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レーニンの女性解放論

 6月16日の難民講座の内容は、コンゴとブルンジの難民のことになった。それで、アフリカ関係のことを調べている。アフリカ史も昔とはずいぶん変わったことがわかったが、その中で、帝国主義・植民地主義と女性というテーマを論じるガヤトリ・スピヴァクの『スピヴァク 自らを語る』(岩波書店)という本を読んだ。その前に、ウォーラーステインを読んだが、そこで、ポスト・コロニアリズムという概念が登場するので、本橋哲也氏の『ポスト・コロニアリズム』(岩波新書)を読んだ。先に紹介したF・ファノンの『アフリカ革命に向けて』やA・カブラルの『アフリカ革命と文化』(亜紀書房)でも、レーニンが評価されている。そこに共通するのは、反帝国主義民族解放闘争においては、政治的軍事的闘いと同時に文化闘争が重要だという観点である。

 F・ファノンは、アフリカの植民地住民に、白人への劣等感から、「白い仮面」を被ろうとする欲望が生み出されていることを問題にし、植民地解放―独立革命の中でそれからの解放も成し遂げなければならないことを指摘している。それと女性解放運動を合わせて考えると、運動の主体が、男性化する(男の仮面をかぶる)ということが一時あったように思われる。両方を併せ持つのが、ライス前国務長官のように見える。能力主義のことを考えると、特に障害者問題を見てるとわかるのは、現在の能力主義が、男の健常者の能力を基準としていることである。何が生産的で何が非効率的か等々の基準、ものさし自身が男性健常者を基準に立てられている。ものさし自体を問題にすることが、障害者解放運動やフェミニズムの一部にはある。橋下発言が問題になったが、米軍には女性兵士がいて、軍隊内のレイプ事件の被害者になることが時々報道される。ややこしいことに、欧米ではホモセクシャルの男性による男性へのレイプ事件が時々起こるのだが、それはさておき、そういう事件は戦場だけで起こるのではない。それは、現在の米軍に帝国主義軍隊としての他民族蔑視があり、それが女性蔑視にもつながっているからだろう。『人種・国民・階級』(大村書店)でのバリバールの人種主義と性暴力の関係の指摘から考えるとそういうことになる。ファノンの指摘からも、相手を劣等視しないと、そういうことはできないと思わざるをえない。また、このことからは、階級差別が階級支配と一体であるということも引き出せる。したがって、階級闘争は労働者差別からの解放であり、差別との闘いであるということも言える。レーニンは、そこから目をそらせるようなもの、闘いの矛先を鈍らせるものを批判する。そういうものとして、彼の女性解放論がある。レーニンは、ドイツ共産党の女性活動家のクララ・ツェトキンとの対話で、ドイツ共産党内での女性たちの議論のあり方について、苦言を呈している。

 ……きくところによると、ドイツの婦人の党員の間でおこなわれている読書と討論の夕べでは、性と結婚の問題が、主な題目だというではありませんか。それらの問題に興味があつまり、政治指導や教育の中心をしめているというのです。わたしがそれをきいたとき、わが耳をうたがうばかりでした。プロレタリア政権による最初の国家ソ同盟は、げんざい資本主義の反革命国家にとりかこまれています。ドイツ自身の情勢をみても、たえず勢いをもちかえす革命反対派を撃退するために、プロレタリアートを中心とする革命的勢力を最大限に集中しなければならない……(『レーニン青年婦人論』青木書店18ページ)。

 さらに、レーニンは、その頃流行していたフロイト理論を批判している。

 ……わたしはあの性の真理をとりあつかった論文や研究やパンフレットを信用しない。要するに、それらはブルジョア社会の泥土のなかにおいしげる特殊文献なのです。ちょうどインドの聖者がヘソのことばかり考えつづけているように、四六時中、性の問題ばかり考えている人たちをわたしは信用できない……(同19ページ)。

 そして、クララに、コミンテルンのテーゼの基本思想を示す。

 テーゼで明確に指摘せねばならない点は、婦人の真の自由はだた共産主義を通じてのみ可能であるということです。そして婦人の社会的ならびに人間的地位が低いことと生産手段の私的所有が許されていることが不可分に結びついている関係を強く出すことです。そうすれば、わたしたち共産主義者とフェミニスト〔女権拡張論者〕との間に明瞭な境界線が引かれるでしょう。またこれによって、婦人問題を社会問題、労働問題の一部分として考える土台があたえられ、婦人運動をプロレタリア階級闘争およびプロレタリア革命にしっかりと結びつけることができます。共産党の指導する婦人運動は、それ自体大衆運動の一つ、つまり全般的な大衆運動の一部分とならなければならない。それはただプロレタリアートの運動であるばかりでなく、すべての搾取される者、抑圧される者の運動、資本主義制度および不合理な社会関係のギセイ者のための大衆運動でなければならない。以上のべた党の中にこそ、プロレタリアートの階級闘争ならびにそのたたかいからうみ出された共産主義社会にとっての婦人運動の意義が横たわっているのです。わたしたちが自慢してよいことは、わが党のなかに、第3インターナショナルの中に、婦人革命家を豊かにもっているという事実であります(同33~4ページ)。

 組織論。

 なるほど婦人のために特別な組織は必要ない。たしかに婦人党員も男子の党員と全く同様に党の一員です。両者は同等の権利と義務とをもっています。その点について異論はありません。しかし、ここに無視しえない事情があります。党には欠くことのできない機関として、活動グループ、委員会、特別委員会、専門部などがあり、その特別な任務として婦人労働者大衆の眼をさまし、これらを党に結びつけ、党の影きょう下にガッチリと彼女らをつかまねばならない。もちろん、この事は婦人の間で系統だった仕事をするためであります。一たび眼ざめ組織された婦人大衆をわたしたちは訓練し、共産党の指導のもとでプロレタリア階級闘争に彼女らをそなえなければならない。……わたしたちは婦人のあいだで活動をすすめるための適当な機関、煽動の特別な方法、特別な組織形態を必要とします。これは何もフェミニズム〔女権拡張主義〕ではない。それは実践的な革命的な方策であります(同34~5ページ)。

 こういうレーニンが示した思想は、コミンテルンのテーゼに、クララ・ツェトキンによって、取り入れられた。興味深いことに、スピヴァクは、レーニンの言う家内奴隷制に拘束されている女性をサバルタンに入れている。家庭という狭い空間に閉じ込められ、移動しにくく、狭い範囲での生活を余儀なくされているのがサバルタンだというのである。つまり、レーニンの言っていることは、時代遅れでもなんでもなく、格差拡大する資本主義諸国やとりわけ第三世界に広範に存在する今の現実を表現しているだけなのである。フロイト主義は、そこから目をそむけ、別な方に人々の目を過剰に向けさせることで、こういう現実を覆い隠すのに都合よく支配階級によって利用されているわけだ。もちろん、それを解放の武器へと作り直し、支配階級に向けることもできるわけだが、それは、主にイデオローグがする仕事であり、プロレタリアートは、そうでないものは信用することなく、大衆的な解放闘争に取り組むことが大事だということになる。スピヴァクは出身地のインドのベンガル州でサバルタン女性解放のための活動をやっている。レーニンが言うのもそういうことなのだろう。

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