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2012年7月

3・11と戦後問題ノート

 加藤典洋氏の『敗戦後論』(講談社)が議論を呼び起こしたのはなぜなのだろうか。同書を読んでみてもよくわからなかった。しかし、文芸別冊『さよなら吉本隆明』(河出書房新社)に載っている「吉本隆明――戦後を受け取り、未来から考えるために」というインタビューとみられる文章を読んでみて、多少その理由がわかった気がする。この文章は全体的には言い訳的であるが、氏は、3・11東日本大震災と福島第1原発事故で考え方が大きく変わりつつあるということを語っている。かれは、そこで、それまで、こういうリスクについてまともに考えたことがないということをある意味率直に認めているのだが、それを自分の思想や思考の限界とか怠慢とか無力であったこととしてはまったく反省していないのである。相変わらず、かつての論争の際の基本姿勢である無責任なままというか、責任概念があいまいというか、一面的で、それに捉われて、問題を、包括的、総合的に考えられないのである。 

 この論争の基軸は「戦後」観であり、その点で真っ向から対立したのは高橋哲哉氏であろう。彼の『戦後責任論』(講談社学術文庫)は、「戦後」論から始まっている。それに対して、加藤氏の「戦後」は、核兵器をはじめとする軍事力・暴力による脅しで「押しつけられた」平和憲法を持つ「ねじれ」たものである。そこで、「汚れた」のは、上の文章によれば、ルソーが『社会契約論』で一番苦慮した「社会契約の世代間の伝授」の問題と同じような問題だという。あるいは、戦後における社会契約の不完全性ということを問題にしているのである。だから、彼は憲法の自主的な選び直しを主張したのだ。社会契約が不完全で瑕疵を含んでいる以上、契約不履行の責任は曖昧であるほかはないし、自分がその責任を負う必要性も薄いということになる。アメリカによって外から押しつけられたにも関わらず、日本人の中で、なぜ、この憲法を内在的価値を認めて保持しようとする人が多くいるのだろうかという問いに対する彼の答えは宙ぶらりんになっている。

 彼は自ら問いを立てながらそれに応えないまま今度は歴史認識の図式を持ちだす。かつて、『敗戦後論』で、日本の戦後の「ねじれ」を問題にして、「では日本の戦後という時間が、いまなお持続しているもう一つの理由は、いうまでもなく、日本が他国にたいして行ったさまざまな侵略的行為の責任を、とらず、そのことをめぐり謝罪を行なっていないからである」(同上10ページ)と述べているが、それもいつの間にか忘れ去られ、戦後はどんどんかすんできて、今や、戦後という枠ではなく、脱戦後という枠で考えなければならないというまったくの忘却、物忘れに陥っている。

 いったん結ばれた社会契約はどのようにして世代間で伝授されるのかという氏の問いへの一つの答えは、教育や刷り込みによって、経験で学ぶことによって、そして、国家が強制することによって、というものである。国家=暴力装置を背景にした強制=同意(グラムシ)によって社会契約は世代間で継承される。しかし、社会契約は廃棄=再契約される場合もある。すなわち、革命というものがある。

  記憶、忘却をめぐって、高橋哲哉氏は、『戦後責任論』で、映画『ショアー』やシェークスピアの『ハムレット』を題材に論じている。そこでは亡霊的という性格が問題にされている。あるいは、痕跡、トラウマ的傷、そこから再帰的に記憶が現れるという問題。それは言うまでもなく、物語という形式をとって再帰するのである。そして、弔い、喪の問題が浮上する。喪は開けたのかどうかが死者との関係を測る尺度となる。先の侵略戦争の死者たちの喪はすんだのか? 犠牲を強いられた生者に対する責任を果したのか? それらの根底に正義というものがあり、それが法による裁きを要求する。それのない忘却は、それ自体が正義に反する裁きの対象となる。それは再帰する。3・11は、福島をそうした場所にした。死者はすでに多数いる。かれらの喪はどうなるのか。避難所での死、避難中の死、自殺、そして緩慢な死、未来の「可能性」としての死。それを見ないことによって、原発再稼働ははじめて可能となる。だから、電力会社幹部社員は、原発事故での直接の死者はいないと言って、原発再稼働を主張できたのだ。 自民族内の死に対してさえ喪の回避が行なわれている。しかし、かれらは物語を残し、そこに記憶され、再生され、社会的な生を与えられている。人々が語る物語の中で喪を待っている。喪は、物語の変容、仏教的に言えば、成仏の物語へと変わらない限り、何度も亡霊として再帰する。今、福島には自ら亡霊となる覚悟をした人々の闘いがある。生そのものが闘いであるという闘いがある。それはわたしがまさに共産主義運動と考えるものそのものである。

