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民族問題はアクチャルな課題である

 本、いろいろ10冊以上、もういちいち書くのも面倒になった。原田伴彦氏『被差別部落の歴史』(朝日選書)、赤坂憲雄氏『結社と王権』(作品社)、など。

 ビルマのアウンサンスーチー氏が来日するので、それに合わせて、ビルマについて調べていて、その関係の本が多い。それと、中国関係である。それと、Xデーが焦点となっていた頃の天皇制関係の本。そして民族問題。民族問題をすでに解決済みと思ってる左翼が多いような気がするが、それはまったく間違いである。天皇制問題もそうだ。大正デモクラシーから、日中戦争から泥沼の世界戦争に突入するまでたったの20年ほどである。大正デモクラシー期に誕生した労働組合などは戦争体制に組み込まれ、屈服していったことを思えば、現在の「民主主義」など危ういものでしかないと思わざるをえない。議会主義ボケとでも呼びたいぐらいだが、差別・排外主義者の跳梁跋扈が続く中では、それもジョークですまないかもしれないと心配する。

 先の朝鮮学校の無償化はずしに反対する日比谷集会は6000人の参加であったが、日本の人々の参加が少なかったように思う。まず、これは、人権侵害であり、政治的措置であり、政治的差別であるということである。これを放置しておくと一般民主主義が大きく後退するきっかけとなる。民族問題において、大民族・支配民族の側による少数民族の同化は、反民主主義的反動であるということをしっかりと認識する必要がある。それは民主主義への反動である。アメリカがインディオに対してやったことは大反動だったのである。したがってアメリカは先住民大虐殺国家である。その性格は消えていない。そのことを忘れないようにしなければならない。そして、日本の場合は、アイヌに対して似たことをしたということを忘れてはならない。それから、これは差別であって、物事を根底から考えなければならない知識人は、差別とは何かを理論的に解明することに務めなければならないということも強調しておかねばならない。知識人たろうとする者には、この世のありとあらゆることを考え解明する努力義務があると考える。

 ポスト・モダニズムは、それをする代わりに言葉遊びをもって変え、したがってなんら説得的な理解を与えられなかった。それらしい言葉が並べられただけである。言い方、書き方だけがやたらと洗練され、技巧的であって、それを取り除くと大した内容がないものが多い。例えば両義的という概念は、ほぼどっちつかずの日和見主義的な使われ方になった。あっちでもないどっちでもないというのは、判断停止として積極的な意味が与えられたが、それは方法論以上のものとして、日和見主義を正当化する言い訳的な使われ方をしている。しかし、政治であれ生活であれ、判断しなければ、何も進まないし、実際に判断している。コーヒーか紅茶かを判断して、どっちかを飲んでいる。現象学的還元、判断の宙吊りを主張した柄谷行人なども、それが哲学上の方法論であると限定している。その元であるフッサールはもちろん方法論であると言っている。それにもかかわらず、大衆運動にまでそれが持ち込まれている。これは完全な誤用であり、濫用でしかない。第二に、方法は特定の目的のために使われるもので、目的にかなうものでなければならない。それもいい加減に拡張されて濫用されている。これも止めなければ無用の混乱を生み続けるだけである。これも改めれなければならない。大衆運動領域からポスト・モダニズムという混乱を生むだけの思想もどきを一掃すべきだ。端的に言えば、使えないのである。

 アジアにおける民族問題の複雑さ、多様さを見るにつけ、とうていポスト・モダニズムなどではどうにもならないという思いが深まるのである。それにしても、まだちゃんと読んでないが、ポスト・モダニストと見做される蓮實重彦氏が、ムスリム・コミュニストのスルタン・ガリエフを描いた『スルタン・ガリエフの夢』を書いた山内昌之氏と共同編集で『いま、なぜ民族か』(東大出版会)を出し、その中で、ソ連出身で、アメリカでも短期間だが活躍した女優アンナ・ステンが85歳で亡くなったことに触れて、「誰も注目しなかった老齢の女優の死が歴史の厚みの象徴だなどといいつのる気はないが、そこに露呈されている完璧なまでの「民族」の払拭ぶりと、再燃した「民族」紛争とがわかちがたくもつれあうことになる時間の厚みがもたらす手触りだけば、歴史へとひとを導くものなのだ」(227ページ)と言うように、歴史=織物とする歴史観を示しているのだが、それと三多摩自由民権運動のほとんど無名の活動家たちを論じながら、民衆史を構想していく色川大吉氏の姿がなんとなく重なって見える。蓮實重彦氏はひょっとして偽装コミュニストではないかと思ったりする。ビルマはまさに織物のように多種多様な民族、宗教(小乗仏教、ヒンズー、イスラム、アニミズムなど)が織り込まれ糸がもつれている。蓮見氏は、アンナ・ステンの死の記事が、歴史のもつれた糸をほぐすきっかけになると言うのだが。

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