« アフリカでなぜ難民が発生するのかの理解を深めるために(資料)②東・北東アフリカ | トップページ | 主体について、スピヴァクから学ぶ »

アフリカでなぜ難民が発生するのかの理解を深めるために(資料)③東アフリカ沿岸部・スワヒリの世界、マダガスタル、バントゥ・アフリカ

東アフリカ沿岸部・スワヒリの世界

Photo_17

 ソマリア南部(北緯2度付近)からモザンビーク北部(南緯12度付近)までの約2000キロの東アフリカ沿岸部。「この地域は、広大なインド洋の最西端に位置し、象牙や金、あるいは奴隷の積み出し地としてアラビア半島からインド亜大陸をへて中国までを包摂する長い交流史の一端を担ってきた」(106ページ)。担い手は主にアラブ人、ペルシア人、インド人。「スワヒリ」の語源は、「縁」や「水辺」を意味するアラビア語のサワーヒル(単数サーヘル)。

「スワヒリの夜明け」は、イスラームが島嶼部に受け入れられ始め、交易が定期的に行われるようになった8世紀から10世紀頃。

 スワヒリ語は、アフリカの言語であるバントゥー諸語の一分枝である。1498年、ヴァスコ・ダ・ガマ率いるポルトガル船団が来航。ポルトガルの支配。しかし、1698年オマーンがポルトガルからスワヒリ沿岸から駆逐。象牙や奴隷貿易の交易地、奴隷労働力の移入、農園経営、大陸内陸部との交易。アラブ系地主やインド人仲買人。19世紀スワヒリ社会に生まれた新しい文明観、「ウスタアラブ(アラブ人のようになること)」化が進む。

 「19世紀末、スワヒリ史におけるウスタアラブ時代は、奴隷貿易禁止運動と一体となったキリスト教宣教団や探検家を尖兵とする西欧列強の侵略によって終止符を打たれ、「植民地時代」に取ってかわられた。以後、スワヒリ沿岸部は、イタリア(モガディシュ、ソマリア)、イギリス(ラム、マリンディ、モンバサ、ザンジバル)、ドイツ(バガモヨ、キルワ・キヴィンジェ――第一次世界大戦後はイギリス)。フランス(コモロ)の支配下におかれ、あらたな歴史を歩み出すことになる」(143ページ)。ウスタアラブ時代は奴隷貿易が最も拡大した時期。家内労働力や農業労働力として奴隷が使われた。1897年ザンジバル、1907年モンバサやマリンディ、で奴隷制廃止。奴隷制廃止による労働者不足でアラブ人地主階級が没落。

 「スワヒリ社会の奴隷は、内陸から連行された第一世代の奴隷(ムジンバ、またはムシェンズィ)、沿岸部生まれの第二世代以下の奴隷(ムザリア)、ポーターなどの賃労働に貸し出される奴隷(キバリア)、逃亡した奴隷(ムトロ)の
4つに区別されていたが、解放後、生活手段に困って社会的な問題を起こしたのはムジンガ層であり、ムザリアはもとの主人の家を離れず、キバルアは容易に賃労働者に移行した。とりわけキバルア層は、それまで禁じられていた自由民の衣服を身につけ、経済的にもさまざまな分野に進出し、積極的にスワヒリ社会に同化していった」(147ページ)。その後、内陸部からの出稼ぎ労働者がスワヒリ沿岸部都市に到来するようになり、第2次大戦後の労働運動の担い手となる。しかし、このことは、「1950年代の独立運動のなかで、ザンジバルの住民は、内陸のアフリカ人を主体とした政党との協調路線に踏み切れず、結局、王制を擁護するアラブ系の政党に独立後の政権を擁護するアラブ系の政党に独立後の政権を委ねてしまった。それが、1963年の独立後一カ月をへずして勃発し、アラブ系支配層を王もろとも追放したザンジバル革命(1964年)の原因となっている」(148ページ)ように、新たな問題を引き起こすことになる。また、スワヒリ世界においては、女性が果した重要な役割として、①姻戚関係をとおして、移民男性に支配の正当性を与える役割 ②調停役や支配者の役割 ③「地母神」としての役割 ④「奴隷」

