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2012年11月

市民社会から民俗社会へ

 度々引用してきた福島県双葉町の井戸川町長の「この国は根本から壊れている」という発言は以下の記事でも真実であることが確認できる。

 先日、たまたま話した福島県須賀川出身の人と、そもそも3・11への政府や東電や御用学者たちの対応が根本的に誤っており転倒しているということで意見が一致した。総選挙突入を前に、3・11対応を根本からひっくり返して正常化するということを掲げている候補や政党は皆無である。そこで、われわれば、「よりマシ」という選択肢しかないことに否応なく直面させられている。3・11後、福島の人々の多くが残ってしまったという事態をどう考えればいいのか。校庭で子供たちを遊ばせても大丈夫だと安全を強調した山下俊一の言葉を怒りを持って思いかえす。やはり、よそ者はよそ者でしかないと思わざるを得ないが、県がお墨付きを与えてしまったというのも問題だ。たばこの健康被害についてはあれほど過剰に注意を呼びかけている医療界が、放射線による健康被害については全体に声が小さくなっている。医療界全体に対して不信を抱かざるをえなくなる。

 とはいえ、総選挙においては、ぜひ、脱/反原発を明確に表明している候補を多く当選させ、石原元東京都知事のような原発推進派を落選させることが必要である。この点を是非とも選挙争点として選挙に臨むべきだ。

 ところで、『季刊東北学』第10号は、「民俗学に未来はあるのか」という対談を掲載している。もともと民間学として出発した民俗学が、学問としての基礎が弱く、アカデミズムの中で周縁に追いやられている現状に対する危機感というのもあるのだが、それよりも、それまで民俗学が対象としてきた「村」の解体・消滅という事態ということが気になるところだ。その後に形成されているのは何なのか。どんな社会関係なのか、社会なのかを捉えたものが見当たらない。市民主義者は、なんとなく市民社会になっていくと思っているかもしれないが、それは西欧的基準、眼差しでしかなく、はずれである。例えば、赤坂憲雄氏は同対談で、「「民俗」は国民国家の形成後に発見され、民俗学も同様に成立したものではあれ、民俗そのものは国境を越えてもっと深く繋がっています。人類学も経済学もやはり国民国家の形成と付かず離れずに作られてきたと思います。にもかかわらず、民俗学だけが常に国家や国境に縛られて自己限定をしてきたわけです」(同15ページ)と述べている。それを受けて田口洋美氏が、「民俗とはある共同性が作り出したものであるから、純粋な日本人なんてありえないし、同様に日本文化もないわけで、初めから混合しているわけですから」(同16ページ)と言うように。

 重要なのは、「人類学のなかからも、人類学の方法そのものが極めて欧米中心のものであるという批判が起こっている。人類学が普遍を目指すものであっても、それは欧米的なものさしに基づく普遍を目指すものであっても、それは欧米的ものさしに基づく普遍であり、われわれにとってはズレの生じるものだと思います」(赤坂 18ページ)という点である。それは、現在の主な中国認識の多くが「欧米的ものさし」を使って中国認識を形成していることにも示されている。東北観もである。日本認識がそもそもそうで、現代日本の帝国主義性という認識を欠いているのがほとんどだ。前に取り上げた子安宣邦氏の中国認識(現中国指導部が清朝を継承しようとしている。清の帝国版図の回復を狙っている。等々)というのは、同時に、日本の帝国主義性があり、両帝国の領有権の主張がぶつかり合っているというふうに認識しなければ、右翼・排外主義者の認識とあまり変わらなくなってしまう。それは、先に引用した日本共産党志位の尖閣問題の主張と大差ないことになる。日本共産党の対米従属からの民族的自立(民族民主革命)は、対米関係での米帝の軍事的・政治的・経済的・文化的支配からの自立という点では一定の意味があるが、対中関係にはそのまま適用できない代物だ。それを志位は、保守派と変わらぬナショナリズムを基本価値として対米、対中と相手構わず適用しているのである。基本的な立場は「プロレタリアートは国境を持たない」マルクス・エンゲルス『共産党宣言』)ということであり、それが優先すべき価値である。その上で、戦術的、政治的な判断として、ナショナリズムとの関係をどうするかということが考えられ、立てられるべきである。尖閣列島を日本固有の領土として強く主張すべきかどうかは、それがプロレタリア国際主義の観点からプロレタリアートの利益になるという条件があるかどうかによる。現在はそれはないと判断する。現在の中国の反日運動の底には、この間の中国の改革開放路線のひずみ、矛盾への人々の抵抗が潜んでいると思うからである。この間の報道では、あたかも日系企業が一方的被害者であるという描き方がなされているが、一体、日系企業は中国で労働者をどのように扱ってきたのかということが報道されていない。見られるのは、日系企業が日本国内同様の労働者管理を行っている様子などである。

