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2013年1月

アルジェリア人質事件

 アルジェリアで発生した人質事件で、1月21日付の以下のような外務省の経過報告が同HPに載っている。

 1月16日23時35分、岸田外務大臣は、アルジェリア外相に対して、「人命最優先での対応を強く申し入れ」(強調、下線は筆者。以下同じ)た。18日には、安倍総理は、アルジェリアの「セラル首相に対して,本件に関し人質の生命を危険にさらす行動を厳に控えるとともに,人質の解放に向け適切な対応をとるよう要請」した。さらに、現地では、「17日23時,城内外務政務官がメデルシ・アルジェリア外相と会談。人命の安全確保が第一であり,人質の生命を危険にさらす行動は即刻中止するよう申入れ。先方は,人命が最優先であることはアルジェリア政府も同様の認識,現地の最新状況は随時提供していく旨応答」したという。それにもかかわらず、アルジェリア政府は軍事オペレーションを強行し、多数の死者を出した。人命最優先を強く申し入れたにもかかわらず、日本人10人を含む多数の死者が出たことに対して、日本政府は、抗議することもなく、テロは許されないことを強調する。アルジェリアのユースフィ・エネルギー大臣と鈴木特使との立ち話が外務省HPに載っているが、それによると、「冒頭,ユースフィ・エネルギー大臣から,今回の事件の犠牲者及び御遺族に対する哀悼の意が改めて表明されました。加えて,今後とも日本とアルジェリアとの協力関係を促進していきたい,また,そのために関連施設の安全強化に努めていく旨述べました」ということである。犠牲者への哀悼の意を表明した後、日本とアルジェリアとの協力関係を促進し、関連施設の安全強化、天然ガスプラントなどの施設の安全を強化するというのである。人命最優先ではなく、施設最優先という意識が、未だ1人の安否の確認が取れてない段階で示されている。それにもかかわらず、安倍政権の今回の人質事件への対応が世論の多数の支持を受けているという世論調査結果が出ているという報道があった。

 人命最優先の要求が実現せず、これだけ多数の人命が失われたにもかかわらず、安倍政権は、軍事オペレーションに走ったアルジェリア政府に対して抗議していない。

 1月27日には、日比谷公園で沖縄からの上京団約140人を含め、4000人(主催者発表)もの人々が集まった。そこに日の丸を掲げた右翼が街宣に集まっていたが、日本会議、在特会ともに、HPで、日本人を含む人質が死亡した事件について一言も触れていない。かれらの愛国心は、対中・対朝鮮半島への差別的な帝国主義意識が基本であって、真の自立を本質とするものではないということは、このことによって明確に暴露された。元々、日本だの日本人などはどうでもいいし、日本という言葉の下で、自己利害(エゴ)を肥大化させているだけの連中なのである。そのことは、産経新聞の主張にも示されている。そこに露骨に現れているのは小っぽけなエゴイズムであり、人命よりもエネルギー優先であり経済利益優先なのである。

 『エゾの歴史』(講談社学術文庫)の著者海保氏は、近代国民国家の成立によって、北方で漁や狩猟や交易を自由に行なっていた北方諸民族の自由が国境によって閉ざされたことを示しつつ、近代はそうした自由を狭めた不自由をもたらしたことを指摘している。また、『日本の近代化と民衆思想』(平凡社ライブラリー)の著者の安丸良夫氏も、民衆が自己統治の原理を民間宗教イデオロギーや民衆道徳の形で確立することができず、上からの近代化の天皇制イデオロギーという虚偽意識に絡めとられてしまい、異常なまでの勤労倫理が内在化されてしまったことを指摘している。しかし、そのように、勤労が幸福へと結実しない現実を「悪の世」とする現世観をもたらしたりもしたことを、安丸氏は、大本教の出口ナオの言葉を引用するなどして、示している。富士講→丸山教にも、そうした現世批判、天皇制イデオロギーの否定という契機が含まれていたが、それらは、中国での太平天国の乱や朝鮮の東学党の乱のようにトータルな宗教形態をとった解放戦争(内戦)にまで発展しなかった。それはなぜなのかということも安丸氏は問題提起している。明治10年前後の世直し一揆の特質がそこに示されているというのだが。産経新聞は、1月22日「産経抄」で、アルジェリア人質事件に際して、「カスバの女」という歌謡曲を思い出させるという程度の低い認識しか示せないという体たらくぶりを示した。どうでもいいようなアルジェリア知識を披歴したにとどまっているのである。それで、産経新聞も、今や支配階級の御用新聞の位置すらない非主流に転落しているということがわかった。

在アルジェリア邦人拘束事件 (我が国の働きかけ) 平成25年1月21日外務省HP

 1月21日(月曜日),現在までの本件に関する我が国の各国に対する働きかけは以下のとおりです。

1 東京等における働きかけ(以下は特筆ない限り日本時間)

(1) 日・アルジェリア外相電話会談(16日23時35分)

 岸田外務大臣から,メデルシ外相に対し,人命最優先での対応を強く申し入れ。

(2) 日・ノルウェー外相電話会談(17日0時30分)

 岸田外務大臣とアイデ外相は,事態を極めて憂慮し,本件行為は断じて許されるものではなく,国際社会が一致して人質解放を呼びかけていく必要性と,関係国間で緊密な連携を行っていくことを確認。

(3) 日英外相電話会談(17日12時30分)

 岸田外務大臣からヘーグ外相に対し,アルジェリア及びノルウェーの外相との電話会談について説明した上で,事態を憂慮しており,こうした行為は断じて許せない旨述べ,英国との緊密な連携を確認。