 加藤典洋氏の先の文章を読んでもまったくそんなものはない。ウルリヒ・ベッグの『危険社会』(法政大学出版局)だの見田宗介の社会学だのの視点があげられているだけだ。彼が言うように、それらは3・11を考える上で重要な視座を提供しているのは間違いない。
 3・11によってわれわれがベッグが言う「原子力時代の危険は全面的かつ致命的である」(同書2ページ)ということについて否応なく直面させられた。それが近代の「産業社会=階級社会」(マックス・ウェーバー、マルクス、同24ページ)の性格からきているというのも確かである。
 ベッグは、「驚くべきことに、人間の健康と生活にさまざまな面で影響を及ぼす環境の負荷と自然破壊は、高度に発達した社会にのみ発生するものであるにもかかわらず、そこでは社会的思考が欠落しているのである。これに加えて奇怪なのはこの社会的思考の欠落には誰も――社会学者ですら――気づかないことである」(同33ページ)と指摘しているが、これは3・11以降、原子力ムラの学者たちの言説に見られたものと一緒である。つまり、3・11震災と福島第1原発事故は、たんなる自然現象のごとくに考えられ、見られている。ベッグはその「まなざし」を問題にしているのである。その「まなざし」の奇怪さを。そして、彼は、新しい危険は、知識に依存するものとなって、人々にとって経験的に自明なものでなくなっているということを指摘している。これは科学社会学で問題になっている重要な論点である専門知と人々の関係などにつながっている。

 そして3・11後まさに今われわれが問われていること、すなわち、「危険は、計算や実験の結果によって明らかになるのではない。いかに技術的な体裁をとっても、問題は、遅かれ早かれ、それを受け入れるか否かということになる。そして、どのように生きたいのか、という古くて新しいテーマが浮上してくる。つまりわれわれが守らなくてはならない人間のうちの人間的なるものとは何か、自然のうちの自然なるものとは何なのかという問題といってもよい。「破局的事件」の可能性をいろいろ語るということは、この種の近代化の進展を望まないという規範的な判断を、極端な形で述べることに他ならない」(同38ページ)ということがある。そして、ベッグは、倫理の問題が浮上するという。すなわち、善悪の問題。そして正義の問題、正義感覚が。それは加藤典洋氏の論考にあまり登場しないし、論じない点である。
 その原因は、氏によれば、戦前に信じ込まされた皇国イデオロギーの「義」が、敗戦によって、ねじれてしまって、戦後、義を再度確立する手続きに瑕疵があって「汚れた」ので、戦後の正義は本当の意味では成立していないからだというのである。しかもそれを主に文学者という知識人の言動から読み取るという典型的な知識人主義や「文学青年」的な立場で捉えようとしているのである。彼の3・11論もその程度のものにしかならないだろうということは、先の論考でも、ベッグ、見田などとネグりの『帝国」を対照して読もうとしていることでもう端から見えている。

 わたしが3・11を社会的に思考するとしたら、例えば、浪江町のエム牧場で、市場価値のない牛たちを飼い続け子牛を産ませ続けている吉沢さんが、なぜそうしているのかを考える。吉沢さんは、汚染牛の殺処分は国・東電による証拠隠滅であると批判して、生き証人として牛たちを育て続けているのである。それは深く鋭くすごい闘いだと思う。それは、「大衆の原像」とやらを語った吉本隆明にもないし、吉本を戦後から脱戦後へと思考の枠組み変更しようとした先駆者として評価する加藤氏にもないものだ。なんて小っぽけな人たちなんだろう!

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「悪事は成功の鍵」?

 アメリカ資本主義の中枢部、金融資本のセンターのウォール街の金融機関幹部の4人に1人が「悪事は成功の鍵」と考えているという調査結果の記事があったので、なにか書こうと思っていたら、今度は、日本のスズキ自動車のインドの工場で労働者の暴動が起きたという報道があった。

