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2012年4月

3・11を総合的に考えるためのメモ

 テントの再稼働阻止リレーハンストが続いている。どうやら、5月5日までの大飯原発の再稼働は難しくなってきた。新聞(共同通信)の世論調査で、大飯原発の再稼働に反対が、約59%あり、多数となっている。同じ共同通信の世論調査で、野田政権の支持率が23%しかないことが明らかになっている。こんな状態で、再稼働を強行できるのかは、大いに疑問である。さらに、城南信用金庫本店で、脱原発地方自体首長会議が発足したことが報道されている。佐藤栄作久元福島県知事も参加し、福島県からは、桜井南相馬市長が呼びかけ人となっているし、オブザーバーで、井戸川双葉町長が参加している。大きいのは、原発立地自治体の茨城県東海村の村上達也村長が参加していることである。脱原発に向けて大きい主体が誕生した。このように多様な主体が次々と登場してくることは、革命的情勢の特徴の一つである。マスコミの報道だけを見ていると、そのことは感じられず、政府等が描いた「事態収束宣言」物語の筋書きどおりに進んでいるように感じられるかもしれない。しかし、物語は複数同時にかつ重層的に展開していて、様々なバリエーションを描きながら錯綜したまま動き続けている。物語は創造され続けており、それは「事態収束」物語を揺さぶっている。この同時並行して生み出され語られている物語を聴き取り、聞きわけることが必要である。なぜなら、物語る者は、先行する物語を受け取り、変奏していくからである。例えば、マスコミが作る物語を書き換える。あるいは、それに対して自らの位置取りをする、といったことをする。原発を受け入れた時に同時に受け入れて書き換えつつ内面化した物語を、今、現地の人は、3・11原発事故を受けて書き直しているところである。例えば、福島県立医科大学の副学長の山下氏の描いた放射能安全物語をいったん受け入れた人々が、別の物語を受け入れ、それを書き換えている。レントゲン検査を受けようとしない人が生まれている。あるいは、不安を訴えている。山下県立医大副学長や県当局の安全物語を信用していないのである。こうして、物語への態度は、人々の行動基準、判断基準、倫理基準を形成している。この次元をくりこまないでは、政治への大衆的信用はかちとれない。例えば、「原子力ムラ」の一角たる東大で、相変わらず誰もその責任を認めないし、責任を取らないままでは、その中の人間が言うことを簡単には受け入れられない。運動には、まだ、「原子力ムラ」に責任を取らせる力がない。権力を持つかれらをやめさせることもできない。責任を言葉の上だけでも認めさせられていない。その力がないのだ。しかし、大学当局や教授会には、かれらの責任を明らかにし、責任を取らせる力があるのではないか。かれらは強者であり、権力者である。それが、あたかも被害者のように振る舞い、装うのは、知的退廃を示しているのではないか。そんなことは許せない。事態が改善しない間は、「言い訳無用」という厳しい倫理的態度でのぞむしかない。実際に権力・権威を持つ者が被害者を装うなどもってのほかだ。

 中江兆民、陸 羯南、内村鑑三、『女工哀史』。それから、ネグリの関連で、クローチェ。それから、高橋哲哉氏の『沖縄と福島』(集英社新書)、横山源之助『日本の下層社会』、徳富蘇峰、幸徳秋水。中田力氏『日本古代史を科学する』(PHP新書)。『日本の下層社会』をハンドブックに、明治の東京のスラム跡、細民町跡をいくつか訪ねてみた。日本近代の主体の歴史について考えてみたいと思ったからというのと、それと福島のチベット問題あるいは福島チベット物語の関連を考えているからだ。都市下層社会と地方の「チベット」社会。その点で、高橋氏の『沖縄と福島』での日本近代の犠牲システムの被犠牲極としての共通性の存在の指摘は重要だと思った。東北学で、赤坂憲雄氏が、東北には近世に移植された被差別部落しかないと指摘しているのは興味深い。差別されない共同体としての部落は解放された部落じゃないのかと思えるからである。それから、なにかしら、ある種の現象論をたてて、それに、具体的なものを当てはめていくというやり方で、なにかを排除していくというのは、抑圧的であるということもそれらからわかる。例えば、高橋氏のキリスト教者の震災に関する言説批判はそのことを示している(内村鑑三の関東大震災論)。宗派的な言説が人を傷つけるという問題は、排除の構造を強化することでもたらされるというのである。例えば、天罰論・天恵論である。罰せられて当然とされる者とそうでない者を区別し、一方の排除を正当化する言説として天罰論があり、そのネガとして天恵論があるというのだ。戦後の反核運動の問題点、弱点を鋭く突いていると思う。これについてはそのうち取り上げてみたい。あとは、具体的な階級・階層分析をしたいということもある。雑誌『情況』は、そうした差別と闘い、それから人々を解放する武器となるだろう。差別についてもしっかりと考え、それを解明し、解決するという方向をしっかりと定める必要があり、それに邁進していかねばならない。くだらないちっぽけな宗派主義はその妨げでしかないから、それを打ち砕いて、前進していかねばならない。たいした決意のない者が適当なことを言ってその道をさえぎろうとするなら何者であろうとも覚悟を決めた方がいいということだ。差別の概念とその現実がある以上、それについて考え、考えを表明するのは、知識人の義務である。そこから逃げることは許されない。

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原発再稼働阻止、ネグリ・シンポなど

 4月17日、5月5日までの大飯原発再稼働阻止行動のリレーハンストに突入する経産省前テントひろばが、記者会見をするそうです。

 大飯現地ではすでに関西の反原発団体などがテントを設営して、再稼働阻止の現地闘争に入っています。福島の人たちも再稼働阻止の闘いに入っています。世論調査では改めて約8割の圧倒的多数が脱原発を求めているという結果が出ているし、自民党も再稼働には慎重論を唱えています。それでも、野田政権は再稼働を急いでいます。この再稼働阻止の行動を支持し、支援したいと思います。