マダガスタルとインド洋西域島嶼世界

 マダガスタルは独特の歴史的ルーツを持っている。マダガスタル語は、オ―ストロネシア語族ヘスぺロネシア語派に属している。水田・稲作、高床式米倉、竹琴など東南アジアと共通するものが多い。8世紀以降アラブ人。バントゥ系。189525000人の兵士と軍夫によるマダガスタルの軍事征服、同年10月イメリナ王国政府代表者による保護領化承認文書への署名、966月のフランス議会によるマダガスタル全島の併合決議、86日の植民地領有化宣言。1947年独立蜂起。フランス軍の鎮圧で死者10万人以上。1956年フランス国民議会で、「海外領土基本法」可決。58928日、第4共和政憲法国民投票、マダガスタルは独立を支持、1014日、マダガスタル併合議決の廃止宣言、1960年マダガスタル共和国独立宣言。コモロ諸島(グランド・コモロ島、モエリ島、アンジュアン島、マイヨット島)のうち、前3島はフランスからの独立を求める住民投票で後ウ的多数が独立を支持したが、マイヨット島住民が独立に反対した。75年、アーメド・アブダラー大統領は4島の独立を宣言した。

西アフリカ(略)

 バントゥ・アフリカ 

Photo_18

 カメルーン、ガボン、赤道ギニア、コンゴ共和国、コンゴ民主共和国(旧ザイール)など、赤道を挟んだ中央アフリカ地域。

ディオゴ・カンの率いるポルトガル船がコンゴ川河口に到達、コンゴ王国を発見。「脆弱な王権の基盤、キリスト教の導入、ポルトガルが接触後ほどなく開始した奴隷の捕獲と移送、内戦などによって、15世紀以後、混乱が続くコンゴ王国は名目的な王朝は継続したものの18世紀をまたず事実上崩壊した」(286ページ)。「コンゴ王国の故地である大西洋沿岸から約100キロほど内陸にはいた現コンゴ民主共和国カサイ・オリエンタル州にクバ王国がある。1980年代後半、筆者がフィールドワークをおこなっていた時点で、王は独裁者モブツの政権のもとで「伝統首長」という資格で、一党独裁政党の中央委員として一定の政治的プレゼンスを与えられていた」(292ページ)。

 「群生する首長制社会のなかから王権は台頭し、予期せぬ外からの強力な勢力の介入で解体したコンゴ王国、移動ののち定住化し、近隣のいわば王権の発生を未然に抑制する社会とは対照的な王権形成の過程をたどったクバ王国、自然発生的な社会の複雑化しが考古学的に裏づけられ、神話によっていわば内側から王権意識の形成をたどることができるルバ‐ルンダ王国群、これらはバントゥ集団の1000年ごろから植民地化直前までの多様化の過程の、ある幅を示している。これあの例は同時に、きわめて断片的ではあるが、バントゥ集団の歴史人類学研究の方法の多様性も垣間見せてくれる。それぞれが古文書、調査に基づく歴史、考古学と神話学を基本的な手法として探究されている。また、それぞれが王権の基盤の弱さと対外関係、王権の再生産のメカニズム、王権を支える伝承の力といった、王権をめぐる多彩な側面のいずれかに光をあてている」(307ページ)。

 

Photo_19

 「竹内 ……/ルワンダは、アフリカでは比較的珍しく、植民地化以前の政治社会の政治社会の領域的な単位がほぼそのままのかたちで近代国家に移行したのですが、この過程でエスニシティが極端に政治家し、結果として国家の統合が危機にひんすることとなりました。19世紀ヨーロッパの人種思想に影響を受けた植民地当局は、ルワンダにおける三つの機ア的カテゴリー(ツチ、フツ)、トゥワ」について、言語や宗教上の最がないにもかかわらず、異なる「人種」として分別し、それらを統治体制のなかで支配従属的関係に位置付けました。これら3つの集団、とりわけツチとフツのあいだに緊張関係が生じるのは、植民地化以降の国家機構におけるこうした配置が契機となっています。20世紀初頭には曖昧だったツチとフツの境界は、植民地統治の過程で明確化、固定化し、それが政党政治における投票行動や政治エリートの権力闘争など、近代国家の統治とかかわる場面で政治化されていきました。1994年に起こった大虐殺は、エスニシティ政治化の悲劇的帰結ですが、それはけっして伝都的な「部族対立」ではありません。