 他方で、中国海軍が空母の艦載機の離発着訓練に成功したというニュースが流れた。中国の海外権益が拡大しているのに合わせて海軍の増強が進んでいる。対して、自民党安倍総裁は、憲法9条を変え、国防軍を設けられるようにした上で、交戦権の規定を整備するという考えを表明した。総選挙の結果、自民党政権ができた場合、さっそく改憲策動が本格化する可能性が強い。もちろん、自民党は原発を推進してきた張本人で、それを根本的に反省もしていないし、総括もしていない。そしてその点を曖昧にして連立を狙う公明党は、自民党選挙を下支えする権力欲に駆られ悪欲に支配された腐敗した政党だ。こうしたものから自由な民衆のみがこの事態を根本的に変えられる。

 民俗学の閉塞状況に対して、赤坂憲雄氏は、「僕はもうムラ社会化している民俗学学会に向けて発言するよりも、むしろ民俗学のなかから時代の先端と切り結んで、新しい知の地平を拓く前衛が生まれることにしか、民俗学が活力を取り戻す道がないのではないかと思います」(同36ページ)と言う。これと『共産党宣言』の以下の部分を対照してみよ。

 共産主義者が他のプロレタリア政党から区別されるのは、ただつぎの点だけである。すなわち、共産主義者は、一方では、プロレタリアの種々の民族的な闘争において、全プロレタリアートの共通の、国籍に左右されない利益を強調し、おしつらぬく。他方では、彼らは、プロレタリアートとブルジョアジーとの闘争が経過する種々の発展段階において、つねに運動全体の利益を代表する。
 だから、共産主義者は、実践的には、すべての国々の労働者が政党のうち、もっとも確固たる、たえず推進してゆく部分であり、理論的には、プロレタリア運動の条件、進路、一般的結果を理解する点で、プロレタリアートの他の大衆にまさっている。(国民文庫 44ページ)

 すなわち、共産主義者は、民俗の中での個別特殊的な利害の対立を超え、止揚していくよう意識的に働きかけ、そのように振る舞い、その利益のために行動する(その目的を達成するのに必要な倫理を持たねばならない)。そして、そのために、もっとも確固として実践を推進していく部分であり、運動条件、進路、一般的結果を理解する点で、他より進んでいる部分である。これがこの場合の前衛の意味であり、指導でも指揮命令でも司令部という意味でもない。運動の絶えず推進する部分という点では、指導者というふうにもとれるが、それは運動の条件次第であるということも同時に示されているので、運動条件が共産主義者の指導を必要としている場合にはそれを持つこともありうるが、それは確固として実践を進めるためという目的に従属する場合にはありうるというだけのことである。

 アジアの一角である日本での階級闘争はその歴史的民俗的条件を踏まえて闘われねばならず、市民社会化から共産主義社会へという抽象的な図式に当てはめてそれをやっても徒労に終わるしかない。プロレタリア運動の条件は、民俗社会であり、むしろ、都市社会をそちらの方向に変革するという進路に向かっていくべきだろう。それは、これ以上の都市化、都市膨張は極めて危険だということが3・11で明らかになったからでもある。それは「文明転換」(中沢新一)と言ってもいいものだ。それは「直耕」(安藤昌益)者と働く者との新共同体として構想されるべきものだろう。脱/反原発運動の中の「現地と都市を結ぶ」取り組みにはそういう方向性が見える。そこに希望を見出していくべきだろう。