 15日のネグリ・シンポは盛況でした。『戦略の工場』(作品社)は、いろんな論点があるし、論点を作れるので、しっかりと読もうと思いますが、残念ながら時間不足で、きちっと読んでしっかりとしたレジュメを書くことができませんでした。しかし、最初のあたりを中心にいくつかの断片的メモは書けたので提出し、提起しました。会場は集中し熱気があり、それは2次会まで続きました。驚きました。この本のサブタイトルは、「レーニンを超えるレーニン」で、今では否定的に語られることが多く、過去の人、「死んだ犬」(ヘーゲル)と見なされてきたレーニンがテーマだったからです。ずいぶん前から、レーニンの再生があると書いていたのですが、まるでそのとおりになったかのようです。新たな運動が次々と立ち上がってきて、大量の活動家がどんどん登場してくるという3・11後の大きな変化のせいかもしれません。3・11はすでに世界を変え、人々を変えています。他方で、改定入管法施行期日が迫っており、それは難民問題にも変化を及ぼしそうなので、それを分析することも必要です。いろいろと課題があり、それらを包括的に解決するためのテーゼも必要だし、その主体も必要です。同書を読んで、そのことを痛感したので、もっときちんとした文書を書きますが、とりあえず、ご参考までに、シンポで提起したメモをちょっと書き換えたものを貼っておきます。

 『戦略の工場』についてのメモ

 ネグリの『戦略の工場』を読んでみて、まず、これが講義の形式で行われたものであり、したがって、自ら繰り返しているように、マルクス・レーニンの思想が「学知」という形態を取るというふうになっている。それが、なにかの配慮によるものなのかどうかはわからない。ネグリは、「序文」で、イタリア共産党トリアッティ派(多数派)が、レーニン主義の「正統派的に執着し、文献学的に忠実であればあるほど、政治的にはますます日和見主義的であるように思われた」(p7~8)し、グラムシ路線は、改良主義とプロ独に代わる「同意調達の理論装置」(同)と解釈されていたという。マルクス・レーニン主義を名乗る部分は、レーニン主義をスターリニズム的に使っていた。それに対して、ネグリは、当時、ボルディーガ派(彼はその中にアラン・バディウを入れている)とフェイシング・リアリティ派の主体性論に興味を持ったという。他方、イタリアのオペライズモは、「レーニンの仮説との関係では全面的にこれを見直す立場をとると同時に、彼がめざした革命については徹底的にその権利回復を求める立場をとった」(p8)。マリオ・トロンティがその立場を代表していた。「レーニンは階級の新たな現実と向きあうことで生きている」というトロンティの仮説の革命的修正主義は、「プロレタリアートの政治構成と対応するプロレタリアートの技術的構成の変化への着目」だったが、それは4つの源泉を持っている。第1に、レーニンは、革命過程の持続性を認識するための理論装置であり、組織化するための道具であった。第2にスターリン批判によるマルクス主義の革新、第3に、スターリン主義のテロルとレーニン主義の継承関係が否定された。第4に、レーニン主義の中に新しい組織化の起点を見出した。イタリアが当時直面していた移行とは、「大衆的労働者からなる階級のヘゲモニー、そして外部的な知識人による組織化におけるヘゲモニーから、社会的労働者の組織化と知的生産に内在する労働力の組織化の新たな諸形態への移行だったのである」(p12)。しかし、ネグリたちにとって、レーニンは階級闘争の変容の分析のための方法論文であり、「諸主体の変容を通じた革命の持続的な再創設のための」(同)合言葉だったそうだ。全体を貫くネグリの基本テーゼは以下のところに要約されていると思われる。

 この講義のなかで、搾取される者たちの組織化をめぐって控えめに論じられていた政治的な移行、すなわち労働者階級からポスト近代のマルチチュードへの政治的な移行は、いまでは随分と先に進んだ。しかしながら、それ以上のなにかがある。それは、レーニンの認識論が自らに課した確認、すなわち歴史過程において革命の証言者がある主体から他の主体に移行することは、本当にまったく認識可能であり万人によって理解されうるということの確認であるのだが、それだけではなく、この移行がいまや〈帝国〉に抗するグローバルな革命とマルチチュードの織り成す編成体として提起されているという事実である(p16)。

  様々な論点があり、それらをここで尽くすことができない。その原因について、ネグリはこう指摘している。

  レーニンは革命の現実性なのです。レーニンは、一定の情勢の内部で、すなわち歴史的な主体(ロシア・プロレタリアート)とその主体が立ち向かう総体的で資本制的な権力構造とのあいだいに広がる一定の階級関係の内部で、あの瞬間、あの局面において、世界プロレタリアートが提示する一連の諸問題すべてを解釈しているのです。マルクス的な意味で、抽象的なものが具体的なものになる、言い換えれば、あらゆる現実的な諸規定の総計になるのです。したがって、ロシアにおける革命の問題のレーニン的解決は、単に(ロシアの革命的プロレタリアートと、生産諸関係や支配の諸関係の半封建的な条件とのあいだの)関係の規定に結びついているようなひとつの解決なのではなく、レーニン的解決とは、包括的問題の解決としてある限りにおいて、そしてその限りにおいてのみ、包括的問題の解決でもあるのです。すなわち階級関係の分析であり、解釈であり、一定の実践的解決であって、さらには、一定の時代におけるあらゆる情勢に対する革命の企ての構築への、包括的で全般的な貢献なのです。資本制の最終局面への移行とは、専制政体とプロレタリアートの闘争(「この国の命運を決する瞬間」)をプロレタリアートに有利なかたちで、全人類の救済のために、展開する可能性のことなのです(p26

