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2012年10月

最近のこと

 人々の脱・反原発意識は根強いものがあるが、民主党野田政権はそれに応えることがまったくできないことがますます明らかになっている。

 10月19日付『福島民報」の1面トップは「仮の町 26市町村受け入れ意向 分散型14、集中型5など」という記事である。すなわち、「東京電力福島第一原発事故で避難している自治体の町外コミュニティー(仮の町)整備で、福島民報社は十八日までに、仮の町構想を掲げる四町を除く五十五市町村の意向を確認するアンケートを実施した。約半数に当たる二十六市町村が「受け入れの意向がある」と回答。整備形態については十四市町村が「分散型」、五市町村が「集中型」、四市町村が「どちらでも可能」、三市町は「未定」とした。受け入れる理由として、避難自治体を県全体で支えるべきとする答えが目立った」(同1面)というものである。被ばくについての県民調査を県は進めているが、回収率が悪いということが問題になっている。その際に、この調査の目的として、被ばくによる症状の治療のために役立てるということは、山下県立医大副学長の言葉としてひとつも出てこない。「安全」という前提があるために、治療が必要になるという想定が表向きは取られてないためである。しかし、実際には、子供の医療費無料化や各種の検査が実施されており、また、「自主避難者らの「がん検診」 県内全域で可能に 県が推進計画 来年度にも体制整備」(同)という記事が載っているように、健康被害が今後出てくることを想定した対策を取っている。山下をはじめとする県医療界に、福島の人々の命を守る、命を救う、真剣に治療するという姿勢や熱意が感じられず、医療不信を強く感じさせるような態度しか見えない。これは、メタボリック・シンドローム対策や喫煙対策などが規定されている健康増進法は、「「健康は国民の義務」をスローガンとして行っていた『ナチス・ドイツ政権の反タバコ運動』に酷似するものであるとして、健康ファシズム・禁煙ファシズムなどと揶揄され、一部有識者などによって批判もされている」(ウィキペディア)というもので、そもそも国家=厚生労働省と結託している官側の医者の言うことなどとうてい信用できないということをも示している。山下が福島の人々の健康と命を真剣に守ろうとしていることを信用できるような材料は今のところまったく出てきておらず、その逆に、福島の人々の健康や命をまったく真剣に考えていないということを示す言動しかしていない。かつて原爆投下直後に広島に入って研究データだけを集めていって、それをまったく治療に役立てなかったアメリカのABCCの研究者たちと同じことをやっているようにしか見えない。彼は福島に研究者としてきているのであって、真摯な治療者、真剣に人々の命を救う医者としてきているとはとうてい思えない。山下が福島の医療界を牛耳っている限り福島の人々の命は危ないと見ざるを得ない。

 他方、孫崎享氏(元外交官)の、尖閣諸島などの領土問題を仕掛けているのは、アメリカであり、それによってアメリカのプレゼンスを示しているという仮説がある。つまり、アメリカは沖縄の米軍基地の存在意義を示しているというのである。ちょうどこのタイミングでオスプレイ配備があったことを考えると、それももっともと思える。しかも、まるで実験飛行でもしているかのように好き勝手に沖縄上空を飛び回っている。実験飛行というのは正解なのではないか。あるいは示威行動である。そして、またしても米兵によるレイプ事件が起こり、それを森本防衛大臣は「事故」と言っているという。当然沖縄からそれに対する抗議の声が突きつけられている。これは犯罪であり事件である。加害者と被害者がいる。それをごまかす発言をする大臣を任命した野田には任命責任がある。また、尖閣列島問題での日本共産党志位の発言は、「固有の領土論」という政府と同じ見解に立つもので、「狼どもの国際法」を容認しているのだから、領土問題の武力解決をも許容するということになってしまい、もし中国軍なりが島を軍事占領したら武力で反撃する以外にないということを認めることになる。かつてフォークランドの領有をめぐってアルゼンチンとイギリスが戦争をしたことがある(フォークランド紛争)。それは、遠い過去のことではなく、サッチャー政権時代の1982年のことだ。領土問題を強硬に主張することは、戦争を呼び起こす可能性があり、それに対する備えとして、軍事力強化への圧力を強めることになる。その覚悟なしに、こういうことを言うことが理性的で冷静なことだとはとうてい思えない。