 「悪事は成功の鍵」という基準が金融界で、例外ではなく一般的なものになる可能性がある。なぜなら、他が悪事で成功しているのに対してライバルたちは、自分たちも競争によって、悪事によって対抗しなければ自分たちが敗者になってしまうと考える可能性が高いからである。それから、悪事によってしか成功しないということになれば、そのシステムは終わりである。正当性の根拠が失われるからだ。福島第一原発事故は、日本の政府や東電などの無責任さ、モラル崩壊、反社会性が根強く存在していることを浮き彫りにした。電力、重電メーカーはこれまで日本資本主義の基幹産業として財界でも重きをなしてきた大独占企業であるが、それがここまでの大事故を引き起こしながらなお再稼働を求めるというとんでもない無責任なことを言っている。しかし、その背後に、これらの企業に出資している金融資本の利害があるということが明らかになっている。米国流新自由主義という企業の自由を拡大しようというイデオロギーの下で、アメリカの後追いをする日本の金融資本が見習おうとしているのは、「悪事は成功の鍵」と考える者が4分の1もいる米国金融界ということなのだろう。

 「金融機関の専門家の間で不正行為が常態化しているのなら、金融システム全体の信頼性もリスクにさらされている」のであり、ギリシャの経済危機がそうだったように、国家規模でもそうした不正が行なわれ、その結果として、経済危機が生じるというのは当然である。つまり、悪事は現体制にとっての偶然事ではなかったのである。

 スズキのインド工場での暴動は、労働者の規範問題をめぐる労使交渉が暴動に転化したということのようだが、数週間の労働争議による損失は5億ドル以上になり、株価は8.2%下落したという。言うまでもなく、アメリカの金融界は、この情報に注目し分析して投資戦略を立てていることだろう。その際に、この過程で不正をしてでも「成功」=儲けようとする者が4分の1いるということを想定しなければならない。それに対して、不正をしないで「成功」を目指す者もいることだろう。今のところ、それが4分の3いるということになっている。こうして、インドで起こった労働者の暴動はウォール街の金融資本の悪事による成功への野望の対象となるかもしれないという具合に繋がっているのである。

 いずれにしても、「悪事は成功の鍵」なら、「戦争も成功の鍵」と思いだす者がいてもおかしくない。「資本家も馬鹿ではないから自分が損するような戦争はやらない」と言う人があったが、「悪事は成功の鍵」と考える馬鹿が4分の1を占めるウォール街の金融界で、「悪事」で成功する者は利口なのかそれとも馬鹿なのかが判然としなくなっているのは、体制の深い腐敗と末期症状を示していると言えよう。

金融機関幹部の4人に1人、「悪事は成功の鍵」=調査
2012年 07月 10日

[10日 ロイター] ウォール街などで働く金融機関の幹部を対象に法律事務所Labaton Sucharowが行った調査で、悪事や不正行為が成功の鍵と考えている人が全体の約4分の1に上ることが分かった。

 同調査は、米国と英国で金融機関の幹部500人を対象に実施。全体の26%が、職場で悪事や不正が行われているのを見聞きしたと回答。金融サービスのプロとして成功するためには、非倫理的または不法な行為も必要だと認める人の割合は24%となった。また、回答者の16%は、罰を受けずに済むならインサイダー取引を行うとしている。

 倫理規範や法律を違反させる要因は報酬体系にあるとの回答は約3割に上った。

 Labaton Sucharowのジョーダン・トーマス氏は「金融機関の専門家の間で不正行為が常態化しているのなら、金融システム全体の信頼性もリスクにさらされている」としている。

 大手金融機関をめぐっては、LIBOR(ロンドン銀行間取引金利)の不正操作問題で先に英銀バークレイズ(BARC.L: 株価, 企業情報, レポート)が巨額の課徴金を課せられたばかり。この問題については、米シティグループ(C.N: 株価, 企業情報, レポート)や英HSBC(HSBA.L: 株価, 企業情報, レポート)、UBS(UBSN.VX: 株価, 企業情報, レポート)、RBS(RBS.L: 株価, 企業情報, レポート)なども当局の調査を受けるなど、他の金融機関にも広がりを見せている。

印マルチ・スズキの工場で労働者の暴動、生産停止 1人死亡・邦人2人負傷
(2012年07月19日ロイター)

 ◎暴動で1人死亡・90人以上が負傷=マルチ・スズキ

 ◎マネサール工場は19日も生産停止

 ◎インド株式市場のマルチ・スズキ株は一時8.2%急落

 [ムンバイ/東京 19日 ロイター] スズキ(7269.T: 株価, ニュース, レポート)のインド子会社であるマルチ・スズキ(MRTI.NS: 株価, 企業情報, レポート)は18日、インド北部のマネサール工場で労働者による暴動が発生し、自動車生産を停止したと明らかにした。

