徒然

春近し

 今年は、久しぶりの寒い冬になった。

 これもエルニーニョとやらのせいなのだろうか? それでも寒さの中にも、日差しの強さや空気の匂いなどの中に、春の気配が感じられるようになった。

 すでに蝋梅をはじめ、梅の花が開き始めている。今でこそ、春と言えば、桜ということことになったが、昔は春の花と言えば、梅の花が代表的なものの一つであった。禅宗では、黄梅には、特別の意味があり、シンボルである。東京なら、小石川後楽園の梅は種類が豊富である。それに湯島の梅も有名だ。水戸の偕楽園、北九州の北野神社も有名である。香りのある梅もあり、香りのない梅もある。梅干にできる梅もあれば、できない梅もある。田舎では、梅干を漬けるために、庭などに梅の木を植えていることが多い。白梅である。

 太陽の光は、高くから照るようになり、地面は熱く暖められて、土の匂い、草の香りを放射している。

 しかし、風は冷たく、時に雪も舞う。とはいえ、それもぼた雪で水分を多く含んだ重い湿った雪だ。

 早足で散歩するとちょうどいい感じである。少し汗をかくぐらいが気持ちよい。子供のころは、雪の日に家でじっとしていることはできなかった。でも、今は、雪が降ると外に出たくなくなる。

 雪を見てうれしくなったのはなぜなのか? スキーが趣味の人は、雪が待ち遠しいというのと似ているのだろうか? 雪で遊ぶことはいろいろあった。スキー、そり、雪合戦、雪だるまづくり、かまくらづくり、雪の玉を固くして競う遊び、雪の中を転がることも楽しい遊びだった。

 そういえば、韓流ドラマ『冬のソナタ』には、雪だるまを二人で作って遊ぶシーンや粉雪をかけあうシーンや雪の玉の中にペンダントを隠して渡すシーンや足跡を踏んで歩くシーンなど雪遊びがいろいろ出てきた。カン・ジュンサンは、雪を見ると楽しそうだった。チョ・ユジンが婚約式に向かう途中で、チュンサンを見た時、彼は雪を見上げて笑っていた。

 しかし、今年の冬は、楽しい冬の話題は目立たず、食品偽造だの農薬混入だの物価高だの金融危機だの犯罪のニュースだのという暗い話題ばかりが目立つ。

 なぜか、人々が嬉々として話すような明るい話題もないようだ。人々は、何か不安や不満を抱えつつ
、黙々と生き、生活しているように見える。

 雪の日、楽しそうに歩く人の姿は少ないように見える。でも、春は間違いなく近づいている。ジャンパーやコートを脱ぐころ、身軽になった人々の身体は、はずむように動いているだろうか? 桜が咲くころ、笑顔で空を見上げる人が多く見られるようになるだろうか? 

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麻生・福田公開討論に徒然思う

 自民党の総裁選は、いよいよ最終局面に入っている。
 
 党内情勢では、福田優勢は動いていないようだ。
 
 21日の公開討論会では、福田候補は、淡々と政策や主張を語るという感じで、麻生候補は、「国民」のプライドをくすぐりながら、ポピュリズム的なやり方を取っていた感じがする。
 
 福田候補は、地方・格差などの痛みの緩和という保守本流的な政治理念を強調していたが、それにたいして麻生候補は、日本の歴史・伝統・文化の独自性、日本文明の他の文明との違いを強調し、それに誇りを持つべきだということを繰り返し強調した。要するに、ハンチントンのトンチンカンな文明論の焼き直しだろう。

 福田候補の考えは、古い自民党の普通の保守思想を反映した政治主張である。それに対して、麻生候補の方の考えは、民主党支持拡大に示された日本国家の自主独立を求める民意を意識したものだろう。
 
 麻生候補は、公開討論会で、戦前の紙芝居は、手っ取り早い失業対策であったとともに物語を連続的な絵で描いたという点で、後のマンガの元になったが、そういう日本独自の文化が、今では世界に広まっているという点を強調した。物語をマンガにするというのは日本が最初に行ったというのである。それなら、鳥獣戯画がマンガのルーツと言えないこともないわけだ。
 
 その文脈の中で、継体天皇以降の皇位の確実な資料による男系継承の存在をも、日本独自の伝統文化に入れていることがまず問題である。いわゆる「記紀」については、新京都学派の梅原猛氏の『神々の流竄』や上山春平氏の『神々の体系』で、記紀編纂期に藤原体制を築いていた藤原氏に都合良く書かれていて、要するに藤原イデオロギーによって書かれているという指摘もあるし、同じ天皇の事績を複数の天皇に分けて記述しているという水野裕氏の『大和の王権』の指摘があるというように、史実がはっきりしないことが多い。天皇陵とされている宮内庁所管の古墳の学術調査があれば、もっとはっきりするはずだが、宮内庁は限定的な調査しか認めていない。
 
 世界中どんなところだって、他にない独自の伝統や文化の一つや二つはある。また、麻生候補は、日本のいつの時代のどの範囲の日本のことを言っているのかがよくわからない。古代には、北九州から朝鮮半島南部には、きわめて近い文化圏があった。どちらがどちらに影響を与えたかなどというのは、後の時代のナショナリズムによる観点であって、似たような発掘物が出てきていることから、この範囲に共通文化圏があったことは確かである。
 
 古代の日本の範囲といっても、大和政権の成立範囲も、東北の中部にまで限られていたし、それも、全域を完全支配していたわけでもない。平安時代にも、現地での反乱が相次いでいて、桓武天皇(この人の母親が、朝鮮半島の人であることを、現天皇が認めた)は、渡来系と言われる坂上田村麻呂を征夷大将軍として派遣し、その平定に苦慮した。それに、記紀によれば、朝鮮半島南部での争乱の中で、北九州で、磐井の乱が起きたり、吉備地方(現在の岡山県のあたり)に大和政権の中で、半ば公然と独立勢力を維持していた吉備王権があったりした。それに、この頃、沖縄と北海道はまったくその範囲に入っていない。
 
 中世でも、青森や北陸地方は、渤海などと独自のルートで貿易を行っていたし、北海道などのアイヌなどは、ロシアの沿海州地方との交易を行っていたことが発掘品などから明らかになっている。もちろん、つい数十年前には、北は千島・樺太から、南は台湾まで、そして朝鮮半島も、日本の国土であった。それも、沖縄はアメリカ軍政下に長くあって、外国だったし、北方4島も、ロシアの支配下にある。韓国との間で、竹島の領有権争いがあって、江戸時代の文献資料なども、引っ張り出されて、双方が自説を譲らず対立し続けている。領土は、国のメンツということもあるが、しかし、それは、経済水域を左右し、海洋資源などの権益争いと結びついている。明治政府が、その初期にいったんは竹島の領有権を放棄しながら、その後、朝鮮半島進出、ロシアとの対峙という政治的必要から、実力占拠に出たのは、その軍事的利用価値のためであった。
 
