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頭の良し悪し、革コン

 頭の良し悪しというものは、それを測る尺度によって異なるもので、今は一般世間では偏差値がその代表的なものとされているけれども、それは基本的に暗記力という尺度によるものでしかない。それは極めて限られたもので、もっと他にその尺度が存在している。構想力もそうだし、倫理力もそうである。そして、判断力も。歴史を見ていると、そんな馬鹿なことをなんでやるのかというケースに多くぶつかる。運動世界においても、それが見られる。偏差値などは運動主体の尺度としてはまったく無意味である。

 東九条解放運動においては、友常氏が『戦後部落解放運動史』で書いているとおり、運動の主要な担い手となった東九条青年会は、地域の在日・被差別部落出身などの青年たちの集まりであった。最初は、共産党系であったが、かれらが主体性を強く発揮し始めると、朝田一派だとレッテルを貼られたため、共産党から離れ、以降は、セツルメント(→底辺研究会)などの支援者らと組んで、運動を継続した。発行主体は異なるが、『九条思潮』という最初の冊子名は継承された。かれらの闘いなくして東九条の地域としての性格を具体的にふまえ、マッチした解放運動の形成は不可能であったと考えている。地域の歴史的具体性を離れた一般市民的な立場では、このような運動は担いえず、実際、そうした市民運動はこの地域で根を下した運動主体になりえていない。同じ地域に拠点を置いてても、浮き草のように水の上に浮かんでいるにすぎないのである。見た目はどうでも、実際には、力がないのである。東九条で根を下ろした運動をしようとする中で、言葉や言葉遣い、態度・振る舞い、文化性、生活まで変わるという「生まれ変わり」を経験したので、東九条は第2の故郷になったのである。

 「革コン」では、今の学生や若者たちがどういう問題に直面しているのかがよくわかったし、この数年の間に、この社会が根底から変化しつつあることが理解できて、ためになった。かれらは、自分の直面していることについてしっかりとした意見を持ち、主張することができることもわかった。よい討論ができたと思うし、それはもっと広がっていくことだろう。たぶん、多くの若者が似たような状況におかれており、そこで直面していることについて、自分の頭で考え、まわりの人たちと意見交換し、行動しようとしていることだろう。

 大人たちは、すっかり既存のものの考え方ややり方に安住してしまって、それが現実とどれだけずれてしまっているのかを多くが反省できていない。そのまま、その延長上に明日を描くから、はずれてしまうのだ。時に、動きながらでも、こういう時代の根底がどうなっているかをしっかりと自己反省的に理解する意識的な努力がいるのである。そうすると、年齢などというのは、そうしたことにとってたいした意味がないということもわかるようになるだろう。そういうどうでもいいものに意識を多くとられるのは、若者であれ、大人であれ、時間の無駄、人生の浪費でしかない。他にもっと考えねばならないことがたくさんある。

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『部落解放運動への提言』について2

 『部落解放運動への提言』一連の不祥事の分析と部落解放運動の再生にむけて(2007年12月12日、部落解放運動に対する提言委員会)は、④として、新しい文化を創造する必要があると述べている。

 『提言』は、「部落民としてのアイデンティティを確立するためにも、被差別民の担ってきた文化・芸能・産業技術に関する歴史認識を高めていかねばならない」と述べている。これ自体は、『水平社宣言』にあることである。歴史認識が、誇りうるアイデンティティの確立につなげるというのは、どこか、ナショナルアイデンティティの確立のため、国民としてのプライドのために、歴史認識の変更、「自虐史観」でっち上げ攻撃をしてきた藤岡信勝らのバックラッシュ派の主張のようではあるが、違うのは、アジアの歴史・文化の理解ということを言っていることだろう。もちろん、バックラッシュ派にしても、渡来人たちによる技術・知識・文化などの伝播と影響を認めていないわけではない。

