら、つくりだされている。
科学に内在する過激な抽象主義は、思考内部で働いてきたこのようなインターフェイス構造に、抑圧を加えようとしてきた。私たちは、原子炉の設計思想のなかに、インターフェイス構造を否定する科学思考の、もっとも過激な表現形態を見出した。第8次エネルギー革命は、ゆっくりとそのような過激主義を変質させていくだろう。モダニズムの真の乗り越えは、ここからはじまるのである。(88頁~92頁)

 次に、中沢氏は、日本の地政学的特質としての大陸中心部からの周縁のリムランドであったこと、火山国、地震が頻発することを指摘する。そして、インターフェイス(媒介)性とハイブリッド(複合)性を基本的特性として挙げる。なるほど、この間、韓国ドラマ「朱蒙」を全部観たのだが、扶余国の石造りの城や高く頑丈に作られた門などを見ると、日本の城とはずいぶん作りが違う。

 補遺として「太陽と緑の経済」という文章が付いている。そこで、ケネーのフィジオクラシーが説明されている。マルクスは、『剰余価値学説史』第2章重農学派でフィジオグラフィーについて検討している(マルクス・エンゲルス全集第26巻12~47頁大月書店)。

 中沢氏の『日本の大転換』を見てきたが、それは資本主義批判と原子力発電に代表されるエネルギー文明批判であり、第8次エネルギー革命が、同時に資本主義文明からリムランド文明への転換を引き起こすことを主張するものであった。ここまで原子力発電問題を資本主義批判と結びつけた論考は他にあまりないと思われる。氏が、インターフェイスやハイブリッドという性質の重要性を明瞭にしたことは評価すべきである。民族論で言えば、日本人の多くが、大陸や朝鮮半島などの人々と幾重にもインターフェイスを重ね、ハイブリッド(混合)してきた混血によって占められているということを認識することが大事である。網野善彦氏や赤坂憲雄氏も、こうした混血性ということ、「ひとつの日本」ではなく、「いくつもの日本」ということに、日本の可能性を見ている。エネルギーについても同じことが言えるだろう。それは、インターフェイス性とハイブリッド性を持つエネルギーの開発、いくつものエネルギー源を持ち、中小共同体によって共同管理・運営されるエネルギーへの転換ということになる。それは、レーニンが言った「ソヴィエト(コミューン)+エネルギー(電化)」の今日的な中身の問題である。エネルギーの国家管理から地域社会管理への転換だ。エネルギーは今や「管制高地」となっており、誰がどのように管理するかというのは全人民的政治課題として重要な位置を占めている。東電をはじめとする大電力独占会社から国家を経て、全人民管理へと移行させるという道が見えてきている。レーニン時代と違うのは、電化はすでに済んでいるので、電化の中身を問題にしなければならないということだ。

 また、放射能被災に対する健康自己管理の思想が、この領域における新自由主義的な自己責任を基本とする健康維持法の趣旨に沿って行われている。子供に自分で自分の放射能被災を管理させるというとんでもない自己責任主義が押し付けられている。しかし、専門家でもよくわかっていない放射能被災の人体への影響を子供に自分で測って自分で管理させるなどというのは、国や自治体や大人の責任放棄である。この間、政府も東電も御用学者も責任を取ってないという驚くべき無責任な状態が続いているが、それと同種のこととしか思えない。まず、こうした異常なモラルハザードを改めないと、未来の社会がおかしな社会にしかならないことは明らかだ。まずは、「原子力村」は責任を取るべきである。それ抜きに、未来のエネルギーを云々したところでどうしようもない。それから、この間、国立がんセンターなどの医療界のモラルハザードも目立っている。放射能被災を過小評価し、喫煙や肥満の健康被害をそれより大きく評価して宣伝するという健康維持法優先というまちがいをやっているので、それを直し正すべきだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2012年2月 | トップページ | 2012年4月 »