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3・11を総合的に考えるためのメモ

 テントの再稼働阻止リレーハンストが続いている。どうやら、5月5日までの大飯原発の再稼働は難しくなってきた。新聞(共同通信)の世論調査で、大飯原発の再稼働に反対が、約59%あり、多数となっている。同じ共同通信の世論調査で、野田政権の支持率が23%しかないことが明らかになっている。こんな状態で、再稼働を強行できるのかは、大いに疑問である。さらに、城南信用金庫本店で、脱原発地方自体首長会議が発足したことが報道されている。佐藤栄作久元福島県知事も参加し、福島県からは、桜井南相馬市長が呼びかけ人となっているし、オブザーバーで、井戸川双葉町長が参加している。大きいのは、原発立地自治体の茨城県東海村の村上達也村長が参加していることである。脱原発に向けて大きい主体が誕生した。このように多様な主体が次々と登場してくることは、革命的情勢の特徴の一つである。マスコミの報道だけを見ていると、そのことは感じられず、政府等が描いた「事態収束宣言」物語の筋書きどおりに進んでいるように感じられるかもしれない。しかし、物語は複数同時にかつ重層的に展開していて、様々なバリエーションを描きながら錯綜したまま動き続けている。物語は創造され続けており、それは「事態収束」物語を揺さぶっている。この同時並行して生み出され語られている物語を聴き取り、聞きわけることが必要である。なぜなら、物語る者は、先行する物語を受け取り、変奏していくからである。例えば、マスコミが作る物語を書き換える。あるいは、それに対して自らの位置取りをする、といったことをする。原発を受け入れた時に同時に受け入れて書き換えつつ内面化した物語を、今、現地の人は、3・11原発事故を受けて書き直しているところである。例えば、福島県立医科大学の副学長の山下氏の描いた放射能安全物語をいったん受け入れた人々が、別の物語を受け入れ、それを書き換えている。レントゲン検査を受けようとしない人が生まれている。あるいは、不安を訴えている。山下県立医大副学長や県当局の安全物語を信用していないのである。こうして、物語への態度は、人々の行動基準、判断基準、倫理基準を形成している。この次元をくりこまないでは、政治への大衆的信用はかちとれない。例えば、「原子力ムラ」の一角たる東大で、相変わらず誰もその責任を認めないし、責任を取らないままでは、その中の人間が言うことを簡単には受け入れられない。運動には、まだ、「原子力ムラ」に責任を取らせる力がない。権力を持つかれらをやめさせることもできない。責任を言葉の上だけでも認めさせられていない。その力がないのだ。しかし、大学当局や教授会には、かれらの責任を明らかにし、責任を取らせる力があるのではないか。かれらは強者であり、権力者である。それが、あたかも被害者のように振る舞い、装うのは、知的退廃を示しているのではないか。そんなことは許せない。事態が改善しない間は、「言い訳無用」という厳しい倫理的態度でのぞむしかない。実際に権力・権威を持つ者が被害者を装うなどもってのほかだ。

 中江兆民、陸 羯南、内村鑑三、『女工哀史』。それから、ネグリの関連で、クローチェ。それから、高橋哲哉氏の『沖縄と福島』(集英社新書)、横山源之助『日本の下層社会』、徳富蘇峰、幸徳秋水。中田力氏『日本古代史を科学する』(PHP新書)。『日本の下層社会』をハンドブックに、明治の東京のスラム跡、細民町跡をいくつか訪ねてみた。日本近代の主体の歴史について考えてみたいと思ったからというのと、それと福島のチベット問題あるいは福島チベット物語の関連を考えているからだ。都市下層社会と地方の「チベット」社会。その点で、高橋氏の『沖縄と福島』での日本近代の犠牲システムの被犠牲極としての共通性の存在の指摘は重要だと思った。東北学で、赤坂憲雄氏が、東北には近世に移植された被差別部落しかないと指摘しているのは興味深い。差別されない共同体としての部落は解放された部落じゃないのかと思えるからである。それから、なにかしら、ある種の現象論をたてて、それに、具体的なものを当てはめていくというやり方で、なにかを排除していくというのは、抑圧的であるということもそれらからわかる。例えば、高橋氏のキリスト教者の震災に関する言説批判はそのことを示している(内村鑑三の関東大震災論)。宗派的な言説が人を傷つけるという問題は、排除の構造を強化することでもたらされるというのである。例えば、天罰論・天恵論である。罰せられて当然とされる者とそうでない者を区別し、一方の排除を正当化する言説として天罰論があり、そのネガとして天恵論があるというのだ。戦後の反核運動の問題点、弱点を鋭く突いていると思う。これについてはそのうち取り上げてみたい。あとは、具体的な階級・階層分析をしたいということもある。雑誌『情況』は、そうした差別と闘い、それから人々を解放する武器となるだろう。差別についてもしっかりと考え、それを解明し、解決するという方向をしっかりと定める必要があり、それに邁進していかねばならない。くだらないちっぽけな宗派主義はその妨げでしかないから、それを打ち砕いて、前進していかねばならない。たいした決意のない者が適当なことを言ってその道をさえぎろうとするなら何者であろうとも覚悟を決めた方がいいということだ。差別の概念とその現実がある以上、それについて考え、考えを表明するのは、知識人の義務である。そこから逃げることは許されない。

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