小泉政権発足から丸5年が過ぎた。このところ、格差拡大・固定化の格差社会化をはじめ小泉政権の「影」についての議論が活発になっている。
小泉首相自身は、「古い自民党をぶっ壊した」ことを成果として強調し、自画自賛している。しかし、この古い自民党とは、1970年代に作られた田中派支配の自民党のことであり、小泉政治は、ある意味で、それ以前のさらに古い自民党政治に回帰したともいえる。
高度成長期、経済成長重視の経済政策で、都市の過密、農村の過疎、公害、等々の「影」が拡大し、耐え難いまでに大きくなり、学生運動から労働運動から社会運動から、続々と誕生した革新自治体から、その是正を求める人々の声が強まり広がったのに対して、田中角栄政治が、保守側の修正派・改良派として登場したのであり、それは、地方の開発(新全総など)、環境庁設置、社会保障制度の充実、等々として現実化したのであり、こうした公の介入の増大が、同時に利権構造や癒着などを深めることにもなったのである。
そして今、こうした田中政治の古い自民党をぶっ壊して出てきたのは、それ以前のもっと古い自民党政治であり、その結果が、首都圏や大都市部への人口集中・過密化、農村の高齢化・過疎化、格差拡大・固定化の格差社会等々である。60年代の高度成長時代の記憶も薄れているが、田中派自民党は、佐藤政権下で拡大した社会矛盾に対応しなければならなかったのである。そうして当時は改革派だった田中派自民党が、その後、90年代まで、続いてきたのである。
それに小泉政権の構造改革路線は、多国籍資本(大企業は多くが多国籍化しているので、ほぼ大企業と同義である)の利害を反映している。ただし、トヨタなどの多国籍資本が望んでいる対中関係の改善は、小泉首相の靖国参拝へのこだわりで、できないでいるが。
小泉首相が、国会で、靖国参拝を問われて、「誰にいわれて参拝しているわけでもないし、誰にも指図されない」と答えたのは、孤立した個人主義への信念を表したものである。ここでは、それは、韓国・中国などの外国に言われて参拝中止することはないという意味であるが、こういう一般論的な信念表明の形で言うと、たとえ国民投票で靖国参拝中止が多数になっても参拝を止めないと言っているようにも取れる。そんな民意にも従わないような超民主主義的権限、独裁権を一体誰が認めただろうか? しかし、同時に、「誰にも靖国参拝を指図しない」と次期総裁には、靖国参拝を求めないことをも明らかにしている。
総理就任時には約90%の圧倒的な支持があったとはいえ、今、新聞などの世論調査で、50%前後の支持率である。靖国参拝については、人々の世論は揺れ動いており、半々に割れるようなことも多い。小泉総理は、A級戦犯が合祀されていることを知り、東京裁判の結果を正しいと認めながら、つまりは、東条英機らを戦犯と認めながら、戦争の責任者とその指示・命令に従って命を落としたその他の戦没者を区別しないで、「不戦の誓い」をする。
保守を自認する西尾幹二氏は、東京裁判を正しいと認めながら、しかも戦争に勝つことを信じ目指して戦死した「英霊」に、「不戦の誓い」をするというのは間違いだと批判する。氏は、靖国に参拝するなら、今度は負けないと誓うのが正しいのだと言う。これは、遊就館に表されている靖国信仰の心髄とも一致しており、小泉首相の靖国参拝の仕方は、その心髄を否定するものである。靖国思想では、天皇のために闘った官軍の犠牲者こそ、「英霊」という霊の中でも特別優れた霊なのであり、あの世で、天皇のために命を投げ出して奉公することを願っている「英霊」なのであり、「不戦」を望んでいるなどということはありえないというふうになっている。アメリカ大統領は、アーリントン墓地で、不戦を誓ったりするだろうか?