  ここに、レーニンの、あるいは弁証法的唯物論者としての主体としてのレーニンの思考の基本的特徴が示されていると思う。ここにはわたしが長年思ってきたレーニンの思考の特徴と同じものがある。「抽象的なものが具体的なものになる、言い換えれば、あらゆる現実的な諸規定の総計になる」ということ、レーニンが『哲学ノート』で書いているように、具体的認識が進むと、概念はどんどん多様になり、それを弁証法的に包括すればするほど豊かな規定となっていき、総体的となっていく。社会諸関係の連関を把握すればするほど生き生きしたものになる。それは、弁証法的に、移行し、飛躍し、転化し、新たな規定へと変化、「とんぼ返り」する。それは、現実の諸関係の頭脳への「反映」である。資本制社会諸関係が頭の中だけではなく現実においても「とんぼ返り」する。それを思想が「反映」するということ、そして、その逆転(反転の実践、「とんぼ返り」)がある。それが意思となり、現実を「反転させる」。そこにプロレタリアートの意思の塊としての党の実践の意味が出てくる。プロレタリアートの自然発生的な闘争においてはそれは純粋に表現されず、意思として純粋ではない。だから、プロレタリアートの自然発生的な意識を純粋なものとして発展させることが必要となる。それが目的意識性である。それは自然発生性の内部に萌芽として含まれているが、その中では完全には展開できないというのがレーニンの見立てだが、自分の経験でもそうだと思う。ネグリは、それを1970年代のイタリアの運動の中で「成長にともなう病」として経験したようである。

  ネグリが、組織を「自然発生性の完成」と言っているのは、ネグリ的なレーニン解釈であろう。ここにネグリのしくじりがあり、彼が『哲学ノート』を参照し、レーニンのヘーゲル弁証法の解釈を肯定しながら学び取りきれなかった部分が示されているのではないだろうか。それは、量から質への転化という規定である。自然発生的運動の量から質への転化を媒介することなく、つまり目的意識性の介在なしに、自然発生性の直接延長上に階級闘争の高い次元への転化・発展を実現することはできないというのが、レーニンの含意であったと思われる。

  少なくとも、日本の場合、主体性論については独自の歴史があり、その分析と総括があり、それと比較する必要があるということは明らかである。それから、現代資本主義論においては、国家独占資本主義論、帝国主義論などの問題もある。その評価抜きに、ネグリ的「帝国」論に乗り移りすることはできない。日本の運動史の総括も必要である……などの課題への取り組みがより必要だということに気づかされた。

  他方で、グラムシにあった南部問題やレーニンの農民問題、民族・植民地問題がない、などの不満がある。この本を読んで、帝国主義論が、この時点ですでにネグリの中に欠けていたことがわかり、それでは、具体的な世界分析、階級階層分析、先進国と後進国との具体的な関係が消えて、そこから具体的なプロレタリアートの総体的な認識と戦術が導き出せないという限界があることがわかった。そこが朝鮮半島・中国・東南アジアなどとの戦後処理、戦争責任が問われ、植民地主義の清算が今なお大きな課題として存在し続けている日本との違いなのだろうか。運動としてもそうした領域を担う部分があり、それは現在の国際関係の大きな課題となっている。日本国内においても、沖縄、アイヌ、都市と地方の格差、東北問題(赤坂憲雄)などがあり、階級構成でも、社会的労働者の中にも格差・非正規労働などの問題を抱えており、それらの「総計」の認識と包括的な階級闘争の構成という課題がある。それら諸問題の包括的解決の主体としてのプロレタリアートの構成と戦術が求められていると思う。これら諸問題の包括的解決主体が政治構成としてのプロレタリアートの任務だとしたら、それには、原発、エネルギー問題も含めなければならない。そうした課題の多さ、大きさを認識させられたというのは、この本の大いなる意味であると思う。論点が多く、内容が豊富だとも思う。

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福島の喪は開けた。いざ、闘いへ!

 3・11直後に当ブログで書いたように、2011年3・11から1年間は喪に服す期間であった。しかし、今年の1周年の福島現地での1万6千人(主催者発表)の県民大集会で、福島主体が立ち上がった。これで喪は開けた。また、脱原発運動は深化している。そのことによって大きな力が与えられたと感じる。しかし、政府は再稼働に向けた動きを本格化させており、それに対する闘いも、福井現地と福島、そして全国を結びつつ取り組まれている。すでに、原発いらない福島の女たちの会のハンストが行われ、大飯原発のある福井の反原発運動への連帯・支援行動が始まった。4月17日から5月5日全原発停止の日まで、経産省前テントでリレーハンストが闘われる。福島主体の本格的な攻勢が開始された。「原子力ムラ」の責任追及も本格化する。大型訴訟も次々とある。原発立地自治体の長も含めて、国と東電への厳しい責任追及が始まる。これから本格的な闘いが始まるのだ。「原子力ムラ」は覚悟するがいい。3・10‐11福島アクションについて別紙に書いたものをつけておく。

 先日、TBS報道特集を観た。テーマは原発輸出問題であった。日本はベトナムへの原発を輸出しようとしているのだが、建設予定地の村人のなかには、3・11以前に福島に来て、原発と共存する現地の人々の姿を見て、原発が来ても大丈夫だと思っている人がいた。3・11のこと、3・11後の廃墟のようになった原発立地地域の実態をまだわかっていないようだ。そして、印象的だったのは、原発輸出を日本の国策として、人が死のうと放射能を浴びようとなんとも感じていないような強固な推進派の原子力産業なんとかという組織の役員が登場して、原発輸出をすると断言したことである。中間派、動揺分子はこの間の脱・反原発運動の高揚、圧倒的多数の脱原発支持の世論などに押されたためか、沈黙してしまっているが、こうしたこれまであまり表に出てこなかった確信的でコアな原発推進派がいよいよ表に出てきたのである。かれらこそ、この国の権力を握り、動かしている支配階級の中の支配階級である。かれらとの闘いは極めて厳しいものになるだろう。しかし、かれらの意図を挫くことは不可能ではない。このこと自体が、これまで、議会制民主主義の仮面の下に隠れて、実際にこの国を動かしてきた勢力が表に登場せざるを得ないところに追い詰めたことを示しているからである。これは、一面では、この間の運動の成果として出てきたものなのだ。

