経済・政治・国際

ポスト・アベノミクスの新しい政治と運動

 アベノミクスは、参議院選を待たずに失速し、株価が急落した。この現象は、行き先を探し求めて世界を駆け巡っている投資マネーが、アベノミクスの金融緩和政策を呼び水に日本の株式市場に向かっていたにすぎなかったことを示している。通貨に投資するか、金に投資するか、商品先物・取引に投資するか、などは状況次第である。ただ、改憲を狙う安倍としては、参議院選で改憲発議に必要な改憲勢力3分の2を確保したいという野心があって、選挙までは株高が続くことを願っていただろう。しかし、その願いも虚しく潰えた。これで、橋下維新の急失墜と合わせて、自民党安倍政権などの右派勢力の凋落が見えてきたので、緑の党やリベラル派や左派がようやく選挙戦をまともに戦える状況が出てきたことは疑いない。これまで、これらの陣営にはあまりの安倍人気と橋下維新ブームの風が強くて、あきらめムードが漂っていた。しかし、今やムードが変わってきつつある。

 しかし、アベノミクスも駄目だとなると、後はどのような政策があるのだろうか。もはや手はない、もうほっとくしかないと、新自由主義化をさらに進めることになるのか。それとも社民化して多少の延命を図るのか? もう一つの可能性は、価値を外から移転させることである。近年の差別・排外主義、人種主義、の一部での台頭は、そのような社会的欲望が生み出されている証拠ではないのか。フランツ・ファノンは、『フランツ・ファノン著作集4 アフリカ革命に向けて』で、人種主義を次のように規定している。「人間を奴隷化するには、論理一貫してその人間を劣等視しなければならない。そして、人種主義は、この劣等視の感情的、情緒的な、時には知的なあらわれにすぎない」(42頁)。これは、まさに、今の日本の差別排外主義者たちに当てはまる。また、ファノンは次のようにフランスの非共産主義左翼と共産主義左翼を批判している。

非共産主義左翼は、植民地体制が、消滅すべきものであることを容認する。しかし、植民地体制の清算――この場合、集団内部の階級闘争は残るが、より好ましい体制に引き戻される――及び、フランスから独立したアルジェリア民族の承認との中間に、この左翼は、数多くの段階、下層段階、独自の解決法、妥協、等々をはさみ込むのである。
 明らかに、こういった左翼にとっては、アルジェリア戦争の終結は、一種の内的連邦制度と改良〈フランス連合〉をもたらすものでなければならない。したがって、このようなフランス世論とのわれわれの不一致は、何人かが主張するような心理学的種類のものでも、戦術的種類のものでもないのである。急進党左派、ならびに人民党共和派左翼は、アルジェリア独立の思想を受け入れなかった。それゆえ、「われわれは基本的には一致している、が、方法においては一致しない」といった立場は根底的に誤っているわけである。

 他方、共産主義左翼は、植民地諸国が独立国へ発展することは歴史的必然であると公言しておきながら、フランスとの特殊な関係の維持を要求している。このような立場は、いわゆる極左政党でさえもが、フランスはアルジェリアにおいて諸権利を有しており、支配緩和が必然的に全関係の消滅をともなうものであってはならない、と考えていることを明確に示している。このような精神構造は、合理主義的温情主義の形、ないしは、後退の危険をふりかざしての威しという形をとって示される。
 フランスとの関係なくして、諸君は、いったいどうするというのか、と予測が下される。
 諸君は、技術者や通貨や機械を必要としている……。
 砂漠に侵食され、沼地に荒らされ、疫病の猛威に襲われるアルジェリアの終末図さえもが、われわれを考えなおさせるために動員される。
 植民地主義者は、そのプロパガンダの中で、フランス人民に語る。フランスは、アルジェリアなしには生存できない、と。
 フランス反植民地主義者は、アルジェリア人民に語る。アルジェリアは、フランスなしには生存できない、と。
 フランス民主主義者は、彼らの態度の植民地主義的性格、あるいは、新概念を使えば、新植民地主義的性格に、いつも気づいているわけではない。
 フランスとの特殊な関係を要求することは、植民地構造を間接的に維持しようという欲望に照応する。ここで問題になっているのは、一種の必然性のテロリズムであり、それを根拠に、アルジェリアにおける価値あるいっさいのものは、フランスの枠外では、生み出されることも、実現されることも不可能だと決め込まれてしまうのである。事実、フランスとの特殊な関係を要求することは、アルジェリアを、未熟な保護国の段階に置くことで、永久に維持していこうという意志に一致するのである。そのうえ、それは、アルジェリア人民のいくつかの搾取形態を保証することでもある。それが、民族闘争の革命的展望への深刻な無理解を証明するものであることは、異論の余地がない(同上83~4頁)。

 ここで指摘されている思想と同じものは、今でも様々なヴァリエーションをもって繰り返されている。私もいろいろとそういうものを何度となく聞いているが、そのような戯言などをまともに聞くことはない。なんてつまらないことを言うのだろうという表情で聞き流すか、議論できそうなら議論してきた。ファノンは、『アフリカ史を学ぶ人のために』(岡倉登志篇 世界思想社)の第2部第8章「仏領アフリカの独立」で取り上げられているフランス領植民地で「従属民」議席を得てフランス国民議会議員となり、後に独立したコートジボワールの首相となったウフエ・ボワニを批判している。それは興味深いが今はここまでとする。

 他方で、世界システム論のウォーラーステインは次のように述べている。

民族性(ピープルフッド)は、史的システムとしての資本主義の主要な制度的構築物(コンフリクト)である。それは史的システムとしての資本主義の本質的な支柱であり、また、そのようなものとして、史的システムが濃密化するにつれてますます重要となっている。この意味で民族性(ピープルフッド)は、主権国家の構築と似ている。主権国家の構築もやはり史的システムとしての資本主義の本質的な支柱として、ますます重要なものとなっている。われわれは、資本主義世界経済という世界史的社会(ゲゼルシャフト)の内部で形成される、これらの基本的な共同体(ゲマインシャフト)への帰属を弱めるのではなく、むしろ強めつつある(『人種・国民・階級』大村書店 147頁)。

 当然、ここで言う民族性と階級性は別の構築物であって、共同体の種は異なるが、その間の矛盾・対立は、社会内的であって、相互に関連していることが混乱を引き起こす要因になっている。これも興味深い論点だが、今は置いておく。共著者のバリバールが、性差別と人種主義の関連を指摘しているのも、橋下発言がモロそうだったこともあり、重要なことだが、それも置いておく。このことは、戦時性暴力問題を追求したフェミニズムからも指摘されていることである。

 もともと、民主党の大敗は、鳩山・小沢民主党に期待した人々に応えられず、どんどんそこから後退していったことに原因がある。自民党の大勝は、民主党への失望から反民主票が出たことによるものであり、その多数がリベラル支持や脱原発を変えたとは思えない。選択肢を失った有権者の多くが棄権したとみられる。問題は、それをきちんと政治表現できる運動が、社共や勢いで押し上げられた脱原発運動では、これ以上発展・前進させられないところにきていることである。そのヘゲモニー、それを創出できる政治勢力を左派の改革を通じて大きく登場させなければならない時がきたのである。

 なお、6月31日、金曜日の平日の昼間であるにもかかわらず、1000人(主催者発表)もの人々が結集した福島原発告訴団の集会と東京地検前行動、東電前行動の中で、全国に散り散りに避難した福島の人たちが集まり、それぞれのブロックからの代表者が発言していた。これらの人々は、山下俊一前福島県立医大副学長やIAEAなど、意図的に放射能被害を過小に見積もって安全を強調する勢力や未だに責任をきちんと取っていない東電、自民党政府、学者、官僚などに対する鋭く内容ある批判、告発を語ることができるようになり、強いられたものとはいえ(福島第1原発事故がなければ避難することもなかったのだから)、立派な運動家に成長しているのがわかり、感無量であった。3・11以降、慣れないことを始めて、言葉も少なめであり、大人しかった被災者たちが、1000人を前に見事なアピールができるようになったのである。参議院選挙に出馬するという人もいた。そもそも原発をこんなにたくさん作り続けてきたのは自民党政権であり、その責任も取らず、反省もなしに、またぞろ原発推進→再稼働促進を言う安倍自民党政権は退場させなければならない。

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ビルマの民族問題と現状(アウンサンスーチーさん来日を機に)

 以下は難民講座で報告した文章である。アウンサン将軍、スーチーさんの写真、産業別GDP、GDPの変化、産業別輸出構成の表もあるが、データ処理が面倒なので、割愛した。

ビルマの民族問題と現状(アウンサンスーチーさん来日を機に)

By流広志

  アウンサンスーチーさんの来日を機に,日本で圧倒的に難民認定率が高いビルマ難民がなぜ発生しているのかを考えてみたいと思います.いろいろとテーマ設定はできますが,前回少数民族の方たちのお話を伺ったこともあり,民族問題に重点をおいて,見ていきたいと思います.

  ビルマ諸民族史

 ビルマには,政府の発表で135民族がいるという.ビルマ族が最大で約65%,人口で,シャン族,カレン(カイン)族,アラカン(ラカイン)族,モン族,チン族,カチン族,カヤー族の順に多い(『アウンサンスーチー』(角川書店126頁).ビルマ共産党とビルマ人民革命党の連合を軸とする抗日統一戦線(反ファシスト自由人民連盟),ビルマ独立義勇軍による武装蜂起によって政権を掌握,イギリスから独立を達成した後,アウンサンは,少数民族問題の解決を図ろうとする.少数民族代表との会議で,パンロン協定が結ばれた.

〈パンロン(ピンロン)協定〉

「新生ビルマが英連邦の一部となるべきか否かという問題以外に,少数民族地区がどうなるかという問題があった.例えば,カレン族は,日本軍敗退後,カレン族の独立国家を望み,アウン・サンを首席とするビルマ行政参事会代表団とは別に,独自にカレン族指導者ソウ・バウジー氏率いる代表団を英国に派遣しカレンの独立を要求していた.アウン・サン=アトリー協定では,辺境地区(高原・山岳地帯を中心とした地域で,英領ビルマ政庁による間接統治がなされていた行政区域)の少数民族については,彼らの自由な意思に基づいて管区ビルマ(平野部を中心とした地域で,英領ビルマ政庁が直接的に統治責任を負った行政区域)と,辺境地域との統合を認める.と取り決められた.

    ロンドンから帰国したアウン・サンは,1947年2月,シャン州の州都タウンジーのやや東方にあるピンロン(シャン語でパンロン)で,辺境地域(管区ビルマ外)の少数民族の代表らと会談する.この会議において,独立後少数民族に自治権を与えることを約し,辺境地域と管区ビルマを合わせた英領ビルマ全域を,連邦制国家として独立させる方向で合意が成立した.こうして1947年2月12日,23人の出席者全員が賛成するパンロン協定が調印された.調印者23名の内訳は,シャンの代表者は,各地の小藩の世襲的藩侯(ソーブア,シャン語で「サオパ」)をはじめとした14名と最も多く,カチンの代表者が5名,チンの代表者が3名,それにビルマ族代表のアウン・サンである.(シャン代表の一人には,1948年1月4日独立と同時に初代 ビルマ大統領に就任するも1962年3月のクーデターで逮捕され後に獄死したニャウンシュエ藩サオパのサオ・シュエタイが加わっている)

 しかしながら,調印者の内訳でもわかるように,このパンロン会議に出席して協定に調印した少数民族の代表は,シャン,カチン,チンの3民族に限られ,カヤー,カレン,モン,アラカンからの出席は,カヤーとカレンからの数名のオブザーバー以外なかった.この後,1947年4月の制憲会議選挙をカレン族がボイコットするなどもあり,カレン州の設置がないまま,ビルマ本州と少数民族州からなる連邦制民族国家が,1948年1月4日誕生する(独立後のビルマ連邦は,ビルマ本州のほか,シャン,カヤー,カチンの3自治州とチン特別区から構成され,カレン自治州は1951年になって設立された).尚,1947年6月の制憲議会,1947年7月アウン・サン暗殺,194710月ヌ=アトリー協定,1947年12月英国両院でのビルマ独立法案可決を経て1948年1月4日のビルマ独立は,英国王を国家元首とするコモンウェルス(英連邦)内の自治領としてではなく,独自の国家元首(大統領)を有する共和制国家としての完全独立であった.

 一方,パンロン会議後に制定された1947年憲法で,シャン,カヤーについては独立後10年目以降の連邦からの離脱権を認める条項が加えられていたが,その後,パンロン協定で保障された諸民族の自治権も失われ,シャン,カレンニーに認められた連邦離脱権も剥奪されている」(現代史ビルマ篇http://www.mekong.ne.jp/directory/history/panglong.htm).

ビルマ諸民族の歴史を見ると,その複雑さには驚かされるが,アウンサンスーチーさんは,『自由』(角川文庫)第2章「わたしの祖国,そしてビルマの人々」の中で,ビルマの歴史を描いている.

 「ビルマの歴史が始まったのは,中央アジアからモン族が入りこんで来たとき,おそらく紀元前2500年から前1500年の間だと言っていいだろう.モン族はタイの一部そしてテナセリム沿岸,イラワジ河のデルタ上に定住した.初期のモン族文明は,インドの影響を強く受けていた(同書97頁)」.

 このようにビルマはインドから大きく影響を受けている.アウンサンスーチーさんも,ベンガル(バングラディッシュとインド西ベンガル州)・ルネッサンスの影響を受けている.ネルー家とは,母親がインド大使となってインドに住んでいた時からの付き合いで,この交際からガンディーの影響を強く受けたと言われている.さらに,現在のバングラディッシュはイスラム教徒が多数を占めていて,ビルマにもイスラム教徒がいる.そして,322日には,中部のメティラで,仏教徒とイスラム教徒との衝突が起き,10人が死亡した.メティラの人口10万人のうち,約3万人がイスラム教徒だという(2013322日 産経).

 ちなみに,紀元前2500年頃,日本列島は縄文時代前期である.

