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2013年2月

海民など

 沖浦和光氏は、『瀬戸内の民族誌』(岩波新書)で、自身の出身地・ルーツを探る中で、瀬戸内の海と島の世界を、複数のルーツを持つ複合文化的環境としてとらえ、さらに海の道を通じた東南アジア・中国南部などとの共通性を見出している。瀬戸内海沿岸や島嶼部の被差別部落の起源を「家船」集団の陸上がりに見ているのが興味深いところだ。もともと、仏教の不殺生戒の思想に基づく、殺生禁止令が度々出され、漁の禁止措置がとられたことなどもあり、さらに、良民=農民の下に、工・商等々の身分秩序が形成されていき、やがて近世には差別支配体制として固定されるのだが、その時に、その外の身分として漁民、さらにその外に置かれたのが「家船」の民であるというのである。「家船」とは、船を家として、夫婦子供の家族で船上で暮らし、場所を変えつつ、漁をしながら、移動生活する民である。瀬戸内海では、それ以前から海の民がいたが、海軍と呼ばれたのが、越智水軍→河野水軍→村上水軍の水軍の流れである。それ以前、記紀にある神功皇后の「三韓征伐」にまつわる伝承があっちこっちに残されているという。平家の落人伝説を持つ集落も多いそうだ。
 沖浦氏は、「あとがき」で、自らこの書を以下の6点にまとめている。

  1. 定住農耕民と違って、海民は漂泊性・移動性がつよく、特に漁民は仏法で定められた(不殺生戒)を守っては生きていけなかった。その海民たちの歴史と民俗を〈差別―被差別〉の視点から照射すれば、いったい何が見えてくるのか。
  2. ヤマト王朝以降の律令制にもとずく国家的営為において、海民はどのように支配権力に把握されてきたのか。千余年にわたる農本主義的な国家において、海民はどのように位置づけられてきたのか。
  3. 古代では(海賊)と呼ばれ、戦国時代に入ると(水軍)と呼ばれるようになるが、およそ四段階を経て海賊から水軍に発展し変貌する。「沖家」「島衆」の別名で呼ばれた瀬戸内の海賊衆は、〈越智水軍〉→〈河野水軍〉→〈村上水軍〉という系譜をたどってきた。秀吉の「海賊停止令」によって壊滅に追い込まれたが、その終末はどうなったのか。
  4. 瀬戸内海民の主力は、江南地方を源郷とする倭人系だった。その一部は朝鮮半島を経由して、あるいは東シナ海を船で渡って、それから瀬戸内に入ってきた。また黒潮に乗って北上うしてきた隼人系も九州南端から瀬戸内へ入ってきたのだが、それらの諸系譜はどのように交錯・混交したのか。
  5. そのような諸系譜の投影として、彼らの〈海神〉信仰もいくつかの系列に分けられる。それを解く一つのカギは記紀神話に現れるオオワタツミノカミとオオヤマツミノカミを祖型とする〈海神〉伝承である。そこから何が浮かび上がるか。
  6. アジアの各地から入ってきた「諸文化の複合体」として日本列島の文化が形成され、海民の民俗にもさまざまの潮流が流れ込んでいる。特に江南系と南方系海洋文化との結びつきは深く、海民の崇敬を集めた〈海神〉像にも、南方系海洋民のアニミズムが色濃く投影されている。彼らがトーテムとしたワニ・トカゲ・ヘビ信仰が昇華した「龍」信仰もその一つだが、日本の海民文化の諸源流は、どのようなルートでこの列島に入ってきたのか。(243~245ページ)

 山の方の生まれ育ちなので、こういう海の世界については感覚的によくわからない。『別冊東北学vol.5』での赤坂憲雄との対談で、沖浦氏は、「東北に関しては、正直、これまであまり関心を払ってきませんでした。これは、きっと生まれ育ちのせいですね。姓ですぐ分かわかるように、わが家系は、海民で、まあ、海賊っちゅうのかな、村上水軍の末裔なんです。絶えず海に向かって南を意識しながら育ちました」(同13ページ)と述べている。正直である。逆に、こちらは、南や海をあまり意識しないで育った。このような感覚の違いはそう簡単に埋まるものではなく、頭や知識では簡単に飛び越えられないものだ。そのことを率直に語る沖浦氏の姿勢に共感を覚える。違うものは違う。その認識から、共同のコミュニケーションは始まるのである。違い=差別ではない。

 3・11以降、福島・福島、東北・東北という言葉が飛び交い、支援だなんだという声も大きいが、それで3年目に入ろうとしている。まもなく、鎮魂の時期となるが、鎮魂は他者を必ず必要とする行為である。死者が自らを鎮魂することはできない。それは生者の行為であり、しかも共同行為でしかありえない。そこで、その共同性の中身が問題になる。3・11から、地域の歴史や文化を広く深く理解しなければならないと痛感した。それを自分なりに懸命に探ることにこの2年間の大部分が費やされた。3・11が起こる前、日朝問題について考え、資料を読み進めてきたが、それは、中断を余儀なくされた。だが、徐々にそれも再開しつつある。それは、日本近代の総括という作業の一環として再考されるものだ。そこから見えるものの一つは、日本における宗派主義の問題ということである。それは、セクト、市民運動、ノンセクトにもあるセクト性の問題であり、そこに見られる排他性―排除の論理であり、同化主義であり、差別性の問題である。福島の代弁者になる代行主義、福島の主体性を否定する介入主義、たった2年のにわか知識で福島をわかった気になっている自惚れ主義、等々の否定的現象が、運動の後退局面の中で、現れてきている。感覚の鋭い人なら、すでにその自覚が生じていることだろう。改めるべきは改める謙虚な自己反省の時期が訪れていることに気づいているに違いない。福島の放射能被害がこれから表面化してくるということを思う時には、意識を強くしないと暗い気分に陥ってしまう。だが、希望を捨てず、放射能被曝者の犠牲をできるだけ小さくするように努めなければならない。特に、子供たちの命を一人でも二人でも救うということが基本中の基本の課題で、セクトだろうが市民だろうがなんだろうが、それを忘れているようなものは容赦なく暴露・批判し、正さねばならない。福島の人々は、抽象的な一般市民ではなく、歴史を背負った具体性をもった諸個人、人々であることを忘れないようにしなければならない。

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革コンのお知らせ

革コンというイベントのお知らせです。以下、完全版PDFは下にあります。

全国の叛乱分子(候補、集まれ(`・ω・´) =〇
「デモに行ってみたら周りが中高年ばかりで孤独を感じた」
「行動している(過去にしたのだけど手くいかない、もっと拡大したい」
「現状に対して不満・危機感があるのだけど、行動することが怖い」
「何か行動をするための同志を募りたい!」
こんな経験を持つ全国の意識の高い(?)若者諸君、大注目!
この度、まだ見ぬ同志たち、または顔は知っているけれどちゃんと話したことが
ない、ツイッターで知ってるけど直接会ったことはない同志たちと交流するナウ
いイベントを開催します!!
その名も、革コン!!
全国に点在するであろう仲間たちと、出会って、交流して、今後ますます混
迷を極めるであろう21 世紀を共に生き抜く方法を考えよう!
革コン!