 こういう次第で、歴史上、日本独自の伝統だの文化だのの及ぶ範囲というのは変化してきたのである。
 
 麻生候補がこういう話を持ち出すのは、日本が、独自の文化・文明を持っていて、それを世界に商品化して売り込むという輸出戦略を持っているからである。おそらくは、彼はマンガ好きというばかりではなく、秋葉原の「オタク文化」を輸出産業化できると思っている。秋葉原は、こうしたソフトと先端技術を結合していて、マンガ文化をソフトとして、それをゲーム機などのハイテク機器と合わせて、世界に売り出そうという戦略を抱いているのである。
 
 しかし、彼が言うように、日本独自の文化や伝統をソフト化して輸出して、はたして、西欧のキリスト教文化の国々で、受け入れられるかという問題がある。例えば、ハリウッドで作られた「ラスト・サムライ」は、武士道を西洋的な騎士道と混合しているように見える。武士道の場合は、やはり忠君忠義という縦の関係が基本であるが、騎士道には、友情という横の関係がある。武士の場合は、連帯責任、一蓮托生で、類は一族郎党に及ぶものだ。騎士道の場合は、個人というものがあり、恋愛がある。ニーチェが強調した貴族の騎士道的恋愛である。それは、デュマの『三銃士』に描かれているものである。
 
 脱線したけれども、麻生候補が言うことは、すでに世界的にある程度の文化的共通性があって、それに日本的なものを加味し、織り交ぜれば、ソフト産業が世界商品を生み出せるだろうという話である。これは、これで、福田候補が、従来型の穏健保守主義的な手堅い政治をたんたんと語っているのに対して、新しい夢を語ることで、積極的な攻めの姿勢を対置して、差別化を図っていると言える。しかし、一時、、韓国政府のソフト輸出戦略によって、育成された映画・ソフト産業による輸出攻勢もあって、韓流ブームが日本・中国・台湾・東南アジアに広まっていった時期があるが、それが一時的ブームとして沈静化してしまったようになる可能性もある。流行というものはそうであり、さしものハリウッドでさえ、厳しい状況になっているのである。もっとも、日本の韓流ブームは、「冬のソナタ」のインパクトによるところが大きいというのが実態だったと思うけれども。
 
 麻生候補が言う、紙芝居が失体事業であったという点については、そこからマンガという新産業が生まれたというイノベーション(革新)のことを強調したものであろう。しかし、それも、マンガ業界が、今、傾きつつあるように、一時的な革新でしかなく、それは、新しいイノベーションが起き、それが成功しないと、従来産業のように停滞してしまうのである。シュンペーターは、その結果、利潤がゼロまで落ちると言った。イノベーションが起きるかどうかは、主に、それを推進し意識的に追求する創造者としての企業家とそれを評価して投資する投資家と技術開発ということにかかっているとシュンペーターは言う。構造改革路線の採用以来、日本の企業は、分配構造の変革に努め、労働分配率を低め、株主や役員報酬に多く分配し、人件費を抑制するように行動してきた。それによって、投資家は、投資からより多くの利益を引き出そうとするようになり、その分を、企業家は、経費・人件費の削減などを節約して応えてきたのである。企業が株式などの直接金融方式での資金調達する場合、投資家(とくに外資)は、短期的な利益を重視する傾向が強い。
 
 麻生候補のプラン・戦略の実現には、ある程度の長い期間の技術育成や商品開発が必要で、すぐに実現できるというものではない。実際には、すでに、小泉ー安部の改革路線の清算が始まっていることは、高齢者医療費の自己負担引き上げ凍結の決定でも露わになった。衆院選が近い以上、そうせざるを得ないのである。この流れは続かざるを得ない。いくら、爆笑問題の『太田総理』という日本テレビ系の番組の投票で、麻生候補支持が7割近くで、福田候補が3割ぐらいという結果が出ても、そのとおりにはならないのである。投票者の多くは、テレビの気楽さということもあるし、恐らく東京など都市部の視聴者だろう。その程度の重みでしかない。
 
 今選挙政治で焦点になっているのは、地方である。そして、小沢民主党の参院選圧勝を受けて、官僚は参議院では、民主党に従来より上のクラスの幹部を法案説明に送り込んでいるし、経団連の御手洗会長は、小沢路線・民主党の政策の支持を表明するなど、態度転換が各界各層で進んでいる。かくして、小泉ー安部路線の清算は、急ピッチで進んでいくだろう。麻生候補は、その点で、この路線と近いようにイメージされているのが、不利に働いており、彼は、そのようなイメージを払拭しようとしているのだろうが、それには「時すでに遅し」であろう。もし福田政権が、人々の生活の安定や未来への希望を感じさせることをある程度でも実現できれば、それなりに人々の評価を受けることになるかもしれない。次の衆議院選挙までに、どこまで、そうできるかどうかはなんとも言えない。ただ、自民党の各派閥は、それを期待しているだろう。
 
 まあ、結果は、日曜日には出る。まとまりなく、徒然と書き連ねてみたけれども、いずれにしても、参議院選挙で示された民意が生みだした流動化が、まだまだ続くことは確かである。

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9月14日の気になったこと2つ

 一つは、公立小学校での校内暴力が昨年、急増したという記事である。今小学生と言えば、90年代後期に生まれた子供である。関係はないかもしれないが、この時期は、ちょうど、「新しい歴史教科書をつくる会」が出来て、教科書批判や自虐史観批判、教師批判の一大キャンペーンを行っていた頃である。特に、教師に対する暴力が繰り返されていることには、親の価値観が反映されている可能性もある。「つくる会」は、自虐批判をすると当時に、プライドを強調した。それもやりすぎれば、他者の尊重という態度を損なうものになりかねないのではないだろうか? 無論、これは推測にすぎない。暴れる子供たちに、なんらかのストレスはないのか? 社会的経済的原因はないのか? 等々、具体的データから明らかにしていかなければならないことがいろいろある。「つくる会」は、これも、自虐的な教科書のせいにするのだろうか? 