なお、西尾幹二氏は、戦艦大和撃沈の戦死者をはじめ先の戦争の戦死を無駄死と描く反戦映画(西尾氏曰く)の「男たちの大和」が若者を中心に流行ったことを見て、本人も映画を観ながら涙を流したそうだが、9条改憲は当分無理だろうと思ったそうだ。さすがは、彼はニーチェ学者だけあって、ワーグナーの壮大で神聖な国民劇の世界にいったんは惹かれたが、後にそれを脱して、ビゼーの「カルメン」の俗な民衆劇の世界を愛好するようになったニーチェの俗物性に学んでいるのだろう。
『唯物論研究会』の故船山信一と縁続きで、講座派エリートのサラブレットの系譜に連なってきた藤岡信勝氏の高尚さとは対照的である。自由主義史観研究会なるネーミングのセンスもなにやら、義理の叔父を意識しているかのようである。ニーチェは、超人に奉仕する宗教を欲したが、自らは宗教を利用するのであって、信仰しないという無神論者であった。なお、船山信一は、フォイエルバッハに傾倒し、その人間学的唯物論を高く評価し、その翻訳や紹介に務めた(『フォイエルバッハ全集』『唯心論と唯物論』岩波文庫訳など)。
靖国神社は、たんなる一神社ではなく、独特な靖国思想・歴史観を持つ特殊な政治勢力の拠点であり、「内心の自由」などという次元ではすまされない特殊な政治的空間として作られている。それを示しているのが遊就館である。小泉首相は、遊就館は関係ない、東京裁判の結果を受け入れ、A級戦犯の存在を認めていると言っている。しかしやっていることは、A級戦犯とその他の戦没者を一緒くたにして、参拝しているのであり、「内心」ではそれらを区別しながら、「外面」「行為」では区別していない。東京裁判にいろいろな問題があるのは確かであるが、しかし戦争責任が当時の指導部にあることは、日本自身が裁いてもおなじことで、東条英樹にも責任がある。そしてそのことを彼自身が認識していたことは、家族の証言でも明らかである。東京裁判を否定したとしても、そのことに変わりはない。
保守派から見ても、小泉首相のやっていることは、保守的ではなく、ましてや愛国主義的ではない。個人主義的で、合理主義的で、国際的なのである。欧米人が黄色い皮膚を被っているような感じである。靖国参拝にも魂や心が感じられないのである。総理大臣という公人が、自我にとらわれ、メンツや外面を異常に気にしているようにしかみえない。彼は、教育基本法改定の森元総理の狙いである公共の精神をもっていない、戦後民主主義的な個人主義の行きすぎた人に見える。
景気は回復しつつあるとはいうものの、景気循環は、基本的には政策によって自由になるものではない。これをなくすことは、社会主義の目的であり、資本主義ではありえないことである。したがって、好況・不況、停滞、上昇、過熱、恐慌、等々の経済変動が、つきまとうのであり、ケインズ主義は、それを政治的分配の管理によって、多少の緩和をしたにすぎないのである。それにもかかわらず、マル経の大内国独資論などは、ケインズ主義の採用によって、資本主義的経済法則が完全変容したかのように主張した。しかしそれは誤りであった。
自由主義経済政策をとれば、かならず失業者が多数出ることは、19世紀のイギリスの歴史からもわかっており、それがチャーチスト運動などの労働運動を大きくさせたし、諸種の社会主義を発展させた。キリスト教社会主義、リカード派社会主義、チャーチスト、空想的社会主義、等々。レーガン、サッチャー時代も同じだった。そして、小泉構造改革の結果も同じである。失業が大きく減るのは、好況の最後の景気過熱の段階である。そしてその時に、恐慌が準備されるのである。つまり、内的不均衡が著しくなるのである。ちょうど、バブル末期に、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を誇っていた時のようにである。この時、卸売物価が低下ないし安定していたが、同時に、不動産などの資産価格の急上昇が起きており、明らかに、価格運動が不均衡、偏りを示していた。
