民衆の力と物語の力
『日本残酷物語5』、『忘れられた日本人』読了。中国、あるいは東アジア問題に入る。そして、『東北学』へ。また、『季刊三千里』も集めている。
『日本残酷物語5』の解説は、ガヤトリ・スピヴァクのサバルタン論などを学んだカルチュラル・スタディーズ系の学者の人で、民衆は自己を語れるかという問いを立てている。ここに採取されている話は、膨大な聞取りの一部であり、それを編集したものである。当然、聞き手の問題関心や編集者の問題関心が反映したものとなる。記録そのものとそれから作られたものは当然違う。宮本常一は、物語を語り伝える人は、できるだけ聞いたままをそのまま覚えて伝えようとし、文書を使う人は、どうしてもそういうものから影響されて話を変えてしまう傾向があるという。しかし、語り継がれてきた物語も変化したり、伝承が絶えたりすることがある。例えば、『古事記』には、稗田阿礼という者が物語を沢山記憶していて、その語りを書き記すことで『古事記』が成立したように書いてあるが、実際には、朝鮮半島で書かれたものを参照にしていることが書かれている。
3・11を人々はどう体験し、それを物語るか、福島第一原発事故の体験をどう物語るか、そこにこそ、これからの民衆の闘いの内容が生み出されているのであり、それと、安倍自民党が語っている「復興」物語との闘いが今後本格化するのである。安倍復興物語への拒否は、投票率の大幅低下として突き出されているのである。宮本常一からは、方法を含めて、民衆の力を発展させるものを学び取ることができると考える。
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