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福島―脱原発の諸課題への覚え書き

 ネットのニュースを見ていたら、茨城県で6000人参加の脱原発集会があったという記事(東京新聞では3100人)と自民党中央が原発再稼働を認めるという記事があった。言うまでもなく、自民党は政権を握っていた時に一貫して原発を推進してきて、54基もの原発を作った張本人である。つまり、「原子力ムラ」の一員であったのであり、すでに震災関連で死者を出している福島第1原発事故の責任を取るべき政党である。しかし、自民党中央がそうであっても、福島の自民党はすでに脱原発に方針転換しており、福島県議会で、一部議員は投票をボイコットをしたが、共産党提出の脱原発決議に賛成している。自民党中央と地方の自民党とのねじれは、沖縄でも現れている。全国一律の政治方針を取ることが難しくなっているのである。以下、またしても、勝手なつぶやきであり、メモ書きである。

 先の3・11県民大集会が運動の一つの節目となったのは、保守も革新も「普天間県外移設」で一致して、自民党中央の方針と対立する要求を沖縄自民党が掲げざるを得なくなっているように、福島では、従来原発を推進してきた自民党までが、脱原発を掲げざるを得ないようになっているという状態を固めれば、それが中央政府への強い圧力となるからである。福島県民の圧倒的多数が、原発推進の野田政権のその方針にNOを突きつけたのである。これで、原発政策では、福島県民約200万人が政府方針不支持となったわけである。こうして、福島は、現政府の方針に対して、そして東電をはじめとする経団連の原発推進派大企業とも対立する立場に立った。この立場が頼みにできるのは、ただ、福島の多数の人々と全国・全世界の人々の支持・支援である。個人的には、3・24集会後、非常に心が軽くなった。野田政権がぼろぼろになっていくのを見ていると、当然の報いだと思うし、気分がよくなっていく。「原子力ムラ」が崩壊していくみたいで嬉しいのである。野田政権は人民を幸福にする政権ではない。一日も早く潰さなければならない。そして、3・11を政治利用する連中は大罰を受けますように!

 それと過去の原発関係の議論を見ていたら、1985年に、フェミニストの間で、エコロジー・フェミニストの青木やよひさんとマルクス主義フェミニストの上野千鶴子さんやラジカル・フェミニストの江原由美子さんなどとの間で議論があり、日本のエコロジー・フェミニズムが西欧諸国のエコ・フェミから10年遅れたというものがいくつかあった。大越愛子さんの『フェミニズム入門』という新書でもそのことが書かれてあった。その他、ネットで検索してみると、いくつかの文章がヒットした。その後、主に欧米諸国で続けられたエコ・フェミの議論が10年ほどたってから、再度、日本に入ってきて、ふたたび日本でもエコ・フェミの議論が活性化したということである。この間の反・脱原発運動で女性の活躍が目立つのは誰が見ても明らかだが、「子供を守れ」というスローガンを「産む性」としての母性を強調するもので、産まない女性、産めない女性を疎外するものとして反発する女性活動家があり、この議論の深化が問われていると思い、気になっていた。この論争での上野千鶴子氏の「現実の個人としての女性」という言い方は、現実的個人という概念への信仰のようなものに依拠し安住しているように感じられる。共同主観性(廣松渉)のような共同的なものを現実的な存在として感じるのだが、こういうものを、われわれは、近代的個人主義者たちによって、長年、錯覚だと思うように仕向けられてきたと今は確信している。われわれは自分個人だけを現実的なものとみなすように近代的個人主義イデオロギーを刷り込まれてきたのだ。それは押し付けであり抑圧であると感じる。だから、個人を安住できるような根拠にすることはできないと考えている。福島という立場に意識的に立った瞬間から、都市エゴが痛いように感じられるようになり、身体的に反応するようになる。例えば、脱原発運動の先頭に立って頑張っている鎌田慧氏の書いたものや発言にさえ、それが感じられるようになる(『現代思想』2011年10月号所収「拒絶から連帯へ」 で、鎌田氏は、核の廃棄物をどこに持っていくのかと問い、「廃棄物を福島に集めるのか。しかし福島は東京に近いでしょう」と述べて、東京の安全を福島の安全よりも優先して考えている)。逆に、同じように脱原発の闘いを闘っている落合恵子さんの3・24日比谷集会での発言には福島の立場に近いものを感じたし、それに同調する会場からの反応があったので、とても力が湧いた。それに対して、福島の「ふ」の字もない都市エゴ丸出しの反・脱原発運動はあまり居心地がよくない。