 先週は慌しく、福島と京都へ行ってきて、疲れ気味だが、ポストモダン派というか、現代思想派の政治、権力闘争というものについて、このところ、考えざるをえない出来事が起きている。それは、たとえば、ミクロ権力とかいう概念を駆使しつつ、権力闘争を仕掛けていたポストモダン派の学者たちが、今や、若手ではなくベテランになり、権威となってきているので、それをどう考えたらいいか、あるいはどう対応したらいいかというようなことを真剣に考えざるを得くなっているということである。そこで、子安宣邦という人の『日本近代思想批判』(岩波現代文庫)という本を入手して読んでみたのだが、これがあまりにも内容がないので驚いた。これは、ある種の概念を作って、それを対象に当てはめて批判するというだけのもので、自らの積極的主張もなければ、内容の対置もない。ただ批判だけしている貧相な文書ばかりなのだ。たとえば、ある種の問題のある視線を指摘して、それを柳田国男に当てはめて、一国民俗学だと決め付ける。ところが、それに代わる氏の考える「常民像・史」がない。先の戦争についても、暗い部分を見るのを忘れてはならないというのみで、一体氏がどういうところを暗い部分と見ているのかは書かれていない。民衆史は、「常民」の記憶の語り、物語の中で記録され継承されるものがなければ、まったく存在し得ない。そうしたら権力側の記録からしか民衆の姿は見えなくなってしまう。それでは、民衆というものが存在しないようになってしまう。あるのはただ抽象的な視線とやらとそれによって見出され構成されたイメージとしての学的構築物のみである。だから、全体的な印象としては、この人は、民衆というもの、あるいはその概念を抹殺しようとしているとしか見えないのである。具体的な個人すら、「視線」というものに抽象化されているが、それは、方法的な概念であり、抽象物でしかないということをすっかり見失っている。そんなものを万能の道具化して振り回しているのだ。それにどんな意味があるのか理解できない。こういう上から目線には単純に感覚的にカチンとくるが、それは正しい感覚であると思う。内容がなければ、ただ権威が残るだけである。あれはお偉い先生が書いたものだから大したものであるに違いないというような。しかし、この手の先生方はそういうものと闘ってきたはずではなかったか。

 ポストモダンな思想家と言われるミッシェル・フーコーは監獄という国家暴力装置と現実に闘った人、国家権力と闘った人である。ところが、日本でフーコーをやたら振り回す知識人のなかに、国家権力と闘っている人がいるだろうか。いそうもない。それどころか、逆に、国家権力の側に立っている者がいる。これは、師の生き方とはまったく反対の、師に対する裏切りであり、冒涜以外の何ものでもない。こういうことは子供でもわかるようなことで、それをいくらレトリックで覆い隠そうとしても隠せるものではない。バレバレである。フーコーを振り回して国家権力と闘わない者と闘うことはフーコーに忠実なことである。かつて権威と闘った青年知識人も今や自ら権威となっている。長老政治の弊害も、議会政治の中では多少は問題にされているが、知識人世界の中でももっと問題にされてもいい。そこにどっぷり浸かっている若手も同じである。

 「転向」は恥であるという感覚を保持すべきである。保守派や右派は「転向」を現実的態度と称するが、そう言いながら、かれらは自己の人格が薄汚れ曲がっていったことを多少は自覚する場合がある。かれらは自己の人格がおかしくなっていくことを少しは嘆いてもいる。年をとってからその歪みを正そうとする者もいる。それには、まだあまりねじ曲がっていない人格の若い者から学ぶ必要がある。そうでなければ、歪んだ人格が周りに悪影響を与えないようなところに引っ込むべきだ。そうして、この方面で、よき社会への前進の道が整えられるようになるのである。