 モン族の次に,チベット=ビルマ語族の人々が南下してきた.5世紀から9世紀にはその一派のピュー族が都市を作った.同じチベット=ビルマ語族のビルマ人が850年頃パガンに都市を築いた.1044年に王位に就いたと考えるパガン朝の王の時代,モン,アラカン,西部シャン,北部アラカン,北部テナセリムを支配した.また,彼は上座部仏教を広めた.1287年,モンゴル(元)の侵攻により衰退,タイ民族が元に押されて南下,シャン族はパガン朝を攻撃し,13世紀から16世紀までビルマ中央部を支配する.14世紀末から15世紀にかけて,べグーを都とするモン族の王朝が興った.16世紀初頭からポルトガル人が交易のために訪れるようになる.1347年にタウングー王朝が成立し,バインナウン((在位・1551 - 1581年)の代に,モン,シャンを支配し,現在のビルマの大部分を支配下に置いた.

ビルマの歴史

驃国 (200835)

モン王国 (825?1057)

パガン王朝 (8491298)

ピンヤ朝 (13131364)

アヴァ王朝 (13641555)

タウングー王朝 (15101752)

ペグー王朝 (17401757)

コンバウン王朝 (17521885)

イギリス統治下 (18241948)

英緬戦争 (1824-1852)

ビルマ国 (19431945)

現代 (1948-現在)

ビルマ連邦 (19481962)

社会主義共和国 (1962-1988)

ミャンマー連邦 (19882010)

ミャンマー連邦共和国 (2010-現在)

  次にビルマを統一したのは,ビルマ族のコンバウン朝である.しかし,アッサムとマニブール地方をめぐってインドを植民地化していたイギリスと戦争をして敗北を繰り返し,ついに,英領インドの一部に編入され,植民地化される.1930年代「ドバマ・アスィアオン」(われらのビルマ協会)が結成される.かれらは「タキン(主人)党」と呼ばれた.スーチーさんの父アウンサンはタキン党に入り,最左翼のマルクス主義研究会,1939年創設のビルマ共産党支部の書記長となった.同年,バモオのスィンイェダー(貧民党),ドバマ・アスィアオン,学生,政治家による同盟で,バモオがリーダーとして,「自由ブロック」が結成され,アウンサンが書記長になった.当局側はこれを弾圧,バモオを逮捕した.逮捕状の出たアウンサンは地下活動に入る.その頃のアウンサン の考えをスーチーさんは引用している.

 個人的には,われわれの運動を世界に知らしめて支持を得ることも必要だと考えたが,民衆を民族闘争に駆り立てるという最も大事な仕事は,ビルマ国内で実行しなければならないとわたしは思っていた.

わたしの計画の概要は以下のようなものだった.

まず,イギリス帝国主義に対する民衆の抵抗運動がビルマ全土で展開される.それは世界および国内の流れとも歩調を合わせ,産業・農業労働者による各地での散発的なストライキがゼネラル・ストライキや地代不払い運動に発展し,また民衆のデモなどあらゆる形での闘争的プロパガンダや民衆の行進が大規模な民族抵抗運動につながるようにすることである.さらにイギリス帝国主義に反対する経済キャンペーンが,英国製品の不買運動という形であらわれ,最後には納税拒否運動に発展していく.

 そして,この計画は軍部,官僚,警察機構の各機関や情報網を攻撃するゲリラ活動の展開によってさらに勢いを増し,その結果,わがビルマにおけるイギリス人の統治が終焉を迎えるという筋書きだった.その時こそ,世界情勢の変化に同調しながら,ついにはわれわれが権力の掌握を宣言できる時だったのである.さらには,英国政府に帰属する軍隊の中で,とりわけイギリス人以外で編成された部隊が,われわれの側に寝返ってくれることをわたしは期待していた.

 計画の中でわたしは,日本がビルマに侵攻してくる可能性について考えはした.しかし,この時点でそれを明確に想定することはできなかった(5354頁)

「「自由ブロック」のメンバーの意見は,日本の援助を受けるべきかどうかで分かれた.共産主義者たち(シュエやバフェィン,タントゥン,テェィンペなどが力をもっていた)は,日本のファシスト政府と協力する考えに反対だった.しかしアウンサンは,援助を差し伸べてくれる所からはどこからであれ援助を受け入れ,事態の推移を見守るべきだという現実的な考え方をしていた」(55頁).

 鈴木敬司大佐が機関長を務める対ビルマ謀略機関の南機関の下で,「三十人志士」と呼ばれるビルマ人たちが選抜され軍事訓練を受け,ビルマ独立義勇軍が発足し,日本軍のビルマ侵攻に合わせてビルマに入った.日本の目的は,中国の抗日戦線に物資を送っていた連合軍の援蒋ルートを断つためである.日本の支配に反発を強めていったかれらは,19458月「反ファシスト人民自由連盟(AFPFL)を結成した.

19469月,アウンサンは新しい行政委員会の副委員長に任命された.国防と外交を担当することになった.残りの委員のなかには,AFPFLのメンバーが彼のほかに5人いた.行政委員会の共同責任を負い(名目上は総督の諮問機関だった),実質的に,彼らが熱望してきた臨時国民政府に相当する機関だった」(7576頁).

AFPFL内部の共産党が分裂する(シュエの率いる「急進派」とタントゥンとテェィンペ率いる「穏健派」).1947年1月の「アウンサン=アトリー協定」で実質的な独立を勝ちとり,2月,ピンロン協定を結ぶ.4月制憲議会選挙でAFPFLが圧勝.アウンサンは,719日,行政参事会(臨時内閣)閣議の最中に暗殺される.

アウンサン後,ウ・ヌが後を継ぐ.

 「アウンサンは,社会主義ビルマのイメージをもち,「……反帝国主義・反資本主義の立場を明確にし,独立ビルマは究極的にすべての土地の国有化と,農業を含む重要産業すべての段階的国有化を目指すべきであることを述べ,そうしてこそ「最大多数の最大幸福」と「真の民主主義」が実現されると主張した」(ibid.:195).もっとも,ビルマはまだ資本主義の段階にも達していない状態だから,当面は資本主義を認めるが,憲法には資本家による労働者の搾取を防ぐ条項が必要だとした(『ミャンマー経済の新しい光』 勁草書房 17頁).

ウー・ヌ政権下では共産党が武装闘争,CIAの支援を受けた中国国民党軍の東北部への侵入などがあった.ウー・ヌの支持母体のAFPFL(パサバラ)は農林業重視の清廉派と農業・工業の同時推進を唱える安定派に分裂する(19586月).ウー・ヌは,マルクス主義を指導原理とすることを拒否し,仏教社会主義を主張する.19618月,「仏教国教化法案」が議会を通過した.

国政は混乱した.そして,196232日,軍部がクーデターを決行する.軍事政権のネ・ウィンは,1964年ビルマ社会主義計画党を創設する.その綱領には,「いっさいの物質および精神が「輪廻の法則」によって有為転変し,老いたる者は廃れ死に,新しき者が興り生成する無終なる恒常的流転をするが,そのように人間社会も永遠なる変異性のうちにある.……〈不易の〉社会体系や,〈正当な〉経済体系(奴隷制度,封建制度,資本主義制度など)も冷酷なる変化の法則に逆らうことはできない.大衆の利益を推進しようとする者はかかる社会・政治体系,およびそれを擁護する階級に依存してはならない.社会の利益に奉仕する農民や工業労働者のような働く者たちに拠ってたち,彼らを前提にして考える必要がある」(生野1973127に引用)(同23頁)」と書かれているように,仏教とマルクス主義の折衷のようなものになっている.これをネ・ウィンは「ビルマ式社会主義」と称して,1988年まで堅持し続ける.農業以外の国有化と外資と外国人商工業者が追放された.また,非同盟方針をとった.これによって,民族主義の基盤である民族資本の発展の道も閉ざされたという(同24頁).

同書にある輸出品目の構成比の表を見ると,1995年に,農畜産物の輸出日が46.2%と圧倒的だったのが,1999年に突然,前年の7%から30.4%に縫製品が急増し,2001年には天然ガスの輸出が前年の9.1%から24.8%に急増している.天然ガスの輸出による外貨収入が大きな比重を占めるようになっていることがうかがえる.1990年代半ばまでに,貿易自由化が進められた.外国投資法(1988年),民間工業企業法(1990年),ミャンマー国民投資法(1994年),1995年工業団地への投資を促進するミャンマー工業開発委員会設置.1997年アジア通貨危機.97-98年成長率減速.2003-2004年不況.2005年以降,資源輸出依存型で回復.

民間部門の自由化によって,1996年度GDP比で24.6%を占めていた国有部門が,2007年度には,7.8%にまで比率を下げている.それに対して,民間部門は同じく68.6%(ただし,これには集団化されなかった農業が民間部門にカウントされている)が90.7%に増えている.

「ビルマ式社会主義」についてネ・ウィンも明確な説明をしておらず,何をもって社会主義というのかが曖昧だった.それについて,前掲書第6章の筆者の工藤年博氏は,「ビルマ式社会主義への道」の冒頭の部分(「人の人による搾取を根絶し正義にもとづく社会主義経済制度を樹立する」)を引用している.これは社会主義としての具体的な中身を明確に示すものではない.その後,革命評議会が行った国有化がその具体的方策だとすれば,軍政側は,搾取の根絶=国有化と捉えていたと思われる.つまり、これだけで、資本主義や社会主義を規定することには無理だし,不可能であることは言うまでもないことである.資本主義を人による人の搾取と規定しただけでは,根底から資本主義を批判したことにはならない.それに国有化を対置することを社会主義と称してもそれを社会主義と規定することはできないのである.

1988312日夜,ヤンゴン工科大学の学生と地区人民評議会議長の息子との喧嘩の処理をめぐって,学生側が翌日から抗議行動に出た.それに対して治安部隊が学生に発泡し,学生一人が死亡した.ヤンゴン大学の学生たちは以下の呼びかけをした.

 ネ・ウィン(Ne Win)を歴史の法則に従い下層にしなければならない.軍政に終止符を打たねばならない.

 我々の友人が殺されたというのに,我々は何をなすべきか.革命をあきらめて,学業を続けて良いのか.それは,たいへんな誤りである.

 我々は,現政府を国外に追放し,我々学生の手でこの国を再建する.

 学生を組織し,全国で革命を開始する.

 我々は,意義のあるそして豊かな新しい社会主義社会のために闘う.

(『アウンサンスーチー演説集』(みすず書房 11頁)

当局は,ヤンゴン大学とヤンゴン工科大学を閉鎖.学生は街頭に出るが,夜間外出禁止令で対抗した.530日の大学再開から,学生の反政府運動が高揚する.6月中旬「ヤンゴン大学学生連盟」は以下の要求を掲げた.

 各大学の学生連盟とその連合の結成承認.

 316日,17日に銃と銃剣で殺された学生,17日夜に治安警察によって強姦された女子学生のための合法的な調査委員会の設置と責任者の処罰.

 RITとその周辺の住民との衝突に関する,先般の発表とは別の真相調査とその結果の公表.

 拘留中の学生の釈放.

 人権侵害行為の禁止.

 62年,74年,88年の学生殺戮を指揮したセインルインの処罰.

 ネーウィンがスイス銀行口座を持っていることの事情説明.

 以上に対する617日迄の回答.

そして,もしこの要求が受け入れられなかった場合には,「我々には,赤い血と勇気があることを示す」と闘争継続が宣言された.(同上13頁)

 もう一つ同書に引用されている学生側の声明をあげておこう.アウンサンスーチー氏の意見と違う点があるからである.

 ヤンゴン大学学生連盟とマンダレー大学学生連盟連署の「抑圧された国民,労働者,国軍兵士,学生」宛ての声明文.

 26年におよぶ現政権支配のもとで,経済,社会,政治は最悪の状態となった.物価は上昇し,国民は生活苦にあえぐ一方,一部の権力者は社会主義体制のもとで,甘い汁を吸っている.

 ネーウィンは,国民から収奪した金を外国の銀行に預金し,その総額は4億ドル以上にのぼり,世界的な大富豪の仲間入りをしている.他方かつては東南アジアで最も豊かな国が,いまでは世界で最も貧しい国の一つとなってしまった.

 軍の独裁支配体制のため,労働者の意識と能力は低下している一方,殺人政府の御用組合である労働者評議会は労働者のために何もしていない.

 経済的に行き詰まった政府は,農民を欺き,ひどい目にあわせている.ネーウィン政権のもとでは,農民の生活は何ら改善されておらず,植民地時代と全く変わらない.

 国民から生まれた国軍は,いまや,ネーウィンの私兵となっており,少数の特権階級の権力を永続させるために働いているにすぎない.国家財政の多くが,ネーウィン軍隊のために浪費されている.

 このようなひどい状況下,労働者,農民,兵士,学生は,団結して革命を組織すべきである.国民の政府を樹立するため,我々はあらゆる方法を用いて闘わなければならない.闘いにすでに身を投じている学生たちに合流せよ.1988年は我々の闘争元年だ.ファシスト政府に反旗を翻せ.国民を抑圧することは火に油を注ぐようなものだ.(同1314頁)

 労働組合が労働者の立場に立っていない時に,学生が,労働者の解放を呼びかけ,革命への参加を促す先駆性を発揮している.

訳者の伊野憲治さんは,19883月から1990年までのこの運動過程を参加主体と主な要求とスローガンをあげた表を作っている.学生側はこの過程を革命と意識していた.198888日,学生のデモ,そして10万人規模の反政府集会が開催された.12日,セインルインは党議長,大統領を辞職した.19日,マウン・マウン政権発足.20日,「複数政党制導入」を要求するデモが行われる.学生側の要求は,一党制の廃止,暫定政権樹立,民主主義の獲得であった.918日,ソーマウン国防省率いる国軍がクーデターを決行,国家法秩序回復評議会(SLORC)を創設した.

NLD(国民民主連盟)は,「大多数の国民が同意しない命令・権力すべてに対して,義務として反抗せよ」という「権力への反抗」をスローガンとした.7月20日,アウンサンスーチー氏は自宅軟禁された.