日時3 月3日14時.17時(終了後打ちげあり
場所早稲田大学16 号棟308 教室
呼びかけ人
菅谷圭祐(法政大学六年、ゆとり全共闘
小川竜弥(自主乾杯祭実行委員長、ソーシャルワーカー
砂希矢エリカ(某カフェ労働者、フリーター全般労働組合
岩井佑樹(首都圏学生、闘う学生
東洋鍋子(首都圏学生、シェアスペース運営員

「kakukon.pdf」をダウンロード



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民族問題など

 沖浦和光氏『瀬戸内の民俗誌』(岩波新書)、『戦後部落解放運動史』(河出ブックス)、スコット『ジェンダーと歴史学』(平凡社)に入る。

 松浦玲氏の『横井小楠』で、もう一つ面白かった点は、日本の武士と中国の士太夫が違うという指摘である。中国の士は、科挙によって選ばれた官僚で、受験資格に限定はあったが、かなり広く開かれていた。途中で自分の意志で辞めることもできた。それに対して、日本の武士は、生まれつきの身分であって、世襲の武官である。それが平和時には官僚仕事をしていたのである。江戸時代、けっこう複数の藩を渡り歩くなどする武士がいたというのを改めて認識した。

 中国の民族問題は複雑であり、微妙なところが多くて、理解するのも大変である。加々美さんの『中国の民族問題』はその点いろいろと理解が進んで、大変参考になった。アメリカは、インディオ対策で完全に民族問題対処の失敗例を示している。アメリカは、自分がうまく対処できない民族問題の解決を他国に求めるということをしているのである。日本の場合もそうで、アイヌ新法を制定し、アイヌという先住民族の存在を国際的にも認めながら、右派の言うことを聞いていると、未だに日本民族単一説を前提にものを考え、言っている。また、政府は積極的に複数民族国家であることを人々に広めていない。アメリカが、先住民のインディオに対してやったことと中国がチベットに対してやったことと日本がアイヌに対してやったことは、大雑把には、似ているところがある。

 もう一つ、加々美さんの本で、民族問題については、やはりマルクス主義者の議論が実践的な意味が極めて大きいし、学術研究的な意味ではなく、政治思想的に大きな意味を持っているということを中国の民族問題についての議論の紹介を読んでて感じたのが大きかった。コミンテルン第三回大会での、民族・植民地問題についてのテーゼ(草案)とロイの補足テーゼの提起したものは今でも大きな意義を持っているということを改めて認識した。それに対して、日本での右翼の民族、民族という叫びは、無内容で、民族の概念も曖昧で、何を言っているのか理解できない中身のない貧相なものにすぎない。人々から血税を貪りとって生活しながら人々を上から差別的な視線で見下ろす吸血鬼たちの立場に立って、人々の立場で闘う者たちに薄汚い罵声を浴びせる。支配階級が内心で思いながら表立って言えないような下品で差別的な言葉を大声で撒き散らす。三島由紀夫が日本文化の本質をみやびと言ったが、みやびなどかれらのどこにもない。

 それに対して、他者の痛みをわが痛みのように感じ、虐げられた人々の立場に立ち、自分の利害だけではなく、被差別者、被抑圧者の要求をも理解し、そういう他者の解放のためにも闘う全人類の解放者としてのヘゲモニーを形成して、そうした人々の連帯の糸を紡ぐ者がプロレタリアートである。自己を解放するためには他者の解放をも実現するために闘う必要があることを理解するのがプロレタリアートなのである。自分の解放を他者の解放と結びつける力を持ち、全人民解放の先頭に立って闘うのがプロレタリアートなのである。支配階級から搾取・抑圧・差別されている人々の立場や境遇を理解し、その解放のために忍耐強く闘うのがプロレタリアートなのである。それが結局は自己の解放につながるのであり、そのことを理解し、行動で示すのがプロレタリアートなのである。自分の利益ばかり追求するとかえって痛い目にあい、マイナスの結果になるのだ。もちろん一時的な例外はあるにしても、中長期的に見れば、そうなるのである。自分の目の前の利害だけを追っていると、後で必ず痛い目にあうのである。そのことはホリエモンを見ればよくわかるはずだ。もっとも彼は今はすっかり反省してやり方を変えているようだが。

 今読んでいるものも、そういうことを改めて確認させてくれるものが多い。

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アベノミクスは大衆収奪、近代史その他

 安丸良夫氏『近代天皇像の形成』(岩波現代文庫)、赤坂憲雄氏『象徴天皇という物語』(ちくまライブラリー)、松浦玲氏『日本人にとって天皇とは何であったか』(辺境社刊 勁草書房発売)に入る。日本思想大系『民衆運動の思想』と『熊沢藩山』入手。

 安倍政権のアベノミクス政策で、円安が急速に進んだため、輸入原油価格が上昇、ガソリン、灯油などの値上がりが起きている。しかし、「連合」春闘は、ベア引き上げは見送りで、一時金をめぐる交渉になっている。かつては、生産性基準原理という労働生産性上昇分の賃金を引き上げるという基準があった。日本生産性本部というのもあるぐらいだ。この間、日本での労働生産性はかなり上がっているというから、その分賃上げとなるはずが、そうなっていない。アベノミクスによるインフレで、賃金水準が同じでも、実質的には賃下げと同じことになる。それを経済学で指摘したのはケインズである。彼は『一般理論』で、労働組合運動は、通常、名目賃金(貨幣賃金)の上下には敏感に反応するが、実質賃金の動きには反応が鈍いということを指摘している。一部のエコノミストは、景気上昇の局面で、賃金が上昇するのは最後になるという経済法則とやらを作り上げそれを物神化して主張している。こういうたぐいのエコノミストの言うとおりになったためしがなく、何度も予想が大きく外れてきたのに、懲りない連中だ。

 他方で、以下の記事に見られるような、アメリカの「対テロ戦争」の非人道的やり口に対して、人権活動家や人権団体も無反応で、もちろんアメリカ人も無関心で、むしろ、支持が多いという。聖書の言葉、「汝の敵を愛せよ」などというのは、今や空しい空文句となってしまっている。「目には目を。歯には歯を」のハムラビ法典がアメリカの刑法典となってしまったかのようだ。アメリカ政府は、法廷を開き審理することなく、ある事件の真相と犯人を特定でき、それは疑いようのない正しさを持っていて、誤りなく、その犯罪者の死刑を執行できるというのである。一言の弁明もなく、しかも、別の法体系を持つ他国においても、そうすることができるというのだ。2月16日付産経新聞に、アメリカ亡命中の中国人作家が、習近平中共総書記を、「民族主義者」「ナショナリスト」で、毛沢東の子供と呼ぶのがふさわしいと言ったと書いている。今、獄中で生き続けている劉暁波という超エリートの民主人士の人権を守れというのである。しかし、中国社会の矛盾を集中的に背負わされ、時に絶望的な小暴動を起こさざるを得ない境遇に置かれている農民工などの労働者大衆の人権には一言も触れていない。超エリートの劉に同情、大衆に無関心、ということか。あるいはこれは産経の姿勢の反映なのか。歴史は大衆が作り、大衆が動かすもので、その力を暴力的その他の手段でおさえつけ、あるいは騙しているのが、支配者であり、かれらが国家を支配しているという考えを持っているので、劉は、支配エリート内の非主流派の一員ではないのかという疑いを持っている。1989年6・4天安門事件の評価にしても、学生・エリートの民主化運動という性格ばかりが強調されるが、それはエリート内の主流対反主流の内輪もめとして事態を捉えるものではないのかという疑問を持ち続けている。