 マルチ・スズキによると、同工場では従業員の規律問題をめぐって労組が行っていた抗議行動が暴動に発展し、マネジャーや幹部を含む少なくとも90人が負傷して病院に搬送された。工場の施設も放火された。

 広報担当者によると、現在は警察当局が事態の収拾に当たっている。

 日本のスズキの広報担当者によると、現地作業員1人が死亡した。このほか、日本人駐在員2人が殴られて負傷し、入院中だが、命に別条はないという。

 マルチ・スズキの広報担当者は、暴動が発生したマネサール工場の操業を19日も停止することを明らかにした。

 マネサール工場では昨年も労働者による暴動が数週間続き、5億ドル以上の被害を受けた経緯があり、今回も工場閉鎖が続けば、自動車生産が深刻な打撃を受ける可能性がある。

 マネサール工場の年産能力は55万台で、マルチの生産全体のおよそ3分の1を占めている。

 19日のインド株式市場では、マルチ・スズキの株価が一時8.2%急落した。

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差別の顕在化

 最近、被差別者自身が差別されているということを表明するのに接することが増えている。一番多いのは、沖縄の人々である。言うまでもなく、それは、普天間基地県外移設をオール与党で訴え続けているにも関わらず、それに対して、政府も本土の人々からも、それを具体化する動きもないし、それを促す声があまり聞こえないからである。つまり、差別の一つの形態である「シカト(無視)」されていると感じているせいだろう。大湾宗則(京都沖縄県人会代表)さんによると、これまでも差別構造があるのはわかっていたが、あえて差別されているとは表に出して言わなかっただけなのである。それから、3・11後、福島に関して、インターネット内で、差別的な言葉が飛び交っているということを、『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社新書)で、高橋哲哉氏が書いている。障害者からも似たようなことを聞いた。いわゆる活動家の中からも差別的な言葉を聞くこともある。まったくストレートに意識的に差別的言辞(ヘイト・スピーチ)を街頭で公然と叫ぶ新たな右翼も登場してきた。

 先に7・7華青闘告発を載せたのは歴史的資料としてである。この告発をそれから40年以上経つ今日読むと、以前読んだときとはまったく違った「まなざし」で見える。したがって、別に、これを今日にそのまま持ってきてそのまま適用しようというつもりはないし、そんなことは不可能である。しかし、上に書いた状況は、これを新たな視点で読み直す必要性があることを指示していると思う。というのも、おそらく、20年以上、「共生」というキーワードで差別問題の解決を目指すという花崎皋平氏的なコミュニケーション・モードが、反差別運動の中でかなり広まっているように見えるが、上の現象は、果たして、それが、花崎氏が期待した通りの「効果」をもたらしているのかどうかを検証する必要があることを示していると思えるからである。徐・花崎論争は、「外国人への差別を許すな 川崎連絡会議 http://homepage3.nifty.com/hrv/krk/index.html」の崔勝久氏によれば、徐氏の勝ちだったそうである。崔氏は「人権の実現について―「在日」の立場から」という文章で、直接触れていないが、この論争に対する氏の見解を書いたという。氏は、「在特会」と思われる人物からの電話での会話を取り上げ、以下のように書いている。

彼らは韓国の「慰安婦」であったハルモニたちの告発をどのように聞くのか。それは別に当時では当たり前のことであって今更問題にする方がおかしいとうそぶくのだろうか。耳と心を閉ざしたまま、慙愧の気持ちを後の世代に伝えることなく、彼女たちの告発を「理解」しようとせず死んで行くのであろうか。 その告発を受けとめ彼女たちを「理解」するという行為は、植民地支配の歴史とその中で生きざるをえなかった己自身をどう受けとめるのかという、社会と自己への徹底した洞察を通して「常識」を疑う視点を明確にしていく作業なくしてはありえない。

 これと関連するが、赤坂憲雄氏は、中沢新一氏との対談で、「新しい歴史教科書」を神話学の成果も考古学の成果も取り入れていない粗雑なもので、それが人々を幸福にすることなどありえないと批判し、中沢氏の「人間なんだから悪いこともしますよ。とくに戦場に行ったら、そういうことにいやおうなく直面するでしょう。それを歴史の出来事として人間の実存としてちゃんと見ればいい。他の国もやっているじゃないかなんて言い逃れはしない方がいい。やったら認める。それで尊厳が失われたりはしないのだから」という発言を受けて以下のように語っている。

