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アフリカでなぜ難民が発生するのかの理解を深めるために(資料)①

アフリカでなぜ難民が発生するのかの理解を深めるために(資料)(2003616日)by流広志

  201361日から3日にかけて、日本政府外務省が主導する「アフリカ開発会議」(TICAD)が横浜市で開かれた。2011 311の東日本大震災と福島第1原発事故で、アフリカへの関心は表面上は薄れた。

 今年61日から3日にかけて、横浜市で、外務省が主導する第5回「アフリカ開発会議」(TICAD)が開催された。20年目の節目の年ということで、今回のテーマを「躍動のアフリカと手を携えて――質の高い成長を目指して」としている。全体として、TICADは、アフリカを「開発」対象と位置付けている(以下の図は、外務省第5回アフリカ開発会議パンフレット(外務省HP)にあるもので、会議の目的が開発(資源)にあることを露骨に示している。

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 冷戦体制崩壊後、アフリカは、債務累積問題、IMF・世界銀行からの借り入れ、それと引き換えに強いられた「構造調整プログラム」による格差拡大、福祉・教育の後退などが問題となっていた。この時期、「破綻国家」が次々と発生し、農村→都市スラム→移民という貧困層の人の流れができた。そして、2000年代になると、「世界経済の構造変化から、アフリカに再び資源ブームが到来した」(『新・現代アフリカ入門』勝俣勝 岩波新書 Ⅴ)のである。勝俣氏は、それを、「援助のアフリカ」から「資源のアフリカ」への回帰と呼んでいる(同)。

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 外務省パンフレットによると、このように、サブサハラ地域が世界経済成長率より高率で成長すると予測しており、そのことが、開発促進への誘因である。

このように、外務省は、2010年のフローでの直接投資額が5倍になったとして、今後もアフリカを有力な投資先として描いている。

パンフでは、アフリカでは多くの紛争地があり、主な域紛地が図示されている。それと並べて、以下のような自衛隊の活動を紹介している。見ての通り、「アフリカの平和と安定のために汗を流す日本人」というタイトルがつけられている。

安倍首相は、開会挨拶で、「TICADを通じて、一貫して、訴えたのが、「自助」「自立」の重要性です。そして、あくまで、「成長」を、重視する発想です。/貧困は、成長によって克服できると考えることは、私たち日本人には、当初から、自明でした。それは、アフリカの潜在力を、疑わなかったからでもあります。/自助・自立、成長重視。いまや力強い前進を続けるアフリカから、この2つを熱望する声が、澎湃と上がるのを見るにつけ、私は、TICADの行き方は、間違っていなかった、TICADが夢見た未来は、いまや実現しつつ

Photo_6あるのだと、誇りをもって、宣言したいと思います」と述べ、成長がアフリカの貧困問題を解決すると「誇りをもって、宣言」した。この思想は、会議で採択された「横浜宣言2013」「横浜行動計画」に貫かれている。

宣言の30 TICAD V戦略的方向性」は、「我々は、「躍動のアフリカと手を携えて」を基本コンセプトとし、成長を加速化するとともに、持続可能な開発を促進し、貧困を削減するために協働することを決意する」と述べている。続いて、「この目的のため、我々は、衡平性と包摂性を追求しつつ、インフラ整備や人づくり、経済の多角化、広範な分野における民間セクター主導の成長の促進を通じた開発の経済基盤を強化する。これは、アフリカ大陸における貧困削減に大いに奇与するものであり、裾野の広い中間層の創出を後押し、アフリカ大陸を世界成長の原動力に変容させる」としている。行動計画では、農業が重視されている。

Photo_7 また、こうした民間主導の開発・投資と共に、インフラ整備、教育、衛生、女性の役割の増大、リップロダクションヘルス、気候変動対策などが謳われているが、特に、平和と安定という秩序面の対策が強調されている。安倍首相の開会あいさつでは、特に派遣している自衛隊の意義が強調されている。安倍首相は、「いまさら申すまでもなく、アフリカ発展にとってすべての基礎をなすのが、アフリカの、平和と安定です。/日本は今後一層、アフリカの平和構築に、力を注ぎます。/すでに、ジブチでは、海賊対策のために、そして南スーダンでは、国家建設の一助となるために、自衛隊の諸君が、本日も、奮闘しています。また、平和の定着支援や、開発・人道支援を強化し、平和の土壌を育みます。/我が国が先頭を切って進めてきた「人間の安全保障」の取り組みに、今後とも力を緩めないのは言うまでもありません」と述べている。

