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社会運動の自己反省 大野和興氏

  3・11から2年目となる。あの日を境に世界は大きく変わった。時に、何も変わらないという人がいる。しかし、そういう人は、自分=世界という自己同一のイデオロギーの中に閉じ込められているので、自分は変わらない、だから世界は変わらないと思い込んでいるのである。3・11前まで自由に入れた地域に今は入れないというだけでも世界は変化した。それ以外にも多くのものが変わった。とある学者さんと雑談した時に、話が、3・11後の福島のことに及び、これから福島の人は広島や長崎の被爆者と同じく差別されるようになると言われた。たぶんそうだろうと思ったので、差別について調べたり考えたりしてきた。

 東北の歴史を振り返ってみると、東北戦争(戊辰戦争)で敗れた後、勝者の西国・西南・東海・関東諸地域から近代化が進められ、東北は後回しにされた。敗戦後の戦後復興から高度経済成長は、太平洋ベルト地帯の産業開発から始められた。東北の農村は過剰人口を首都圏の労働力として送り出した。過疎化が問題になり、原発などの巨大施設が誘致される。

 マルクスは、人間の欲求の多様さを強調した。人間の全面的発展が共産主義の目的である。それには自然との関係も含まれている。現代大都市は、徹底的に自然を排除し、自然関係を遮断し、そうした欲求を満たせなくした。人工的な都市生活を満たすために、膨大なエネルギーを必要とし、それが巨大な発電所を必要とさせている。自然の享受を人間生活に必要不可欠のものと考えるならば、それと正反対の生活を余儀なくされていることになる。田舎暮らしが長かったせいか、都市は目的なしには住みにくいところで、とうてい人間的な生活の場とは思えない。都市で生まれ育ちながら、自然の中での生活を求めて、福島へ移住してきて、原発事故に会い、脱・反原発運動に参加している人もいる。

 運動は空前の規模に達したし、脱原発意識は人々の多数に根付いている。自民党政権の勝利は、原発を争点にしたからではなく、別の要因によるところが大きい。自民党安倍は、選挙中は、原発問題を曖昧にしておいて、政権獲得後に、再稼働を言い出したのである。福島の自民党県連は、福島県議会での脱原発決議に賛成しており、福島県内で自民党議員が衆議院に多数当選したといっても、原発推進を支持したわけではない。もしそれが騙しだというのなら、騙した方が悪であり、正義に反するので、当然、その責任を追求されねばならない。『平家物語』の冒頭の、「おごれるものは久しからず、盛者必衰のことわりをあらわす」に示された日本の歴史観にある自然発生的な弁証法の萌芽の意識どおりになるのである。

 たまたま目にした『人民新聞』No.1467に、農業ジャーナリストの大野和興氏の「人々の暮らしから離れている社会運動の弱さが露呈した」という文章が載っていたが、興味深かった。大野氏は、今の社会運動の弱点を指摘しているのだが、大野氏は、選挙結果を見て、脱原発運動に何十万人の人が結集したのに、なぜ、原発推進派の安倍自民党が大勝したのかと疑問に思ったという。TPPは争点はずしされた。というのは、反TPPの農協に対して、交渉参加を考えるという程度に答えただけだからだ。民主党にも騙されなかった選挙民が、自民党にも騙され続けることはありえず、北海道農協はTPP反対を決議した。安倍の再稼働容認発言に対しては、福島の被災地の首長が反対や不快感や疑義を表明している。ただ、これは、すでに福島原発の廃炉を求める県議会決議をしている福島県では今のところはリアルな争点ではない。

 大野氏は、選挙結果を、「負けは負けなのだ」といさぎよいが、負けの原因を、社会運動のシングルイシュー主義にあると言う。総選挙直前の11月に、氏は、反TPPの社会運動の中で、「「人々が安心して生きる基盤を壊すTPP反対を憲法の平和的生存権と結びつけて、護憲・脱原発・反TPP・普天間・オスプレイ・反貧困を大きくくるむ陣形をつくるべき」だという話をしたのだが、「ここは反TPPシングルイシューだから」と一蹴された」という。似たようなことが、脱・反原発運動の中でもあった。脱原発一点での結集は、初期の脱原発運動への人々の結集を進めるのに役立つやり方であったかもしれない。その昔、菅孝行氏が、シングルイシューを社会運動のやり方としてプラス評価していたことを思い出す。しかし、どんなやり方であっても、条件次第なのであって、永久にそのまま使えるものではないということぐらいは、誰でもわかることである。なんとなくだが、菅氏も、今は、シングルイシュー主義者ではないと思う。脱原発運動のこれからの発展にとって、シングルイシュー主義はどうなのか? すでに虚偽意識になってしまったというのが大野氏の主張であろう。