 バックラッシュ派は、「いつの時代においても、その社会の産業技術、文化芸能、交通と流通、民間信仰などの領域で、実際にその担い手、制作者、伝播者として働いてきたのは、多くの名も無き民衆だった。このような民衆史の視座をしっかりと踏まえながら、あらためて日本の歴史と文化を見直していかねばならない」というような名も無き民衆の歴史創造力を認めないか過小評価しているのである。歴史は、時々の支配階級が作り上げたというのが、かれらの歴史観である。かれらは、明治維新は西郷隆盛や吉田松陰や長州や薩摩や勝海舟などの武士や当時の有力者たちが起こしたもので、かれらこそが、近代日本の創始者たちだと言いい、それに対して、「自虐史観」派は、農民一揆だの都市民衆の打ちこわしだのの民衆運動は、それにたいした影響を与えていないのに、不当に持ち上げられていると批判する。勝海舟が江戸城無血開場したのは、江戸を火の海にしたくないという勝の美談として伝えられているが、江戸で戦闘がおきれば、民衆蜂起が起きることになりかねないことを危惧したのではないだろうか? 巨大な人口を持つ江戸で、民衆を巻き込んだ内乱が起きれば、その混乱に、米英帝国主義諸国がなんらかの介入を行ったかもしれない。すでに、幕府にはフランスの軍事支援が、薩長にはイギリスの軍事支援があって、それぞれ、外国の後ろ盾をもって、戦闘を続けていたのである。

 『提言』は、「被差別民の歴史について、差別・貧困・悲惨の視点からだけでなく、その果たしてきた生産的・創造的役割について明確に提示し、「胸を張って」部落を語れる状況をつくり出していくこと」を訴えている。しかし、「胸を張って」部落を語れるためには、過去の輝かしい生産的・創造的役割について認識するだけでいいのだろうか? 今日の部落をこそ、「胸を張って」語れるようにしていくことが必要なのではないだろうか? それには、運動の歴史の生産的・創造的役割を明確に示することが必要だろう。

 「部落解放運動の過去・現在・未来(1)――山内政夫氏(柳原銀行資料館)に聞く――(インタビュー記録/聞き手:山本崇記)というネットの記事で、山内政夫氏は、以下のように述べている。(【山内政夫氏・略歴】 1950年、京都市東九条生まれ。小学5年生の時から丁稚として働き出す。陶化小学校・陶化中学校卒。17歳のときに自主映画『東九条』の制作に監督として参加。その直後に共産党から除名。工場などで働きながら、地域の青年たちと反差別の運動に取りくむ。30代になってから資格を取り鍼灸師として開業。1984年に部落解放同盟に加入。2003年~2006年まで部落解放同盟京都市協議会議長を務め、辞任。現在は、柳原銀行資料館で地域史(部落史)を丹念に掘り起こしながら展示としても広く発信し、さらに、崇仁・東九条でまちづくりに携わっている)。

