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2012年8月

朝鮮学校と排外主義雑感

 たまたま、先日、荒川の朝鮮学校で行われたイベントに人に誘われて行ったが、地域に解放しておこなわれただけに、こういう事態の中で、周りの人々の表情がやや硬い感じがした。排外主義者たち700名ほどが、大久保の韓流ショップを襲撃したのである。今日のニュースでは、韓国で、日本大使館に汚物入りのペットボトルが投げ込まれたそうである。笑顔がないのは、福島の人々もそうで、地元では、落語家が呼ばれ、その時だけは大笑いしたということを聞いた。この社会で、なぜ、こうして笑顔が失われていくのだろうか。なぜ落語家やお笑いタレントの力を借りなければ笑うことができないのだろうか。そこに、この社会の根本的な行き詰まりがあり、世界的にそうなりつつある感じがする。もはや3・11前に戻ることはけっしてあり得ないということをこのような事態に際しても感じる。

 こんな時に、現場にいないというのは事態に立ち遅れることだ。そして、歴史認識の問題として、以下のことは教訓的である。赤坂憲雄(「別冊東北学」責任編集者)とノンフィクション作家で秋田県朝鮮人強制連行真相調査団事務局長の野添憲治氏の対談である。

赤坂 野添さん、22年前にエッセーに、聞き書きは「まだ日本の学問の世界では、その地位が与えられていない。よそ者扱いにされている。なぜなのか。日本の学問は人間を柱に据えようとせず、何よりもまず文献を重んずるという偏った視覚を内蔵しているためであるし、もう一つは聞き書きは表現する方法を知らない人の代弁をするのだとする、聞き書きをする人たちの誤った考え方からきている」と書かれています。24年経っても状況は変わっていないんですよ。依然として聞き書きは学問の世界では、きちんとした地位が与えられていない」(『別冊東北学』vol.1 41ページ)

 今の脱・反原発運動でも、反原連などが、シングル・イシュー主義という昔の運動のスタイルをそのまま現在にあてはめて、教条化し、実際に生きた人間のことをすっかり忘れていることに根本的な欠陥があり、そのことは運動の劣化、弱体化へと結果するということを言わねばならない。以下の言葉をかみしめなければならない。

野添 学者がやってきた研究がないと歴史が成り立たないのは分かります。だけど、やっぱり実際に生きた人間の声をどんどん歴史の中に織り合わせていく必要がある。その果てに本当の生きた歴史として読めるものが出てくるんじゃないでしょうか。(同42ページ)

 独島(竹島)問題などを見ても、そうである。この無人島には聞き書きできる人がいない。しかし、朝鮮学校には聞き書きできる人間がいる。それが重要なことなのである。どのような運動でもそれが重要であり、学知もまたそういうものでなければならないのである。

赤坂 ……ぼくは書き手にとっては、柳田國男のいう常民、つまり普通のありふれた人々の人生の中から歴史が浮かび上がってくる瞬間に立ち会うことこそが、本当のだいご味、最高の快楽なんだっていう気がしますね。(同38ページ)

野添 歴史家であればあるほど、その感性の豊かさが必要だと思うんだけどな。(39ページ)

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脱原発運動に対して

  『週刊ポスト』のインタビューでは、官邸前デモの目的は原発再稼働反対のシングルイシューだと主催者の一人が述べている。そして、22日には、野田首相とかれらは面会するという記事が以下である。政治音痴なのかどうか、インタビュアーの上杉隆氏は、「会った瞬間、政治的には勝ちだと思う」(49ページ)ととんちんかんなことを述べている。デモの目的は再稼働阻止と言っているではないか。獲得目標を達成できないのに勝ちとはどういうことだろう。わけがわからない。同じくわけがわからないのは、どんな根拠があるのかわからないが、彼女が一小グループがビラをまいたり旗を立てたりしたぐらいで運動が乗っ取られると思いこんでいることである。そんなことがこれまで実際にあったのか。警察と馴れ合って運動が自滅したことはイラク反戦運動の時に実際にあった。この記事の裏に、「与野党協力を「新しい政治文化」と持ち上げる新聞の気味悪さ」という連載があるが、警察と馴れ合っているのは、原子力ムラと馴れ合っているのと同じと感じられないことに気味悪さを感じる人は数多くいると思う。今後そういう人が増えてくるだろう。すでに運動内に分岐が現れてきており、それは秋にはより鮮明に出てくるだろうが、その時にはこんなお粗末な内容しかなくてはとうてい運動の牽引役になれないことは明らかだ。

 また、7月の官邸前デモの参加増加には、大飯現地闘争や7・16代々木17万人集会の刺激もあって、官邸前デモの大結集があったことを認めなければならない。それから、警察が作り出して広めている様々なイメージに操作されないように気をつけなければならない。公安警察は、活動家の女性を誘惑して情報を聞き出したり(男性活動家に対しても)、金を使って活動家を腐敗させたり、盗聴器を仕掛けたりして、運動潰しをやっていたことがこれまで何度も暴露されている。それは調べれば誰にでもすぐにわかることだ。いずれにしても、敵や敵の側にいる人たちとはできるだけ接触せず一線を画すべきだ。警察は「原子力ムラ」の側にいる。真摯に運動の発展を願っているなら、けっしてかれらと馴れ合ってはならず、厳しく一線を引いて対応すべきである。

原発再稼働抗議:首相、22日に市民団体メンバーと面会
(毎日新聞 2012年08月21日) 

 野田佳彦首相は22日午後、原発再稼働への抗議活動を毎週金曜日に首相官邸前で行っている市民団体のメンバーと官邸で面会する。官邸ホームページでインターネット中継する。当初は8日を予定していたが、消費増税法をめぐる与野党対立の余波で延期され、日程を再調整していた。

 市民団体側は関西電力大飯原発(福井県おおい町)を含めた全原発の停止や、脱原発政策への転換などを求める見通し。首相は政府の新たな「エネルギー・環境戦略」に関し、将来的に原発依存度をゼロにする場合の課題を検討するよう指示したことなどを説明し、当面の原発再稼働に理解を求める考えだ。【岡崎大輔】

 

 脱・反原発運動をめぐって                by流広志2012・8・11

  3・11東日本大震災・福島第一原発事故の発生は、日本社会をも、他の国の社会にまで衝撃を与え、大きな影響を及ぼしている。そのことは、人々の目にはっ きり見える形である。すなわち、それは、今、大飯原発再稼働に反対して毎週金曜日の夕方に官邸前に結集する10万人規模の集会デモの姿に象徴されている。
  3・11とは何か。それは、2011年3月11日に発生した東日本大震災と巨大津波による未曽有の災害であり、その後の福島第一原発事故による被災のこと である。8月8日現在で、死者1万5868人・行方不明者2848人(警察庁警察庁緊急災害警備本部 2012年8月8日発表 「平成23年(2011年) 東北地方太平洋沖地震の被害状況と警察措置」)で、阪神大震災の死者6434人・行方不明者3人をはるかに上回っている。先日、ある電力会社幹部社員が原発事故による直接の死者はなかったと言ってひんしゅくを買ったが、その発言は、以下の日経新聞記事が伝える震災関連死の中に、福島第一原発事故後の避難中の死者や津波被害にあった生存者の捜索打ち切りによる死者などが入るということをまったく無視したもので、問題外の妄言である。   
 原発事故の発生に対して、政府・東電の初動のミスが原発事故調査報告で明らかにされている。    

 死者・不明2万人に 震災1年、1407人は関連死 (日経新聞2012年2月11日)
東日本大震災で、避難生活で体調を崩すなどして死亡した「震災関連死」が岩手、宮城、福島、茨城、埼玉の5県で1407人にのぼることが10日、日本経済新聞のまとめでわかった。地震の揺れや津波による直接の死者・行方不明者とあわせると2万人を超えた。
 各自治体が設けた審査会が、遺族からの申請に基づき認定した件数を聞き取り、集計した。
 県別で最多は福島県の639人。南相馬市249人、いわき市67人などが多い。宮城582人、岩手160人、茨城25人、埼玉1人だった。
 震災関連死と認定されると、遺族に災害弔慰金が支払われる。1995年の阪神大震災では死者6434人のうち921人が震災関連死だった。

 3・11は、震災と原発事故(史上最悪のレベル7 チェルノブイリ原発事故と同様 原子力安全・保安院 2011年4月12日発表)が重なり、未曽有の事態となった。その後、原発事故は世界に衝撃を与え、ドイツで大規模な反原発集会デモが繰り返され、キリスト教民主同盟の伝統的な基盤であったドイツ南西部バーデン・ビュルテンベルク州の州議会選挙で、連立与党が敗北し、 環境政党・緑の党が躍進したりして、原発推進に舵を切ろうとしていたメルケル政権を脱原発の方へ押し戻した。そして、スイス、イタリアなどで脱原発が選択される。