アウンサンスーチーの少数民族問題に関する基本的見解は次のようにまとめることができる.彼女においては,「連邦の精神」といった言葉で諸民族の融和・協調・団結が重要視され,基本的には少数民族の自決権,自治権を認める方向性が打ち出されている.しかし,それを保障する具体的制度・方法は自宅軟禁以前には打ち出されていない.その代わりに,民主的な政府を樹立したあかつきには,各民族の代表者からなる諸民族会議を招集し,そこで諸民族の合意に基づいた新たな憲法を作成することを約束している.その上で,少数民族の諸権利を保障する政治体制の創出のために,勇気をもってともに民主化闘争へ参加するように呼びかけている.

このように,少数民族の諸権利に配慮は見ることができる.つまり現存の国家の枠組み自体への疑問は根本的には提起はされてはいない.それゆえ,少数民族の自治権・自決権といっても,分離独立権までは念頭に置かれていないように思われる.(『アウンサンスーチー演説集』みすず書房 275276頁)

19905月,複数政党制による総選挙実施.NLD圧勝,定数485392議席,得票率約60%.制憲国民会議が,軍政が指名した701名の議員で開催(19931月).1996年から長期休会.2004年再開.1088名.20079月,憲法草案決定.2008年憲法.199110月ノーベル平和賞受賞.19897月自宅軟禁.1995年7月自宅軟禁解除.200092回目の自宅軟禁.20025月解除.20035月自宅軟禁.201011月解除.

2008年憲法の特徴.

……ミャンマー連邦共和国憲法と呼ばれるこの憲法は,大統領を国家元首とする共和制と,少数民族に限定的な自治を認める連邦制を基本とし,民族代表院(上院)と人民代表院(下院)の二院制から成る議会の設置を定めている.しかし,両院とも議席の25%は国軍が議員を指名できる「軍人の指定席」となっており(それも入れ替え自由),選挙で選ばれるのは各院総議席の75%に限られる.大統領と副大統領は議会から選ばれる仕組みになっているが,大統領には軍事に通じていることが「資格」として義務づけられている.また,内務大臣,国防大臣,国境担当大臣の3ポストに関しては,大統領に任命権がなく,国軍最高司令官が任命されることになっている.国家統治の中枢を担う三つの大臣ポストを軍がコントロールできる仕組みになっているわけである.国軍が非常事態に直面したと判断した際は,大統領は全件をこく軍最高司令官に委譲することができるという規定もある.この規定を恣意的に利用すれば,「合法的」に軍がクーデターをおこなえることになる.(同上2829頁)

2008年憲法に基づく総選挙は,NLDの政党登録できないように仕組まれた上で実施され,当然,軍関係与党の圧勝に終わった.2011131日連邦議会が開催され,テインセイン大統領が選出された(330日,民政スタート).819日,セインテイン大統領とアウンサンスーチー氏の会談.9月,国家人権委員会設置.事前検閲緩和.政治犯解放(20111012日,2012113日).政党法改正.NLD政党登録容認.201241日,政府公定為替レート廃止(二重為替状態解消,市場レートに基づく管理変動相場制へ移行).201241日補欠選挙で,NLD圧勝.アウンサンスーチー氏も当選(小選挙区制).

ビルマは「親中国」に誤解されることがあるが,現実はそうでもなく,特にビルマ国軍の抱くナショナリズムの中では中国は常に要注意対象とされてきたことを知っておくべきである,(同40頁)

201111月オバマ政権のクリントン国務長官がビルマ訪問.アジア開発銀行53000万ドル,世銀78000万ドルの債務残高.対外債務総額,110億ドル以上.日本,バルーチャウン水力発電所改修工事の再開,ヤンゴンの人材育成センター開設プロジェクトの再開決定.ビルマの対日債務5024億円.元利合計1274億円の債務免除.延滞損害金1761億円の2013年を目途に免除,この2つで債務合計の60.4%の3035億円が帳消し.残りの1989億円(39.6%)は,長期の円借款をプログラム・ローンとして供与し,債務整理を促す.

ビルマの課題.衛生状態の改善,幼児死亡率,妊婦死亡率が高い,マラリア死亡者が多い.教育環境改善.カチン独立軍との戦闘.公務員の汚職腐敗の一掃.

アウンサンスーチー氏の思想の特徴

ナショナリズム,国家,民族の団結と統一を最優位に置く.目的と手段の適正な関係を強調する.非暴力不服従のガンジー主義の影響.思想と行動の一致.規律や秩序を重んじる.上座部仏教,修養による悟り,仏陀を目指す生き方.道徳主義.徳治.知性,教養の重視.民主主義をよい国家に必要な民族の大義としてとらえる.

長期的に見て,アウンサンスーチーがビルマで果たすことができる大きな役割のひとつは,少数民族問題の解決へ向けた行動である.少数民族問題の克服なくしてビルマの本当の民主化はあり得ない.ビルマは独立後,今日に至るまでこの問題に苦しみ,かつ解決方法を誤ってきた.アウンサンスーチーとNLDにとって,この問題を避けて通ることはできないし,彼女自身,避けて通るつもりは全くなく,積極的に関わっていく姿勢を示している.

ビルマはさまざまな民族が住む多民族国家である.政府によれば国内には多数派のビルマ民俗を含め全部で135民族がいるとされている.いうまでもなく,民族分類は鳥や昆虫の分類などと異なり,国家による政治的恣意性がからむので,この135という数字は絶対のものではない.一番多いのはビルマ(バマー)民族で,総人口の約65%を占める.彼らはビルマ語を母語にし,その多くが上座仏教を信仰している.残りは少数民族に分類され,主な民族だけで7つある.人口の多い順に紹介すると,シャン民族,カレン(カイン)民族,アラカン(ラカイン)民族,モン民族,チン民族,カチン民族,カヤー民族となる.彼らの居住地域は主に高原地帯や山岳地帯であるが(アラカン民族は沿岸部),ヤンゴンやマンダレーなどの都市部にも住んでいる.

多民族が住む国家の場合,各民族が自民族への強い所属意識(アイデンティティ)を持ち,「国民」としての意識をなかなか持てない傾向が見られる.そうした傾向が一定の度合いを超えると,少数民族による中央政府に対する抗議や抵抗運動が生じ,それに対する中央政府の抑圧や強圧を引き起こすことになる.最悪の場合は国家の分裂危機を迎える事態に至る.独立後のビルマは,まさにそのような危機の可能性を秘めた深刻な少数民族問題を抱えてきた.

19481月に英国から独立したビルマは,最初の14年間こそ主要少数民族の自治権を一定程度認めた連邦制を採用したが,1962年からは「連邦」の名称を国名に残しつつ,政府による中央集権的な支配に切り替えている.政府は多数派のビルマ民族の宗教(上座仏教)と彼らの母語(ビルマ語)を基準にした「ビルマ国民」のイメージをつくりあげ,教育や文化政策,観光政策を通じて国内外に広めてきた.

しかし,少数民族の中には上座仏教徒のほかにキリスト教徒やムスリムも多くいて(それぞれ総人口の5~8%程度),彼らの言語もビルマ語が母語ではない人々がほとんどなので,政府がつくりあげた「ビルマ国民」のイメージに抵抗を感じる人がたくさんいた.また,少数民族の多くが高原地帯や山岳地帯などの「辺境の地」に住んでいることから生じる問題もある.「辺境の地」には地下資源が豊かにあり,ダム開発に向いた河川も豊富にある.さらに中国やタイ,バングラディシュなど隣国との国境が近いため,陸上の貿易ルートとしても価値が高い.それらの利権を目当てに政府が少数民族への支配力を強めようとしたため,地元の反発が強まることもよくあった.

少数民族の中には政府への不満を強め,武装闘争を始めるグループが多く現れた.そのため,少数民族武装勢力とビルマ国軍(政府軍)との間で戦闘が起こり,それが長期化し,戦乱に巻き込まれてしまう一般の人々の多くみられた.ビルマ国軍が少数民族の村々を武装勢力とつながりがあるとみなして,焼き討ちにしたり,村人の強制移住をさせたりすることも頻繁に生じた.村人を連行して武器や弾薬の運搬人として使役することも起き,ときに武装勢力が敷設した地雷の上を兵士より先に歩かせるような非人間的なこともさせた.特にカレン州(対カレン民族同盟=KNU)やカチン州(対カチン独立機構KIO),シャン州(対シャン州軍=SSAなど)で深刻な状況が生じ,1980年代移行,万単位の難民をタイ側や中国側に流出させる要因となった.また「見えにくい難民」といわれる国内避難民も大量に生み出した.こうした犠牲者を少しでも減らすことがビルマの大きな課題となっている.20113月に「民政移管」がおこなわれて以降,テインセイン新政府と少数民族武装勢力との間で停戦や和解交渉が進んでいるとはいえ,現実は楽観的な状況に至っているわけではない.

アウンサンスーチーはビルマの政治や経済の問題を考えるとき,少数民族が置かれているこうした立場を常に重視してきた.彼らの状況や立場に関心を抱き,配慮する姿勢が,ビルマ政治の舞台に登場した当初から彼女の発言や行動のなかに見受けられる.ビルマ独立前の19472月に,彼女の父アウンサンが少数民族代表とのあいだで行ったパンロン会談というものがある.そこではパンロン協定というものが結ばれ,ビルマがビルマ族とそのほかの諸民族から構成される連邦国家として独立することへの合意がなされた.その協定に含まれた精神をアウンサンスーチーは重視する.パンロン会談では多数派のビルマ民族とそのほかの少数民族とのあいだの関係の平等性が強調され,相互の協力と連帯が謳われた.

しかし,独立後の現実は,パンロン会談の精神とは逆の道を歩み,ビルマは東南アジアで一番深刻な少数民族問題を抱える国と化し,1980年代後半からは難民流出大国になってしまった.こうした現実にあって,アウンサンスーチーは国民に対し,将来「第二のパンロン会議を開く」という表現を用い,徹底した話し合いに基づく問題の解決を約束している.ナショナリストであるアウンサンスーチーにとって,これまで政府が掲げてきた「民族の団結と連邦の強化」という国家目的については「正しい目的」として共有することが可能である.しかし,政府が治安維持を最優先し国軍の武力を活用して少数民族の主張を封じ込めてきたことに対しては,その手段を「正しい」とは認めていない.多数派のビルマ民族と少数民族それぞれが相互にリスペクトしあう平等な関係を築くために,徹底した話し合いを行う「正しい手段」を用いてはじめて,問題解決への道が切り開かれると彼女は考えている.(同上125130頁)

 

  『南部アジア』第Ⅳ部 社会の「開放」と「民主化」の行方 第9章 ビルマ(ミャンマー)・カンボジア からの抜粋(165181頁)

 19481月の独立は,連邦制に基づく多民族国家の統合と複数政党制に基づく議会制民主主義の船出となるはずであった.しかし,独立直後から共産党勢力や少数民族の武装蜂起に直面した脆弱な民主主義体制は,ビルマ族内部の対立も民族間対立も有効に制御できぬまま,62年の軍事クーデターで崩壊した.

 ビルマにおける民族紛争の原点は,イギリスの植民地支配下でビルマ族が占めるビルマ本州と山岳少数民族が居住する辺境地域とが分割統治されたことに遡る.ビルマ本州では王制の廃止と議会制に基づく自治が導入されたのに対し,辺境地域では族長による伝統的支配が温存された.第2次世界大戦では,民族解放運動を主導したビルマ族が日本軍に協力する一方,大戦末期になって全民族が抗日運動に結集したが,社会的亀裂はすでに深刻な対立構造を形成していた.

 イギリスからの早期独立を実現するため,19472月のパンロン会議でビルマ族と少数民族諸派は連邦制による民族融和をめざす歴史的合意に達した.しかし,民族の平等を謳ったパンロン合意の精神に反して,47年憲法は,多数派ビルマ族の絶対的優位と少数民族間の差別とう二重の不平等性を抱えた非対称な連邦制を導入した.

 シャン,カレンニー,カチンの3民族には州の地位が,チン族には特別区の地位が付与されたが,10年間の猶予期間を経て連邦から離脱する権利を保証されたのは前2州だけだった.パンロン会議と制憲議会を欠席したカレン族,モン族,ラカイン族の連邦内の地位は明記されず,州の地位を付与された少数民族の自治権と自決権も制約されたものだった.ビルマ族は国民議院と民族議院の双方で多数派を占め,二院制国会の抑制均衡は期待できなかった.しかも,大統領は州議会で可決された法案に拒否権を有志,首相が民族州知事の任命権をもつことで,ビルマ族主導の中央政府は民族州の行政に介入できた.

 19483月のビルマ共産党(CPB)による蜂起に続き,491月にはカレン,カレンニー,モン,パオ,ラカインの少数民族組織が武装闘争を開始した.これにより,国軍将兵の約4割が離脱し,政府の実効支配地域は一時国土の3分の1程度にまで縮小した.連邦にとどまったシャン,カチン,チンの穏健派指導者は,他の少数民族諸派にも呼びかけて対称的な連邦制を求める改革運動を展開した.しかし,61年に仏教国教化に反発したシャンとカチンの急進派が武装蜂起し,改革運動が連邦離脱権を行使する構えを見せると,国家分裂を懸念する軍部は正当政府の妥協的対応に不信感を募らせた.

……

 第1に,ビルマ族・少数民族双方の指導者たちは,民主主義の理念を必ずしも受容していなかった.ビルマ族の軍・政党指導者は,1930年代に反英独立運動に参加した民族主義者で,植民地宗主国の理念である民主主義に根強い不信感を共有していた.他方,植民地時代からの権威主義的支配を継続してきた少数民族の指導者も,分離独立闘争を勝ち抜くために民主主義よりも民族への忠誠と結束を優先した.

 第2に,ビルマに導入された民主主義は,多数派総取りの多数決民主主義(ウェストミンスター・モデル)であった.これは,同質社会における中央集権的政府を形成するには適しているが,多民族連邦制の運営には不向きであった.独立当初は,大統領,首相,軍参謀長を民族間に割り振る工夫も見られたが,内戦が始まると全権をビルマ族が独占した.

