3・11

主体を考える

 フェイスブックにはまってブログの更新を怠っていたら、無料広告を増やされてしまった。

 この一月の間も、世界の動きは慌ただしく、シリアの内戦への軍事介入の可能性が高まってきたり、オリンピック東京開催が決定したり、福島第1原発で汚染水漏れが判明したりと、ビッグ・ニュースはひきもきらさず、流れてくる。冷戦後、「平和の配当」なる言葉が一時広く言われたことがあったが、とんでもない! 1990年以降、戦争は常にあり、しかもアメリカが関わっているものが多い。現代資本主義はグローバル化していて、国家の再配分機能は縮小され続けていて、貧富の格差が拡大し続けている。それに対応して、新たな運動のうねりが拡大しているが、まだ分散状態にある。この間は、主体の問題を考え続けている。

 ひとつは東北主体。3・11という世界史的事件を受けたもので、これは歴史総括に関わり、同時に未来社会に関係する。これは具体性を持った主体として考察されるべきものである。プロレタリアートの解放の民俗的要素、側面としてである。この面から、民族間関係の領域と国際主義の一面と繋げて考えるという方向である。

 第2に、生産諸関係での位置と存在からの解放の主体という側面である。これを社会諸関係へと拡大していく、ネグリが言う方向で、主体の問題を考察することも含めて。

 第3に、他の階級・階層との社会的関係としての解放主体の側面。グラムシやレーニンが語ったヘゲモニーの概念と関係するような方向。世界との関係で、世界史の総括(真の世界史の開始を実現する主体という側面)。

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蝦夷、安倍、歴史と3・11

 2013年1月1日『福島民友』1面トップは「甲状腺検査医師ら「認定」」という記事である。4面には、福島県立医科大学長菊池臣一氏のインタビュー記事が載っている。医療の人材不足が最大の課題だという。県民健康管理調査は、回収率が2割強のままにとどまったままで、原発に近いところほど回答率が高いという。そこで、方針転換して、原発周辺地域を重点的に調査していくという。しかし、県立医大は、「チェルノブイリ原発事故の後、4~5年後に現地で小児の甲状腺がんが増加したことから、現在の選考検査を「子どもたちの甲状腺の状態を診る検査」と位置付けている。その後の本格検査は、20歳までが2年ごと、それ以降は5年ごとに、生涯にわたって検査を継続する」(4面)という。このように、県立医大は、子供の甲状腺がんが4~5年後に増加する可能性があると考え、対策を進めている。

 他方で、先日誕生した安倍首相は、こんなことになんら配慮を示すことなく、原発新設を示唆する発言をした。それについての県内の反応が『民友』5面に載っている。

 首相の原発新設容認発言 「なぜ今」「まず廃炉、賠償」県内首長から不満の声 「真意見極め」意見も

 安倍晋三首相が30日、テレビ番組で現在停止中の原発の再稼働にとどまらず、新規の原発建設を容認する姿勢を示した発言について、東京電力第1原発事故で住民が避難している県内の首長からは31日、「今の時期、なぜこんな話が出てくるのか」などと不満の声が相次いだ。一方で、「真意を見極めたい」と冷静に受け止める反応もあった。

 松本允秀葛尾村長は「避難している立場からすれば、(衆院選直後の)今の時期に、なぜこんな話が出るのかという思い。経済を優先する姿勢に映る」と話した。馬場有浪江町長は「国のエネルギー政策破綻を理由に、原発の再稼働、新設は認められない。まずは原発の廃炉や賠償、除染などを確立させる必要がある」と批判。桜井勝延南相馬市長は「首相が言うからには、少なくとも福島第1原発事故の後処理を全て終えてからだ」と指摘した。
 菅野典雄飯舘村長は「どのぐらいエネルギーが必要なのか、今後の日本に必要なのかなどの議論がなされないまま、『原発ありき』という考え方をすることに疑問を感じる」と首をかしげる。渡辺年綱大熊町長は「政権が代わったからといっって、(新設に対する)考え方が急旋回するのは考えにくい。もう少し真意を見極めたい」と話した。
 安倍首相は、TBSの番組で、今後の原発政策をめぐり「新たにつくっていく原発は、事故を起こした東京電力福島第1原発とは全然違う。国民的理解を得ながら新規につくっていくということになる」と発言。原子炉や安全対策の違いに着目すべきだとの認識を明らかにした。安倍首相は29日、民主党政権が決めた2030年代の原発ゼロ目標を転換する考えを重ねて示していた。(5面)

 今のところ、安倍政権に対しての評価はあまり聞かれず、本格的な反応はこれから出てくるだろう。それは参議院選挙に反映されることになろうが、少なくとも安倍総理の原発政策については批判的な声が多いようだ。われわれは、この間の民主党3年有余の政治が、アメリカの強い介入に屈する様を見せつけられ、特に外務省はすっかりアメリカの手先機関でしかないということを痛感させられた。安倍政権がそれを覆すなどまったくありえないことで、この国に主体性がないので、当然その「国民」にも主体性がなく、原発を止める力も勇気もないという情けないことになっている。長いものにはまかれろとばかりの事大主義は権力中枢に深く根付いており、自分の足で立つこともできない。安倍政権は、アメリカのポチ政権と化す。「武士は食わねど高楊枝」などという意地もなく、お坊ちゃんには他人の痛みもわからない。同じ坊ちゃんでも夏目漱石の貧乏教師の『坊ちゃん』は、強きをくじき弱きを助ける正義感があり、さわやかなもんである。

 福島県は2013年を福島復興元年として、復興を最大課題とすることを表明している。それに合わせるかのように、NHKで福島県会津を舞台とした大河ドラマ『八重の桜』を放映する。県内ニュースでもその話題が繰り返し取り上げられていた。歴史認識は急速に変化しており、教科書などはまったくそれに追いついていない。例えば、大和王朝と並行して、東北北部から蝦夷地にかけて、別の王朝があったという説がある。これは安倍比羅夫から安東氏、そして秋田氏へとつながる俘囚系(蝦夷系)の王統である。

奥州藤原氏登場前史 (ウィキペディア)

 東北地方は弥生時代以降も続縄文文化や擦文文化に属する人々が北海道から南下して住み着くなど、関東以南とは異なる歴史を辿った。中央政権の支配も関東以南ほど強くは及んでいなかったが律令制の時代には陸奥国と出羽国が置かれ、俘囚と呼ばれた蝦夷(えぞ)系の人々と関東以南から移住して来た人々が入り混じって生活していた。

 11世紀半ば、陸奥国には安倍氏、出羽国には清原氏という強力な豪族が存在していた。安倍氏、清原氏はいずれも俘囚の流れを汲む、言わば東北地方の先住民系の豪族であった。このうち安倍氏が陸奥国の国司と争いになり、これに河内源氏の源頼義が介入して足掛け12年に渡って戦われたのが前九年の役である。前九年の役はその大半の期間において安倍氏が優勢に戦いを進めていたが、最終局面で清原氏を味方に付けた源頼義が安倍氏を滅ぼして終わった。

 この前九年の役の前半、安倍氏の当主であったのが頼時である。頼時は天喜5年(1057年)に戦死し、その息子の安倍貞任は康平5年(1062年)に敗死したが安倍頼時の血統が絶えたわけでは無かった。頼時の娘の1人が前述の亘理郡の豪族・経清に嫁いでいたのである。経清もまた安倍氏の滅亡の際に頼義に囚われ斬首されたが、その妻(つまり頼時の娘)は頼義の3倍の兵力を率いて参戦した戦勝の立役者である清原武則の長男・武貞に再嫁することとなった。この時、頼時の娘が連れていた経清の息子(頼時の外孫)も武貞の養子となり、長じて清原清衡を名乗った。

 永保3年(1083年)、清原氏の頭領の座を継承していた清原真衡(武貞の子)と清衡そしてその異父弟の清原家衡との間に内紛が発生する。この内紛に源頼義の嫡男であった源義家が介入し、清原真衡の死もあって一旦は清原氏の内紛は収まることになった。ところが義家の裁定によって清原氏の所領の6郡が清衡と家衡に3郡ずつ分割継承されると、しばらくしてこれを不服とした家衡が清衡との間に戦端をひらいてしまった。義家はこの戦いに再び介入し、清衡側について家衡を討った。この一連の戦いを後三年の役と呼ぶ。

 真衡、家衡の死後、清原氏の所領は清衡が継承することとなった。清衡は実父の姓である藤原を再び名乗り、藤原清衡となった。これが奥州藤原氏の始まりである。

 この系譜に繋がる安東氏がある。    

安東氏家系(ウィキペディア)

 安倍貞任第2子の安倍高星を始祖とする系譜を伝え、津軽地方を中心に西は出羽国秋田郡から東は下北半島までを領した豪族である。その実際の家系については、『保元物語』に登場する信濃の安藤次、安藤三との関係などを指摘する説、『吾妻鏡』に登場する三沢安藤四郎との関係などを指摘する説がある。なお『安藤系図』には、源頼朝の奥州攻めに際して安藤小太郎季俊が先導をし、その子季信は幕府から津軽の警護を命じられたとある[4]。

 安東氏の後裔である旧子爵秋田家には、長髄彦の兄である安日の子孫という伝承が残っており、このため安東氏を蝦夷とする見解と蝦夷ではないとする見解の対立がある[5]が、家系伝承については蝦夷の祖を安日に求めた室町期成立の『曽我物語』の影響を受けている可能性が高いため、信憑性は低いと考えられている。ただし、自らを「朝敵」であった蝦夷の子孫であるとする系図を伝えてきたことが、北奥地方に独特の系譜認識を示すものとされている。

 近年の研究では、陸奥国一宮鹽竈神社の社人であり当神社の神領管理をしていたこと、「津軽山賊」と記載された史料があることなどから、海民、山民としての性格を持つ豪族であったとも推定されている。

 安倍氏、安東氏、清原氏、奥州藤原氏は血縁があり、姻戚関係でつながっている。現総理安倍氏もその系譜に連なっているはずである。NHK大河ドラマ『炎立つ』はこうしたことを下敷きにしていた。

 年末風邪を引いたため、ほとんど寝正月になり、そのためテレビばかり観ることになったのだが、まず、面白かったのが、NHK教育の「日本人は何を考えてきたか」という番組で、特に「南方熊楠と田中正造」の回と「大逆事件 幸徳秋水と堺利彦」の回が面白かった。それから、前回の「大本教」も。現在、歴史認識は底辺から大きく変わっていて、それと「維新の会」などの歴史認識の間には大きなギャップがある。日本人像が底辺から変わりつつあるのに、「維新の会」の橋下などの歴史認識はまったく古いままである。先に上げた3者を見るにも、民俗学と歴史学の知を併せ持つような認識を持たないと理解できない。大逆事件は、当時の検事平沼騏一郎(後総理大臣)が最初から思想弾圧を意図した冤罪事件であることは明らかである。幸徳の故郷四国高知県の四万十市に、幸徳秋水顕彰会ができて、今では慰霊式に市長も参加するようになっている。官軍と壮絶な戦いを繰り広げた会津の話が、今年のNHK大河ドラマ『八重の桜』で、その宣伝が繰り返し放送されていた。もっとも、三春は安東氏の流れをくみ、神武東征軍が奈良盆地に入るのを一度は撃退した安日王長脛彦を祖とする系図を持つ秋田氏が幕末の領主で、郷士河野広中らが官軍に降伏する交渉をし、奥羽越列藩同盟を真っ先に脱盟したところである。

 別の話で、もう一つ、東北の独自性を示しているのが、義経観である。正月に、『義経千本桜』「河連法眼館の場」を観た。福島県福島市飯坂温泉のあたりを根拠地にした佐藤一族の出で、義経の家来として活躍した佐藤兄弟(継信・忠信)の弟の忠信に化けた狐の孝行話で、義経人気の中には、奥州藤原氏とのつながりということもあると思った。話は、壇ノ浦の戦いで戦死した兄佐藤継信の敵討ち話や海に沈んだはずの安徳帝を守る平維盛などの平家の武将が登場するなど荒唐無稽なもので、宙乗りなどのケレンが見せ場をなすという派手なものだが、そのもとになった『義経記』は、物語られるなかで変形されていったもののようである。そこにも庶民の作った義経像があり、人々の愛着の深さが感じられる。「判官びいき」とは、日本人の心の特性を表すとされる言葉だが、小泉政権時代は「強い者はより強く」というそれと正反対の価値観が顕揚された。ホリエモンのような欲深き者が賞賛され、ヒーローとされた。しかし、元々、日本的ヒーローは義経の方であり、義太夫節の歌舞伎3大人気は、『菅原伝授手習鑑』、『義経千本桜』、「仮名手本忠臣蔵』で、九州大宰府に流された菅原道真、兄頼朝に討たれた義経、お取り潰しとなった播州赤穂浪士が主人公で、全て敗者である。しかし、歴史上、敗者は後に勝者となっている。関ヶ原の敗者の薩摩は、明治維新で勝者となる。平家に敗れた源氏は鎌倉幕府を開く。

