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共産主義運動の主体が問題だ

 以下は、『年誌』最新号掲載の文章である。

共産主義運動の主体が問題だ

 2011年3・11東日本大地震とその後の福島第1原発事故から2年以上が過ぎた。その前から、いわゆる「アラブの春」と呼ばれるアラブ・中東地域での激動が続いていた。それから、ニューヨークをはじめとするオキュパイ運動もあった。いずれも、世界の構造を揺さぶる振動であり、大きな世界の地殻変動を示すものである。

 日本においては、3・11以降、3月末の高円寺「素人の乱」の1万人デモをはじめ、この年の秋明治公園で「さよなら原発」6万人、代々木公園10万人、2012年には、再稼働阻止国会包囲10万人と、空前の脱原発運動の結集・高揚があった。老若男女、あらゆる階級・階層を含んだ脱原発運動への登場は、60年安保闘争以来とも言われる。その運動の成功はシングル・イシュー、脱原発1点での結集ということが原因とも言われるが、実際には、被災地の動物保護の全国ネットワークや福島の子供たちの保養運動や福島原発告訴団のような東電・国の責任追求や診療所運動や原発立地地域の反原発運動のネットワークや避難者のネットワークや共産党の動員や国際環境保護団体のネットワークなど、多種多様な運動体の重層的なネットワークが同時並行的に活動を展開して裾野が広がっていたことがベースにあって、あれだけの大結集が実現したのである。キリスト教や真宗大谷派などの宗教のネットワークも動いているのである。天台宗僧侶の瀬戸内寂聴さんや若狭の真言宗僧侶の中嶋哲演さんなどの宗教者の活躍も目立つ。チェルノブイリでの被曝問題に取り組むロシアやベラルーシ、ウクライナなどの活動家との連携もあり、さらに医師の動きも活発である。原発推進派の御用学者と闘う脱原発派の小出裕章さんのような専門家が活躍しているのも大きな特徴である。あるいは、『東北学』の赤坂憲雄福島県立博物館長は、3・11後の5月には、「「脱原発は、福島にかぎってイデオロギーを超えた、現実的な将来へのシナリオでありうると、わたしは考えていた。しかし、この国のメルトダウン状態の政治屋、「経世済民」というみずからの本義を忘れた経済界のありさまを見るにつけて、もはや「脱原発」のシナリオをいま・ここから始めるしかないのだと思うようになった」(『3・11から考える「この国のかたち」 東北学を再建する』(新潮選書 10~11ページ)という具合に、知識人の認識や態度を変えて、新たに脱・反原発戦線の実践に加わっているということもある。

こうして、原子力科学者から生活や農業や漁業や医療や電力・エネルギーまで、きわめて広い土台の上で運動が展開しているのがこの脱原発運動の特徴であり、その原因は、原子力産業が、今日の資本主義生産の科学技術や生産力の大きな位置を占める産業であるということにある。メーカーである重電産業ばかりではなく、エネルギー供給の基本としてきたため、これが大事故を起こし、原子力発電のほとんどが止まってしまうと、産業全体に大きな穴が開くことになる。そこから、生産力批判や資本主義批判、あるいは文明批判まで認識や思想が進んだ知識人もある。

 もともと、電力産業は、大きな過剰設備を抱えており、それらをフル稼働させると、原発が止まっても、こうして電力供給が需要を上回っている状態を維持できる。原発稼働なしでもこの間大規模な停電が起きていないのはその証左である。他方で、アベノミクスにより、円安誘導されていて、原油や天然ガスなどのエネルギー関連の輸入価格が大幅に上昇していて、それが電気料金の引き上げにつながっている。しかし、ウランだって輸入品なので価格が上がっているのは同じことである。9月から、国内で唯一稼働していた大飯原発3・4号機が定期点検に入って、国内すべての原発が停止する。各電力会社は、原発再稼働申請を次々と行っているが、審査が終わるまではしばらく時間がかかる。したがって、昨年5月5日以降の約2カ月間、原発稼働ゼロが続いたが、今年9月から、数カ月間、またしても「原発ゼロ」になるのである。そこで、前の「原発ゼロ」の時に、再稼働阻止の首相官邸包囲が空前の規模へ拡大していったことを思えば、脱・反原発運動にとってふたたび大きなチャンスが訪れたと言えよう。この機会に運動をどれだけ大きく強くできるかは、運動主体の側次第である。そこで、それまではまだ時間があるので、この機会をとらえて、基本的なところで、運動の強化に役立つような内容の議論をしておいた方がいいと考える。