……

 (1962年軍事クーデター)……ネー・ウィン政権は,少数民族から一切の自治権を剥奪し,徹底した軍事攻勢とビルマ化を行なった.……

 ……

 1974年憲法は,ビルマ本土を7つの管区に分け,7つの民族州(シャン,カレンニー,カチン,カレン,チン,モン,アラカン)と併置することで連邦制の外観だけを維持ししつつも,一院制に基づく事実上の単一国家制を構築した.また,一切の自治権を剥奪された少数民族への同化政策が強化された.ビルマ民族の文化をビルマ連邦の国民文化とすべく,少数民族語教育を制限し公用語であるビルマ語教育を推進した.同時に,徹底した軍事攻勢の一環として,少数民族武装勢力と地元民との連携を断ち切るために,食料,資金,情報,兵士調達を妨害する「4つの分断」作戦が実施された.

 しかし,軍政が意図した同化による国民統合は,逆に内戦を激化させ国家を分裂へと導いた.国軍の侵攻を食い止めることに成功した国境山岳地帯では,少数民族武装各派が解放区をつくった.同寺院,ビルマ化は従来反目しあってきた少数民族間の連携を促す結果にもなった.ビルマ族の反体制勢力と一部の少数民族諸派が結集した民族民主戦線(NDF)が創設された.NDFは,ビルマ族の参加がない点で真の民族統一戦線ではなく,構成組織間にはCPBとの連携の是非をめぐる路線対立に加え,支配領域をめぐる軍事衝突も絶えなかった.しかし,84年頃までに,分離独立ではなく連邦国家の樹立を基本路線に据えることで少数民族各派は合意した.

……

1988年からの民主化運動)

 民主化運動が挫折した原因は,長年にわたる市民社会の破壊によって,暴徒化した大衆を統制する社会団体も反対政党も存在しなかったことにある.アウンサン・スーチー女史を担ぐ民主化勢力は大規模な大衆動員に成功したが,急進化した未組織大衆を統制できずに,国軍の治安出動に口実を与えてしまった.さらに,民主化勢力内の結束の弱さに加えて,少数民族勢力などの既成の反体制勢力との連携も実現しなかった.民主化勢力との連携に関して,武力攻勢による側面支援に徹するか,武装闘争を一時凍結して政治的連携を強化するかをめぐってNDFの方針はまとまらなかった.結局,民主化勢力と少数民族組織は軍事支配体制の打倒という目標を共有しながら,民主化と民族融和という2つの争点を連動させることはできなかった.

……

 20085月,軍政はサイクロン被災のなかで国民投票を強行し,新憲法を成立させた.第1章「連邦の基本原則」で「連邦の分裂阻止」や「民族の団結」と並んで「複数政党制民主主義」が国家目標に掲げられたが,それは草案通りの国軍が支配する権威主義体制であった.

……

 ……軍部は著しい兵力増強と少数民族に対する分断工作を通じて,内戦の鎮静化には成功してきた.中国からの経済・軍事援助を受けて,SLORC発足から10年間で,国軍の総兵力は186000人から35万人へと劇的に拡大した.1989年のCPB崩壊を契機に,SLORCは少数民族武装勢力との停戦協議を開始する一方で,停戦に応じない勢力に対しては増強された軍事力を背景に容赦ない攻撃を加えた.

 その結果,1995年末までに15の少数民族武装組織が停戦協定を締結した.そのなかにはNDFの中核を担ってきたカチン独立機構もあった.停戦協定はあくまで軍事面の取り決めに過ぎなかったが,協力の見返りとして広範な自治と国境地域開発計画に基づく物質的支援が約束された.また,90年総選挙に参加した35を超える少数民族政党のうち8つを合法政党として認可した.その結果,NDFの団結は急速に弱体化し,国民会議に招聘された諸政党と停戦協定に応じた武装組織とが連携する一方で,カレン民族同盟(KNU)のように武装闘争を継続する組織は孤立した.

 国民会議において,軍政は連邦制の復活を提起し,ビルマ族が多数派を占める7つの管区域と7つの少数民族州に平等の地位を付与することを約束した.州と地域は自前の議会をもち,各州・地域に居住する少数民族には自治行政区や管区を設立する権利を与えた.また,人口比率で選ばれる人民院と,14の州管区域に堂数議席が配分される民族院からなる二院制を復活させるとした.これに対し,少数民族政党の草案は,民族州の分離独立権は認めず,あくまで連邦内の自決権と自治権の強化をめざす点では軍政に歩み寄った.しかし,連邦の構成を8つの対等な民族州とし,民族院におけるビルマ族と各少数民族州の権力配分を政府案の7対1から1対1とするよう求めた.

 国軍が全権を掌握した後,少数民族勢力とビルマ族民主化勢力との連携は一定の進展を見せた.198811月,軍の弾圧を受けて少数民族解放区に逃走したビルマ族学生運動家とNDFとの間でビルマ民主同盟(DAB)が結成された.892月には少数民族政党18党の連合体として連邦諸民族民主連盟(UNLD)が結成され,NLDとの間で民主化と少数民族問題が協議された.902月,NLDDABはビルマ連邦国民連合政府(NCGUB)を設立,927月,民主的なビルマ連邦の樹立をめざすマナプロー合意に調印した.

 しかし,軍政による停戦協議によって,NDFは分裂状態に陥った.武装闘争を続ける少数民族組織には,開発を優先して政府との停戦協定に応じた組織への不信感が醸成され,麻薬栽培の利権や支配地域をめぐる少数民族組織間の伝統的対立も助長された.また,国民会議が開催されると,少雨数民族政党とNLDとの立場の相違が浮き彫りになった.民主化と民族問題の同時解決を求める少数民族政党に対して,NLDは民主化を優先し,連邦制の導入や少数民族の自治権拡大はあくまで2次的な課題と位置づけた.こうして民主化勢力と少数民族勢力は強力な統一戦線を構築できないまま,国軍に対する交渉力を弱めていった.

 2008年憲法は,少数民族政党の要求を無視して,7管区域・7州と6つの自治地区・自治地域からなる非対称な連邦制を採用した.立法府は,人民院と民族院の二院制で,どちらも総議員の4分の1は軍人議員である.また,人民院の定数は民族院の約2倍で,民族院は管区域と州から各12名,自治地区や自治地域から各1名が選出されることになっており,ビルマ族に優位な地位が保証されている.

……

 ビルマでは,民族,宗教,言語,文化など帰属的特性に由来する社会的亀裂に,植民地時代の分割統治がもたらした領土性が伴った.独立後ビルマの国民統合にとって,こうした領土性を伴う複合社会構造が,他の分断社会よりも深刻な障害となってきたことは否めない.大虐殺を引き起こしたとはいえ,クメール民族同士の権力闘争とイデオロギー闘争が招いたカンボジアの国民分裂とは異質であった.国民統合は民主化を実現するための重要な前提条件であると言われるが,民主的移行の兆しすら見えないビルマと,民主主義の定着段階にあるカンボジアとの相違は,こうした社会的亀裂の質的な相違によって説明することが可能である.

 しかし,国民統合が民主化の前提であるとしても,制度としての民主主義が国民形成の未熟な国家に与える影響は一定ではない.事実,独立後のビルマにおいて,民主主義は国民統合に対する遠心力として作用し,内戦終結後のカンボジアでは民族和解の求心力として作用した.民主主義が国民統合に与えたベクトルの相違は一体何であったのか.

 複合社会を抱えるビルマにおいて,民族という永続的なアイデンティティに対する強制的な同化政策が有効でなかったことは,196288年までの軍事支配体制下で採用された単一国家制とビルマ化政策が,少数民族の結束と内戦の激化を招いたことで実証された.89年以降,軍部は国民統合の実現を再び連邦制に求めようとした.しかし,4862年まで採用された連邦制と民主主義体制の組合せが,一部少数民族の武装蜂起と連邦離脱を阻止できなかったばかりか,ビルマ族内部の対立を有効に制御できなかったばかりか,ビルマ族内部の対立を有効に制御できなかった経験から,軍部は民主主義体制への移行に反対してきた.

 しかし,民主主義が連邦制による国民統合を阻害したという単純な図式で理解されるべきではない.民主主義も連邦制も,多様な制度的バリエーションがある独立直後のビルマで採用された制度は,多数派とビルマ族の優位を保証する非対称な連邦制と多数派総取りの多数決民主主義であった.同質社会における多数決民主主義は多数派と少数派の固定化を回避できるが,ビルマのような複合社会では少数民族を常に統治権力から排除することになった.民主主義が国民統合に対する遠心力として作用した原因は,こうした制度の組み合わせにあった.そして,1962年以降のビルマ族と軍部の接待支配を保証する単一国家制と間接・直接軍事支配体制の組み合わせを経由した後,2008年県の右派ビルマ族と軍部の相対優位を保証する非対称な連邦制と「真の規律ある民主主義」と軍政が呼ぶ権威主義的体制との組み合わせを選択した.

……

 ビルマの抱える今後の課題は,国民統合と民主主義への移行を同時に実現させることにある.長期軍事支配体制への国際社会の批判もさることながら,ビルマ族に有利な非対称な連邦制であれ,少数民族に有利な対称な連邦制であれ,連邦制に内在する不平等性を調整するにせよ制度的装置として民主主義制度は不可欠である.そして,非対称的連邦制を合意民主主義で調整するにせよ,対称的連邦制を多数決民主主義で調整するにせよ,軍部,民主化勢力,少数民族の三者が新たな制度設計について政治的妥協をはかる必要がある.

 ビルマの民主的移行を実現する鍵は,国軍が政治の舞台から兵舎へと退場することにあるが,国軍の政治関与を保証した新憲法の下で,「規律ある民主主義」が「真の民主主義」へ近づいていくには,政務を担う軍部(「制度としての軍部」)とが,機能的にも分離される必要がある.その試金石は,当面はSPDCを離脱した退役軍人中心の連邦団結発展党が,軍部から自律性を獲得できるかにかかっている.同時に,「規律ある民主主義」のなかで民主化勢力や少数民族組織を代表する諸政党が,議会の場でUSDPとの協議を可能にするだけの政党支持者を動員し,かつ統制し得る力をもつことができるかにかかっている.

 

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日共の反動を乗り越えて

 現在の支配階級と同じく、日本共産党は、マルクスが『共産党宣言』その他で繰り返し強調した労働者の国際主義の立場を投げ捨て、ブルジョア民族主義・排外主義に転落し、自分たちが裏切り者になったことすら今や都合よく忘却していることを以下の志位の文書は隠しようもなく自己暴露している。脱・反原発運動でも、かつて原子力の「平和利用」を唱え、原子力政策の「改善」のみを弱々しく訴えてきたに過ぎない日共は、それを自己批判し改めることなく、まるで昔から原発に反対してきたかのごとく、党史を偽り、セクト主義的な共産党への投票運動に運動を流し込もうとしている。7月29日の国会包囲の際には、東京土建などの共産党系の労組・市民団体の大部隊が組織動員されていた。かれらは、脱・反原発運動の中で、実力闘争的な闘いに積極的に敵対し、運動を議会主義に染め上げようとしている。

 その日共が、この間の尖閣列島領有問題で、その排外主義と反動性丸出しの志位委員長の「見解と提案」なる文書を「しんぶん赤旗」9月20日号で公表した。その冒頭で、志位は、「まず、日本への批判を暴力で表す行動は、いかなる理由であれ許されない」と、この間の一連の騒動が、石原東京都知事の尖閣列島買収運動から始まったことをまったく無視して、中国「国民」に向かって、「日本批判の暴力は許されない」と命令している。そして、どういうわけか、日本の中にも中国批判の暴力的行為を辞さない排外主義者の蛮行がなされているというのに、それをやめろとは命令していない。その上、あたかも共産党政権があるかのごとく、企業や大使館を守れと言っている。そして、2010年10月4日に発表した、尖閣列島問題についての共産党の見解を再掲している。その最初は、「―日本は、1895年1月に、尖閣諸島の領有を宣言したが、これは、「無主の地」の「先占」という、国際法上まったく正当な行為であった」というものだ。1618年から1648年にかけて闘われたプロテスタントとカトリックの間の宗教戦争である三十年戦争の講和条約であるウェストファーリア条約は、「近代における国際法発展の端緒となり、近代国際法の元祖ともいうべき条約」(ウィキペディア)と言われる。また、これによってヴェストファーレン体制(Westphalian sovereignty)ができた。「この枠組みにより、世俗的にはプロテスタントとローマ・カトリック教会が対等となることで、政治的にはローマ・カトリック教会によって権威付けられた神聖ローマ帝国の領邦に主権が認められたことで、中世以来の超領域的な存在としての神聖ローマ帝国の影響力が薄れた。またこれに代わってヨーロッパでは、世俗的な国家がそれぞれの領域に主権を及ぼし統治することとなった」(ウィキペディア)というものがその後の国民国家体制の基になって今日にいたっている。その上に、帝国主義へと発展して行った大国=強国の強盗的論理として、「無主地の先占」権が主権国家に認められた。それは先住民がいても主権国家を形成していなければ「無主地」とするという得手勝手な理屈であり、明治政府はこの理屈でアイヌという先住民をアイヌモシリの「主」と認めず、一方的に北海道を領有したのであった。独島・竹島問題でもそうであったが、その点について、「在日」の半月城さんは、「半月城通信」で以下のように述べている。

万国公法について明治の元勲である木戸孝允は「万国公法は小国を奪う一道具」と喝破しました。万国公法は、弱肉強食の時代に覇権を追い求めた大国が、貪欲に領土拡張をおこなった際にお互いの利害調整をはかって積みあげた強者間の、いわば「狼どもの国際法」でした。そのため、侵略戦争すら合法であることは周知の通りです。