 古田武彦氏『真実の東北王朝』から、安日王・長脛彦兄弟が大和盆地で迎え撃ったというのは、古田氏が元々、邪馬臺国九州論者であり、神武東征も、筑紫を舞台とするものだから、神武対長脛彦の戦いも、筑紫を舞台にした話だと言っているということをお断りしておかねばならない。もちろん、神武を架空とする説もあるので、これを直ちに史実として認めるというわけではない。ただ、戦前の津田左右吉みたいに、記紀の神代の部分はすべて神話であり、史実として扱わないという態度が間違いであることは、古田のようにシュリーマンのトロイ遺跡の発見の例を引くまでもなく、今は正されていることである。実証主義は歴史認識の方法としては問題の多いものなのである。古田氏は、同書で、多賀城跡から出土された石碑に書かれた地理の解明にも取り組んでおられる。これについても、偽造説が強く、学会では捨て置かれているようだが、そこに書かれてあることには見逃せないことが記されている。この石碑の建立は8世紀だが、書かれてある中に、靺鞨が出てくる。靺鞨は、今の中国東北部、北朝鮮の北からシベリア南部にかけてあった国で、ツングース系と言われる人たちの国である。多賀城からそこまでの距離が書いてあるのだ。靺鞨の前は粛慎で、渤海とも近い。黒水靺鞨は、後には、契丹(遼)から、女真と呼ばれるようになったという。かれらは、1115年、遼から独立して金を建てる。古田氏は、中国の史書から、靺鞨は、渤海部とその東北の黒水靺鞨に分かれたとされている。石碑に書かれている靺鞨は、黒水靺鞨のことだと述べている。しかし、石碑の建立が、天平宝字6年(762年)12月1日とあることから、ウィキペディアは偽作説の一つとして、「碑には靺鞨国とあるが、靺鞨国はすでに国号をあらため渤海と号し、当時から2代前の聖武天皇の時代から日本との交通は頻繁であるのに靺鞨国とあるのはおかしい」という意見を記している。これは、淳仁天皇・孝謙上皇の時である。孝謙上皇はその後、淳仁天皇を廃位して再度天皇になる(重祚)。称徳天皇である。このときは、、女帝で、上皇にもなり、重祚するということ、天皇が生きている間に廃位されたり、退位するということがあった。現在の皇室典範には、そういう規定はない。

 ところで、靺鞨の前に同地方には粛慎があった。その粛慎との戦いのことが『日本書紀』に出てくる。以下。この戦があったのはどこか。渡島(おしま)後の蝦夷が島のことか。粛慎は、中国の史書などに出てくる粛慎と同じなのかどうなのか。他に、佐渡ヶ島に粛慎人がいたという『日本書紀』の記述もある。阿部臣が、陸奥の蝦夷をひきいて大河のほとりに着くと、その河口の両側で、渡島の蝦夷と粛慎が対峙していた。この記事では、粛慎国と記されているので、そこは他国という認識があったと思われる。そこは、日本海の対岸の今の沿海州の当たりなのだろうか。その海辺で、千人の蝦夷と粛慎の水軍が対峙していたのはなぜだろうか。渡島蝦夷が、粛慎に攻撃されたので、斉明朝に援軍を求めたのだろうか。粛慎国を攻撃しに行ったら、たまたま、渡島の蝦夷1000人が粛慎の水軍に攻撃されようとしているところに偶然出くわしたのだろうか。以下の訳では、この場所を渡島としている。しかし、その根拠も乏しい。粛慎が撤退したという弊賂弁嶋(へろべの島)とはどこか。宇治谷猛訳『日本書紀』ではこの部分(210~211ページ)に注がなく、どことも比定していない。『書紀』の斉明天皇のところには、蝦夷や粛慎などの記述が多く見られる。

 『日本文化の多様性 稲作以前を再考する』(小学館)で、佐々木高明氏は、日本で広まった水稲に二種類あって、伝来ルートが異なることを指摘している。一つは南方、東南アジアなどから来た熱帯ジャポニカで、もう一つは中国揚子江流域から朝鮮半島などと同じ温帯ジャポニカである。遺伝子分析から、日本列島では両者の交配種が広まっていることがわかったという。氏は、国立民族学博物館の館長を務め、また、アイヌ文化振興法(1997年5月)を機に創設をされた財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構理事長を2003年まで務めた人である。佐々木氏は、同書で、「日本文化は一つのものであり、日本の国民は単一の民族だという思い込みは、本当に根深いものがある」(8ページ)が、「……多文化国家の認識を十分に有することによって、日本の国家や国民が、多様な異文化の世界とわだかまりなく交流しあい、そのことによって日本の文化をより豊かにすることができると思うのです。日本人の豊かな感性の中に、日本文化の可能性を見出すことができる、と、私は思うのです」(12ページ)と述べている。日本列島の東と西に多くの点で違いがあることは、網野善彦氏が明らかにしたところだが、それ以前に、日本語学者の大野晋氏などの言語学的な研究もあった。それが、縄文時代にまで遡って見られるというのが佐々木氏の見解である。そして、柳田国男的な稲作中心主義を否定し、畑作農耕(焼畑や常畑など)、採集・狩猟・漁労の重要性、それらを多様に組み合わせた多様な生産・生活形態のあり方というものを浮かび上がらせる。あれもやりこれもやり、春は春の、夏は夏の、秋は秋の、冬は冬の生業を持ち、一日の中でも複数の生業をなすという山の民の姿を浮かび上がらせる。稲作単色の生業形態というのは、限られたものにすぎないのである。

 松浦玲氏の『横井小楠』(ちくま学芸文庫)は、徳川幕府公認の体制保守学に変形させられた朱子学を教条主義的に読み直し、幕藩体制変革の思想に変えた横井小楠の思想と生涯を丁寧に追って分析したものである。小楠の思想は、幕府に完全には取り入れられなかったし、幕府の面子を重んじる姿勢や権威主義などの妨げなどがあって、参勤交代の廃止などの少しの政策しか実現しなかった。しかし、小楠はこの激動期にあって、体制を超えて必要とされ、新政府のブレーンとされたが、1868年(明治2年)、京都で尊攘派によって暗殺される。君主も天の道具にすぎないという彼の考えは、天皇を否定するものとなりかねず、その点を後の弟子たちが恐れて、小楠の思想を天皇制支持論に粉飾し、改ざんしようとした。小楠には、西欧列強の覇道国家による近代化に対する中・朝・日の王道国家(仁政を基本とする)同盟による近代化での対抗、後者による世界=天下の和平と繁栄というヴィジョンがあったと松浦玲氏は言うが、そういうもう一つの近代化の綱領(テーゼ)があったというのは興味深いことである。それは、勝海舟、西郷隆盛などと共通するということだろう。西洋覇道国家による武力威嚇による不平等条約の締結、それの破棄、攘夷の断行を迫る攘夷派が、政権獲得後は、西洋覇道国家の後追いを始め、実力をつけての条約改正という、かつて幕府が取った道を踏襲したことは、アジアとの関係で様々な問題を引き起こすものであった。近代化が必ず資本主義的近代化であるというのは信仰にすぎない。ソ連も近代化しており、中国も近代化しているが、それらは資本主義が制限されたかたちで近代化している。手段はどうでもいい、とにかく近代化すればよいというなら、軍艦で乗り込んできて、幕府を開国させたアメリカのやり方も結果オーライでよかったということになる。原爆を落として大量無差別殺人を犯してもオーケーだと認め、その後、平和で豊かな国になったじゃないか、アメリカが原爆を落としてそれを早めてくれたのだから、アメリカに感謝すべきだということにもなりかねないわけだ。

都市戸籍を取れない「農民工」の生活 成長する中国の裏側
2013.01.14

 北京(CNN) 北京郊外で暮らすグオ・ジーガンさん(30)の家は、薄汚れた隣室との壁がガムテープで貼り合わされ、ベッド1つと色あせたテーブル、イスが詰め込まれた、約5平方メートルの小さな部屋だ。トイレは20~30人の隣人と共用。グオさんはここで妻と息子と一緒に住んでいる。

 質素な生活を送りながらもグオさんは、家族の生活は良くなっていると語る。

 グオさんと妻のグォ・ヤルさん(26)は、農村部を離れ都市部に移住した約2億人の「農民工」と呼ばれる人々に含まれる。過去数十年の間に何億人もの労働者が、農村部から都市部へ移住し、職を得て貧困から脱出したという。

 だが中国の戸籍制度である「戸口」制度の下では、農村戸籍の者が出身地の農村を離れると、医療、住宅、教育などの公共サービスを受けられなくなることが多い。仕事面でも、工場や建設現場、食堂などでの不安定なものが多く、農民工と都市戸籍の住民との間には大きな格差が存在する。