 次は、パレスチナの危機についてである。レバノン戦争は、国連やEU諸国・アメリカなどの外交の動きの中で、停戦にこぎつけ、今のところ、ほぼそれは守られている。イスラエルは、レバノン空域・海域の封鎖解除を行う。復興資金の提供を、各国が表明しており、後は、それらを実行し、国連レバノン暫定軍とレバノン国軍の南部への展開と同時に撤退することになっている。かくしてレバノンでは平和と復興に向かって動いている。

 それに対して、パレスチナは、相変わらず、イスラエルによる封鎖と暗殺、軍事攻撃、政治家・活動家・政府要因の拉致が行われている。国連貿易開発会議は、パレスチナの危機は深刻であり、各国が援助を再開しなければ、危険な状態になると警告を発した。ハマスとファタハは、連立政府の樹立で合意したが、この状態をなんとか改善することが必要である。それには、イスラエルが行っている懲罰行為を止め、パレスチナの封鎖を解除し、インフラの破壊を中止し、再建のための人材を解放することだ。

  校内暴力:公立小、初めて2000件突破 05年度

  小学校の校内暴力 公立小学校の児童が05年度に起こした校内暴力は2018件(前年度比6.8%増)で3年連続で増加し、過去最多となったことが、文部科学省の「生徒指導上の諸問題の現状」の調査で分かった。このうち、児童が言動を注意され逆上して足をけるなど、教師への暴力は過去最多の464件で、前年度比38.1%増と急増ぶりが目立った。

 05年度の小中高生全体の校内暴力件数は3万283件(0.86%増)で、そのうち中学生は2万3115件(0.02%増)、高校生は5150件(2.5%増)。

 増加の目立つ小学生の校内暴力のうち、最も多いのは児童間暴力の951件(4.1%減)で、他に器物損壊の582件(7.0%増)など。校内暴力で11人が警察に補導された(学校外15人を含めると計26人)。

 また、小5の男児1人が器物損壊で10日間の出席停止となった。問題行動を繰り返す児童生徒がいる場合、他の子どもの学習権を保障するため市町村教委が保護者に命じる制度で、出席停止の用件を明確化するなど適用しやすくした学校教育法改正(02年1月施行)以来、小学生では初めて。

 同省は教師への暴力の増加傾向について、「259人で464件と、中高生に比べて1人の児童が暴力を繰り返すのが特徴。しかられた後に気持ちの切り替えができなかったり、注意を聞けないケースもある」と分析。「保護者の協力不足や担任任せな実態もある」と保護者との連携や校内での一致した対応を求めている。【長尾真輔】(毎日新聞 2006年9月13日)

 パレスチナ、米欧などの援助打ち切りで破たん危機

 【ジュネーブ=渡辺覚】国連貿易開発会議(UNCTAD)は12日、パレスチナ情勢に関する報告書を発表し、パレスチナ自治区が米欧などの援助打ち切りで経済破たんの危機にあると指摘した。 それによると、2006年の住民1人当たりの所得は約1080ドル(約12万6000円)と、2000年の約半分にまで落ち込む可能性がある。過去約20年間の最低水準という。

 報告書は、援助停止による今後3年間の経済損失が総額54億ドル(約6300億円)に達し、2007年の失業率は最大で約52%にのぼる恐れがあると指摘している。日本、米国、欧州連合(EU)などは今年3月、パレスチナでイスラム原理主義組織ハマスが主導する内閣が発足したことを受け、自治政府に対する直接援助を停止している。(2006年9月13日『読売新聞』)

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本居宣長その他について徒然想った

  7月6日の「西尾幹二のインターネット日録」に、西尾氏が、今度、松山で行うという講演会の話題が載っている。7月4日に拓殖大学日本文化研究所(所長井尻千男氏)の公開講座「新日本学」の最終の第十二講と同じ内容で、「古き良き日本人の心(日本人の魂を考える)」というテーマで、主に本居宣長の話が中心だという。

 それは、「冒頭、日本人が歪みをもった茶器を好むのを永く不思議に思っていた呉善花さんが、ご両親を日本に招いて、信楽の茶碗にご飯を盛って出すと、「あんな犬の茶碗のようなみっともないものを捨てて」といわれるエピソードから、日本人の風雅として通例いわれている器の歪みを考えてみる」というところから始まるという。日本びいきだという呉善花さんが、信楽焼のゆがんだ茶碗を使う日本の文化を理解できなかったというのである。それなら、豊臣時代に、わざわざ茶碗を壊して、つぎ直して、ひびだらけにしたというようなことも、理解を超えているに違いない。逆に日本人が朝鮮半島の文化を頭だけでわかろうとしても、なかなか難しいということも言える。

 そういう頭や理屈で物事を考え、判断することを、「漢意」(からごころ)とよんで批判し、頭で認識する以前の直感による認識を重視したのが、本居宣長である。そこで、「漢意」で書かれた『日本書紀』ではなく、歌、踊り、神事、儀式そのままを伝えたとして、『古事記』を重視する。それは、西郷信綱氏の立場でもある。彼は、『古事記』の多くの部分が、実際に、儀式で使われた言葉を写したもので、踊りもついていただろうと述べている。したがって、それらは、リズム、発声、動作を伴っていたはずだというのである。しかし、それを直接知ることはできないので、想像する外はないのである。

 この宣長の「漢意」について、松岡正剛氏が、「千夜千冊」というHPに、長谷川三千子氏の『からごころ』という本の書評を載せている。彼女は、「日本的なもの」をどこまでも追求してゆかうとすると、もう少しで追ひつめる、といふ瞬間、ふつとすべてが消へてしまふ。我々本来の在り方を損ふ不純物をあくまで取り除き、純粋な「日本人であること」を発掘しようと掘り下げてゐて、ふと気が付くと、「日本人であること」は、その取り除いたゴミの山にうもれてゐる。(中略)/われわれ日本人の内には、確かに、何か必然的に我々本来の在り方を見失はせる機構、といつたものがある。本居宣長はそれを、「からごころ」と呼んだ」と書いているが、松岡氏は、「実にうまいところを突いている」と感心している。

 そんな純粋な「日本的なるもの」があるわけがないと言ってしまえばそれまでだし、実際に、弥生時代後期には、大陸や朝鮮半島との交流があったことが、九州北部の遺跡の発掘成果から明らかだし、北には、縄文文化が長く残存し、アムール川流域をはじめ大陸との交流があったことが考古学によって指摘されている。『古事記』にしても、多神的なアニミズムやシャーマニズムなどの多種多様な信仰生活や文化生活を雑多に含むものである。例えば、高天原の「神集い」は、族長共同体の会議の様子を反映しているように思われるし、アマテラスは、そうした部族共同体のシャーマン的(巫女的)首長をあらわしているようにも見える。あるいは、編者の太安万侶の序には陰陽説的な大陸思想の影響も見られるし、古代天皇制国家を正当化するような意図も感じられる。しかし、そういうものを「からごころ」として取り除いていって、宣長の言う「古意」(いにしえごころ)を追求していくと、「ふつとすべてが消へてしまふ」というのである。それは、「無」ということなのか? 