 とりとめがなくなったが、歴史は弁証法的であり、このようにジグザクした動的過程をたどっており、一方から正反対へと反転し、さらに反転しと留まることなく変化しているということをつかむことが大事だということを確認したい。そこに歴史感覚、歴史的感情、感慨が生まれ、物語の情感が醸し出されるのであり、それを人々は感受し楽しみ味わうのである。そして、共感が生まれる。深い連帯の情が湧く。

 3・11前、2008年の『季刊東北学』冬号は、「東北の森一万年の旅」という特集を組み、東北の自然を取り戻すための試みを行なっている。そのためには、自然との適切な関係を人為的に作る必要があり、そういう場としての里山の形成ということも課題にのぼっていた。しかし、3・11後の原発事故は、その試みを頓挫させてしまった。森も自然もすでにずいぶん壊れていて、動物も昆虫も減少していた。植林されたままの杉林が崩落しやすいことは、熊野の那智での水害でも示された。その様子は、NHKのさだまさしの番組で元日に放送された。さだは、那智へ水害の義援金を届けに行ったが、那智の人たちから東北の被災者へ義援金を渡すように頼まれたのである。水害の被災者が地震・津波の被災者へ義援金を送ったのだ。那智の水源地帯で植林された杉林は地面ごと崩落し、川には新しい土砂が堆積し、泥水が下流に流れていっている。それは、南方熊楠が守ろうとした熊野の森を壊したことの結果であった。天然林での複雑で多層多様にからみ合って相互依存しあって出来上がっている生態系のバランスを、南方熊楠は曼荼羅として描いた(それを南方曼荼羅というそうだ)。ノートに記されたその図は、いたずら書きにも見えるが、何本もの曲がった線が錯綜して走っているものである。非対称であり、微妙である。以下の記事では、無我夢中で記憶がないというような特異な体験もあり、そこからする認識体験も生まれている。自然も人間もそうした特異なものを受けているということをより深く考えなければならないと思う。

 ベクレルの嘆き2 放射線との戦い(『福島民友』2013年1月4日 1面)
 第1部安心の尺度

 池田美智子(39)のノートには、東日本大震災と東京電力福島第一原発事故が起きた平成二十三年三月十一日からの記録がびっしりと書き込まれている。間もなく、一年十カ月がたつが、ページをめくると記憶が鮮明によみがえる。
 震災当時、美智子は双葉町の特別養護老人ホーム「せんだん」に勤務していた。東京電力福島第一原発からは約3・5キロしか離れていなかった。入所するお年寄りと何気ない会話を交わす日常は、「3・11」を境に一変した。

 経験したことのない大きな揺れが施設を襲った。美智子は、利用者を置いて逃げるわけにはいかなかった。「避難しよう」。一夜明けた十二日朝、誰からともなく声が上がった。だが、利用者をどこに連れて行けばいいのか、見当もつかなかった。
 同日午後二時ごろ、施設に一本の電話がかかってきた。受話器を取った美智子の耳に届いたのは、双葉町長・井戸川克隆の怒鳴るような声だった。「なぜ逃げないんだ。もう駄目だぞ!」
 ただならぬ気配を感じ、施設長岩本善一(65)に電話を代わった。利用者を双葉高に運び、ヘリコプターで避難させることが決まった。
 岩本は「無我夢中だった。所々、記憶がない」と当時の混乱ぶりを振り返る。
 美智子は身元が分かるように利用者全員にガムテープを張って名前を書き、双葉高を目指した。午後三時半すぎ、双葉郵便局を通り過ぎようという時だった。美智子の耳に「ボン」という音が聞こえた。後から分かったが、第一原発1号機の水素爆発だった。

 双葉高のグラウンドに到着すると、大量のほこりが降り注いでいた。自衛隊や警察が慌ただしく動き回る。「ここから逃げてください!」。防護服を着た警察官が駆け寄ってきて大声で叫んだ。

 

爆発、どこに逃げる…

 「今逃げてきたばかりなのに、どこに逃げるの…」
 行く当てを失い、再び施設に戻った。たまたま通り掛かった自衛隊員に助けを求めた。隊員がどこかに連絡を取ると、施設に何台ものジープが来た。「双葉町は川俣に向う」。美智子は、井戸川が話していたのを思い出した。利用者と共に川俣町に向かった。

 利用者の受け入れ先にめどが付いたのは一週間後の三月一九日だった。「ようやく家族と会える」。先に避難していた夫幸司(38)と長男幸矢(21)が待つ栃木県那須塩原市へ急いだ。家族と暮らすことで安堵(あんど)の気持ちも芽生えてきた。
 約四カ月後の七月五日。避難先での生活に慣れ始めた美智子の元に、岩本から電話がきた。「千葉県の放射線医学総合研究所で検査を受けることができるか」。対象は原発事故後も避難せずに双葉郡内などに残っていた住民五十二人だった。(文中敬称略)

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市民社会から民俗社会へ

 度々引用してきた福島県双葉町の井戸川町長の「この国は根本から壊れている」という発言は以下の記事でも真実であることが確認できる。

 先日、たまたま話した福島県須賀川出身の人と、そもそも3・11への政府や東電や御用学者たちの対応が根本的に誤っており転倒しているということで意見が一致した。総選挙突入を前に、3・11対応を根本からひっくり返して正常化するということを掲げている候補や政党は皆無である。そこで、われわれば、「よりマシ」という選択肢しかないことに否応なく直面させられている。3・11後、福島の人々の多くが残ってしまったという事態をどう考えればいいのか。校庭で子供たちを遊ばせても大丈夫だと安全を強調した山下俊一の言葉を怒りを持って思いかえす。やはり、よそ者はよそ者でしかないと思わざるを得ないが、県がお墨付きを与えてしまったというのも問題だ。たばこの健康被害についてはあれほど過剰に注意を呼びかけている医療界が、放射線による健康被害については全体に声が小さくなっている。医療界全体に対して不信を抱かざるをえなくなる。

 とはいえ、総選挙においては、ぜひ、脱/反原発を明確に表明している候補を多く当選させ、石原元東京都知事のような原発推進派を落選させることが必要である。この点を是非とも選挙争点として選挙に臨むべきだ。

 ところで、『季刊東北学』第10号は、「民俗学に未来はあるのか」という対談を掲載している。もともと民間学として出発した民俗学が、学問としての基礎が弱く、アカデミズムの中で周縁に追いやられている現状に対する危機感というのもあるのだが、それよりも、それまで民俗学が対象としてきた「村」の解体・消滅という事態ということが気になるところだ。その後に形成されているのは何なのか。どんな社会関係なのか、社会なのかを捉えたものが見当たらない。市民主義者は、なんとなく市民社会になっていくと思っているかもしれないが、それは西欧的基準、眼差しでしかなく、はずれである。例えば、赤坂憲雄氏は同対談で、「「民俗」は国民国家の形成後に発見され、民俗学も同様に成立したものではあれ、民俗そのものは国境を越えてもっと深く繋がっています。人類学も経済学もやはり国民国家の形成と付かず離れずに作られてきたと思います。にもかかわらず、民俗学だけが常に国家や国境に縛られて自己限定をしてきたわけです」(同15ページ)と述べている。それを受けて田口洋美氏が、「民俗とはある共同性が作り出したものであるから、純粋な日本人なんてありえないし、同様に日本文化もないわけで、初めから混合しているわけですから」(同16ページ)と言うように。

 重要なのは、「人類学のなかからも、人類学の方法そのものが極めて欧米中心のものであるという批判が起こっている。人類学が普遍を目指すものであっても、それは欧米的なものさしに基づく普遍を目指すものであっても、それは欧米的ものさしに基づく普遍であり、われわれにとってはズレの生じるものだと思います」(赤坂 18ページ)という点である。それは、現在の主な中国認識の多くが「欧米的ものさし」を使って中国認識を形成していることにも示されている。東北観もである。日本認識がそもそもそうで、現代日本の帝国主義性という認識を欠いているのがほとんどだ。前に取り上げた子安宣邦氏の中国認識(現中国指導部が清朝を継承しようとしている。清の帝国版図の回復を狙っている。等々)というのは、同時に、日本の帝国主義性があり、両帝国の領有権の主張がぶつかり合っているというふうに認識しなければ、右翼・排外主義者の認識とあまり変わらなくなってしまう。それは、先に引用した日本共産党志位の尖閣問題の主張と大差ないことになる。日本共産党の対米従属からの民族的自立(民族民主革命)は、対米関係での米帝の軍事的・政治的・経済的・文化的支配からの自立という点では一定の意味があるが、対中関係にはそのまま適用できない代物だ。それを志位は、保守派と変わらぬナショナリズムを基本価値として対米、対中と相手構わず適用しているのである。基本的な立場は「プロレタリアートは国境を持たない」マルクス・エンゲルス『共産党宣言』)ということであり、それが優先すべき価値である。その上で、戦術的、政治的な判断として、ナショナリズムとの関係をどうするかということが考えられ、立てられるべきである。尖閣列島を日本固有の領土として強く主張すべきかどうかは、それがプロレタリア国際主義の観点からプロレタリアートの利益になるという条件があるかどうかによる。現在はそれはないと判断する。現在の中国の反日運動の底には、この間の中国の改革開放路線のひずみ、矛盾への人々の抵抗が潜んでいると思うからである。この間の報道では、あたかも日系企業が一方的被害者であるという描き方がなされているが、一体、日系企業は中国で労働者をどのように扱ってきたのかということが報道されていない。見られるのは、日系企業が日本国内同様の労働者管理を行っている様子などである。

 他方で、中国海軍が空母の艦載機の離発着訓練に成功したというニュースが流れた。中国の海外権益が拡大しているのに合わせて海軍の増強が進んでいる。対して、自民党安倍総裁は、憲法9条を変え、国防軍を設けられるようにした上で、交戦権の規定を整備するという考えを表明した。総選挙の結果、自民党政権ができた場合、さっそく改憲策動が本格化する可能性が強い。もちろん、自民党は原発を推進してきた張本人で、それを根本的に反省もしていないし、総括もしていない。そしてその点を曖昧にして連立を狙う公明党は、自民党選挙を下支えする権力欲に駆られ悪欲に支配された腐敗した政党だ。こうしたものから自由な民衆のみがこの事態を根本的に変えられる。

 民俗学の閉塞状況に対して、赤坂憲雄氏は、「僕はもうムラ社会化している民俗学学会に向けて発言するよりも、むしろ民俗学のなかから時代の先端と切り結んで、新しい知の地平を拓く前衛が生まれることにしか、民俗学が活力を取り戻す道がないのではないかと思います」(同36ページ)と言う。これと『共産党宣言』の以下の部分を対照してみよ。

 共産主義者が他のプロレタリア政党から区別されるのは、ただつぎの点だけである。すなわち、共産主義者は、一方では、プロレタリアの種々の民族的な闘争において、全プロレタリアートの共通の、国籍に左右されない利益を強調し、おしつらぬく。他方では、彼らは、プロレタリアートとブルジョアジーとの闘争が経過する種々の発展段階において、つねに運動全体の利益を代表する。
 だから、共産主義者は、実践的には、すべての国々の労働者が政党のうち、もっとも確固たる、たえず推進してゆく部分であり、理論的には、プロレタリア運動の条件、進路、一般的結果を理解する点で、プロレタリアートの他の大衆にまさっている。(国民文庫 44ページ)