  日本では、4月10日高円寺で素人の乱(松本哉ら)が呼び掛けたデモに若者を中心に1万5千人(主催者発表)が参加。3月末ぐらいから4月には、いわゆる 高円寺系、エコ系(代々木公園)、原水禁・平和フォーラム系(芝公園)の三者が首都圏での反・脱原発運動の三大勢力となる。4・30渋谷・原宿デモ、1万人(逮捕2名)。同時に、ボランティア、支援活動が広がる。福島では、「子供たちを放射能から守る福島ネットワーク」系の活動が取り組まれる。6月11日、新宿デモ1万人(12名不当逮捕)、経産省包囲成功(1300人)。6月26日、福島市で1000人のハンカチ・パレードが行われる。7月31日原水爆禁止世界大会福島 大会、福島で開催。原水禁、8・6広島、8・9長崎、8・11沖縄。9月11日経産省包囲(1500人)、経産省前テント設置座り込み闘争開始(9条改憲阻止の会など)。9月16日、明治公園6万人集会(さよなら原発1000万人署名運動)。第2・第3テント設営。10月27日~29日まで、「原発いらない福島の女たち~100人の座り込み~」(のべ2300人)。10月30日~11月5日まで、全国の女たちの座り込み(のべ1880人)。11・11経産省包囲成功。この頃、経産省によるテント撤去策動強まる。右翼によるテント攻撃激化する。12月10日、未来を孕むとつきとおかのテントひろば行動開始(第2テント)。12・11経産省包囲成功。テント年末年始アクション。
 2012年。1月14~15日、横浜で「脱原発世界会議 2012 YOKOHAMA」(参加者は、海外からの約30カ国約100を含め、初日6000人、2日目5500人、あわせてのべ1万 1500人。会議はインターネットで全世界に中継され、約10万人が視聴)。2・11さよなら原発1000万人アクション(代々木公園、1万2千人)。3・11、1周年、「原発いらない、福島県民大会」(郡山、1万6千人)、国会包囲(1万4千人)など全国各地でアクション。3月25日、福井県小浜市の中島哲演住職が月末までのハンスト開始。3月29日首都圏反原発連合有志の官邸前アクション(金曜デモ)開始(300人)。3月31日、福島の女たちが中島氏への連帯ハンストを開始。4月10日、大飯現地の原発再稼働反対監視テント設置。4月17日、テントひろば、集団リレーハンスト開始。5月5日、さよなら原発1000万人アクション、芝公園集会(5500人)。テントひろばで原発ゼロを祝うアクション。この日、唯一、稼働していた北海道電力泊原発3号機が定期検査のため停止した。原発稼働ゼロ後の再稼働問題が焦点になる。6月8日、野田総理、大飯原発3・4号機の再稼働を表明。6月11日、福島原発告訴団の第一次告訴(1324名、団長武藤頼子さん)。6.15緊急!原発再稼動許すな!首相官邸前&関電本社前抗議(官邸前1万人)。首都圏反原連有志主催の金曜デモが、再稼働表明後、膨れ上がり、万単位の規模になる。6月30日、大飯原発再稼働阻止行動、道路封鎖、座り込み。7月1日、座り込みの反対派を実力排除し、大飯原発3号機起動。7月13日官邸前デモ(15万人)。7月16日、さよなら原発1000万人アクション、代々木公園集会(17万人)。7月20日、官邸前アクション(反原連有志主催、9万人)。7月29日、国会包囲行動(反原連有志主催、20万人)。8月3日、金曜デモ、国会前、官邸、官邸裏、環境省包囲、経産省正門前行動、原子力規制庁人事も争点に。8月6日広島、9日長崎、原水禁世界大会。その他無数の取り組みがある。

 再稼働をめぐっては、財界(日本経団連)主導が鮮明になった。春から、相次いで大企業幹部の再稼働要求発言がマスコミで報道される。再稼働に抵抗していた 関電大株主の橋下大阪市長が態度変更、再稼働容認へと転じた背景に財界の強い圧力があったとされる。地元の再稼働要求が強く、反対派が声をあげづらいという立地自治体の原発依存の問題が鮮明になった。

 福島現地では、県当局をはじめ脱原発が県民多数意思となっており、原発立地町村の首長も脱原発を表明している(「「脱原発」という考え方の下、原子力に依存しない社会を目指し、環境との共生が図られた社会づくりを推進。このため、国及び原子力発電事業者に対し、県内の原子力発電所についてはすべて廃炉とすることを求める」(「福島県復興計画(第1次)」2011年12月)。井戸川双葉町長の発言(「情況」2012年5・6月合併号所収、「双葉郡民を国民と思っているのですか」)。浪江町「災害を繰り返させないため脱原発、エネルギー政策の見直しを提起し続けるとともに、エネルギー自給自足のモデル地域の実現を目指します」(「浪江町復興ビジョン」4月19日発表)。浪江町、双葉町ともに、町政の基本として、多様な選択肢の用意を掲げていて、より細やかな対応を基本理念として掲げている。町民自治の民主主義的方向を示しているのが特徴的である。

  開沼博(東大博士課程、いわき市出身)は、『原子力ムラはなぜ生まれたのか 「フクシマ論」』(青土社)で、「国内植民地論」を基礎に、なぜ福島県の「福島のチベット」と呼ばれた貧しい双相地方に原発が作られたのかを明らかにしようとしている。旧宮沢派の参議院議員から福島県知事に転出した佐藤栄佐久元福島県知事は中央支配から脱出し、対等な関係を作ろうとして中央とぶつかったが、それは中央の地方支配抑圧を媒介する「原子力ムラ」の形成を梃子として「国内植民地」とされてきたものとの衝突だったということを指摘している。浪江町などの復興計画の中で、自治の基本を個人の意思の尊重、選択肢の多様化においているのは、開沼の言う「原子力ムラ」が温存して利用している「封建性の残余」の払拭による中央支配の脱却という志向性を示したものと言えるかもしれない。
 1955年の原子力基本法制定後、双相地方の地域開発の柱として原子力発電所を誘致するにあたって、堤康次郎(西武創業者、衆議院議員)が戦後払い下げを受けて塩田を経営していた土地(双葉海岸長者ヶ原)があった。原発を誘致した大竹知事の当時の秘書の証言がある。「堤さんとは、古くからのつき合いのようで……大竹さんが衆議院議員のころ[六〇年~六三年]、堤さんから相談がありました。「君の県の浜通りに、塩田があるのだが、今はもう塩は海水から直接取れるようになったから、要らなくなった。君なら、長い手形でいいから引き受けてくれないか」ということでした。今の大熊町の、原子力発電所になっているところです」(『フクシマ論』青土社258ページ)。

 1960年代後半、第2原発立地が進むが、浪江・小高原発立地はできない。すでに公害問題が大きな社会問題として浮上していたのである。開沼は、同書で、原子力の三つの捉え方として、「戦後成長の基盤」(経済)、「地方の統御装置」(政治)、「幻想のメディア」(文化)をあげている。このことが、戦後の成長を支えてきた周縁の中心への従属を生みだしているというのである。そこで開沼が指摘していることで重要なのは、周縁化されてきた人々の原子力イメージの歪みともいうべきものである。反対派を「変り者」としつつ、村の一員の中に位置付けて受け入れるというような態度の形成ということがある。共同体の構成し直し、意味づけ直しが行われ共同体秩序の中に再統合するというようなことがある。
 しかし、3・11は、共同体の中心―周縁関係を揺るがしている。それは、赤坂憲雄が提唱する「いくつもの日本」へというベクトルとも重なっている。開沼は、都市部での脱・原発運動に対して、地元の生活(経済)への配慮がないと反発している。しかし、共同体の象徴的次元、想像的次元の存在を無視しては、批判は一面的となる。それでは、浪江町のエム牧場の吉沢さんのような闘いを理解できなくなる(「情況」2012年7・8月合併号所収、「ベコ屋の戦闘宣言」)。中心―周縁関係を両端で解体する共同闘争が都市と地方で同時に行われなければならないのである。中心は、エネルギーの消費地として特化させられていて、エネルギーの生産の主体たりえないようにされている。そのため、電力不足キャンペーン、「電気が使えなくてもいいのか」という脅しに屈服を余儀なくされたりする。

 『世界』2012年9月号、「人がデモをする社会」という文章で、柄谷行人氏は、集会(アセンブリ)をデモと一体のものとして考え、デモは手段であると同時に目的であるとして、カントの道徳法則論を軸にした提起をしている。それは、代議制民主主義からアセンブリ民主主義への移行であり、民衆主権社会への移行であるというのである。「人々が主権者であるような社会は、代議士の選挙によってではなく、デモによってもたらされる。私が「人がデモをする社会」と呼ぶのは、そのような社会である」(同書101ページ)。彼の「個人がデモに参加しているように見える場合、実際は、その個人は誰かと一緒に、つまり、アソシエーションとして参加しているはずである。ただ、それはこれまでの共同体(村、町、労働組合、同業組合)が解体されたあとに生まれたアソシエーションである。個人が参加するデモが可能になるのは、そのようなアソシエーションがあるときだ。ばらばらに切りはなされたアトム的個人がデモに来ることはない」(同99ページ)というときのアソシエ―ション化が、浪江町の復興計画に現れている。個人の自発性を重んじた共同体建設が復興の基本理念となっているのである。3・11が明らかにしたのは、まさに赤坂憲雄が言う民俗学のフィールドの解体、すなわち旧来の共同体の解体が東北で進んでいたという事態であった。旧来の東北の再生(共同体の再生)はもはや不可能である。「ふるさと」という歌はそうしたイメージがあり、こうした実態を反映していない。もちろん、原発に代わる別の「地方の統御装置」を作ることではどうしようもない。被災地においてもアソシエーションの形成が課題となっているのである。

