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生き生きとした唯物論的主観の活動 鈴木正氏の加藤正論

 白川静氏『文字講話Ⅲ』(平凡社)、ビルマ関係2冊、鈴木正氏『日本思想の遺産』(こぶし書房)、『東北学』23号、五木寛之氏の本、そして、『服部之総著作集』(理論社)。

 このうち、鈴木正氏の同書の中の「5 知識人の復辟」の加藤正論が興味深い。鈴木氏が言うように、知識人論をマルクス主義的共産主義の中に再定置したのは、イタリア共産党創始者の一人のグラムシである。鈴木氏によれば、グラムシは、〈哲学的運動〉を構想したのだが、それは、「知識人のための専門的教養を発展させることにのみ専念する立場でなく、「素朴な人々」との文化的接触を通じ、個性的な哲学とおなじ首尾一貫性と気力をもつ、更新された常識となりうるような哲学を彫琢することによって、同時に「歴史」でも「生活」でもあるような哲学に自己革新することであった」(172ページ)。それを証するグラムシの以下の言葉を氏は引用する。

実践の哲学は「素朴な人々」を常識というかれらの素朴な哲学のなかにとどめておくことをめざすのではなくて、逆に、かれらを高次の人間観に導こうとめざすのである。それが知識人たちと庶民との接触の必要を主張するとすれば、それは科学的活動を制限し、大衆の低い水準において統一を維持するためではなくて、まさに、知識人のわずかな集団ばかりでなく大衆の知的進歩をも政治的に可能ならしめる知的・道徳的ブロックをうちたてるためである。(172~3ページ)

 マルクス・エンゲルス、レーニンと共にグラムシをかなり読んだが、氏のように、グラムシのドイツ観念論摂取を閉じた歴史的環として理解すべきか、運動する歴史的過程としてとらえるかというふうに問をたてたことはなかった。後者以外に読みようがなかったからである。レーニンの『哲学ノート』でも、終わりなき弁証法的運動としての主観という観点がはっきり示されていて、それを継承してきたのである。まさに主観とは弁証法的に認識の発展する歴史的運動であり、実践である。それは、マルクスの『フォイエルバッハ・テーゼ』に明確に示されているもので、加藤正はそれを正しく掴んだ人である。

 加藤正は、「弁証法的唯物論の道」で、「理論的に思惟することのできない人間を一般に俗人と名付けるなら、弁証法的唯物論が自己の運命を俗人の手に委ねて来たことが、従来の左翼哲学界を支配し来った渾沌と無力、酩酊と讒言の現実的理由であった」(『加藤正著作集』第1巻 ユニテ社 41ページ)と述べている。加藤正については、『情況』2009年6月号所収「フォイエルバッハ・テーゼについて」(流広志)で書いた。鈴木氏は、党派性論争を整理しつつ、加藤批判者たちが、理論に対する政治の優位の立場に立っていたとしている。これは今日でも重要な問題である。それに対してレーニンはどうだろうか。よく聞かれる解釈ではレーニンこそ党派性論者であって、理論に対する政治の優位を強力に主張したかのように描かれることが多いように思うが、さにあらず。鈴木氏は、「本来、科学的社会主義を性格的特徴とするマルクス主義は、このような合理的な吟味と研究の方法を基礎とする実践の論理であった」(181ページ)として、「支配階級の文化と思想の限界を除去し、それをあらたな高い総合をもたらすためには、反対にたえざる知的辛酸によって、あらたな既存の文明を吸収し、その階級的・技術的制限を克服することによってしか継起的に近づきえないはずである。マルクス主義をふくめてあらゆる認識の過程に、すっべてこのようにして、より高い段階、より一層客観的な真理に到達するのである。そこでは、政治的権威や指針による代位など、すこしも効果がない(同)と述べる。レーニンもそうだったと氏は言う。

 1905年以後「マルクス主義哲学の一兵卒」とみずから称して、謙虚な学問的出発をしたレーニンは、このことをよくのみこんでいた。彼は党の方向と哲学の方向は、そのまま単純かつ直接的に同一ではなく、ときには、その関係は分岐的であるとさえみなしていた。勿論、当時の党内の理論的伝統と現状に制約されてのことだろうが、1908年4月のゴーリキー宛の手紙では大胆にも「哲学論争を党活動全体から分離することに賛成したい」とまでしるしている。(同)