 中国共産党機関紙の人民日報系「環球時報」は、農民工の窮状について、「自国に住んでいるのに不法移民のような状態だと言われている」と紹介した。

 一部の学者は戸口制度を、以前、南アフリカで白人と比べ黒人の権利を厳しく制限していたアパルトヘイト(人種隔離)政策になぞらえる。戸口制度の下では、農民工は都市では一時的な居住権しか得られず、自治体の中には、その権利取得に多額の支払いを求めるところもある。

 高層ビルの外壁塗装工として毎日10時間働き日焼けした顔のグオさんの将来の夢は、いつか店を持ち、今2歳の息子を中学にやることだ。自分たちは一生高い望みは持てそうにないので、子どもに夢を託すという。

 グオさんの妻は第2子を妊娠中。中国の「一人っ子政策」に違反するものの、1500ドル(約13万円)の罰金を支払ってでも出産するつもりだ。

 グオさんらの出身農村では、都市とは異なり、高齢になっても年金をもらったり老人ホームに入ったりすることはできないという。夫妻が第2子を望んでいるのは、子どもだけが老後の頼りとなるためだ。養育費の負担は増えても最低2人は必要だと夫婦は訴える。

 農民工の不利な立場は教育でも現れる。農民工の子どもは、都市戸籍の子どもと同じ学校へは通えず、私立学校の学費負担を余儀なくされるという。

 このような私立学校の一つで教鞭(きょうべん)をとっている作家のデビット・バンダスキー氏は、都市戸籍の子どもが通う学校との教育水準の差が大きく、「私立学校」と呼べるような代物ではないと憤る。

 同氏は、教育や機会が与えられないため、農民工の子どもたちの多くが親と同じような仕事に就くという悪循環はほぼ4世代にわたり続いていると指摘。「この15~20年は、社会の流動性が低い」という。

 こういった状況が中国社会の不安定要素となっている兆候もみられる。広東省では昨年来、当局の人間による農民工への暴行をきっかけに、農民工による暴動や都市住民との衝突が発生した。

 一部の家庭では、子どもを大学へ進学させることでこの悪循環を脱しようと希望をつないでいる。だがバンダスキー氏によると、それが成功する可能性は非常に低いという。

 グオさんは、「子どもたちにそんなに多くを望んでいるわけではない。学校へ行って一生懸命勉強してくれさえすればいい。自分たちと同じような仕事や生活はしてほしくないだけだ」と胸の内を明かした。

斉明天皇6年(660年)3月 [ウィキペディア]

遣阿倍臣<闕名>、率船師二百艘伐肅愼國。阿倍臣以陸奥蝦夷令乘己船到大河側。

    阿倍臣<名前は不明>を遣わして200艘の船を率いて粛慎国を討伐させた。阿倍臣は陸奥の蝦夷を自分の船に乗らせて、大河のほとりに着いた。

於是渡嶋蝦夷一千餘屯聚海畔、向河而營。々中二人進而急叫曰「肅愼船師多來將殺我等之故、願欲濟河而仕官矣」。

    そのとき、渡島の蝦夷が1000人ばかり海岸にたまって、河に向かって、いついていた。その中の2人が進み出て突然叫んで「粛慎の水軍が多く来て私達を殺そうとしているので、河を渡って(朝廷に)仕えたいと思っています、お願いします。」と言った。

阿倍臣遣船喚至兩箇蝦夷、問賊隱所與其船數。兩箇蝦夷便指隱所曰「船廿餘艘」。即遣使喚而不肯來。

    阿倍臣は船を遣わし、2人の蝦夷を召し、賊の潜んでいるところとその船の数を問うた。2人の蝦夷は即座に隠れているところを指して、「船は二十艘あまりです」と言った。そこで、(粛慎に)使いを遣わせて呼んだが、来ようとしなかった。

阿倍臣乃積綵帛・兵・鐵等於海畔而令貪嗜。肅愼乃陳船師、繋羽於木、擧而爲旗。齊棹近來停於淺處。從一船裏出二老翁。廻行熟視所積綵帛等物。便換著單衫、各提布一端。乘船還去。俄而老翁更來脱置換衫、并置提布。乘船而退。

    そこで、阿倍臣は色とりどりの絹・武器・鉄などを海岸に置き、(粛慎に)欲しがらせようとした。そこで、粛慎は水軍を連ねて、羽を木にかけて、挙げて旗とした。(粛慎は船の)棹をそろえて近づき、浅いところに止まった。ある船の中から2人の老人が出てきた。めぐり行って、置いてある絹などのものをとくと見た。すると、単衣替えて着て、各々布を一端持っていった。(粛慎は)船に乗って帰っていった。にわかに、老人がまた来て、服を脱ぎ、あわせて持っていった布を置いた。船に乗って退却していった。

阿倍臣遣數船使喚、不肯來。復於弊賂弁嶋。食頃乞和、遂不肯聽。<弊賂弁、度嶋之別也。>據己柵戰。于時能登臣馬身龍爲敵被殺。猶戰未倦之間。賊破殺己妻子。

   阿倍臣は、いくつかの船を遣わして、(粛慎を)呼んだが、来なかった。(粛慎は)弊賂弁嶋(へろべの島)に帰った。しばらくして、(粛慎が)講和を請うたものの、ついにあえて許さなかった。<弊賂弁(へろべ)は、渡島の一部である。>(粛慎は)自分の砦によって戦った。このとき、能登臣(のとのおみ)馬身龍(まむたつ)が敵(粛慎)に殺された。まだ戦っていやにならないうちに、賊は敗れて自らの妻子を殺した。

ウォールストリート・ジャーナル(2013年 2月10日)

米、「殺害対象者リスト」拡大―アルジェリア人質事件首謀者も標的

【ワシントン】米政府高官は、3人の米国人を含む37人の外国人犠牲者を出した1月のアルジェリア天然ガス精製プラント襲撃事件の首謀者を殺害、あるいは拘束の対象とすることを検討している。

 アルジェリア人のイスラム武装組織指導者モフタール・ベルモフタール容疑者を米国の「殺害対象者リスト」に加えることは、ソマリア、イエメン、パキスタンのみで展開されてきた無人攻撃機やその他の殺傷力の高い武器を用いた米国の対テロ作戦の範囲を北西アフリカまで拡大することを意味している。

 米国はこれまで、ベルモフタール容疑者とそのテロ組織――アルカイダ北アフリカ支部からの分派――に関する情報を同盟国に提供することに注力してきた。この戦略は、イスラム系武装組織が避難地としてきた北西アフリカでの対テロ作戦において米国が一定の影響力を確保するのに役立ってきた。

 米軍と情報機関高官がベルモフタール容疑者を標的リストに載せようとしている背景には、アルジェリア軍の作戦拠点となるマリ北部で、その武装勢力がフランス軍とアフリカ軍を敵に回したゲリラ戦に突入する可能性に直面しているということがある。

 複数の米国高官によると、リビアから流れた武器で武装しているベルモフタール容疑者とその組織は、複数の独裁政権に代わってより無秩序な政府が生まれた「アラブの春」の結果として歯止めが利かなくなったテロ組織の野心と戦闘能力がいかに危険かを示す好例となっているという。

 ベルモフタール容疑者の追跡に関しては、無人攻撃機、その他の攻撃機、あるいは米軍によるより直接的な関与を求める米高官もいる。そうした作戦で頼りになるのは、米中央情報局(CIA)と軍の特殊作戦部隊だという。

 米国政府は2001年の同時多発テロ直後まで遡る期間、秘密の「拘束または殺害対象者リスト」を維持してきた。米国防総省とCIAはそれぞれ別のリストを維持しており、そこにはアルカイダの現リーダーであるアイマン・アル・ザワヒリ、イエメンを拠点とする「アラビア半島のアルカイダ(AQAP)」で爆弾を製造しているイブラヒム・アル・アシリ容疑者が名を連ねている。2011年に殺害される前はビンラディン容疑者の名前もあった。