 福島では、今後、チェルノブイリ化が進むことが確実である。被曝の影響、健康問題、生活問題が複雑に絡み合った諸問題が次々と生起することは明らかである。そこで、福島を支援する取り組みが長期的に重要な課題となる。

 全国的には、再稼働阻止、現地――首都を結ぶ闘いの構築が求められている。その際には、戦術と同時に、中央―地方(周縁)関係の変革も必要である。その他、緑の政治、官僚、政党再編(民主党分裂、小沢派、大阪橋下「維新の会」)……も考えなければならない。運動上の諸問題(現地闘争、反原連などの街頭アクション、テント、市民運動、デモの評価、職場・地域、被曝労働、国際連帯、原発輸出……)もある。 思想上の諸問題(技術論、「平和利用論」、環境社会学、科学社会学、階級階層問題、等)も問われる。

 夏以降、運動内の諸傾向の鮮明化が進み、分岐を生みだす可能性が高い。その場合に、例えば、福島における避難問題をめぐる分岐なども、議論と経験を通じて克服する必要がある。年齢差・個人差などがあり、被曝の影響は多様で、被曝の状態もところによってまちまちである。対応も多様である必要がある。アソシエーションの構想。旧来の行政区分にとらわれず、成員の条件も開かれたものとして。例えば、地元の人々が簡易宿泊所に一時滞在して原発で作業する人を「大阪から来た特殊技能者」とか「黒人」とか表象している「流動労働者」(開沼博 前掲書)も含めて、また支援者も含めたアソシエーションとして形成するというような方向で地域を再生することである。なぜなら、廃炉作業にはこうした労働者が必要不可欠だからである。同時に中央をそうしたアソシエーションに再編し直すということが都市部・首都圏の人々の課題となるのではないだろうか。それが共産主義運動そのもののことであることは柄谷の指摘するとおりだろう。その時に、直接民主主義=集会デモ(アセンブリ)民主主義が民衆権力の形態であるという柄谷の構想についてはまだ議論が必要である。他方で、「テントひろば」は、民主主義という視点から見た時に、どうなのか。そのことにどれだけ意識的であるのか。それから、表象をめぐる政治的闘いもある。片仮名表記の「フクシマ」の像はどのような効果をもたらしているのか。そして、街頭と地域・職場を結ぶ闘いの構築はこれからの課題だけれども、その中で、未来を構想し、綱領としてそれを提案していくこと、テーゼの作成と提示ということも課題としてある。その際に、科学技術と社会というテーマも問われる。「緑の党」が提出しているテーゼの批判的検討も必要だ。「脱植民地化」が福島の課題であることは開沼の指摘することから明らかだが、それは都市の「脱植民地化」という課題と結びつかねばならない。この点では開沼は中央をほぼ首都と同一視していて、中心の中の「国内植民地」、サスキア・サッセンが指摘したようなグローバル・シティの構造にまだあまり目が向いていない。開沼の論には、オキュパイなどの都市下層の運動領域と「原子力ムラ」の関連について無自覚であるという限界がある。福島における新しい共同体創設としての復興と都市部の縦構造の解体と新たな共同体の創造という事業を結びつけるような運動の構想が必要である。

 総体として、脱原発で何十万何百万人が行動しているなど、情勢は極めて流動化している。そして、3・11が提出している課題は、「革命的」な解決を要求している。それに対して、総合的な力を運動が備える必要性が高まっている。綱領・戦術・組織の新しいレベル・内容・質が求められているのは明らかである。議論の内容、水準を早急に高める必要がある。そのような議論の場を作り活動を始めることである。当面、政治的には、野田政権の解散総選挙ということが焦点となり、脱原発候補をどれだけ国政に送り込めるかということが課題として浮上するのは間違いない。とはいえ、それは、根底的な社会変革の構想と結び合わされなければ、根本的な解決策につながらないということを意識しておかなければならない。

 緑(ウィキペディア)

 1983年、河西善治が西ドイツ(当時)緑の党をモデルとした「東京緑派」(DIE GRUENEN) を結成し、参院選に東京選挙区より出馬している。比例区ではMPD・平和と民主運動(現市民の党)への投票を呼びかけた。
  1986年、元第四インターナショナル活動家太田竜らが「日本みどりの党」を結成。その後太田派と非太田派に分裂、太田派は「日本みどりの連合」を結成し た。その後、「みどりといのちのネットワーク」として再統合、大石武一らの推薦を受ける。同時期、水の浄化を訴える「環境党」が結成されている。また、重 松九州男らを中心に結成された「日本世直し党」も「日本版緑の党」を名乗っていた。
  1989年、山本コウタロー、北沢杏子、円より子、田嶋陽子らを中心に環境保護とフェミニズムを掲げる「ちきゅうクラブ」が、また、作家の今野敏や元三重大学教員の坂下栄、反原発運動・環境保護運動の活動家らを中心に「原発いらない人びと」が結成された。共産主義労働者党や第四インターナショナルなど一部 の新左翼勢力は「原発いらない」を支援した。
 1992年の参院選では、前述の「みどりといのちのネットワーク」「ちきゅうクラブ」「原発いらない人びと」を統合した環境政党「希望」(代表は藤本敏夫)が立候補した。
 地方政治においては市民運動出身の無所属地方議員の連絡組織「虹と緑」、新潟県の地域政党「緑・にいがた」(旧「市民新党にいがた」)などが該当する。
  1998年頃より保守リベラル政党であった新党さきがけが環境政党として再出発を表明。後に代表となった中村敦夫は黒岩秩子と共に院内会派「さきがけ環境 会議」結成。2002年、「みどりの会議」に改称。三木武夫・三木睦子夫妻の長女で無所属の参院議員だった高橋紀世子と中村が所属。2004年の解散後は 「みどりのテーブル」に活動を引き継ぐ。
 2007年、みどりのテーブルが中心となって参院東京選挙区に「無所属共同候補」として川田龍平を擁立し、当選する。また、司法書士の黒田恒一が環境社会主義党を結成して参院選に出馬することを表明したが、直前で出馬を辞退した。
  2008年、川田龍平は、みどりのテーブルから離脱した(その後、2009年にみんなの党に入党)。みどりのテーブル・虹と緑が合流してみどりの未来を結成し、「みどり」系の地域政党・地域政治団体との連携を進めながら、地方政治および国政において「みどりの政治」の実現を目指すことを表明した。
 2009年には、元自民党員の長友清冨が森海党を結党し、各種選挙に出馬している。
 2012年2月には前述のみどりの未来が「緑の党」を結成することを発表する一方で、思想家中沢新一・宮台真司らが「グリーンアクティブ」を立ち上げた。 グリーンアクティブの政治部門は「日本独自のエコロジー政党」である「緑の日本」を名乗り、マエキタミヤコらが所属する。
 2012年7月28日、みどりの未来を母体とした「緑の党」の結成総会が開かれ、会員投票の結果、正式名称が、緑の党 Greens Japan となったことに加え、2013年参議院選挙の比例区、次期衆議院選挙の比例東京ブロックに候補者を擁立する方針を発表した。
 なお、日本で「緑の党」を名乗る団体も存在するが、これは日本労働党から分離した新左翼党派であり、本項の「緑の党」と理念がまったく異なっているので、創設者(三橋辰雄)の姓から、「三橋派として区別される。

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福島にて5

 8月17日の『福島民報』『福島民友』の1面はまったく異なるものになった。『民報』は、「3・11震災 断面 要介護・支援増加続く 双葉郡8町村の認定者 入所待機余儀なく 原発事故前の1.3倍 財政圧迫も」であり、左に尖閣上陸 14人きょうにも強制送還」『民友』は「尖閣不法上陸 14人きょうにも強制送還」が1面トップである。下に「原発依存、着実に低減」として、いわき市、郡山市を訪ずれた古川国家戦略相が、「将来は原発のない社会を目指し、着実に原発への依存を低減させていく」と述べたと伝えている。他方で、「編集日記」は、ロンドン五輪でのビデオ判定の例をあげつつ、東電が公開した福島第1原発事故後の社内会議の映像が、公開対象が限定されたり、映像や音声が修正されたり、録音や録画が制限されているのに対して、「被災者を含め国民の知る権利に答えず、全面公開をしぶる東電の姿勢に疑問や不信感が残る」(1面)と東電を批判している。古川戦略相は、川内村民との会合で、福島第1原発5、6号機と第2原発の「再稼働はあり得ない」と述べた。