 すでに、ブルジョア社会は、社会にとって危険な存在となりつつあり、それは3・11後、加害企業である東電が堂々と営業し続け責任を取らないことに明らかになっている。それを許している国やなんら反省もない学者・研究者も同じである。元東大学長の蓮見重彦氏は、フランス・ブルジョアジーに憧れ、自分がブルジョアになることで、「あくせくと働く」状態から脱出しようとした。そ して、大学の独立行政法人化が進められたのだが、その結果、「原子力ムラ」の学者の無責任さに見られるとおり、エゴに凝り固まって社会責任を感じない奴ばかりが生まれるようになった。ブルジョアジーの立場に立ち、その従僕となることで、学者は利益を受けるようになった。それは蓮實氏の夢想したエリートの姿ではないだろう。学術の評価が貨幣換算されるようになれば、それは学者を金の力に屈する金の奴隷化することになるからだ。学者は、金に使われ、非主体化されるのである。なお、生活の必要を満たすのに金が必要だというのと、金に使われるというのは別の事柄である。

 倫理なき村は村ではなく、カタカナのムラであり、村ではなく、利益共同体である。このような悪のムラは解体され制裁されねばならぬ。それは、司馬遷の『史記』に登場する「天の思想」にあることだ。日本の村にも共同体の意思による制裁・裁きがある(哲学者廣松渉氏の『世界の共同主観的存在構造』のサンクションに関する論考を見よ)。それは神意による神罰という形式を取る場合もある。幻想的形態としての「罪と罰」である。また、マルクス・エンゲルスの『神聖家族』には法や刑罰の宗教的幻想形態の分析と批判がある。それは『ヘーゲル法哲学批判序説』から『ドイツ・イデオロギー』にも繋がっていく一連の法幻想批判の重要な文章である。またそこで、「批判的批判は、自分がはるかに大衆よりもすぐれているつもりでいるものの、しかも大衆にたいし無限の憐憫を感じている」(マルクス・エンゲルス全集 2 大月書店 7ページ)批判的批判の知識人批判がなされている。もちろん、共産主義者はこの世におけるこの世の人々の現実的な解放を目的としているのであって、その宗教的幻想形態での解決を目指しているのではない。それは、民俗学の未来について、先の対談で田口氏が言う「柳田国男が民俗学を立ち上げた時に、その経世済民の実践性と学問救世の実学性」という「柳田が絵に書いただけで実現しなかった初発性に立ち返る」(前掲書 22ページ)というのと似ている。

 その後、パリ時代にマルクスは、エンゲルスとの共同作業で『ドイツ・イデオロギー』を書き上げる途上で、実践を基準とする唯物論を提示した(「フォイエルバッハ・テーゼ」)。そこで市民社会を批判し(「直観的な唯物論、すなわち、感性を実践的な活動としてとらえられない唯物論が達成する最高の地点は、「市民社会」における個々の直観である」第9テーゼ 『フォイエルバッハ論』岩波文庫 90ページ)、それに対して、「……新しい唯物論の立場は、人間的社会あるいは社会化された人類である」第10テーゼ 同)と、「市民社会」という概念を古いと退けて、「人間的社会あるいは社会化された人類」という新しい概念を使っている。イギリス移住後は、市民社会の解剖学としての経済学批判に取り組む(『経済学批判要綱』『資本論』など)。赤坂氏が、民俗は国境を越えるという立場を取って、「人間的社会あるいは社会化された人類」という立場に近づいているように見えるのは不思議な気がする。それに対して人類学は人類という普遍の立場を標榜しているにもかかわらず、西欧的であるというのは、サイードが『オリエンタリズム』で示そうとしたことであったが、そこには中心―周縁という図式があった。周縁と周縁との関係はどういうものなのか、どういうものになるのか。赤坂氏はそこに展望を見出そうとしているように見える。東北と沖縄の周縁としてのつながりを犠牲のシステムの二つの現れと指摘したのは福島出身の高橋哲哉氏である(『犠牲のシステム 沖縄・福島』 集英社新書)。この問題の解明はこれからである。