(4) 日仏外相電話会談(17日17時30分)

岸田外務大臣とファビウス外相は,人命を最優先にして,日仏間で緊密な連携を継続していくことについて認識を共有。

(5) 日英首脳電話会談(17日18時00分)

安倍総理大臣とキャメロン首相は,同日に行われた日英外相電話会談を踏まえ,日本と英国をはじめとする関係国が一致して解決に向けて協力することや緊密な情報交換を行っていくことにつき一致。

(6)日アルジェリア首脳電話会談(18日0時30分)

 安倍総理大臣から,セラル首相に対して,本件に関し人質の生命を危険にさらす行動を厳に控えるとともに,人質の解放に向け適切な対応をとるよう要請。

(7)鈴木副大臣・ケトランジ在京アルジェリア大使会談(18日15時25分)

鈴木外務副大臣から,ケトランジ大使に対して,日本政府として極めて憂慮しており,こうした行為は断じて許すことはできない旨述べつつ,早期解決のためのアルジェリア政府の協力を要請。

(8)日米外相会談(19日3時00分)

岸田外務大臣から,クリントン国務長官に対し,日本としてテロは断じて許容しない旨述べた上で,アルジェリア政府に対して人質の人命を最優先にするよう働きかけを行ってきたことを説明し,事態を大変憂慮している旨言及。クリントン長官からも事態に対する憂慮の表明があり,双方は,今後も情報収集 をはじめ日米間で緊密に連携して対応していくことを確認した。

(9)日英首脳電話会談(19日18時00分)

安倍総理大臣から,キャメロン首相に対し,関係国が引き続き一致して,人命最優先での対応を働きかけていくことが重要と述べ,引き続きの情報提供や側面支援,現地での協力を依頼した。

(10)日ノルウェー首脳電話会談(19日21時25分)

安倍総理大臣から,ストルテンベルグ首相に対し,ノルウェーには,医療サービスの申し出のような現地対応につき協力をお願いする可能性を言及。

(11)日アルジェリア首脳電話会談(20日0時30分)

セラル首相から,人質救出に向け,全ての事は終わった,全てのオペレーションは終了し,全テロリストは降伏した,現在,まだ見つかっていない人質を捜索中である旨言及。  これに対し安倍総理大臣から,我が国としてテロは断じて許容しない,今回の事件は極めて卑劣なものであり,強く非難すべきものである旨言及。  また,安倍総理大臣から,これから現地入りすることになる関係者及び会社関係者に対して便宜の供与並びに通行の安全に関する万全の配慮をお願いする旨言及。これに対してセラル首相からは,あらゆる指示を出して,最大限の協力をするという受け答えがあった。

(12)日仏首脳電話会談(20日18時45分)

安倍総理大臣より,オランド大統領に対し,仏はアルジェリアとの関係が深いところ,引き続きの情報提供や側面支援,現地での協力についてよろしくお願いしたい旨伝えた

2 現地における働きかけ

16日(現地時間)以降,川田駐アルジェリア大使からアルジェリア政府要人に邦人の生命を尊重して,救出を行ってほしい旨協力を累次にわたり要請。

17日23時,城内外務政務官がメデルシ・アルジェリア外相と会談。人命の安全確保が第一であり,人質の生命を危険にさらす行動は即刻中止するよう申入れ。先方は,人命が最優先であることはアルジェリア政府も同様の認識,現地の最新状況は随時提供していく旨応答。 18日19時20分から約1時間,城内外務政務官は関係国(米,英,仏,カナダ,ノルウェー,ルーマニアおよびEU)と共にメデルシ・アルジェリア外相に対して共同の働きかけを実施。城内外務政務官から迅速な情報提供を依頼。各国代表からも迅速な情報提供及び緊密な連携を要請。  メデルシ外相からは,引き続き情報提供に努めたい旨発言。

 0日0時30分,城内外務政務官は現地に到着した川名日揮社長とともに,ユスフィ・エネルギー大臣と会談。城内外務政務官から,未だ安否が確認できていない邦人に関する早急な情報提供を要請した。ユスフィ・エネルギー大臣は,邦人の安否については今後とも情報提供に努めると共に,今後と も最大限の協力を行っていきたい旨応答。

 20日21時46分,城内外務政務官は,ソナトラック社手配のチャーター機により,イナメナスに到着し,ユスフィ・エネルギー大臣とともに,事件現場を視察。

 ◎

 24日午前5時30分頃(現地時間)から20分間にわたり,アルジェ空港において,鈴木総理特使は,城内大臣政務官とともに,同特使一行並びに無事が確認された日本人及び御遺体の見送りに訪れたユースフィ・エネルギー大臣と立ち話を行ったところ,概要は以下のとおりです。

 冒頭,ユースフィ・エネルギー大臣から,今回の事件の犠牲者及び御遺族に対する哀悼の意が改めて表明されました。加えて,今後とも日本とアルジェリアとの協力関係を促進していきたい,また,そのために関連施設の安全強化に努めていく旨述べました。

 これに対し,鈴木総理特使から,今回の極めて卑劣なテロ行為を断固避難する旨述べた上で,今回の訪問をめぐるアルジェリア政府による一連の協力,また,城内大臣政務官がユースフィ・エネルギー大臣とともに外国政府高官として初めて事件現場を訪問し得たことに対し感謝するとともに,未だに安否が判らない日本人1名の安否確認について引き続きアルジェリア政府の最大限の協力を得たい旨要請しました。