 テロ容疑者を詳しく調べてそのリストに追加するのは、ホワイトハウスを代表する高官たちだという。CIAによる無人攻撃機作戦は現在、パキスタンとイエメンに制限されているので、ベルモフタール容疑者は統合特殊作戦コマンドが監督する米軍の標的リストへの追加が検討される可能性が高い。

 オバマ政権下で拡大した標的殺害計画は、人権団体の非難こそ浴びているが、米兵を危険にさらすことなくテロ攻撃を防ぐという国家安全保障戦略に対する幅広い政治的支持を反映してか、今のところ議員たちからの批判は少ない。

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安倍氏、経済主義、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと云へり」

 安倍自民党の勝利が、敵失によるところが大きかったのは、明らかである。その安倍氏だが、ウィキペディアによると、安倍首相が、奥州安倍氏が前九年の役で、源氏・清原連合軍によって滅ぼされた後、一族の一部安部貞任の弟宗任が、九州の宗像神社に預けられ、その後松浦党になった、その末裔であるという説があるという。

 嵯峨源氏渡辺党松浦氏系のものが大半だが、一部に奥州安倍氏の生き残りで、源義家に敗れ宗像の筑前大島に流された安倍宗任の子孫の安倍宗任系のものがある。

宗任は、

 四国の伊予国に流され、現在の今治市の富田地区に3年間居住し、その後少しずつ勢力をつけたために、治暦3年(1067年)に九州の筑前国宗像郡の筑前大島に再配流された。その後、宗像の大名である宗像氏によって、日朝・日宋貿易の際に重要な役割を果たしたと考えられる。また、大島の景勝の地に自らの守り本尊として奉持した薬師瑠璃光如来を安置するために安昌院を建てた。そして、嘉承3年(1108年)2月4日に77歳で亡くなった。

 その三男の安倍季任は、

 肥前国の松浦に行き、松浦氏の娘婿となり松浦三郎大夫実任と名乗る。その子孫は北部九州の水軍松浦党を構成する一族になったともいわれている。

子孫

 松浦実任(安倍季任)の子孫の松浦高俊は、平清盛の側近で平家方の水軍として活躍し、その為、治承・寿永の乱により、現在の山口県長門市油谷に流罪となった。その後、高俊の娘が平知貞に嫁ぎ、源氏の迫害から逃れる為に安倍姓を名乗った。その子孫とされる著名人に政治家の安倍晋太郎・安倍晋三親子がいる。安倍晋三は内閣総理大臣にまでなった。

 安倍宗任を預かった宗像氏は、女神三神(市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、田心姫命(たごりひめのみこと)、湍津姫命 (たぎつひめのみこと))を祭神とする宗像神社のあるところの領主だった。厳島神社も同じ祭神(宗像三神)を祭っている。宗像三神は、記紀では、天照大御神と須佐之男命の契約(うけい)で生まれたとされている。海の民に信仰された神である。この宗像信仰について、五木寛之氏は、宗像は胸方ともいうことから、胸に刺青をして潜水漁をする海人系の人々の信仰ではないかと述べている。潜水して漁をする倭人の話は『魏志倭人伝』に出てくる。倭人は全身にイレズミをして海に潜って漁をすると書いてある。この点と、呉越同舟の故事で知られる中国春秋時代の呉の人々が全身にイレズミをして素潜り漁をしていたという記録もあることから、呉人の日本列島への渡来(水稲の伝来)を唱える人もある。稲には陸稲と水稲があり、水田を作って栽培する水稲は、「古く見積もれば今から3000年ほど前のことと思われる」(季刊『東北学』第11号所収「栽培植物の渡来からみた「いくつもの日本」」 佐藤洋一郎 柏書房 2005)外来のものであるという。それ以前から、焼畑で作る陸稲があった。

 五木寛之氏の『サンカの民と被差別の世界』の最初は、山の民=サンカを題名にしながら、瀬戸内海を本拠地とした村上水軍という海人の話から始まっている。村上水軍は、瀬戸内海中央部の芸予諸島の能島(のしま)、来島(くるしま)、因島(いんのしま)の三島に本拠を置く海人集団で浄土真宗の信徒だという。五木氏は、瀬戸内の島出身の沖浦和光氏の説を受けつつ、海民と、柳田国男が言う「常民」=農民は、祭神も異にし、その間にはあまり交流がなかったと述べている。しかし、柳田の『遠野物語』には、山人と海人の交流の話がいくつか出てくる。それに、宮本常一の『塩の道』にも、塩を通しての海人と山の民との交流・交通の話がメインテーマとして出てくる。『東北学』では、そういう海と山との交流のことも取り上げられている。五木氏は、この段階では、「常民」と「常民」外の海人との関係を、差別―非差別の関係として強く意識していたのだろう。農民が封建的身分制を内在化させていて、その秩序の崩壊に恐れを抱いたことは、「身分解放令」反対一揆が明治初期に発生したことに伺える。

 現代日本の主流思想は、1960年代高度成長期の池田勇人政権に代表される近代化論、経済・生活主義、生産力主義(能力主義)、成長主義、だと考える。そこにはいろいろな変形物があるけれども、基本は経済主義であり、60年安保闘争のような政治主義の否定、経済第一、それ以外は二の次とする、あるいはそれに奉仕すべきであるとする態度の源泉は高度成長期に作られ、それをエートスとして民衆の心に内在化させたのは、もちろんマスコミもあるが、創価学会を始めとする新興宗教の欲望肥大化の煽り、経済主義の礼賛、等々ということもあった。それらの信仰が物的利益の拡大に結実し、それが幸福を導くとする教導は、禁欲的な勤労奉仕、企業への従属などの資本への労働者民衆の奴隷化=臣民化をもたらした。60年安保闘争は、それを主導したブント系全学連が、経済主義を批判し、政治主義をもって、運動を牽引したといわれる。安保を潰すことは、経済的豊かさを実現することにつながることを別に保証するものではなかったからである。ただ、当時、ソ連型の計画経済の方が経済的豊かさをもたらすという幻想にとらわれた人も多くいたかもしれない。とにかく、高度成長期に入ると、経済的豊かさが第一義の価値であって、それを実現するものはマル、それを妨げると見做されるものはバツ、という価値判断が一般化する。労働組合のストライキはバツ、企業管理の強化(QCサークルなど)はマルといった具合に。歴史観では、ライシャワーやロストウなどの近代化論である。これが保守本流の基本思想であり、思想的主流派である。それに対して、安保優先や軍事優先や政治主義や道徳主義などは、非主流である。

 しかし、高度成長も終わり、経済の停滞状況が長く続き、これまでの価値観では経済的豊かさの基礎も維持し難くなってくる時代に入り、アフリカでは帝国主義的分割戦が再浮上してくるという状況が見えてくる。今は、過渡期であって、高度成長時代の最後を飾ったポスト・モダニズムも過去のものとなりつつある時代である。基底的な価値基準である高度成長主義・経済主義・生産力主義ではない別の価値基準をたて、思想を形成すべき時である。今は過渡的な混沌状態にある。ポスト・モダン思想の幻想ははげ落ちているし、今はそれを見ぬくのは昔に比べて簡単になっている。90年台のブームから20年以上も過ぎているのだから当たり前と言えば当たり前だが、いずれにしても、そういう古い思想にしがみついていても仕方がないと思う。

 では、それに代わるものは何か。それは、現存の諸関係、世界をリアルに認識し、それを根本的に変革できる具体性を持った思想であり、虚偽意識が人々を搾取・抑圧から解放できない以上、それを暴露し、人々を搾取・抑圧・差別などの軛(くびき)からの解放に導ける思想である。

