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2013年11月

朝田理論

 石井良助氏の『江戸の賎民』には、身分は町人であるが、大道芸などの仕事をするときは非人頭の支配 を受ける乞胸の話が出てくる。一般に身分は固定的に見えるし、そういうふうに教科書的には習い覚えさせられてきたが、町民から非人になったり、その逆もあり、また、町人からエタ身分になるケースもあったということが明らかになったという。身分間の移動があったということである。そして、乞胸のような二重の身分に属するようなものもあった。なかなか難しい。ただ、ここから、こういう差別は、多様でもあり、変化するものであるということを頭に入れておかないといけないということはわかる。
 封建制度下において、政治的に身分支配が規定されたには違いないが、その中身は時と共に変化しており、近代に入ると、資本主義化の中で新たな中身の差別に転化したのである。元部落解放同盟委員長の故朝田善之助氏の「三つの命題」の1番目、「主要な生産関係からの除外」という規定は、正確ではないし、概念は間違っているが、言わんとすることはわかる。現実を直観的にではあれ、真正面から向き合って、ちゃんと捉えており、したがって、解放運動を長く続けられるだけの思想としての力を持ったのは当然である。
 朝田理論は、都市部落で言えば、明治の不平等条約の下での開国によって、列強帝国主義との競争にさらされて、低賃金・低労働条件の下で後発資本主義化せざるをえないために、初期職工の一部を非人集落跡のスラムの失業者・半失業者・雑業層から調達もし、それが、今でいえば、大企業正規・本工労働者としてではなく、零細・中小・下請けだったり、そして、短期・不安定雇用(臨時・季節工・渡り職工)など、総じて、半失業者的な相対的過剰人口として形成されたと いうことを指しているととれる(もっとも、地主や企業家(部落産業)、商人、農民などもいた)、こういう労働階層としてあると共に賎業的な扱い、差別視・ 蔑視、その集住地域への地域差別視もされるようになる。江戸時代から、中心部からの強制的な追い出し、周辺化がくり返されたが、それは何度も形成されてきた。今現在もその運動は継続中であり、それは可視的である。関西は規模が大きくて、簡単に集団撤去はできないという点が違うけども。
 差別観念を封建的観念の残存とした点は、講座派的な封建遺制論の間違いを引きずったままで、今、沖浦和光氏などの研究成果などで、資本制近代の中でそれを引き継ぎつつ、新たなかたちで再生産されている近代的な差別観念であることがわかってきたので、直した方がよいと思う。昔の朝田理論見直しの議論の時は、差別観念の問題が強く押し出されて、制度や歴史、土台の方の議論があまりなかったように記憶している。しかし、様々な研究がその後進んだことから、現時点で、再度、議論をやり直せば、意味の多い議論ができると思う。
 朝鮮の「白丁」の解放運動である衡平社の本の中で、朝鮮戦争で居住地が破壊されたために、解消されたと言われているのはちょっと疑問である。明治4年の解放令以降、各地で、解放令反対一揆が起きており、被差別部落への農民などの襲撃事件が起きており、ずっと後になっても、1924年に群馬県の世良田村事件などが起きており、差別構造は、近代になってからもある。それは、自由民権運動のリーダーとなった豪農層(色川大吉氏が強調するところの)の意識にも反映している。つまり、封建制の差別構造が近代資本主義的な差別構造へ転化する過程があり、できたのである。それが、変化する運動であるということが、江戸時代の身分構造・身分関係の歴史からも言えるということがわかった。

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