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2014年1月

都知事選と階級問題

 いよいよ東京都知事選だが、その前に名護市長選挙があり、これで現職稲嶺氏が勝つかどうかは、都知事選にも影響を及ぼすだろう。
 東京都に巣くっている「悪党」どもは、東京オリンピック利権を確保するために、うごめている。東京は、『階級都市』(橋本健二 ちくま新書)となっており、「グローバルシティ化」(サスキア・サッセン)していて、東部(ブルーカラー・貧困地域)と西部(新中間階級・中間層)と中央(ブルジョア・富裕階層地域)にはっきりと分かれてきている。階級・階層の空間化・地域化は今やはっきり目に見える。階級論としては、渡辺雅男氏の分析もあり、都市社会学の研究も進んでいる。
 都知事選は、今のところ、階級性の曖昧なまま、原発政策を焦点とするものになりつつあるが、原発問題の階級性ということは疑いもなくあり、そこまで原発問題の掘り下げが進んでくれば、それも焦点化しうる。

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階級社会について

 以下は、橋本健二氏の『階級社会 現代日本の格差を問う」(講談社選書メチエ)という本からの引用である。階級という言葉はほとんど死語扱いだったが、明らかに階級という概念がないとリアルに現実を理解できない状況が今、はっきりと見えつつある。今後、他の本も集めているところで、まず、この問題を検討する入り口として、橋本氏の以下の主張を参考に引用しておく。

1 「階級」が死語だったころ

社会科学の「常識」
 21世紀に入ってからの日本では、格差の拡大が注目を集めるようになった。「格差社会」「下流社会」などという流行語も生まれた。隔世の感がある。ほんの少し前まで、日本は平等な社会だというのがこの社会の常識だったからである。
 格差を分析するために、社会科学が古くから用意してきたのは「階級」という概念である。より幅広い意味をもつ「格差」という言葉が、使いやすさもあって広く使われているが、「階級」という言葉も、雑誌記事や一般教科書などでしばしば見かけられるようになった。しかし、この「階級」という言葉だが、最近までお日本ではほとんど死語に近かった。
 日本にも階級がある。日本は階級社会である――。一昔前にこんなことをいうと、とんでもない変人か、あるいは極端な政治思想の持ち主とみなされかねなかった。当時、具体的にいうと1970年代から90年ごろにかけては、大部分の日本人が平等幻想・中流幻想にどっぷり浸かっていて、日本には階級はないというのは、特に証明を必要としない自明の事実のようにみなされていたからである。経済学者の間でも、現代日本には階級がないか、あっても小さな意味しかもたないというのが、大方の合意となった。
 私が大学院に入って階級研究を志したのは、ちょうどそんな時期だった。教員や大学院の先輩たちに、マルクス主義に関心があって、階級の研究をやりたいなどと話すと、「今どき何を考えているんだ」というような顔をされた。ゼミや研究会の場でも、日本は9割が中流の平等な社会であり、西欧のような階級はなく、マルクス主義の階級理論は日本にはあてはまらないというのが自明の前提とされていて、誰もそれについて実証が必要だとは考えていないようだった。社会科学者にとって、社会の現状に関するあらゆる命題は実証を必要とするはずなのに、なぜかこれに限っては例外扱いされていて誰もそれについて実証が必要だとは考えていないようだった。社会科学者にとって、社会の現状に関するあらゆる命題は実証を必要とするはずなのに、なぜかこれに限っては例外扱いされていた。そして階級という概念に依然としてしがみついているのは、何かの政治党派のメンバーか、でなければ教条主義に凝り固まった一部の学派だけだというのが、私の身の回りにいたほとんどの研究者たちの理解だった。実際、歴史研究や西欧の研究の紹介の場合を除けば、論文に「階級」という言葉を使う人はほとんど皆無だった。欧文の本や論文には「class(階級)」という言葉がひんぱんに出てくるのだが、研究者たちはこれを「階級」と訳することを嫌い「階層」と意訳したりしていた。(12~13ページ)

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