 すなわち、共産主義者は、民俗の中での個別特殊的な利害の対立を超え、止揚していくよう意識的に働きかけ、そのように振る舞い、その利益のために行動する(その目的を達成するのに必要な倫理を持たねばならない)。そして、そのために、もっとも確固として実践を推進していく部分であり、運動条件、進路、一般的結果を理解する点で、他より進んでいる部分である。これがこの場合の前衛の意味であり、指導でも指揮命令でも司令部という意味でもない。運動の絶えず推進する部分という点では、指導者というふうにもとれるが、それは運動の条件次第であるということも同時に示されているので、運動条件が共産主義者の指導を必要としている場合にはそれを持つこともありうるが、それは確固として実践を進めるためという目的に従属する場合にはありうるというだけのことである。

 アジアの一角である日本での階級闘争はその歴史的民俗的条件を踏まえて闘われねばならず、市民社会化から共産主義社会へという抽象的な図式に当てはめてそれをやっても徒労に終わるしかない。プロレタリア運動の条件は、民俗社会であり、むしろ、都市社会をそちらの方向に変革するという進路に向かっていくべきだろう。それは、これ以上の都市化、都市膨張は極めて危険だということが3・11で明らかになったからでもある。それは「文明転換」(中沢新一)と言ってもいいものだ。それは「直耕」(安藤昌益)者と働く者との新共同体として構想されるべきものだろう。脱/反原発運動の中の「現地と都市を結ぶ」取り組みにはそういう方向性が見える。そこに希望を見出していくべきだろう。

 すでに、ブルジョア社会は、社会にとって危険な存在となりつつあり、それは3・11後、加害企業である東電が堂々と営業し続け責任を取らないことに明らかになっている。それを許している国やなんら反省もない学者・研究者も同じである。元東大学長の蓮見重彦氏は、フランス・ブルジョアジーに憧れ、自分がブルジョアになることで、「あくせくと働く」状態から脱出しようとした。そ して、大学の独立行政法人化が進められたのだが、その結果、「原子力ムラ」の学者の無責任さに見られるとおり、エゴに凝り固まって社会責任を感じない奴ばかりが生まれるようになった。ブルジョアジーの立場に立ち、その従僕となることで、学者は利益を受けるようになった。それは蓮實氏の夢想したエリートの姿ではないだろう。学術の評価が貨幣換算されるようになれば、それは学者を金の力に屈する金の奴隷化することになるからだ。学者は、金に使われ、非主体化されるのである。なお、生活の必要を満たすのに金が必要だというのと、金に使われるというのは別の事柄である。

 倫理なき村は村ではなく、カタカナのムラであり、村ではなく、利益共同体である。このような悪のムラは解体され制裁されねばならぬ。それは、司馬遷の『史記』に登場する「天の思想」にあることだ。日本の村にも共同体の意思による制裁・裁きがある(哲学者廣松渉氏の『世界の共同主観的存在構造』のサンクションに関する論考を見よ)。それは神意による神罰という形式を取る場合もある。幻想的形態としての「罪と罰」である。また、マルクス・エンゲルスの『神聖家族』には法や刑罰の宗教的幻想形態の分析と批判がある。それは『ヘーゲル法哲学批判序説』から『ドイツ・イデオロギー』にも繋がっていく一連の法幻想批判の重要な文章である。またそこで、「批判的批判は、自分がはるかに大衆よりもすぐれているつもりでいるものの、しかも大衆にたいし無限の憐憫を感じている」(マルクス・エンゲルス全集 2 大月書店 7ページ)批判的批判の知識人批判がなされている。もちろん、共産主義者はこの世におけるこの世の人々の現実的な解放を目的としているのであって、その宗教的幻想形態での解決を目指しているのではない。それは、民俗学の未来について、先の対談で田口氏が言う「柳田国男が民俗学を立ち上げた時に、その経世済民の実践性と学問救世の実学性」という「柳田が絵に書いただけで実現しなかった初発性に立ち返る」(前掲書 22ページ)というのと似ている。

 その後、パリ時代にマルクスは、エンゲルスとの共同作業で『ドイツ・イデオロギー』を書き上げる途上で、実践を基準とする唯物論を提示した(「フォイエルバッハ・テーゼ」)。そこで市民社会を批判し(「直観的な唯物論、すなわち、感性を実践的な活動としてとらえられない唯物論が達成する最高の地点は、「市民社会」における個々の直観である」第9テーゼ 『フォイエルバッハ論』岩波文庫 90ページ)、それに対して、「……新しい唯物論の立場は、人間的社会あるいは社会化された人類である」第10テーゼ 同)と、「市民社会」という概念を古いと退けて、「人間的社会あるいは社会化された人類」という新しい概念を使っている。イギリス移住後は、市民社会の解剖学としての経済学批判に取り組む(『経済学批判要綱』『資本論』など)。赤坂氏が、民俗は国境を越えるという立場を取って、「人間的社会あるいは社会化された人類」という立場に近づいているように見えるのは不思議な気がする。それに対して人類学は人類という普遍の立場を標榜しているにもかかわらず、西欧的であるというのは、サイードが『オリエンタリズム』で示そうとしたことであったが、そこには中心―周縁という図式があった。周縁と周縁との関係はどういうものなのか、どういうものになるのか。赤坂氏はそこに展望を見出そうとしているように見える。東北と沖縄の周縁としてのつながりを犠牲のシステムの二つの現れと指摘したのは福島出身の高橋哲哉氏である(『犠牲のシステム 沖縄・福島』 集英社新書)。この問題の解明はこれからである。

福島・二本松:子供の被ばく量増加 野外活動増え

毎日新聞 2012年11月23日

 福島県二本松市が実施した市民の外部被ばく調査で、半数近い小中学生が昨年より線量が増えたことが23日、市民への報告会で発表された。市調査では空間放射線量は昨年比約3割減っており、市の放射線アドバイザーを務める独協医大の木村真三准教授は「昨年は制限された体育の授業や部活動など屋外活動が増えたため。影響が大きい子どもや妊婦は長期的に気を使うべきだ」と指摘している。

 今年の調査は6?8月のうちの2カ月ずつ、乳幼児?中学生と妊婦ら8327人に個人線量計を配布。6721人のデータを回収、年間線量を推計し分析した。昨年もデータがあり今年と比較可能な小中学生ら4344人中1969人(45.3%)は被ばく量が増加。うち46人は1.5ミリシーベルト以上も増えていた。

 全体の平均値を昨年と比べると、小学生は0.07ミリシーベルト減の1.40ミリシーベルト、中学生は0.06ミリシーベルト減の1.40ミリシーベルト。ただ、今年調査した小中学生4210人の76%(3190人)は、一般人に許容される年1ミリシーベルトを超えていた。

 調査人数が昨年より4667人も減ったことから、木村准教授は放射線から身を守る意識が低下していると指摘。「記録を残すことが万が一の健康被害への備えになる」と呼びかけている。【深津誠】

安倍総裁:国防軍改編時には交戦規定を整備(11月25日 毎日JP)

 自民党の安倍晋三総裁は25日、テレビ朝日の番組で、自衛隊について「憲法9条の1項と2項を読めば、軍は持てないという印象を持ち、分かりにくい。詭弁(きべん)を弄(ろう)することはやめるべきだ」と述べ、自衛隊を「国防軍」に位置づけ直す必要性を改めて強調した。

 自民党は衆院選公約で憲法9条を改正し自衛隊を「国防軍」にすることを掲げており、安倍氏はこうした党方針を踏まえて発言した。

 安倍氏は「自衛隊をきちんと軍として認め、そのための組織も作り、海外と交戦するときには交戦規定にのっとって行動する。シビリアンコントロール(文民統制)も明記する」と指摘。自衛隊を国防軍にする場合は、戦闘時の武器使用基準などを定めた交戦規定を整備する考えも明らかにした。

 自民党公約は、憲法改正について「平和主義は継承」とする一方、集団的自衛権の行使や国防軍の保持を掲げた。

 4月に発表した憲法改正草案でも、戦力の不保持と交戦権の否認を定めた憲法9条2項を、集団的自衛権の行使を容認する表現に見直す考えを示した。

 一方、野田佳彦首相は25日、同じ番組に出演し、自衛隊を国防軍にすることについて「名前を変えて中身が変わるのか。大陸間弾道弾を飛ばすような組織にするのか。意味が分からない」と語った。【鈴木美穂】

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「3・11以後の現在 安藤昌益の思想を考える集い」に参加して

 11月4日、北千住の東京電機大学で、安藤昌益を考える会実行委員会主催の「3・11以後の現在 安藤昌益の思想を考える集い」に参加した。講演は、佐藤栄作元福島県知事、外岡秀俊氏(元朝日新聞東京編集局長)、色平哲郎氏(佐久総合病院地域ケア科医師)、竹下和男氏(元小学校長、「弁当の日」運動家)、田中優子氏(法政大学教授)というものである。

 安藤昌益は、1703年(元禄16年)秋田藩比内二井田(現秋田県大館市)に生まれ、京都で医師の修行をし、八戸で開業した。その後、ふるさとに戻り、そこで没した。彼は、武士=支配階級を否定し、「直耕」の思想を唱えた人である。その没後250年の記念の年ということでこの企画があったようである。北千住は、昌益の書いた稿本『自然真営道』の保管者で「北千住の仙人」と呼ばれた橋本律蔵がいたところである。明治に入って、第一高等学校(現:東京大学)校長・狩野亨吉が雑誌『内外教育評論』1月号に論文「大思想家あり」を発表し、昌益思想を紹介したのが1899年(明治32年)である(安藤昌益資料館HP関連年表http://www.shoeki.org/?page_id=25より)。安藤昌益資料館のHPには、「世界最初のエコロジスト」というキャッチコピーが付けられている。

 講演者が共通して言っていたことの一つは、真の思想家は地方というか「辺境」から出るということである。例えば、外岡氏は、氏自身が北海道出身で現在札幌にお住まいというが、東北の思想家として、安藤昌益、宮沢賢治、石川啄木を並べ、さらに、後の二者をつなぐものとして、『遠野物語』の話者の佐々木喜善氏の名前をあげている。『遠野物語』は柳田国男の創作物ではない。この本に収録されている物語を語り伝えてきたのは、遠野の人々であり、それを収集・記録した佐々木氏のような人である。柳田がいかにそれを彼の主観的目的に合わせて編集したにしても、そのことがベースにあり、それは消しようがないのである。ただし、ここで言われている「辺境」は「辺境性」という性質を持っているということである。それは都市にもあるものだ。

 日本青年会議所の活動家から参議院議員をへて福島県知事になった佐藤栄佐久氏が、唯物論者安藤昌益の思想の影響を強く受けていたというのは興味深いことであった。また、安藤昌益の「直耕」思想は、イギリスの唯物論者でマルクス主義者で『ユートピアだより』の作者のウィリアム・モリスの思想と通じるものがあると思われる。それに、イラク戦争反対決議を唯一決議した都道府県が佐藤栄佐久知事時代の福島県だったというのもすごいことだ。

 話が飛ぶが、『物語批判序説』という本を書き、物語批判論者の中心人物と看做されている蓮實重彦(元東大学長)が物語の否定論者ではないということを、『情況』1990年10月号のインタビューで述べている(〈不快〉からの闘争 魂の唯物論的擁護をめぐって)。「僕が「物語批判」という場合、物語は悪いと言っているわけではありません。ただ「物語」の支配に屈していながら、それに無自覚でいることが「不快」だということです」(53ページ)というのである。彼が『物語批判序説』でやろうとしたことは、ブルジョアジーらしいブルジョアジーを本格的に登場させることであり、階級闘争を鋭くすることであり、今なら新自由主義と呼ばれるような古典派ブルジョア思想を実現することであったという。氏は、正義=不正義という価値基軸ではなく、功利主義者ベンサムと同じく、快―不快という価値基軸を据えるととれるようなことを言っている。しかし、それも、「私のいう「快―不快」は、問題体系というよりは反応の基準といったものであり、批判も「不快」に対する批判であって、「不正に対する批判ではない」(53ページ)というもので、一望監視システムの監獄を設計したベンサムとは違う。ベンサムは、明らかに、「快―不快」と「正義―不正義」を結びつけていた。だから、氏の場合、それは快楽の実現ではないし、不快の原因に立ち戻るのでもない特殊な組織化が必要となる。それは「その場で不快さへの闘いを組織すればいいだけのことです。その組織の方法はまだわれわれの視野に入ってきていないけど、おそらくその視野そのものを確立する闘いが必要だということではないだろう」(同)というものである。つまり、それは、視線とその視野の組織化ではない。だから、氏の「快―不快」は基軸ではないということになる。氏は、快は快であり不快は不快で、それらは別々の領域だというのである。