 これを受け,ユースフィ・エネルギー大臣からは,依然安否が判らない1名の方の安否確認について,引き続き最大限の努力を行う旨述べました。

アルジェリア人質事件 緊迫の現場…何が起きたのか 産経新聞 1月25日(金)

■「仏英日の5人人質にとれ」/礼拝強要「怖いから従った」  【カイロ=大内清】アルジェリア人質事件で、イスラム過激派武装勢力の計画準備や、天然ガス関連施設襲撃の状況が、現地紙や政府関係者の発言などから次第に明らかになってきた。

 ◆2カ月半前に命令

 現地紙シュルークが治安当局筋の話として伝えたところでは、拘束された武装勢力メンバーは、事件の2カ月半前、首謀者とされる国際テロ組織アルカーイダ系「イスラム・マグレブ諸国のアルカーイダ組織(AQMI)」のベルモフタール元幹部から、「(犯行)計画と命令を受けた」と供述。「フランス人と英国人、日本人の計5人を人質にしリビアへ出国せよ」などと指示されていた。

 また別の報道によると、武装勢力は、カダフィ政権崩壊後の混乱が続くリビア西部の民兵組織から武器・弾薬を調達、カラシニコフ銃は1丁900リビアデイナール(約6万4千円)、ロケット弾は1200リビアデイナール(約8万6千円)だったという。

 犯行グループは、同国で入手した車をアルジェリア治安機関の車両に偽装しリビアから密入国。武装勢力はもともと「マリ北部から来た」(アルジェリアのセラル首相)とされるが、周辺国にもアジトや支援網を確保していたことが裏付けられた形だ。

 襲撃は16日午前5時半ごろ、2グループに分かれて始まった。第1グループは居住区を襲い、最初にプラント建設大手「日揮」の駐在員5人を射殺するなどして居住区を制圧、信号弾で仲間に合図を送った。外国人やアルジェリア人は広場に集められ拘束された。

 第2グループはガス生産区域に向かい、開門を拒否した地元警備員を殺害し侵入した。このグループの一部は、同区域到着前に車が故障したため、施設から空港に向かうバスに目標を変更、この襲撃でバスに乗っていた日本人3人も殺害されたとみられる。

◆元運転手が案内?

 武装勢力は治安機関が「ベンシェネブ」と呼ぶ男の指揮下にあり、そのかたわらにはカナダ国籍の男が通訳として従っていた。ベンシェネブらは居住区を襲ったグループにいたとみられ、襲撃後ほどなくして始まった当局との交渉では、居住区内のスピーカーで当局とのやり取りを人質らに聞かせたという。

 一方、内通者の存在が指摘される中、武装勢力側にも施設をよく知る人間がいた可能性が出てきた。

 現地報道によると、メンバーの一人で「マンジル」と呼ばれていた男が、施設を運営する英メジャー(国際石油資本)BPで運転手として働いていたことが新たに判明。生死は不明だが、案内役だった可能性が高い。

 居住区で武装勢力は、アルジェリア人にはある程度の行動の自由を与えていたようだ。イスラム教の礼拝時間にはアルジェリア人全員に礼拝をするよう強要し、あるアルジェリア人労働者はシュルーク紙に「怖いから従った」と話した。

 ◆爆撃で指揮官死亡

 翌17日、ベンシェネブらは人質とともに車4~5台に分乗し、別グループと合流するためガス生産区域への移動を始めた。アルジェリア軍はヘリで車列を爆撃、ベンシェネブはこの攻撃で死亡した。生存した人質は2人だけだったという。

生産区域では日本人1人を含む外国人らが、爆発物を巻き付けられた状態で車に押し込められていた。  

 18日、生産区域で大きな爆発が起きた。正確な時間は不明ながら、武装勢力が設備を破壊しアルジェリア経済に打撃を与えようとしたものとみられる。指揮官を失って交渉が進まないことにいらだっていた可能性もある。これに前後し、アルジェリア軍との銃撃戦が始まった。残る外国人の人質7人が殺害されたのもこのころだったとみられる。

 戦闘ではアルジェリア軍が武装勢力を圧倒。投降する者も現れた。19日早朝、陸軍が生産区域全体を制圧、当局はその後、作戦終了を宣言した。

産経抄1月22日

 「ここは地の果てアルジェリア どうせカスバの夜に咲く」。往年のヒット曲「カスバの女」のおかげだろう。遠く離れているわりには、アルジェリアには親近感がある。

  ▼実は日本との結びつきは意外に強い。1962年の独立以来、豊富な資源に目を付けた日本企業が続々と進出してきた。なかでも存在感を示してきたのが、プ ラント建設大手の日揮だ。80年には世界でも有数の規模を誇る天然ガスプラントを、5年がかりで完成させている。ピーク時には2500人もの日本人がいた。

 ▼当時の駐在社員によると、真夏には50度を超えるサハラ砂漠の気候以上につらかったのが、孤独感だった。「慰めを与えてくれたのは家族からの手紙だったが、日本から来るのに2~3週間かかった。郵便箱に自分宛の手紙を見つけると胸のポケットに差し、満足気にキャンプの中を歩いたものだった」(『アルジェリアを知るための62章』明石書店)。

 ▼30年以上たって、通信事情は格段によくなっているはずだ。それでも、イナメナスの天然ガス関連施設で働く人たちには、日本では想像もできないような苦労がある。その一つだった、イスラム武装勢力による襲撃の恐れが、現実となってしまった。

 ▼海外メディアが次々に報じる「邦人死亡」の情報を政府はなかなか確認できなかった。家族の不安は限界に達していたはずだ。英米両国は人質救出のために、アルジェリア政府の同意さえあれば、特殊部隊を投入する構えだった。