 他方、西ヨーロッパ全域に匹敵する広大なコンゴは、ヨーロッパ人の接近が遅れたアフリカ中央部が、領土的野心をもつベルギー王に植民地化されたことで成立した国家です。換言すれば、この領域内に存在する数多くの政治社会は、植民地化という事実以外に、コンゴ国家に統合される理由をなんら有していませんでした。アフリカに典型的な国家の成り立ちともいえますが、コンゴほど人口や資源が分散し、遠心的な性格をもつ国はまれです。したがってこの国では、領土的統一性や統治のあり方が今日までつねに問題となっています。それはまず、独立直後から1960年代なかばまで継続したコンゴ動乱というかたちで噴出したのです。
 
 1965
年にクーデタで政権を掌握したモブツは、欧米諸国の支持をえて政治的混乱を収拾すると、鉱産物など国内の資源を私物化し、それによって国内の政治的有力者とのあいだに親分、古文関係(パトロン‐クライアント関係)を結んで国家を統治しました。こうした統治のあり方は、経済危機や冷戦終結にともなう国際環境の変化によって立ちゆかなくなっていきました。1990年代以降のコンゴでは、モブツ政権の崩壊やその後の内戦など政治的混乱が続いていますが、これは従来の略奪型統治にかわるべき統治原理がまだ見つかっていなことを示しています。

 近年、内戦の頻発に示されるように、政治経済的混乱が続くアフリカ諸国が多くなりました。その原因を考えるうえに、国家の問題はきわめて重要です。従来の国家統治のあり方が立ちゆかなくなり、長期的な混乱を引き起こしている場合が多いからです。

 
 冷戦期のアフリカ国家を考えてみましょう。政治的にも経済的にも比較的安定していたといわれるこの時代、アフリカでは強権的な政治体制をとりつつ、国家の公的資源(鉱物資源、農産物資源、外国からの援助など)を私物化し、それを自分の取り巻き(クライアント)にばらまくことで政権を維持する政治家が少なからずみられました。構造的な汚職と抑圧的政治を指摘されながら、
31年間にわたってコンゴの権力を掌握したモブツはその典型です。

 国民国家の理念型から著しく逸脱したこれらの国家は、欧米のアフリカ研究では、新家産制国家(
Neo Patrimonial State)あるいは収奪国家(Predatory State)などと呼ばれてきました。こうした特異な国家が出現した理由は、たんに特定の政治エリートの資質に帰せられるものではありません。その理由はむしろ、アフリカの政治エリートが国民のなかに確たる支持基盤をもたぬまま、恣意的な国境線で区切られた国家の統治を余儀なくされたこと、そして先進国側が自陣営の政治エリートにたいする支援を、彼らの国内的な正統性に目をつぶりつつ、戦略的な理由で継続したことに求めるべきでしょう。
 
 しかしこうした国家のあり方は、
1980年代以降、危機に瀕することになります。公的資源の略奪的利用の結果、経済発展を主導すべき国家はむしろ低開発の原因となりました。資源が生産的投資にまわらず、もっぱら権力者の消費財購入にあてられ、経済の破綻を招いたのです。1970年代以降アフリカで長期化した経済危機は、国家の性格に由来する構造的なものであったといえるでしょう。

 また、冷戦の終結により、先進国の対アフリカ政策が転換したことも大きな影響を与えました。東西陣営の争いが消滅し、戦略的理由からアフリカの指導者を支援し続ける必要もなくなりました。逆に、評判の悪い国への支援は援助国内から反発を招く可能性がでてきました。冷戦終結後の先進国では、民主化を援助供与の条件とする政策が一般化し、それに対応してアフリカ各国で民主主義的な政治制度が導入されていったのです。こうした状況下、独裁的権力者を頂点とする従来の統治が立ちゆかなくなり、政治エリート間の権力闘争が激化したことで、今日の混乱が引き起こされています。その混乱を契機として内戦に突入する事例も少なくないのです」。(
479482ページ)
 
 「竹内 家産制的な国家の破綻は、市場経済化のグローバルな流れとも重なり合っています。
1980年代以降、市場にたいする国家の介入を抑制し、経済の調整機能を市場機構に委ねる思想が世界的に一般化します。世界銀行などの国際金融機関は、アフリカ諸国にたいしても、構造調整政策という市場原理優先政策を課し、その結果、公企業の民営化、補助金の撤廃、為替の自由化といった措置があいついで実施されました。これによって、従来国家が有していた機能は大幅に削減されたのです。