 ところで、フクシマ論で有名になった開沼博という同郷人は、若すぎて、頭でっかちであるということが、あるインタビューを見てわかった。ともかく、未熟である。それは当たり前のことなのかもしれないが、そうでもない人もいるから、惜しいことだ。例えば、彼は、「少なくとも原発周辺に住む人々にとっては、今食っていけるか否かが重要」と言う。つまり、原発誘致した側は、もっぱら経済的利害で価値判断するだけの功利主義的人間として捉えられて、それが深く刷り込まれてしまっていて、それを信じて疑わなっていないのである。ところが、例えば、原発を誘致した自治体の双葉町の井戸川町長は、いまや自己批判し、原発はいらないと言う。彼は、原発は危険だという認識をかなり前から持っていて、それを何度も東電職員や役人に聞いが、その度に、かれらは、絶対安全だと答えたという。飯は食いすぎるほどあっても仕方がない。程度というものがあり、量的にどの程度で満足するかは人によっても違う。それから、質という面もある。そして、中沢新一氏が言うように、毎日目にする風景に馴染んでいき愛着を覚えるようになったり、それが自分の人生の一部であるかのように象徴化されることもあり、それがなくなるとまるで自分の一部がなくなるかのように感じるようになる場合もある。われわれは、そういう社会と自然の関係を自分の生の一部として自己認識しているので、安全ならどこに住んでもいいということには必ずしもならないのである。避難の権利を確立することと避難を強制することは違うということも含めて、生活さえできればどこに住んでもいいというものではないのだ。経済価値のみに人間価値を抽象し還元することはできないのである。それから、彼が「まず原子力ムラを肯定せよ」と言うのは、原子力ムラの存在を認識せよというのではない。存在を認めることがそれを肯定することになるというのは論理的に間違っているということも指摘しておかねばならない。それらのことは段々わかってくるだろうし、わからなければどうしようもないと思う。

 それから、「1年前、沖縄米軍基地問題では人々はあんなに熱狂していた。にもかかわらず今では誰もそんなことを気にしないままに粛々と問題の処理が進められている、という例を出されていましたが、福島原発もいずれ忘れ去られてしまうのでしょうか?」という質問の中身だ。これは内部から見てるのとまったく違う。むしろ、沖縄と福島の共通性と違いの認識というところに意識が深化しつつあり、運動でも、3・11後の沖縄という新しいステージへの思想的発展に進む途上に入っているというのが実態だ。まず認識せよ、しかる後に実践だというのは、頭でっかちの問題のたて方の基本的な特徴で、実践と認識を切り離すからそうなるのである。実践と認識は不可分であって、どっちが先とかいうことは言えない。だから、彼が、「原子力ムラを一度受け入れる、つまり、それによって成り立ってきた「原発がある幸せ」を無意識的にせよ選択してきてしまっていた、今もいる、ということを改めて捉えなおす必要がある。その後に初めて「原発なき幸せ」についての議論が始められます」というのは方法論的にも間違いである。また、これだけ運動に懐疑的ならば、同時に、客観的に、自分が今一部でもてはやされているのは、そうしている連中に何かよからぬ狙いがあるのかどうかと疑ってみるべきだ。多分、かれらにはよからぬ狙いがある。「原発がある幸せ」など大した幸せではないし、きわめて限定的なものである。福島でも一部でしかないそうした「幸せ」をとりたてて強調する意味はあまりない。開沼氏は、あまりにも、運動だの脱原発を言う知識人だのを大きく捉えすぎ、過剰、過敏に受け止めすぎているようだ。表に出てこないで原発推進を国策として、人が死のうが放射能を浴びようが固い信念を持ってそれを推進している連中にこそ過敏になるべきなのである。表面上のことばかりに目を奪われてはならないのである。経済主義的人間観というイデオロギーから脱すれば、いろいろと広く深いものが見えてくるし、素晴らしい世界が見えるようになり、人生の楽しみが増えることは間違いない。

 もう一つ言わねばならない。「明治以来、福島は東京から「ほどよい位置」にあった。明治の初期から水力発電で東京の蒲田まで電気を送ったり、戦中は、石 川町でウラン鉱石を採って、日本の原爆開発計画に貢献した。戦後すぐ、只見川電源開発や、映画『フラガール』でも有名になった常磐炭田のように「エネル ギーの供給地」として東京の成長を助けていた。東京の成長を常にサポートする役割を日本の近代化の中で福島は担わされてきたんです」というのは歴史的事実の確認であろうが、それなら、常盤炭鉱では、朝鮮人が多数働いていたこと、日本の戦後労働運動がまず戦中の炭鉱労働者の運動の継続・発展として始まり、常盤炭鉱の労働争議では、生産管理闘争にまで進んだということも忘れてはならない。「在日」はこの地域社会を構成する主体の一員でもあったこと、あることを認識すべきである。それに対して、赤坂憲雄氏は、『東北学』で、東北における「在日」の問題も取り上げているし、東北の中国人炭鉱労働者差別についても取り上げている。かれは、『東北学』で、済州島などの朝鮮半島の民俗まで取り上げている。もちろん、沖縄、アイヌについても特集している。済州島については『済州島』(耽羅研究会編)という雑誌が新幹社から出ている。済州島の半島に対しての独自性については、文京洙氏『韓国近現代史』(岩波書店)でも指摘されている。赤坂憲雄氏の「いくつもの日本」という切り口(『東西南北考』(岩波新書)など)からの歴史・社会認識のアプローチは、朝鮮半島でも世界でも有効だと思う。それは、世界市民的な世界共通主体というような単一的で抽象的な人間像や世界理念といったものから歴史をなで切りし裁断するような歴史・社会認識のひからびた抽象性や抑圧性を解体し、解放を促進するもので、そうして人々を生き生きと生きることができるようにするものであると思う。