 ▼それにひきかえ日本では、「海外での武力行使」を禁じる憲法解釈への配慮から、自衛隊派遣の検討さえ行えない。海外の過酷な環境で働く人たちに対して、あまりに冷たすぎるのではないか。

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東北史、山鹿素行、アルジェリアでの人質事件

 引き続き、『山鹿素行』(吉川弘文館)、『エゾの歴史』(講談社学術文庫)、『平泉の世紀』(講談社学術文庫)に入る。

 『民衆史の課題と方向』(三一書房)で面白かったのは、「延暦十一年、諸国軍団兵士制停廃の一考察」(村岡薫)、「東北民衆史の源流――東北における名神式内社の成立――」(奥野中彦)、「一向一揆と寺内町の解体――服部之総『蓮如』をめぐって――」(太田順三)、「奄美群島における島民の主体的な行動について――『道之島代官記集成』記事の紹介を中心に――」(三木靖)、「「国民的歴史学」における民衆史の構想」(阿部恒久)である。最初のものは、延暦十一年の古代軍制改革が、征夷、蝦夷地における戦争遂行の必要から行われたもので、蝦夷勢力の前に敗退を繰り返した古代軍団の再編成を企図したものであることを説明したものである。蝦夷に対して劣勢に立った律令国家側が総力戦体制とも言うべき戦時体制を構築する過程での兵制の変化があったというのである。それを氏は「国兵士」制と呼んでいる。それは雑徭として臨時徴発で兵士を調達するもので、それによって、大量の兵士を調達したというのである。「東北民衆史の源流――東北における名神式内社の成立――」は、「古代の民衆生活をとらえるためには神について語らねばならない。神を語ることなしには古代の民衆生活をのべることはできない」(43ページ)と述べている。「むすび」では、「古代国家にとって東北は不逞の徒の巣くうところとしてあった。古代国家は東北人を統合に服さないもの=蝦夷とし、そのなかで統合に服しはしたがなお警戒しなければならない民を俘囚とし、身分的には公民=百姓と区別されるべき一段と民度の低い民とした。しかして古代国家にとって東北人=蝦夷は凶暴な叛服常なき人々であり、それ故にこそ、その統合には、はじめ征討・鎮圧が不可欠とされた。古代国家は東北人を未開野蛮の異民族視したが、その統合のプロセスで、古代東北人の信仰が信仰的に同質のものであることを知らしめられ、かつその信仰に生きる民衆の意を迎えることなしには統合の実があがらないのを膚に感じていった。そのあらわれが統合のプロセスにみられる東北諸神の叙位叙勲であって、延喜式による東北の名神、式内社の制定は、その意味で、古代国家による東北統合策の一大転換を物語るものであった。もとよりそれは、東北人にたいする国家の認識が根底的に改められたというのではない。以後、国家の東北統合は、“蝦夷により蝦夷を征す”という巧妙な統治技術に導かれるものに代わったにすぎないけれども、従来のごとき未開野蛮な異民族観をもって対する居丈高な制圧策をもってしては、到底東北を統合し得ないという認識に到達するにいたったのである」(61ページ)。人々の信仰への介入は、明治維新の際にも行われたことである。廃仏毀釈、神仏分離、神社合祀、大本教の利用と弾圧、仏教各派やキリスト教の一宗一派への統合強制策、戦時中の浄土真宗への教義解釈変更強制、等々。

 掘勇雄氏『山鹿素行』(吉川弘文館)は、山鹿素行の『聖教要録』などを読むための下準備のつもりで読んだが、どうも素行を買い被りすぎたのではないかと思わざるを得なかった。「万世一系」思想の祖と言われていたのだが、そうでもないようだ。掘氏によると、山鹿の基本思想は、徳川幕藩体制を保守する思想で、「人倫之大綱は君臣を以て大と為す。君臣上下の差別する処、聊か力を以てするにあらず、天地自然の儀則也」(192ページ)(山鹿素行『武教要録』)とあることに示されている。掘氏は、素行が、「君臣の関係は天地自然の道、天の命ずるところで人間の如何ともなし得ぬもの、従って未来永遠に廃絶せぬものと考え、下克上及び放伐革命は「天地の倒覆するに異ならず。」(臣体)と強く否定し、君と臣と「各々其の分の定まる所は、義の因る所」であるから、臣は臣たるの分に安んじ、君恩の重きを思い「日々奉公恪勤の思入怠るべからざる也」(臣体)と説いた」(同)というのである。

 素行の思想が、忠臣蔵の赤穂四七士の仇討ちに思想的影響を与えていたのではないかと思っていたが、どうもそういうことはほぼなかったらしい。堀氏はそのように断定している。そうすると、幕末の吉田松陰が素行を師と仰いでいるのは、松蔭流の独特の解釈があったのかと疑問が湧いた。素行は儒学・老荘・仏教・神道の融合という立場から進んで、儒教が、周という国のあり方を理想とするように、易姓革命なき万世一系の王道の中世までの朝廷を理想として対置したようだ。そして、素行は、記紀神話の世界にそれを見出したというのである。「古学」といっても、記紀の記述をそのまま受け取って、テキストの吟味もあまりしなかったという。

