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3・11と戦後問題ノート

 加藤典洋氏の『敗戦後論』(講談社)が議論を呼び起こしたのはなぜなのだろうか。同書を読んでみてもよくわからなかった。しかし、文芸別冊『さよなら吉本隆明』(河出書房新社)に載っている「吉本隆明――戦後を受け取り、未来から考えるために」というインタビューとみられる文章を読んでみて、多少その理由がわかった気がする。この文章は全体的には言い訳的であるが、氏は、3・11東日本大震災と福島第1原発事故で考え方が大きく変わりつつあるということを語っている。かれは、そこで、それまで、こういうリスクについてまともに考えたことがないということをある意味率直に認めているのだが、それを自分の思想や思考の限界とか怠慢とか無力であったこととしてはまったく反省していないのである。相変わらず、かつての論争の際の基本姿勢である無責任なままというか、責任概念があいまいというか、一面的で、それに捉われて、問題を、包括的、総合的に考えられないのである。 

 この論争の基軸は「戦後」観であり、その点で真っ向から対立したのは高橋哲哉氏であろう。彼の『戦後責任論』(講談社学術文庫)は、「戦後」論から始まっている。それに対して、加藤氏の「戦後」は、核兵器をはじめとする軍事力・暴力による脅しで「押しつけられた」平和憲法を持つ「ねじれ」たものである。そこで、「汚れた」のは、上の文章によれば、ルソーが『社会契約論』で一番苦慮した「社会契約の世代間の伝授」の問題と同じような問題だという。あるいは、戦後における社会契約の不完全性ということを問題にしているのである。だから、彼は憲法の自主的な選び直しを主張したのだ。社会契約が不完全で瑕疵を含んでいる以上、契約不履行の責任は曖昧であるほかはないし、自分がその責任を負う必要性も薄いということになる。アメリカによって外から押しつけられたにも関わらず、日本人の中で、なぜ、この憲法を内在的価値を認めて保持しようとする人が多くいるのだろうかという問いに対する彼の答えは宙ぶらりんになっている。

 彼は自ら問いを立てながらそれに応えないまま今度は歴史認識の図式を持ちだす。かつて、『敗戦後論』で、日本の戦後の「ねじれ」を問題にして、「では日本の戦後という時間が、いまなお持続しているもう一つの理由は、いうまでもなく、日本が他国にたいして行ったさまざまな侵略的行為の責任を、とらず、そのことをめぐり謝罪を行なっていないからである」(同上10ページ)と述べているが、それもいつの間にか忘れ去られ、戦後はどんどんかすんできて、今や、戦後という枠ではなく、脱戦後という枠で考えなければならないというまったくの忘却、物忘れに陥っている。

 いったん結ばれた社会契約はどのようにして世代間で伝授されるのかという氏の問いへの一つの答えは、教育や刷り込みによって、経験で学ぶことによって、そして、国家が強制することによって、というものである。国家=暴力装置を背景にした強制=同意(グラムシ)によって社会契約は世代間で継承される。しかし、社会契約は廃棄=再契約される場合もある。すなわち、革命というものがある。

  記憶、忘却をめぐって、高橋哲哉氏は、『戦後責任論』で、映画『ショアー』やシェークスピアの『ハムレット』を題材に論じている。そこでは亡霊的という性格が問題にされている。あるいは、痕跡、トラウマ的傷、そこから再帰的に記憶が現れるという問題。それは言うまでもなく、物語という形式をとって再帰するのである。そして、弔い、喪の問題が浮上する。喪は開けたのかどうかが死者との関係を測る尺度となる。先の侵略戦争の死者たちの喪はすんだのか? 犠牲を強いられた生者に対する責任を果したのか? それらの根底に正義というものがあり、それが法による裁きを要求する。それのない忘却は、それ自体が正義に反する裁きの対象となる。それは再帰する。3・11は、福島をそうした場所にした。死者はすでに多数いる。かれらの喪はどうなるのか。避難所での死、避難中の死、自殺、そして緩慢な死、未来の「可能性」としての死。それを見ないことによって、原発再稼働ははじめて可能となる。だから、電力会社幹部社員は、原発事故での直接の死者はいないと言って、原発再稼働を主張できたのだ。 自民族内の死に対してさえ喪の回避が行なわれている。しかし、かれらは物語を残し、そこに記憶され、再生され、社会的な生を与えられている。人々が語る物語の中で喪を待っている。喪は、物語の変容、仏教的に言えば、成仏の物語へと変わらない限り、何度も亡霊として再帰する。今、福島には自ら亡霊となる覚悟をした人々の闘いがある。生そのものが闘いであるという闘いがある。それはわたしがまさに共産主義運動と考えるものそのものである。