現在は、企業間物価は原油などの輸入物価の上昇にともなって上昇しているが、消費者物価が上昇していない。このような不均衡の拡大は、やがて、調整されなければならない時が来るが、それが急激だと、不均衡が急に波及していって、経済運動を急激に攪乱することになるだろう。それは結局は、恐慌によって暴力的に調整されることになるだろう。そしてそれは、外国市場にも連鎖していくだろう。それはあるいは、アメリカ・ドルの暴落から始まるかも知れないし、中国・韓国・台湾やアセアン諸国などから始まるかも知れない。アセアン諸国では、外国通貨保有の多様化に務めており、ドル一辺倒の以前の政策を改めている。しかし、中国は、対米輸出が伸びているために、ドルを大量保有しており、それを米国債購入に当てている。日本も似たようなもので、アメリカの財政赤字やドル暴落の影響を強く受けることになる。
物事を客観的に見れる人は、自由主義経済には失業・恐慌がつきものであることをわかっている。そういう人の中には、それはわかっているが、それらの問題を解決できる別の経済はありそうもないから、これらの問題に耐えるしかないと言う者もいる。とにかく経済成長して、全体のパイを拡大するしか、手はないというのである。ところが、それで一時的に改善されるのは失業問題であり、恐慌の方は解決されない。恐慌は好況時に準備される。恐慌後の不況は、ケインズ主義的な政策で対応すれば改善したはずが、バブル崩壊後の「平成不況」は、長引いた。
バブル崩壊の恐慌は、極めて大きな社会変化を引き起こした。その一つは、土地神話の崩壊で、土地などの不動産担保による信用供与というそれまでの銀行のやり方が出来なくなったことである。地価下落は、バブル崩壊から10年以上たつ今も続いている。銀行は、それに代わって、国債などの債権類の蓄積や国費注入を受ける形で、資本安定・拡大をはかり、信用縮小、貸し渋り、貸しはがしを行ってきた。そして今や、莫大な利益を上げるようになった。証券・保険・銀行業の垣根も撤廃されて、銀行は、より多様なもうけ口を得たのである。国費注入に抵抗を示した銀行に対して、国有化するぞと脅しをかけてまで、それを強行したのは竹中である。その結果、20兆円を超える国費ー税金が返ってこないままとなった。他方で、小泉首相は、「痛みに耐えよ」と人々に我慢を要求してきたのだ。一方は、国から無理やり金を持たされ、他方の人々は、年金保険料値上げなど、増税や負担増で、国に金をむしりとられていった。それが、小泉構造改革の5年の結果の一つである。
千葉7区補選で当選した民主党の太田和美氏は、「負け組ゼロ」を目標として掲げて、自民党の経済産業省出身で、埼玉県の元副知事のエリート「勝ち組」候補を敗った。勝負という基準で計れば、勝ちと負けはどんな社会にも生まれる。しかしそれは、あるルールに基づく部分的で一時的な結果であるにすぎない。例えば、マラソンでの勝ち負けは、トランプでの勝ち負けとは違う。前者での勝ち組が、後者での勝ち組になるとは限らない。その結果はどうか? マラソンでの金メダリストは、後に様々な報償や陸上指導者などの地位を得るだろうが、トランプの勝者にはそのような成果はもたらされない。ルールも違えば、使う能力も違うし、環境、社会条件、社会的評価等々も異なるのだ。
ここで彼女が掲げている「負け組ゼロ」は、目標であり、それは、スポーツ選手が金メダルを目指すという目標を掲げているのと同じで、掲げたからといって必ず金メダルが取れるわけではないのは当たり前である。社会格差の度合いは、ある程度は政策・制度によって縮めることが可能であり、これまでだってそうしてきた。所得再分配制度がその一つである。90年代後期から、その機能が弱められてきたのであり、小泉構造改革によって、それがさらに弱められたのである。消費税という逆進性の高い税制もそうだし、所得税の累進性を弱めたのも、その一つである。高額所得者の税率をある程度戻せば、再分配機能を強化することがある程度可能である。今では、所得税の累進性は、先進国中で一番低いのだ。
資本主義経済が、内的不均衡を拡大していくのには、信用の発展がかかわっている。信用によって、過剰投資がおき、それによって生産の過剰拡大がおき、過剰在庫が生じ、過剰消費が生じ、という具合に、不均衡が連鎖・拡大していくのである。企業同士が、競争に駆り立てられ、信用が容易な時期には、投資拡大競争が過熱し、過剰かどうかわからないまま、投資を拡大する。ライバルがそれを追いかけ、追い抜く競争に駆り立てられる。やがて臨界点を超える。恐慌が起きて、はじめて、過剰投資、過剰生産であったことに気づく。