 アルジェリアでの誘拐人質事件で、死亡者の中に、イギリスのメジャーのBP(ブリティッシュ・ペトロリアム)の副社長、日揮元副社長・最高顧問が含まれていることが明らかになった。これらのエネルギー関連企業のトップが集まっていたところを武装集団に襲われたのである。日本人10人が死亡した大事件の割りには国内での反応が小さいように思う。それではすまなくなっていくだろう。無人島をめぐってあれほどの大騒ぎをしながら、死者が出た事件がこれほど小さく扱われるというのは不思議である。2010年から2011年にかけての「アラブ民主化」が、アルジェリアの隣のチェニジアから起き、エジプトで政権を覆し、最後はリビアへのフランスを先頭とするNATOの空爆とカダフィの殺害で一区切りされた後、北アフリカで何が起きていたのか。謎の多い事件だ。この間のフランスの北アフリカでの行動は、帝国主義的である。しかも、フランスで政権をとっているのは社会党である。かれらは社会帝国主義者である。

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様々な疑問

 知り合いより借りた『誰も書かなかった石原慎太郎』(講談社文庫)という佐野眞一氏の書いたノンフィクションを読む。それによると、石原慎太郎の父親の石原潔は、四国の旧宇和島藩の八幡浜の隣の長浜という港町で生まれた。彼は、旧制中学を中退して、近くの出身の山下亀三郎が一代で大海運会社にした山下汽船に入り、後に、関連会社の重役になっている。彼は、北海道の小樽で南樺太の木材運搬の仕事に関わり、最後は神奈川県の逗子に住んだ。石原家の先祖は武田の残党で、伊予に移ってからは服部と名乗っていたという。そこから分かれて石原家に入ってから石原になったという。潔が山下汽船に入社した当時、店童という身分で、「小学校・高等小学校を卒えたばかりの者。いずれも十四、五歳どまりであった」(40ページ)。仕事は、掃除からなにからの雑用一般で、数年は宿舎と食事を支給されるだけで給料はない。丁稚みたいなもんである。潔が樺太貿易に携わった頃の小樽は新開地で各地から流れて混んできた新参者ばかりの街だったようだ。そこから、伊藤整などの文学者や水ノ江滝子のようなスターも生まれている。もちろん、この地で少年時代を過ごした石原慎太郎・裕次郎がいる。佐野眞一氏は、この書で、かなり詳しく資料をあたったり、現地を踏査したり、インタビューも取ったりと丁寧に細かく取材しており、時代状況、風土、人間関係、特に親との関係とか、友人関係とかから、石原慎太郎像を浮かび上がらせようと努めている。『週刊朝日』の橋下大阪市長についての連載も、おそらく同じように丁寧に取材していると思う。初回だけで、全体を判断できるものではない。

 中島嶺雄氏『中国現代史』(有斐閣)、安丸良夫氏『日本の近現代史』(平凡社)、民衆史研究会『民衆史の課題と方向』(三一書房)に入る。中国あるいは東アジアを考える上で、アジア性の解明が欠かせないと思っている。例えば、「天」という概念をどう理解したらいいのか。「一君万民」思想とは。「万世一系」思想とは。どうして自由民権運動は、それらにトンボ返りしてしまうのか。どうして部落差別はなくならないのか。今日の排外主義が、朝鮮・中国に集中し、西欧諸国に向かわないのはなぜか。日本では近代100年をへて、なお西欧流の民主主義が根づかないのはなぜか。等々、解明し得なていないことがいろいろとある。

 たまたま、偽書か真書かで大論争があった『東流日外三郡志(つがるそとさんぐんし)』についての両説と『日本の偽書』(文春新書)という偽書説に立つがその議論の外にある人の本にざっと目を通した。真書説に立つのは、邪馬台国九州説を唱えた古田武彦氏で、偽書説に立つのは、雑誌『邪馬台国』編集長の安本氏である。偽書派には谷川健一氏も加わっている。大雑把に言うと、偽書派の決め手は筆跡鑑定で、真書派は、それが写本で原本があるという反論を行なっている。『日本の偽書』の筆者は、『東流日外三郡志』には別の原本があり、それが偽書だとしている。入り組んだ難しい話になっているが、古田氏は、現在も真書説を維持しており、それに、中国学者中嶋嶺雄氏も加わっている。近年、中国の元と樺太アイヌの戦闘があったことが着目されたり、津軽十三湊を支配した安東氏(後、秋田氏)の中国や北方交易が盛んであったことが明らかにされてきたり、北方史の見直しが進んでいる。北方諸民族の歴史やシベリア南部、アムール川沿いの地方の歴史とか、それと中国との関係も紹介が進んできた。あるいはオホーツク文化の解明も進んできた。それに、東北学の試みも進められてきていて、いろいろと歴史の見直しが必要になっている。それで、『東流日外三郡志』が偽書かどうかという問題とは別に、そこに示されている歴史観や東北像、北日本像や思想や文化観などの把握と分析ということが必要なのではないかと思われる。偽書かどうかというだけに意識を集中するのは、歴史実証主義的な態度で、逆にそういうイデオロギーにとらわれて足をすくわれるということに気をつけなければならないと思う。

 話が飛ぶが、アフリカのマリでのフランス軍の反政府勢力に対する空爆は、フランスが帝国主義国であるということを明瞭に示している。これは帝国主義的軍事行動以外のなにものでもない。それと、安倍自民党の二世、三世、四世議員ばかりの内閣の姿は、アジア的身分制の露呈というふうに見えるがどうだろう。今インドで連続して起きたことに、カースト制度が関係しているのではないか。アフリカでの旧宗主国=帝国主義国の軍事侵略行動、そして、ルールなき海となった尖閣諸島周辺海域をめぐる日中の軍事衝突の可能性の強まり、等々、きな臭いことが増えてきた。ネグリの『帝国』論ではこういうことはまったく理解できない。帝国主義概念が現実を理解するには欠かせないことがますますはっきりしたと考える。