 志位の言ってることは、「狼どもの国際法」を無批判に適用しているにすぎないのである。そして、先に引用したウィキペディアは、「もっとも大事なのは国家における領土権、領土内の法的主権およびと主権国家による相互内政不可侵の原理が確立され、近代外交および現代国際法の根本原則が確立されたことである」と書いている。国際先住民年以来、先住民の権利の確立が国際的な流れになってもおり、そのことは、尖閣列島やその周囲の漁場などで生活を立ててきた人々、台湾と沖縄の人々の権利が優先されるべきであるということを指し示している。ところが、志位は、そんな存在、人々の姿はまったく見ておらず、ただ、国家と「国民」によって成り立つウェストファーリア体制を前提とした近代国民国家の利害関係のみを見ているのである。そして、彼は、両「国民」に自制を呼びかけている。それから、歴代日本政府の対応を批判し、ことに、領土問題の存在を主張しないことを批判している。すなわち、「尖閣諸島の問題を解決するためには、「領土問題は存在しない」という立場をあらため、領土に関わる紛争問題が存在することを正面から認め、冷静で理性的な外交交渉によって、日本の領有の正当性を堂々と主張し、解決をはかるという立場に立つべきである」というのである。その際に、尖閣列島の領有は、日清戦争による植民地主義による割譲ではなく、「無主地の先占」であるというのが志位の主張である。その頃、中国は清王朝であり、近代国民国家の中華民国が成立したのが辛亥革命後の1912年である。徳川幕府の日本は、近代国民国家ではなく、しかも、その後も長く不平等条約を欧米諸国と結ばされていた。主権国家の主権とはどのようなものだったのだろうか。領土をもって主権の中心とされていたのだろうか。主権とは何かについても考えてみないといけないが、それはここでは置いておく。

 最後に、志位は、「領土問題の解決は、政府間の交渉のみならず、相手国の国民世論をも納得させるような対応が必要である。「日本軍国主義の侵略」だと考えている中国国民に対しても、過去の侵略戦争にたいする真剣な反省とともに、この問題をめぐる歴史的事実と国際的道理を冷静に説き、理解を得る外交努力こそ、いま求められていることを強調したい」として冷静さを強調している。

 志位は、「日本への批判を暴力で表す行動は、いかなる理由であれ許されない」「どんな問題でも、道理にもとづき、冷静な態度で解決をはかるという態度を守るべきである」「日中双方ともに、きびしく自制することが必要である」「冷静で理性的な外交交渉によって、日本の領有の正当性を堂々と主張し、解決をはかる」「過去の侵略戦争にたいする真剣な反省とともに、この問題をめぐる歴史的事実と国際的道理を冷静に説き、理解を得る外交努力こそ、いま求められている」と、理性的であることや冷静さを強調している。そうではなく、本物の共産主義者とプロレタリア国際主義者と真に労働者大衆の立場に立つ者は、領土問題を「国民」対「国民」の対立テーマにしようとする両国政府に対して、それに逆らって、双方の労働者人民が国際主義の思想にもとづいて、自国政府の領土要求にそれぞれ反対して同時に行動し、その最前線でも交歓すること、交歓を組織することが必要だ。冷静にではなく、感動的に、生き生きとした感情、感覚をもって、それを呼びかけ、行動することである。

 今、オスプレイ配備を押し付けられようとしている沖縄の人々は、「怒り」を表す赤いTシャツを着て、闘いに立ち上がっている(10万人以上の沖縄県民大集会)。沖縄の人々は怒りの炎の赤に染まっている。また、原発惨禍に見舞われ、森の生活を奪われた武藤頼子さんの『福島からあなたへ』(大月書店)の帯には、「わたしは怒りを燃やす東北の鬼です」と書かれている。武藤さんは、まさに、するどく生き生きとした深い感情、感覚をもって、闘いに立ちあがっている。そして、ここには、この間の東北におけるアイデンティティーの変化が反映されている。例えば、征夷大将軍坂上田村麻呂を神社に祀ってきたことに示されるような、その末裔とする東北人意識から、青森のねぶた祭りの最高賞坂上田村麻呂賞がなくなったように、むしろ、蝦夷の族長で大和政権によって処刑されたアテルイの末裔であることを誇りにするとか、中央から鬼とされ、坂上田村麻呂に退治された伝説上の大多鬼丸・大竹丸・悪路王などを顕彰したりするようになった(例えば、福島県田村市滝根の大滝根山に大多鬼丸の銅像が建てられた。3・11はまさにその田村麻呂が作ったとされる清水寺管長による開眼法要が予定されている時に起きた)。武藤さんの本には、それまでの中央側の田村麻呂の末裔としてのアイデンティティーから解放され、蝦夷のアイデンティティーを持つように変化しつつある東北人の意識のあり様の変化が先端的に示されている。それを灰色に塗りつぶすような志位の提案には、実際的な解決の可能性はない。「国民」一般の立場に列島に住む人々を塗り固めているのだ。主体としての人々の生き生きとした姿が消えているのだ。かかる志位の反動的反労働者的反人民的な本性を暴露し、大衆的諸運動と国際主義的運動を前進させなければならない。

外交交渉による尖閣諸島問題の解決を
日本共産党幹部会委員長 志位 和夫
2012年9月20日 

 尖閣諸島(中国名・釣魚島)問題をめぐって、日本と中国の両国間の対立と緊張が深刻になっている。この問題の解決をどうはかるかについて、現時点での日本共産党の見解と提案を明らかにする。

(1)

 まず、日本への批判を暴力で表す行動は、いかなる理由であれ許されない。どんな問題でも、道理にもとづき、冷静な態度で解決をはかるという態度を守るべきである。わが党は、中国政府に対して、中国国民に自制をうながす対応をとること、在中国邦人、日本企業、日本大使館の安全確保のために万全の措置をとることを求める。

 また、物理的対応の強化や、軍事的対応論は、両国・両国民にとって何の利益もなく、理性的な解決の道を閉ざす、危険な道である。日中双方ともに、きびしく自制することが必要である。

(2)

 日本共産党は、尖閣諸島について、日本の領有は歴史的にも国際法上も正当であるという見解を表明している。とくに、2010年10月4日に発表した「見解」では、つぎの諸点を突っ込んで解明した。

 ――日本は、1895年1月に、尖閣諸島の領有を宣言したが、これは、「無主の地」の「先占」という、国際法上まったく正当な行為であった。

 ――中国側は、尖閣諸島の領有権を主張しているが、その最大の問題点は、中国が1895年から1970年までの75年間、一度も日本の領有に対して異議も抗議もおこなっていないということにある。

 ――尖閣諸島に関する中国側の主張の中心点は、同諸島は台湾に付属する島嶼(とうしょ)として中国固有の領土であり、日清戦争に乗じて日本が不当に奪ったものだというところにある。しかし、尖閣諸島は、日本が戦争で不当に奪取した中国の領域には入っておらず、中国側の主張は成り立たない。日本による尖閣諸島の領有は、日清戦争による台湾・澎湖(ほうこ)列島の割譲という侵略主義、領土拡張主義とは性格がまったく異なる、正当な行為であった。

 そして、「見解」では、尖閣諸島問題を解決するためには、日本政府が、尖閣諸島の領有の歴史上、国際法上の正当性について、国際社会および中国政府に対して、理をつくして主張することが必要であることを、強調した。

(3)

 この点で、歴代の日本政府の態度には、重大な問題点がある。

 それは、「領土問題は存在しない」という立場を棒をのんだように繰り返すだけで、中国との外交交渉によって、尖閣諸島の領有の正当性を理を尽くして主張する努力を、避け続けてきたということである。

 歴史的にみると、日本政府の立場には二つの問題点がある。

 第一は、1972年の日中国交正常化、1978年の日中平和友好条約締結のさいに、尖閣諸島の領有問題を、いわゆる「棚上げ」にするという立場をとったことである。

 1972年の日中国交正常化交渉では、田中角栄首相(当時)と周恩来首相(当時)との会談で、田中首相が、「尖閣諸島についてどう思うか」と持ち出し、周首相が「いまこれを話すのは良くない」と答え、双方でこの問題を「棚上げ」するという事実上の合意がかわされることになった。

 1978年の日中平和友好条約締結のさいには、園田直外務大臣(当時)と鄧小平副首相(当時)との会談で、鄧副首相が「放っておこう」とのべたのにたいし、園田外相が「もうそれ以上いわないでください」と応じ、ここでも双方でこの問題を「棚上げ」にするという暗黙の了解がかわされている。

 本来ならば、国交正常化、平和条約締結というさいに、日本政府は、尖閣諸島の領有の正当性について、理を尽くして説く外交交渉をおこなうべきであった。「棚上げ」という対応は、だらしのない外交態度だったといわなければならない。

 同時に、尖閣諸島の問題を「棚上げ」にしたということは、領土に関する紛争問題が存在することを、中国との外交交渉のなかで、認めたものにほかならなかった。

(4)

 第二に、にもかかわらず、その後、日本政府は、「領土問題は存在しない」――「尖閣諸島をめぐって解決しなければならない領有権の問題はそもそも存在しない」との態度をとり続けてきた。そのことが、つぎのような問題を引き起こしている。

 ――日本政府は、中国政府に対して、ただの一度も、尖閣諸島の領有の正当性について、理を尽くして主張したことはない。そうした主張をおこなうと、領土問題の存在を認めたことになるというのが、その理由だった。「領土問題は存在しない」という立場から、日本の主張を述べることができないという自縄自縛(じじょうじばく)に陥っているのである。

 ――中国政府は、「釣魚島(尖閣諸島)は、日清戦争末期に、日本が不法に盗みとった」、「日本の立場は、世界の反ファシズム戦争の勝利の成果を公然と否定するもので、戦後の国際秩序に対する重大な挑戦である」などと、日本による尖閣諸島の領有を「日本軍国主義による侵略」だとする見解を繰り返しているが、日本政府は、これに対する反論を一度もおこなっていない。反論をおこなうと、「領土問題の存在を認める」ということになるとして、ここでも自縄自縛に陥っているのである。

 ――尖閣諸島をめぐるさまざまな問題にさいしても、領土に関する紛争問題が存在するという前提に立って、外交交渉によって問題を解決する努力をしないまま、あれこれの措置をとったことが、日中両国の緊張激化の一つの原因となっている。

 日中両国間に、尖閣諸島に関する紛争問題が存在することは、否定できない事実である。そのことは、72年の日中国交正常化、78年の日中平和友好条約のさいにも、日本側が事実上認めたことでもあった。にもかかわらず、「領土問題は存在しない」として、あらゆる外交交渉を回避する態度をとりつづけてきたことが、この問題の解決の道をみずから閉ざす結果となっているのである。

 「領土問題は存在しない」という立場は、一見「強い」ように見えても、そのことによって、日本の立場の主張もできず、中国側の主張への反論もできないという点で、日本の立場を弱いものとしていることを、ここで指摘しなければならない。

(5)

 尖閣諸島の問題を解決するためには、「領土問題は存在しない」という立場をあらため、領土に関わる紛争問題が存在することを正面から認め、冷静で理性的な外交交渉によって、日本の領有の正当性を堂々と主張し、解決をはかるという立場に立つべきである。

 領土問題の解決は、政府間の交渉のみならず、相手国の国民世論をも納得させるような対応が必要である。「日本軍国主義の侵略」だと考えている中国国民に対しても、過去の侵略戦争にたいする真剣な反省とともに、この問題をめぐる歴史的事実と国際的道理を冷静に説き、理解を得る外交努力こそ、いま求められていることを強調したい。

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4-6月期経済予測

 三菱総合研究所が、2011年4-6月期GDP速報値予測を発表した。

 それによると、同期のGDPは、名目で、前期比マイナス1パーセント(季節調整済 年率マイナス4パーセント)、実質で、前期比マイナス0・5パーセント(季節調整済 年率マイナス2パーセント)である。

 2010年7-9月期からの変化を見ると、10-12月期にはマイナス0・7パーセント(年率マイナス2・9パーセント)に落ち込んでいて、三期連続マイナスとなる見通しである。10-12月期のマイナスの内容は、民間最終消費マイナス1パーセントと公的固定資本形成がマイナス6パーセントで、公私の消費が落ち込んでいた。

 2011年1-3月期は公的資本形成はやや改善しているが、それでもマイナス1・4パーセントでマイナスだったが、4―6月期は、一転してプラス3・1パーセントと予測されている。これは復興需要によるもので、民間最終消費はマイナス0・5パーセントと予測されている。前期がマイナス0・6パーセントでほとんど変わらない。相変わらずデフレが続いている。

 世界経済的には、ギリシアの債務危機再燃からヨーロッパ経済の混乱が起きているが、それに続いて、アメリカで債務デフォルトが起きた場合の金融・経済的影響の方にエコノミストの関心が向いている。大量のアメリカ国債を持つ日本にとっても大きな問題である。しかし、その一部の議論を見ていると、結局、債務デフォルトが起きた場合の期経済的影響について正確な予測を立てられるエコノミストはいないようだ。

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3・11から6・11の私的総括として

  6・11脱原発100万人全国アクションが終わり、それなりに人も集まり、脱原発の人々の意思を突き付けることが出来たのはよかった。

 福島原発は相変わらず、危険な状態が続いており、まったく予断を許さないが、それでも、その危険性をも日常化して、被災民以外では、緊急という社会生活に刻まれた性格は薄れつつある。

 私の考えでは、緊急時に他の領域でも悪化した諸問題について、再喚起すべき時である。例えば、この間の沖縄がそうであり、普天間基地問題で、政府は県内移設を沖縄にのませようとしているし、大阪では、橋下とその与党「維新の会」が、教職員の学校行事での君が代斉唱・起立を義務化する条例を通してしまった。これは、罰則なしとはいえ、事実上の公的強制であり、さらに、それが教職員の服務規律強化に狙いがあることは明らかで、教育統制を強めるものである。

 朝鮮学校への補助を取り消そうとしする自治体が増えているが、高校教科書無償化からの朝鮮学校排除と同じく、それは、明らかに、国際法違反である。つまり、国際的に通用しない内向きの身勝手で、超ドメスティックな政策である。

 原発問題については、この間、仕事上のこともあって、私もずいぶん知識が増えたけれども、原発問題を利用して別のことをやろうとする知識人の文章を読むことがあって、鼻白むことがある。原発の話をしながら、その中に、それと関係のないことが書いてあって、「なんだこれ? これ、震災・原発関係ないでしょう」と突っ込みを入れたくなる時がある。