 司馬遼太郎の場合は、その答えが簡単に出る。幕末まで、日本人という意識は存在せず、藩がすべてであったと言っているからだ。氏は、そこには、藩を超えるような中心がなかったというのである。宣長にとっても同じである。だから、宣長は、「漢意」を批判しながら、儒仏を排除したわけではなく、自らの葬儀も仏式で行い、寺に墓を建てるように、遺言をした。それに対して、平田篤胤は、キリスト教の教義を取り入れて、一神教的な体系化を行った。それが、後の国家神道につながっていくのである。つまり、平田国学は、「漢意」なのである。

 それに対して、松岡氏によれば、「長谷川は、宣長の主張ははっきりしていると見た。宣長は、原理原則といったものを思想の力とは認めないと言ったのだ。そして、そんな原理原則を用いないで日本は育ってきたと見た」という。

 「宣長がわかりにくいのは、妙な言い方だが、宣長自身が「日本人であること」に気づいてしまったからなのである。そして念のために繰り返しておけば、そのことに気がつかないでいられる心情装置というものが「からごころ」というもの、つまりはグローバル・スタンダードというものなのだ」と松岡氏は言う。

 それから、松岡氏は、「ところで長谷川は、その後に『正義の喪失』(PHP)を書いてボーダレス・エコノミーとフェミニズムを批判し、さらに西尾幹二の鳴り物入りの『国民の歴史』が非難の嵐にさらされると、西尾と対談をして『あなたも今日から日本人』(致知出版社)に与したりした。/これはいかにも勇み足じゃないかと誰もが見たが、どうも長谷川は平ちゃらのようである。あまりにもモノカルチュラルな叙述しか展開できなかった『国民の歴史』にもまったく文句はないらしい。しかも、どうみてもデキの悪い教育勅語を絶賛して、そこに「本当の意味での自由と平等の精神がある」と言ってしまったりしたのは勇み足である。ぼくはこのような長谷川にさせたくはなかった」と言う。

 宣長は、古義学の影響を受けている。儒学においても、伊藤仁斎が、古義学を究めて、『論語』に戻った。仏教諸派においても、それぞれ宗祖への回帰がなされた。そのことが、後にどのような影響をもたらしたのかは、ヘゲモニーの領域の課題として研究する必要がある。そこには、ヘゲモニーの転回があったと考えられるからである。宣長の「からごころ」から「いにしへごころ」への転回がそれであったかどうかは、なお研究を要する。実際には、明治維新の過程でヘゲモニーを形成したのは、主に平田国学や後期水戸学派であって、宣長の思想ではなかったからである。宣長の思想では、神々の体系化などは思いもよらないことであったし、善悪を言い立てるのは「からごころ」に他ならなかったからである。

 したがって、「新しい歴史教科書をつくる会」のような日本人としての誇りをつくるための教科書をつくるなどというのも「からごころ」であり、ましてや藤岡信勝氏らの「自由主義史観研究会」などは、宣長的な「いにしへごころ」とはまったく相容れないものだ。西尾幹二が、一方で宣長を「古き良き日本人の心(日本人の魂を考える)」などとして利用するのも「からごころ」である。むしろ宣長には、鈴木大拙のいう「無分別の分別」という「日本的霊性」となった仏教的な「無分別の智」に近いものがあるのであり、だからこそ、仏式の葬儀と供養を遺言したのである。そしてそれは、共に生きること・共に生産すること・共に消費すること・共に祀ること、等々として、「私」を超えた共同性に生きる生産共同体としての村の無私共有・無私有の生活という「無」を対象にしようとしているのである。なぜなら、『古事記』は、共有制を前提として成立していたのであり、それを踏まえながら読まないと、現在の視点や価値観という「からごころ」が入ってしまうからである。それから、それは、無私ではあるが、「公」ではない。「公」には、朝廷とか幕府の意味が入るからである。今の教育基本法改定与党案に入った「公」には、国家という意味が入るのと同じである。それに対して、中世の公事には、逆に、「公」が従わなければならない共同体のルールの意味(呪術的な意味を含む)があったと網野善彦氏は書いている。

 長谷川氏が、教育勅語などという「からごころ」の文章を自由と平等の精神があるなどと絶賛してしまい、宣長が感じていた共有制の太古の精神と生活を「つかめない」のは、氏の頭が近代の私有制度にどっぷりとはまっているためなのである。長谷川氏が、宣長を引き合いに出して、日本的なものはわからないといっているのは、言い方で誤魔化しているのであって、「様々なる意匠」(小林秀雄)の一つに過ぎないのである。松岡氏は、自分の考えに合う人物があまりにも少ないかあるいはいないせいか、長谷川氏に過大に期待しすぎているのである。あるいは、あえて、そうしているのかもしれないが。

 西尾幹二は松岡氏のお眼鏡にかなうような「日本的なもの」を持ってはいない。彼は、是非善悪をはっきり立てる人物であり、そのことは、この間の、「新しい歴史教科書をつくる会」に関する氏の文章で明らかである。藤岡信勝氏は、もっとそうで、「からごころ」が洋服を着て歩いているような人物だ。ただ、西尾氏は、多少、宣長流のものを意識していて、「つくる会」の内紛から早く離れたいということは言ってはいた。宣長も、有名な『雨月物語』の作者の上田秋成との論争をしてはいる。しかし、宣長は、仏儒を排したわけではない。いわゆる鎌倉新仏教は、鈴木大拙によれば、大地化したのであり、「日本的霊性」に到達したのである。鈴木大拙は、伊勢神宮の「神道五部書」(度会神道)の成立に、神道の「日本的霊性」の成立を見ている。しかし、本居宣長は、逆に、それを「からごころ」として退けた。

 西尾氏は、「宣長は兼好法師が大嫌いなのです、仏教の影響を受けた風雅が大嫌いなのです」と書いているが、これは、理解が浅いといえよう。これからは日本から見た世界史だと言っているが、これも、「からごころ」である。過去に自我を投影して、歴史に自意識を見るという小林の「自我・自意識史観」はうんざりだし、それを世界史に拡大するなどというのも想像しただけで、げんなりするし、うさんくさく感じる。もちろんそれに対して、梅原猛史学の方から、縄文文化はどうしたという声も聞こえてきそうだ。

 西尾氏の拓殖大学での講義は、森鴎外や夏目漱石の留学話や小林秀雄のモーツァルト・ゴッホ論に飛びながらのものであったという。やはりというべきか、ニーチェ学者らしく、俗物性をニーチェから受け継いでいるようである。氏は、ポストモダニズムが作り上げたつまらないニーチェ神話以前の、俗物ニーチェの「正統?」な後継者と言えるのかもしれない。