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蝦夷、安倍、歴史と3・11

 2013年1月1日『福島民友』1面トップは「甲状腺検査医師ら「認定」」という記事である。4面には、福島県立医科大学長菊池臣一氏のインタビュー記事が載っている。医療の人材不足が最大の課題だという。県民健康管理調査は、回収率が2割強のままにとどまったままで、原発に近いところほど回答率が高いという。そこで、方針転換して、原発周辺地域を重点的に調査していくという。しかし、県立医大は、「チェルノブイリ原発事故の後、4~5年後に現地で小児の甲状腺がんが増加したことから、現在の選考検査を「子どもたちの甲状腺の状態を診る検査」と位置付けている。その後の本格検査は、20歳までが2年ごと、それ以降は5年ごとに、生涯にわたって検査を継続する」(4面)という。このように、県立医大は、子供の甲状腺がんが4~5年後に増加する可能性があると考え、対策を進めている。

 他方で、先日誕生した安倍首相は、こんなことになんら配慮を示すことなく、原発新設を示唆する発言をした。それについての県内の反応が『民友』5面に載っている。

 首相の原発新設容認発言 「なぜ今」「まず廃炉、賠償」県内首長から不満の声 「真意見極め」意見も

 安倍晋三首相が30日、テレビ番組で現在停止中の原発の再稼働にとどまらず、新規の原発建設を容認する姿勢を示した発言について、東京電力第1原発事故で住民が避難している県内の首長からは31日、「今の時期、なぜこんな話が出てくるのか」などと不満の声が相次いだ。一方で、「真意を見極めたい」と冷静に受け止める反応もあった。

 松本允秀葛尾村長は「避難している立場からすれば、(衆院選直後の)今の時期に、なぜこんな話が出るのかという思い。経済を優先する姿勢に映る」と話した。馬場有浪江町長は「国のエネルギー政策破綻を理由に、原発の再稼働、新設は認められない。まずは原発の廃炉や賠償、除染などを確立させる必要がある」と批判。桜井勝延南相馬市長は「首相が言うからには、少なくとも福島第1原発事故の後処理を全て終えてからだ」と指摘した。
 菅野典雄飯舘村長は「どのぐらいエネルギーが必要なのか、今後の日本に必要なのかなどの議論がなされないまま、『原発ありき』という考え方をすることに疑問を感じる」と首をかしげる。渡辺年綱大熊町長は「政権が代わったからといっって、(新設に対する)考え方が急旋回するのは考えにくい。もう少し真意を見極めたい」と話した。
 安倍首相は、TBSの番組で、今後の原発政策をめぐり「新たにつくっていく原発は、事故を起こした東京電力福島第1原発とは全然違う。国民的理解を得ながら新規につくっていくということになる」と発言。原子炉や安全対策の違いに着目すべきだとの認識を明らかにした。安倍首相は29日、民主党政権が決めた2030年代の原発ゼロ目標を転換する考えを重ねて示していた。(5面)

 今のところ、安倍政権に対しての評価はあまり聞かれず、本格的な反応はこれから出てくるだろう。それは参議院選挙に反映されることになろうが、少なくとも安倍総理の原発政策については批判的な声が多いようだ。われわれは、この間の民主党3年有余の政治が、アメリカの強い介入に屈する様を見せつけられ、特に外務省はすっかりアメリカの手先機関でしかないということを痛感させられた。安倍政権がそれを覆すなどまったくありえないことで、この国に主体性がないので、当然その「国民」にも主体性がなく、原発を止める力も勇気もないという情けないことになっている。長いものにはまかれろとばかりの事大主義は権力中枢に深く根付いており、自分の足で立つこともできない。安倍政権は、アメリカのポチ政権と化す。「武士は食わねど高楊枝」などという意地もなく、お坊ちゃんには他人の痛みもわからない。同じ坊ちゃんでも夏目漱石の貧乏教師の『坊ちゃん』は、強きをくじき弱きを助ける正義感があり、さわやかなもんである。

 福島県は2013年を福島復興元年として、復興を最大課題とすることを表明している。それに合わせるかのように、NHKで福島県会津を舞台とした大河ドラマ『八重の桜』を放映する。県内ニュースでもその話題が繰り返し取り上げられていた。歴史認識は急速に変化しており、教科書などはまったくそれに追いついていない。例えば、大和王朝と並行して、東北北部から蝦夷地にかけて、別の王朝があったという説がある。これは安倍比羅夫から安東氏、そして秋田氏へとつながる俘囚系(蝦夷系)の王統である。

奥州藤原氏登場前史 (ウィキペディア)

 東北地方は弥生時代以降も続縄文文化や擦文文化に属する人々が北海道から南下して住み着くなど、関東以南とは異なる歴史を辿った。中央政権の支配も関東以南ほど強くは及んでいなかったが律令制の時代には陸奥国と出羽国が置かれ、俘囚と呼ばれた蝦夷(えぞ)系の人々と関東以南から移住して来た人々が入り混じって生活していた。

 11世紀半ば、陸奥国には安倍氏、出羽国には清原氏という強力な豪族が存在していた。安倍氏、清原氏はいずれも俘囚の流れを汲む、言わば東北地方の先住民系の豪族であった。このうち安倍氏が陸奥国の国司と争いになり、これに河内源氏の源頼義が介入して足掛け12年に渡って戦われたのが前九年の役である。前九年の役はその大半の期間において安倍氏が優勢に戦いを進めていたが、最終局面で清原氏を味方に付けた源頼義が安倍氏を滅ぼして終わった。