福島・二本松:子供の被ばく量増加 野外活動増え

毎日新聞 2012年11月23日

 福島県二本松市が実施した市民の外部被ばく調査で、半数近い小中学生が昨年より線量が増えたことが23日、市民への報告会で発表された。市調査では空間放射線量は昨年比約3割減っており、市の放射線アドバイザーを務める独協医大の木村真三准教授は「昨年は制限された体育の授業や部活動など屋外活動が増えたため。影響が大きい子どもや妊婦は長期的に気を使うべきだ」と指摘している。

 今年の調査は6?8月のうちの2カ月ずつ、乳幼児?中学生と妊婦ら8327人に個人線量計を配布。6721人のデータを回収、年間線量を推計し分析した。昨年もデータがあり今年と比較可能な小中学生ら4344人中1969人(45.3%)は被ばく量が増加。うち46人は1.5ミリシーベルト以上も増えていた。

 全体の平均値を昨年と比べると、小学生は0.07ミリシーベルト減の1.40ミリシーベルト、中学生は0.06ミリシーベルト減の1.40ミリシーベルト。ただ、今年調査した小中学生4210人の76%(3190人)は、一般人に許容される年1ミリシーベルトを超えていた。

 調査人数が昨年より4667人も減ったことから、木村准教授は放射線から身を守る意識が低下していると指摘。「記録を残すことが万が一の健康被害への備えになる」と呼びかけている。【深津誠】

安倍総裁:国防軍改編時には交戦規定を整備(11月25日 毎日JP)

 自民党の安倍晋三総裁は25日、テレビ朝日の番組で、自衛隊について「憲法9条の1項と2項を読めば、軍は持てないという印象を持ち、分かりにくい。詭弁(きべん)を弄(ろう)することはやめるべきだ」と述べ、自衛隊を「国防軍」に位置づけ直す必要性を改めて強調した。

 自民党は衆院選公約で憲法9条を改正し自衛隊を「国防軍」にすることを掲げており、安倍氏はこうした党方針を踏まえて発言した。

 安倍氏は「自衛隊をきちんと軍として認め、そのための組織も作り、海外と交戦するときには交戦規定にのっとって行動する。シビリアンコントロール(文民統制)も明記する」と指摘。自衛隊を国防軍にする場合は、戦闘時の武器使用基準などを定めた交戦規定を整備する考えも明らかにした。

 自民党公約は、憲法改正について「平和主義は継承」とする一方、集団的自衛権の行使や国防軍の保持を掲げた。

 4月に発表した憲法改正草案でも、戦力の不保持と交戦権の否認を定めた憲法9条2項を、集団的自衛権の行使を容認する表現に見直す考えを示した。

 一方、野田佳彦首相は25日、同じ番組に出演し、自衛隊を国防軍にすることについて「名前を変えて中身が変わるのか。大陸間弾道弾を飛ばすような組織にするのか。意味が分からない」と語った。【鈴木美穂】

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「3・11以後の現在 安藤昌益の思想を考える集い」に参加して

 11月4日、北千住の東京電機大学で、安藤昌益を考える会実行委員会主催の「3・11以後の現在 安藤昌益の思想を考える集い」に参加した。講演は、佐藤栄作元福島県知事、外岡秀俊氏(元朝日新聞東京編集局長)、色平哲郎氏(佐久総合病院地域ケア科医師)、竹下和男氏(元小学校長、「弁当の日」運動家)、田中優子氏(法政大学教授)というものである。

 安藤昌益は、1703年(元禄16年)秋田藩比内二井田(現秋田県大館市)に生まれ、京都で医師の修行をし、八戸で開業した。その後、ふるさとに戻り、そこで没した。彼は、武士=支配階級を否定し、「直耕」の思想を唱えた人である。その没後250年の記念の年ということでこの企画があったようである。北千住は、昌益の書いた稿本『自然真営道』の保管者で「北千住の仙人」と呼ばれた橋本律蔵がいたところである。明治に入って、第一高等学校(現:東京大学)校長・狩野亨吉が雑誌『内外教育評論』1月号に論文「大思想家あり」を発表し、昌益思想を紹介したのが1899年(明治32年)である(安藤昌益資料館HP関連年表http://www.shoeki.org/?page_id=25より)。安藤昌益資料館のHPには、「世界最初のエコロジスト」というキャッチコピーが付けられている。