 話は変わるが、古田武彦氏は、『真実の東北王朝』で、記紀で、神武東征を一旦打ち破った後、熊野から大和盆地に入ってきた神武軍に滅ぼされた長脛彦(ながすねひこ)の兄の安日王(あっぴおう)の子孫を名乗る(安倍→安東(藤)→)秋田氏の秋田孝季(たかすえ)が「神は人の上に人を造らず、亦、人の上に人を造り給ふなし」と『東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)』の「荒覇吐(あらはばき)神之事」で述べていることを引いて、これが、福沢諭吉が明治5年の『学問のすすめ』で有名な「天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ人ノ下ニ人ヲ造ラズト云ヘリ」の元であると述べている。しかし、例えば、ウィキペディアの「 学問ノススメ 」の項を見ると、以下のようにある。

 江戸時代末期から明治時代にかけて、西欧文明が押し寄せてくるのに先立ち、福澤諭吉はその著書『西洋事情』で、「千七百七十六年第七月四日亜米利加十三州独立ノ檄文」としてアメリカ独立宣言の全文を和訳して紹介した。

   天ノ人ヲ生スルハ、億兆皆同一轍ニテ之ニ附與スルニ動カス可カラサルノ通義ヲ以テス。即チ通義トハ人ノ自カラ生命ヲ保シ自由ヲ求メ幸福ヲ祈ルノ類ニテ他ヨリ如何トモス可ラサルモノナリ。人間ニ政府ヲ立ル所以ハ、此通義ヲ固クスルタメノ趣旨ニテ、政府タランモノハ其臣民ニ満足ヲ得セシメ初テ眞ニ権威アルト云フヘシ。政府ノ処置此趣旨ニ戻ルトキハ、則チ之ヲ変革シ、或ハ倒シテ更ニ此大趣旨ニ基キ人ノ安全幸福ヲ保ツヘキ新政府ヲ立ルモ亦人民ノ通義ナリ。是レ余輩ノ弁論ヲ俟タスシテ明了ナルヘシ
                            『西洋事情』初編 巻之二

 このうち、冒頭の章句および思想は、後の『学問のすすめ』初編冒頭、に引用され、人々に広く知られるところとなった。

 さらに、この言葉で調べると、以下のような説明がある。

「天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ人ノ下ニ人ヲ造ラズト云ヘリ」という一節はあまりに有名である。
 誤解されることが多いが、この「云ヘリ」は現代における「云われている」という意味で、この一文のみで完結しているわけではない。しかも、この言葉は福沢諭吉の言葉ではなく、アメリカ合衆国の独立宣言からの引用である。

この引用に対応する下の句とも言える一文は、

「サレドモ今広クコノ人間世界ヲ見渡スニ、カシコキ人アリ、オロカナル人アリ、貧シキモアリ、富メルモアリ、貴人モアリ、下人モアリテ、ソノ有様雲ト泥トノ相違アルニ似タルハ何ゾヤ」

である。つまり、

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言われている__人は生まれながら貴賎上下の差別ない。けれども今広くこの人間世界を見渡すと、賢い人愚かな人貧乏な人金持ちの人身分の高い人低い人とある。その違いは何だろう?。それは甚だ明らかだ。賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとに由ってできるものなのだ。人は生まれながらにして貴賎上下の別はないけれどただ学問を勤めて物事をよく知るものは貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるのだ。」

ということである。

 「云えり」は確かに伝聞であることを意味している。素直に取れば、聞いた元の言葉があるはずだ。それは、「アメリカ合衆国独立宣言」だというのが、ウィキペディアでの説明で、該当部分を示しているが、意味は同じようなものだというだけで、文章はまったく似ていない。それに対して、古田氏が引用する『東日流三郡誌』の部分は、文章自体が似ている。偽書説に立つ人は、これを福沢諭吉の『学問のすすめ』を知る後代の人のでっち上げだという。偽書かどうかは別にして、しかし、こんなに似ていないアメリカ合衆国独立宣言の一文と福沢の書いた一文を目にして、後者が前者の引用だと決めつけることは簡単にはできないのではないだろうか。吟味が不十分なまま判決を下す(判断)することは間違いのもとになる。

 もう一人変わり種の横井小楠がいる。彼は、幕末に、朱子学という徳川幕藩体制を支える保守・守旧派の大元の思想家の言葉にかえり、それを彼流に解釈しなおして、現実変革に使え、保守を打ち破る解放思想にした人である。しかし、松浦玲氏の『横井小楠』はまだ途中なのでここまでにする。幕藩制の守旧理論も解釈し直すことで、変革思想に転ずることができるのである。それはマルクスについても言える。だから、武器としてそれを手放さないことである。だいたい被支配階級の持ってる武器、使える武器は貧弱なのが普通であるから、手持ちを多くすべきなのである。支配階級がまずやることは被支配階級の武装解除である。それには思想的武装解除も当然含まれる。国学派の影響は強く、明治維新後には神祇官が置かれ、太政官よりも上に置かれたこともあった。神官が官僚の上に立つというかたちである。しかし、それはまもなく逆転し、国学派はかなり政権中枢からは除かれた。かれらが推進した神仏分離では、例えば、広島の厳島神社で習合されていた弁財天を分離し寺に移すというようなことが行われた。その弁財天は、日本三大弁財天に数えられるほど多くの人びとの信仰を集めているという。明治の支配階級は、民衆の信仰世界にも積極的に介入し改変を加えたのである。日露戦争後の神社合祀に際しては、南方熊楠が反対運動を展開し入牢したが、それに呼応して政府内にいた柳田国男もかれなりに抵抗を試みている。

 なんだかまとまりがありませんが。

 (追記)

 アメリカ独立宣言の原文の該当部分は以下である。福沢が「天」と訳したところは、CREATORと大文字で書かれ、他の現代語訳では「創造主」と訳されている。それはキリスト教のGOD=神を意味する。当時当然のことながら、「神」という言葉は日本にあり、それを「天」と訳したのは、当時の人々に理解しやすいようにとの配慮かと思われる。しかし、神と天は異なる概念である。また、福沢の「天は云々」のところの元になったとされる下線部は、「全ての人は平等に造られている」であり、それは「創造主」によって授けられたというのである。

We hold these Truths to be self-evident, that all Men are created equal, that they are endowed, by their CREATOR, with certain unalienable Rights, that among these are Life, Liberty, and the Pursuit of Happiness.--That to secure these Rights, Governments are instituted among Men, deriving their just Powers from the Consent of the Governed, that whenever any Form of Government becomes destructive of these Ends, it is the Right of the People to alter or to abolish it, and to institute new Government, laying its Foundation on such Principles, and organizing its Powers in such Form, as to them shall seem most likely to effect their Safety and Happiness. Prudence, indeed, will dictate, that Governments long established, should not be changed for light and transient Causes; and accordingly all Experience hath shewn, that Mankind are more disposed to suffer, while Evils are sufferable, than to right themselves by abolishing the Forms to which they are accustomed. But when a long Train of Abuses and Usurpations, pursuing invariably the same Object, evinces a Design to reduce them under absolute Despotism, it is their Right, it is their Duty, to throw off such Government, and to provide new Guards for their future Security. Such has been the patient Sufferance of these Colonies; and such is now the Necessity which constrains them to alter their former Systems of Government. The History of the present King of Great-Britain is a History of repeated Injuries and Usurpations, all having in direct Object the Establishment of an absolute Tyranny over these States. To prove this, let Facts be submitted to a candid World.