 藤岡信勝氏が、「つくる会」を追い出された八木元会長らに対して、「この分野で何も苦労をしていない八木氏が軽口をたたくのは、軽薄そのものである」という「それをいっちゃおしまいだ」という悪罵を投げつけたのを見て、鼻白んだ人も多いに違いない。そういいたくなる気持ちはわからないでもないが、それを言いたくなるときは、大抵、運動情況が危機的で後退局面にある時である。そして、それを言ってしまったら、たいていは、その運動はお終いである。

 結局のところ、この運動は、ヘゲモニーというものをまったく理解していないのである。教科書問題をめぐる運動は、採択戦においては、陣地戦であって、それは、とてつもない消耗をともなう厳しい闘いであり、よほど有利な状況でもない限り、一時の熱情やブームなどではとうてい勝てるものではない。そして、そのためのヘゲモニーの形成には、世界観の更新、新しい人間観、知的道徳的文化的革新、あるいはもっと言えば、宗教性すらが必要である。そうでなければ、持続的な陣地戦を最後まで戦い抜くことはできない。てんでばらばらの寄せ集め集団が、一点で運動を組んでも、結局は、またばらばらになって、消えてしまうだけなのである。「つくる会」の分裂劇を見る限り、この会もそういう過程をたどったようである。そしてそれは、反省も改善もされていないので、またおなじ事を繰り返すことは明らかである。すでに、7月2日の総会で、内紛の経過報告文書が、「日本会議」副会長の小田村四郎(元拓殖大学総長)氏のツルの一声で、採択されず、撤回されたことに、その兆しが現れている。

 いずれにしても、「つくる会」には、新しいヘゲモニーをうち立てるだけのものがない。「つくる会」を出て、日本教育再生機構を立ち上げた新田均氏は、組織論を提示していて、多少はそういう傾向も見られるが、まだどうなるかはわからない。たぶん難しいだろう。西尾幹二氏には、宣長から、それを形成する力がなく、長谷川三千子の「からごころ」論にもそれがなく、藤岡信勝氏にもそれがないということは明らかである。結局は、それでは、西欧の自由民主主義のヘゲモニーには対抗することも、克服することもできないだろう。

 かれらのようなものではなく、平等で民主的で個性と自由が規律と合致する新たな共同体と人間と世界観を形成しうるヘゲモニーが形成されることが必要である。そのことは、そのような共同体の理念やイメージが、歴史的に繰り返し登場したこと(「世直し」「世均し」「一揆」等々)からも明らかである。それは、現代においては、労働の共同体といってもよいかもしれない。

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「ダ・ヴィンチ・コード」ブームに徒然想った

 映画「ダ・ヴィンチ・コード」が世界同時公開で、多くの観客を集めているという。この映画を観たわけではないが、内容を紹介する情報をいくつかみて、徒然想った。

 1945年にエジプトで発見された初期キリスト教関係のナグ・ハマディ写本の一つである「マグダラのマリア福音書」と呼ばれるグノーシス文書には、マグダラのマリアはイエスの最高弟だったが、ペテロらによって激しく批判されたと書いてあるという。その後、ペテロを祖とするカトリック派が、『新約聖書』を編纂し、397年の第3回カルタゴ教会会議で、正典とした。カトリック教会は、キリストを神として、三位一体説を正統とし、キリストを人間とするグノーシス派などを異端として追放した。しかし異端派は、その後、シオン修道会などの形で存続し、後にフリーメーソンになったという。シオン修道会員であったというレオナルド・ダ・ヴィンチは、有名な「最後の晩餐」に、マグダラのマリアを描いたというのである。グノーシス派の文書では、マグダラのマリアとの間にイエスの子どもがいると書いているものもある。それを絵画に暗号として描いたというのである。

 また、グノーシス派の「ユダ福音書」には、実はユダは、キリストの思想の核心である「復活」を実現するために、キリストの命令を実行して、官憲に引き渡したということが書かれてあり、彼はキリストが最も信頼した弟子だったと書かれているという。グノーシス派のキリスト教関連の文書は、『新約聖書』とはずいぶん違った話が書かれているようだ。もっとも、『新約聖書』に入れられなかった「福音書」の類も外典として残されている。宗教改革を起こしたマルティン・ルターは、『聖書』正典のいくつかの文書について疑義を提起したようだが、カトリック派はそれを受け付けなかったという。

 事実かどうかはともかく、ナグ・ハマディ写本や死海文書などの発見によって、初期キリスト教の歴史が、カトリックなどの「正史」とは違った形で研究されるようになったのは進歩である。また、グノーシス主義が、ムハンマドに影響を与え、イスラム教の中に受け継がれていったことからも、それらの発見は、イスラム世界を理解する上でも重要なことだ。

 ローマ・カトリック教会は、この映画を非難しており、各地で上映に抗議するカトリック信者らの行動も起きている。今のところ、報道はないが、これは『聖書』の記述を絶対視するアメリカのプロテスタントの原理主義者にとっても、批判の対象となるようなものであろう。

 イエス・キリストを人間として認識することは、17世紀のユダヤ教から迫害されたスピノザの『神学・政治論』でも行われている。この本では、『旧約聖書』の成立を、ペルシャ支配下で、バビロン捕囚から開放され、エルサレムへ戻ることが許されてから捕囚下で形成された改革派のラビ集団(後のパリサイ派)が宗教再建をはかる中で、それまで伝わっていた諸文書を編集してつくったものだとし、その筆者を書記官エズラとしている。それから、19世紀の唯物論者フォイエルバッハがいる。イスラムでは、イエスは、預言者の1人である。

 カトリックは、中南米での人口増加によって、信徒の数が増えている。アメリカでは、ラテン系移民の増加と共にカトリックが増えている。また、プロテスタントの福音派の原理主義が広まった。西欧キリスト教文明対イスラム文明の文明の衝突が言われている。日本では、オウム真理教事件が起きた。宗教が要因となる衝突や争いが起きやすい時代状況であるから、客観的な宗教観や歴史認識を形成していく必要がある。この映画がそのきっかけになればいいと思う。

 客観的な宗教研究や宗教認識については、西欧ではスピノザやフォイエルバッハをはじめとしていろいろあるし、日本でも江戸時代に大阪の懐徳堂で活躍した町人学者の富永仲基や山方蝙桃の宗教の批判的検討の業績がある(司馬遼太郎氏は、山片蝙桃賞を創設した)。