 それから、問題を問うこと。それはアルチュセール的なものもあるが、ここで氏が取り上げているのは、19世紀に生まれた社会問題である。それは、「自分を含むより多くの人々を代表しつつその問題を解決しなければならないという人種」である「知識人」の中心的な問題が「貧困」や「富の偏在」という問題であったというのである。氏は、それはジャーナリズムが問題化する時に、現実を消してイメージとして問題化するのが問題だという。このインタビューがあった1990年は、日本がまだバブルの余韻に浸っていて、格差はあったのだが、貧困問題は解消しつつあると広く思われていた時期である。これはその中での発言である。貧困問題に限らずジャーナリズムは、問題をイメージ化することが多く、そのことは3・11問題にも現れている。マスコミの多くが、今や復興モードに入って、復興問題のイメージ化を盛んに行っている。しかし、福島の現実はそのイメージのスムーズな流通を妨げる刺のような存在になっている。東京電力は、福島攻めを本格化させて、本社機能の一部を福島に移すという。福島は、「原子力ムラ」との闘いの最前線になりつつある。福島の意識の高い闘争主体は少なくなってしまったが、残った人々の中から闘いが立ち上がり、新たな闘争主体が生み出されている。かつては「原子力ムラ」の側にいた首長たちの何人もが、今は東電・国の責任を追求して闘っている。福島原発告訴団第2次訴訟団は1万人を超えた。

 蓮實氏は、「……僕の立場は……間違いなくブルジョア的といわざるをえない…」と述べている。それに対して、山口昌男や吉本隆明までは、「戦後民主主義幻想に乗った階級無しの思想」(59ページ)だという。「それに対しそれ以降の現代思想といわれる言説の形成は、高度経済成長期が失わせたといわれたブルジョアジーが、嘘みたいに生きていた現実であると僕は思います」(同)という。今日の格差社会の進展を見れば、先見的である。彼はエリートの登場を待望する。しかし、氏自身はエリートではないという。では、エリートとはどういうものか。蓮實氏は、「知的なエリートは、単なる秀才ではない。絶対に経済的格差を実現し、ある種の人々を抑圧する」(61ページ上段)存在であるという。そして、フーコーについて、「あの当時のフーコーのほうが、今の僕より絶対的に金持ちだったんです。あの当時、72、3年の頃ですが、経済的余裕、つまり余暇、研究に注げる時間など、彼の方が今の僕に比べて絶対的に優位なんですね。明らかに彼はエリートであるということができると思うんですけれども、僕はあくせくという言葉がピッタリの生活をおくっているだけです」(61ページ下段)という。つまり、この当時、蓮實氏は、ブルジョアジーとプロレタリアートの間にある小ブルジョアジーあるいは中間層だったというのである。

 最後に、「イメージなき思考」というドゥルーズ的概念についての質問に対して、氏は、「それはベルグソンに帰ることだと思う」(64ページ下段)と答えている。そして氏は、ベルグソンにおけるイメージが、心象ではなく、「ほとんど現実の同義語」(同)で、「物語批判を物語というイメージに寄りかかって批判するということ」(同)、「物語やイメージの恐ろしさというものを知っていない人たち」(同)を批判するという課題を掲げている。それは、「物語のイメージではなくてまず物語があり、まずイメージがある、それがわれわれを突き動かしていることの恐ろしさを知らない」(同)からだというのである。

 われわれは常に物語っており、それが現実でイメージより先にある。つまり、物語る者が現実の主体であり、その担い手は、物語る者たち、すなわち民衆である。かれらが現実を動かしているのであって、歴史の主体であるということになる。もちろん、誰からだろうと学べるものは学ぶが、ブルジョアジーを標榜する蓮實氏とプロレタリアートの立場に立つことを意識的に選択しそれを標榜する私は当然対立する立場にあることを言っておかねばならない。ただし、レーニンに従って、小ブルジョアジーや中間層などは、こちら側に立つ限りは「敵」ではないということも。

 安藤昌益の話に戻ると、外岡氏は、「辺境」という言葉を使っているが、「辺境」からは、中央を媒介しないで世界と繋がるような思想、世界性を持つ思想が生まれるのだというようなことを述べていて、そういう思想家として東北の宮沢賢治と石川啄木をあげている。印象的なのは、東京で思想形成をした森鴎外や夏目漱石が今では解説なしには読めなくなっているのに対して、賢治と啄木は今でもそういうものなしで読めるという違いをそういうかたちで説明したことである。マルクスやレーニンのものにもそういうものを感じる。マルクスは死んだのレーニンは終わったのと言われつづけながらも、未だに世界中で多くの人々に読まれ続けているのはそういう理由もあるのだと思う。トロツキーにはそういうものを感じない。スターリンはもちろん日本共産党志位にもそれを感じない。彼らには特異性と普遍性、世界性を同時に包括する思想性を感じないのである。3・11は、こうした思想性をもった思想家を生み出さざるをえないほどの深い歴史的事件だったと思うし、そういう思想家が生まれて欲しいと思う。

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最近のこと

 人々の脱・反原発意識は根強いものがあるが、民主党野田政権はそれに応えることがまったくできないことがますます明らかになっている。

 10月19日付『福島民報」の1面トップは「仮の町 26市町村受け入れ意向 分散型14、集中型5など」という記事である。すなわち、「東京電力福島第一原発事故で避難している自治体の町外コミュニティー(仮の町)整備で、福島民報社は十八日までに、仮の町構想を掲げる四町を除く五十五市町村の意向を確認するアンケートを実施した。約半数に当たる二十六市町村が「受け入れの意向がある」と回答。整備形態については十四市町村が「分散型」、五市町村が「集中型」、四市町村が「どちらでも可能」、三市町は「未定」とした。受け入れる理由として、避難自治体を県全体で支えるべきとする答えが目立った」(同1面)というものである。被ばくについての県民調査を県は進めているが、回収率が悪いということが問題になっている。その際に、この調査の目的として、被ばくによる症状の治療のために役立てるということは、山下県立医大副学長の言葉としてひとつも出てこない。「安全」という前提があるために、治療が必要になるという想定が表向きは取られてないためである。しかし、実際には、子供の医療費無料化や各種の検査が実施されており、また、「自主避難者らの「がん検診」 県内全域で可能に 県が推進計画 来年度にも体制整備」(同)という記事が載っているように、健康被害が今後出てくることを想定した対策を取っている。山下をはじめとする県医療界に、福島の人々の命を守る、命を救う、真剣に治療するという姿勢や熱意が感じられず、医療不信を強く感じさせるような態度しか見えない。これは、メタボリック・シンドローム対策や喫煙対策などが規定されている健康増進法は、「「健康は国民の義務」をスローガンとして行っていた『ナチス・ドイツ政権の反タバコ運動』に酷似するものであるとして、健康ファシズム・禁煙ファシズムなどと揶揄され、一部有識者などによって批判もされている」(ウィキペディア)というもので、そもそも国家=厚生労働省と結託している官側の医者の言うことなどとうてい信用できないということをも示している。山下が福島の人々の健康と命を真剣に守ろうとしていることを信用できるような材料は今のところまったく出てきておらず、その逆に、福島の人々の健康や命をまったく真剣に考えていないということを示す言動しかしていない。かつて原爆投下直後に広島に入って研究データだけを集めていって、それをまったく治療に役立てなかったアメリカのABCCの研究者たちと同じことをやっているようにしか見えない。彼は福島に研究者としてきているのであって、真摯な治療者、真剣に人々の命を救う医者としてきているとはとうてい思えない。山下が福島の医療界を牛耳っている限り福島の人々の命は危ないと見ざるを得ない。

 他方、孫崎享氏(元外交官)の、尖閣諸島などの領土問題を仕掛けているのは、アメリカであり、それによってアメリカのプレゼンスを示しているという仮説がある。つまり、アメリカは沖縄の米軍基地の存在意義を示しているというのである。ちょうどこのタイミングでオスプレイ配備があったことを考えると、それももっともと思える。しかも、まるで実験飛行でもしているかのように好き勝手に沖縄上空を飛び回っている。実験飛行というのは正解なのではないか。あるいは示威行動である。そして、またしても米兵によるレイプ事件が起こり、それを森本防衛大臣は「事故」と言っているという。当然沖縄からそれに対する抗議の声が突きつけられている。これは犯罪であり事件である。加害者と被害者がいる。それをごまかす発言をする大臣を任命した野田には任命責任がある。また、尖閣列島問題での日本共産党志位の発言は、「固有の領土論」という政府と同じ見解に立つもので、「狼どもの国際法」を容認しているのだから、領土問題の武力解決をも許容するということになってしまい、もし中国軍なりが島を軍事占領したら武力で反撃する以外にないということを認めることになる。かつてフォークランドの領有をめぐってアルゼンチンとイギリスが戦争をしたことがある(フォークランド紛争)。それは、遠い過去のことではなく、サッチャー政権時代の1982年のことだ。領土問題を強硬に主張することは、戦争を呼び起こす可能性があり、それに対する備えとして、軍事力強化への圧力を強めることになる。その覚悟なしに、こういうことを言うことが理性的で冷静なことだとはとうてい思えない。

 先週は慌しく、福島と京都へ行ってきて、疲れ気味だが、ポストモダン派というか、現代思想派の政治、権力闘争というものについて、このところ、考えざるをえない出来事が起きている。それは、たとえば、ミクロ権力とかいう概念を駆使しつつ、権力闘争を仕掛けていたポストモダン派の学者たちが、今や、若手ではなくベテランになり、権威となってきているので、それをどう考えたらいいか、あるいはどう対応したらいいかというようなことを真剣に考えざるを得くなっているということである。そこで、子安宣邦という人の『日本近代思想批判』(岩波現代文庫)という本を入手して読んでみたのだが、これがあまりにも内容がないので驚いた。これは、ある種の概念を作って、それを対象に当てはめて批判するというだけのもので、自らの積極的主張もなければ、内容の対置もない。ただ批判だけしている貧相な文書ばかりなのだ。たとえば、ある種の問題のある視線を指摘して、それを柳田国男に当てはめて、一国民俗学だと決め付ける。ところが、それに代わる氏の考える「常民像・史」がない。先の戦争についても、暗い部分を見るのを忘れてはならないというのみで、一体氏がどういうところを暗い部分と見ているのかは書かれていない。民衆史は、「常民」の記憶の語り、物語の中で記録され継承されるものがなければ、まったく存在し得ない。そうしたら権力側の記録からしか民衆の姿は見えなくなってしまう。それでは、民衆というものが存在しないようになってしまう。あるのはただ抽象的な視線とやらとそれによって見出され構成されたイメージとしての学的構築物のみである。だから、全体的な印象としては、この人は、民衆というもの、あるいはその概念を抹殺しようとしているとしか見えないのである。具体的な個人すら、「視線」というものに抽象化されているが、それは、方法的な概念であり、抽象物でしかないということをすっかり見失っている。そんなものを万能の道具化して振り回しているのだ。それにどんな意味があるのか理解できない。こういう上から目線には単純に感覚的にカチンとくるが、それは正しい感覚であると思う。内容がなければ、ただ権威が残るだけである。あれはお偉い先生が書いたものだから大したものであるに違いないというような。しかし、この手の先生方はそういうものと闘ってきたはずではなかったか。

 ポストモダンな思想家と言われるミッシェル・フーコーは監獄という国家暴力装置と現実に闘った人、国家権力と闘った人である。ところが、日本でフーコーをやたら振り回す知識人のなかに、国家権力と闘っている人がいるだろうか。いそうもない。それどころか、逆に、国家権力の側に立っている者がいる。これは、師の生き方とはまったく反対の、師に対する裏切りであり、冒涜以外の何ものでもない。こういうことは子供でもわかるようなことで、それをいくらレトリックで覆い隠そうとしても隠せるものではない。バレバレである。フーコーを振り回して国家権力と闘わない者と闘うことはフーコーに忠実なことである。かつて権威と闘った青年知識人も今や自ら権威となっている。長老政治の弊害も、議会政治の中では多少は問題にされているが、知識人世界の中でももっと問題にされてもいい。そこにどっぷり浸かっている若手も同じである。