 この前九年の役の前半、安倍氏の当主であったのが頼時である。頼時は天喜5年(1057年)に戦死し、その息子の安倍貞任は康平5年(1062年)に敗死したが安倍頼時の血統が絶えたわけでは無かった。頼時の娘の1人が前述の亘理郡の豪族・経清に嫁いでいたのである。経清もまた安倍氏の滅亡の際に頼義に囚われ斬首されたが、その妻(つまり頼時の娘)は頼義の3倍の兵力を率いて参戦した戦勝の立役者である清原武則の長男・武貞に再嫁することとなった。この時、頼時の娘が連れていた経清の息子(頼時の外孫)も武貞の養子となり、長じて清原清衡を名乗った。

 永保3年(1083年)、清原氏の頭領の座を継承していた清原真衡(武貞の子)と清衡そしてその異父弟の清原家衡との間に内紛が発生する。この内紛に源頼義の嫡男であった源義家が介入し、清原真衡の死もあって一旦は清原氏の内紛は収まることになった。ところが義家の裁定によって清原氏の所領の6郡が清衡と家衡に3郡ずつ分割継承されると、しばらくしてこれを不服とした家衡が清衡との間に戦端をひらいてしまった。義家はこの戦いに再び介入し、清衡側について家衡を討った。この一連の戦いを後三年の役と呼ぶ。

 真衡、家衡の死後、清原氏の所領は清衡が継承することとなった。清衡は実父の姓である藤原を再び名乗り、藤原清衡となった。これが奥州藤原氏の始まりである。

 この系譜に繋がる安東氏がある。    

安東氏家系(ウィキペディア)

 安倍貞任第2子の安倍高星を始祖とする系譜を伝え、津軽地方を中心に西は出羽国秋田郡から東は下北半島までを領した豪族である。その実際の家系については、『保元物語』に登場する信濃の安藤次、安藤三との関係などを指摘する説、『吾妻鏡』に登場する三沢安藤四郎との関係などを指摘する説がある。なお『安藤系図』には、源頼朝の奥州攻めに際して安藤小太郎季俊が先導をし、その子季信は幕府から津軽の警護を命じられたとある[4]。

 安東氏の後裔である旧子爵秋田家には、長髄彦の兄である安日の子孫という伝承が残っており、このため安東氏を蝦夷とする見解と蝦夷ではないとする見解の対立がある[5]が、家系伝承については蝦夷の祖を安日に求めた室町期成立の『曽我物語』の影響を受けている可能性が高いため、信憑性は低いと考えられている。ただし、自らを「朝敵」であった蝦夷の子孫であるとする系図を伝えてきたことが、北奥地方に独特の系譜認識を示すものとされている。

 近年の研究では、陸奥国一宮鹽竈神社の社人であり当神社の神領管理をしていたこと、「津軽山賊」と記載された史料があることなどから、海民、山民としての性格を持つ豪族であったとも推定されている。

 安倍氏、安東氏、清原氏、奥州藤原氏は血縁があり、姻戚関係でつながっている。現総理安倍氏もその系譜に連なっているはずである。NHK大河ドラマ『炎立つ』はこうしたことを下敷きにしていた。

 年末風邪を引いたため、ほとんど寝正月になり、そのためテレビばかり観ることになったのだが、まず、面白かったのが、NHK教育の「日本人は何を考えてきたか」という番組で、特に「南方熊楠と田中正造」の回と「大逆事件 幸徳秋水と堺利彦」の回が面白かった。それから、前回の「大本教」も。現在、歴史認識は底辺から大きく変わっていて、それと「維新の会」などの歴史認識の間には大きなギャップがある。日本人像が底辺から変わりつつあるのに、「維新の会」の橋下などの歴史認識はまったく古いままである。先に上げた3者を見るにも、民俗学と歴史学の知を併せ持つような認識を持たないと理解できない。大逆事件は、当時の検事平沼騏一郎(後総理大臣)が最初から思想弾圧を意図した冤罪事件であることは明らかである。幸徳の故郷四国高知県の四万十市に、幸徳秋水顕彰会ができて、今では慰霊式に市長も参加するようになっている。官軍と壮絶な戦いを繰り広げた会津の話が、今年のNHK大河ドラマ『八重の桜』で、その宣伝が繰り返し放送されていた。もっとも、三春は安東氏の流れをくみ、神武東征軍が奈良盆地に入るのを一度は撃退した安日王長脛彦を祖とする系図を持つ秋田氏が幕末の領主で、郷士河野広中らが官軍に降伏する交渉をし、奥羽越列藩同盟を真っ先に脱盟したところである。

 別の話で、もう一つ、東北の独自性を示しているのが、義経観である。正月に、『義経千本桜』「河連法眼館の場」を観た。福島県福島市飯坂温泉のあたりを根拠地にした佐藤一族の出で、義経の家来として活躍した佐藤兄弟(継信・忠信)の弟の忠信に化けた狐の孝行話で、義経人気の中には、奥州藤原氏とのつながりということもあると思った。話は、壇ノ浦の戦いで戦死した兄佐藤継信の敵討ち話や海に沈んだはずの安徳帝を守る平維盛などの平家の武将が登場するなど荒唐無稽なもので、宙乗りなどのケレンが見せ場をなすという派手なものだが、そのもとになった『義経記』は、物語られるなかで変形されていったもののようである。そこにも庶民の作った義経像があり、人々の愛着の深さが感じられる。「判官びいき」とは、日本人の心の特性を表すとされる言葉だが、小泉政権時代は「強い者はより強く」というそれと正反対の価値観が顕揚された。ホリエモンのような欲深き者が賞賛され、ヒーローとされた。しかし、元々、日本的ヒーローは義経の方であり、義太夫節の歌舞伎3大人気は、『菅原伝授手習鑑』、『義経千本桜』、「仮名手本忠臣蔵』で、九州大宰府に流された菅原道真、兄頼朝に討たれた義経、お取り潰しとなった播州赤穂浪士が主人公で、全て敗者である。しかし、歴史上、敗者は後に勝者となっている。関ヶ原の敗者の薩摩は、明治維新で勝者となる。平家に敗れた源氏は鎌倉幕府を開く。