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日共の反動を乗り越えて

 現在の支配階級と同じく、日本共産党は、マルクスが『共産党宣言』その他で繰り返し強調した労働者の国際主義の立場を投げ捨て、ブルジョア民族主義・排外主義に転落し、自分たちが裏切り者になったことすら今や都合よく忘却していることを以下の志位の文書は隠しようもなく自己暴露している。脱・反原発運動でも、かつて原子力の「平和利用」を唱え、原子力政策の「改善」のみを弱々しく訴えてきたに過ぎない日共は、それを自己批判し改めることなく、まるで昔から原発に反対してきたかのごとく、党史を偽り、セクト主義的な共産党への投票運動に運動を流し込もうとしている。7月29日の国会包囲の際には、東京土建などの共産党系の労組・市民団体の大部隊が組織動員されていた。かれらは、脱・反原発運動の中で、実力闘争的な闘いに積極的に敵対し、運動を議会主義に染め上げようとしている。

 その日共が、この間の尖閣列島領有問題で、その排外主義と反動性丸出しの志位委員長の「見解と提案」なる文書を「しんぶん赤旗」9月20日号で公表した。その冒頭で、志位は、「まず、日本への批判を暴力で表す行動は、いかなる理由であれ許されない」と、この間の一連の騒動が、石原東京都知事の尖閣列島買収運動から始まったことをまったく無視して、中国「国民」に向かって、「日本批判の暴力は許されない」と命令している。そして、どういうわけか、日本の中にも中国批判の暴力的行為を辞さない排外主義者の蛮行がなされているというのに、それをやめろとは命令していない。その上、あたかも共産党政権があるかのごとく、企業や大使館を守れと言っている。そして、2010年10月4日に発表した、尖閣列島問題についての共産党の見解を再掲している。その最初は、「―日本は、1895年1月に、尖閣諸島の領有を宣言したが、これは、「無主の地」の「先占」という、国際法上まったく正当な行為であった」というものだ。1618年から1648年にかけて闘われたプロテスタントとカトリックの間の宗教戦争である三十年戦争の講和条約であるウェストファーリア条約は、「近代における国際法発展の端緒となり、近代国際法の元祖ともいうべき条約」(ウィキペディア)と言われる。また、これによってヴェストファーレン体制(Westphalian sovereignty)ができた。「この枠組みにより、世俗的にはプロテスタントとローマ・カトリック教会が対等となることで、政治的にはローマ・カトリック教会によって権威付けられた神聖ローマ帝国の領邦に主権が認められたことで、中世以来の超領域的な存在としての神聖ローマ帝国の影響力が薄れた。またこれに代わってヨーロッパでは、世俗的な国家がそれぞれの領域に主権を及ぼし統治することとなった」(ウィキペディア)というものがその後の国民国家体制の基になって今日にいたっている。その上に、帝国主義へと発展して行った大国=強国の強盗的論理として、「無主地の先占」権が主権国家に認められた。それは先住民がいても主権国家を形成していなければ「無主地」とするという得手勝手な理屈であり、明治政府はこの理屈でアイヌという先住民をアイヌモシリの「主」と認めず、一方的に北海道を領有したのであった。独島・竹島問題でもそうであったが、その点について、「在日」の半月城さんは、「半月城通信」で以下のように述べている。

万国公法について明治の元勲である木戸孝允は「万国公法は小国を奪う一道具」と喝破しました。万国公法は、弱肉強食の時代に覇権を追い求めた大国が、貪欲に領土拡張をおこなった際にお互いの利害調整をはかって積みあげた強者間の、いわば「狼どもの国際法」でした。そのため、侵略戦争すら合法であることは周知の通りです。

