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「3・11以後の現在 安藤昌益の思想を考える集い」に参加して

 11月4日、北千住の東京電機大学で、安藤昌益を考える会実行委員会主催の「3・11以後の現在 安藤昌益の思想を考える集い」に参加した。講演は、佐藤栄作元福島県知事、外岡秀俊氏(元朝日新聞東京編集局長)、色平哲郎氏(佐久総合病院地域ケア科医師)、竹下和男氏(元小学校長、「弁当の日」運動家)、田中優子氏(法政大学教授)というものである。

 安藤昌益は、1703年(元禄16年)秋田藩比内二井田(現秋田県大館市)に生まれ、京都で医師の修行をし、八戸で開業した。その後、ふるさとに戻り、そこで没した。彼は、武士=支配階級を否定し、「直耕」の思想を唱えた人である。その没後250年の記念の年ということでこの企画があったようである。北千住は、昌益の書いた稿本『自然真営道』の保管者で「北千住の仙人」と呼ばれた橋本律蔵がいたところである。明治に入って、第一高等学校(現:東京大学)校長・狩野亨吉が雑誌『内外教育評論』1月号に論文「大思想家あり」を発表し、昌益思想を紹介したのが1899年(明治32年)である(安藤昌益資料館HP関連年表http://www.shoeki.org/?page_id=25より)。安藤昌益資料館のHPには、「世界最初のエコロジスト」というキャッチコピーが付けられている。

 講演者が共通して言っていたことの一つは、真の思想家は地方というか「辺境」から出るということである。例えば、外岡氏は、氏自身が北海道出身で現在札幌にお住まいというが、東北の思想家として、安藤昌益、宮沢賢治、石川啄木を並べ、さらに、後の二者をつなぐものとして、『遠野物語』の話者の佐々木喜善氏の名前をあげている。『遠野物語』は柳田国男の創作物ではない。この本に収録されている物語を語り伝えてきたのは、遠野の人々であり、それを収集・記録した佐々木氏のような人である。柳田がいかにそれを彼の主観的目的に合わせて編集したにしても、そのことがベースにあり、それは消しようがないのである。ただし、ここで言われている「辺境」は「辺境性」という性質を持っているということである。それは都市にもあるものだ。

 日本青年会議所の活動家から参議院議員をへて福島県知事になった佐藤栄佐久氏が、唯物論者安藤昌益の思想の影響を強く受けていたというのは興味深いことであった。また、安藤昌益の「直耕」思想は、イギリスの唯物論者でマルクス主義者で『ユートピアだより』の作者のウィリアム・モリスの思想と通じるものがあると思われる。それに、イラク戦争反対決議を唯一決議した都道府県が佐藤栄佐久知事時代の福島県だったというのもすごいことだ。

 話が飛ぶが、『物語批判序説』という本を書き、物語批判論者の中心人物と看做されている蓮實重彦(元東大学長)が物語の否定論者ではないということを、『情況』1990年10月号のインタビューで述べている(〈不快〉からの闘争 魂の唯物論的擁護をめぐって)。「僕が「物語批判」という場合、物語は悪いと言っているわけではありません。ただ「物語」の支配に屈していながら、それに無自覚でいることが「不快」だということです」(53ページ)というのである。彼が『物語批判序説』でやろうとしたことは、ブルジョアジーらしいブルジョアジーを本格的に登場させることであり、階級闘争を鋭くすることであり、今なら新自由主義と呼ばれるような古典派ブルジョア思想を実現することであったという。氏は、正義=不正義という価値基軸ではなく、功利主義者ベンサムと同じく、快―不快という価値基軸を据えるととれるようなことを言っている。しかし、それも、「私のいう「快―不快」は、問題体系というよりは反応の基準といったものであり、批判も「不快」に対する批判であって、「不正に対する批判ではない」(53ページ)というもので、一望監視システムの監獄を設計したベンサムとは違う。ベンサムは、明らかに、「快―不快」と「正義―不正義」を結びつけていた。だから、氏の場合、それは快楽の実現ではないし、不快の原因に立ち戻るのでもない特殊な組織化が必要となる。それは「その場で不快さへの闘いを組織すればいいだけのことです。その組織の方法はまだわれわれの視野に入ってきていないけど、おそらくその視野そのものを確立する闘いが必要だということではないだろう」(同)というものである。つまり、それは、視線とその視野の組織化ではない。だから、氏の「快―不快」は基軸ではないということになる。氏は、快は快であり不快は不快で、それらは別々の領域だというのである。

