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海民など

 沖浦和光氏は、『瀬戸内の民族誌』(岩波新書)で、自身の出身地・ルーツを探る中で、瀬戸内の海と島の世界を、複数のルーツを持つ複合文化的環境としてとらえ、さらに海の道を通じた東南アジア・中国南部などとの共通性を見出している。瀬戸内海沿岸や島嶼部の被差別部落の起源を「家船」集団の陸上がりに見ているのが興味深いところだ。もともと、仏教の不殺生戒の思想に基づく、殺生禁止令が度々出され、漁の禁止措置がとられたことなどもあり、さらに、良民=農民の下に、工・商等々の身分秩序が形成されていき、やがて近世には差別支配体制として固定されるのだが、その時に、その外の身分として漁民、さらにその外に置かれたのが「家船」の民であるというのである。「家船」とは、船を家として、夫婦子供の家族で船上で暮らし、場所を変えつつ、漁をしながら、移動生活する民である。瀬戸内海では、それ以前から海の民がいたが、海軍と呼ばれたのが、越智水軍→河野水軍→村上水軍の水軍の流れである。それ以前、記紀にある神功皇后の「三韓征伐」にまつわる伝承があっちこっちに残されているという。平家の落人伝説を持つ集落も多いそうだ。
 沖浦氏は、「あとがき」で、自らこの書を以下の6点にまとめている。

  1. 定住農耕民と違って、海民は漂泊性・移動性がつよく、特に漁民は仏法で定められた(不殺生戒)を守っては生きていけなかった。その海民たちの歴史と民俗を〈差別―被差別〉の視点から照射すれば、いったい何が見えてくるのか。
  2. ヤマト王朝以降の律令制にもとずく国家的営為において、海民はどのように支配権力に把握されてきたのか。千余年にわたる農本主義的な国家において、海民はどのように位置づけられてきたのか。
  3. 古代では(海賊)と呼ばれ、戦国時代に入ると(水軍)と呼ばれるようになるが、およそ四段階を経て海賊から水軍に発展し変貌する。「沖家」「島衆」の別名で呼ばれた瀬戸内の海賊衆は、〈越智水軍〉→〈河野水軍〉→〈村上水軍〉という系譜をたどってきた。秀吉の「海賊停止令」によって壊滅に追い込まれたが、その終末はどうなったのか。
  4. 瀬戸内海民の主力は、江南地方を源郷とする倭人系だった。その一部は朝鮮半島を経由して、あるいは東シナ海を船で渡って、それから瀬戸内に入ってきた。また黒潮に乗って北上うしてきた隼人系も九州南端から瀬戸内へ入ってきたのだが、それらの諸系譜はどのように交錯・混交したのか。
  5. そのような諸系譜の投影として、彼らの〈海神〉信仰もいくつかの系列に分けられる。それを解く一つのカギは記紀神話に現れるオオワタツミノカミとオオヤマツミノカミを祖型とする〈海神〉伝承である。そこから何が浮かび上がるか。
  6. アジアの各地から入ってきた「諸文化の複合体」として日本列島の文化が形成され、海民の民俗にもさまざまの潮流が流れ込んでいる。特に江南系と南方系海洋文化との結びつきは深く、海民の崇敬を集めた〈海神〉像にも、南方系海洋民のアニミズムが色濃く投影されている。彼らがトーテムとしたワニ・トカゲ・ヘビ信仰が昇華した「龍」信仰もその一つだが、日本の海民文化の諸源流は、どのようなルートでこの列島に入ってきたのか。(243~245ページ)

 山の方の生まれ育ちなので、こういう海の世界については感覚的によくわからない。『別冊東北学vol.5』での赤坂憲雄との対談で、沖浦氏は、「東北に関しては、正直、これまであまり関心を払ってきませんでした。これは、きっと生まれ育ちのせいですね。姓ですぐ分かわかるように、わが家系は、海民で、まあ、海賊っちゅうのかな、村上水軍の末裔なんです。絶えず海に向かって南を意識しながら育ちました」(同13ページ)と述べている。正直である。逆に、こちらは、南や海をあまり意識しないで育った。このような感覚の違いはそう簡単に埋まるものではなく、頭や知識では簡単に飛び越えられないものだ。そのことを率直に語る沖浦氏の姿勢に共感を覚える。違うものは違う。その認識から、共同のコミュニケーションは始まるのである。違い=差別ではない。

 3・11以降、福島・福島、東北・東北という言葉が飛び交い、支援だなんだという声も大きいが、それで3年目に入ろうとしている。まもなく、鎮魂の時期となるが、鎮魂は他者を必ず必要とする行為である。死者が自らを鎮魂することはできない。それは生者の行為であり、しかも共同行為でしかありえない。そこで、その共同性の中身が問題になる。3・11から、地域の歴史や文化を広く深く理解しなければならないと痛感した。それを自分なりに懸命に探ることにこの2年間の大部分が費やされた。3・11が起こる前、日朝問題について考え、資料を読み進めてきたが、それは、中断を余儀なくされた。だが、徐々にそれも再開しつつある。それは、日本近代の総括という作業の一環として再考されるものだ。そこから見えるものの一つは、日本における宗派主義の問題ということである。それは、セクト、市民運動、ノンセクトにもあるセクト性の問題であり、そこに見られる排他性―排除の論理であり、同化主義であり、差別性の問題である。福島の代弁者になる代行主義、福島の主体性を否定する介入主義、たった2年のにわか知識で福島をわかった気になっている自惚れ主義、等々の否定的現象が、運動の後退局面の中で、現れてきている。感覚の鋭い人なら、すでにその自覚が生じていることだろう。改めるべきは改める謙虚な自己反省の時期が訪れていることに気づいているに違いない。福島の放射能被害がこれから表面化してくるということを思う時には、意識を強くしないと暗い気分に陥ってしまう。だが、希望を捨てず、放射能被曝者の犠牲をできるだけ小さくするように努めなければならない。特に、子供たちの命を一人でも二人でも救うということが基本中の基本の課題で、セクトだろうが市民だろうがなんだろうが、それを忘れているようなものは容赦なく暴露・批判し、正さねばならない。福島の人々は、抽象的な一般市民ではなく、歴史を背負った具体性をもった諸個人、人々であることを忘れないようにしなければならない。

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