 とりとめがなくなったが、歴史は弁証法的であり、このようにジグザクした動的過程をたどっており、一方から正反対へと反転し、さらに反転しと留まることなく変化しているということをつかむことが大事だということを確認したい。そこに歴史感覚、歴史的感情、感慨が生まれ、物語の情感が醸し出されるのであり、それを人々は感受し楽しみ味わうのである。そして、共感が生まれる。深い連帯の情が湧く。

 3・11前、2008年の『季刊東北学』冬号は、「東北の森一万年の旅」という特集を組み、東北の自然を取り戻すための試みを行なっている。そのためには、自然との適切な関係を人為的に作る必要があり、そういう場としての里山の形成ということも課題にのぼっていた。しかし、3・11後の原発事故は、その試みを頓挫させてしまった。森も自然もすでにずいぶん壊れていて、動物も昆虫も減少していた。植林されたままの杉林が崩落しやすいことは、熊野の那智での水害でも示された。その様子は、NHKのさだまさしの番組で元日に放送された。さだは、那智へ水害の義援金を届けに行ったが、那智の人たちから東北の被災者へ義援金を渡すように頼まれたのである。水害の被災者が地震・津波の被災者へ義援金を送ったのだ。那智の水源地帯で植林された杉林は地面ごと崩落し、川には新しい土砂が堆積し、泥水が下流に流れていっている。それは、南方熊楠が守ろうとした熊野の森を壊したことの結果であった。天然林での複雑で多層多様にからみ合って相互依存しあって出来上がっている生態系のバランスを、南方熊楠は曼荼羅として描いた(それを南方曼荼羅というそうだ)。ノートに記されたその図は、いたずら書きにも見えるが、何本もの曲がった線が錯綜して走っているものである。非対称であり、微妙である。以下の記事では、無我夢中で記憶がないというような特異な体験もあり、そこからする認識体験も生まれている。自然も人間もそうした特異なものを受けているということをより深く考えなければならないと思う。

 ベクレルの嘆き2 放射線との戦い(『福島民友』2013年1月4日 1面)
 第1部安心の尺度

 池田美智子(39)のノートには、東日本大震災と東京電力福島第一原発事故が起きた平成二十三年三月十一日からの記録がびっしりと書き込まれている。間もなく、一年十カ月がたつが、ページをめくると記憶が鮮明によみがえる。
 震災当時、美智子は双葉町の特別養護老人ホーム「せんだん」に勤務していた。東京電力福島第一原発からは約3・5キロしか離れていなかった。入所するお年寄りと何気ない会話を交わす日常は、「3・11」を境に一変した。

 経験したことのない大きな揺れが施設を襲った。美智子は、利用者を置いて逃げるわけにはいかなかった。「避難しよう」。一夜明けた十二日朝、誰からともなく声が上がった。だが、利用者をどこに連れて行けばいいのか、見当もつかなかった。
 同日午後二時ごろ、施設に一本の電話がかかってきた。受話器を取った美智子の耳に届いたのは、双葉町長・井戸川克隆の怒鳴るような声だった。「なぜ逃げないんだ。もう駄目だぞ!」
 ただならぬ気配を感じ、施設長岩本善一(65)に電話を代わった。利用者を双葉高に運び、ヘリコプターで避難させることが決まった。
 岩本は「無我夢中だった。所々、記憶がない」と当時の混乱ぶりを振り返る。
 美智子は身元が分かるように利用者全員にガムテープを張って名前を書き、双葉高を目指した。午後三時半すぎ、双葉郵便局を通り過ぎようという時だった。美智子の耳に「ボン」という音が聞こえた。後から分かったが、第一原発1号機の水素爆発だった。

 双葉高のグラウンドに到着すると、大量のほこりが降り注いでいた。自衛隊や警察が慌ただしく動き回る。「ここから逃げてください!」。防護服を着た警察官が駆け寄ってきて大声で叫んだ。

 

爆発、どこに逃げる…

 「今逃げてきたばかりなのに、どこに逃げるの…」
 行く当てを失い、再び施設に戻った。たまたま通り掛かった自衛隊員に助けを求めた。隊員がどこかに連絡を取ると、施設に何台ものジープが来た。「双葉町は川俣に向う」。美智子は、井戸川が話していたのを思い出した。利用者と共に川俣町に向かった。

 利用者の受け入れ先にめどが付いたのは一週間後の三月一九日だった。「ようやく家族と会える」。先に避難していた夫幸司(38)と長男幸矢(21)が待つ栃木県那須塩原市へ急いだ。家族と暮らすことで安堵(あんど)の気持ちも芽生えてきた。
 約四カ月後の七月五日。避難先での生活に慣れ始めた美智子の元に、岩本から電話がきた。「千葉県の放射線医学総合研究所で検査を受けることができるか」。対象は原発事故後も避難せずに双葉郡内などに残っていた住民五十二人だった。(文中敬称略)

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