 ただし、現在アフリカ国家にみられるさまざまな「民営化」現象は、この市場経済化政策だけに由来するわけではありません。むしろ、新家産制国家の破綻にともなう機能不全から、本来国家が担うべき分野まで「民営化」される状況が生まれています。たとえば、
1990年代のアフリカの紛争で顕著な特徴だったのは、国軍の能力が低下する一方、民兵や外国の民間軍事会社(傭兵会社)の影響力が増大したことです。ルワンダやコンゴ共和国の紛争では、政権側が民兵を組織し、それが暴力の主たる行使主体となりました。アンゴラやシエラレオネの政権は、外国の民間軍事会社に依存することで、ようやく反政府勢力に活動を抑止しました。暴力装置が内外の民間部門にアウトソーシングされたわけです。安全保障分野のほかにも、教育や保健・衛生など、国家のはたすべき役割が大きいはずのところで、外国NGOの活動だけが目立っています。これは民営化というよりも公的な領域にかかわる国家機能の瓦解といえましょう。

 こうした現象が極端なかたちであらわれたのが、「ウォーロード」(
warlord)や「犯罪国家」です。「ウォーロードとは、国家の一地方を実効支配し、そこに産出する資源を販売するなどして資金を稼ぐ武装勢力の領袖のことです。ダイヤモンドの違法取引で国連から非難されたUNITA(アンゴラ全面独立民族同盟)のジョナス・サビンビやRUF(シェラレオネの革命統一戦線)のフォディ・サンコーがその典型です。「犯罪国家」とは、政権の中枢が、麻薬取引やマネー・ロンダリングを通じた資金稼ぎなどの犯罪的行為に従事する国家をさします。2003年に崩壊したリベリアのテイラー政権は、その典型といわれていました。

 「ウォーロード」は、国家の統治がおよばない地域で私的利益を追求します。「犯罪国家」では国家機能の私物化が極端に進展し、国益が特定権力者の私的利益と同一視されます。両者の行動原理は、私的利益の追求という点で本質的に似通っています。また、いずれも統治領域内の住民から強い支持を受けてではなく、武力に依存した強権的な支配のうえに成立しています。軍事技術が進展し、武器価格の下落が著しい今日、住民の支持は――少なくとも短期的には――統治に不可欠の要素ではなくなっています。これらは、長期化する内戦のなかで、新家産制国家の論理を極限まで推し進めた統治形態といえましょう。


 家産制的な統治との関係で、インフォーマル・セクターについてふれておきたいと思います。インフォーマル・セクターは多義的な概念であり、いかなる経済活動がそこに含まれるのか必ずしも合意があるわけではありません。公式な機関(国家)による捕捉のうぬ、零細性、違法性など、インフォーマル・セクターを定義する基準もさまざまです。そのためこの概念は、時代と文脈に応じて、肯定的にも否定的にも使われてきました。当初その零細性のために、発展から取り残された貧困層の活動とみられていたインフォーマル・セクターは、
1970年代のILO報告書などを契機として、むしろ活力ある発展の担い手とみなされるようになります。その考え方は、民間部門を発展の主軸におく80年代以降の経済思想とも合致し、今日にいたるまで、インフォーマル・セクターという言葉には肯定的な意味合いが付与されています。ここでこの言葉は「中小企業」に近い意味合いで使われています。

 他方、先ほどお話しした「ウォーロード」や「犯罪国家」もまた、インフォーマル・セクターに深く依存しています。ダイヤモンドの違法取引を考えてみましょう。ダイヤモンドは、採掘人が川底の砂利を掬って鉱石を選別するという単純な方法で生産されます。反政府武装勢力の制圧地において、それは中間商人の手をへて有力者にわたり、彼らが外国の買い付け商に転売することで国際市場へ流れ込むのです。個々の採掘人によるダイヤモンド生産は、単純かつ零細な、まさにインフォーマル・セクターの経済活動ですが、こうした違法取引から反政府勢力や国際的なダイヤモンド買い付け商が手にする富派巨額なものです。ここでは、アフリカのインフォーマル・セクターに、世界各国(多くの先進国)の違法かつ犯罪的な「闇経済」が結びついています。


