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東北史、山鹿素行、アルジェリアでの人質事件

 引き続き、『山鹿素行』(吉川弘文館)、『エゾの歴史』(講談社学術文庫)、『平泉の世紀』(講談社学術文庫)に入る。

 『民衆史の課題と方向』(三一書房)で面白かったのは、「延暦十一年、諸国軍団兵士制停廃の一考察」(村岡薫)、「東北民衆史の源流――東北における名神式内社の成立――」(奥野中彦)、「一向一揆と寺内町の解体――服部之総『蓮如』をめぐって――」(太田順三)、「奄美群島における島民の主体的な行動について――『道之島代官記集成』記事の紹介を中心に――」(三木靖)、「「国民的歴史学」における民衆史の構想」(阿部恒久)である。最初のものは、延暦十一年の古代軍制改革が、征夷、蝦夷地における戦争遂行の必要から行われたもので、蝦夷勢力の前に敗退を繰り返した古代軍団の再編成を企図したものであることを説明したものである。蝦夷に対して劣勢に立った律令国家側が総力戦体制とも言うべき戦時体制を構築する過程での兵制の変化があったというのである。それを氏は「国兵士」制と呼んでいる。それは雑徭として臨時徴発で兵士を調達するもので、それによって、大量の兵士を調達したというのである。「東北民衆史の源流――東北における名神式内社の成立――」は、「古代の民衆生活をとらえるためには神について語らねばならない。神を語ることなしには古代の民衆生活をのべることはできない」(43ページ)と述べている。「むすび」では、「古代国家にとって東北は不逞の徒の巣くうところとしてあった。古代国家は東北人を統合に服さないもの=蝦夷とし、そのなかで統合に服しはしたがなお警戒しなければならない民を俘囚とし、身分的には公民=百姓と区別されるべき一段と民度の低い民とした。しかして古代国家にとって東北人=蝦夷は凶暴な叛服常なき人々であり、それ故にこそ、その統合には、はじめ征討・鎮圧が不可欠とされた。古代国家は東北人を未開野蛮の異民族視したが、その統合のプロセスで、古代東北人の信仰が信仰的に同質のものであることを知らしめられ、かつその信仰に生きる民衆の意を迎えることなしには統合の実があがらないのを膚に感じていった。そのあらわれが統合のプロセスにみられる東北諸神の叙位叙勲であって、延喜式による東北の名神、式内社の制定は、その意味で、古代国家による東北統合策の一大転換を物語るものであった。もとよりそれは、東北人にたいする国家の認識が根底的に改められたというのではない。以後、国家の東北統合は、“蝦夷により蝦夷を征す”という巧妙な統治技術に導かれるものに代わったにすぎないけれども、従来のごとき未開野蛮な異民族観をもって対する居丈高な制圧策をもってしては、到底東北を統合し得ないという認識に到達するにいたったのである」(61ページ)。人々の信仰への介入は、明治維新の際にも行われたことである。廃仏毀釈、神仏分離、神社合祀、大本教の利用と弾圧、仏教各派やキリスト教の一宗一派への統合強制策、戦時中の浄土真宗への教義解釈変更強制、等々。

 掘勇雄氏『山鹿素行』(吉川弘文館)は、山鹿素行の『聖教要録』などを読むための下準備のつもりで読んだが、どうも素行を買い被りすぎたのではないかと思わざるを得なかった。「万世一系」思想の祖と言われていたのだが、そうでもないようだ。掘氏によると、山鹿の基本思想は、徳川幕藩体制を保守する思想で、「人倫之大綱は君臣を以て大と為す。君臣上下の差別する処、聊か力を以てするにあらず、天地自然の儀則也」(192ページ)(山鹿素行『武教要録』)とあることに示されている。掘氏は、素行が、「君臣の関係は天地自然の道、天の命ずるところで人間の如何ともなし得ぬもの、従って未来永遠に廃絶せぬものと考え、下克上及び放伐革命は「天地の倒覆するに異ならず。」(臣体)と強く否定し、君と臣と「各々其の分の定まる所は、義の因る所」であるから、臣は臣たるの分に安んじ、君恩の重きを思い「日々奉公恪勤の思入怠るべからざる也」(臣体)と説いた」(同)というのである。

 素行の思想が、忠臣蔵の赤穂四七士の仇討ちに思想的影響を与えていたのではないかと思っていたが、どうもそういうことはほぼなかったらしい。堀氏はそのように断定している。そうすると、幕末の吉田松陰が素行を師と仰いでいるのは、松蔭流の独特の解釈があったのかと疑問が湧いた。素行は儒学・老荘・仏教・神道の融合という立場から進んで、儒教が、周という国のあり方を理想とするように、易姓革命なき万世一系の王道の中世までの朝廷を理想として対置したようだ。そして、素行は、記紀神話の世界にそれを見出したというのである。「古学」といっても、記紀の記述をそのまま受け取って、テキストの吟味もあまりしなかったという。

 アルジェリアでの誘拐人質事件で、死亡者の中に、イギリスのメジャーのBP(ブリティッシュ・ペトロリアム)の副社長、日揮元副社長・最高顧問が含まれていることが明らかになった。これらのエネルギー関連企業のトップが集まっていたところを武装集団に襲われたのである。日本人10人が死亡した大事件の割りには国内での反応が小さいように思う。それではすまなくなっていくだろう。無人島をめぐってあれほどの大騒ぎをしながら、死者が出た事件がこれほど小さく扱われるというのは不思議である。2010年から2011年にかけての「アラブ民主化」が、アルジェリアの隣のチェニジアから起き、エジプトで政権を覆し、最後はリビアへのフランスを先頭とするNATOの空爆とカダフィの殺害で一区切りされた後、北アフリカで何が起きていたのか。謎の多い事件だ。この間のフランスの北アフリカでの行動は、帝国主義的である。しかも、フランスで政権をとっているのは社会党である。かれらは社会帝国主義者である。

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