 『民報』トップの入所待機者問題というのは、双葉郡8町村で、東京電力福島第1原発事故後に増え続ける要介護・要支援者を受け入れる介護施設が満杯で、待機している人が増えているというものである。しかも介護従事者が不足しているという。「県、双葉郡8町村は大詰めを迎える来年度予算の概算要求を見据えて今後、予算確保に向けた要望を強めてたいとしている」(1面)。

 古川戦略相が「再稼働しない」と述べたことで、東京電力福島第1原発5、6号機、、第2原発全機の運転はありえないことになった。もともと福島県内で電力供給しているのは東北電力であった。2面には「用水路発電手続き簡素化」という記事があるが、これは、国交省が「小水力発電の導入を後押しするため、農業用水路に設置する際の手続きを簡素化し、水利権を持つ農家などの同意を得れば国や都道府県の許可を不要とする方針を決めた」というものである。農業人口比率が他府県より比較的高い福島県では有力な発電方法の一つだ。海岸もあるから海上風力発電も有力だし、温泉が多いので地熱発電も有力だ。すでに、布引高原には風力発電基地がある。福島が原発依存脱却の道を先に進むことは可能だ。それに対して、従来型のやり方でうまくいっていないのが「安定雇用助成金」制度で、このへんにも、旧来の仕組みが機能不全になっていることが現れている。

社説 安定雇用助成金 被災地の実情に合う対策を(『民報』5面)

 政府が東日本大震災の被災者雇用対策の柱と位置づけている長期安定雇用に向けた助成金を使って4~6月に採用が決まった人は、本県、宮城、岩手の3県で計3917人と、本年度の計画のわずか9%にとどまっていることがわかった。

産業復興の遅れで企業の利用が低調なためとみられ、このままのペースが続くと、本年度の助成金の支給は計画の半分にも達しない可能性があるという。被災者の本格採用は来年度以降と想定されることから、被災地からは実態とかみ合わない雇用対策に疑問の声も上がっている。
 特に本県の場合、東京電力福島第1原発事故の影響で今も避難生活を強いられている被災者が大勢いる。政府は、助成金の交付期間を延長するなど、被災地の実情に見合った雇用対策を目指すべきだ。
 この雇用対策は「事業復興型雇用創出助成金」で、介護事業や先端的なものづくりなど、産業への中核を担うと期待される企業を対象に交付される。本年度の計画では、本県は1万4千人の雇用を見込んでいるが、4~6月に支給が決まったのは1884年にとどまっている。
 利用が進まない最大の要因は、復興の遅れにほかならない。さらに、助成金を受けるためには本年度中に事業を再開することが条件とされている。原発事故に苦しむ本県の現状からすれば、来年度以降の操業再開も助成対象に認めるなど条件の緩和を検討してもらいたい。
 創業を再開したくても、第1原発の立地周辺地域は立ち入りもできない。県は「原発事故でインフラ復旧もしていない地域がある」と訴えている。政府は、被災地の声にもっと耳を傾けるべきだ。
 助成金は、1年以上か期間を限定しない雇用契約で被災者を採用した場合、1人当たり最大で225万円(3年間)が企業に支給される。長期雇用をつくり出すのが狙いで、約1500億円の予算が計上されているが、企業にとって使いやすい助成金でなければならない。
 厚生労働省は「復興が進めば利用も増えるはずだ」としているが、本県の復興までの道のりは険しいと言わざるを得ない。長期間を見据えた雇用対策が必要だ。
 助成金の支給対象は、製造業や環境関連、医療・介護など政府の重点事業に限られているが、本県などは独自に対象事業を拡大していおり、周知も重要だ。できる限りの支援を続けながら、操業再開の輪をさらに広げていきたい。
 肝心なのは、被災者の働く意欲を失わせないことだ。働くことを望んでいる一人でも多くの被災者の雇用の確保のため、政府には被災地の現状をしっかりと把握しながら、企業の操業再開に向けた助成金の弾力的な運用に努めてもらいたい。

 結局、政府の復興策はばらまきにすぎず、予算をつけておけばなんとかなるだろうという従来型で、被災地の実情にまったく合ってないものが多いということである。これは、中央の目には周縁が見えない、あるいは歪んだメガネを通して、中央に都合のいい表象でしか被災地の姿が見えないということを示している。それは官僚や政治家やマスコミばかりではなく、官邸前デモの主催者の目に、脱原発を阻んでいる障害が、自己の内部ではなく、外に表象されるサヨクやネトウヨであるように見えているということにも同じことが言える。警察は、原子力ムラの側、つまり、野田総理の政治意思を遂行する立場にあることを認識していないというのは認識不足である。警察はイベント会場の民間警備員ではない。『週刊ポスト』のインタビューでは、デモ参加者を数に抽象化したり、参加者を圧力手段として見たり、革マル派を「警察とわたしたちの「共通の敵」」と言ってみたり、参加者を「原発は要らないっていう純粋な気持ちで来ている」と勝手に表象してみたり、等々と、とうてい、これからの大衆的な脱原発運動を牽引できる内容を持っていないことを自己暴露している。敵というからには、打ち負かすべき相手であるということであるが、それを警察と共通にしているという発言はしゃれにならない。権力と馴れ合って腐敗せずに持続した運動など見たことがないし、それがまっとうな市民運動とはとうてい思えない。それから、セクトというのが狭い意味で使われているようだが、民主党もセクトであり、鳩山はセクトの幹部でありその一員である。アンチセクトというなら反民主党セクトまで徹底して貫くべきだ。権力と馴れ合っていると運動を腐敗させるだけだ。彼女の言う意味でのセクトは、わたしの見るところでは、10万単位の数の中では微々たる数でしかない。なによりも再稼働を推進し決定した連中こそ反原発運動の第一の敵でなければならないのに、財界・国・電力会社を敵とはっきり指摘していないのは納得できない。かれらこそ主敵である。かれらを主敵とはっきり名指しして、かれらと闘う姿勢をはっきり示さないのはおかしな話だ。そして、その主敵の側で仕事をしているのが警察であることはごまかしようがない。どうしてそんな子供でもわかることをごまかすのか。それもまったく納得できない話だ。それから、『フクシマ論』の開沼博氏には、それが自己の内部ではなく、システムの一部にする脱原発デモのように見えるということに現れている。そのへんのメカニズムについては、スラヴォイ・ジジェクを参照されたい。どんなシステムにも攪乱や綻びがある。それを支えてきた欲望も変化している。ムラの人々は、外部からの訪問者(フィールドワーカー)に対しては、そういう人用に物語るのは当たり前で、あるいは若者が来れば若者用に物語るというだけのことにすぎない。その奥にさらに深い物語が控えている。その奥深さをいずれ思い知ることになるだろう。それを恐るべきだ。つまり、そこにやがて達するだろうという構えを準備しながら、原子力ムラの欲望と闘うべきなのである。それなしに、脱原発もないし、原子力ムラの支配システムの解体もない。原動力・エネルギーがなければシステムも動けない。

 近年でもっとも大きな「神話=大きな物語」(赤坂真理)であるソ連東欧体制崩壊は、資本主義の勝利などではなく、自滅であり、その大きな要因がチェルノブイリ原発事故にあることは今では明白である。アフガン戦争の敗北もあり、チェルノブイリ原発事故の後、人々がソ連政府を信用しなくなったのである。また、永遠に繁栄するはずの資本主義西欧が黄昏を迎えていることは、自分で自分を欺かないでものを見れる人なら誰にも明らかである。共産主義に対する資本主義の勝利などというお話はまったくの幻想にすぎずデタラメだったことは今では誰でもはっきりわかることだ。こんな途方もないデタラメなほら話、神話に全世界の人々が何十年も騙され続けてきたのは恐るべきことだし、無駄なことだった。「終わりなき日常を生きろ」(宮台真司)という格率は崩れた。日常は終わるのである。原発安全神話もまたそうした神話の一つだったことは明らかで、脱原発が未来の避けがたい選択であることは、ウラン埋蔵量が少ないという一事だけでもわかる話である。

 盆踊りの時に、保守系元町議を含む同級生たちから、次々と強く手を握られたのはなぜかと考えていたが、どうやら、それは国や東電としっかり闘えという意味だったのではないかと今は思っている。

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福島にて4

 16日は盆踊りのため新聞を読むことができず、17日帰京、それからも忙しく、新聞を読んでる時間がなかったので遅れてしまった。

 16日『民友』の一面は、トップに「尖閣上陸14人逮捕」、左に「森林除染不要見直し」となっている。地元紙であるが、死者が出るような可能性が低い尖閣列島領有問題が先にきている。このような人も住めないような島の領有をめぐって紛争が生じるのは、海洋資源、漁業資源、200海里経済水域の問題があるからだ。絶えず自分のものだと意思表示し続けることが必要なので、こういうことが繰り返されることになる。しかし、今、「いくつもの日本」、「いくつもの中国」へというベクトルが強まる時代になりつつある。もちろん、そこでは日本が先んじている。