 「転向」は恥であるという感覚を保持すべきである。保守派や右派は「転向」を現実的態度と称するが、そう言いながら、かれらは自己の人格が薄汚れ曲がっていったことを多少は自覚する場合がある。かれらは自己の人格がおかしくなっていくことを少しは嘆いてもいる。年をとってからその歪みを正そうとする者もいる。それには、まだあまりねじ曲がっていない人格の若い者から学ぶ必要がある。そうでなければ、歪んだ人格が周りに悪影響を与えないようなところに引っ込むべきだ。そうして、この方面で、よき社会への前進の道が整えられるようになるのである。

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福島テーゼをめぐって

 『別冊東北学』を今揃えつつあり、同時に、柳田国男の東北論である『北国の春』を読み始め、宮本常一の本も入手した。

 ここまできて、ようやく、福島テーゼを書けるような気がしてきた。テーゼの大きなヴィジョンは、大雑把に言えば、福島の脱原発根拠地化、社会変革の根拠地化、つまりは革命根拠地化である。

  それを考えるために、少し柳田の考えを見ていく。例えば、『遠野物語』に一緒に入っている「山の人生」は衝撃的な事件の記録の紹介から始まっている。

  三十年あまり前、世間のひどく不景気であった年に、西美濃の山の中で炭を焼く五十ばかりの男が、子供を二人まで、鉞で斫り落としたことがあった。
 女房がとくに死んで、あとには十三になる男の子が一人あった。そこへどうした事情であったか、同じ歳くらいの小娘を貰ってきて、山の炭焼小屋で一緒に育てていた。その子たちの名前はもう私も忘れてしまった。何としても炭は売れず、何度里へ降りても、いつも一合のコメも手に入らなかった。最後の日にも空手で戻ってきて、飢えきっている小さい者の顔を見るのがつらさに、すっと小屋の奥へ入って昼寝をしてしまった。
 眼がさめて見ると、小屋の口いっぱいに夕日がさしていた。秋の末の事であったという。二人の子供がその日当りのところにしゃがんで、頻りに何かしているので、傍へ行って見たら一生懸命に仕事に使う大きな斧を磨いでいた。阿爺(おとう)、これでわしたちを殺してくれといったそうである。そうして入口の材木を枕にして、二人ながら仰向けに寝たそうである。それを見るとくらくらとして、前後の考えもなく二人の首を撃ち落としてしまった。それで自分は死ぬことができなくてやがて捕らえられて牢に入れられた。(93~4ページ)

 次に生き残った女性の似たような話が続く。こちらは子供を道連れに無理心中しようとして自分だけが助かって刑務所に入れられた女の話である。一家三人が紐で体を結んで一緒に川の淵に飛び込んだが、気がつくと、夫は死にきれず木の枝に首を吊って死んでおり、赤ん坊は滝壺の上の梢に引っかかって死んでいたという。柳田はどうしてこんな悲惨な話を最初に持ってきたのだろうか。

 柳田は「自序」で、このような研究の意味を、新知識を求めること、その手段としてこれまで顧みられなかった面が多々あり、それに「今われわれが手を着けているのだということと、天然の現象の最も大切なる一部分、すなわち同胞国民の多数者の数千年間の行為と感想と経験とが、かつて観察し記録しまた攻究せられなかったのは不当だということと、今後の社会改造の準備にはそれが痛切に必要であるということとは、実地をもってこれを例証しているつもりである」(88ページ)と述べている。おそらくは、社会改造の必要を訴える例証なのだろう。

 3・11後、痛切に感じるのはそのことであり、人々の3・11体験が記録されず、あるいは風化させられ、いつの間にか忘れ去られていくのではないかという恐れを抱く。それで、「原子力ムラ」の責任逃れが意図的に行われていることに抵抗し闘っていかなければならないという決意を強めるのである。責任追及。これが今福島での大きな課題であり、それが3・11体験を風化させないことになるのである。

 柳田国男が「山の人生」冒頭で山の民の悲惨な事件を紹介して導入部としているのは、このような「同胞」の体験を記録し、それが社会改造の課題のありかを示すものだからであろう。柳田は民俗学を「経世済民」の学、すなわち経済学と考えている。しかしその経世済民の方向が、稲作の普及による富の増大としているところに問題があったというのが赤坂憲雄氏の柳田批判である。それは、今日、9・11テント一周年(とつきとおか完了日)で経産省包囲で福島県会津のかんしょ踊りを踊っていた三春町の武藤頼子さんの『福島からあなたへ』(大月書店)という本の中で、森の中で木の実を拾って料理して食べる生活のことを語っているが、そういう森の木の実や動物、魚や虫、あるいは焼畑などの畑作を組み合わせながら、自然の多様性と食の多様性を結び合わせて生きる生き方、生活様式を、稲一色に単色化してしまう。これは民族的であると同時に普遍的である。武藤さんが言っているように、それは縄文的である。狩猟採取民的、原始共同体的であり、それは日本列島だけにあったものではない。赤坂憲雄氏もそういうふうに歴史学や民俗学をやっていこうとしているのだが、上野千鶴子氏は、「わたし」主義歴史観で歴史をなで切るので、近代以降の歴史にしか射程が届かない。そういう立場から赤坂氏の「いくつもの日本」の試みを「しょせん新国学か」とレッテル張りして片付けようとした。『東北学』vol.6では、赤坂氏・上野氏・姜尚中氏・三浦佑之氏の対談「〈新しい歴史〉とは何か 国民国家の帰趨と戦争の記憶」を行っているが、これも国民国家=近代明治国家以降の話である。

 福島テーゼのもう一つの課題である技術論については、近代的分業批判の文脈で、モリスというイギリス人マルクス主義者の考えが参考になるかもしれない。福島県当局も浪江町などの復興計画も脱原発を前提としたエネルギーの地産地消を掲げていて、それは小コミュニティー単位での発電を想定したものだ。大電力を安定供給するために大規模発電設備を必要とするのは、大工場や高層ビルなどの電気を大量消費する施設があるためだ。それは大規模な分業と協業によって大量生産するためで、モリスはそれに反発して職人的生産を対置したのである。そのモットーは芸術と生活の一致であったという。それに宮沢賢治も影響を受けたという。小規模発電の組み合わせによるエネルギー生産体制は、従来の生産様式とはマッチしないで、別の生産様式への移行を促すかもしれない。

 また、技術論では、武谷三男氏が「人間の自然に対する問題において、技術論はまた認識論であると共に、実践を解明するものである。認識と実践の論理が一致する事がマルクス主義の特徴という事が出来る」(『理論』昭和23年12月季刊第7号 89ページ)としてカント主義を批判し、さらに「……現在の大部分の哲学が何ら役に立つ総括を行う事が出来ないのは、まさに具体的な問題と取つ組まないからである」(同91ページ)「具体的問題と取組まない概括は解釈哲学なのであり、変革には何の役にも立たないのである」(同)」と述べていることは、基本的には継承すべきである。「現実問題と取組まない限り、哲学の総括は解釈にすぎない。そしてその様な総括はマッハ主義でも、その他の観念論によっても何によっても行いうるものである。哲学自身の有効性を問題にし、それを失敗と成功に於いて鍛えるとき初めて、解釈からぬけ出す事が出来るのである」(91ページ)というのも継承すべきだ。ポスト・モダン哲学は失敗したので鍛えないと復活は望めないのだが、そういう学者はアカデミズムの世界の恩恵に浴しそれを怠ってぬるま湯につかったままなので、それができないでいる。甘えるんじゃない! 自らを千仞之谿に落として這い上がってこい! と言いたくなる。思想・理論は実践の指針として実際にちゃんと働くものでなければその名に値しない。今の多くの学者は、主人に奉仕する限りにおいて多少の特権を与えられている存在にすぎなくなっている。

 それから、認識に対する実践の優位ということも継承されなければならない。そして、歴史の原動力が無名の民衆であることの確信を固く持つこと。民衆と共に歩む時にのみ、インテリは歴史形成の主体となるということを肝に命ずることである。天狗党、中国共産党の長征の成功、キューバ革命の成功、いずれも、それが成功の原因であり、民衆からの略奪・収奪を行わず、民衆に支えられながら進んだのである。逆に末期の体制は、腐敗やモラル低下などによって、半分は自滅のようにして滅びていく。まさに今の西欧諸国のように。そして日本もそれに追いつきつつある。原発事故の責任を誰も取らない。まさにモラルが崩壊している。井戸川双葉町長が、「日本の国が壊れている」(「情況」所収「双葉郡民を国民と思っているのですか」)と言っているように。毎日のように警官がハレンチ事件、女性差別事件で捕まったりしている。話が飛んだ。技術論は具体的に語らないといけないので、まだ時間がかかるということがわかったということである。

 とにかく、3・11で責任を取るべきものが責任を取らないのは許すことができない。これが現在の福島の主要課題である。そして被ばくの問題、医療の問題がこれから重要になってくるということ。地震大国日本には54基もの原発があるので、全国各地に原発事故による被ばくの可能性があるということを忘れてはならない。

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『遠野物語』

 図書館で読んだだけの『遠野物語』を入手して改めて読んだ。岩波文庫版なので、「山の人生」も入っている。

 遠野は意外と海に近く、峠を越え下ると、釜石に出る。田の浜というところに婿に行った福二という男が、大海嘯(おおつなみ)で妻と一人の子供を亡くした後、ある夜、妻と男の二人連れの霊を見る。男は結婚前に妻と親しかったという者である。彼は、妻を追いかけて呼び止めたが、「今はこの人と夫婦になりてありというに、子供は可愛くはないのかといえば、女は少しく顔の色を変えて泣きたり」(99 63ページ)というのである。山の民と海の民の間の交流を物語る話だ。彼は、津波での家族の死に対して、「死したる人と物いうとは思われずして、悲しく情なくなりたれば」(63~4ページ)という具合に、相手を死者とは認識しないで悲しんでいる。100は、船越村の漁師が吉里吉里からの帰り道に狐に化かされた話である。その前、98は、「路の傍に山の神、田の神、塞の神の名を彫りたる石を立つるは常のことなり。また早池峰山・六角牛山の名を刻したる石は、遠野郷にもあれど、それよりも浜にことに多し」(63ページ)とあるが、なぜそうなのかは書かれていない。なぜ、山の向こうから浜の家に婿を取るのか。海と山のネットワークの実際はどういうものだったのか。

 『遠野物語』は最初の方から、地名のアイヌ語由来の注が出てくるなど、「いくつもの日本」のベクトルを感じさせるが、それも曖昧なまま投げ出されている。

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脱原発運動に対して

  『週刊ポスト』のインタビューでは、官邸前デモの目的は原発再稼働反対のシングルイシューだと主催者の一人が述べている。そして、22日には、野田首相とかれらは面会するという記事が以下である。政治音痴なのかどうか、インタビュアーの上杉隆氏は、「会った瞬間、政治的には勝ちだと思う」(49ページ)ととんちんかんなことを述べている。デモの目的は再稼働阻止と言っているではないか。獲得目標を達成できないのに勝ちとはどういうことだろう。わけがわからない。同じくわけがわからないのは、どんな根拠があるのかわからないが、彼女が一小グループがビラをまいたり旗を立てたりしたぐらいで運動が乗っ取られると思いこんでいることである。そんなことがこれまで実際にあったのか。警察と馴れ合って運動が自滅したことはイラク反戦運動の時に実際にあった。この記事の裏に、「与野党協力を「新しい政治文化」と持ち上げる新聞の気味悪さ」という連載があるが、警察と馴れ合っているのは、原子力ムラと馴れ合っているのと同じと感じられないことに気味悪さを感じる人は数多くいると思う。今後そういう人が増えてくるだろう。すでに運動内に分岐が現れてきており、それは秋にはより鮮明に出てくるだろうが、その時にはこんなお粗末な内容しかなくてはとうてい運動の牽引役になれないことは明らかだ。

 また、7月の官邸前デモの参加増加には、大飯現地闘争や7・16代々木17万人集会の刺激もあって、官邸前デモの大結集があったことを認めなければならない。それから、警察が作り出して広めている様々なイメージに操作されないように気をつけなければならない。公安警察は、活動家の女性を誘惑して情報を聞き出したり(男性活動家に対しても)、金を使って活動家を腐敗させたり、盗聴器を仕掛けたりして、運動潰しをやっていたことがこれまで何度も暴露されている。それは調べれば誰にでもすぐにわかることだ。いずれにしても、敵や敵の側にいる人たちとはできるだけ接触せず一線を画すべきだ。警察は「原子力ムラ」の側にいる。真摯に運動の発展を願っているなら、けっしてかれらと馴れ合ってはならず、厳しく一線を引いて対応すべきである。