 その時にアジアに向けて開かれた日本文化論は大きな力になると思います/……アメリカの原爆投下というのは最大の戦争犯罪だと思います。しかし、それを唯一の被爆国である日本人が批判できないというのは、戦争で自分のやったことをきちんと対象化できていないからだと思う。原爆の問題をきちんと批判できる場所にまで歩みを運ばなかったら、われわれは戦後を抜け出せずに、これからも精神的な捻れの中で抑圧を感じ続けるような気がします」(特別インタビュー日本文化に開ける風穴 『東北学VOL.5』2001年10月 作品社 24~5ページ)。

 ここには、加藤典洋の『敗戦後論」(1997年8月 講談社)が呼び起こした論争点(戦後の「ねじれ」)に関わる部分がある。

 崔氏は、差別を、「見ても「見え」ず、知っていても「理解」することがない」(「人権の実現について―「在日」の立場から」)ものとして捉えている。すなわち、それは「まなざし」であるというのである。それに対して、花崎氏が、徐氏の見解に対する批判として持ち出している心理劇は、あまりにも通俗的であり、またパターン化されていて、結局は氏の「対話型」コミュニケーション・モードとの形式主義的で空疎な二項対立に還元されてしまっていることに、徐氏が困惑したのも無理からぬことと言わざるを得ないものだ。しかし、現実的には、「糾弾型」コミュニケーション・モードではなく、「対話型」コミュニケーション・モードによる「共生」が運動においても、行政においても、推進されてきた。その数十年をどう総括するか。それによって差別は解消に向かったのだろうかと問うてみる必要がある。それを痛感させる出来事が増えていると判断せざるを得ないのである。

 7・7華青闘告発は、「糾弾型」コミュニケーション・モードの「告発文」の典型のように見えるが、現時点で読み返してみると、もっと違った意味内容を持つテキストとして読めるし、「告発」=「法廷」モードと、閉じた読み方をした花崎氏のような「まなざし」ではない別の「まなざし」で読むことが可能だと思う。例えば、かれらが告発した70年時点の階級闘争と今の階級闘争では、階級の中身が大きく変化しているのである。

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2012世界難民の日・東京集会 入管法が変わる! 難民の子供たちの未来は?無事終了です

 6月30日 2012世界難民の日・東京集会「入管法が変わる! 難民の子供たちの未来は?」は、当該のクルド、イラン、エチオピアなど多数の難民とその家族の方々も参加して、盛況に終えることができました。7月9日の改定入管法施行を前にして、その問題点について考え、批判する集会が持たれたことには大きな意義があったと考えます。第2部のクルドっ子たちの寸劇で、子供たちもがんばりました。

 入管改定の経緯を見ると、財界などの意向が色濃く反映していることは明らかです。当事者たちの意思・意見などはまったく無視されていて、かれらのあずかり知らぬところで、全てが決められました。財界の意見書などを見ると、まったく難民問題には触れておらず、かれらは難民の存在を見ていません。存在の認知すらしていません。どうしてそんなかれら一握りの人間たちが難民の生活や生存を大きく左右する入管制度を決定するのだろうかとその不条理を感じつつ、改定入管法施行後の混乱やトラブルがすでに目に見えているので、対応を急がねばならないと思いました。

 7月7日には、移住連などの改定入管法施行に反対する集会があります。7月9日施行日にも取り組みがあります。改定入管法施行後に様々なトラブルが起きることは確実です。情報を集め、実態を把握したうえで、適確に対応していかなければなりません。

 それから、難民性の理解を深めた上で、「在日」=「半難民」と難民(難民申請者も)との協同・交流・連帯を拡大、深化させる必要があります。そして、インターナショナリズムに基づく国際連帯の実践を拡大・深化させ、全国的連帯、国際連帯の強い絆を構築する必要があります。7・7は、盧溝橋事件の起きた日(1937年)であり、華青闘告発があった日(1970年)でもあります。そこから学ばなくては、国際連帯の深い内容を獲得できません。それから、差別・排外主義攻撃に対しては、勇気の徳を持たねばなりません。

 以下は、善隣学生会館事件の真相を探るhttp://konansoft.com/zenrin/html/huajingtou77.htmにある資料です。この時から、今日まで、この領域の問題をめぐって、例えば、抑圧―被抑圧関係や民族とは何かや責任とは何かとか、いろいろな点について多くの側面から様々な議論が行なわれてきました。その成果を総括し、今日における回答を出さなければならないと考えます。特に、新左翼系、ノンセクトも思想的後退が甚だしく、この領域について無思想のまま平然としている日本共産党並みの低レベルに近づいているのは痛恨事です。ただ誰かをスケープゴートにして悪口を言ってお終いとか、知ったかぶりしてみたり、売名行為に走ったり、自然発生性へのたんなる追随をこととしてみたり等々のことが広まりつつあるやに見えます。ここらへんでしっかりと過去から学び、教訓をしっかり自分のものにして、思想の再構築、自己点検を行わないと、ただただ自然発生性に流されて、とんでもないところに漂着することになりかねないと自戒しています。