 「山内:もうたくさんのお金を使って中央に集結したり、派手にしたりすることは全然必要ないと思うんですね。言うたらまあそんな大きな組織を作って、未曾有の成果を生んできたということを言うて、再度それを身につけるということはよくない。組織はなくても、解放同盟でなくても運動はできるだろうと思うんだね。結局は中身の問題が問われることになると、そう思ってるんですね。行政に何でもかんでも任してやれば運動も楽やけども、歯を食いしばって自分たちで何かを作り上げていくということが根幹になければ社会運動としては成立しない。「昔日を」みたいなことを求める運動であれば解散した方がいいんだと思うんだ。若い人はもうほんとに先ほど展開したように、町内にしっかり足場を持ってやるということで、大きなことをやるんではなくて小さいことを積み上げていくということで十分やと思うんやね。それを通してコミュニティをもう一回再生するという緊急の課題なんでね。それに一生懸命取り組む気がなくてね、組織防衛に汲々としているのであれば、そんなことはやめたらどうだと思ってる。
 同和事業もね、最近どこの地区を回ってもね、昔の良い所がほとんど見られへんのやね。それはバラックのままでいるということは辛いことやけどね。それが改良住宅になって住みやすい環境になって、それは結構なことですよ。ただ、それが解放運動なんけと。当初、水平運動をやった人たちの目指したことなんけと。あるいは部落解放同盟になって「オール・ロマンス」闘争を経て来た人たちもひっくるめてね、今の部落の状況を見て今の部落の状況がいいと思っているのかと。私は思ってないと思ってるんでね。だから私は十分な検討がなく同和事業が進むということはよくなかったんだろうと。あらゆる領域でね。だから共産党が言う「毒饅頭論」をあえて今否定はないけどね、こんな事業がなくても良かったんじゃないかということ。そのような議論をしてみる必要があるね。昔の私らの感覚の中では、部落というのは貧しくても活気あって元気やったし、神秘的な面もあったし、いろいろな人がおったし、好き嫌いでいうとああいうのがすっきゃね。何かハコモノが変わってどこ探しても人がいないと。一面、美しくなって市民に近づいた。市民らしくなるのは結構やけど。それって全然解放運動という実感をしない。同和事業の根幹的な見直しということはそういうことなんでね。ただ、だからやめるとかそういう話ではなくてね。もうはなっからね、はなっからあってよかったんかどうか分からん。そういう話です。
 お前今まで関わってきて促進してきてどうなんやと言われるし、そういう批判も甘んじて受けるとして、今の地点に立ってみると、崇仁もこの5年間で約500人の人口減少があった。今年の崇仁自治連合会の新年会で奥田会長がそんなことを言わはった。それは非常に私らもショックで。何やとこれは。崇仁はそんなに魅力のない町になってんのかいと。そんなところに俺がそんなさまざまな投資してもいいんかいなと。これはもう完全に新たな取り組みが求められている。それがないならば、もっと言うと同和事業はやっぱりやめてよかったと、そういう結論を下していかなあかんと。僕はつい最近までね、行政の人にも、若い青年たちにも部落解放運動をやってよかったなと、同和事業をやってよかったなというような終わりをどこでつけるんだということの中で、検討委員会、企画推進委員会、まちづくりの診断、NPOとこう求めてきた。
 ただ事態はもっと深刻な状況になっているんではないかと感じている。もちろん諦めるということではないし、幸い部落解放運動の中で時間をとられすぎて、東九条のことを返り見ることがなくて、今度、東九条北河原改良住宅の建替えを契機に東九条の新しいまちづくりを進めていく中で、もう一度今東九条のことを見直しています。部落解放運動が1980年代に「国際連帯」ということを言い出した時期があるけど、別に海外に行って、そんな展開とかそんな話ではなくて、もっと足元で出来ることがたくさんあるだろうと思う。
 前回の市長選挙の総括の中で山本さんが「市民運動」の力量のなさを挙げて、「地域の運動」と足場をもたない市民運動の連帯・連携が求められている。その現場には京都であれば「東九条」こそがふさわしいと思う」。

 山内氏が「市民らしくなるのは結構やけど。それって全然解放運動という実感をしない」というのは、『提言』の強調する市民主義に対する批判となっている。部落のアイデンティティの強調は、市民とか国民とかいう抽象的な枠組みと齟齬をきたす可能性があり、その破れがあるからこそ、国際連帯が可能になるというようなことではないだろうか。