 加藤典洋氏の先の文章を読んでもまったくそんなものはない。ウルリヒ・ベッグの『危険社会』(法政大学出版局)だの見田宗介の社会学だのの視点があげられているだけだ。彼が言うように、それらは3・11を考える上で重要な視座を提供しているのは間違いない。
 3・11によってわれわれがベッグが言う「原子力時代の危険は全面的かつ致命的である」(同書2ページ)ということについて否応なく直面させられた。それが近代の「産業社会=階級社会」(マックス・ウェーバー、マルクス、同24ページ)の性格からきているというのも確かである。
 ベッグは、「驚くべきことに、人間の健康と生活にさまざまな面で影響を及ぼす環境の負荷と自然破壊は、高度に発達した社会にのみ発生するものであるにもかかわらず、そこでは社会的思考が欠落しているのである。これに加えて奇怪なのはこの社会的思考の欠落には誰も――社会学者ですら――気づかないことである」(同33ページ)と指摘しているが、これは3・11以降、原子力ムラの学者たちの言説に見られたものと一緒である。つまり、3・11震災と福島第1原発事故は、たんなる自然現象のごとくに考えられ、見られている。ベッグはその「まなざし」を問題にしているのである。その「まなざし」の奇怪さを。そして、彼は、新しい危険は、知識に依存するものとなって、人々にとって経験的に自明なものでなくなっているということを指摘している。これは科学社会学で問題になっている重要な論点である専門知と人々の関係などにつながっている。

 そして3・11後まさに今われわれが問われていること、すなわち、「危険は、計算や実験の結果によって明らかになるのではない。いかに技術的な体裁をとっても、問題は、遅かれ早かれ、それを受け入れるか否かということになる。そして、どのように生きたいのか、という古くて新しいテーマが浮上してくる。つまりわれわれが守らなくてはならない人間のうちの人間的なるものとは何か、自然のうちの自然なるものとは何なのかという問題といってもよい。「破局的事件」の可能性をいろいろ語るということは、この種の近代化の進展を望まないという規範的な判断を、極端な形で述べることに他ならない」(同38ページ)ということがある。そして、ベッグは、倫理の問題が浮上するという。すなわち、善悪の問題。そして正義の問題、正義感覚が。それは加藤典洋氏の論考にあまり登場しないし、論じない点である。
 その原因は、氏によれば、戦前に信じ込まされた皇国イデオロギーの「義」が、敗戦によって、ねじれてしまって、戦後、義を再度確立する手続きに瑕疵があって「汚れた」ので、戦後の正義は本当の意味では成立していないからだというのである。しかもそれを主に文学者という知識人の言動から読み取るという典型的な知識人主義や「文学青年」的な立場で捉えようとしているのである。彼の3・11論もその程度のものにしかならないだろうということは、先の論考でも、ベッグ、見田などとネグりの『帝国」を対照して読もうとしていることでもう端から見えている。

 わたしが3・11を社会的に思考するとしたら、例えば、浪江町のエム牧場で、市場価値のない牛たちを飼い続け子牛を産ませ続けている吉沢さんが、なぜそうしているのかを考える。吉沢さんは、汚染牛の殺処分は国・東電による証拠隠滅であると批判して、生き証人として牛たちを育て続けているのである。それは深く鋭くすごい闘いだと思う。それは、「大衆の原像」とやらを語った吉本隆明にもないし、吉本を戦後から脱戦後へと思考の枠組み変更しようとした先駆者として評価する加藤氏にもないものだ。なんて小っぽけな人たちなんだろう!

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