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公共事業を客観的に考える時期がきた

 21日『毎日新聞』の「余録」の「公共事業」というコラムは、小泉「改革」下では、悪者扱いの公共事業の意味について考えている。

 エジプトのピラミッドは奴隷を使役して造ったわけではない。ナイル川のはんらん期に失業対策として行われた公共事業だったという。ちゃんと対価が支払われた。今日のエジプト学では常識らしい▲政府が財政出動で景気をよくして失業を減らす。それは、20世紀の経済学者ケインズが言い出したことだ。それ以前にはおよそ例がなかった。ところが、エジプトでは紀元前のむかしに実施されていた。さすが、世界四大文明のひとつ。奥が深い▲だが、日本だって捨てたものではない。鎌倉から室町時代にかけて、禅宗に夢窓国師という高僧がでた。後醍醐天皇や足利尊氏らの帰依をえたが、このひとは全国にたくさんのお寺や庭園を造った。とりわけ名高いのが天竜寺や西芳寺の庭園である▲作家の水上勉氏は哲学者の中村元氏との対談で、興味深い説を唱えている。夢窓国師があれほどの数のお寺を造ったのは、貧民救済がひとつのねらいだったのではないか、というのである(「中村元対談集4」92年、東京書籍)。中村氏も「失対事業というのは、これはたしかでしょう」と応じている▲いま、公共事業は受難のとき。歳出カットすればするだけ、増税の幅が小さくてすむ。防衛費も社会保障費も削りにくいから、いきおい矛先は公共事業にむかう。政府・与党は今後5年間、毎年3%以上、公共事業費を減らしていくことで合意している▲ピラミッドにしろ室町時代の名刹(めいさつ)・名園にしろ、当時の民衆の日々の便利とは無縁のしろものである。財務省の査定を受ければ「無用の長物」とされ、建造が認められることはないだろう。それが数百年、数千年のときを経て、お金に換算できないほどの価値をもつに至った。歴史はいつも皮肉である。

 エジプトのピラミッドが、ナイル川の氾濫期の農民のための公共事業だったというのは、確かに、近年のエジプト考古学の定説になりつつあるようだ。それを示す証拠もつぎつぎと発見されている。これを奴隷が作ったという説は、『旧約聖書』の「出エジプト記」のユダヤ人奴隷の記述あたりから生まれたのではないだろうか(映画『十戒』にも描かれている)。

 こういう公共事業が鎌倉期から室町期にかけて、幕府が帰依した夢窓国師によって、禅宗寺院や庭園の建設という形で日本でも行われていたというのも、興味深い。この時期、鎌倉五山、京都五山などの禅宗臨済宗の大寺院が建てられた。作家の水上勉氏が、それを貧民救済のためだと述べたという。対談の相手の中村元氏は、「失対事業でしょう」と述べたという。

 鎌倉期は、人口や生産が停滞していた時代で、平均寿命も30代だったらしい。室町期は、応仁の乱をはじめ戦乱が続いた時代だった。京の都も荒れ果てた。山城の国一揆をはじめ地方でも一揆が相次いだ。南北朝の戦いで始まり、最後は下克上の戦国時代である。

  鎌倉期に相次いで起きた仏教革命で、貴族仏教から民衆仏教に変わった鎌倉仏教の諸仏教宗派は、貧民救済事業を行いながら、広く民衆に浸透していったのかもしれない。もともと、平安仏教も、中国から薬学・医学・土木技術などの当時の最新技術を教義と共に日本に持ち込んだのであり、四国讃岐平野のため池を空海が作ったとする伝説や日本各地に井戸を開いたという伝説が残されているのも、僧が同時に技術の伝搬者だったことを示すものなのではないだろうか。

 やがて、幕府の帰依を受けた臨済宗や浄土宗から迫害された浄土真宗は北陸など地方の農民や在地の勢力の間に信者を増やし、加賀や伊勢で、独立勢力として台頭してくることになる。当時の教団は、政治・統治ということも担い、信徒の生活にいろいろと配慮していたに違いない。例えば、大阪石山本願寺が、門前町に、商人や職人を住まわせ、各地との物資の交流拠点としていたように。

 イスラムにおいても、モスクの門前町において営業する商人たちは、その日の売り上げからいくらかを毎日、モスクに納め、記帳することになっている。さらには、喜捨は、基本的に拒めないようになっており、これらの行為によって、天国での幸福の度合いが決まるので、イスラム商人たちは喜んでそうするようだ。

 今後、公共事業費は、減らされていく。財政出動派は、有効需要の不足が不況の原因だと考えているので、公共事業を増やすべきだと主張している。「小さな政府」派は、それが経済のバランスをおかしくしているので、自然にバランスが回復するまで、政府は余計なことをしない方がいい。むしろ政府が介入するとおかしなことになって、バランスの自然回復を妨げるだけだと考える。

 「小さな政府」派の小泉政権は、「民のことは民にまかせる」と言って、余計な手出しはしないと基本的には放置した。実際には、国債発行30兆円以内にするなどの約束を反故にしたりはしたのだが。そのおかげて、景気回復したというのである。しかし、それまでに、日本経済は、「失われた10年」を経ており、バブル崩壊からの回復に、それだけ長い時間がかかったのである。

 「余録」は、当時の民衆にとって無縁のピラミッドや大寺院や庭園など、財務省から無駄だと言われそうな建造物が、数百年、数千年たつと、金に換算できない価値を持つという歴史の皮肉を指摘して終わっている。

 確かに、公共事業について、冷静かつ客観的に考えてみるべき時期にきていると思う。

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ウクライナの農業改革の記事によせて

 18日の『毎日新聞』国際欄におもしろい記事があった。タイトルは、「ウクライナ 生産向上へ農業改革」である。

 ウクライナといえば、歴史的に大穀倉地帯であり、旧ソ連時代も大穀物庫であった。それが、91年の独立後、土地の細分化や生産技術の近代化の遅れや高齢化などによって、農業の低迷が続いてきたという。そこで、ウクライナ版の農協の組織化や国際資本の投資拡大などによって、農業改革が進められているという。農業生産は、独立後に急減した。

 ウクライナの農地は3000万ヘクタール。人口約4700万人の3分の1が農業地帯に住むが、その半分が高齢者か子供。若者は高収入を求めて都市部や海外に出稼ぎに行き、農業に従事するのは約750万人止まりだ。

 90年に1046億フリブナ(約2兆2000億円)だった農畜産物の総生産高は年々減少。02年は621億フリブナ(約1兆3500億円)と、90年の6割にまで落ち込んだ。特に減少したのは畜産部門だった。

 国立ウクライナ農業大学のセルゲイ・クバシャ教授(国際関係論)によると、独立後、土地がそれぞれの耕作者に引き渡され、細分化されたため生産性が低下。さらに、流通システムの整備が遅れ、零細農家は生産物が販売できず、物々交換や貯蔵に回すケースもあった。欧州への輸出もままならず、最大の輸出先ロシアが「品質維持」を口実に輸入制限に踏み切ったことも低迷に拍車をかけた。