 志位の言ってることは、「狼どもの国際法」を無批判に適用しているにすぎないのである。そして、先に引用したウィキペディアは、「もっとも大事なのは国家における領土権、領土内の法的主権およびと主権国家による相互内政不可侵の原理が確立され、近代外交および現代国際法の根本原則が確立されたことである」と書いている。国際先住民年以来、先住民の権利の確立が国際的な流れになってもおり、そのことは、尖閣列島やその周囲の漁場などで生活を立ててきた人々、台湾と沖縄の人々の権利が優先されるべきであるということを指し示している。ところが、志位は、そんな存在、人々の姿はまったく見ておらず、ただ、国家と「国民」によって成り立つウェストファーリア体制を前提とした近代国民国家の利害関係のみを見ているのである。そして、彼は、両「国民」に自制を呼びかけている。それから、歴代日本政府の対応を批判し、ことに、領土問題の存在を主張しないことを批判している。すなわち、「尖閣諸島の問題を解決するためには、「領土問題は存在しない」という立場をあらため、領土に関わる紛争問題が存在することを正面から認め、冷静で理性的な外交交渉によって、日本の領有の正当性を堂々と主張し、解決をはかるという立場に立つべきである」というのである。その際に、尖閣列島の領有は、日清戦争による植民地主義による割譲ではなく、「無主地の先占」であるというのが志位の主張である。その頃、中国は清王朝であり、近代国民国家の中華民国が成立したのが辛亥革命後の1912年である。徳川幕府の日本は、近代国民国家ではなく、しかも、その後も長く不平等条約を欧米諸国と結ばされていた。主権国家の主権とはどのようなものだったのだろうか。領土をもって主権の中心とされていたのだろうか。主権とは何かについても考えてみないといけないが、それはここでは置いておく。

 最後に、志位は、「領土問題の解決は、政府間の交渉のみならず、相手国の国民世論をも納得させるような対応が必要である。「日本軍国主義の侵略」だと考えている中国国民に対しても、過去の侵略戦争にたいする真剣な反省とともに、この問題をめぐる歴史的事実と国際的道理を冷静に説き、理解を得る外交努力こそ、いま求められていることを強調したい」として冷静さを強調している。

 志位は、「日本への批判を暴力で表す行動は、いかなる理由であれ許されない」「どんな問題でも、道理にもとづき、冷静な態度で解決をはかるという態度を守るべきである」「日中双方ともに、きびしく自制することが必要である」「冷静で理性的な外交交渉によって、日本の領有の正当性を堂々と主張し、解決をはかる」「過去の侵略戦争にたいする真剣な反省とともに、この問題をめぐる歴史的事実と国際的道理を冷静に説き、理解を得る外交努力こそ、いま求められている」と、理性的であることや冷静さを強調している。そうではなく、本物の共産主義者とプロレタリア国際主義者と真に労働者大衆の立場に立つ者は、領土問題を「国民」対「国民」の対立テーマにしようとする両国政府に対して、それに逆らって、双方の労働者人民が国際主義の思想にもとづいて、自国政府の領土要求にそれぞれ反対して同時に行動し、その最前線でも交歓すること、交歓を組織することが必要だ。冷静にではなく、感動的に、生き生きとした感情、感覚をもって、それを呼びかけ、行動することである。