 例えば、ケインズ主義は、使える時は、使えて、経済成長の役になったのかもしれないが、公共投資に乗数効果が出ないということで、自民党政権が投げ捨てたものである。それなのに、自民党野田聖子議員は、「公共投資のどこが悪いんですか?」と開き直っている。前にやって駄目だったのが、今度は成功するというのは、どこがどう変わったからそうなったのかの説明なしである。公共投資イデオロギーは生きているのである。しかしそれも虚偽意識としてであろう。

 そして、大野氏は、当然誰でもわかることを指摘する。「この世界も、暮らしも、シングルイシューでできあがってはいない。全て根っこでつながっている」。そのとおりだ。どうしてそんな当たり前のことが社会運動で無視されているのか。「だが、社会運動はいま、それぞれのシングルイシューにとらわれ、くらしの総合性を見ていない」。「くらし」という言葉を「生活」という言葉に置き換えて見れば、マルクス・エンゲルスが『ドイツ・イデオロギー』で言ったことと同じことになる。社会はつながりでできているということである(社会諸関係)。そこで、社会総体の変革が必要となり、そのイデオロギーが必要ということになる。そしてヘゲモニーが作られねばならない。そうなれば、言葉はそうでなくとも、コミューンとか党の領域に直面することになる。コミューンでとどまれば、アナーキズムでも認めるところで、ここまでは共同できる(アナーキズムは、思想哲学的には、フォイエルバッハの直観的唯物論以上には進まないし、進めない)。そこでとどまれば、その先、その未来に進めない。しかし、革命はそれを求める。全てを準備した上で革命に入ることなどないし、多かれ少なかれ、革命は自然発生的に始まり、進んでいく。その中で、未来を描いていくのである。それは未来に開かれている。だから、大野氏が言うように、部分にとらわれていては、「当然、社会運動の主張は人びとのくらしの根っこには届かない」のである。

 そして、大野氏は、「自身への反省を込めていうのだが」と自己反省の意識をもって、「選挙結果が示したのは、くらしに根っこを持たない社会運動の弱さである」と言う。問題は、この「くらしの根っこ」が生産・消費などの全社会関係を指すものかどうかである。日本は食料自給率が低く、他国から食料品を輸入している。この社会が消費する食料を外国の生産者が生産しているのである。この生産をこの社会とつながっているものとして捉えた上で、社会運動のシングルイシュー主義の限界の明確化→克服、そして総合性への転換を構想しなければならないのである。一般市民運動が、世界性と被災者の特殊性・具体性とを都市市民という主体的共通性を媒介につなごうとして、そうした市民性が成立する基盤の小さい福島でそれをそのまま同心円的に拡大しようとすれば、あまりうまくいかないのは当然である。それぞれの具体的な違いを認識し理解し、認め合いつつ、共通性を探りつつ繋がりを作っていき、アイデンティティーが相互に変化するような結びつきを運動で作っていかないといけないのである。運動の中、闘いの中で、形成される新しいアイデンティティーの共通性を持つ主体をプロレタリアートと名付けるならば、そうしたプロレタリアートの自己解放運動こそが、革命運動と言うべきものである。社会解体状況は、革命過程に必ず存在するが、それは主体のアイデンティティーの組み換えが起こる流動的な状況でもあるからである。安丸良夫氏の論考で、世直し一揆の際に、男が女装し、女が男装したりする、アイデンティティーが変化する祭(政)という政治の原基とも言うべき姿が現れるのが示されている。

 大野さんほどの大ベテランから、こうした自己反省的な社会運動の内在的批判が出てきたことは大いに意義がある。福島主体形成運動は、長期を想定したもので、福島のチェルノブイリ化を予想すれば、そうならざるをえない。1年目はともかく、2年だからといって特にどうということもなく、命がなければくらしもへったくれもないので、命を見据えて、息の長い運動をやる主体を一人でも多く創造すべきだという考えである。

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投稿: 大衆の原像 | 2013年3月19日 (火) 01時51分

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