 アフリカのインフォーマル・セクターによせられた「期待感」は、しばしば国家の無能力さから導かれた、いわば消去法的なものでした。国家に期待できないから、インフォーマル・セクターに期待するというわけです。しかし、こうした論理からインフォーマル・セクターに期待することは、経済のグローバル化という時代状況を考えれば、ややナイーヴな印象をまぬがれません。「犯罪国家」の麻薬取引やマネー・ロンダリングにしても、違法性という点でいえばインフォーマル・セクターの経済行為です。先進国の経済主体がアフリカの国家の脆弱性を利用し(あるいはアフリカの政治エリートが先進国の犯罪組織と結託し)、違法行為を通じて巨額の富をえているのです。経済のグローバル化が進むなかで、先進国の「ヤミ経済」がアフリカにアクセスしやすい環境が成立しています。


 インフォーマル・セクターは経済発展との関連で議論されてきたわけですが、先の事例が示しているのは、国家を視野の外においたまま、ある「セクター」に発展の担い手としての役割を期待することなどできないという事実です。小規模零細な経済主体が活力に満ち、その活動信仰が重要なことは事実ですが、経済発展のために国家がはたすべき役割もまた大きく、法制度の整備など国家にしかできない機能もあります。国家とインフォーマル・セクターを二分法的に考えず、発展にはたすべきそれぞれの役割を結びつけて論じる必要があると思います。


 アフリカの国家は脆弱であり、破綻国家といわれることさえありますが、その存在感は大きいものです。一般人の日常生活においても、軍人や警官にハラスメントを受けたり、役人から些細なことで呼び出されたりなど、いわゆる国家権力と接触する機会が多くあります。それは多くの場合、不愉快な経験です。しかし、その一方で、自らの窮状を救う能力をもつものとして、人々が国家に言及する場面も目につきます。私の限られた経験からいえば、コンゴ共和国(首都ブラザヴィル)でも、ガボンでも、ルワンダでも、「レタ(
L’Etat)という「国家」を意味するフランス語が現地語化しており、農民なども「レタがなにもしてくれないから私たちは貧しい」といった文脈で、頻繁にその言葉を口にします。彼らが「レタ」というとき、イメージとしているのは国家機構の上層に位置する「パトロン」なのかもしれませんが、国家にたいする期待は総じて強いものがあります。実際、国家の統治や「ガヴァナンス」と呼ばれる問題は、アフリカの発展を考えるうえで決定的に重要な意味をもつとわたしは考えます」。(507511ページ)

ここまでで時間切れです。南部アフリカも取り上げられませんし、到底、アフリカは広いし、多様で、これは小さな出発点でしかないのは言うまでもありません。

 さらに、最近のことや多国籍資本問題、植民地主義のこと、そして、帝国主義のこと、つまり、世界支配構造の中でのアフリカのこと、日本との関わり、植民地主義の問題として「ダーバン宣言」に示された旧宗主国の植民地支配の清算問題もあります。そして、脱植民地主義、「ポスト・コロニアリズム」が取り上げる問題も。様々な矛盾の中で、アフリカで難民問題が発生し、その一部が日本にやってこざるを得ないことが少しは浮き彫りになったかと思います。でも、まだまだです。

 参考文献

『アフリカ史』(山川出版)

『シリーズアフリカ史』数巻(山川出版)

『新・現代アフリカ入門』(岩波新書)

『アフリカ史を学ぶ人の理解のために』(世界思想社)

『アフリカ革命のために』(F.ファノン)

『新書アフリカ史』(講談社新書)

など。


Photo_20



 

|

« アフリカでなぜ難民が発生するのかの理解を深めるために(資料)②東・北東アフリカ | トップページ | 主体について、スピヴァクから学ぶ »

「情報」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/57588/52073150

この記事へのトラックバック一覧です: アフリカでなぜ難民が発生するのかの理解を深めるために(資料)③東アフリカ沿岸部・スワヒリの世界、マダガスタル、バントゥ・アフリカ:

« アフリカでなぜ難民が発生するのかの理解を深めるために(資料)②東・北東アフリカ | トップページ | 主体について、スピヴァクから学ぶ »