 今、オスプレイ配備を押し付けられようとしている沖縄の人々は、「怒り」を表す赤いTシャツを着て、闘いに立ち上がっている(10万人以上の沖縄県民大集会)。沖縄の人々は怒りの炎の赤に染まっている。また、原発惨禍に見舞われ、森の生活を奪われた武藤頼子さんの『福島からあなたへ』(大月書店)の帯には、「わたしは怒りを燃やす東北の鬼です」と書かれている。武藤さんは、まさに、するどく生き生きとした深い感情、感覚をもって、闘いに立ちあがっている。そして、ここには、この間の東北におけるアイデンティティーの変化が反映されている。例えば、征夷大将軍坂上田村麻呂を神社に祀ってきたことに示されるような、その末裔とする東北人意識から、青森のねぶた祭りの最高賞坂上田村麻呂賞がなくなったように、むしろ、蝦夷の族長で大和政権によって処刑されたアテルイの末裔であることを誇りにするとか、中央から鬼とされ、坂上田村麻呂に退治された伝説上の大多鬼丸・大竹丸・悪路王などを顕彰したりするようになった(例えば、福島県田村市滝根の大滝根山に大多鬼丸の銅像が建てられた。3・11はまさにその田村麻呂が作ったとされる清水寺管長による開眼法要が予定されている時に起きた)。武藤さんの本には、それまでの中央側の田村麻呂の末裔としてのアイデンティティーから解放され、蝦夷のアイデンティティーを持つように変化しつつある東北人の意識のあり様の変化が先端的に示されている。それを灰色に塗りつぶすような志位の提案には、実際的な解決の可能性はない。「国民」一般の立場に列島に住む人々を塗り固めているのだ。主体としての人々の生き生きとした姿が消えているのだ。かかる志位の反動的反労働者的反人民的な本性を暴露し、大衆的諸運動と国際主義的運動を前進させなければならない。

外交交渉による尖閣諸島問題の解決を
日本共産党幹部会委員長 志位 和夫
2012年9月20日 

 尖閣諸島(中国名・釣魚島)問題をめぐって、日本と中国の両国間の対立と緊張が深刻になっている。この問題の解決をどうはかるかについて、現時点での日本共産党の見解と提案を明らかにする。

(1)

 まず、日本への批判を暴力で表す行動は、いかなる理由であれ許されない。どんな問題でも、道理にもとづき、冷静な態度で解決をはかるという態度を守るべきである。わが党は、中国政府に対して、中国国民に自制をうながす対応をとること、在中国邦人、日本企業、日本大使館の安全確保のために万全の措置をとることを求める。

 また、物理的対応の強化や、軍事的対応論は、両国・両国民にとって何の利益もなく、理性的な解決の道を閉ざす、危険な道である。日中双方ともに、きびしく自制することが必要である。

(2)

 日本共産党は、尖閣諸島について、日本の領有は歴史的にも国際法上も正当であるという見解を表明している。とくに、2010年10月4日に発表した「見解」では、つぎの諸点を突っ込んで解明した。

 ――日本は、1895年1月に、尖閣諸島の領有を宣言したが、これは、「無主の地」の「先占」という、国際法上まったく正当な行為であった。

 ――中国側は、尖閣諸島の領有権を主張しているが、その最大の問題点は、中国が1895年から1970年までの75年間、一度も日本の領有に対して異議も抗議もおこなっていないということにある。

 ――尖閣諸島に関する中国側の主張の中心点は、同諸島は台湾に付属する島嶼(とうしょ)として中国固有の領土であり、日清戦争に乗じて日本が不当に奪ったものだというところにある。しかし、尖閣諸島は、日本が戦争で不当に奪取した中国の領域には入っておらず、中国側の主張は成り立たない。日本による尖閣諸島の領有は、日清戦争による台湾・澎湖(ほうこ)列島の割譲という侵略主義、領土拡張主義とは性格がまったく異なる、正当な行為であった。

 そして、「見解」では、尖閣諸島問題を解決するためには、日本政府が、尖閣諸島の領有の歴史上、国際法上の正当性について、国際社会および中国政府に対して、理をつくして主張することが必要であることを、強調した。

(3)

 この点で、歴代の日本政府の態度には、重大な問題点がある。

 それは、「領土問題は存在しない」という立場を棒をのんだように繰り返すだけで、中国との外交交渉によって、尖閣諸島の領有の正当性を理を尽くして主張する努力を、避け続けてきたということである。