 福島第1原発事故は、空前の規模の放射能被害をもたらし、野田元首相の「収束宣言」も空しく今も収束していない。そこに示されているのは、過剰生産問題を軸にして、グローバル化している現代資本主義の問題が集中的に現れているということである。過剰資本の問題は、すでに日本でも繰り返し現れているが、今や世界的な問題であると言えよう。とりわけ、2008年のリーマン・ショックは、それを示した事件であった。2013年7月10日付ロイターは、「国際通貨基金(IMF)は9日、最新世界経済見通し(WEO)を公表し、2013年の世界経済の成長率予想を前回4月時点の3・3%から3・1%に引き下げた。14年についても前回の4・0%から3・8%に下方修正した。新興国の成長減速やユーロ圏の景気後退の長期化が理由とした」と書いているが、先進資本主義諸国での低成長は常態化しているが、その基底にあるのは過剰生産である。原発事故後、特に明らかになったことの1つに、電力各社が保有する資産が多いこと、とりわけ生産設備(発電施設)を過剰に抱えていることである。金融資本の場合は、一定期間、融資している資本を回収する期間だけ、資本が拘束される。しかし、それも、様々な金融商品の開発によって、リスクが減るように工夫されている。だが、それでも、投資リスクがゼロになるわけではない。2013年8月19日ロイター「中国の鉄鋼生産余剰能力は約3億トンと、欧州連合(EU)の昨年の生産量の倍に近い水準」にあると伝えている。7月24日ロイターは、鉄鋼ばかりでなく、「セメント、造船、ガラス」が生産過剰であると伝えている。2012年3月8日ロイター「販売低迷により欧州の自動車業界は少なくとも20%の余剰生産設備を抱えている」という。中国でも自動車が過剰生産状態に入りつつあることが指摘されはじめている。かくして、過剰生産状態が世界的に各生産分野に拡大しており、また、金融資本の過剰が大きな問題になってきていることは、ギリシャ債務危機からスペインにも波及した債務問題の拡大で明らかになっている。

そのような中で行われた本年7月の参議院選挙では、自民党の圧勝、民主惨敗という状況が生まれ、安倍自民党は連立を組む公明党とあわせて、安定多数議席を得た。対して、社民党は1議席で、敗北の責任を取って社民党福島みずほ党首は党首辞任し、消滅の危機がささやかれている。野党では、共産党のみが躍進し、大幅に議席を増やした(改選前3→8議席となり、非改選とあわせて、11議席となった)。特徴としては、野党は小党乱立で、有権者の票が分散し、選択しずらい選挙となった。それは、戦後3番目に低い投票率(52・61%)に示された。しかし、結果的に圧勝した安倍首相は、これを民主主義の危機とは捉えず、アベノミクスの継続を宣言した。