そのような不均衡をかかえ、格差をかかえ、不安定な社会に、長く絶え続けることは困難であり、それを感じる人は、安定した社会を強く求めるようになる。
新入社員:終身雇用望む人4割 日本型経営への回帰顕著に
財団法人「社会経済生産性本部」が今年の新入社員に実施した意識調査で、終身雇用を望む人が過去最多の約4割になるなど「日本型経営」と呼ばれた雇用システムへの回帰がみられることが分かった。一方「社内出世より、起業・独立」を望む人は約2割と3年連続で減少した。
調査は90年から行っており、今年は3、4月に新入社員研修で実施し、1961人(回収率97.5%)が回答した。
給与体系では、過去最高の37%が年功給を望んだのに対し、成果給は過去最低の63%。転職の問いでは「今の会社に一生」が過去最高の39.8%。従業員300人以上の企業では44.7%が終身雇用を望み、安定志向が目立った。「チャンスがあれば転職」は39.7%だった。
安定志向は社内関係にも影響を見せ、担当したい仕事では「チームを組んで成果を分かち合う」が79%で「個人の努力が直接成果に結びつく」の20%を大きく上回った。「運動会など社内行事には参加したくない」は17.3%で過去最低となり、会社や同僚との一体感を求める傾向が出た。
また約4割が「ニートになる人の気持ちは分かる」と答え、同じく約4割が「人より多く賃金を得なくても、食べていけるだけの収入で十分」と答えた。【東海林智】
(『毎日新聞』4月26日)
小泉新自由主義とは正反対のものを求めはじめている新入社員が増えているというのである。無意識的に小泉政治の終焉を求める若者が増えているのである。「チームを組んで成果を分かち合う」が79%、「会社や同僚との一体感」を求める傾向が出た」。これは、小泉首相が自分個人の考えや判断に固執し、同僚を冷酷に切り捨てていったのとは好対照である。それは、終身雇用・年功序列などの日本型システムを守旧的として破壊してきた小泉構造改革に、真っ向から反している。雇用が流動的すぎるとリスクが大きくて、危険であることを経験から学んだのだろう。
ようやく小泉政権5年間が、マイナスとして受け止められるようになったことは、高い代償を払ったにしても、けっこうなことだ。今、連立の成果をあげるという政治的目的を優先させた意味のよくわからない妥協の産物のベターでしかないと自民党幹部が自認している「教育基本法」改悪を、数の多いうちに片づけようということか、急いで成立させようとしている。また、当初の立法の趣旨をはなれて、「治安維持法」的な内容に変えられた「共謀罪」が審議入りしている。右派が次期総理と期待している安倍官房長官は、ベターでしかない「教育基本法案」を今国会で成立させると言っている。権力のためには、節を曲げるわけだ。
ブッシュ大統領の支持率はついに32%と最低を更新した。議会共和党は多数ではあるが、これでは、力も出ない。数が多ければ力が出るというものではない。千葉7区の総力戦での敗北は、自民党内の確執や利害争いに火をつけたことだろう。小泉人気に頼り切った党運営に代わる党の求心力がないままだと、党分裂の危機に陥るのは、今度は自民党の方だろう。
ようやく小泉政権の詐欺劇場の悪夢の時代が終わろうとしている。しかし、最後の置きみやげとして、本人も与党協議に丸投げしただけでやる気のない「教育基本法」改悪だとか、会話も取り締まる「共謀罪」だとか、憲法改悪を目論む手続き法の「国民投票法案」だとか、とんでもない悪法を残されてはたまったものではない。また、在日米軍再編の負担3兆円という声がアメリカから出てきており、日米一体路線を走ってきた小泉政権が、たんにアメリカにとって都合のいい金庫にすぎないことが、明らかになっている。そのツケを払わされるのは言うまでもなく、「国民」だ。こんな置きみやげもたくさんだ。
そんなこんなを徒然想った。
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