原発再稼働抗議:首相、22日に市民団体メンバーと面会
(毎日新聞 2012年08月21日) 

 野田佳彦首相は22日午後、原発再稼働への抗議活動を毎週金曜日に首相官邸前で行っている市民団体のメンバーと官邸で面会する。官邸ホームページでインターネット中継する。当初は8日を予定していたが、消費増税法をめぐる与野党対立の余波で延期され、日程を再調整していた。

 市民団体側は関西電力大飯原発(福井県おおい町)を含めた全原発の停止や、脱原発政策への転換などを求める見通し。首相は政府の新たな「エネルギー・環境戦略」に関し、将来的に原発依存度をゼロにする場合の課題を検討するよう指示したことなどを説明し、当面の原発再稼働に理解を求める考えだ。【岡崎大輔】

 

 脱・反原発運動をめぐって                by流広志2012・8・11

  3・11東日本大震災・福島第一原発事故の発生は、日本社会をも、他の国の社会にまで衝撃を与え、大きな影響を及ぼしている。そのことは、人々の目にはっ きり見える形である。すなわち、それは、今、大飯原発再稼働に反対して毎週金曜日の夕方に官邸前に結集する10万人規模の集会デモの姿に象徴されている。
  3・11とは何か。それは、2011年3月11日に発生した東日本大震災と巨大津波による未曽有の災害であり、その後の福島第一原発事故による被災のこと である。8月8日現在で、死者1万5868人・行方不明者2848人(警察庁警察庁緊急災害警備本部 2012年8月8日発表 「平成23年(2011年) 東北地方太平洋沖地震の被害状況と警察措置」)で、阪神大震災の死者6434人・行方不明者3人をはるかに上回っている。先日、ある電力会社幹部社員が原発事故による直接の死者はなかったと言ってひんしゅくを買ったが、その発言は、以下の日経新聞記事が伝える震災関連死の中に、福島第一原発事故後の避難中の死者や津波被害にあった生存者の捜索打ち切りによる死者などが入るということをまったく無視したもので、問題外の妄言である。   
 原発事故の発生に対して、政府・東電の初動のミスが原発事故調査報告で明らかにされている。    

 死者・不明2万人に 震災1年、1407人は関連死 (日経新聞2012年2月11日)
東日本大震災で、避難生活で体調を崩すなどして死亡した「震災関連死」が岩手、宮城、福島、茨城、埼玉の5県で1407人にのぼることが10日、日本経済新聞のまとめでわかった。地震の揺れや津波による直接の死者・行方不明者とあわせると2万人を超えた。
 各自治体が設けた審査会が、遺族からの申請に基づき認定した件数を聞き取り、集計した。
 県別で最多は福島県の639人。南相馬市249人、いわき市67人などが多い。宮城582人、岩手160人、茨城25人、埼玉1人だった。
 震災関連死と認定されると、遺族に災害弔慰金が支払われる。1995年の阪神大震災では死者6434人のうち921人が震災関連死だった。

 3・11は、震災と原発事故(史上最悪のレベル7 チェルノブイリ原発事故と同様 原子力安全・保安院 2011年4月12日発表)が重なり、未曽有の事態となった。その後、原発事故は世界に衝撃を与え、ドイツで大規模な反原発集会デモが繰り返され、キリスト教民主同盟の伝統的な基盤であったドイツ南西部バーデン・ビュルテンベルク州の州議会選挙で、連立与党が敗北し、 環境政党・緑の党が躍進したりして、原発推進に舵を切ろうとしていたメルケル政権を脱原発の方へ押し戻した。そして、スイス、イタリアなどで脱原発が選択される。

  日本では、4月10日高円寺で素人の乱(松本哉ら)が呼び掛けたデモに若者を中心に1万5千人(主催者発表)が参加。3月末ぐらいから4月には、いわゆる 高円寺系、エコ系(代々木公園)、原水禁・平和フォーラム系(芝公園)の三者が首都圏での反・脱原発運動の三大勢力となる。4・30渋谷・原宿デモ、1万人(逮捕2名)。同時に、ボランティア、支援活動が広がる。福島では、「子供たちを放射能から守る福島ネットワーク」系の活動が取り組まれる。6月11日、新宿デモ1万人(12名不当逮捕)、経産省包囲成功(1300人)。6月26日、福島市で1000人のハンカチ・パレードが行われる。7月31日原水爆禁止世界大会福島 大会、福島で開催。原水禁、8・6広島、8・9長崎、8・11沖縄。9月11日経産省包囲(1500人)、経産省前テント設置座り込み闘争開始(9条改憲阻止の会など)。9月16日、明治公園6万人集会(さよなら原発1000万人署名運動)。第2・第3テント設営。10月27日~29日まで、「原発いらない福島の女たち~100人の座り込み~」(のべ2300人)。10月30日~11月5日まで、全国の女たちの座り込み(のべ1880人)。11・11経産省包囲成功。この頃、経産省によるテント撤去策動強まる。右翼によるテント攻撃激化する。12月10日、未来を孕むとつきとおかのテントひろば行動開始(第2テント)。12・11経産省包囲成功。テント年末年始アクション。
 2012年。1月14~15日、横浜で「脱原発世界会議 2012 YOKOHAMA」(参加者は、海外からの約30カ国約100を含め、初日6000人、2日目5500人、あわせてのべ1万 1500人。会議はインターネットで全世界に中継され、約10万人が視聴)。2・11さよなら原発1000万人アクション(代々木公園、1万2千人)。3・11、1周年、「原発いらない、福島県民大会」(郡山、1万6千人)、国会包囲(1万4千人)など全国各地でアクション。3月25日、福井県小浜市の中島哲演住職が月末までのハンスト開始。3月29日首都圏反原発連合有志の官邸前アクション(金曜デモ)開始(300人)。3月31日、福島の女たちが中島氏への連帯ハンストを開始。4月10日、大飯現地の原発再稼働反対監視テント設置。4月17日、テントひろば、集団リレーハンスト開始。5月5日、さよなら原発1000万人アクション、芝公園集会(5500人)。テントひろばで原発ゼロを祝うアクション。この日、唯一、稼働していた北海道電力泊原発3号機が定期検査のため停止した。原発稼働ゼロ後の再稼働問題が焦点になる。6月8日、野田総理、大飯原発3・4号機の再稼働を表明。6月11日、福島原発告訴団の第一次告訴(1324名、団長武藤頼子さん)。6.15緊急!原発再稼動許すな!首相官邸前&関電本社前抗議(官邸前1万人)。首都圏反原連有志主催の金曜デモが、再稼働表明後、膨れ上がり、万単位の規模になる。6月30日、大飯原発再稼働阻止行動、道路封鎖、座り込み。7月1日、座り込みの反対派を実力排除し、大飯原発3号機起動。7月13日官邸前デモ(15万人)。7月16日、さよなら原発1000万人アクション、代々木公園集会(17万人)。7月20日、官邸前アクション(反原連有志主催、9万人)。7月29日、国会包囲行動(反原連有志主催、20万人)。8月3日、金曜デモ、国会前、官邸、官邸裏、環境省包囲、経産省正門前行動、原子力規制庁人事も争点に。8月6日広島、9日長崎、原水禁世界大会。その他無数の取り組みがある。

 再稼働をめぐっては、財界(日本経団連)主導が鮮明になった。春から、相次いで大企業幹部の再稼働要求発言がマスコミで報道される。再稼働に抵抗していた 関電大株主の橋下大阪市長が態度変更、再稼働容認へと転じた背景に財界の強い圧力があったとされる。地元の再稼働要求が強く、反対派が声をあげづらいという立地自治体の原発依存の問題が鮮明になった。

 福島現地では、県当局をはじめ脱原発が県民多数意思となっており、原発立地町村の首長も脱原発を表明している(「「脱原発」という考え方の下、原子力に依存しない社会を目指し、環境との共生が図られた社会づくりを推進。このため、国及び原子力発電事業者に対し、県内の原子力発電所についてはすべて廃炉とすることを求める」(「福島県復興計画(第1次)」2011年12月)。井戸川双葉町長の発言(「情況」2012年5・6月合併号所収、「双葉郡民を国民と思っているのですか」)。浪江町「災害を繰り返させないため脱原発、エネルギー政策の見直しを提起し続けるとともに、エネルギー自給自足のモデル地域の実現を目指します」(「浪江町復興ビジョン」4月19日発表)。浪江町、双葉町ともに、町政の基本として、多様な選択肢の用意を掲げていて、より細やかな対応を基本理念として掲げている。町民自治の民主主義的方向を示しているのが特徴的である。

  開沼博(東大博士課程、いわき市出身)は、『原子力ムラはなぜ生まれたのか 「フクシマ論」』(青土社)で、「国内植民地論」を基礎に、なぜ福島県の「福島のチベット」と呼ばれた貧しい双相地方に原発が作られたのかを明らかにしようとしている。旧宮沢派の参議院議員から福島県知事に転出した佐藤栄佐久元福島県知事は中央支配から脱出し、対等な関係を作ろうとして中央とぶつかったが、それは中央の地方支配抑圧を媒介する「原子力ムラ」の形成を梃子として「国内植民地」とされてきたものとの衝突だったということを指摘している。浪江町などの復興計画の中で、自治の基本を個人の意思の尊重、選択肢の多様化においているのは、開沼の言う「原子力ムラ」が温存して利用している「封建性の残余」の払拭による中央支配の脱却という志向性を示したものと言えるかもしれない。
 1955年の原子力基本法制定後、双相地方の地域開発の柱として原子力発電所を誘致するにあたって、堤康次郎(西武創業者、衆議院議員)が戦後払い下げを受けて塩田を経営していた土地(双葉海岸長者ヶ原)があった。原発を誘致した大竹知事の当時の秘書の証言がある。「堤さんとは、古くからのつき合いのようで……大竹さんが衆議院議員のころ[六〇年~六三年]、堤さんから相談がありました。「君の県の浜通りに、塩田があるのだが、今はもう塩は海水から直接取れるようになったから、要らなくなった。君なら、長い手形でいいから引き受けてくれないか」ということでした。今の大熊町の、原子力発電所になっているところです」(『フクシマ論』青土社258ページ)。

 1960年代後半、第2原発立地が進むが、浪江・小高原発立地はできない。すでに公害問題が大きな社会問題として浮上していたのである。開沼は、同書で、原子力の三つの捉え方として、「戦後成長の基盤」(経済)、「地方の統御装置」(政治)、「幻想のメディア」(文化)をあげている。このことが、戦後の成長を支えてきた周縁の中心への従属を生みだしているというのである。そこで開沼が指摘していることで重要なのは、周縁化されてきた人々の原子力イメージの歪みともいうべきものである。反対派を「変り者」としつつ、村の一員の中に位置付けて受け入れるというような態度の形成ということがある。共同体の構成し直し、意味づけ直しが行われ共同体秩序の中に再統合するというようなことがある。
 しかし、3・11は、共同体の中心―周縁関係を揺るがしている。それは、赤坂憲雄が提唱する「いくつもの日本」へというベクトルとも重なっている。開沼は、都市部での脱・原発運動に対して、地元の生活(経済)への配慮がないと反発している。しかし、共同体の象徴的次元、想像的次元の存在を無視しては、批判は一面的となる。それでは、浪江町のエム牧場の吉沢さんのような闘いを理解できなくなる(「情況」2012年7・8月合併号所収、「ベコ屋の戦闘宣言」)。中心―周縁関係を両端で解体する共同闘争が都市と地方で同時に行われなければならないのである。中心は、エネルギーの消費地として特化させられていて、エネルギーの生産の主体たりえないようにされている。そのため、電力不足キャンペーン、「電気が使えなくてもいいのか」という脅しに屈服を余儀なくされたりする。