 上野千鶴子氏はマルクス主義フェミニズムという立場だったらしいが、『家父長制と資本制』を読んだ限りでは、その資本主義観は、労農派理論の引き写し程度のものにすぎず、マルクス主義を標榜したにしては、資本主義批判・分析は大したものではなく、通俗的なものにすぎないと思った。同じようなことを、今、討論会用に、東北学と並行して読んでいる『戦略の工場』(作品社)のネグリのこれと別の論考にも感じる。そこでのネグリの『資本論』の読解はあまりにもひどくて使いものにならない。また、日本の学者の多くが、自分の頭でものを考えられず、ただの外国からの輸入業者、翻訳屋になっているのが気にかかる。80年代、京都にいた頃、イリイチをやたらと担いでいる党派があったし、一種のイリイチ・ブームがあったのを思い出した。それは宗教っぽい感じがしてなんとなくちょっと気味が悪かった。

 それに対して、『東北学』創刊号(VOL.1)で、赤坂憲雄氏が色川大吉氏に、柳田国男の「常民像」と違うのは、「色川さんらが民衆史の掘り起こし作業を進める中で社会を変革していく主体としての民衆というものを浮かび上がらせたいというモチーフがあったことだと思います」(作品社 91頁)と述べたのに対して、色川氏が、「マルクス主義で歴史を作る主体というのは労働者のことを指すわけですが、そういう労働者など庶民のなかにはしたたかな意識というものがあって、足をすくう奴、うまく利用してジャンプする奴、いろんなのがいたのですね。そういうダイナミズムを歴史の記述の中に加えていきたいと思いました。それが私の民衆思想研究の骨格になったんです」(92頁)と答え、「何をコアとして民衆に接するか。やはり一番根っこのところで歴史をつくっていく原動力を蓄えた存在としての民衆、その一点から目を離さない」(同92~3頁)と言う。これは、まさにマルクスから学んだ基本命題、「民衆が歴史をつくる」である。色川氏は60年安保闘争の国会デモに参加する中で、民衆史の方向へ歩みを進めたようである。3・11後は、昨日まで通用した思想(個人主義もそのような過去の思想の一つだ)を過去のものにし、新たな思想を生み出し、集団的に新主体を出現させ、かれらの運動を媒介にして、新社会を実現する過程になることを確信している。60年安保闘争への参加を契機に、民衆史、民衆思想史の創造へと進んだ色川大吉氏と東北学という領域を切り開いた赤坂憲雄氏のような思想的パイオニアに共通するものが、「民衆が歴史をつくる」というマルクスが確信した命題と同じものであったことを確認できて、力を得た。

8 エコ・フェミ論争

†エコロジカル・フェミニズムの登場

 ウーマン・リブは、男性中心的な「愛と性」の体制を激しく撃つ運動として出発したが、その告発の相手として直接的に男性に向かう場面はむしろ少なく、男性原理を内面化させられていた自己の解剖へと内向していった。そして男性原理と決別し、固有の女性原理、再生原理の発見に到達した。その動向は、女性=自然とみなすエコロジカル・フェミニズムの登場と重なっていた。母性主義への回帰という動向をめぐって、再び激しい論争が始まった。
 八〇年代前半は、ヨーロッパを中心に反核運動が盛り上がり、グリーナム・コモンなどの米軍基地に対して女性たちの抗議運動が活発に取り組まれた。その際に行われた女性たちの非暴力的かつ生活に根ざした運動体験から、破壊的で反自然的な「男性原理」と異質な、自然と宥和した生活や協同、平和を求める「女性原理」を基盤にした、エコロジカル・フェミニズムが唱道された。エコ・フェミ的な自然と融和した生活形態は、近代資本主義に汚染されていない先住民社会や農村共同体に見出されるとして、前近代社会の民衆の宇宙的世界観に根ざした「女性原理」の発掘が試みられた。日本におけるエコロジカル・フェミニズムの唱道者、青木やよひは、文明化のプロセスを「自然の抑圧=身体の疎外=性の蔑視=性差別の発生」と解読して、女性原理的でエコロジカルな身体観の復活を、「女性性と身体のエコロジー」(一九八三)において次のように説いた。