 例えば、同級生と昔語った地元の独立が再び語られるようになった。それは周縁化への闘いの開始の宣言である。それなしに福島の真の復興はない。中心―周縁関係が近代化の1世紀半をかけて日本では形成されてきた。その仕掛けたるや見抜くのも大変で、なんとなく感じるものの、見えなくされているものである。それを見抜く目を養ってくれるのは、『ミメーシス』(アウエルバッハ)や『オリエンタリズム』(サイード)や『東北学』(赤坂憲雄)などである。3・11原発事故はそれをよく見えるようにした。しかし、どんどんまた風景の書き換えが行われ、それを隠す表象が修復・再配置されつつある。書き換えは、8・15戦没者追悼式典での野田首相の「我が国の安定と発展を願い続けた戦没者のためにも、私たちは、東日本大震災からの復興を通じた日本再生という使命を果たしていかなければなりません」というように行われる。ここでは、復興が戦没者の願いをかなえるための日本再生話に接木されている。

 しかし、それを暴露し、それを許さない出来事がある。例えば、『民報』3面には「双葉病院の患者搬送政府事故調最終報告書 「真実 半分も分からず」」という記事がある。復興話の前に、被害実態の解明と責任の問題が明らかにされなければならないのに、まだわかっていないことが多いのである。これは大熊町の双葉病院の高齢患者21人が避難中に亡くなったという事件である。院長の鈴木市郎氏は、インタビューで、解明されてない点として、「避難指示が出た昨年3月12日朝から13日まで、双葉病院だけが救助されなかった原因が知りたい。職員が大熊町役場に救助を求め、隣接する双葉町の双葉厚生病院で救助活動をしていた自衛隊にもお願いした。一体どこで連絡が途絶えたのか。あそこで救助があれば、もっと多くの人命が助かったはずだ」という。院長は、14日夜9時58分、原発が危険という情報を得た双葉署副署長の判断で、川内村割山峠に退避したが、副署長の災害警備本部への自衛隊を待つとの連絡は自衛隊に伝わらなかった。「自衛隊と合流できなかったことで、「患者を置き去りにした」とされた」。これが震災関連死である。しかも、原発事故がなければ避難する必要がなかったのだから、この避難中の死は原発事故関連死である。この点に関連して、『民報』の「社説」は以下のように東電の責任を指摘している。こんな心の傷を抱えながら復興話にやすやすと移れないことは明白だ。

    論説 遺族の精神的苦痛 東電は真摯に受け止めよ
(『民報』2面)

 東京電力福島第一原発事故のため、津波などによる犠牲者の救助や捜索が遅れ、精神的な苦痛を受けたとして浪江町の遺族が9日、東電に慰謝料の支払いを求めて政府の原子力損害賠償紛争解決センターに申し立てた。遺族は、がれきの下に肉親を探しに行けなかったという苦しみを抱え続けてきた。その重さは想像するに余りある。東電は遺族の苦しみに真摯に向き合うべきだ。今回申し立てたのは東日本大震災浪江町遺族会。犠牲者164人の遺族333人分の慰謝料として合計52億6900万円を請求している。慰謝料は犠牲者一人当たり1100万円として算定した。
 浪江町の住民の避難開始は震災翌日の3月12日だった。11日は混乱の渦中だったが、翌日になれば家族らを捜しに行けると思っていた。しかし原発事故のために住民は避難を余儀なくされた。
 宮城県石巻市では、崩壊した家の中に閉じ込められていた高齢の女性と孫が震災から9日ぶりに救出される出来事があった。本県の避難指示区域でも、地震や津波にのみ込まれながら命をつないで助けを待つ被災者がいたかもしれない。遺族は「何もできなかった」と自責の念にさいなまれる日々だったはずだ。後悔は一生続くだろう。
 県警がようやく避難指示区域の半径20キロ圏内に入って搜索を開始したのは、震災発生から4週間後の4月7日だった。
 遺族はこの間、捜索が行われなかったため遺体の発見が遅れ、甚大な精神的苦痛を被ったとしている。沿岸の被災地では、人の手が入らず放置されたため、波にさらわれて行方不明になったケースも考えられると指摘している。
 原発災害の核心は避難にあるという指摘がある。避難によって直接的な放射線の影響から免れることができた一方で、避難自体が多くの被災者の生命・財産を奪った。あまりに巨大な災害であるために個々人の苦しみが見えにくくなっている。被災者一人一人にとって過酷な災難が今後も続くことを、東電も社会も強く認識し続ける必要がある。
 弁護団は「過去に例のない損害賠償請求だが、遺族との慎重な協議で内容を決めた」と話している。
 避難指示区域のために捜索が遅れた地域は浪江町の他にも南相馬市、双葉町、大熊町、富岡町、双葉町があり、同様の申し立てが出される可能性がある。東電がどのような対応をするか注視しなければならない。(佐久間 順)

 『民報』29面には、「「元気になって」「頑張って」は逆効果?」という記事がある。「被災者傷つける言葉注意を」ということで、内閣府がホームページで、被災者を傷つけてしまう言葉遣いを例を示しているというのだ。「がんばれ、福島」というスローガンがあちこちに出ているのを見て、不快になったのを思い出した。もちろん、「がんばろう、日本」などというのはまったく被災者の心情を逆なでするスローガンで、被災者自身からはほとんど聞かれない。それは遠くの人たちが勝手に遠くから投げている虚しいスローガンであった。誰かがマスコミを通じてこういうのを流行らせたようだが、精神医療の専門家なら、これが逆に被災者を傷つけ、場合によっては自殺に結びつく言葉だということを知っているに違いない。これはうつ状態にある人への禁句なのである。それに似たことで、故郷で、オリンピックの話題は一切なかったということがある。閉会式が終わるやいなや、やっと終わってほっとしたと言う人もあったほどだ。

 盆踊り前に、越中おわら風の盆のアトラクションがあった。こっちの盆踊りはあんなに優雅で風流なもんではない。文化が違う。向こうは三味線に胡弓。こっちは大太鼓に小太鼓に笛と鉦だ。でも、一晩中踊り明かすとは大したものだ。こっちの盆踊りも昔は一晩中踊るものだったそうだが。再確認したのは、古き共同体の解体・弱体化が著しいということだ。もはや、古き近代農村への復帰はありえない。近代化の過程で、村の神社の神様も変えられてしまい(神社統廃合など)、それ以前の村は解体されていき、それに取って代わった近代村も戦後60年の今、衰退してしまった。それをそのまま復元することは不可能だ。過去の中から材料を探し出して、新しい内容の共同体を創造することで復興していくしかない。

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福島にて3

 8月15日付『福島民報』『福島民友』は、終戦記念日の特集である。『民友』13面には「戦争を書く 戦後を生きる下」というコーナーで、作家の赤坂真理さんへのインタヴューが載っている。赤坂さんは、『東急プリズン』(河出書房新社)で「戦後」をテーマに取り上げている。それは、主人公がアメリカ留学の際に、進級の条件として、天皇に戦争責任があるかどうかの全校ディベートを求められたというものである。彼女は、「(国家神道上の天皇という)神をつくり出し、国家をまとめて戦争をして、負けた。実はそれは、日本人が思う以上に大きなことなのでは」と語っている。そして、新たに戦後は経済という「神話=大きな物語」を作り出したという。それらは「上から与えられた物語」であった。それに対して、「下からの物語」が必要だというのである。「共同体には多数が納得できる物語が必要だし、それは更新されていかなければならない。バラバラの物語を持つ個人が参加し、有機的に物語が作られる。その可能性を追求したい」と述べたという。

 加藤典洋氏は、『敗戦後論』『戦後的思考』で、戦後の過去との断絶を克服することを主張した。彼は、「大きな物語」への信仰は、対象が変わっただけで同じだというふうには述べていない。つまり、大衆は「転向」しなかったわけで、それを加藤氏は、吉本隆明の態度に見ているわけだ。しかし、このような抽象的レベルで「転向」していないと言っても、信仰対象が変わったのは大変化である。経済信仰は現世利益をもたらすかもしれないが、天皇信仰は死をもたらすかもしれない。それだけでもずいぶん違う。経済利益のために、モーレツ社員となって、過労死する戦士・信者も経済信仰から生まれることもあった。しかし、むき出しの経済利益の追求は、帝国主義戦争が国際的に認められていた戦前の方が激しかった。その規制は第一次大戦後にはすでに始まっていたが不十分であった。キリスト教信仰と現人神信仰はずいぶん異なるものだが、アメリカにとっては、対日戦争は、神(ゴッド)対現人神の神々の戦争でもあるし、その勝者としての立場というものがある。天皇に戦争責任があるかどうかというのは、現人神に戦争責任があるかという宗教的な問いにもつながっている。大東亜共栄圏構想に示された天皇=現人神を民族神からアジア神そして世界神へと飛躍させるという野望も潰えた。政教分離の世俗国家アメリカとの戦争に敗れたのである。それに、赤坂憲雄氏が明らかにしたように、「東」の天皇信仰の根は浅い。福島各地で再開された盆行事の多くは天皇信仰とは無関係である。ただし、「神話=大きな物語」と「小さな物語」という対比では不十分で、神話が「小さな物語」を組み込んで作られているということもあることに注意が必要だ。