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乱読、蝦夷、たばこ、忠

 乱読気味だが、昔からの癖でなおらない。『近現代中国政治史』(ミネルヴァ書房)、加々美光行氏『中国の民族問題』(岩波現代文庫)、五木寛之氏『サンカの民と被差別の世界』(講談社)、佐々木高明氏『日本文化の多様性』(小学館)に入る。

 高橋富雄氏『平泉の世紀』(講談社学術文庫)は、奥州藤原氏の藤原三代の都の平泉の都市設計思想の中に、奥州藤原の王朝としての性格を刻印しようとする意思を読み解いていくもので、古田武彦氏の『真実の東北王朝』の論旨とも通ずるものがある。ただし、『エゾの歴史』の海保氏が整理したエミシ・エゾ・アイヌ・エビスの諸関係が整理されていない。エゾは、辺境の民、方民なのか、それとも異民族・アイヌなのかの整理がついていない。中国古代史の記録に現れるヤマト政権が連れて来た蝦夷表記の人たちは、古田氏が言うように、クイ(骨嵬)という名で登場するアイヌと同一なのかどうか。カイ(蝦夷)がクイと聞こえ、それが表記として残ったのだろうか。民衆史研究会の本に所収されている東北の神の叙位叙勲についての論考は、方民説に立って、その征服=同化過程を論証しようとしている。しかし、そこで描かれたような、神の同一化、祭りの同一化は、「まつろわぬ民」の同化を必ずしも意味するものではないと思う。征服民の移住、征服地への外からの移民もある。その際に、それぞれ祀る神をそのまま持ち込むこともありうる。そして、『東流日外三郡誌』に、秋田氏(安倍氏・安東氏)が祖神として祭るアラハバキ神とは何かという謎……。

 民族概念がそもそも曖昧であるということもあり、むしろ近世後期に民族性が形成されていき、その過程でそれを促進したのが、異国人の来航や近隣諸国、諸民族との関係の認識であり、その枠組みを形成するのが、儒学や古学や国学、あるいは民間伝承などであると考えた方がよいのではないか。現在の日本人観念をもって歴史を遡っていくと、まったくそれと合わない人々の姿にぶちあたってくる。佐々木高明氏の『日本文化の多様性』は、稲作以前の列島の姿や人々の生活の姿を解明しようとした本である。

 それとは関係ないが、武田邦彦氏が、タバコの健康被害について以下のように述べているので紹介したい。それによると、「嫌煙運動が起こり始めた今から40年ほど前には、肺がんはきわめて少なく、男性では喫煙者が4000万人に対して、その年に肺がんになる人は1万5000人でした。喫煙者4000万人の内でその年にお亡くなりになった方が100分の1の40万人とすると、肺がんにかかった人は26人に1人ということになります。また、肺がんでお亡くなりになった人の3分の2が喫煙者であるとしても、40人に1人ということですから、第一に「タバコを吸うと肺がんになる」という表現は誠実な言い方ではないこと、第二にタバコを吸う人の主たる死亡原因がわかればタバコを吸っている人はよりそれに注意することができると考えられる」。タバコは肺がんの原因にはなるが、肺がんのうち、タバコと関係の薄い線癌が7割である。女性の線癌はタバコとはほとんど関係がない。「喫煙率が下がると、肺がんが増える」という統計上の相関関係がある。そして、「厚労省やがんセンターが主として使用している論文には、「喫煙する人が10万人あたり495人が肺がんになるのに対して、タバコを吸わないかたまにしかタバコを吸わない人は568人」で、明らかにタバコを毎日吸う方が肺癌になりにくいというデータなのです.ところが反対になっているのは、このデータの一部が「隠されていた」ということ。

 権威に弱い人は、騙されやすいので、気をつけた方がいい。それと、経験上、自分にとって都合のよい人の意見を受け入れやすいということがあるので、たとえ自分にとって耳の痛いことでも広く多様な意見を聞くことが大事である。貞観の治という理想的統治をしたという唐の2代目太宗の李世民は、玄武門の変で滅ぼした皇太子の兄の参謀であった魏徴を臣下として讒言を行なわせ、自らの戒めとしていたという。これが忠。忠告の忠である。無批判に主人に奉仕するのが忠ではない。

       タバコ・・・中間まとめ(感情的対立の原因)-1(武田邦彦氏ブログ)

 タバコの記事の最新号を削除しましたが、その理由も含めて、私たちはタバコの問題をどのように考えれば良いかということについて、私見を述べさせていただきます.ただ、私の論理は「先入観・価値観は一切、入れない。科学的合理性の無いデータはそれが明らかになるまでそばに置いておき、論理の展開には使わない」というものです。

 さらに、「タバコの問題を解析したからといって、直ちにタバコの価値観には触れない」ということもあります.社会的な運動は否定しませんが、科学的な論理展開を楽しんでください.

 たびたびこのブログでも指摘しているようにタバコは肺がん(断らない限り、気管支、気管のガンも含みます)の原因になります。世界的に見るとアングロサクソンに多く、ラテン、黄色人種は若干、なりにくい傾向にあります。 日本では、扁平上皮癌や小細胞癌は喫煙者にしか見られず、かつては肺がんの半分がこれらのガンでしたし、ヨーロッパでは扁平上皮癌が多い傾向にあります. しかし、最近は線癌が増えていて日本ではすでに肺がん全体の7割ほどになっていて、それも女性の線癌はほとんど喫煙とは無関係です.

 (注)扁平上皮癌と小細胞癌が喫煙者に限定されるということは「喫煙が癌の引き金になる」というのは間違いないのですが、だから「喫煙は健康に悪い」ということではありません.これが科学の難しいところですが、かつて肺がんの半分を占めていたこれらの癌が喫煙者からしか発生しないとしても、喫煙者は他の癌になりにくかったり、他の病気になりにくい、もしくは自殺が少ないなど(これは論理であってデータは後述)、別の要因で「タバコを吸った方が健康に良い」ということになる可能性があります。

 喫煙者の死亡の危険は肺がん以外にあった  

 嫌煙運動が起こり始めた今から40年ほど前には、肺がんはきわめて少なく、男性では喫煙者が4000万人に対して、その年に肺がんになる人は1万5000人でした。喫煙者4000万人の内でその年にお亡くなりになった方が100分の1の40万人とすると、肺がんにかかった人は26人に1人ということになります。
 また、肺がんでお亡くなりになった人の3分の2が喫煙者であるとしても、40人に1人ということですから、第一に「タバコを吸うと肺がんになる」という表現は誠実な言い方ではないこと、第二にタバコを吸う人の主たる死亡原因がわかればタバコを吸っている人はよりそれに注意することができると考えられることです。
 つまり、肺がんの治療をしている医師としては目の前の患者さんが喫煙をするから肺がんになり、その肺がんを治療するのが困難である時に、「ああ、この人が喫煙していなければ」と残念に思うのは医師の倫理として誠に正しいことです。しかし、その医師が社会的に「タバコは禁止すべきだ」ということになると、タバコの害について、肺がんばかりではなく、40人の内、39人はなにが原因で無くなっているのか、タバコを吸う人の健康や寿命はタバコを吸わない人に比べてどういう状態なのか、彼の人生がより「幸福」になるためにはタバコは必要なのかどうかなどかなり広範囲で調べ、研究しなければなりません.「健康の縦割り行政」になって人の健康をもしかすると損なっている可能性があるからです。
 このことは「医師として肺がんの主要な原因はタバコである」というのはまったく問題はありませんが、だから直ちに「タバコは害である」ということができないのが「自然」というものです。

 タバコを毎日、吸う方が肺がんが少ない可能性が高い
 この問題はこのブログでも示しましたが、二つの証拠があります。一つは「喫煙率が下がると、肺がんが増える」という統計上の相関関係であり、二つ目は(これも有名ですが)厚労省とがんセンターが中心に進めている「喫煙と肺がん」の関係(もっとも多く引用される論文)です。  
 第一のことについて、統計上の相関関係をもって、結論をだすことはできず、相関関係などを慎重に検討する必要がありますが、それでも、これほどはっきりした相関関係がある場合は、たとえ因果関係がある程度判っても結論は慎重にするべきなのです。

 ところが厚労省やがんセンターの説明を見ると、「喫煙率と肺がん死率」についての記述すらないのです。説明できないものは説明に入れないというのはそれだけで「科学ではない」ということが言えます.
 特に「タバコを吸うと肺がんになる」と「喫煙率が下がれば、肺癌が減る」といのはごく自然に繋がる相関関係です.これを否定する論拠に「タ バコを吸ってから20年後に肺癌になる」ということも言われますが、それを補正しても相関関係自体は変わらないことをすでにこの記事でも示しました。