「これまで一般に、男性が論理的・理性的であるのにたいして女性は感性的・直感的であるとされ、社会生活において、それがあたかも女性の劣等性でもあるかのように言われてきた。だが、その考えはいまや逆転されなければならない。もちろんこうした人間の資質には個人差が強く、性差だけがその決め手ではない。いわば、人間ひとりひとりの、うちなる女性性の回復が問われているのである。しかし、その母性機能ゆえに、女性はみずからの身体に関心度が高く、男性よりも身体感覚において敏感たらざるをえない条件をそなえている。心の砂漠化に抗して感性のエコロジーを求めようとするとき、これまでマイナスに記号化されてきたその身体性を、女性みずからがプラスに持ちかえるべきではないだろうか」。

 青木は、自然破壊的な生産中心原理に対して、自然宥和的な再生産原理の復活を説いたのであるが、彼女の中にあった女性=再生産原理とする本質主義的傾向が、フェミニストたちの猛然とした反発をかった。エコロジカル・フェミニズムに便乗して、近代的男女平等化を批判したイリイチなどの反近代思想の流行に対する警戒心もそのその背景にあった。マルクス主義フェミニズムの立場に立つ上野千鶴子は、エコロジカル・フェミニズムが内包している前近代的ジェンダー宇宙観への賛美や女性=女性原理とみなす本質主義的傾向を、「女は世界を救えるか」(一九八五)において鋭く批判した。

 「女性原理/男性原理」という象徴体系の中の性的分離のイデオロギーと、現実の女/男が、その象徴領域に排他的に配当される、ということとは、区別して考えなければならない。女性原理は、もしかして〈世界を救う〉かもしれない。しかし現実の女性は、女性原理を文化によって配当されてきただけであり、女性原理の枠内に封じこめられる理由もなければ、それを気負いこんで引き受ける理由もない。現実の個人としての女性は、男性と同じく、それ以上偉いわけでも劣っているわけでもない。ただの男が救えなかった世界が、ただの女に救えるはずもない」。

 現実主義者上野は、女性が象徴体系の一部にすぎない「女性原理」に囲い込まれて、現実社会に数多くある女性差別問題を不問に付することに警告を発したのである。特に「女性原理」が母性と結びつけられることに敏感に反応した。当時チェルノブイリの原発事故への危機感から、「子供を守る母性」の強調が反原発運動において盛り上がってきた状況もあった。母性主義の復活に対する警戒心から、上野以外の他のフェミニストたちも、エコロジカル・フェミニズムに批判的な論陣をはった。そこでエコロジカル・フェミニズムの本質主義的傾向の罠が強く指摘されたが、エコロジー危機に対するフェミニズムの取り組みという問題は脱落していった。
 エコロジカル・フェミニズムの問題提起は、自然破壊批判のみならず、先進工業国による第三世界の生活破壊に対する告発という側面をもっていた。だがエコ・フェミ論争の結果、日本のフェミニズムはエコ・フェミ的な問題との取り組みに対して熱意を喪失し、資本主義体制批判をネグレクトし始めた。先進工業国による第三世界の女性たちの生活破壊という問題に対しても無関心となり、バブル期を迎えた日本資本主義の中での女性戦略を追求する一国フェミニズムへと自閉していく、退行現象を示すことになったのである。(『フェミニズム入門』大越愛子 ちくま新書 135~139頁)