 『民友』20面の読者投書欄には、86歳の元日本軍兵士からの「原発事故と原爆放射能2度体験」という投書が載っている。この人は現在会津若松にいるようだが、1945年(昭和20年)7月、「神社で武運長久のおはらいを受けて歩兵西部仙台に二等兵として入隊」したが、一週間後に仙台が空襲で廃墟と化し、九州師団第4中隊に配属され、天草島二江に駐留し、8月9日長崎の原爆が炸裂するのを目撃した。終戦後福島県の川俣町に戻った。「私は福島原発事故と長崎への原爆投下で2度、放射能を体験した」と述べている。日本の神に神社で祈ったが負けてしまった。日本の神は敗れたのである(民俗学者折口信夫)。投書の中には、原爆と原発事故を重ねて捉えるものがいくつかある。社説にもある。

 両紙のトップは、『民友」が「住宅再建に仮設素材 負担軽減県が方針 被災者の生活支援」。『民報』が「県医療機器開発センター構想 総事業費最大140億円 経産省が概算要求へ 立地先、年度内選定」。それぞれ「復興」対策の話である。

 両紙とも、福島第1・第2原発所員の一部が、入居や医療で差別を受けたことが判明したと報道している。東電社員の一部が、「原発所員であることを理由に、アパートの賃貸や病院の受診を断られたり、避難所で暴言を浴びせられたりしたことの証言があった」(『民友』2面)。「第1原発の元産業医で、現在は第2原発の産業医を務める愛媛大の谷川武教授(公衆衛生学)は「所員は復旧作業員であると同時に被災者でもある。社会の理解がなければ、うつ病や、作業へのモチベーション低下が懸念される」と指摘した」(同)。この原発所員はおそらく正社員のことだけで、下請け作業員は含まれていないのではないか。3・11の原発事故で、当初から悩みの種だったのは、専門家でないと対処できないということだった。なんとかしたいという思いが膨らむが、素人にはなんともできず、逃げるしかなかったという無力感にさいなまれたのである。その時、原発に近づいていった自衛隊の姿を見て、自分も行動しなければならないと思って、東電に一人で乗り込み、渋谷駅前でアピールし続けたのは、浪江町のエム牧場の吉沢さんである。そのインタビューが『情況』7・8月合併号にある。廃炉作業に専門家が必要なのは明らかだし、かれらに高いモチベーションが求められるのは確かだが、問題は、廃炉作業のモチベーションの中身であり、それが事故前のままでは安心できないということだ。是非とも原発全廃の思想で高いモチベーションを作ってもらいたい、

 『民友』25面には、「森林なぜ除染しない 国方針に反発広がる 林業廃れ、帰還支障 業者ら危機感 撤回要求へ」と題する記事で、森林除染は不要と方針転換した環境省の決定に反発が広がっている問題を取り上げている。田村市都路から田村市船引の仮設住宅へ避難している林業の男性は、「林業は何十年先も先を見据えて木を植えたりする仕事。このままでは担い手もいなくなる」と危機感を吐露した」(同25面)。

 15日から26日まで福島市で開催される「プロジェクトFUKUSHMA」の告知がある。7・16さよなら原発代々木17万人集会や官邸前金曜デモに参加した坂本龍一さんが初日に参加した。

 『民報』2面。「中間貯蔵施設の設置 国、県、双葉郡19日会議 本格論議スタートへ」が載っている。

東京電力福島第一原発事故による汚染廃棄物を受け入れる中間貯蔵施設の設置をめぐる県、双葉郡8町村と政府の会議は19日、福島市のサンルートプラザ福島で開かれることが決まった。14日、政府から対象町村に連絡があった。政府は地質調査の受け入れなどを要請する方針で、施設整備の本格的な議論がスタートする。
 政府はこれまで、地質調査に早急に着手したいとの意向を県などに伝えており、具体的な調査場所などを示すとみられる。
 政府は今年3月、大熊町の福島第1原発南側、双葉町の同原発北側、楢葉町の福島第2原発南側の3カ所を候補地として協力を要請したが、賠償問題などが先行し、議論はストップしていた。
 双葉地方町村会は今月開いた町村長会議で、施設設置に関する議論を始めることで合意した。首長だけでなく、各区町村議会、住民と議論しながら判断する方針を確認した。

  NHKニュースでは、浪江町で津波被害者を福島第1原発事故で救えなかった遺族がその責任を東電に問うたということが報道された。その一人は、東電に対して、遺族の思いが詰まった文章をしっかりと読んで欲しいと語った。そこに綴られた多くの物語を読めばわかるというのである。その物語の中で、死者が「成仏」するのを待っている。今年は去年はできなかった盆踊りや念仏踊りなどの盆行事が再開されたという記事が大きく、また、多く載っているのはそのためだ。先の戦争の死者が、「靖国」に「英霊」として祀られたいと思っていたなどとして一神社が独占し続けているのは、「霊」の観念の悪用でしかなく、戦死者の多くは、家族や友人や共同体に、その一員として普通に慰霊されることしか望んでいないと想像している。「霊」の上に「英」などという形容を付ける特別扱いを望んだとは思えない。戦後の一部の政治家などが戦死者の「英霊」化によって何かよからぬことを企んで、「霊」の観念の悪用をしているとしか思えないのである。共同体―個の物語が歪められて、「英霊」物語に不当にも書き換えられているのだ。

 福島で聞くととても頭にくるには、野田首相の「東日本大震災からの復興を日本再生につなげる」という言葉である。福島は日本の国策としての原発推進策の結果、福島第1原発事故による被害に苦しめられることになったからである。日本政府のせいでこうなったのだ。どうしてそんな国の再生に福島の復興が利用されなければならないのか。無神経極まりない発言だ。井戸川双葉町長の「双葉郡民を国民と思ってますか」と政府・国を問うた言葉も、総理には届いていないようだ。それを受け止められるだけの深い思想も持っていないことが福島ではよく見える。

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福島にて2

 8月14日付『福島民報』のトップ記事は、「県内5地域住民、外部被ばく 1ミリシーベルト未満58.6%に増 県民健康管理調査原発事故後4カ月間」で、『福島民友』のトップは「国際会議誘致に500万円 県補助上限引き上げ」である。

 『民報』のトップ記事は昨日の記事の続きである。同じ情報が『民友』では2面に載っている。『民友』のトップ記事の内容は簡単で、復興事業として国際会議の誘致を支援するのを強化するのを目的に、補助金の上限額を引き上げることを決定したということだ。両紙とも、GDP成長率の急減速を報じていて、昨日の紙面では、東京にある県のアンテナショップの売り上げが落ちていることを報じている。

 『民報』トップの外部被ばく線量の推計値は、県が、県北、県中、会津、南会津、相双の5地域に分けて行なってきた問診票をもとに13日に発表した推計結果である。放射線業務従事経験者を除く2万1016人の事故から4カ月間の外部被ばく線量を問診票から推計したのである。2面に「5地域の外部被ばく線量の推計値」の表が載っている。それによると、地域によるばらつきが大きい。「放射線業務従事経験者を除く1万4611人のうち、1ミリシーベル未満は8336人で57.1%となり、割合は前回公表時の57%とほぼ同じだった。新たに推計した中での最大値は14ミリシーベルトだった。これまでの最大値は25.1ミリシーベルトとなっている」(1面)。これについて、県民健康管理調査検討委員会(座長・山下俊一福島医大副学長)は、「従来の疫学調査を踏まえ、「健康への影響があるとは考えにくい」としている」(同)とコメントしたという*。

*一般人が年間に受ける被ばく線量は通常は1ミリシーベルトが上限だが、国際放射線防護委員会(ICRP)は、緊急時は20~100ミリシーベルト以下にするよう勧告している(『民友』2面)。