 次に第二の点ですが、厚労省やがんセンターが主として使用している論文には、「喫煙する人が10万人あたり495人が肺がんになるのに対して、タバコを吸わないかたまにしかタバコを吸わない人は568人」で、明らかにタバコを毎日吸う方が肺癌になりにくいというデータなのです.
 ところが反対になっているのは、このデータの一部が「隠されていた」のです。公表されたデータは一部で、それによると結論は逆転するのです。
 このように、厚労省とその研究費を使って研究を続けたがんセンターのグループは、第一に論旨に反するデータを説明しないこと、第二に科学者が読んで判るような整理をしていないということ、第三に整理されたデータの根拠となる粗データを公表していないということです。
 従って、「タバコを吸うと肺がんになる」という厚労省やがんセンターの研究は「科学ではなく、政治である」ということが言えます.科学は常にオープンであり、新しいデータや概念がでたら、その根拠を明白に示さなければなりません.
 この種の科学的詐欺事件としては、常温核融合事件、韓国の生体系研究の事件があります。いずれも実験の詳細を出さず、多くの人から指摘され、追い詰められて詐欺事件とわかったものです。しかし、タバコと肺癌の関係は、国際機関ではWHO、日本では厚労省が力を入れていて、権力と資金で圧倒的な地位にありますから、すでに多くの研究者がデータの公開を求めていますが、未だに公開されていません.

 話が長くなりますので、今回はこれで終わりますが、実は私の最近の記事を取り下げたのはこれが原因しています.整理された結論が示され、元データがないので、それでいろいろ解析をしたのですが、それではどうしてもつじつまが合わないのです.
 また、整理をするごとに結論が少しずつ変わります.これは元データが公表されていないので、しかたなく整理されたデータを使うと出典によってさまざまに変わってしまうからです.これでは科学的ではないので、私も削除しました。

 他人が整理した結果になっとくが行かないときには、科学者は元データに戻って検討します.最初は「おかしい?」と疑っても、元データを詳細に見ると納得することも多いのです. もともと科学はそれまで「是」としてきたことを覆すことが多いので、そのためには根拠を明白にしなければならないのは科学者にとって当然の義務であり、厚労省とがんセンターがデータを出さなければ「タバコと肺癌の関係」についてすべてを白紙に戻す必要があります。

 私たち科学者は社会的な判断をする立場にはありません.それは医師も同じです.私たちは「科学」というものを立脚点にして、研究し、教育し、治療しているのですから、魔術は一切、受け付けません.また、思想によって左右されることもありません.それによって科学は社会の信頼が得られるからです. 私が一つわからないところは、以上のことは科学者、教師、医師などの職にある人は誰でも同意することですから、だれも厚労省やがんセンターの論文を使わない はずなのに、「それしかない」ということで、ほとんどすべてが「根拠を示していないいかがわしい論文」を参考にしているのが不思議です.

 喫煙が肺癌の元になることは確かですが、だからといって喫煙が「短命、不健康」になるとは限りません(喫煙が短命、不健康になるという論文は多いのですが、 根拠が示されていないか、厚労省かがんセンターのデータです)。このぐらいの良識と科学に対する厳密性、国民に対する誠意を持ってもらいたいものです。

 つまり結論はともかく、求められても元データを示さず、得られているデータの一部を論文に出すなどの「いかがわし論文」はたとえそれが娑婆では「最高権威」であっても、学問的には無視するぐらいの見識は欲しいと思います.

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歴史を学ぶべきこと

 松浦玲氏『横井小楠』(ちくま学芸文庫)、『天安門文書』(文藝春秋)、安丸良夫氏『日本ナショナリズムの前夜 国家・民衆・宗教』(洋泉社)、古田武彦氏『真実の東北王朝』(駸々堂)に入る。『東北学』は2009年まできた。

 中国の歴史について重点的に見ている。様々な本に目を通した。歴史ドラマも観た。日本の近世を見ているのも、それと関連する。この時代の思想家が中国の思想に大きく影響されていて、その概念を使って物を書いているからである。それに対して古学から国学が発生するが、本居宣長と平田篤胤ではずいぶん支持層が違っていたという。安丸氏は、「宣長の門人の多くは、伊勢・尾張を中心に比較的先進的な地域の人々であり、しかもその大部分が家業のかたわらに詠歌や古典の学習を楽しむ人々であったのにたいし、篤胤学の主要な基盤がより後進的な地域の豪農層にあり、彼らが世直し的な動向に脅かされながら、地域の生活秩序を再建しようと努めていたことは、芳賀登氏などの研究がすでに確認していることである」(28ページ)と述べている。

 中国といっても歴史的には様々な民族の興亡があり、入り乱れていて、漢民族を偽証したり、漢風の姓を名乗ったり与えられたりした異民族もあり、統治領域も時代によってかなり変わっている。中原の王朝は絶えず周辺民族の侵入や介入を受けていたということがあり、そういう交流・交渉の中で中原支配の王朝政治があったということに注意しなければならない。近年、北方・西方諸民族の歴史に光を当てられるようになったということもあって、現在のヨーロッパ地域からアジア、シベリアにまたがる北方の大帝国、西方の大帝国との交渉史にも歴史の光があてられるようになった。モンゴル系といわれる匈奴、チュルク系の突厥、チベット系の吐蕃、鮮卑族等など、多様な諸民族が次々と起こり、中原へと進出してきたりした。中には中原支配の王朝を建てたものもある(鮮卑系拓跋氏の北魏、モンゴル系の元、満州族の清)など、また、隋の皇室の「楊氏については元々は鮮卑の出身で本来の姓が普六茹であり、北魏の漢化政策の際に付けられた姓が楊であるという説もある」(ウィキペディア)。これと日本史を結びつけたのが、江上波夫氏の『騎馬民族国家』(中公新書)である。さらに、北方でのアイヌやギリヤークなどの北方諸民族との朝貢関係や交易関係、あるいは、元とアイヌの戦争などの北方交渉の歴史も明らかにされつつある。東北アジア史の領域の解明が進みつつある。

 こういう歴史認識の変化の中で、その認識を進めず、古いイデオロギーを保守しているのが現在のナショナリズムで、それは、安丸氏が言うように、虚偽意識でしかない。それが解放的役割をすることはもはやありえないにもかかわらず、そのように信じこみ、あるいは信じこませようとする勢力が再三起こってくる。虚偽意識を押し付けるという反動であり、解放を妨げる有害な存在である。しかし、自民党政権の安倍総理は、右派の批判の的である「河野談話」を維持することを公然と表明したし、中国との尖閣列島の領有問題についても、かつての自民党時代の通りに戻そうとしている。

 アルジェリアの人質事件に際しては、人命最優先をアルジェリア政府などにたいして繰り返し強く求めつつ、テロを非難し、アルジェリア政府が強行突入して人質が死亡したことについては口をつぐみ、責任追求も曖昧なままやり過ごし、早くも天然ガス施設が再稼働した。3・11後の原発事故を自然災害であると自然現象のせいにして「原子力ムラ」の責任をうやむやにした民主党政権の態度をそのまま受け継いでいる。アルジェリアの人質事件はまちがいなく人為的事件であり、人間の引き起こした事件である。それでも、政府は、やはり、責任を明らかにしようとせず、あたかも自然災害にあった運の悪い人たちの犠牲というふうに片付けようとしているように思われる。これはどう考えても悪政であり、悪い統治者の態度であり、とうてい徳のある統治者の統治態度とは思えない。これを正すべきである。正義がなければ、それはただの徒党のエゴ追求でしかなくなる。そういうことも歴史の中から容易に学べることだから、できるだけ歴史から学ぶべきだ。
 

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