 そして、加藤を擁護して、唯物論の命題を述べる。「認識とは人間の頭脳の精神的連関のなかへ対象をうつしとることである」。「だが、それは機械的登録や複写といったような受動的現象ではなく、むしろ仮説・実験・検証といった本質的に能動的な相を含んだ手続きをへて、事物を反映するのである。この場合方法とは、どこまでも諸科学によって分析された諸規定を内的に連結させた理論的概括からうまれたものである。そのため精神ないし意識はどこまでも〈空白な書板〉ではなく、認識の段階に応じた科学的抽象により、一定の全体化の形式を備えている」(184ページ)。

 理論的思惟は、自己が辿る事物それ自身の固有な内的必然的発展を与えられて、自己を唯物論が弁証法として立した。この思惟は、自己の中に、自己が辿り得た限りでの世界の内的展開に相応じて、自己自身の展開性を蓄積する。(「弁証法への道」)

 ここから、氏のフォイエルバッハ・テーゼの見事な解釈が続く。マルクスの「哲学革命」は、「自己を絶対的前提とし、他を捉えるが、他によって捉えることのできない主観」(185ページ)、「主語となっても、絶対に述語とならないものを世界から追放し」「恣意の主観を認めない」と宣言した哲学的事件だという。そして、現代的唯物論の立場を以下のように主張する。

 自己意識が、最高の世界把握だなんぞという呪文めいた主張は、仮りに、その直観が現実のあらたな生成をなにほどかは開きしめしていることがあっても、それはあくまでも非合理なものにすぎない。むしろ非合理なもののなかへつきすすみ、闘争の過程でそれを合理的連関の網に変換してとらえるのが現代唯物論の立場である。(185ページ)

 それから、鈴木氏は『経済学批判序文』の有名な命題などを検討しているが、おおむね私の考えと一致する。そして、氏は、加藤正の主観論を以下のように要約している。

 彼は『「フォイエルバッハについて」第一テーゼの解釈』や「主体性の問題」でもってsubject(主観または主体)の全範囲は、人間の実践的活動と完全に等しく、対象の主体的把握とは、まさしく人間の感性的活動そのものを対象とし、かかる主観的・活動的形態のもとにおける対象をば、抽象的・思弁的にでなく、具体的・現実的にとらえることだと解釈した。(189ページ)

 このことは、まさにマルクスの「フォイエルバッハ・テーゼ」第10テーゼの「ふるい唯物論の立場は市民社会であり、あたらしいそれの立場は人間的社会あるいは社会的人類である」という時の社会が「人間実践の総体であり、そしてまたこの対象的活動の全所産」(同)であることを踏まえて理解されねばならない。すなわち、主観の活動は、直観、意志、意欲でもあり、その対象的活動の把握が理論思惟の活動なのである。こうして従来、観念論が理論的思惟の活動を観想的立場に押しとどめていた限界を突破する道が開かれたのである。かくして、理論思惟の活動性、能動性はエネルギッシュな実践として解放された。レーニンが『哲学ノート』で示したように、「生き生きとしたもの」「生動的なもの」、弁証法的運動=生き生きとした実践として解放されたのである。

 〈付〉

 いかに原発推進、再稼働推進、新規建設推進の安倍政権でも、人々に根ずく脱原発意識には勝てないことを示す記事である。脱原発派の勝利といっていい。もちろん、福島の地元の意思も固く強かったということである。この間の脱原発運動の高揚が、それを後押しするのに役立ったことは言うまでもない。大衆の勝利、安倍の敗北である。

東北電、浪江・小高原発新設撤回方針 地元理解得られず(2013年3月28日朝日)

 東北電力は28日、福島県浪江町と南相馬市で計画していた浪江(なみえ)・小高(おだか)原発の新設を撤回すると発表した。誘致を図っていた両市町は東京電力の福島第一原発事故後に建設反対に転じており「地元の心情を踏まえると困難」と判断した。福島事故後に電力会社が原発新設を撤回するのは初めて。

 浪江・小高原発の計画発表は1968年。計画出力は82・5万キロワット。福島の事故後の2011年12月、浪江町議会が誘致を白紙撤回する決議をし、南相馬市議会も建設中止を求める決議をした。それぞれの首長も立地への反対を表明した。東北電力は昨春、それまで「16年度」としていた着工時期を「未定」に変えていた。

 東北電力は、断層問題を抱える青森県東通原発を15年7月に、東日本大震災で被災した宮城県の女川原発は16年度以降に、それぞれ再稼働させる計画だ。

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