この選挙で1議席しか獲得できなかった社民党は存亡の危機を迎えている。曲がりなりにも日本で社会民主主義を標ぼうする政党がこのあり様では、日本版福祉国家という選択肢のリアリティを大幅に減じたことを誰しも認めざるをえないだろう。そのことが意味しているのは、今日の日本における階級闘争の政治目標の中に、福祉国家という選択肢を掲げる意味が減じたということである。むしろ、共産主義という選択肢の方がリアリティを増しつつあるのだ。3・11後の脱・反原発運動の中で、現体制の改良によって、問題を解決しようとする動きも大きなものとしてあるが、それはあまり大きなものとなっているようには見えない。それは、現代資本主義の都市と農村の分業や生産力、科学・技術などを根本から批判しないので、今日のプロレタリア大衆の多数の現実や意識と結びつけないのである。フェイスブックなどで、「食べて福島や農家を支援しよう」というスローガンを掲げている企業がブラック企業に分類された表が流されているが、その中に、コープ(生協)が含まれているのを見ると、生協ですら、根底からの資本主義批判がなく、だから、3・11発生時の政権で、「ただちに人体に影響はない」というとんでもない発言をした枝野官房長官のいる民主党議員を支持するというようなぶざまな状態に陥っているのだろう。資本主義的都市の解体・再編と地方・農村の変革と両者の関係の革命へと進むしかないと腹を決められなかったのである。これらをスローガン化し、運動の中へ持ち込み、新たな質の運動を形成するイニシアティブが、共産主義運動には求められているのであり、それこそ見込みのあることである。それは、すでに、『東北学』とか地域運動とか障害者解放運動とかの様々なところで、実践化され、主体形成されつつあるからである。既存の運動とその主体ばかりではなく、その外に、新たな運動の萌芽と主体が生まれつつあり、そこに着目し、そちらへと大胆に広がっていかないと、せっかくのプロレタリアートの運動の拡大の機会も失われるだろう。なぜなら、そういうこれまで左翼側の運動に参加しなかった人々が多数加わってきているが、それが一時的なものに終わるかどうかは、そういうヘゲモニーを形成できるかどうかにかかっているからである。それは、ネグリの資本主義批判が資本主義的都市化批判に達していないなど、左翼思想家の中にも問題意識が弱いということがあり、3・11は、その点での思想的弱点をも浮き彫りにしたし、それを直した新たな資本主義批判の水準を実現しないといけないという課題もつきだしたということも意味している。その点で、左翼では必ずしもないような人々からも学び、新たな解放思想を生み出さなければならないのである。

世界資本主義は、リーマン・ショック以降、それから3・11をもって、危機論主義的な意味ではなく、危機に陥っていることは誰の目にも明らかになったと思うが、そこから根本的に人々を解放を実現しうるプロレタリア・ヘゲモニーが十分に形成されていないという主体の危機があり、それを早急に克服しないでは、その課題を犠牲少なく解決することができないということは明らかである。アルチュセール、ドゥルーズ、ガタリ、ネグリ、デリダ、ガヤトリ・スピヴァク、アラン・バデュウなどの現代思想家たちが、共通して、主体を問題にし、論じていたのは、今日の革命の重要な課題のひとつが、主体の問題であることに直面し、気づいていたからだろう。日本に輸入された際に、日本の翻訳・輸入業者の知識人がそれを言わないで、主体問題の消去という思想をかれらに帰すことが多かったので、かれらが主体にこだわっていたことは、実際にいろいろと翻訳が出揃って、直に読んでみて、ようやくわかってきたところなのである。

それから、プロレタリアートの階級階層の地政学的構成や布置、地図も、3・11を通しての「東北問題」(資本の海外逃避の動きの中で、国内製造業の末端として、アジアの低賃金労働者との国際競争の下で、赤坂憲雄氏の前掲書では、織女工の時給300円という低賃金労働や外国人労働者の水産加工業での低賃金労働などが浮き彫りになった)や元々指摘されてきた沖縄の「国内植民地」(構造的差別)がオスプレイ配備問題などを通じて改めて浮き彫りにされていることなどを通して明らかになってきている。プロレタリアートの階級階層構成は、抽象的で横並び的に同じなのではなく、立体的な構造を持っていて、階層差や地域差(労働貴族や正規・非正規、産業間格差、地域格差、民族間格差など)があることがわかってきた。原発の労働編成も、東電正社員と何層もの下請け、原発を渡り歩く原発ジプシー的労働者と現地採用の労働者などがあり、それらは分断され差別化されていることが運動の中で明らかにされた。重層的な階層構造として編成されているのである。そして、電力会社に出資している金融資本が資本としての階層構造の頂点に立つという資本の階層構造もある。こうした具体的な編成・構成を、プロレタリア主体構成の地図を描かないと、総反抗としてのプロレタリア革命の主体をリアルに構成しえないことは、インドのベンガル地方出身の共産主義者ガヤトリ・スピヴァクが指摘しているとおり、明らかである。

いずれにせよ、情勢からも思想的深化の段階からいっても、共産主義にとっても、階級闘争にとっても、今は、主体を問題にしなければならない時期に入っていると考える。

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