 七・七集会における華青闘代表の発言

七・七人民大集会において華僑青年闘争委員会の代表が行った発言の要旨を次に掲載する。これはメモから再生したものなので不正確であることを免れないが、文責はすべて編集局にある。

 本日の集会に参加された抑圧民族としての日本の諸君!

 本日盧溝橋三十三周年にあたって、在日朝鮮人・中国人の闘いが日本の階級闘争を告発しているということを確認しなければならない。芦(ママ)溝橋三十三周年の問題と、在日朝鮮人・中国人の問題とは密接不可分であり、日本人民はそれを知るべきである。諸君は日帝のもとで抑圧民族として告発されていることを自覚しなければならない。

 今日まで植民地戦争に関しては帝国主義の経済的膨張の問題としてのみ分析されがちであったが、しかし日本の侵略戦争を許したものは抑圧民族の排外イデオロギーそのものであった。

 今日、日・朝・中人民が分離されたかたちでマルクス主義が語られており、日本国家権力と日本人民、日本国家権力と中国人民、日本国家権力と朝鮮人民という形での分離が存在し、そういう形で植民地体制が築かれてきたが、それは分離したものではない。日本人民は三者の中でどうするのか。抑圧民族という自己の立場を自覚しそこから脱出しようとするのかそれとも無自覚のまま進むのか。立場は二つの分かれている。

 なぜわれわれは、本日の集会に向けての七・七実行委を退場しなければならなかったのか。闘う部分といわれた日本の新左翼の中にも、明確に排外主義に抗するというイデオロギーが構築されていない。日帝が敗北したとき、ポツダム宣言を天皇制が受けたかたちになり、日本人民がそれを避けられなかったところに、 日本人民の排外主義への抵抗思想が築かれなかった原因がある。

 七・七集会を日本の新左翼が担うことは評価するが、それをもって入管体制粉砕闘争を怠ってきたことを免罪することはできない。七月三日の実行委員会に集中的にあらわれたように、七・七集会を全国反戦・全国全共闘の共催に使用(ママ)とする八派のすべてが、入管闘争の一貫した取りくみを放棄しており六九年入管闘争を党派として総括することができなかった。また各派は、なぜ六五年日韓闘争において、法的地位協定の問題を直視しなかったのか。六九年入管闘争を闘っていたときも入管法を廃棄すればプロレタリア国際主義は実現することになるといった誤った評価が渦巻いていた。しかもそれは大学立法闘争にすりかえられ、十一月闘争の中で霧散し消滅し、今年一月、華青闘の呼びかけによってようやく再編されていったのだ。

 このように、勝手気ままに連帯を言っても、われわれは信用できない。日本階級闘争のなかに、ついに被抑圧民族の問題は定着しなかったのだ。日韓闘争の敗北のなかに根底的なものがあった。日本階級闘争を担っているという部分にあっても裏切りがあった。日共六全協にあらわれた悪しき政治的利用主義の体質を、 われわれは六九年入管闘争のなかに見てしまったのである。今日の日共が排外主義に陥ってしまったのは必然である。

 われわれは、このかん三・五の「三・一朝鮮万才革命五十一周年入管法阻止決起集会」と四・一九の「南朝鮮革命十周年、全軍労闘争連帯、安保粉砕、沖縄闘争勝利、労学窓決起集会」で声明を出し、その内容を諸君らが受けとめ自らの課題として闘っていくことを要求した。四・一九革命に無知でありながら国際闘争を語るようなことでどうするのだ。

 われわれは戦前、戦後、日本人民が権力に屈服したあと、我々を残酷に抑圧してきたことを指摘したい。われわれは、言葉においては、もはや諸君らを信用できない。実践がされていないではないか実践がないかぎり、連帯といってもたわごとでしかない。抑圧人民としての立場を徹底的に検討してほしい。

 われわれはさらに自らの立場で闘いぬくだろう。

 このことを宣言して、あるいは訣別宣言としたい。

(中核派機関紙「前進」1970年7月13日3面)

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