 EUは、輸入農産物の品質に高いハードルをもうけていて、アフリカ産の農産物をしめだすものとして、アフリカ諸国の反発を買っている。

 こうなることは、日本の農地改革の歴史的経験をみれば明らかである。土地細分化(農地解放)で生まれた中小農、農村での滞留人口の都市部への流出、三ちゃん農業化、兼業化、出稼ぎ、後継者の都市への流出、農業従事者の高齢化、等々。ただ、日本の場合は、農協が早くから、金融、流通、販売、機械化、営農指導、などの面で、農民をサポートしてきたため、農業衰退のスピードはウクライナほど早くはなかった。

 日本の農業は、くりかえし、アメリカの圧力で、りんご、オレンジをはじめとして、安い米国産農産物を輸入自由化して、打撃を受けた。ただ、自民党の地方議員の意を受けた政府によって、米価維持政策や農地改善事業などの農業分野への政府投資が行われたことなどもあり、保護されて、生き延びた面もある。それも、小泉政権下の「改革」によって、ぶっ壊されてきているところだ。

 ウクライナでは、独立などの混乱によってか、あるいは極端な自由化によって、農業政策がまともに機能してこなかったのではないかと思われる。しかし、ようやく、「ウクライナ全土に25の支部を持つ「ウクライナ農業投資顧問協議会」が3年前に発足し」、この組織が、農作物の栽培指導、農業道路などの社会資本の整備、作物の取引市場の設立、地場産業の育成、若者の定着促進事業、に取り組むようになったという。

 この組織は、日本の農協どころではなく、農道までつくるというのだから、行政機能をも合わせ持つような強力な組織である。

 農地の集約化は、企業が小規模耕作地を1ヘクタールあたり200ドル程度で借りる形で農業ビジネスを展開することでも進んでいるという。「現在、約20社が20万ヘクタール規模の農場を経営」しているという。

 さらに、「外国の農民や企業の進出も目立つ」「ドイツやオランダ、デンマークの農民が移住してくるケースが多い」とクバシャ教授は言う。現地人と結婚して定住するケースもある。「彼らは最新技術を導入してくれ、我が国の技術改革にも貢献している」「先進国出身の外国人が働き手の減った地帯の空白を埋め、農業の再興に寄与する。「彼らの役割は今後、いっそう大きくなるだろう」とシュミッド会長は予測する」と外資や移民の農業参入が進んでいる。

 日本の農政も、「改革」の波を受けて、農地の集約化、企業経営の導入、農地売買の制限の緩和、等々、を進めようとしているが、外国から農民が移住して、農業の担い手になるというような自由化・開放までは、今のところ、想定しにくい。

 ウクライナでは、資本主義的大規模農業が本格的に展開しようとしているわけだ。それは、農村において、農業労働者が増大することを意味する。さらに、都市部ではなく、農村で国際化が進むことが、文化や社会にどういう影響を及ぼすかなど、いろんな課題がありそうだ。 

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「教育基本法改正案「賛成」66%…読売世論調査」に気をつけて

教育基本法改正案「賛成」66%…読売世論調査

 読売新聞社が13、14の両日に実施した全国世論調査(面接方式)で、16日から国会審議が始まった教育基本法改正案について、「賛成」と答えた人が「どちらかといえば」を合わせて66%に達した。

 「反対」は、「どちらかといえば」を合わせて14%だった。

 支持政党別に見ると、「賛成」は、自民支持層で76%、公明支持層で8割に上り、民主支持層でも63%を占めた。社民、共産支持層では「反対」が多数派だった。無党派層では「賛成」が58%だった。

 年代別に見ると、「賛成」は20歳代が73%で最多。50歳代が最も少なかったが、それでも61%に上った。

 改正案は、現在の基本法に様々な項目を加えたほか、一部の規定を削除した。その中でとくに重要だと思うものを、八つの中から複数回答で選んでもらったところ、「『豊かな情操と道徳心を培う』の追加」と答えた人が48%で最も多かった。次いで、「『公共の精神を尊ぶ』の追加」36%、「『国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う』の追加」29%、「『職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養う』の追加」「『我が国と郷土を愛する』の追加」各26%――などの順だった。

 教育基本法の見直しでは、「愛国心」をめぐる表現が最大の焦点となっており、政府案が「我が国と郷土を愛する」という表現なのに対し、民主党案では、「日本を愛する心を涵養(かんよう)する」としている。

(2006年5月16日23時56分  読売新聞)

 この記事を読んで、違和感を感じた人もいるのではないだろうか。この世論調査は、与党の教育基本改正案の賛成が66%としているのであるが、民主党支持層の多くは、民主党案を支持するだろうのに、民主党支持者に、与党案賛成が63%いるという結果が出たというのである。以前より、『読売新聞』は、野党に対案型の国会審議を求めており、それなら、面接方式の今回の調査でも、与党案と民主党案の両方から選ぶという選択肢があってもいいはずだ。もとから、『読売新聞』は、社説で、与党案支持を明言しており、この問題では、最初から中立ではなく、与党寄りという偏った姿勢を取っている。

 したがって、その世論調査については、バイアスがかかっているとみるべきである。しかも、8択においては、与党案が並べた重要度に沿った形、したがって与党案に賛成する『読売新聞』が支持する形で、順番が並んでいる。

 第1位は、『豊かな情操と道徳心を培う』の追加」48%。第2位が、「『公共の精神を尊ぶ』の追加」36%、第3位、「『国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う』の追加」29%、第4位「『職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養う』の追加」、第5位「『我が国と郷土を愛する』の追加」26%。

 この順番は、『産経新聞』や右派が望む順番とは異なる。かれらは、「愛国心」が明記されていない今回の与党案には、反対で、「愛国心」明記の優先順位が高いのである。それに対して、森前総理がこだわったのは、「公共の精神を尊ぶ」の明記であり、「愛国心」では、公明党に妥協したのである。

 いずれにしても、このような世論調査は、『読売新聞』の与党案支持の態度が反映していると見なければならない。

 最近のマスコミの世論調査の結果は、例えば、小泉内閣の支持率でも、近い時期のJNNの約57%とNHK47%と10ポイントもの開きがあるように、あてにならない。これは統計上の誤差の範囲を超えているのである。こうした記事に簡単に踊らされるような超お人好しはそうはいないとは思うけれども、その程度の信頼度しかないということを念頭に置いて、読んだ方がよい。

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マスコミと戦争

 15日のテレビ朝日「テレビタックル」で、独島・竹島問題がとりあげられた。

 日本政府は、江戸時代には、竹島・独島は、日本領だったという見解を出したが、明治10年(1887年)に、明治政府・太政官は、「日本海内竹島外一島ヲ版圖外ト定ム」(『太政類典』半月城通信より)とする指令を出しており、この時点で、独島・竹島を日本領外と認定していた*。ところが、1905年、日露戦争のための軍事施設をつくろうと計画した明治政府は、突然、これをくつがえして、無主の地と決めつけて、日本領に編入したのである。その後いろいろあったのだが、それについては、「半月城通信」を見ていただきたい。