 喪が開けたので思い切った闘いを推し進めよう。4月15日、午後、スペースたんぽぽで、ネグリの『戦略の工場』(作品社)をめぐるシンポジウムが、情況出版などの実行委主催で行われる。こんな時代にネグリの論考を学生さんのようにただ「お勉強」しても仕方がない。今の運動をより発展させるということ、その主体はどういうものであるべきなのか等々の、実践論、組織論のヒントをつかめるような議論になればいいと思う。本の帯にはこう書いてある。

V.I.レーニン
「すべての経済闘争は、政治闘争に転化しうる」
私たちには、大きな課題が残されている。それは〈帝国〉の時代における史的唯物論とコミュニズムの理論を再構築することである。〔……〕レーニンの抽象力が、〈帝国〉に抗するマルチチュードによるグローバルな革命の時代に、現実的になるために戻ってきたのだ。レーニンのユートピアが、21世紀世界の欲望になるために戻ってきたのである……(ネグリ「序文」より要約)

全国で11万人が原発いらないの声

3・11 1万6千人の福島県民大集会

流 広志

 東日本大震災から1周年の3月11日、福島第1原発事故の被災地福島の郡山市で、経産省前テントで「とつきとおか」の闘いを続けている「原発いらない福島の女たちの会」も中心的担い手となっている「原発いらない地球(いのち)のつどい」がビッグアイ7階と郡山市労働福祉会館の二つの会場で開催された。このイベントには、500人以上の人々で会場はいっぱいになり、熱気であふれた。
 10日の午前中から、ビッグアイ大会議場で、シンポジウム「福島原発事故被害者のいのちと尊厳を守る法制定を求めて」が行われた。秋元理匡氏(日弁連、東日本大震災・原子力発電所自己等対策本部原子力PT事務局長)は、講演(「福島原発震災被害者の援護のための特別立法について 広島・長崎・ビキニ―ヒバクシャの悲劇を繰り返さない」)で、まず、今回の事故の特徴として、コミュニティの破壊をあげ、さらに、被害者の置かれた状況として、困難、困窮、差別、分断をあげた。そして、放射能被害の特徴として、科学的にわからないところがあるために、不可知論をもって無策を合理化する傾向があるのに対して、これは科学の厳密性よりも民主主義の問題だと述べた。そして、安全の方向で考える余地を残す「予防原則」(国連環境開発会議リオ宣言 原則15、1992年)を挙げた。そして、この被害が公害であることを指摘した後、日弁連の立法提案を説明した。その中で、被害者の自己決定権の尊重を掲げているが、氏は、それが新自由主義的な自己責任主義ではないことを強調した。そして、被害者こそが法=正義の担い手であり、その運動を社会的に広げることが必要だと述べた。
 休憩を挟んで、4人のパネラーの話があったが、その一人の石丸小四郎氏(双葉地方原発反対同盟)は、まず、原発被害者は被曝によるものだけではなく、すでに死者等の犠牲者が出ていることを指摘した。政府は事故の風化政策を取っているが、忘れてならないことは避難の過程で多くの命が失われたことであると述べた。震災関連死という規定があり、県によって、避難の過程で肉体的・精神的に病んで亡くなった631人が認定された。例えば、当時、30キロ圏内には1千人の入院患者がいた。第1原発から西南3キロにあった双葉病院は内科と精神科が併設されていたが、当日の入院患者は337人。近くの介護老人施設には100人の入所者がいた。合計437人のうちで自力歩行できる290人以外の人のうち、50人が15日までの避難行動中に亡くなったと言われている。原発から30キロ圏内に高齢者介護施設が12施設あり、8百数十人がいたが、震災から3ヶ月以内に77人が死亡した。その数は前年比3倍に上る。自殺者は、4月・5月が2割増加し、5月には4割増加した。双葉郡内には、牛3500頭、豚3万頭、にわとり60万羽がいたが、ほとんどが餓死した。また、原発事故で避難区域に指定されたために津波被害者を救えなかった。それから、避難所では、自立生活していた高齢者の痴呆が2倍(県発表)から3倍(氏の推定)増加した。石丸氏は、避難の過程での被害を明らかにし告発し責任を問う運動が必要だと述べた。パネルディスカッション後、大賀あや子さんが「3・10福島原発事故被害者の権利宣言(案)」を読み上げ、拍手で採択された。最後に、佐藤幸子さん(子供たちを放射能から守るネットワーク福島)が、知り合いの方から「国の言ってることなんかひとつも信用していないから」と言われたことを紹介し、法制定を目指す決意を述べてシンポを締めくくった。
 続いて、大会議室では、鎌田慧氏の講演「脱原発と民主化の道」があった。郡山市労働福祉会館では、被曝労働問題、障がい者問題、等々の個別のテーマを取り上げる企画があった。そして、午後6時から、ビッグアイ大会議室で、被災地からの報告があり、今も被災に苦しむ窮状を訴えた。