 講演者が共通して言っていたことの一つは、真の思想家は地方というか「辺境」から出るということである。例えば、外岡氏は、氏自身が北海道出身で現在札幌にお住まいというが、東北の思想家として、安藤昌益、宮沢賢治、石川啄木を並べ、さらに、後の二者をつなぐものとして、『遠野物語』の話者の佐々木喜善氏の名前をあげている。『遠野物語』は柳田国男の創作物ではない。この本に収録されている物語を語り伝えてきたのは、遠野の人々であり、それを収集・記録した佐々木氏のような人である。柳田がいかにそれを彼の主観的目的に合わせて編集したにしても、そのことがベースにあり、それは消しようがないのである。ただし、ここで言われている「辺境」は「辺境性」という性質を持っているということである。それは都市にもあるものだ。

 日本青年会議所の活動家から参議院議員をへて福島県知事になった佐藤栄佐久氏が、唯物論者安藤昌益の思想の影響を強く受けていたというのは興味深いことであった。また、安藤昌益の「直耕」思想は、イギリスの唯物論者でマルクス主義者で『ユートピアだより』の作者のウィリアム・モリスの思想と通じるものがあると思われる。それに、イラク戦争反対決議を唯一決議した都道府県が佐藤栄佐久知事時代の福島県だったというのもすごいことだ。

 話が飛ぶが、『物語批判序説』という本を書き、物語批判論者の中心人物と看做されている蓮實重彦(元東大学長)が物語の否定論者ではないということを、『情況』1990年10月号のインタビューで述べている(〈不快〉からの闘争 魂の唯物論的擁護をめぐって)。「僕が「物語批判」という場合、物語は悪いと言っているわけではありません。ただ「物語」の支配に屈していながら、それに無自覚でいることが「不快」だということです」(53ページ)というのである。彼が『物語批判序説』でやろうとしたことは、ブルジョアジーらしいブルジョアジーを本格的に登場させることであり、階級闘争を鋭くすることであり、今なら新自由主義と呼ばれるような古典派ブルジョア思想を実現することであったという。氏は、正義=不正義という価値基軸ではなく、功利主義者ベンサムと同じく、快―不快という価値基軸を据えるととれるようなことを言っている。しかし、それも、「私のいう「快―不快」は、問題体系というよりは反応の基準といったものであり、批判も「不快」に対する批判であって、「不正に対する批判ではない」(53ページ)というもので、一望監視システムの監獄を設計したベンサムとは違う。ベンサムは、明らかに、「快―不快」と「正義―不正義」を結びつけていた。だから、氏の場合、それは快楽の実現ではないし、不快の原因に立ち戻るのでもない特殊な組織化が必要となる。それは「その場で不快さへの闘いを組織すればいいだけのことです。その組織の方法はまだわれわれの視野に入ってきていないけど、おそらくその視野そのものを確立する闘いが必要だということではないだろう」(同)というものである。つまり、それは、視線とその視野の組織化ではない。だから、氏の「快―不快」は基軸ではないということになる。氏は、快は快であり不快は不快で、それらは別々の領域だというのである。

 それから、問題を問うこと。それはアルチュセール的なものもあるが、ここで氏が取り上げているのは、19世紀に生まれた社会問題である。それは、「自分を含むより多くの人々を代表しつつその問題を解決しなければならないという人種」である「知識人」の中心的な問題が「貧困」や「富の偏在」という問題であったというのである。氏は、それはジャーナリズムが問題化する時に、現実を消してイメージとして問題化するのが問題だという。このインタビューがあった1990年は、日本がまだバブルの余韻に浸っていて、格差はあったのだが、貧困問題は解消しつつあると広く思われていた時期である。これはその中での発言である。貧困問題に限らずジャーナリズムは、問題をイメージ化することが多く、そのことは3・11問題にも現れている。マスコミの多くが、今や復興モードに入って、復興問題のイメージ化を盛んに行っている。しかし、福島の現実はそのイメージのスムーズな流通を妨げる刺のような存在になっている。東京電力は、福島攻めを本格化させて、本社機能の一部を福島に移すという。福島は、「原子力ムラ」との闘いの最前線になりつつある。福島の意識の高い闘争主体は少なくなってしまったが、残った人々の中から闘いが立ち上がり、新たな闘争主体が生み出されている。かつては「原子力ムラ」の側にいた首長たちの何人もが、今は東電・国の責任を追求して闘っている。福島原発告訴団第2次訴訟団は1万人を超えた。