 *1900年(明治33年)10月25日、大韓帝国は、勅令41号で、「鬱稜島、竹島、石島」を郡に昇格した(半月城通信『年表』)。5月17日付記 

  この番組では、右派ー保守派に偏った内容が垂れ流されることがあり、三宅、勝谷などのナショナリストの一方的な、竹島・独島日本領説だけが流されたりした。しかし、今回は、朴一大阪市大教授が、国際司法裁判所で審議しても勝てると反論した。

 もっとも、この番組自体は、バラエティ、お笑いとして作られているようで、ハマコーも「オレみたいな者の言うことをまともに受け取るな」と断っている。

 竹島・独島問題では、人々も冷静で、というよりも無関心である。韓国でも、ノ政権は大声で叫んでいるが、一般の人々は冷静に見える。テレビ映像で、日章旗などを燃やしたりしているのは、いつもおなじみの愛国団体で、海上保安庁の海底調査船を待機させた時に、抗議を行ったのは20人ほどだったという。テレビのフレームの関係で、映っていないところにも人がいるように思いこんでしまいがちなのである。ちょっと、カメラを引くか、ぐるりと回せば、そこには誰もいないということだ。イラクのサドル・シティで、フセイン像が米軍と共に人々によって引き倒された時、大勢がいるように映っていたが、引いてみると、周りを取り囲んで眺めている人の方がはるかに多かったように。

 マスコミと戦争の関係については、江口圭一氏による研究『満州事変と大新聞』(『思想』1973年第1号)にある1932年8月20日付「『東京日日新聞』の記事が、「若し新聞が時代精神を代表するものとせば、如何に其論調が、昨非今是の感を切ならしむるよ。・・・昭和六年九月十八日、奉天における一発の砲丸は、所謂る思想善導業者の千百万の説法よりも、我が国民の思想を、本来の面目に立ち返らするに於ては、有力であり、且つ有効であったと断言するに憚らない。我が国民は正しく国家的に再生し、国民的に復活した。しかして此れが無形の一大収穫であった」(『武藤全権大使及び其の一行を送る』)と書いているようなポピュリズムの危険性という問題がある。

 「(満州事変についてー筆者)伝えられたニュースの内容は、『大朝』が特派員により「支那側の策謀」を速報するとうたったことにもみられるように、当初から予断と偏見にみちたものであった。そこでは、「全く奉天兵の計画的な柳条溝の満鉄線爆破」(『大朝』9・19号外)と、関東軍の謀略への完全な同調をもとに、「我軍大活躍の奉天戦線(同前9・20号外)と、満州での軍事行動が無条件に肯定かつ賞讃され、その半面で、「鬼畜にも劣る暴戻と排日」(『東朝』11・7)と、中国への敵意と侮蔑があおりたてられ、「守れ満蒙=帝国の生命線」(『東日』10・27)というスローガンのもとに、事変にたいする全面的な正当化と熱狂的な声援がおこなわれたのである」(同前)。

 江口氏は、満州事変の報道競争を通じて、『朝日』『大毎=東日』の二大紙が、全国紙として独占体制を築き上げたことを指摘し、それを「この両大紙が新聞社として能力・機能のほとんどすべてを傾注して事変の支援につとめ、事変そのものを事業の不可欠の構成部分に組みこみ、戦争を自己の致富の最有力の手段として、この制覇をなしとげたという事実である」と分析している。

 当時、こうした大新聞の姿勢を、「石橋湛山のもとに、排外主義の大潮流のなかで事変批判の姿勢をなおからくも維持していた『東洋経済新報』(32・2・6)がすでに鋭く告発するところであった。――「社会の木鐸だなどといいながら実は権力と大衆に阿り、一枚でも多くの紙を売ることの外、何の理想も主張もなきが如」しと」(同前)と批判するものもあった。

 この石橋湛山の批判は、今日のマスコミについても当てはまるものではないだろうか。 

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転載 メーデー救援会メールニュース No.11

□□□ メーデー救援会メールニュース No.11 □□□

  11日無事釈放された渋谷署に留置されたいた仲間と私たちは、仲間の提起を受て、渋谷署に設置されている留置所にいる人々に向けて激励行動に即日出かけました。確実に声を届けるには渋谷警察署の裏手に回る必要があるため、無用な緊張を避ける短時間での激励行動でしたが、留置されていた仲間の釈放報告と処遇改善要求への連帯支持を感謝するアピールに、「聞こえるぞ!」の応答が! 続く10名ほどの「×房頑張れ」「みんな頑張れ」の外からのシュプレヒコールに、「頑張るぞ!」の中からの声。すぐに警備の警官が出てきましたが、処遇改善要求支持への謝意と激励のアピールだという主旨を説明し、整然と行動を終えることができました。私たちの耳にはいまだに「頑張るぞ」の声が残っています。どんな「罪」に問われていようとも、人間として健康的に生きることも含め、基本的人権は擁護されて然るべきです。留置所内の処遇がまちまちで、所轄署によって異なる対応が法を超えて「内規」(留置規則)とやらで規定されるのは、やはり理不尽と言わなければならないでしょう。

  それから、11日夜には緊急の反弾圧集会を予定通り開催しました。開会の数時間前から公安警察が付近の街路に多くて25名以上もたむろして、集会妨害・破壊の隙を伺っていましたが、救援会ではこれに対して防衛行動を対置。建物の中に入ろうとした数名を追い払い、街路にたむろしている公安警察に対して「つきまとい迷惑行為」弾劾のシュプレヒコールを叩き付け衆人環視のもとに置きました。公安警察は躍起になって「プレカリアートのメーデー」を叩き潰そうと今なおあがいていますが、私たちはこれをはねのけて集会を開くことができました。結果、140名もの方々にご参集いただき、盛況のうちに無事集会を終えることをできました。集会では、メーデー実行委・救援会・弾圧被害者の仲間からの直接の報告だけでなく、当日の模様を収めた動画を上映し、メーデー弾圧で振るわれた警察の暴虐を視覚的にも明らかにしました。集会参加者の皆さんはときに驚き呆れ、怒り、連帯アピールの暖かい言葉に拍手し、会場は熱気に溢れていました。私たちはあきらめません。未だならぬメーデーを改めて勝ち取るためにも、たたかいを続けます。改めて、皆さん、ありがとうございました。

詳細報告はこちら(長いので携帯端末の方はご注意ください)
http://mayday2006.jugem.jp/?eid=281

-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=--=-=-=-
メーデー救援会
〒105-0004 東京都港区新橋2-8-16
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FAX: 03-3352-6594
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