『部落解放運動への提言』

④新しい文化創造の時代

今後の市民社会の中での部落解放運動において、とりわけ重要になるのは新しい文化活動の展開である。部落民としてのアイデンティティを確立するためにも、被差別民の担ってきた文化・芸能・産業技術に関する歴史認識を高めていかねばならない。
このような課題は、今後の市民啓発においても重要である。
部落問題が大きい岐路に立っているとき、被差別民の果たした歴史的な役割とその意義を、あらためて市民全体に訴えていくことはきわめて重要である。日本の歴史と文化の深層には、被差別民によって担われてきた地下伏流が走っている。
被差別民の歴史については、差別、貧困、悲惨の視点だけではなく、その果たしてきた生産的、創造的役割についても明確に提示していかなければ、部落解放運動の大目標とそのアイデンティティを確立することはできない。
いつの時代においても、その社会の産業技術、文化芸能、交通と流通、民間信仰などの領域で、実際にその担い手、制作者、伝播者として働いてきたのは、多くの名も無き民衆だった。このような民衆史の視座をしっかりと踏まえながら、あらためて日本の歴史と文化を見直していかねばならない。
日本の歴史と文化の中で、被差別民の果たしてきた生産的、創造的な役割について正しく理解されること、未来を担う部落の子どもたちが自分たちの先祖が部落民であったことを胸を張って言える時代がくること、そしてさまざまな困難な状況を乗り越える新しい文化を創造すること―その時こそ、真の部落解放の力強い歩みが始まったと言えるであろう。部落解放運動における新しい文化創造の活動に関わる留意点として、以下の諸点を提示する。
..被差別民衆の視座から日本ならびにアジアの歴史と文化を見直し、人間的誇りと連帯の根拠を究明していくこと。
..被差別民の歴史について、差別・貧困・悲惨の視点からだけでなく、その果たしてきた生産的・創造的役割について明確に提示し、「胸を張って」部落を語れる状況をつくり出していくこと。
..識字運動や部落解放文学賞などの充実を図るとともに、各地の門付芸や人形芝居などの伝統芸および竹細工芸などの被差別部落の伝統文化の保存・伝承に力を入れること。
..大阪人権博物館や奈良水平社博物館などを中心に反差別文化・人権資料展示の全国ネットワーク活動と文化広報活動を強化すること。

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細木数子と陽明学

 先に、さんざん予言をはずした上で、テレビ番組をすべて降りた細木数子の師匠は、安岡正篤と言われている。

 この二人は似たもの同士である。

 安岡正篤は、「知行合一」を説く陽明学者ということになっているが、ある陽明学の解説書によると、彼は知行不合一であったという。彼は戦前に金鶏学院という私塾を開いたそうだが、そこで過激な煽動を行っていたという。それに惹かれて集まった弟子たちは、しばらくすると、彼が口先ばかりで実際にはなんの行動も起こさないことがわかって、離れていった。そうして、歴史的な右翼の起こした諸事件の間近にいながら、そのどれにも自らは参加することがなかったという。彼から離れていった人の中には、知行合一を実践して、大事件に関わった者もいるという。

 安岡は、北一輝・西田悦らと結社を結成する。だが、彼らが関わったとされる諸事件には関わっていないとされる。ただ、彼は、時の権力者に取り入るのがうまかったらしく、それによって延命してきたという。戦後、彼も戦犯として東京裁判にかけられるところを、有力な政治家に頼んで、免れたということもあったらしい。

 戦後は、吉田茂や大平らの歴代首相の指南役と自ら名乗ったらしいが、彼を知る者は、それはでたらめだと言っているという。

 さらにその本では、彼が血統に強いこだわりとプライドを持っていたということが出てくる。

 いずれにしても彼が山師であったことは明らかで、そうそうたる日本の陽明学派の実践家たちとは月とすっぽんであることは間違いない。日本の陽明学派からは、大塩平八郎はじめ、橋本佐内や吉田松蔭や横井小楠や西郷隆盛など歴史に名を残す者が出た。安岡はそんな事業には一つも参加することなく、晩年には、細木和子の経営する店に出入りしては酒飲み三昧の日々だったようで、最後の最後には、親族に連れ戻され、細木と結婚の約束をしたしないの争いの中で、死んだ。子孫はいない。自慢の血統も絶えたわけだ。