 東日本大震災から1周年の11日、「原発はいらない!3・11福島県民大集会~安心して暮らせる福島をとりもどそう~」が、福島県郡山市の開成山球場で開催された。寒空にも関わらず、1万6千人(主催者発表)もの人々が集まって、脱原発を訴えた。開成山球場の内野席はいっぱいになり、その数の多さに、人々の脱原発の意思の思いの強さを感じた
 13時から、歌手の加藤登紀子さんが熱唱を繰り広げた。最後はジョン・レノンのパワー・トゥ・ザ・ピープル(POWER TO THE PEOPLE、「人民に力を」)を会場と共に歌った。
 14時。まず、竹中柳一(大会実行委員長・福島県平和フォーラム代表)が、この集会を、福島、日本の新しい変革のスタートと位置づけるとした開会のあいさつを述べた。続いて、呼びかけ人を代表して、清水修二氏(福島大学副学長)は、原発いらないの声は痛恨の思いを込めた福島県民の叫びであり、それを全国の人々に届ける義務があると述べた。震災が発生した2時46分、全員が犠牲者を悼んで黙祷した。それから、連帯挨拶として、大江健三郎氏が登壇し、原発全廃の決定に歓声を挙げる日を想像し、それを実現することを呼びかけた。そして、被災者が次々と登壇し、被害の実態を訴え、そして脱原発を訴え、国と東電に対する怒りと不信感を次々と表明した。
 最後に、「脱原発」を高らかに謳った「集会宣言」を採択した後、市内をいくつかのコースに分かれ、デモ行進した。

 10‐11日には、全国で脱原発アクションが取り組まれ、京都円山公園6000人(主催者発表)、11日東京大行進1万5千人など、延べ11万人以上が脱原発アクションに参加した。脱原発運動の勢いは止まらない。運動は再稼働を狙う「原子力ムラ」の策謀に痛打を浴びせた。さらなる運動の発展を推進し、運動の中に、コミューン主体の力を発展させよう。その萌芽はすでに福島をはじめ、運動の中に胚胎している。それを解放せよ!


 

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福島―脱原発の諸課題への覚え書き

 ネットのニュースを見ていたら、茨城県で6000人参加の脱原発集会があったという記事(東京新聞では3100人)と自民党中央が原発再稼働を認めるという記事があった。言うまでもなく、自民党は政権を握っていた時に一貫して原発を推進してきて、54基もの原発を作った張本人である。つまり、「原子力ムラ」の一員であったのであり、すでに震災関連で死者を出している福島第1原発事故の責任を取るべき政党である。しかし、自民党中央がそうであっても、福島の自民党はすでに脱原発に方針転換しており、福島県議会で、一部議員は投票をボイコットをしたが、共産党提出の脱原発決議に賛成している。自民党中央と地方の自民党とのねじれは、沖縄でも現れている。全国一律の政治方針を取ることが難しくなっているのである。以下、またしても、勝手なつぶやきであり、メモ書きである。

 先の3・11県民大集会が運動の一つの節目となったのは、保守も革新も「普天間県外移設」で一致して、自民党中央の方針と対立する要求を沖縄自民党が掲げざるを得なくなっているように、福島では、従来原発を推進してきた自民党までが、脱原発を掲げざるを得ないようになっているという状態を固めれば、それが中央政府への強い圧力となるからである。福島県民の圧倒的多数が、原発推進の野田政権のその方針にNOを突きつけたのである。これで、原発政策では、福島県民約200万人が政府方針不支持となったわけである。こうして、福島は、現政府の方針に対して、そして東電をはじめとする経団連の原発推進派大企業とも対立する立場に立った。この立場が頼みにできるのは、ただ、福島の多数の人々と全国・全世界の人々の支持・支援である。個人的には、3・24集会後、非常に心が軽くなった。野田政権がぼろぼろになっていくのを見ていると、当然の報いだと思うし、気分がよくなっていく。「原子力ムラ」が崩壊していくみたいで嬉しいのである。野田政権は人民を幸福にする政権ではない。一日も早く潰さなければならない。そして、3・11を政治利用する連中は大罰を受けますように!

 それと過去の原発関係の議論を見ていたら、1985年に、フェミニストの間で、エコロジー・フェミニストの青木やよひさんとマルクス主義フェミニストの上野千鶴子さんやラジカル・フェミニストの江原由美子さんなどとの間で議論があり、日本のエコロジー・フェミニズムが西欧諸国のエコ・フェミから10年遅れたというものがいくつかあった。大越愛子さんの『フェミニズム入門』という新書でもそのことが書かれてあった。その他、ネットで検索してみると、いくつかの文章がヒットした。その後、主に欧米諸国で続けられたエコ・フェミの議論が10年ほどたってから、再度、日本に入ってきて、ふたたび日本でもエコ・フェミの議論が活性化したということである。この間の反・脱原発運動で女性の活躍が目立つのは誰が見ても明らかだが、「子供を守れ」というスローガンを「産む性」としての母性を強調するもので、産まない女性、産めない女性を疎外するものとして反発する女性活動家があり、この議論の深化が問われていると思い、気になっていた。この論争での上野千鶴子氏の「現実の個人としての女性」という言い方は、現実的個人という概念への信仰のようなものに依拠し安住しているように感じられる。共同主観性(廣松渉)のような共同的なものを現実的な存在として感じるのだが、こういうものを、われわれは、近代的個人主義者たちによって、長年、錯覚だと思うように仕向けられてきたと今は確信している。われわれは自分個人だけを現実的なものとみなすように近代的個人主義イデオロギーを刷り込まれてきたのだ。それは押し付けであり抑圧であると感じる。だから、個人を安住できるような根拠にすることはできないと考えている。福島という立場に意識的に立った瞬間から、都市エゴが痛いように感じられるようになり、身体的に反応するようになる。例えば、脱原発運動の先頭に立って頑張っている鎌田慧氏の書いたものや発言にさえ、それが感じられるようになる(『現代思想』2011年10月号所収「拒絶から連帯へ」 で、鎌田氏は、核の廃棄物をどこに持っていくのかと問い、「廃棄物を福島に集めるのか。しかし福島は東京に近いでしょう」と述べて、東京の安全を福島の安全よりも優先して考えている)。逆に、同じように脱原発の闘いを闘っている落合恵子さんの3・24日比谷集会での発言には福島の立場に近いものを感じたし、それに同調する会場からの反応があったので、とても力が湧いた。それに対して、福島の「ふ」の字もない都市エゴ丸出しの反・脱原発運動はあまり居心地がよくない。

