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徐京植氏『半難民の位置から』について

 徐京植氏の『半難民の位置から』(影書房)を読み始めた。

 そこで、氏は、「在日」を半難民と規定している。しかし、「在日」の中には、難民そのものがいることは明らかである。日帝からの解放後、朝鮮半島は分割統治、朝鮮民主主義人民共和国・大韓民国という分断国家が並立し、朝鮮戦争にまで至る内戦状態があった。米帝の後押しを受ける南の大韓民国李承晩政府は、国内の反体制派を徹底的に弾圧した。4・3済州島蜂起に際しては、「共産主義者の手先」とみなした住民を情け容赦なく殺した。住民の中には、半島へ逃げたり、日本に逃げた者もいた。政治的迫害による亡命者(難民)となったわけだ(国内に避難する国内難民もある。そして、ディアスポラという概念がある。それが、今、福島からの避難民の状態を表す言葉になりつつある)。この時、GHQも日本政府も、難民を人道的に保護することはなかった。戦時中には、ナチス・ドイツの迫害から逃れたユダヤ人難民を保護することが行われた。それが難民条約の元になる。

 帰国運動については、テッサ・モーリス・スズキ氏の『北朝鮮のエクソダス』(朝日新聞社)に詳しい。この時の帰国者には、南の出身者が多いことが指摘されているが、その背景に、この時代の日本及び朝鮮半島(韓国軍事政権の弾圧、経済的困難など)の状態があったことを踏まえておかなければ理解できないということが、わかった。

 徐京植氏の上記の本には、花崎皋平氏とのいわゆる徐・花崎論争の当該文書がある。花崎氏が、『みすず』(みすず書房)に書いた批判とそれに対す徐氏の反批判である。これは、1990年代後半に行われた歴史認識論争、あるいは歴史主体論争の一部をなしていて、戦後責任の主体をめぐる『敗戦後論』(加藤典洋)の評価や批判も載っている。この論争の決着は未だについていないように見える。そこに、現在の右派の跳梁跋扈の思想的背景があるのではないだろうか。

 花崎氏の批判が、「糾弾型」か「対話型」かというコミュニケーション・モードの対立というプラグマティックな方法論の次元で終わっているとしたら、この問題が解けないのも当然という気がする。高橋哲哉氏が責任編集した『「歴史認識」論争』(2002年 作品社)を読んだが、そこで、戦後責任に応答する主体としての「日本人」の政治的構築ということが言われていた。植民地主義の未清算、残存、あるいは現代思想風に言えば、「痕跡」の作用が続いているということだ。言い換えれば、それは、帝国主義の未清算ということだ。それが、「ダーバン宣言」が指摘、批判し、その清算を旧宗主国に求めたものだと考える。

 徐京植氏が1980年の難民条約締結後の出入国管理法(入管法)の出入国管理及び難民認定法への改定後の入管体制の変化を受けて、自らを「半難民」と位置づけたのには現実的根拠がある。

 これから、これらのことを少し詳しく考察していくつもりだ。

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