 それから、問題を問うこと。それはアルチュセール的なものもあるが、ここで氏が取り上げているのは、19世紀に生まれた社会問題である。それは、「自分を含むより多くの人々を代表しつつその問題を解決しなければならないという人種」である「知識人」の中心的な問題が「貧困」や「富の偏在」という問題であったというのである。氏は、それはジャーナリズムが問題化する時に、現実を消してイメージとして問題化するのが問題だという。このインタビューがあった1990年は、日本がまだバブルの余韻に浸っていて、格差はあったのだが、貧困問題は解消しつつあると広く思われていた時期である。これはその中での発言である。貧困問題に限らずジャーナリズムは、問題をイメージ化することが多く、そのことは3・11問題にも現れている。マスコミの多くが、今や復興モードに入って、復興問題のイメージ化を盛んに行っている。しかし、福島の現実はそのイメージのスムーズな流通を妨げる刺のような存在になっている。東京電力は、福島攻めを本格化させて、本社機能の一部を福島に移すという。福島は、「原子力ムラ」との闘いの最前線になりつつある。福島の意識の高い闘争主体は少なくなってしまったが、残った人々の中から闘いが立ち上がり、新たな闘争主体が生み出されている。かつては「原子力ムラ」の側にいた首長たちの何人もが、今は東電・国の責任を追求して闘っている。福島原発告訴団第2次訴訟団は1万人を超えた。

 蓮實氏は、「……僕の立場は……間違いなくブルジョア的といわざるをえない…」と述べている。それに対して、山口昌男や吉本隆明までは、「戦後民主主義幻想に乗った階級無しの思想」(59ページ)だという。「それに対しそれ以降の現代思想といわれる言説の形成は、高度経済成長期が失わせたといわれたブルジョアジーが、嘘みたいに生きていた現実であると僕は思います」(同)という。今日の格差社会の進展を見れば、先見的である。彼はエリートの登場を待望する。しかし、氏自身はエリートではないという。では、エリートとはどういうものか。蓮實氏は、「知的なエリートは、単なる秀才ではない。絶対に経済的格差を実現し、ある種の人々を抑圧する」(61ページ上段)存在であるという。そして、フーコーについて、「あの当時のフーコーのほうが、今の僕より絶対的に金持ちだったんです。あの当時、72、3年の頃ですが、経済的余裕、つまり余暇、研究に注げる時間など、彼の方が今の僕に比べて絶対的に優位なんですね。明らかに彼はエリートであるということができると思うんですけれども、僕はあくせくという言葉がピッタリの生活をおくっているだけです」(61ページ下段)という。つまり、この当時、蓮實氏は、ブルジョアジーとプロレタリアートの間にある小ブルジョアジーあるいは中間層だったというのである。

 最後に、「イメージなき思考」というドゥルーズ的概念についての質問に対して、氏は、「それはベルグソンに帰ることだと思う」(64ページ下段)と答えている。そして氏は、ベルグソンにおけるイメージが、心象ではなく、「ほとんど現実の同義語」(同)で、「物語批判を物語というイメージに寄りかかって批判するということ」(同)、「物語やイメージの恐ろしさというものを知っていない人たち」(同)を批判するという課題を掲げている。それは、「物語のイメージではなくてまず物語があり、まずイメージがある、それがわれわれを突き動かしていることの恐ろしさを知らない」(同)からだというのである。

 われわれは常に物語っており、それが現実でイメージより先にある。つまり、物語る者が現実の主体であり、その担い手は、物語る者たち、すなわち民衆である。かれらが現実を動かしているのであって、歴史の主体であるということになる。もちろん、誰からだろうと学べるものは学ぶが、ブルジョアジーを標榜する蓮實氏とプロレタリアートの立場に立つことを意識的に選択しそれを標榜する私は当然対立する立場にあることを言っておかねばならない。ただし、レーニンに従って、小ブルジョアジーや中間層などは、こちら側に立つ限りは「敵」ではないということも。

 安藤昌益の話に戻ると、外岡氏は、「辺境」という言葉を使っているが、「辺境」からは、中央を媒介しないで世界と繋がるような思想、世界性を持つ思想が生まれるのだというようなことを述べていて、そういう思想家として東北の宮沢賢治と石川啄木をあげている。印象的なのは、東京で思想形成をした森鴎外や夏目漱石が今では解説なしには読めなくなっているのに対して、賢治と啄木は今でもそういうものなしで読めるという違いをそういうかたちで説明したことである。マルクスやレーニンのものにもそういうものを感じる。マルクスは死んだのレーニンは終わったのと言われつづけながらも、未だに世界中で多くの人々に読まれ続けているのはそういう理由もあるのだと思う。トロツキーにはそういうものを感じない。スターリンはもちろん日本共産党志位にもそれを感じない。彼らには特異性と普遍性、世界性を同時に包括する思想性を感じないのである。3・11は、こうした思想性をもった思想家を生み出さざるをえないほどの深い歴史的事件だったと思うし、そういう思想家が生まれて欲しいと思う。

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