 上野千鶴子氏はマルクス主義フェミニズムという立場だったらしいが、『家父長制と資本制』を読んだ限りでは、その資本主義観は、労農派理論の引き写し程度のものにすぎず、マルクス主義を標榜したにしては、資本主義批判・分析は大したものではなく、通俗的なものにすぎないと思った。同じようなことを、今、討論会用に、東北学と並行して読んでいる『戦略の工場』(作品社)のネグリのこれと別の論考にも感じる。そこでのネグリの『資本論』の読解はあまりにもひどくて使いものにならない。また、日本の学者の多くが、自分の頭でものを考えられず、ただの外国からの輸入業者、翻訳屋になっているのが気にかかる。80年代、京都にいた頃、イリイチをやたらと担いでいる党派があったし、一種のイリイチ・ブームがあったのを思い出した。それは宗教っぽい感じがしてなんとなくちょっと気味が悪かった。

 それに対して、『東北学』創刊号(VOL.1)で、赤坂憲雄氏が色川大吉氏に、柳田国男の「常民像」と違うのは、「色川さんらが民衆史の掘り起こし作業を進める中で社会を変革していく主体としての民衆というものを浮かび上がらせたいというモチーフがあったことだと思います」(作品社 91頁)と述べたのに対して、色川氏が、「マルクス主義で歴史を作る主体というのは労働者のことを指すわけですが、そういう労働者など庶民のなかにはしたたかな意識というものがあって、足をすくう奴、うまく利用してジャンプする奴、いろんなのがいたのですね。そういうダイナミズムを歴史の記述の中に加えていきたいと思いました。それが私の民衆思想研究の骨格になったんです」(92頁)と答え、「何をコアとして民衆に接するか。やはり一番根っこのところで歴史をつくっていく原動力を蓄えた存在としての民衆、その一点から目を離さない」(同92~3頁)と言う。これは、まさにマルクスから学んだ基本命題、「民衆が歴史をつくる」である。色川氏は60年安保闘争の国会デモに参加する中で、民衆史の方向へ歩みを進めたようである。3・11後は、昨日まで通用した思想(個人主義もそのような過去の思想の一つだ)を過去のものにし、新たな思想を生み出し、集団的に新主体を出現させ、かれらの運動を媒介にして、新社会を実現する過程になることを確信している。60年安保闘争への参加を契機に、民衆史、民衆思想史の創造へと進んだ色川大吉氏と東北学という領域を切り開いた赤坂憲雄氏のような思想的パイオニアに共通するものが、「民衆が歴史をつくる」というマルクスが確信した命題と同じものであったことを確認できて、力を得た。

8 エコ・フェミ論争

†エコロジカル・フェミニズムの登場

 ウーマン・リブは、男性中心的な「愛と性」の体制を激しく撃つ運動として出発したが、その告発の相手として直接的に男性に向かう場面はむしろ少なく、男性原理を内面化させられていた自己の解剖へと内向していった。そして男性原理と決別し、固有の女性原理、再生原理の発見に到達した。その動向は、女性=自然とみなすエコロジカル・フェミニズムの登場と重なっていた。母性主義への回帰という動向をめぐって、再び激しい論争が始まった。
 八〇年代前半は、ヨーロッパを中心に反核運動が盛り上がり、グリーナム・コモンなどの米軍基地に対して女性たちの抗議運動が活発に取り組まれた。その際に行われた女性たちの非暴力的かつ生活に根ざした運動体験から、破壊的で反自然的な「男性原理」と異質な、自然と宥和した生活や協同、平和を求める「女性原理」を基盤にした、エコロジカル・フェミニズムが唱道された。エコ・フェミ的な自然と融和した生活形態は、近代資本主義に汚染されていない先住民社会や農村共同体に見出されるとして、前近代社会の民衆の宇宙的世界観に根ざした「女性原理」の発掘が試みられた。日本におけるエコロジカル・フェミニズムの唱道者、青木やよひは、文明化のプロセスを「自然の抑圧=身体の疎外=性の蔑視=性差別の発生」と解読して、女性原理的でエコロジカルな身体観の復活を、「女性性と身体のエコロジー」(一九八三)において次のように説いた。

「これまで一般に、男性が論理的・理性的であるのにたいして女性は感性的・直感的であるとされ、社会生活において、それがあたかも女性の劣等性でもあるかのように言われてきた。だが、その考えはいまや逆転されなければならない。もちろんこうした人間の資質には個人差が強く、性差だけがその決め手ではない。いわば、人間ひとりひとりの、うちなる女性性の回復が問われているのである。しかし、その母性機能ゆえに、女性はみずからの身体に関心度が高く、男性よりも身体感覚において敏感たらざるをえない条件をそなえている。心の砂漠化に抗して感性のエコロジーを求めようとするとき、これまでマイナスに記号化されてきたその身体性を、女性みずからがプラスに持ちかえるべきではないだろうか」。

 青木は、自然破壊的な生産中心原理に対して、自然宥和的な再生産原理の復活を説いたのであるが、彼女の中にあった女性=再生産原理とする本質主義的傾向が、フェミニストたちの猛然とした反発をかった。エコロジカル・フェミニズムに便乗して、近代的男女平等化を批判したイリイチなどの反近代思想の流行に対する警戒心もそのその背景にあった。マルクス主義フェミニズムの立場に立つ上野千鶴子は、エコロジカル・フェミニズムが内包している前近代的ジェンダー宇宙観への賛美や女性=女性原理とみなす本質主義的傾向を、「女は世界を救えるか」(一九八五)において鋭く批判した。