 蓮實氏は、「……僕の立場は……間違いなくブルジョア的といわざるをえない…」と述べている。それに対して、山口昌男や吉本隆明までは、「戦後民主主義幻想に乗った階級無しの思想」(59ページ)だという。「それに対しそれ以降の現代思想といわれる言説の形成は、高度経済成長期が失わせたといわれたブルジョアジーが、嘘みたいに生きていた現実であると僕は思います」(同)という。今日の格差社会の進展を見れば、先見的である。彼はエリートの登場を待望する。しかし、氏自身はエリートではないという。では、エリートとはどういうものか。蓮實氏は、「知的なエリートは、単なる秀才ではない。絶対に経済的格差を実現し、ある種の人々を抑圧する」(61ページ上段)存在であるという。そして、フーコーについて、「あの当時のフーコーのほうが、今の僕より絶対的に金持ちだったんです。あの当時、72、3年の頃ですが、経済的余裕、つまり余暇、研究に注げる時間など、彼の方が今の僕に比べて絶対的に優位なんですね。明らかに彼はエリートであるということができると思うんですけれども、僕はあくせくという言葉がピッタリの生活をおくっているだけです」(61ページ下段)という。つまり、この当時、蓮實氏は、ブルジョアジーとプロレタリアートの間にある小ブルジョアジーあるいは中間層だったというのである。

 最後に、「イメージなき思考」というドゥルーズ的概念についての質問に対して、氏は、「それはベルグソンに帰ることだと思う」(64ページ下段)と答えている。そして氏は、ベルグソンにおけるイメージが、心象ではなく、「ほとんど現実の同義語」(同)で、「物語批判を物語というイメージに寄りかかって批判するということ」(同)、「物語やイメージの恐ろしさというものを知っていない人たち」(同)を批判するという課題を掲げている。それは、「物語のイメージではなくてまず物語があり、まずイメージがある、それがわれわれを突き動かしていることの恐ろしさを知らない」(同)からだというのである。

 われわれは常に物語っており、それが現実でイメージより先にある。つまり、物語る者が現実の主体であり、その担い手は、物語る者たち、すなわち民衆である。かれらが現実を動かしているのであって、歴史の主体であるということになる。もちろん、誰からだろうと学べるものは学ぶが、ブルジョアジーを標榜する蓮實氏とプロレタリアートの立場に立つことを意識的に選択しそれを標榜する私は当然対立する立場にあることを言っておかねばならない。ただし、レーニンに従って、小ブルジョアジーや中間層などは、こちら側に立つ限りは「敵」ではないということも。

 安藤昌益の話に戻ると、外岡氏は、「辺境」という言葉を使っているが、「辺境」からは、中央を媒介しないで世界と繋がるような思想、世界性を持つ思想が生まれるのだというようなことを述べていて、そういう思想家として東北の宮沢賢治と石川啄木をあげている。印象的なのは、東京で思想形成をした森鴎外や夏目漱石が今では解説なしには読めなくなっているのに対して、賢治と啄木は今でもそういうものなしで読めるという違いをそういうかたちで説明したことである。マルクスやレーニンのものにもそういうものを感じる。マルクスは死んだのレーニンは終わったのと言われつづけながらも、未だに世界中で多くの人々に読まれ続けているのはそういう理由もあるのだと思う。トロツキーにはそういうものを感じない。スターリンはもちろん日本共産党志位にもそれを感じない。彼らには特異性と普遍性、世界性を同時に包括する思想性を感じないのである。3・11は、こうした思想性をもった思想家を生み出さざるをえないほどの深い歴史的事件だったと思うし、そういう思想家が生まれて欲しいと思う。

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