 私の場合、3・11が世界史的事件であり、緊急事態と判断したので、通常のことを中断してでも、この事態に対応すべきだと考えて、6・11までを突っ走ってきたが、6・11に、様々な人々が脱原発の声をあげたし、ソフト・バンクの孫正義のように、ブルジョアジー内部から脱原発派が登場したということもあり、また、3・11以前には少なかった脱原発世論も大きく増えてきていることから、自分が大きな課題と決めている在日、難民、外国人との国際主義的でプロレタリア的な連帯運動の闘いの発展のために、入管闘争に本格的に取り組んでいきたいと考えている。その際に、この闘いにとって大きな壁となる日和見主義を暴露する必要があると考えている。それは、今、ガンジー主義だの諸種の改良主義と結びついたりしていて、とにかく、闘いの足を後ろに引っ張っていて、運動の内部に害悪を流している。われわれは、自分たちの要求や意思を、声でも、文書でも、はっきりと、明確に表明し表現しなければならない。それにブレーキをかけているのが日和見主義であり、それは運動や当該の力を削ぎ、「あわれな子羊」へと人々を追いやっている大きなマイナス要因である。

 とりわけ、頭でっかちで、細かいことに気を取られて神経が衰弱した知識人の状態から必然的に発生する日和見主義が大衆運動内に持ち込まれてくるのを警戒し、それを防がねばならない。ヘゲモニーはプロレタリア的な部分が持たなければならない。また、そういう神経衰弱の頭でっかちの知識人となれ合っている中産階級との「同盟」にも気をつけなければならない。かれらが大衆運動で、プロレタリア・ヘゲモニーを切り崩して、日和見主義を感染させるのを防がなければならない。

 運動のための運動というベルンシュタイン主義もそうだ。原発問題は、それ自体は、何で電気を賄うかという問題で、別に、これまでも、石炭から石油、そして原子力へという具合に代わってきたもので、それが別の発電方式に変わったからといって、社会が根本的に変わるということはない。もちろん、様々な点が大きく変わるのは確かだが。むしろ、それが根本的変化を呼び起こすとすれば、それは、事態が象徴しているように、社会全般の変化を促すような衝撃的事件であったという性格によるものだ。それには、また、脱原発というスローガンが社会の全般的変化の要求と結びあわされ、それが支持されるということが必要なのである。そうした意識性のないままに、脱原発というスローガンだけで、運動が進むことは、孫正義を先頭とするブルジョアジーの一分派と手を組んで進むというだけのことで、金の力で圧倒的に勝っている孫たちのブルジョア・ヘゲモニーの下で、それに屈した脱原発運動をプロレタリア大衆が担うだけに終わるということになるだろう。当然、かれらとの一時的で限定的な「同盟」を組むということはありうるわけだが、その中でも、プロレタリア・ヘゲモニーを強化する仕方でそうしなければならないのである。

 ブルジョアジーと国家が、この事態を、「がんばろう、日本」的な愛国主義によって、自らの責任をごまかしたのに対して、明瞭にそれを見抜いて、それに屈することは被災者の利益に反することを理解して、国際主義を貫くことが、かれらの根本的利益になるのだ。ガンジー主義者のように、「あわれな子羊」のように、大人しく声をあげないできた結果、今、こんな目にあっているのだ。それを、ガンジー主義者はどう思うのか? 無責任にガンジー主義を広めた人は、この事態にどう対応すべきだと言うのだろうか? 今更、ガンジー主義を大声で口にするのはいくらなんでも厚顔無恥というものだろう。それは恥ずかしくて口にできまい。ブルジョア国家・体制を、批判・暴露しないで大人しくしていると、こんなひどい目にあう。我々が高い代償を払ってわかったのは、その事実である。しかし、この間、経験によって、運動で闘って自分たちの要求と意思を明確に表現し、行動する以外に、自分たちを救う道はないということがわかったのは、一歩前進である。この前進した地点から、さらに、前へ進まねばならない。その時には、エゴイスト的にではなく、他を救えば自分も救われるという友愛の原理、連帯の原理こそ、歴史の幾多の実例で証明されている深い真実であるということを理解して、こういう時には、愛国主義的(エゴイズム的)にではなく、国際主義的に行動することが、自分にとってもプラスなのだということを理解して、右翼や愛国主義者の泥沼に誘う口車に乗らないようにしなければならない。

 私は、差別・排外主義的な入管体制を変えて、平等的で友愛的な国際連帯の絆を強化する闘いを発展させなければならないということを、この間の事態を通して確認した。

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6.11脱原発全国100万人アクション

 緊急から持久へ

 明日6月11日には、「3・11」から3ヵ月目を迎える。ご存知の方も多いと思うが、明日は「脱原発全国100万人アクション」があり、東京でも大きなところで3ヵ所、そして夜6時からは新宿アルタ前での100万人アクション・東京のリレートークがある。

 現地での動きも活発となっていて、現地の人たちが直接声をあげ、要求を掲げるようになってきた。それで、6・11後には、こうした現地の動き・声との関係性が重要になってくるという新たな局面を迎えることになる。それにともなって、「緊急」という性格はもはや古くなり、原発なき社会・未来の創造の日常的な営みとしての運動へと運動性格が変わらねばならない。その際に、政府・東電・御用学者の責任問題、補償・賠償、現地の安全対策(健康対策など)、福島原発の廃炉に向けたプロセスの開始、生活再建、被曝労働問題、復興、等々の持久的課題に取り組む長期・持続する運動形成が必要となる。

 この間、御用学者・東電・マスコミ・政府などの「原子力ムラ」によるマインドコントロールから解放され、新たに事態について学んだ人々は、その新たな知識を武器に、この持続的な運動プロセスの主体へと自らを変革し素早く、適確に対応する力を得たことだろう。私もそうだが、にわか勉強、間に合わせの詰め込み知識でなんとか「緊急事態」に対応してきた人々も、「原子力ムラ」が垂れ流す神話的なお話に惑わされず、自らが獲得した新たな認識をもって、これからの未来を切り開いていく主体へと変貌を遂げているだろう。そのいったんは、明日の行動で明確に示されるに違いない。

 そこで、6・11までの「緊急」事態における運動総括がいったん必要となることは明らかである。むろん、福島原発の現状は、政府が言うのとは違って、まったく予断を許さず、また「緊急事態」が起こる可能性があることは、この間、様々な情報が出て来たことから明らかであるから、そうした事態に緊急に対応しなければならないということもあり得ることは言うまでもない。事態の緊急性をよく表していたのは、ひとつには、情報の混乱ということである。何がどうなっているのか、正確には誰もわからなかった。そこで、想像によって事態を構成して、推測しながら、運動を進めなければならなかったことが特徴としてあげられる。そこでいろいろな混乱が起きざるを得なかったのは仕方のないことであった。しかし、今は、情報はずいぶん明確になってきて、何が起きたのかは、だいぶわかってきた。そこで、当初掲げられた緊急的な要求よりも正確に事態に対応する要求を出せるようになってきた。例えば、安全性を確保できる放射線量の数値についてもだいぶ正確になってきた。当初は、避難範囲についても、とりあえず大雑把に政府の決めた20キロ圏では狭すぎるとして、出来るだけ広範囲の避難ということを言わざるを得なかった。また、関東大震災の教訓もあって、在日外国人への差別・排外主義的言説の流布が、かれらへの迫害や危害を加えるというようなことのないように強く注意し警戒する必要性が高かった。等々。

 こうして、事態が変化するにつれて、運動も緊急的なものから持久的なものへと変化しなければならない時期に来たと思われる。この間の運動側の蓄積の質・内容が、新たなステージにおいてどう生かされるか、生かすべきかを考える時が来ている。

 私自身は、この事態の中でも、国際主義を貫くということを基本にしてきたつもりだが、個人的な印象としては、そうした観点は全体としては薄かったように感じる。自己―個人―家族―故郷、そして愛国主義へと至るような近代主義的なエゴイズムが基調にあるように感じられた。5・7けやき並木集会で、「ふるさと」が歌われるのに、違和感を強く感じた。「我」=個人とその延長としての家族・ふるさと、というのは下手をすると愛国主義とすっと接合してしまう。それが、「新しい歴史教科書をつくる会」や「在日特権を許さない市民の会」などとの闘いにおいて、かれらの共通の心情的基盤としてあると思っているものだ。そこに共感する部分が左翼の一部にもあり、それが左翼の弱点になっていると思う。私は、上野千鶴子のように、日本に対して個人というのが根本的に対立するとは思えない。そこに何か媒介を置かないと、取り込まれてしまうだけではないかと考える。とりわけ、不可視の装置として差別・排外主義的に機能し続けている入管システムについての明確な認識がないと、目の前にありながら見えていないナショナリズムの作用というものを相対化出来ないのではないかと思っている。それは、プロレタリアートをプロレタリアートとして認識させないような隠蔽装置でもあって、左翼の一部にはそうしたところの認識を欠くばかりか、その装置の隠蔽作用に見事にひっかかって、「プロレタリアなんてどこにいるのか」などというたわごとを本気で言う、あるいは、装置によって「言わされている」人に時々お目にかかる。つくられた意識スクリーンに映るままにリアルなものがあると信じ込んでしまっていては、「原子力ムラ」が作り上げて来た「安全神話」のリアルな実際など見えるわけもなく、実際に、見えなかったということがこの間暴露されてきている。それと似たようなことである。例えば、外国人力士は、両国に行けば見れるが、品川入管に行けば外国人登録手続きのために行っているのにも出会う。かれらは「国技」を担う一員だが、退去強制処分(国外追放)の規定のある入管体制の下で管理されている外国人の一員なのである。かれらの日本での滞在は、あくまでも政府によって許可されている限りという限定的なものなのである。外国人労働者は、多くがその不安定な地位によって、低賃金の「沈め石」とされ、相対的過剰人口化され、雇用の調整弁化された存在なのだ。等々。

 いずれにしても、6・11脱原発全国100万人アクションで多くの人が脱原発の声をあげることによって、安全な未来社会へと早く移行しないことには、「開かれた社会」として、国境・国籍に左右されず世界の人々が共に友好的に生きていける社会へも前進出来ないことは明らかである。危ない社会には近寄ってこれない。

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大江裁判、大江・岩波書店の勝訴確定と地震・原発問題

 北日本大震災の報道の中で、沖縄に関する重要な判決が確定した。この裁判のことはこのブログでもとりあげてきた。

 これは、この国の戦後体制が、社会を安心して生きていけるようなものとして作っていないということを象徴する問題だった。そして、保守派・右派が、そうした社会をよくするのではなく、その逆に悪化させるように動いてきたし、今もそうであるということを示している。沖縄で「集団自決」に至る沖縄の同化(皇民化)教育の「悪」を「善」へとひっくり返そうとした保守派の在り方は、今日の北日本大地震と福島原発の事故で大量の犠牲者を生みだした「悪人」の在り方と同じである。「産経」の正論というコラムに登場する保守派の多くの言論がそうしたものであり、ことに、自民党議員の稲田朋美にいたっては、「お前は本当に日本の住民か」と思いたくなるほど、ひどいものである。その中で、なぜか、西尾幹二と長谷川三千代の二人だけは、犠牲者への哀悼の意を表明してから、主張を展開している。それで、この二人が「伝統的」な礼をそれなりに踏まえていることがわかるのだが、稲田は、そんな礼すら示さず、大連立による自民党の保守政治の溶解の方に意識が取られて、そのことばかりを書いている。「産経」の社説も同じであって、慰霊の言葉がなく、ただ、エネルギー問題の方を強調している。なんのためのエネルギーなのか? 誰のためのエネルギーなのか? と思わざるを得ない。

 沖縄戦において、沖縄の人々が「集団自決」に至った歴史心理的な要因は、おそらくは、列強の包囲への危機感が、過剰な一体化への意識を強くして、それが同化強要へといたり、それが、結局、一部の上層のエゴイズムのための大量の犠牲に結果したということだ。この時、上層のエゴとその他の大衆のエゴが、「国益」=「国民の利益」というかたちで同一化されてしまったが、それはまったく違ったものであったのだ。

 今回のことで言えば、東電と政府と御用学者の「原子力村」の利害は、豊かな生活を求める大衆の欲求を満たすために必要なものというかたちで、同一化され、そうした表象が作られて、それが「安全神話」というかたちを取って流布されているが、それは、まさに神話であったということが暴露されているが、それは、それと似たことであったということである。国と独占企業と御用学者とマスコミは一体であって、まさに国家独占資本主義体制をなしているということが人々の目に明瞭に見えたというのも久しぶりだ。そこで、ここからの出口を作るためには、この体制そのものを変えないといけないということになるのだが、それは、個人のライフスタイルを個人的に変えるというだけではとうていできないほど大きい変化を要する課題だ。このシステムを維持して復興するためには、おどろくほど巨額の投資やら資源集中が必要であることがはっきりしつつあるのだ。

 また、自衛隊は、防衛任務を主任務にしていて、原発事故対策だの震災被害での出動は本来の基本任務としていない。それにもかかわらず、それが、災害時に現地を制圧して活動しているということが問題であり、そうした災害救助任務を主とするものが平時に準備されていないのが問題である。人を生かし救うということを主目的とする部隊として自衛隊が改変されて、その精神でしっかりと訓練されていなければならなかったのだ。かつての皇軍も、そうしていれば、集団自決のような悲劇はなかっただろう。

 さて、マスコミの中では、ネットで盛んに流されているデマを信じ込んでいる者もいるみたいだが、その基本的な観点は、人間=欲望という単純な図式を神話として信じ込んでいるだけである。欲望はもちろんあるが、その程度や質や内容があって、一概に数量化できないのである。そして、被災地では、泥棒といえども身の危険を感じざるを得ない。反撃、他の泥棒との遭遇、緊張、異常心理状態、過度のストレス、不安、精神錯乱などの状態、などがあって、そこは、泥棒といえども、安心できるような環境ではないのである。被災地の住民が、被災後、護身になるような武器をまず入手したという話も伝わっており、有事の人の心理や行動は平時の時とはかなり違うということを前提にしなければならない。見ず知らずの人間が、親切に手を伸ばそうとしても、疑心暗鬼や警戒心を持つ。それは、すぐに他のコミュニティーのメンバーに伝わり噂が広がる。コミュニティーでは、誰かに見られずに行動しにくい。見えない監視があり、そこでのチェックに合格しなければ、信用されない。