 また、東電が、旧緊急時避難準備区域、屋内退避区域などの被災者の精神的賠償を17日から受け付けるという記事がある(『民友』3面)。「東京電力は13日、旧緊急時避難区域、旧屋内退避区域などで早期に帰還したり、避難せずに区域に滞在し続けた人に対する精神的損害賠償の請求書を同日から配布し、17日から請求受け付けを開始すると発表した」(同上)。その隣には、「森林除染」について国が全体は不要とした決定見直しを県が環境省に要望したという記事がある。『民友』2面下には「東日本大震災県内被害状況」(8月13日付)の表がある。それによると、死者2744人、行方不明者5人、重軽傷者182人、避難者1万1992人、住宅全壊2万775棟、である。3面に県外避難者数が載っている。「県は13日、県外に避難している2日現在の避難者数を発表、全回(7月5日)と比べ670人減少、6万878人となった」(同上)。上位は、第1位山形県1万1469人、2位東京都7779人、3位新潟県6328人、4位埼玉県4159人、5位千葉県3222人、6位神奈川県の2645人となっている。新潟県が多い理由の一つは、東電関係者が東電柏崎刈羽原発に移ったことによるものである(『フクシマ論』青土社 開沼博(いわき市出身など))。避難先は、仮設住宅や民間借り上げ住宅などが4万9137人、親類宅と知人宅1万1527人、学校などの避難所214人などである。

 昨日書いたように、両紙とも復興を前面に出していて、楢葉町の初の昼間の盆の墓参りの様子を伝えたり、各地での盆の行事の復活を取り上げている。『民友』社説は、「警戒区域解除 楢葉町復興へ着実な歩みを」というタイトルで、「除染、インフラの復旧、雇用の確保など、すべては連関しており、どれが欠けても町の復興は実現しない。そのためにも国は上水道や道路、鉄道など公共インフラ復旧の工程表を一刻も早く示すなど、楢葉町復興への道筋を明らかにすべきだ」(3面)という要求を掲げている。しかし、現実には、「仮設住宅ニュース」で三春町過足の葛尾村から14世帯37人が暮らす仮設住宅で「入居1年で初の総会」(『民報』26面)という記事があるように、復興どころではない避難者が多くいる。同じ三春町には中郷地区に富岡町からの避難者の仮設住宅もあり、それを見てきた。NHK全国ニュースでは三春町にある被災地に放置されたペットを飼い主が引き取るかどうかの意思確認を取るということが報道されていた。その数は約1000人という。三春には、政府の復興委員会で被災地の動物の殺処分に反対した作家で福聚寺住職の玄有宗久氏がいる。引き取られたペットの飼育のエサ代のかなりの費用がかかっているということが強調されていた。

 14日の新聞では地元2紙よりも、中央紙の『毎日』の方が内容のある記事を載せていたと思う。一つは、「ふるさと―原発事故17カ月 変わらぬ空恋しく 「東京で生きる道を」でも……」という連載である。双葉町から東京都新宿区戸山団地に避難している松枝さんと家族をルポしたものだ。それから、「「被災地の科学 難しい子供の内部被ばく測定」という記事がある。それと関連してかどうか、「記者の目」で「放射線セシウム新基準値」について、「低リスク伝え風評被害止めよ」という署名記事が載っている。厚生労働省が一般食品1キロあたりに含まれる放射性セシウムの新基準値を500ベクレルから100ベクレルに引き下げたというものである。しかし、「大地を守る会」「パルシステム生協」やイオンなどが、それ以下の基準値を設けて自主規制し安全性を競い合っているのに対して、コープ福島理事長の佐藤理福島大教授の「基準値をただ下げても、安心できないレベルが下がるだけで、不安の解消にはならない。むしろ福島の農業再生を遅らせている」と言っているそうだ。

 被ばくの問題は、今、新たにどれだけの放射線を体外・体内被ばくするかということだけではなく、どれだけ被ばくしてしまったか、そして、それが個人差もあれば状態にもより、その影響がどう進行するかがよくわからないということにあり、今からあまり被ばくしないということをいくら数値で示してみても大したことはなく、ただ、今とこれからだけを考えれば、被ばくは小さくなっているし、今作られている農産物については被ばくを過大に恐れて福島県産農産物を食べないとすれば、それはこの記者の言うとおり、風評被害でしかない。福島では今後のチェルノブイリ化ということが懸念されているのであり、その影響は数年後に本格的に出てくる。それに対して、すでに十分に放射線量が安全基準を下回っているところでは人もこれまでよりは住めるようになろうし、農産物も食べてもあまり問題がないというようになっていくだろう。放射能汚染の分布の状態もまちまちなので、ところによって条件は大きく異なっている。それを福島というだけで一括りにしてよしとするような安全確保最優先の緊急性は薄らいできているということは言えよう。

 しかし、被災者の東電・国に対する不信と怒りは強く、保守的な土地柄であるだけに過去の態度がいったんひっくり返った場合の保守的な粘り強さをもっている。まるで、足尾銅山から出た鉱毒に汚染された村に残ろうとした谷中村(渡良瀬遊水地に水没)の人々の闘いのようであり、三里塚の農民たちの闘いのようでもある。そういう人のことが『福島民報』27面で取り上げられている。これらの記事と並ぶと、「世界が「頑張れ福島」」(8月13日『民報』)というオリンピックを利用した東電擁護の提灯記事も虚しく響く。14日、県内ニュースで、福島第1原発4号機建屋内で放射能汚染水漏れが起きたことが伝えられた。「なでしこ」ジャパンには楢葉町Jヴィレッジを本拠地とする東電マリーゼ所属選手がいる。東電への不信と怒りは以下のように簡単には解けるものではなく深いところに達している。福島訴訟団も結成されて司法の場での人々の東電・国の責任追及も本格化している。原告団事務局は三春町に接する田村市船引の芦沢地区にある。なお、三春町から、7月16日のさよなら原発17万人集会に何人もの人が参加したということを聞いた。

 

自責と憤り今も(『福島民報』8月14日 27面)

 潮焼けた手を合わせ、毎朝二人の遺影に向かって頭を下げる。「すまんかった」と―。東日本大震災による津波で家族を亡くしたことへの自責の念。沖に出て守った船まで東京電力に奪われた憤り。「骨をうずめる」と決めた避難先で今も思い詰める漁師がいる。
 浪江町の桜井悦守さん(70)が今年7月、避難先のいわき市小名浜に借金で土地と墓を買い、長男(51)と新居を構えた。妻美喜子さん=当時(71)=と長男の妻=同(48)=の骨つぼにひとつかみ、故郷の土を入れた。
 真新しい仏壇。毎朝欠かさず供える温かいご飯と茶。間に合わせの祭壇で迎えた初盆から1年たち「一安心というか、一区切りついたのかな」。
 津波で壊滅した上、警戒区域に設定された故郷には、一度も戻っていない。「思い出したくないし、二人は骨になってそばにいるから」と言う。
 昨年3月11日。「波が引けば船は転覆する」と、とっさに沖へ出た。脳梗塞を患い、車いすの美喜子さんら二人を自宅に残したまま。
 18歳のとき、三陸沿岸を中心に犠牲者を出したチリ冲地震津波を経験したが、地区に被害がほとんどなかった記憶があだになった。自宅は浜から約300メートル。「津波、ここまで来っかな」と聞く長男の妻に「大丈夫だと思うけどなあ」と答え、家を出ていた。
 霧が包むように岸辺が波しぶきで白く染まり、数キロ南の第一原発の建屋を覆い隠すさまを、沖でなすすべもなく眺めるしかなかった。「死ぬまで背負っていかなくちゃなんねえ」。翌朝、土台だけになった自宅跡地でさめざめと泣いた。
 二人が遺体で見つかったのは、約1カ月後に大規模捜索が始まった直後。「おやじは顔見んな。見せらんねえ」と、桜井さんの心労を気遣った長男らだけで対面。「50年連れ添ったかみさんの顔も見られない悲しみあっか? 人間これ以上の苦しみあっか?」
 すぐに捜索していれば助かる命はあった。地区の区長(69)は津波直後、うめき声を頼りに、がれきの下から女性を救助している。なぜ置き去りにされたのか。桜井さんは浪江町遺族会の一員として、東電の責任を追求していくつもりだ。
 長靴とカッパズボンの海一筋の人生。家族を亡くしてまで守った船は、港が警戒区域となり見回りできないまま行方不明だ。「沈んだのか、流されたのか」。東電は「賠償の対象」としているが、一向に話は前に進まず、いらだちも募る。
 「父ちゃん、頑張るから。命ある限り闘うよ」。二人にいい報告をするため、線香をあげながら語り掛けている。(共同=八田尚彦)

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福島にて

 8月13日付『福島民報』『福島民友』を見ると、オリンピックの話題が紙面の多くを占めている。3月11日前後の紙面とは大きく変わっている。

 『福島民報』の1面には、「県民健康管理調査 秋から問診票分析 市町村ごと被ばく傾向公表」という記事がある。これは、昨年6月に福島県立医大放射線医学県民健康管理センターが全県民約205万人を対象に問診票を郵送して行っているもので、今年9月末までに回収するとしていたものである。今まで回収できいるのは約46万人分で、外部被ばく線量の推定値を本人に通知することにしている。その他は、復興話がほとんどで、例えば、NHKの地元ニュースでは、南相馬市小高地区の置いたままになっていた荷物の小学校への許可された一時立ち入りの様子や避難区域から避難指示解除準備区域になったばかりで昼間の立ち入り制限が解除された楢葉町の様子などを伝えていた。昼間しか立ち入れないので町民は戻れないままである。