 『世界』2012年9月号、「人がデモをする社会」という文章で、柄谷行人氏は、集会(アセンブリ)をデモと一体のものとして考え、デモは手段であると同時に目的であるとして、カントの道徳法則論を軸にした提起をしている。それは、代議制民主主義からアセンブリ民主主義への移行であり、民衆主権社会への移行であるというのである。「人々が主権者であるような社会は、代議士の選挙によってではなく、デモによってもたらされる。私が「人がデモをする社会」と呼ぶのは、そのような社会である」(同書101ページ)。彼の「個人がデモに参加しているように見える場合、実際は、その個人は誰かと一緒に、つまり、アソシエーションとして参加しているはずである。ただ、それはこれまでの共同体(村、町、労働組合、同業組合)が解体されたあとに生まれたアソシエーションである。個人が参加するデモが可能になるのは、そのようなアソシエーションがあるときだ。ばらばらに切りはなされたアトム的個人がデモに来ることはない」(同99ページ)というときのアソシエ―ション化が、浪江町の復興計画に現れている。個人の自発性を重んじた共同体建設が復興の基本理念となっているのである。3・11が明らかにしたのは、まさに赤坂憲雄が言う民俗学のフィールドの解体、すなわち旧来の共同体の解体が東北で進んでいたという事態であった。旧来の東北の再生(共同体の再生)はもはや不可能である。「ふるさと」という歌はそうしたイメージがあり、こうした実態を反映していない。もちろん、原発に代わる別の「地方の統御装置」を作ることではどうしようもない。被災地においてもアソシエーションの形成が課題となっているのである。

 福島では、今後、チェルノブイリ化が進むことが確実である。被曝の影響、健康問題、生活問題が複雑に絡み合った諸問題が次々と生起することは明らかである。そこで、福島を支援する取り組みが長期的に重要な課題となる。

 全国的には、再稼働阻止、現地――首都を結ぶ闘いの構築が求められている。その際には、戦術と同時に、中央―地方(周縁)関係の変革も必要である。その他、緑の政治、官僚、政党再編(民主党分裂、小沢派、大阪橋下「維新の会」)……も考えなければならない。運動上の諸問題(現地闘争、反原連などの街頭アクション、テント、市民運動、デモの評価、職場・地域、被曝労働、国際連帯、原発輸出……)もある。 思想上の諸問題(技術論、「平和利用論」、環境社会学、科学社会学、階級階層問題、等)も問われる。

 夏以降、運動内の諸傾向の鮮明化が進み、分岐を生みだす可能性が高い。その場合に、例えば、福島における避難問題をめぐる分岐なども、議論と経験を通じて克服する必要がある。年齢差・個人差などがあり、被曝の影響は多様で、被曝の状態もところによってまちまちである。対応も多様である必要がある。アソシエーションの構想。旧来の行政区分にとらわれず、成員の条件も開かれたものとして。例えば、地元の人々が簡易宿泊所に一時滞在して原発で作業する人を「大阪から来た特殊技能者」とか「黒人」とか表象している「流動労働者」(開沼博 前掲書)も含めて、また支援者も含めたアソシエーションとして形成するというような方向で地域を再生することである。なぜなら、廃炉作業にはこうした労働者が必要不可欠だからである。同時に中央をそうしたアソシエーションに再編し直すということが都市部・首都圏の人々の課題となるのではないだろうか。それが共産主義運動そのもののことであることは柄谷の指摘するとおりだろう。その時に、直接民主主義=集会デモ(アセンブリ)民主主義が民衆権力の形態であるという柄谷の構想についてはまだ議論が必要である。他方で、「テントひろば」は、民主主義という視点から見た時に、どうなのか。そのことにどれだけ意識的であるのか。それから、表象をめぐる政治的闘いもある。片仮名表記の「フクシマ」の像はどのような効果をもたらしているのか。そして、街頭と地域・職場を結ぶ闘いの構築はこれからの課題だけれども、その中で、未来を構想し、綱領としてそれを提案していくこと、テーゼの作成と提示ということも課題としてある。その際に、科学技術と社会というテーマも問われる。「緑の党」が提出しているテーゼの批判的検討も必要だ。「脱植民地化」が福島の課題であることは開沼の指摘することから明らかだが、それは都市の「脱植民地化」という課題と結びつかねばならない。この点では開沼は中央をほぼ首都と同一視していて、中心の中の「国内植民地」、サスキア・サッセンが指摘したようなグローバル・シティの構造にまだあまり目が向いていない。開沼の論には、オキュパイなどの都市下層の運動領域と「原子力ムラ」の関連について無自覚であるという限界がある。福島における新しい共同体創設としての復興と都市部の縦構造の解体と新たな共同体の創造という事業を結びつけるような運動の構想が必要である。

 総体として、脱原発で何十万何百万人が行動しているなど、情勢は極めて流動化している。そして、3・11が提出している課題は、「革命的」な解決を要求している。それに対して、総合的な力を運動が備える必要性が高まっている。綱領・戦術・組織の新しいレベル・内容・質が求められているのは明らかである。議論の内容、水準を早急に高める必要がある。そのような議論の場を作り活動を始めることである。当面、政治的には、野田政権の解散総選挙ということが焦点となり、脱原発候補をどれだけ国政に送り込めるかということが課題として浮上するのは間違いない。とはいえ、それは、根底的な社会変革の構想と結び合わされなければ、根本的な解決策につながらないということを意識しておかなければならない。

 緑(ウィキペディア)

 1983年、河西善治が西ドイツ(当時)緑の党をモデルとした「東京緑派」(DIE GRUENEN) を結成し、参院選に東京選挙区より出馬している。比例区ではMPD・平和と民主運動(現市民の党)への投票を呼びかけた。
  1986年、元第四インターナショナル活動家太田竜らが「日本みどりの党」を結成。その後太田派と非太田派に分裂、太田派は「日本みどりの連合」を結成し た。その後、「みどりといのちのネットワーク」として再統合、大石武一らの推薦を受ける。同時期、水の浄化を訴える「環境党」が結成されている。また、重 松九州男らを中心に結成された「日本世直し党」も「日本版緑の党」を名乗っていた。
  1989年、山本コウタロー、北沢杏子、円より子、田嶋陽子らを中心に環境保護とフェミニズムを掲げる「ちきゅうクラブ」が、また、作家の今野敏や元三重大学教員の坂下栄、反原発運動・環境保護運動の活動家らを中心に「原発いらない人びと」が結成された。共産主義労働者党や第四インターナショナルなど一部 の新左翼勢力は「原発いらない」を支援した。
 1992年の参院選では、前述の「みどりといのちのネットワーク」「ちきゅうクラブ」「原発いらない人びと」を統合した環境政党「希望」(代表は藤本敏夫)が立候補した。
 地方政治においては市民運動出身の無所属地方議員の連絡組織「虹と緑」、新潟県の地域政党「緑・にいがた」(旧「市民新党にいがた」)などが該当する。
  1998年頃より保守リベラル政党であった新党さきがけが環境政党として再出発を表明。後に代表となった中村敦夫は黒岩秩子と共に院内会派「さきがけ環境 会議」結成。2002年、「みどりの会議」に改称。三木武夫・三木睦子夫妻の長女で無所属の参院議員だった高橋紀世子と中村が所属。2004年の解散後は 「みどりのテーブル」に活動を引き継ぐ。
 2007年、みどりのテーブルが中心となって参院東京選挙区に「無所属共同候補」として川田龍平を擁立し、当選する。また、司法書士の黒田恒一が環境社会主義党を結成して参院選に出馬することを表明したが、直前で出馬を辞退した。
  2008年、川田龍平は、みどりのテーブルから離脱した(その後、2009年にみんなの党に入党)。みどりのテーブル・虹と緑が合流してみどりの未来を結成し、「みどり」系の地域政党・地域政治団体との連携を進めながら、地方政治および国政において「みどりの政治」の実現を目指すことを表明した。
 2009年には、元自民党員の長友清冨が森海党を結党し、各種選挙に出馬している。
 2012年2月には前述のみどりの未来が「緑の党」を結成することを発表する一方で、思想家中沢新一・宮台真司らが「グリーンアクティブ」を立ち上げた。 グリーンアクティブの政治部門は「日本独自のエコロジー政党」である「緑の日本」を名乗り、マエキタミヤコらが所属する。
 2012年7月28日、みどりの未来を母体とした「緑の党」の結成総会が開かれ、会員投票の結果、正式名称が、緑の党 Greens Japan となったことに加え、2013年参議院選挙の比例区、次期衆議院選挙の比例東京ブロックに候補者を擁立する方針を発表した。
 なお、日本で「緑の党」を名乗る団体も存在するが、これは日本労働党から分離した新左翼党派であり、本項の「緑の党」と理念がまったく異なっているので、創設者(三橋辰雄)の姓から、「三橋派として区別される。

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福島にて5

 8月17日の『福島民報』『福島民友』の1面はまったく異なるものになった。『民報』は、「3・11震災 断面 要介護・支援増加続く 双葉郡8町村の認定者 入所待機余儀なく 原発事故前の1.3倍 財政圧迫も」であり、左に尖閣上陸 14人きょうにも強制送還」『民友』は「尖閣不法上陸 14人きょうにも強制送還」が1面トップである。下に「原発依存、着実に低減」として、いわき市、郡山市を訪ずれた古川国家戦略相が、「将来は原発のない社会を目指し、着実に原発への依存を低減させていく」と述べたと伝えている。他方で、「編集日記」は、ロンドン五輪でのビデオ判定の例をあげつつ、東電が公開した福島第1原発事故後の社内会議の映像が、公開対象が限定されたり、映像や音声が修正されたり、録音や録画が制限されているのに対して、「被災者を含め国民の知る権利に答えず、全面公開をしぶる東電の姿勢に疑問や不信感が残る」(1面)と東電を批判している。古川戦略相は、川内村民との会合で、福島第1原発5、6号機と第2原発の「再稼働はあり得ない」と述べた。

 『民報』トップの入所待機者問題というのは、双葉郡8町村で、東京電力福島第1原発事故後に増え続ける要介護・要支援者を受け入れる介護施設が満杯で、待機している人が増えているというものである。しかも介護従事者が不足しているという。「県、双葉郡8町村は大詰めを迎える来年度予算の概算要求を見据えて今後、予算確保に向けた要望を強めてたいとしている」(1面)。

 古川戦略相が「再稼働しない」と述べたことで、東京電力福島第1原発5、6号機、、第2原発全機の運転はありえないことになった。もともと福島県内で電力供給しているのは東北電力であった。2面には「用水路発電手続き簡素化」という記事があるが、これは、国交省が「小水力発電の導入を後押しするため、農業用水路に設置する際の手続きを簡素化し、水利権を持つ農家などの同意を得れば国や都道府県の許可を不要とする方針を決めた」というものである。農業人口比率が他府県より比較的高い福島県では有力な発電方法の一つだ。海岸もあるから海上風力発電も有力だし、温泉が多いので地熱発電も有力だ。すでに、布引高原には風力発電基地がある。福島が原発依存脱却の道を先に進むことは可能だ。それに対して、従来型のやり方でうまくいっていないのが「安定雇用助成金」制度で、このへんにも、旧来の仕組みが機能不全になっていることが現れている。

社説 安定雇用助成金 被災地の実情に合う対策を(『民報』5面)

 政府が東日本大震災の被災者雇用対策の柱と位置づけている長期安定雇用に向けた助成金を使って4~6月に採用が決まった人は、本県、宮城、岩手の3県で計3917人と、本年度の計画のわずか9%にとどまっていることがわかった。

産業復興の遅れで企業の利用が低調なためとみられ、このままのペースが続くと、本年度の助成金の支給は計画の半分にも達しない可能性があるという。被災者の本格採用は来年度以降と想定されることから、被災地からは実態とかみ合わない雇用対策に疑問の声も上がっている。
 特に本県の場合、東京電力福島第1原発事故の影響で今も避難生活を強いられている被災者が大勢いる。政府は、助成金の交付期間を延長するなど、被災地の実情に見合った雇用対策を目指すべきだ。
 この雇用対策は「事業復興型雇用創出助成金」で、介護事業や先端的なものづくりなど、産業への中核を担うと期待される企業を対象に交付される。本年度の計画では、本県は1万4千人の雇用を見込んでいるが、4~6月に支給が決まったのは1884年にとどまっている。
 利用が進まない最大の要因は、復興の遅れにほかならない。さらに、助成金を受けるためには本年度中に事業を再開することが条件とされている。原発事故に苦しむ本県の現状からすれば、来年度以降の操業再開も助成対象に認めるなど条件の緩和を検討してもらいたい。
 創業を再開したくても、第1原発の立地周辺地域は立ち入りもできない。県は「原発事故でインフラ復旧もしていない地域がある」と訴えている。政府は、被災地の声にもっと耳を傾けるべきだ。
 助成金は、1年以上か期間を限定しない雇用契約で被災者を採用した場合、1人当たり最大で225万円(3年間)が企業に支給される。長期雇用をつくり出すのが狙いで、約1500億円の予算が計上されているが、企業にとって使いやすい助成金でなければならない。
 厚生労働省は「復興が進めば利用も増えるはずだ」としているが、本県の復興までの道のりは険しいと言わざるを得ない。長期間を見据えた雇用対策が必要だ。
 助成金の支給対象は、製造業や環境関連、医療・介護など政府の重点事業に限られているが、本県などは独自に対象事業を拡大していおり、周知も重要だ。できる限りの支援を続けながら、操業再開の輪をさらに広げていきたい。
 肝心なのは、被災者の働く意欲を失わせないことだ。働くことを望んでいる一人でも多くの被災者の雇用の確保のため、政府には被災地の現状をしっかりと把握しながら、企業の操業再開に向けた助成金の弾力的な運用に努めてもらいたい。

