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白川静氏、漢字と神話とイデオロギー

 白川静氏の『中国の神話』(中公文庫)を読んでいたら、面白くなったので、白川さんの『文字講話』(平凡社)も読み始めた。何が面白いかと言えば、漢字には、元の絵文字の形態が残されていて、物語が読み取れるからである。絵文字は、古代エジプトにもマヤ文明にもある。だから、文字は画像から始まったわけである。西欧の言語学は、音声文字という後代に生まれて発展した文字をベースにしていて、それを当然の前提としているため、デリダが言うように、それは音声中心主義なのだけれども、漢字を多く使う日本では、それは半ば当たっているという程度にすぎないことがわかる。言葉の音声の発生と字の発生はどのように関連しているのかという疑問が起きた。

 中国古代国家で、殷という国があるが、殷の人々は文身、つまり入れ墨をしていた。これは、海人の風習で、殷の人々は元々山東半島のあたりにいて、それが内陸へ移ってきたのだろうということだ。魏志倭人伝に倭人が入れ墨をして潜水漁をしていたという記述がある。だいたい、建国後の殷は現在の河南省安陽市あたりにあって、その近くには、羌族や苗族などの南方系の部族がいたようだ。羌族は後のチベット族であり、南方系はいくつもの部族に分かれ、今の東南アジアにもいるようだ。

 殷王朝はおそらく沿海民族であったであろうと思います。かれらは文身、入れ墨の習俗を持っておりました。入れ墨の習俗をもっておりますのは、沿海民族だけであります。奥地の民族にはないんです。それからかれらは、貝をこの上ない宝物としております。貝も勿論海からとれるものであります。どこから手に入れたかわかりませんが、おそらくは琉球辺りのものが運ばれていたのではないかというふうにも、考えられているのです。その殷の文化が、やがて中原に入り、華北を制し、ついに陝西にまで勢力を及ぼして、一大王朝を築くのであります。それで中国における神話の形成というものは、こういう周辺の文化、そういう周辺の文化に促されながら、中央の覇権を目指して西に進んでいった「龍山文化」と、それぞれの民族の壮絶な戦いの上に、神話が展開されるのです。(『白川静 文字講話Ⅰ』 平凡社 205~6ページ)

 漢字と言えば白川静氏ということは頭にあったが、実際、読んでみると、とてもわかりやすく語り書く人であることがわかった。それは氏の経歴に関係しているのかもしれない。

1923年、順化尋常小学校を卒業後、弁護士廣瀬徳蔵(大阪府会議員を経て立憲民政党代議士)の事務所に住み込み勤務し、成器商業夜間部(現大阪学芸高等学校)に通う。この時期に廣瀬の蔵書を読み漁り漢籍に親しみ独学していった。1930年京阪商業卒業。
立命館大学専門部国漢科(夜間)を1936年に卒業、在学中より立命館中学校教諭に、1941年に立命館大学法文学部漢文学科に入学。同大学予科・専門学部教授となる。(ウィキペディアより)

 基本的には労働しながらの独学のようである。政治的立場は、穏健な立憲君主論者のようだ。それから、氏の漢字学にもいろいろと批判があるらしいが、それは当然のことである。研究が進めば、学知は変わる。それはべつにいい。新しいものを作り上げる独創性を持つ人は、そういうものである。こういう独創的な人が出なければ、アカデミズムという蛸壺の中では「知」は窒息してしまうだけである。独創的に学知を発展させるのには間違いがつきものであり、その間違いを正すことが学知を新たにし、発展させるのである。ただし、基本的な方向性とか基底的着想とか、アイデアとかの独創性がそれを新知へ導くのであり、それがヘゲモニーの役割なのである。独自のもの、新しいもの、真実性を保っているイデオロギーを形成する必要があるのだ。白川静氏は、そういう役割を果たした人であったようだ。

 かつて、大日本帝国は、明治維新から文明開化・近代化の道を歩んできた。しかし、あの15年戦争で、総力戦体制を築く中で、人にして神の現人神イデオロギーに則り、現人神を奉じて、神風特攻にまで至った。それまで取り入れ学んできた西洋の学知は、現人神信仰に屈服せしめられ、消し飛んでしまった。近代国家を目指したはずの明治国家は、最後には、祭政一致の神道国家として世界戦争に参入するはめになった。この不思議を解かない立憲君主制論などはまったくリアリティーがない。そういう立場の労農派は、マルクスのフランス三部作をきちんと読んでないに違いない。その三部作で、マルクスは、フランス革命で手に入れた小さな農地を、その後の近代化(資本主義化)の中で高利貸しに差し押さえられ失っていった小農民たちが、土地を与えてくれたと観念するナポレオンを神格化し、その幻想を作り上げ、信仰し、その信仰で、大ナポレオンの甥のルイ・ボナパルトを独裁者に押し上げたことを見事に描いている。経済的諸関係の土台と神話や宗教やイデオロギーという上部構造との関係を総合的に解明しているのである。近代もまた神話や宗教、イデオロギーによっても作られており、動いているのである。だから、運動からイデオロギーを抜けば、支配的イデオロギーに取り込まれるだけになり、現在ならブルジョア・イデオロギーの支配に屈することになる他はないのである。そうなれば、イデオロギーを創造する自由をなくし、自由な個人でなくなる。そうならないためには、解放的なイデオロギーを形成してそれを自分の中に持たねばならない。しかし、そういう解放的イデオロギーもそのままだといずれ虚偽意識へ転化してしまいかねず、たえざる自己批判と作り変えをし続けなければならないのである。それが難しい。一度成功すると、それをずっと手放すことができなくなりがちだからである。それと流行を追うというのとは区別しなければならない。これも難しいが、是非とも挑戦し続けなければならないことである。変わらないのは、ごく大まかな理念である。つまり、革命とか共産主義とか共同体とか平和とか解放とか自由とか平等などなどの理念である。これらは断固として掲げ続け、守り続けなければならない。しかも、革命的に。そして、用語の意味がずいぶん適当に使われるようになったけれども、左翼的な意味で。これらは非妥協に、死んでも守りぬく覚悟である。

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投稿: ゆい | 2013年3月22日 (金) 11時18分

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