 「女性原理/男性原理」という象徴体系の中の性的分離のイデオロギーと、現実の女/男が、その象徴領域に排他的に配当される、ということとは、区別して考えなければならない。女性原理は、もしかして〈世界を救う〉かもしれない。しかし現実の女性は、女性原理を文化によって配当されてきただけであり、女性原理の枠内に封じこめられる理由もなければ、それを気負いこんで引き受ける理由もない。現実の個人としての女性は、男性と同じく、それ以上偉いわけでも劣っているわけでもない。ただの男が救えなかった世界が、ただの女に救えるはずもない」。

 現実主義者上野は、女性が象徴体系の一部にすぎない「女性原理」に囲い込まれて、現実社会に数多くある女性差別問題を不問に付することに警告を発したのである。特に「女性原理」が母性と結びつけられることに敏感に反応した。当時チェルノブイリの原発事故への危機感から、「子供を守る母性」の強調が反原発運動において盛り上がってきた状況もあった。母性主義の復活に対する警戒心から、上野以外の他のフェミニストたちも、エコロジカル・フェミニズムに批判的な論陣をはった。そこでエコロジカル・フェミニズムの本質主義的傾向の罠が強く指摘されたが、エコロジー危機に対するフェミニズムの取り組みという問題は脱落していった。
 エコロジカル・フェミニズムの問題提起は、自然破壊批判のみならず、先進工業国による第三世界の生活破壊に対する告発という側面をもっていた。だがエコ・フェミ論争の結果、日本のフェミニズムはエコ・フェミ的な問題との取り組みに対して熱意を喪失し、資本主義体制批判をネグレクトし始めた。先進工業国による第三世界の女性たちの生活破壊という問題に対しても無関心となり、バブル期を迎えた日本資本主義の中での女性戦略を追求する一国フェミニズムへと自閉していく、退行現象を示すことになったのである。(『フェミニズム入門』大越愛子 ちくま新書 135~139頁)

 福島の基礎データを踏まえ分析しておく必要がある。これは、開沼博という、福島県いわき市出身の東大院生が『「フクシマ論」 原子力ムラはなぜ生まれたのか』(青土社)で、なぜ福島県浜通り地方に原発が集中立地するようになったのかを内在的に解明すること、そしてそこから日本の戦後を問うているような問題意識は今後の福島の脱原発過程においても重要な意味を持つと考えるので、その前提となることを掴んでおきたいと思って調べている最中のもののメモの一部である。

 まず、福島県の就業者の構成を少し見てみる。これは震災前のものであるが、第1次産業従事者は3万388人である。3部門構成比では、第1次産業 7.6%、第2次産業29.2%、第3次産業60%で、第3次産業の割合が非常に高いということがわかる。

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福島ナビHPより  

平成21年 農業産出額(都道府県別)では,1位は北海道,2位は茨城県,3位は千葉県 ―
 農林水産統計によると,平成21年農業産出額(都道府県別)について都道府県別の順位は,北海道が1兆111億円で第1位,以下,茨城県(4,170億 円),千葉県(4,066億円),鹿児島県(4,005億円),宮崎県(3,073億円),熊本県(3,004億円),愛知県(2976億円),青森県 (2,664億円),栃木県(2,589億円),新潟県(2,588億円),との順となっている。

 福島県の農業産出額は,新潟県に次ぎ(2,450億円)と全国第11位である。その内訳は,米が実額で1,931億円・構成比38.7%と最大のシェアを占める。以下,構成比順で野菜22.3%,果実11.1%,鶏6.7%,食用牛5.6%,鶏卵5.0%である。

                ◆福島県の主な農産物と水産物

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 福島県民経済統計を見ると、3・11以前、リーマンショックの影響で、2009年に大幅なマイナス成長に陥っていたことがわかる。そこに、3・11大震災が襲った。そこで、こういう数字をこれからのデータを測る基準として頭に入れておく必要がある。これ以外にも予備的に確認しておかねばならないことがいろいろとある。震災後の短期の経済データもある。それと、平成22年度の県民経済計算統計も、福島県のHPにある。その分析は今後の課題である。

第1章 概要

【福島県経済】

~ 平成21(2009)年度の県経済は、名目・実質ともに大幅なマイナス ~
○県内総生産(名目) 7兆2,281億円(増加率△4.8%)
経済成長率(実質)△4.0%
○1人当たり県民所得 257万4千円(増加率△5.4%)
国を100とした所得水準96.8

 平成21(2009)年度の本県の県内総生産(名目)は△4.8%と3年連続でマイナスとなり、経済成長率(実質)は△4.0%と2年連続のマイナスとなった。
 前年度後半から続く世界的な景気悪化の影響により、生産面では製造業と電気・ガス・水道業が大幅に減少し、支出面では特に民間部門の在庫や設備投資が減少した。県内総生産(名目)が減少し、企業の利益などを含めた県民所得が減少したため、1人当たり県民所得は減少した。
 生産面(名目)では、第1次産業は減少した。農業、林業、水産業の全てで総生産が減少した。
 第2次産業は減少した。一般機械や電気機械などの製造業で大幅な減産がみられたため、総生産が減少した。第3次産業は減少した。電気・ガス・水道業、サービス業などが減少したため、総生産が減少した。
 分配面では、雇用者報酬は減少した。一人平均現金給与総額が減少したため、県民雇用者報酬が減少した。財産所得は減少した。家計部門では、金利低下により受取利子が減少したため、財産所得が減少した。企業所得は減少した。公的企業所得は増加したが、民間法人企業所得が減少したため、企業所得が減少した。
 支出面では、民間最終消費支出は減少した。家計部門では景気後退の影響により食料費などが減少した。政府最終消費支出は増加した。医療費や介護費などの社会保障給付が増加した。
 総資本形成は減少した。公共投資は増加したが、民間部門の在庫や設備投資が減少した。財貨・サービスの移出入は、移出、移入ともに減少した。

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