 結局、政府の復興策はばらまきにすぎず、予算をつけておけばなんとかなるだろうという従来型で、被災地の実情にまったく合ってないものが多いということである。これは、中央の目には周縁が見えない、あるいは歪んだメガネを通して、中央に都合のいい表象でしか被災地の姿が見えないということを示している。それは官僚や政治家やマスコミばかりではなく、官邸前デモの主催者の目に、脱原発を阻んでいる障害が、自己の内部ではなく、外に表象されるサヨクやネトウヨであるように見えているということにも同じことが言える。警察は、原子力ムラの側、つまり、野田総理の政治意思を遂行する立場にあることを認識していないというのは認識不足である。警察はイベント会場の民間警備員ではない。『週刊ポスト』のインタビューでは、デモ参加者を数に抽象化したり、参加者を圧力手段として見たり、革マル派を「警察とわたしたちの「共通の敵」」と言ってみたり、参加者を「原発は要らないっていう純粋な気持ちで来ている」と勝手に表象してみたり、等々と、とうてい、これからの大衆的な脱原発運動を牽引できる内容を持っていないことを自己暴露している。敵というからには、打ち負かすべき相手であるということであるが、それを警察と共通にしているという発言はしゃれにならない。権力と馴れ合って腐敗せずに持続した運動など見たことがないし、それがまっとうな市民運動とはとうてい思えない。それから、セクトというのが狭い意味で使われているようだが、民主党もセクトであり、鳩山はセクトの幹部でありその一員である。アンチセクトというなら反民主党セクトまで徹底して貫くべきだ。権力と馴れ合っていると運動を腐敗させるだけだ。彼女の言う意味でのセクトは、わたしの見るところでは、10万単位の数の中では微々たる数でしかない。なによりも再稼働を推進し決定した連中こそ反原発運動の第一の敵でなければならないのに、財界・国・電力会社を敵とはっきり指摘していないのは納得できない。かれらこそ主敵である。かれらを主敵とはっきり名指しして、かれらと闘う姿勢をはっきり示さないのはおかしな話だ。そして、その主敵の側で仕事をしているのが警察であることはごまかしようがない。どうしてそんな子供でもわかることをごまかすのか。それもまったく納得できない話だ。それから、『フクシマ論』の開沼博氏には、それが自己の内部ではなく、システムの一部にする脱原発デモのように見えるということに現れている。そのへんのメカニズムについては、スラヴォイ・ジジェクを参照されたい。どんなシステムにも攪乱や綻びがある。それを支えてきた欲望も変化している。ムラの人々は、外部からの訪問者(フィールドワーカー)に対しては、そういう人用に物語るのは当たり前で、あるいは若者が来れば若者用に物語るというだけのことにすぎない。その奥にさらに深い物語が控えている。その奥深さをいずれ思い知ることになるだろう。それを恐るべきだ。つまり、そこにやがて達するだろうという構えを準備しながら、原子力ムラの欲望と闘うべきなのである。それなしに、脱原発もないし、原子力ムラの支配システムの解体もない。原動力・エネルギーがなければシステムも動けない。

 近年でもっとも大きな「神話=大きな物語」(赤坂真理)であるソ連東欧体制崩壊は、資本主義の勝利などではなく、自滅であり、その大きな要因がチェルノブイリ原発事故にあることは今では明白である。アフガン戦争の敗北もあり、チェルノブイリ原発事故の後、人々がソ連政府を信用しなくなったのである。また、永遠に繁栄するはずの資本主義西欧が黄昏を迎えていることは、自分で自分を欺かないでものを見れる人なら誰にも明らかである。共産主義に対する資本主義の勝利などというお話はまったくの幻想にすぎずデタラメだったことは今では誰でもはっきりわかることだ。こんな途方もないデタラメなほら話、神話に全世界の人々が何十年も騙され続けてきたのは恐るべきことだし、無駄なことだった。「終わりなき日常を生きろ」(宮台真司)という格率は崩れた。日常は終わるのである。原発安全神話もまたそうした神話の一つだったことは明らかで、脱原発が未来の避けがたい選択であることは、ウラン埋蔵量が少ないという一事だけでもわかる話である。

 盆踊りの時に、保守系元町議を含む同級生たちから、次々と強く手を握られたのはなぜかと考えていたが、どうやら、それは国や東電としっかり闘えという意味だったのではないかと今は思っている。

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福島にて4

 16日は盆踊りのため新聞を読むことができず、17日帰京、それからも忙しく、新聞を読んでる時間がなかったので遅れてしまった。

 16日『民友』の一面は、トップに「尖閣上陸14人逮捕」、左に「森林除染不要見直し」となっている。地元紙であるが、死者が出るような可能性が低い尖閣列島領有問題が先にきている。このような人も住めないような島の領有をめぐって紛争が生じるのは、海洋資源、漁業資源、200海里経済水域の問題があるからだ。絶えず自分のものだと意思表示し続けることが必要なので、こういうことが繰り返されることになる。しかし、今、「いくつもの日本」、「いくつもの中国」へというベクトルが強まる時代になりつつある。もちろん、そこでは日本が先んじている。

 例えば、同級生と昔語った地元の独立が再び語られるようになった。それは周縁化への闘いの開始の宣言である。それなしに福島の真の復興はない。中心―周縁関係が近代化の1世紀半をかけて日本では形成されてきた。その仕掛けたるや見抜くのも大変で、なんとなく感じるものの、見えなくされているものである。それを見抜く目を養ってくれるのは、『ミメーシス』(アウエルバッハ)や『オリエンタリズム』(サイード)や『東北学』(赤坂憲雄)などである。3・11原発事故はそれをよく見えるようにした。しかし、どんどんまた風景の書き換えが行われ、それを隠す表象が修復・再配置されつつある。書き換えは、8・15戦没者追悼式典での野田首相の「我が国の安定と発展を願い続けた戦没者のためにも、私たちは、東日本大震災からの復興を通じた日本再生という使命を果たしていかなければなりません」というように行われる。ここでは、復興が戦没者の願いをかなえるための日本再生話に接木されている。

 しかし、それを暴露し、それを許さない出来事がある。例えば、『民報』3面には「双葉病院の患者搬送政府事故調最終報告書 「真実 半分も分からず」」という記事がある。復興話の前に、被害実態の解明と責任の問題が明らかにされなければならないのに、まだわかっていないことが多いのである。これは大熊町の双葉病院の高齢患者21人が避難中に亡くなったという事件である。院長の鈴木市郎氏は、インタビューで、解明されてない点として、「避難指示が出た昨年3月12日朝から13日まで、双葉病院だけが救助されなかった原因が知りたい。職員が大熊町役場に救助を求め、隣接する双葉町の双葉厚生病院で救助活動をしていた自衛隊にもお願いした。一体どこで連絡が途絶えたのか。あそこで救助があれば、もっと多くの人命が助かったはずだ」という。院長は、14日夜9時58分、原発が危険という情報を得た双葉署副署長の判断で、川内村割山峠に退避したが、副署長の災害警備本部への自衛隊を待つとの連絡は自衛隊に伝わらなかった。「自衛隊と合流できなかったことで、「患者を置き去りにした」とされた」。これが震災関連死である。しかも、原発事故がなければ避難する必要がなかったのだから、この避難中の死は原発事故関連死である。この点に関連して、『民報』の「社説」は以下のように東電の責任を指摘している。こんな心の傷を抱えながら復興話にやすやすと移れないことは明白だ。

    論説 遺族の精神的苦痛 東電は真摯に受け止めよ
(『民報』2面)

 東京電力福島第一原発事故のため、津波などによる犠牲者の救助や捜索が遅れ、精神的な苦痛を受けたとして浪江町の遺族が9日、東電に慰謝料の支払いを求めて政府の原子力損害賠償紛争解決センターに申し立てた。遺族は、がれきの下に肉親を探しに行けなかったという苦しみを抱え続けてきた。その重さは想像するに余りある。東電は遺族の苦しみに真摯に向き合うべきだ。今回申し立てたのは東日本大震災浪江町遺族会。犠牲者164人の遺族333人分の慰謝料として合計52億6900万円を請求している。慰謝料は犠牲者一人当たり1100万円として算定した。
 浪江町の住民の避難開始は震災翌日の3月12日だった。11日は混乱の渦中だったが、翌日になれば家族らを捜しに行けると思っていた。しかし原発事故のために住民は避難を余儀なくされた。
 宮城県石巻市では、崩壊した家の中に閉じ込められていた高齢の女性と孫が震災から9日ぶりに救出される出来事があった。本県の避難指示区域でも、地震や津波にのみ込まれながら命をつないで助けを待つ被災者がいたかもしれない。遺族は「何もできなかった」と自責の念にさいなまれる日々だったはずだ。後悔は一生続くだろう。
 県警がようやく避難指示区域の半径20キロ圏内に入って搜索を開始したのは、震災発生から4週間後の4月7日だった。
 遺族はこの間、捜索が行われなかったため遺体の発見が遅れ、甚大な精神的苦痛を被ったとしている。沿岸の被災地では、人の手が入らず放置されたため、波にさらわれて行方不明になったケースも考えられると指摘している。
 原発災害の核心は避難にあるという指摘がある。避難によって直接的な放射線の影響から免れることができた一方で、避難自体が多くの被災者の生命・財産を奪った。あまりに巨大な災害であるために個々人の苦しみが見えにくくなっている。被災者一人一人にとって過酷な災難が今後も続くことを、東電も社会も強く認識し続ける必要がある。
 弁護団は「過去に例のない損害賠償請求だが、遺族との慎重な協議で内容を決めた」と話している。
 避難指示区域のために捜索が遅れた地域は浪江町の他にも南相馬市、双葉町、大熊町、富岡町、双葉町があり、同様の申し立てが出される可能性がある。東電がどのような対応をするか注視しなければならない。(佐久間 順)

 『民報』29面には、「「元気になって」「頑張って」は逆効果?」という記事がある。「被災者傷つける言葉注意を」ということで、内閣府がホームページで、被災者を傷つけてしまう言葉遣いを例を示しているというのだ。「がんばれ、福島」というスローガンがあちこちに出ているのを見て、不快になったのを思い出した。もちろん、「がんばろう、日本」などというのはまったく被災者の心情を逆なでするスローガンで、被災者自身からはほとんど聞かれない。それは遠くの人たちが勝手に遠くから投げている虚しいスローガンであった。誰かがマスコミを通じてこういうのを流行らせたようだが、精神医療の専門家なら、これが逆に被災者を傷つけ、場合によっては自殺に結びつく言葉だということを知っているに違いない。これはうつ状態にある人への禁句なのである。それに似たことで、故郷で、オリンピックの話題は一切なかったということがある。閉会式が終わるやいなや、やっと終わってほっとしたと言う人もあったほどだ。

 盆踊り前に、越中おわら風の盆のアトラクションがあった。こっちの盆踊りはあんなに優雅で風流なもんではない。文化が違う。向こうは三味線に胡弓。こっちは大太鼓に小太鼓に笛と鉦だ。でも、一晩中踊り明かすとは大したものだ。こっちの盆踊りも昔は一晩中踊るものだったそうだが。再確認したのは、古き共同体の解体・弱体化が著しいということだ。もはや、古き近代農村への復帰はありえない。近代化の過程で、村の神社の神様も変えられてしまい(神社統廃合など)、それ以前の村は解体されていき、それに取って代わった近代村も戦後60年の今、衰退してしまった。それをそのまま復元することは不可能だ。過去の中から材料を探し出して、新しい内容の共同体を創造することで復興していくしかない。

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