 過疎化し高齢化している東北において、研修生などの名目で働く外国人は必要な労働力となっている。コミュニティーは、一方ではメンバーとメンバー外を区別し異なる対応を取り、時として排他的側面を見せるが、他方では、コミュニティーにとって必要な他者を寛容に受け入れるという側面も持っている。しかし、今回、真っ先に中国人労働者が本国に帰ったのは、関東大震災での朝鮮人などの大量虐殺などの歴史教育を受けて来たからだろう。在日外国人から聞いた話では、本国の家族などから、早く帰るように強く言われている人が多いようだ。日本は、よほど、外国では、差別的で排外的な国と思われているようだ。しかし、私はけっして手を離さないし、この試練を共に乗り越える。

 4月24日、芝公園で行われた反原発集会は、4500人(主催者発表)で、日比谷公園までのデモをした。さらに、「原子力村」構図の解体へと向かっていかねばならない。御用学者を追い落とさなければならない。政府・経済産業省・原子力保安院・原子力安全委員会を変えることだ。そして、東電のマスコミ対策費、御用学者育成費などの原発推進のために出してきた金を被災者と被災地の復興、脱原発社会建設に振り向けさせなければならない。この「悪い」エゴの利害共同体のために使われている金を、反対のものに使わせなければならない。そうすれば、「原子力村」の力は弱くなる。それで、安心できる社会へ一歩進めるのだ。一人ひとりが幸福になれる社会が我々の社会目標だ。その幸福は、固有性という性格も持っているので、それぞれが自由に決めるべきことなのだが、「原子力村」はそれをさせない「社会悪」だ。

 軍関与認めた判決確定 「集団自決」めぐる岩波・大江訴訟
                                     (2011年4月23日琉球新報) 
 沖縄戦で旧日本軍が「集団自決」(強制集団死)を命じたとする作家大江健三郎さんの著書「沖縄ノート」などの記述をめぐって、座間味島元戦隊長の梅澤裕氏や渡嘉敷島戦隊長の故赤松嘉次氏の弟、秀一氏が名誉を傷つけられたとして、大江さんや版元の岩波書店を相手に出版差し止めなどを求めた上告審で、最高裁判所第一小法廷(白木勇裁判長)は22日、一審・二審に続き、上告を棄却した。これにより軍関与を認めた一、二審判決が確定した。同小法廷は、原告の申し立てを「上告理由にあたらない」とした。21日付。
 棄却を受けて大江氏は「自分たちの主張が正しいと認められた。訴訟で強制された集団死を多くの人が新たに証言し、勝利を得る結果になった」と述べた。
 同裁判では、2008年3月の一審・大阪地裁判決で、両隊長による自決命令は推認できるが、「断定できない」と判断。大江氏が隊長による集団自決命令を事実と信じるには相当な理由があったとして名誉棄損を退けた。
 同年10月の二審・大阪高裁判決は一審判決を支持した上で、「総体として日本軍の強制ないし命令と評価する見識もあり得る」とした。さらに、「表現の自由」に考慮し、公益目的で真実性のある書籍が新たな資料により真実性が揺らいだ場合、記述を改編せずに出版を継続しただけでは不法行為とはいえないとした。
 裁判原告の「隊長の自決命令は聞いてない」などとする陳述書が契機となり、06年度の教科書検定意見によって、高校日本史教科書の「集団自決」における軍強制の記述が削除された。記述削除に対し、「沖縄戦の実相をゆがめるもの」という反発が県内で起こり、07年9月に県民大会が開かれるなど、沖縄戦体験の正しい継承を求める世論が高まった。

「県民の思い受け止めた」/大城県教育長
 最高裁の上告棄却を受け、大城浩県教育長は「教科書検定問題については2007年の県民大会の結果、広い意味での『日本軍の関与』の記述が回復され、高校生がこれまで同様に学習できると考える。最高裁の判決は、県民の思いを受け止めた判決」とコメントを発表した。

沖縄でも大きな力に/大江健三郎氏の話
 自分たちの主張は高裁で正しいとされ、最高裁では憲法上の問題はないと認められた。沖縄戦の真実が曖昧になり、教科書からも取り除かれたが、沖縄からの反論で、沖縄戦(についての記述)が少しずつ真実に近づいている。強制された集団死を多くの人が新しく証言し、勝利を得る結果になった。(最高裁の判断は)力強い励ましだ。沖縄でも大きな力になる。

裁判の意義はあった/原告代理人・徳永信一弁護士の話
 名誉棄損が認められなかったのは残念。しかし、隊長の自決命令について高裁判決は「関与」とし、一審より控えめな事実認定。この問題は、集団自決に梅澤さんらの隊長命令がなかったという認識が重要だった。裁判を通して自決命令の根拠がないとの認識が国民に定着したので、意義はあったと総括している。

岩波・大江「集団自決」訴訟一覧

    守った沖縄戦の真実 岩波・大江勝訴(2011.4.23) カメラ
    大江さん勝訴 軍関与認める司法判断(2011.4.23)
    <電子号外>大江さん勝訴 「集団自決」訴訟(2011.4.22)
    「集団自決」、軍関与認めた判決確定 (2011.4.22)
    <用語>「集団自決」歴博展示問題(2011.1.6)
    歴博「軍命」あいまい 「集団自決」展示を刷新(2011.1.6) カメラ
    空襲被害者連絡協結成 県内弁護士「現行援護法に壁」(2010.8.15)
    歴博展示刷新 史実ゆがめぬ態勢づくりを(2010.8.11)
    空襲被害救済求め準備会 県内初、法制定向け活動へ(2010.7.19)
    高嶋教授ら見直し要請へ 歴博「軍関与」記述削除(2010.5.10) カメラ
    歴博の議事録“不開示” 「中立損なう恐れ」(2010.5.2)
    集団自決記載 軍関与の正確な記述を(2010.4.1)
    集団自決記述 歴博は速やかに修正を(2010.3.28)
    「証言軽視」に批判 歴博「集団自決」軍関与削除(2010.3.17) カメラ
    歴博、沖縄戦「集団自決」展示 きょうから一般公開(2010.3.16) カメラ
    証言資料 重視を 歴博「集団自決」解説文見解(2010.3.13) カメラ
    「集団自決」軍関与削除 館の判断で表現ぼかす(2010.3.13)
    委員認識に差 歴博・軍関与削除(2010.3.11) カメラ
    「集団自決」日本軍関与の記述取りやめ 国立歴史民俗博物館(2010.3.9)
    《137万人の会議室》第9回「2000~09年回顧」【社会・暮らし】(2009.12.29) カメラ
    <メディア時評・沖縄密約と普天間移設>確信的な世論誘導 潜む日米同盟の「呪縛」(2009.12.12)
    県民大会2年 歴史の教訓が生きる政治を(2009.9.29)
    日本兵が「死になさい」 山城さんが証言 真実、後世に願い(2009.9.27)
    最高裁裁判官国民審査 5氏「沖縄」に関係(2009.8.29)
    戦争体験次代へ 教科書検定意見撤回求める集会、100人気勢上げる(2009.4.17)
     薩摩支配を受けた琉球が、江戸幕府へ使節を送った「江戸立」(...(2009.4.4)
    上告棄却求め署名35万 岩波・大江裁判、最高裁に提出へ(2009.3.29)
    「最高裁も同様判断を」 岩波・大江裁判、都内で弁護士報告(2009.2.21)
    2008年(平成20年)沖縄県内十大ニュース(2008.12.24) カメラ
    最高裁に棄却求める 岩波訴訟判決報告会(2008.11.23)

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東大にデモを! 「原子力村」を解体しよう

 「放射能でガンになるまで生きていないから避難しない」とある年老いた被災者が言った。

 このような言葉を言わせたのは誰だろうか? 「想定外」の地震だろうか? そうではない。それを言わせたのは、「安全神話」を広めている無責任な「原子力村」(政府・官僚・御用学者・マスコミ・東電など)の連中である。

 このような「原子力村」的構図は、この社会のいたるところに形成されている。例えば、その一つとして、行政の進める「多文化共生村」がある。この事態が明るみに出したのは、「原子力村」に象徴されるこの社会の構図自身が社会を駄目にしているということだ。この「原子力村」の解体も課題として浮上している。

  この事態が世界史的事件であり、世界の世論を動かしていることを以下の記事が示している。反原発という意識が大幅に増えている。しかし、運動は、反-にとどまっている。このような人々の意識と同じところにある。それを表明することは当然だが、そこに留まるわけにはいかない。すでに福島第一原発1~4号機の廃炉が東電から表明されている以上、今後、廃炉の具体的な作業プロセスに入らざるを得ず、そこで必要な技術や知識、技能が求められ、その体制が形成されねばならないのは明らかだからだ。それを推進する社会・政治勢力を急速に力を拡大させ、発展させなければならない。それを可能にする新しい政治主体・社会主体・専門家・経済的裏付け等々の育成・準備が急務だ。そして、福島での廃炉の経験をもとに、他の原発の廃炉を順次進めていかなければならない。

 そこで、必要なのは、今、「原子力村」の研究・教育部門である東大工学部大学院などの原子力関係の御用学者たちを批判し、かれらの力を削いで、新しい内容の教育・研究を進められる人と体制を作ることである。かれらの責任を、社会や運動が追求し、新しい人で取って替えることである。東大に対して、大衆的デモなどの手段で、それを含む脱原発のメッセージを明確に伝えることである。そのことが、以下の記事にある世界の人々の世論変化に応えることであり、原発事故からの教訓として、人々の命と生活を守り、「良い」社会を作ることにつながることである。もちろんそれは東大工学部ばかりではない。週刊誌によれば、私立も含むいくつもの大学の原子力関係の学者が御用学者として、大金を注ぎ込んで育成されていた。このような「悪」を絶たないと、この社会で人々は安心して生きられない。

 また、先日会ったある「在日」の人は「この社会は我々を地域社会を共に創るパートナーとして認めていない」と言った。今後の社会建設の過程で、当然にも、「在日」は対等な協働のパートナーであり、この社会でずっと共に生き共に社会を作っていくべき人々である。かつて、日本共産党が愛国主義に屈服し、またセクト主義的に手を離した「在日」への対応の誤りを繰り返してはならない。われわれは、長くこの地にいる、あるいは、いたいと望む在日外国人・他民族と、この社会を共に作っていくということを断固として強く表明しなければならない。それは、関東大震災からの教訓でもある。この事態の中で、差別・排外主義との闘いを宣言し批判する運動が公然と登場しているように、それと闘うことだ。それは、綱領的課題である。その場合に、「綱領は実践の指針」であって、たんなる「認識の指針」ではないと考えるが、そのような考えは左翼世界であまり一般的なものになっていないが、それは克服されなければならない。

 「原子力村」を解体し、脱原発社会へ断固として進むべき時だ。そして、原発推進のためにボランティアに入っているような欺瞞的な右翼などを暴露すべきだ。かれらの腐った生活を維持するために、原発のある地域社会の人々の命をこれ以上危険にさらし、失わせるわけにはいかない。

 

 福島事故で原発反対伸長 47カ国・地域で世論調査(共同2011年4月19日)

 各国の世論調査機関が加盟する「WIN―ギャラップ・インターナショナル」(本部、スイス・チューリヒ)は19日、福島第1原発事故を受けて世界の47カ国・地域で実施した世論調査結果を発表、原発反対が事故前の32%から11ポイント上昇して43%となる一方、支持が57%から8ポイント下落して49%となり、賛否の差は25ポイントから6ポイントに縮まった。

 調査は3月21日~4月10日、日本やパキスタンを含むアジア各国のほか、北南米、欧州、アフリカなど計3万4千人以上を対象に行われた。

 同社の専門家は「原子力は過去10年間、国際世論の安定した支持を得ていたが、世界の多くの人々が福島の事故を懸念して反対へ立場を変えたことになり、今後は議論が活発化しそうだ」と分析した。

 日本やカナダ、サウジアラビアなど八つの国・地域で、事故後に賛否が逆転し反対が上回った。

 また、日本の復興の見込みについては、全体の30%が「震災前の水準に復旧する」、18%が「さらに発展する」と回答し、全体で48%の人が楽観的。日本では、両者を合わせた楽観的な意見は35%にとどまった。

 一方、日本の復興に悲観的な意見が上回ったのは日本(55%)、中国(67%)、韓国(47%)などで、全体では38%を占めた。(イスラマバード共同)

 韓国初の古里原発1号機、地元議会が廃炉求める決議採択(朝日2011年4月19日)

 釜山市にある韓国初の原子力発電所、古里(コリ)原発1号機をめぐり、同市中心部に位置する南区議会が18日、1号機の即時稼働中止と廃炉を求める決議を全会一致で採択した。

 決議は「福島原発のような爆発事故が起きれば、半径30キロ以内に住む約100万の釜山市民が放射能の被害にさらされる」と主張。設計寿命の30年を超えて運転を続けている1号機の廃炉と、同原発(計5基)での増設計画の再検討を大統領府や政府に求めている。

 同区議会によると、市内の計16区・郡のうち、ほかに二つの区が同日までに同様の決議を採択している。

 古里1号機をめぐっては、周辺住民ら97人が稼働中止を求める仮処分を釜山地裁に申請した12日、電気系統の故障で運転が停止した。韓国教育科学技術省は「詳しい事故原因を調査中」としており、再稼働の見通しは立っていない。(ソウル=中野晃)

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脱原発・地域政党ということ

 東北の地方住民の置かれている悩みを示す以下の記事を読めば、ほとんど一瞬のうちに命を落とした津波の犠牲者と異なる原発事故の特殊な性質がわかるだろう。こうした現実に対する理解なしに、またそういう想像力を働かせないで、被災者との信頼関係は築けない。

 その点で、阪神淡路大震災後の社会的防災システムの整備が15年以上たった現在でも未整備だったという問題が浮上したと思わざるを得ない。初動の段階で、自衛隊に現地を制されて、「自衛隊のおかげ様で」という被災者の態度形成を許してしまったことに、自省の思いにかられる。阪神淡路大震災の教訓として、社会の中に、その後の中越地震などでも活動したボランティア・ネットワークが形成された意義は大きい。しかし、それでとどまってしまったのではないか。