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 変化するアフリカ像 

アフリカと言えば、かつては、「暗黒大陸」などと呼ばれ、未開・野蛮などのイメージが西欧を中心に作られてきたが、それも近年の研究の中では変わりつつある。岡倉登志氏は、『アフリカ史を学ぶ人のために』(世界思想社)の第1章世界史とアフリカで、まず、「時代区分」について、「アフリカ史の時代区分を試みるとき、最初に突き当たる困難は、「世界史」における古代、中世、近代という時代をとらえる概念をそのまま用いることができないこと」(同4ページ)を指摘している。そして、ヨーロッパ中心史観を批判している。ヨーロッパ中心史観は、ハンガリー科学アカデミーのE・シークが書いて1962年に刊行された『黒アフリカの歴史』に始まるという。その時代区分は、ソ連の研究を基にし、『資本論』に依拠しているという。すなわち、「(1)ヨーロッパ人の侵入以前、(2)原始的蓄積時代(1618世紀)、(3)産業資本主義の勃興期(17891870年)、(4)帝国主義への過渡期(18701900年)」(同56ページ)である。これをケニアの歴史家A・オゴットは、「マルクス主義によるヨーロッパ中心主義」と批判した(同6ページ)。それに対して、ドイツ史の上原専禄は、「アフリカ人の生活と社会というものから見たアフリカ史像の形成の必要を主張」(同)したという。17世紀の奴隷貿易拡大期以前のアフリカを、「古王国時代」とか「アフリカの古代」、あるいは「黄金貿易時代」(イスラム商人と黄金の王室独占)と一括する時代区分が一般的だったが、この時代を8世紀を境に2つに区分する時代区分が近年主張されるようになったという。岡倉氏も同意する人類学者川田順三氏の時代区分は、

(1)  アフリカ諸文化の基層形成の時代(人類の始原から紀元後1000年くらいまでを含む)

この時代は、農耕、鉄加工などの基本的な生活技術の成立と伝播によって特徴づけられ、西アジアとの接触を大きな刺激としていた。また、ローマ時代を中心とする環地中海、東南アジア、インド、アラビアからの影響をもたらした環インド洋の、2つの環大洋文化交渉も大きな意味をもっていた。

(2)  大規模な通商国家および都市の発達と、長距離交易を媒体とするアフリカ大陸内部の広範な文化交流の時代(8世紀ころから16世紀末くらいまで)

 北アフリカにイスラム・アラブが進出し、サハラ以南ではサハラ縦断交易を基礎とする通商国家(初期国家)が形成された。また、東アフリカではインド洋を媒体としてスワヒリ文化が形成された時期である。

 以下、(3)は「黒人帝国」と植民地化の時代として15世紀後半から19世紀前半までの「奴隷貿易時代」であり、いままで見られなかった環大西洋交流が脚光を浴びたことを当然ながら指摘している。それと同時に、16世紀以降のオスマン帝国の北アフリカに与えたインパクトの指摘も怠らない。(4)はヨーロッパによる植民地化(19世紀後半)から現代までをくくり、ヨーロッパの侵略とアフリカ社会の変容の関係、アフリカの国境の問題、独立後もヨーロッパの影を引きずっている現状に触れている(同78ページ)。

要するに、アフリカ内部といっても外界から隔離されているわけではなく、環大洋との関係も重要だということである。先に、フランスが軍事介入したマリ共和国も内陸国だが、北部に、国境を超えて住み、行き来するトゥアレグ人の独立運動があり、また古くからのアラブ商人の隊商の往来もあった。リビアのカダフィ政権は、長らくトゥアレグ人を優遇していたため、その後ろ盾を失ったことも、マリでの事態と関連がある(『情況』201334月号所収、「アルジェリア人質事件の背景を探る」竹沢尚一郎、「サハラ砂漠の政治人類学」嶋田義人 参照)。

現在のアフリカの国境線の多くが帝国主義国が植民地分割戦で勝手に引いたもので、その線引は、帝国主義列強同士の交渉によって決められたものである。したがって、西洋の民族国家モデルはそのまま当てはまらない。独立運動では手を握っていた諸民族や諸部族が政治的独立後に対立することもあった。その後、分離・独立したところもある(南スーダンなど)。また、現在も独立運動を続ける民族もある(西サハラのベルベル人、トゥアレグ人、あるいは、ナイジェリアのビアフラ共和国独立運動など)。マダガスカルには、古くから東南アジア系の居住者がおり、それとインド人、アラビア人、黒人奴隷などの子孫がいる。アフリカにおけるアイデンティティーは複雑かつ多様で、植民地解放―独立運動の時代には、民族主義が基調となったが、その複雑で多様なアイデンティティーはなくならなかった。

それに対して、現在のAU(アフリカ連合)につながる汎アフリカ主義という理念もある。独立運動のリーダーの中では、今日のネグリの言う解放の主体=マルチチュードと似ているネグリチュードという主体概念がサンゴール・セネガル初代大統領によって唱えられた。

広大で多様なアフリカをひとまとまりに見ることは難しく、一応、地域的に区分して見ていくほかはないが、その区分の基準が問題であり、議論のあるところである。とりあえず、『アフリカ史』(山川出版)の章立ての区分に従うことにする。

①東・東北アフリカ

②東アフリカ沿岸部・スワヒリ世界

③マダガスタル・インド洋西域島嶼世界

③西アフリカ(サヘル地域を含む)

④バントゥ・アフリカ

⑤南部アフリカ

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