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2012世界難民の日・東京集会 入管法が変わる! 難民の子供たちの未来は?無事終了です

 6月30日 2012世界難民の日・東京集会「入管法が変わる! 難民の子供たちの未来は?」は、当該のクルド、イラン、エチオピアなど多数の難民とその家族の方々も参加して、盛況に終えることができました。7月9日の改定入管法施行を前にして、その問題点について考え、批判する集会が持たれたことには大きな意義があったと考えます。第2部のクルドっ子たちの寸劇で、子供たちもがんばりました。

 入管改定の経緯を見ると、財界などの意向が色濃く反映していることは明らかです。当事者たちの意思・意見などはまったく無視されていて、かれらのあずかり知らぬところで、全てが決められました。財界の意見書などを見ると、まったく難民問題には触れておらず、かれらは難民の存在を見ていません。存在の認知すらしていません。どうしてそんなかれら一握りの人間たちが難民の生活や生存を大きく左右する入管制度を決定するのだろうかとその不条理を感じつつ、改定入管法施行後の混乱やトラブルがすでに目に見えているので、対応を急がねばならないと思いました。

 7月7日には、移住連などの改定入管法施行に反対する集会があります。7月9日施行日にも取り組みがあります。改定入管法施行後に様々なトラブルが起きることは確実です。情報を集め、実態を把握したうえで、適確に対応していかなければなりません。

 それから、難民性の理解を深めた上で、「在日」=「半難民」と難民(難民申請者も)との協同・交流・連帯を拡大、深化させる必要があります。そして、インターナショナリズムに基づく国際連帯の実践を拡大・深化させ、全国的連帯、国際連帯の強い絆を構築する必要があります。7・7は、盧溝橋事件の起きた日(1937年)であり、華青闘告発があった日(1970年)でもあります。そこから学ばなくては、国際連帯の深い内容を獲得できません。それから、差別・排外主義攻撃に対しては、勇気の徳を持たねばなりません。

 以下は、善隣学生会館事件の真相を探るhttp://konansoft.com/zenrin/html/huajingtou77.htmにある資料です。この時から、今日まで、この領域の問題をめぐって、例えば、抑圧―被抑圧関係や民族とは何かや責任とは何かとか、いろいろな点について多くの側面から様々な議論が行なわれてきました。その成果を総括し、今日における回答を出さなければならないと考えます。特に、新左翼系、ノンセクトも思想的後退が甚だしく、この領域について無思想のまま平然としている日本共産党並みの低レベルに近づいているのは痛恨事です。ただ誰かをスケープゴートにして悪口を言ってお終いとか、知ったかぶりしてみたり、売名行為に走ったり、自然発生性へのたんなる追随をこととしてみたり等々のことが広まりつつあるやに見えます。ここらへんでしっかりと過去から学び、教訓をしっかり自分のものにして、思想の再構築、自己点検を行わないと、ただただ自然発生性に流されて、とんでもないところに漂着することになりかねないと自戒しています。

 七・七集会における華青闘代表の発言

七・七人民大集会において華僑青年闘争委員会の代表が行った発言の要旨を次に掲載する。これはメモから再生したものなので不正確であることを免れないが、文責はすべて編集局にある。

 本日の集会に参加された抑圧民族としての日本の諸君!

 本日盧溝橋三十三周年にあたって、在日朝鮮人・中国人の闘いが日本の階級闘争を告発しているということを確認しなければならない。芦(ママ)溝橋三十三周年の問題と、在日朝鮮人・中国人の問題とは密接不可分であり、日本人民はそれを知るべきである。諸君は日帝のもとで抑圧民族として告発されていることを自覚しなければならない。

 今日まで植民地戦争に関しては帝国主義の経済的膨張の問題としてのみ分析されがちであったが、しかし日本の侵略戦争を許したものは抑圧民族の排外イデオロギーそのものであった。

 今日、日・朝・中人民が分離されたかたちでマルクス主義が語られており、日本国家権力と日本人民、日本国家権力と中国人民、日本国家権力と朝鮮人民という形での分離が存在し、そういう形で植民地体制が築かれてきたが、それは分離したものではない。日本人民は三者の中でどうするのか。抑圧民族という自己の立場を自覚しそこから脱出しようとするのかそれとも無自覚のまま進むのか。立場は二つの分かれている。

 なぜわれわれは、本日の集会に向けての七・七実行委を退場しなければならなかったのか。闘う部分といわれた日本の新左翼の中にも、明確に排外主義に抗するというイデオロギーが構築されていない。日帝が敗北したとき、ポツダム宣言を天皇制が受けたかたちになり、日本人民がそれを避けられなかったところに、 日本人民の排外主義への抵抗思想が築かれなかった原因がある。

 七・七集会を日本の新左翼が担うことは評価するが、それをもって入管体制粉砕闘争を怠ってきたことを免罪することはできない。七月三日の実行委員会に集中的にあらわれたように、七・七集会を全国反戦・全国全共闘の共催に使用(ママ)とする八派のすべてが、入管闘争の一貫した取りくみを放棄しており六九年入管闘争を党派として総括することができなかった。また各派は、なぜ六五年日韓闘争において、法的地位協定の問題を直視しなかったのか。六九年入管闘争を闘っていたときも入管法を廃棄すればプロレタリア国際主義は実現することになるといった誤った評価が渦巻いていた。しかもそれは大学立法闘争にすりかえられ、十一月闘争の中で霧散し消滅し、今年一月、華青闘の呼びかけによってようやく再編されていったのだ。

 このように、勝手気ままに連帯を言っても、われわれは信用できない。日本階級闘争のなかに、ついに被抑圧民族の問題は定着しなかったのだ。日韓闘争の敗北のなかに根底的なものがあった。日本階級闘争を担っているという部分にあっても裏切りがあった。日共六全協にあらわれた悪しき政治的利用主義の体質を、 われわれは六九年入管闘争のなかに見てしまったのである。今日の日共が排外主義に陥ってしまったのは必然である。

 われわれは、このかん三・五の「三・一朝鮮万才革命五十一周年入管法阻止決起集会」と四・一九の「南朝鮮革命十周年、全軍労闘争連帯、安保粉砕、沖縄闘争勝利、労学窓決起集会」で声明を出し、その内容を諸君らが受けとめ自らの課題として闘っていくことを要求した。四・一九革命に無知でありながら国際闘争を語るようなことでどうするのだ。

 われわれは戦前、戦後、日本人民が権力に屈服したあと、我々を残酷に抑圧してきたことを指摘したい。われわれは、言葉においては、もはや諸君らを信用できない。実践がされていないではないか実践がないかぎり、連帯といってもたわごとでしかない。抑圧人民としての立場を徹底的に検討してほしい。

 われわれはさらに自らの立場で闘いぬくだろう。

 このことを宣言して、あるいは訣別宣言としたい。

(中核派機関紙「前進」1970年7月13日3面)

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