 原発をめぐっては、事態の深刻さが予想以上だったこともあって、福島第1原発1機~4号機の廃炉が東電から表明されたことは大きな成果だった。脱原発社会へ向けての半歩前進であった。

 事態から一カ月以上たって、政府の復興構想会議のメンバーが公表された。福島県の三春在住の玄有宗久氏がメンバーに加えられた。梅原猛氏が名誉議長に加えられたのは、彼が東北で人気が高いことを思えば、なるほどと思える人事だ。しかし、全体としては、五百旗元防衛大学学長をトップに起用するなど、危機管理という観点が強いという印象を受ける。

 内館牧子氏、読売新聞編集委員の起用は意味がわからない。建築家安藤忠雄氏の起用も適材適所かどうかわからない。彼には都市建築のイメージはあるが、農漁村建設者というイメージがない。実際には例によって官僚が影で牛耳る看板だけの会議になるのではないだろうか。

 まず、そもそも東北は過疎・高齢化に悩み、経済力の弱い地方であるという基本的なところをおさえる必要がある。そこから歴史的に蓄積されたものがあって、深いところにそのうっ屈した感情があるということだ。以下の記事に示されているのは政府不信の現れであるが、では誰を信頼すればいいのかということがわかっていないという状態を示している。そこで、旧来の復興需要目当てのゼネコンの願望を反映する復興ではなく、住民主体の復興ということが重要となる。その点で、地域主導の復興を主張する達増岩手県知事がメンバーに入っているのはその取り込みというふうにも見える。そのように、この復興過程には地域という観点がなければならない。それと、この復興構想会議に、脱原発という観点がないのが大きな問題だ。原発のない社会をどう作っていくかという観点を持つ人がいないのだ。この点になると、日本全体の問題になり、さらにその行方は世界に影響を与えることになる。

 復興過程は、地域という観点と脱原発という観点の二つを持たなければならない。そして、その時に、東北地方における実際の働き手が、研修生名目などでの外国人労働者になっていたり、都市部においては在日も地域社会の一員としてあることを考えれば、在日外国人もこの過程の主体である。被災者として差別することなく、復興過程でも差別することなく、この社会の活動の担い手として協働する社会建設に参加するのは当然のことだ。この復興構想会議にはそうした人がいない。これも問題だ。障害者などの災害弱者の問題もある。

 いずれにしても、これらの社会建設の内容を実現する政治というものが必要で、その政治主体は、これらを含まなければならない。そこで、地域政治勢力・脱原発政治勢力、差別的・排外主義的でない政治勢力…を構想し、運動として発展させなければならない。その時に、東北の場合は、都市化→市民の創造→市民革命という経路をイメージするのは現実的ではないし、歴史的必然性もない。共同体運動を復興の主体とする方がリアルである。そのことを踏まえて、大都市部における脱原発社会の創設という課題、そのような変革=自己変革的な主体の形成と運動を早急に発展させなければならない。そうでなければ、犠牲者は浮かばれないし、都市と農漁村の間の自由で平等な関係を形成するような関係性を築けない。都市部の進んだ市民が田舎の遅れた民衆に説教を垂れるという構図に陥ってはならない。たんにかわいそうな遅れた田舎者を助けてあげるというのでも駄目だ。まさに共に社会を担う、創る主体として、相互承認することだ。今はショックで打ちひしがれている人々もまもなく立ちあがって、自ら声を上げ始めるだろう。福島県郡山市出身の俳優・西田敏行氏の原発への怒りの表明は、福島の多くの被災者のその魁の声だ。彼は今福島県の被災住民の前衛の位置にいる。

 さらに、この事態は世界を変えている。ドイツで州政府一つをひっくり返し、世界経済にダメージを与え、世界の原発建設を止めた。これは、世界史的事件であり、世界的な思想変化をも生み出すだろうし、政治や社会のありかたを変えるような衝撃を与えている。しかし、この国の今の言説空間は退廃し、「安全神話」を繰り返すだけの東電と一体の御用学者やマスコミなどによって、ごまかしが広められている。しかし、人々は政府やマスコミのこうした垂れ流し情報を懐疑し正確な情報を求めている。そこで、一部市民運動家は、「いいこと」を言うだけで自己満足しているように見える。何かをし、したことに対してリアクションがあり、そこで何かを変えていく、という変革的プロセスの主体たるべき時に、「いいことを言う」ことはそのごく一部に過ぎないという態度を形成することが必要である。

 地域政治・社会勢力(地域政党)の登場とそれとの連携という課題、あるいは、グリーンという選択肢の台頭ということも課題として浮上するだろう。脱原発の社会への移行を、歴史的な社会関係の自己変革的プロセス、市民社会から自由で平等な共同社会への移行として進められることが出来るのかが問われていると思う。そこに国境線を引く事は出来ないし、引いてはならない。

安全なの?危ないの? 30キロ圏外、振り回される住民

2011年4月12日(朝日)

 計画的避難区域とされた福島県飯舘村。ほとんどが福島第一原発の半径30キロ圏外で、避難指示や屋内退避指示(自主避難要請)ではなかった。

 「何で今ごろになって避難なのか。国の言っていることはとにかくちぐはぐ」

 従業員68人を抱える精密部品加工会社を営む林和伯さん(67)は憤る。先月中旬、従業員の強い要望で操業を再開したばかり。「命令でもない限り、国から言われても村から出るつもりはない」

 村中心部に住む農家の女性(55)も「この前、国際原子力機関(IAEA)が村は危ないと言ったのを国が打ち消したのに、今度は避難しろという。一体どっちなのか」と戸惑う。

 村は先月19日から、希望する住民を栃木県鹿沼市に避難させた。だが、和牛農家を中心に、徐々に村に戻る人が増えている。その一人、菅野千代子さん(69)は牛が心配で先月末から自宅にいる。「戻れて良かったと思ったのに今度は今生の別れだなんて。心の準備にまだ時間がかかる」

 飯舘村の西側に隣接する川俣町も一部が計画的避難区域に入った。同町山木屋で乳牛80頭を飼う牧場経営者、高橋健司さん(38)は「牛はうちの財産で生活の糧。見捨てることはできない」。原乳の出荷制限で乳は搾って捨てている。従業員1人を解雇し、牛乳やチーズなどの製造工場も休業。健司さんを手伝う母の里子さん(64)は「町からは何の連絡もない」と途方に暮れる。

 町内で民生委員を務める渡辺とくいさん(67)は「30キロ圏外は大丈夫だといっていたのに、何を信じていいのかわからない。国がしっかりした情報を発信してくれないと混乱するばかり」と話した。

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人より原発エネルギーが大事と産経は言うが

 「事故の推移を全世界が固唾をのんで見守っている。爆発は起きているが、稼働中の爆発だったチェルノブイリ事故とは本質的に異なる。正確な安心情報を発信していく努力が、放射能汚染へと段階が進んだ今こそ必要だ」。「正確な安心情報」! なぜ、「正確な」と「情報」の間に「安心な」という形容詞を入れたのか?

 「欧米諸国では、原子力発電を危惧する声が起き始めている。安全技術の高い日本で事故が発生したがための皮肉な現象だ」。「皮肉」? 

 「東京電力と国には、大災害に発展した事態の克服を通じて、日本の原子力技術の信頼性を世界に示してほしい」。

 今は緊急事態だ。何よりも安全なところまでもっていかなければならない。それには、東電社長はじめ、幹部や大株主の連中は、現場で放射能を浴びつつ懸命の作業をしている人々の士気のためにも、現場で先頭に立つことが必要だ。それがリーダーシップというものだ。それが政治家にも東電上層部にも欠けている。

 いってい事態が落ち着いてきたら、原因究明と責任追及が本格化する。賠償問題も発生する。「日本の原子力技術の信頼性」は、技術のみによって評価されるのではなく、社会との関係で評価されるべきだし、そうなるはずだ。もはや、東電というネームに対する否定的感情は短期的には修復不可能なレベルに達していると思う。人に喜びや幸福を与えられず、不幸と苦しみを与える企業を社会は許さないだろう。国がいかにかばおうと社会的制裁があるのは間違いない。その制裁の試練を潜り抜け、社会的信頼を回復するには驚くべき努力と忍耐の長い歳月を要するだろう。それが可能なのか? 一電力会社としては、法人解散、別の電力会社への譲渡や売却しての出直しという道もありうる。

 「事故を理由に原子力発電に背を向けてはなるまい」。背を向けるべき時に「背を向けるな」とは! この点、コメントを寄せていただいたクテシフォンさんの言うとおりです。

 「米国でも炉心溶融が起きた1979年のスリーマイル島事故後、原発の建設が止まってしまった」。当然だ。国民の生命と財産を守るのは国民国家の義務ではないか。少なくとも看板にそう書いてあるんじゃないか。看板に偽りありということか!
 

 「エネルギー小国・日本での、そうした事態は避けたい」。それでは国家としての義務が果たせないではないか! 一日何時間か停電したからといって、どれだけの人の命が失われるというのか。病院その他の部分を優先すればいい。国会もロウソクの灯りで行ったからといって、命を失う人はまずいないだろう。「それには、まずは国民の理解が必要だ」というが、今となっては無理というものだろう。

 「これからの長い取り組みに、日本と世界のエネルギー利用の将来がかかっている」。そうだ。これにはアメリカのオバマ政権の産業政策の未来がかかっている。しかし、どうやら、横須賀から原子力空母がアメリカ人多数を載せて逃げてしまった。原子力エンジンを積んだままだ。漫画みたいに。

 原発を売って儲けたいという本音を隠さないで、正直に言えばいい。産経は、人よりも社会よりも資本が大事、大儲けが大事だと。産経は、儲けるにも良い儲けと悪い儲けがあり、社会正義があり、倫理があり、悪には社会的制裁が必ずあるということを身にしみて思い知る必要がある。歴史にはいくらでもそれを示す例は見出せるし、身近にもある。それを見ようとしないからと言って、それからまぬかれないという実例が無数にある。

原発電源回復 日本の技術の信頼かかる
産経
2011.3.24
 東日本大震災の大津波で被災した東京電力福島第1原子力発電所に、外部からの電気が届く状態になった。

 不眠不休の現場の働きで実現した待望の電源回復だ。巨大な原発システムをコントロールする中央制御室内にも明るい照明が戻り始めた。

 作業効率が上がるだけでなく、計器類も回復すれば原子炉内の圧力や温度などが把握できるようになる。原子炉を安全な「冷温停止」に向かわせるための前準備が整い始めた。進展を注意深く見守りたい。

 第1発電所では6基中、4基の原発が停止後の冷却失敗などで、危機的な状況に陥った。最悪の状態を脱しつつある感はあるが、まだまだ楽観は許されない。

 今回の原子力多重事故は、世界にもまれだ。完全終息への全作業を、そびえ立つ連山に登る道程に見立てると、今は、登山口にさしかかった段階にすぎない。

 高温の原子炉圧力容器は、やむを得ず注入した海水で、内部が“塩釜”状態になっている。

 この容器内と燃料貯蔵プールのウラン燃料を水の循環で冷やすことが焦眉の急である。注水ポンプだけでなく、燃料が出し続ける余熱(崩壊熱)を海水の冷却力で取り去る系統の復活が不可欠だ。

 そうした上で燃料の損傷程度を確認し、本格的な炉心溶融への進行を食い止め、放射性物質の外部飛散を阻止したい。

 事故の推移を全世界が固唾をのんで見守っている。爆発は起きているが、稼働中の爆発だったチェルノブイリ事故とは本質的に異なる。正確な安心情報を発信していく努力が、放射能汚染へと段階が進んだ今こそ必要だ。

 欧米諸国では、原子力発電を危惧する声が起き始めている。安全技術の高い日本で事故が発生したがための皮肉な現象だ。

 東京電力と国には、大災害に発展した事態の克服を通じて、日本の原子力技術の信頼性を世界に示してほしい。事故を理由に原子力発電に背を向けてはなるまい。

 米国でも炉心溶融が起きた1979年のスリーマイル島事故後、原発の建設が止まってしまった。エネルギー小国・日本での、そうした事態は避けたい。それには、まずは国民の理解が必要だ。

 これからの長い取り組みに、日本と世界のエネルギー利用の将来がかかっている。

号機の炉心、一時400度に…燃料棒露出続く

福島原発
 原子炉内の温度が、一時400度まで上昇した福島第一原発1号機に関して、東電は23日未明から仮設ポンプで、海水の注水量を増加、冷却作業を進め、午後6時現在で温度を306度まで下げた。

 しかし、燃料棒は水面から露出したまま高温になったとみられ、圧力も上昇し、炉内の状態は不安定なままだ。専門家も炉心の一部が溶けた可能性があるなどとし、十分な警戒が必要としている。

 元原子力安全委員の住田健二・大阪大名誉教授(原子力工学)は、「同じように原子炉内に注水し続けている2号機の温度(約100度)と大きな温度差があるのが気になる」と指摘。「炉心の一部が溶け、炉内が高温になったと考えられる。圧力容器を溶かすほどではないが、炉内が落ち着いていない。温度は今後、急上昇する危険性がある。細心の注意が必要だ。最も重要なのは、炉の近くで中性子線の有無を確認し、核分裂反応が連続して起きる臨界がわずかでも起きているのかどうかを知ることだ」と話す。

 「異常な高温状態だ」と話すのは杉山亘・近畿大原子力研究所講師(原子力安全学)。約70気圧になる通常運転中でも水温は280度程度にとどまるとし、「冷たい水を高温の原子炉内に入れると、(原子炉につながる)給水配管が急な冷却で、破損するおそれもある」という。

 宮崎慶次・大阪大名誉教授(原子力工学)は「原子炉の上部と下部で同じ約400度を示したのは、燃料の上部が冠水していないというより、水がほとんど入っていないのではないか。圧力容器を壊すような数値ではないが、深刻な状況が続いていると言える」としている。

(2011年3月24日09時23分  読売新聞)

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