 歴史的にみると、日本政府の立場には二つの問題点がある。

 第一は、1972年の日中国交正常化、1978年の日中平和友好条約締結のさいに、尖閣諸島の領有問題を、いわゆる「棚上げ」にするという立場をとったことである。

 1972年の日中国交正常化交渉では、田中角栄首相(当時)と周恩来首相(当時)との会談で、田中首相が、「尖閣諸島についてどう思うか」と持ち出し、周首相が「いまこれを話すのは良くない」と答え、双方でこの問題を「棚上げ」するという事実上の合意がかわされることになった。

 1978年の日中平和友好条約締結のさいには、園田直外務大臣(当時)と鄧小平副首相(当時)との会談で、鄧副首相が「放っておこう」とのべたのにたいし、園田外相が「もうそれ以上いわないでください」と応じ、ここでも双方でこの問題を「棚上げ」にするという暗黙の了解がかわされている。

 本来ならば、国交正常化、平和条約締結というさいに、日本政府は、尖閣諸島の領有の正当性について、理を尽くして説く外交交渉をおこなうべきであった。「棚上げ」という対応は、だらしのない外交態度だったといわなければならない。

 同時に、尖閣諸島の問題を「棚上げ」にしたということは、領土に関する紛争問題が存在することを、中国との外交交渉のなかで、認めたものにほかならなかった。

(4)

 第二に、にもかかわらず、その後、日本政府は、「領土問題は存在しない」――「尖閣諸島をめぐって解決しなければならない領有権の問題はそもそも存在しない」との態度をとり続けてきた。そのことが、つぎのような問題を引き起こしている。

 ――日本政府は、中国政府に対して、ただの一度も、尖閣諸島の領有の正当性について、理を尽くして主張したことはない。そうした主張をおこなうと、領土問題の存在を認めたことになるというのが、その理由だった。「領土問題は存在しない」という立場から、日本の主張を述べることができないという自縄自縛(じじょうじばく)に陥っているのである。

 ――中国政府は、「釣魚島(尖閣諸島)は、日清戦争末期に、日本が不法に盗みとった」、「日本の立場は、世界の反ファシズム戦争の勝利の成果を公然と否定するもので、戦後の国際秩序に対する重大な挑戦である」などと、日本による尖閣諸島の領有を「日本軍国主義による侵略」だとする見解を繰り返しているが、日本政府は、これに対する反論を一度もおこなっていない。反論をおこなうと、「領土問題の存在を認める」ということになるとして、ここでも自縄自縛に陥っているのである。

 ――尖閣諸島をめぐるさまざまな問題にさいしても、領土に関する紛争問題が存在するという前提に立って、外交交渉によって問題を解決する努力をしないまま、あれこれの措置をとったことが、日中両国の緊張激化の一つの原因となっている。

 日中両国間に、尖閣諸島に関する紛争問題が存在することは、否定できない事実である。そのことは、72年の日中国交正常化、78年の日中平和友好条約のさいにも、日本側が事実上認めたことでもあった。にもかかわらず、「領土問題は存在しない」として、あらゆる外交交渉を回避する態度をとりつづけてきたことが、この問題の解決の道をみずから閉ざす結果となっているのである。

 「領土問題は存在しない」という立場は、一見「強い」ように見えても、そのことによって、日本の立場の主張もできず、中国側の主張への反論もできないという点で、日本の立場を弱いものとしていることを、ここで指摘しなければならない。

(5)

 尖閣諸島の問題を解決するためには、「領土問題は存在しない」という立場をあらため、領土に関わる紛争問題が存在することを正面から認め、冷静で理性的な外交交渉によって、日本の領有の正当性を堂々と主張し、解決をはかるという立場に立つべきである。

 領土問題の解決は、政府間の交渉のみならず、相手国の国民世論をも納得させるような対応が必要である。「日本軍国主義の侵略」だと考えている中国国民に対しても、過去の侵略戦争にたいする真剣な反省とともに、この問題をめぐる歴史的事実と国際的道理を冷静に説き、理解を得る外交努力こそ、いま求められていることを強調したい。

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