 福島の基礎データを踏まえ分析しておく必要がある。これは、開沼博という、福島県いわき市出身の東大院生が『「フクシマ論」 原子力ムラはなぜ生まれたのか』(青土社)で、なぜ福島県浜通り地方に原発が集中立地するようになったのかを内在的に解明すること、そしてそこから日本の戦後を問うているような問題意識は今後の福島の脱原発過程においても重要な意味を持つと考えるので、その前提となることを掴んでおきたいと思って調べている最中のもののメモの一部である。

 まず、福島県の就業者の構成を少し見てみる。これは震災前のものであるが、第1次産業従事者は3万388人である。3部門構成比では、第1次産業 7.6%、第2次産業29.2%、第3次産業60%で、第3次産業の割合が非常に高いということがわかる。

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「hyo2.xls」をダウンロード

福島ナビHPより  

平成21年 農業産出額(都道府県別)では,1位は北海道,2位は茨城県,3位は千葉県 ―
 農林水産統計によると,平成21年農業産出額(都道府県別)について都道府県別の順位は,北海道が1兆111億円で第1位,以下,茨城県(4,170億 円),千葉県(4,066億円),鹿児島県(4,005億円),宮崎県(3,073億円),熊本県(3,004億円),愛知県(2976億円),青森県 (2,664億円),栃木県(2,589億円),新潟県(2,588億円),との順となっている。

 福島県の農業産出額は,新潟県に次ぎ(2,450億円)と全国第11位である。その内訳は,米が実額で1,931億円・構成比38.7%と最大のシェアを占める。以下,構成比順で野菜22.3%,果実11.1%,鶏6.7%,食用牛5.6%,鶏卵5.0%である。

                ◆福島県の主な農産物と水産物

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 福島県民経済統計を見ると、3・11以前、リーマンショックの影響で、2009年に大幅なマイナス成長に陥っていたことがわかる。そこに、3・11大震災が襲った。そこで、こういう数字をこれからのデータを測る基準として頭に入れておく必要がある。これ以外にも予備的に確認しておかねばならないことがいろいろとある。震災後の短期の経済データもある。それと、平成22年度の県民経済計算統計も、福島県のHPにある。その分析は今後の課題である。

第1章 概要

【福島県経済】

~ 平成21(2009)年度の県経済は、名目・実質ともに大幅なマイナス ~
○県内総生産(名目) 7兆2,281億円(増加率△4.8%)
経済成長率(実質)△4.0%
○1人当たり県民所得 257万4千円(増加率△5.4%)
国を100とした所得水準96.8

 平成21(2009)年度の本県の県内総生産(名目)は△4.8%と3年連続でマイナスとなり、経済成長率(実質)は△4.0%と2年連続のマイナスとなった。
 前年度後半から続く世界的な景気悪化の影響により、生産面では製造業と電気・ガス・水道業が大幅に減少し、支出面では特に民間部門の在庫や設備投資が減少した。県内総生産(名目)が減少し、企業の利益などを含めた県民所得が減少したため、1人当たり県民所得は減少した。
 生産面(名目)では、第1次産業は減少した。農業、林業、水産業の全てで総生産が減少した。
 第2次産業は減少した。一般機械や電気機械などの製造業で大幅な減産がみられたため、総生産が減少した。第3次産業は減少した。電気・ガス・水道業、サービス業などが減少したため、総生産が減少した。
 分配面では、雇用者報酬は減少した。一人平均現金給与総額が減少したため、県民雇用者報酬が減少した。財産所得は減少した。家計部門では、金利低下により受取利子が減少したため、財産所得が減少した。企業所得は減少した。公的企業所得は増加したが、民間法人企業所得が減少したため、企業所得が減少した。
 支出面では、民間最終消費支出は減少した。家計部門では景気後退の影響により食料費などが減少した。政府最終消費支出は増加した。医療費や介護費などの社会保障給付が増加した。
 総資本形成は減少した。公共投資は増加したが、民間部門の在庫や設備投資が減少した。財貨・サービスの移出入は、移出、移入ともに減少した。

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