 このような山師のご威光を借りたのが、細木数子であるが、師同様の知合不合一であり、陽明学が理想とする仁政主義はそっちのけで、上に甘く、下に厳しいという逆の道徳説教を行った。上にあげた陽明学派の人たちは、上を厳しく批判して、死刑や島ながしや投獄や左遷などの措置を受けた人ばかりだ。どこに、彼女のように、高級品を買いあさって身を飾り、使いきれないほどの財産を蓄えて、贅沢に暮らした者がいたか? さすがに彼女も、陽明学派を名乗らなかったのは、それではあまりにもその教えと自分の生き方の間に天地の開きがあることがばれてしまうから、さすがに、できなかったのだろう。

 安岡が陽明学の名を汚したことは間違いなく、だからこそかの本の筆者は、口を極めて、安岡を批判して、かの自称陽明学者を真の陽明学者とは認めていないのである。権力者の近くには、常に、こういう怪しげな人物が取り入ろうとしているわけで、中にはかなり食い込むも者もあるわけだ。ただ、細木は、それほどの者ではなく、小人物であるから、一般人相手の小商売で稼ぐのがせいぜいなのだろう。それを持ち上げて利用したのは、テレビの方である。持ちつ持たれつで、お互いに利用してきたわけだ。そして、利用価値が減ってきたところで、さっさと細木は逃げたというわけだ。たんまりと稼いだあぶく銭を持って。

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新自由主義からの転換の年へ

 アメリカ経済が、当分回復の見通しが立たないということでは、おおむね経済人の共通認識ができているようである。

 年初来、アメリカの株価は大幅に下落し、それにつられて、日本の株式も値を下げた。そして、このところ、続いていた円安から、一転して、ドル安円高に為替相場が動いた。輸入物価上昇が続いて、国内消費者物価が上昇を続けている最中で、円高は、それにブレーキをかける要因である。もちろん、輸出産業は、為替コストが上昇するので、苦しくなる。それに、この米ドル安は、アメリカの輸入減少を伴うと考えられるから、その点でも、アメリカ市場向けに輸出をしている企業は、苦しい。

 しかし、それにかわって台頭してきているBrics諸国やEUなどの市場規模が拡大しているし、それに、中国の場合、購買力が向上しているので、高いハイテク製品などでもどんどん買ってくれるのではないだろうか? それに、EUは、もともと環境問題や健康問題に厳しく、輸入制限がきつい。高度な技術や質を求められるので、技術力を誇る日本の輸出産業にとって、有望な市場であるといえる。

 こういう経済的な世界の多極化と日本政治の日米関係一元化の間の矛盾は、拡大している。しかしながら、経済人の間では、これからは中国だという声が聞こえる。少なくとも、北京オリンピック・上海万博までは、バブル崩壊などの不足の事態がなければ、中国の高成長は続くだろう。アメリカが、経済的に停滞を強めていけば、ますます、世界の企業は、中国市場にかけていくだろう。

 もちろん、インドに対してもである。日本政府は、急成長を遂げているインドとの間に、アジア通貨危機のような経済危機が生じた時に、緊急融資する協定を結んだ。

 このような国際通貨危機の際の金融対策として、政府資金を投入する仕組みは、これまでのIMFを通した間接的な対策ではなく、直接の政府支援として組まれたことが、新しいところである。これは、新自由主義経済学にはありえない対策で、「社会主義的」なやり方である。しかし、それは、アメリカで、サプライム・ローン破綻対策として、事実上の公的資金投入が行われたように、いくら「自由市場」的な仮面を被せたところで、「社会主義」的なやり方をとらざるを得なかったのと同じことである。市場のことは市場に任せておけなかったわけで、新自由主義経済学の基本が崩れたのである。

 しかし、この間の、新自由主義が世界を席巻する中で、多くの人々が、貧困の中に閉じ込められたことを考えると、それは、無償の饒舌ではすまされるものではないことはいうまでもない。今年は、こうした世界の流れの転換点となるだろうし、そうしたいものである。

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