 しかし、オリンピックで被災地は盛り上がっているふうもなく、表面上は落ち着いて見える。地元の人の中には、阿武隈川河川敷の除草作業や除染作業に行ったりして、とりあえず公共事業で日々をしのいでいるという感じの人もいる。

 『民報」に「リレー連載 大震災と医療、そして前へ19」というのがあったので、転載しておく。被ばくによる健康被害はこれから本格的に現れてくるからである。「災害高血圧を世界に提唱 自治医大教授 苅尾七臣」というタイトルである。

 なお、『民報」『民友」とも、自社の創立者として、福島の自由民権活動家平島松尾をしのぶ催しを紹介している。

 それから、『民友』には、東京電力と政府が発表した「原発事故の財物賠償基準」を「内容難しく不透明」(9面)と評した記事を載せている(報道部・鈴木裕介)。そこにある「賠償基準の骨子」を転載する。

 もう一つ。『民友』27面には、8月15日の特集として「語り継ぐ戦争④」として、福島第一原発がある双葉町の石田さん(87歳)の戦争・抑留・原発事故の避難という不条理への怒りを記した記事がある。石田さんは朝鮮の羅南(朝鮮半島北東部)で終戦を迎え、進駐したソ連軍によってシベリアに送られた。1948年9月に帰国し、双葉町で造林業に従事し、60歳頃に引退してからは趣味の釣り三昧で暮らしていたが、福島第一原発事故で避難を余儀なくされた。石田さんは、「戦争といい原発事故といい、国にまた裏切られた」と話す。そして、「戦争は人を獣にする。つらい記憶ばかりが残る。あのような経験を若者たちに絶対させたくない」と語っている。

 

賠償基準の骨子

○不動産の賠償は避難区域の再編に伴い1年ごとに賠償額を上積みし、事故発生から6年(再編から5年)以上帰宅できない場合は事故前の価値の全額を賠償
○区域再編後に、「居住制限区域」は事故前の価値の約50%分、「避難指示解除準備区域」は約33%分、「帰還困難区域」は全額を一括払い
○家屋の賠償は新築する場合の相場や鑑定上の評価など3方式から被害者が選択
○家財は家族構成に応じえ賠償。帰還困難区域は他区域の約3割増
○農林業の営業損害は5年分、その他の業種は3年分を一括払い

 災害高血圧を世界に提唱 自治医大教授 苅尾七臣

 阪神大震災と東日本大震災の経験と調査を基に、震災後に発生する高血圧の特徴を明らかにして「災害高血圧」と命名し、提唱した。
 災害高血圧は、災害後の循環器疾患の引きがねとなる。震災後二~四週間は最大血圧が平均五~二五ほど上昇する。この血圧上昇には個人差が大きく、震災前には一三〇程度でも、震災後、二〇〇以上になることもある。この高血圧は通常一過性で、循環改善とともに四週目から下降に転じる。
 災害高血圧に対しても一四〇未満を目標としたい。また災害時には、救護班や医療機関で測定した血圧は高くても、自分で測定した血圧は正常なことも多い。避難所に自動血圧計を配備し、自己測定の血圧も参考にする。血圧レベルは二週間ごとに再評価して高圧療法を見直す必要がある。
 この災害高血圧の発生メカニズムは「生活行動のサーカディアンリズムの障害」と考えてる。災害の大きなストレスや環境激変で、昼間に元気に活動して夜ぐっすり眠るという健全な生活行動のサーカディアンリズム(約二十四時間を周期とした概日リズム)が崩れる。
 近年、このサーカディアンリズムの障害で、体質変化が生じ「食塩感受性」となることが分かってきた。食塩感受性とは、体の中に食塩をためる体質のことで、食塩摂取が増え続けば、災害高血圧が発生しやすい。
 高齢者や、慢性腎臓病、肥満・メテボリック・シンドロームなど「食塩感受性」が増加している患者では災害後の血圧上昇が長引いていた。災害時こそ、睡眠環境の改善や昼間の身体活動の維持で生活のサーカディアンリズムを保ち、徹底した減塩を行うことが重要だ。
 昨年の秋に北京で開かれた世界高血圧会議のシンポジウムで、「災害高血圧」に関して発表した。最後のスライドは日の丸とし「Japan、never、give up!」(日本は決してあきらめない)と締めくくった。反響は大きく、「自国でも災害時循環器リスク予防(DCAP)スコアを活用したい」などの言葉を受けた。学会長も招宴のスピーチで私の発表について「I was moved」(感動した)と言及した。
 医療は過去の研究成果に基づく実学である。現在、日本は次の震災に対して臨戦態勢にある。二つの大震災の経験を次に生かすには、災害時のより的確な学術ガイドラインと、直ちに実行に移せるマニュアル作成が急務だろう。現在、日本循環器学会、日本心臓病学会、日本高血圧学会で三学会合同ガイドラインの作成が始まっている。(6面)

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第1期東北学

 ようやく第1期東北学全10冊が揃った。編集責任者の赤坂憲雄氏の思考がすごいなと思うのは、以下のような考え方を持っているからである。それは、一言で言えば、方法論に関する弁証法的な考え方である。

 それに対して、歴史認識論争において、上野千鶴子氏が、歴史学の方法論の転換を強調してやや他の論者とずれた論を展開していた。歴史学における「言語論的転回」ということを上野氏は強調して、歴史実証主義を批判したのだが、実証主義批判としては、すでにマルクスの『ルイ・ボナパルトのブリュ―メル18日』などの著作による遂行例がある。それに、マルクスは、『資本論』序文で、研究の方法と叙述の方法が違うということを言っている。物語性・文学性ということと歴史学は結びついていて、それはカルロ・ギンズブルグの指摘しているとおりだと思う。それらを厳密に分け得るという信念が、近代実証主義歴史学を支配していたわけで、それが、あの歴史認識論争で俎上にのぼせられたのである。歴史の問題というのは、そうした学問上の方法論をつねに脅かす歴史的事実への存在感覚を基礎にしているということを忘れると、上野氏のように、「言語論的転回」という認識論上の新思想が歴史を見る場合の決定的因子になるように思われてしまうのだ。物語・歴史の中にリアリティを嗅ぎ取る嗅覚なしに、歴史学はありえないということである。ギリシア神話からトロイの存在を嗅ぎ取ったシュリーマンのような感覚が必要なのだ。「言語論的転回」のように、存在を言語に切り縮めてはいけないのである。上野氏は、『ナショナリズムとジェンダー』などで、吉見義明さんなどを歴史実証主義と批判したが、吉見氏の『従軍慰安婦』(岩波新書)を今改めて読むと、このような仕事があったおかげで、歴史修正主義を破綻に追い込むことが容易になったことがわかる。明らかに、この闘いにおいてこの書が左派の側に役立っていることを率直に認めるべきだ。

 「わたしたちはもはや、国境に閉ざされ、中心のシンボリズムや力学に呪縛されてあった、これまでの『日本の歴史』に身を寄り添わせることはできない。中心と周縁の構図の内側に封じ込められてきた、これまでの歴史観は無効を宣告されつつある。国家とは何か、民族とは何か、という根源の場所に立ちもどって、すべての歴史は改めて構築されねばならない。いま、どこかしこで、ひとつの中心に支えられた『ひとつの日本』が壊れていく。国境が沈んでいく。そうしてその屍を踏み越えて、『いくつもの日本』を抱いた、あらたな列島の民族史が、やがて姿を現わすだろう。古めかしい物語や神話への回帰では癒されぬ、救いがたい現実をこそ凝視しなければならない。これは『ひとつの日本』から『いくつもの日本』への転換の現場である」。
 注意しておきたいことは、「いくつもの日本」とは目的やゴールではなく、方法にすぎないということです。……「いくつもの日本」という方法的なベクトルは、それゆえに、いずれ乗り越えられていくものだと思います。(『東北学』VOL.8 作品社 4ページ)

 「「いくつもの日本」という方法的なベクトルは、それゆえに、いずれ乗り越えられていくものだと思います」

 素晴らしい!

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新しい世代との対話はどのようにしたら可能か

 最近、20才前後の学生と話す機会が増えた。

 かれらはゆとり世代で非常に素直に見える。話を聞いてみると、非常に未来に希望を持っていないということに気づかされる。昨年の学生の自殺者数が1000人を超えたという統計があるとも聞いた。

 年の差が大きく、世代間ギャップを感じるのは当然だが、ある人から、中曽根臨教審路線の結果だと言われて、あれを潰せなかった責任を感じてしまう。

 最近のキャンパスには自由がないということもわかった。居場所がないというのである。しかも就活に追われているという。あすの豊かさを信じられた時代は終わったようだ。しかし、希望がなければ、日々の苦労も苦役でしかないだろうにと気の毒になった。

 世代間でどのようなコミュニケーションが可能なのか考えさせられてしまう。

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