労働

アメリカ現代思想理解のために(14)

 フランス革命とアメリカ革命の違いが次に取り上げられる。

 氏によれば、フランス革命は、ロベスピエールなどが、貧困に苦しむ人々に「共感」し、かれらを「貧困」から「解放」することを政治目標とした。貧困からの解放に共感し、偽善にみちた圧制者たちを倒すのが、人間らしさだと考えた。しかし、そういう[共感→解放]の政治にのめりこみすぎて、つまり、行き過ぎて、弱者の「解放」という名目の下に、人々の剥き出しの暴力衝動をも「解放」してしまい、「弱者に共感しない人間らしからぬ輩」を大量虐殺するすることになった。それが「恐怖政治」だという。

 フランス革命についてはいろいろな見方があり、ここでは詳しくは取り上げないけれども、ここで、「共感」という感覚・感情が、政治化し、それが、大量虐殺という具体的な結果を取ったという図式になっていることに注意が必要である。感覚・感情こそが、政治の原因だというのである。しかも、その感覚は、「貧困」からの解放という思想に基づくとされている。感覚・感情を基礎にするというのは、一見すると唯物論的なのだが、その前に、特定のイデオロギーがあり、それが、そうした感覚・感情を規定するというふうになっていて、つまり、これは、マルクスが、青年ヘーゲル派の特徴としてあげた観念論の特徴と一致している考えである。

 そうした[共感→解放]の“政治”を、カール・マルクス(1818―83)を経由して継承したロシア革命も、同じようなメカニズムで無制約の暴力を解放することになってしまった。アーレントは、そうした「解放の政治」の暴走をそのまま第三世界での解放運動に結び付けてはいないが、ラテンアメリカやアジア・アフリカの国々で貧困問題が深刻化していることには言及しており、これらの国における「解放」がフランス革命やロシア革命のような事態に繋がる可能性があることを示唆しているようにも取れる。(57~8頁)

 つまり、これは、例えば、ポルポト体制とかのことを言っているのだろうか? しかし、ポルポト政権の場合、貧困からの解放というよりは、むしろ、近代化の拒否という思想が強かったように思えるのだが。そして、フランス革命の場合、貧困からの解放とは、一つには、フレンチ・インディアン戦争やアメリカ独立革命支援などの相次ぐ戦費支出によって出来た借金の負担を下に転嫁したことに大きな要因の一つがあり、それに対して、マリー・アントワネットに代表されるような上層の奢侈、贅沢三昧の生活ぶりが、下層の不満を強めたということがあった。しかし、相次ぐイギリスとの戦争の敗北、そして、台頭してきた新興中産階級の利害、それが、フランス革命の原動力であり、それを正当化する理論として近代啓蒙思想があり、ロベスピエールらは、それを追求したということである。その際に、理神教を創設しようとしたような理性主義というものが問題になるわけだが、それについては、ここでは触れられていない。しかし、結局、ロベスピエールも打倒されるわけである。だが、このことは、フランス革命が、ブルジョア独裁の時期を必要としたブルジョア革命であったことを証明しているのであり、それとマルクスだの、弱者への共感などとは、頭の中だけでしか結び付けられないものであるということは指摘しておかねばならない。

 それに対して、アメリカ独立革命支援の場合は、

 アメリカ革命の場合、イギリスから独立したばかりの諸州が自分たちの「憲法constitution」を定め、それに基づいた「国家体制constitute」をゼロから構成(constitute)しなければならなかったということもあって、建国の父たちは、ポリス的な意味での「政治」の空間、「公的空間」を作り出すことの必要性を認識していた。個人がそれぞれの私的生活における幸福を追求するだけでなく、市民たちが公的空間で公的幸福を追求できるようにすること、言い換えれば、「公的自由」を維持し続けることが、アメリカ革命の課題になった。アーレントは、「建国の父」の一人であり、第三代大統領になったトーマス・ジェファソン(1743―1826)が、「解放」以上に「公的自由」の問題を意識していたと指摘する。(58頁)

 こうして古代ポリスに対するアーレントの思い入れの強さは、『政治の約束』においても一貫しており、そこで、人間論としての根源的複数性ということを強調している。

 トーマス・ジェファソンについては、民主党創立者となったわけだが、この民主党が、南北戦争時には、奴隷制維持を求める南部分離派を支持したということも忘れてはならないだろう。アメリカ独立革命については、それを、古代ポリスと直接比較することにはあまりにも無理がある。アーレントは、アメリカ独立革命が変質する可能性についても考え、次のように述べた。

 「公的自由」を維持し続けるには、「憲法」に基づいていったん「構成された権力」が硬直化して、巨大な暴力装置を備え、人民を抑圧して、自由な活動の余地を奪うようなことになってはいけない。フランス革命やロシア革命では、実際、そうした事態が生じてしまった。人民が常に自らの「国家体制」と「権力」を新たに「構成」し直し、「公的幸福」を追求し続けられるようにしておく必要がある。/アメリカでは、州ごとに異なった法・政治体制が採用され、州の代表たちからなる議会での討論によって連邦の政治が大きく変更される可能性がある。また州を構成する地区(districct)、郡(county)、軍区(township)などの単位では、古代のポリスのように、タウン・ミーティングに集った住民たちの公的な討論によって自治が行なわれた。それによって、アメリカの「国家体制」は、開かれたものであり続けることが可能になったという。(同)

 つまり、ここでも同じだが、これを古代のポリスと直接比較しようとするところにそもそもの無理があり、それは、彼女のカント主義的な図式主義の基本的な認識観に問題があるのである。このような、タウン・ミーティング的なものは、日本でもどこでも見られるものであり、アメリカのそれが特別に「国家体制」を開かれたものにしたというのは、こじつけであり、おかしな見方である。

 『革命について』でアーレントが示した、個人ごとの幸福追求の自由よりも「公的自由」を重視するような議論は、現代では狭義の「自由主義」、つまり個人主義的な自由主義とは区別して、「共和主義 republicanism」と呼ばれることがある。(59頁)

 しかし、他方で、共和主義republicanism は、中央集権主義であり、国家主義的な政治思想であり、それに対して、ジェファソンら民主主義者が対立したのであり、前者は、必ずしも、ポリス的な意味での政治空間=共和制を維持するために各市民がコミットすることの重要性を主張する思想とも言えない。それが、市民たちが政治に関心を失って公的生活から撤退することや、他人がやってくれる政治にフリーライド(ただ乗り)することをよしとしない思想だというのは、一方では、レパブリカンが、君主制を研究して、強力な権限を持つ大統領制を作ろうとしたことや、それに、後者は、むしろ、直接民主主義と呼ぶ方が正確だろうということで、それを無理やり、「解放」=物的というような規定を当てはめることはないだろうと思う。

 ここの最後に、「アーレントは、必ずしも現代アメリカの政治を手放しで称賛しているわけではないが、共和主義的な「自由」の伝統のおかげで、“解放の政治”に巻き込まれるのを免れてきた点は高く評価している(59頁)」とある。ここでの「巻き込まれる」という表現には問題があるし、おそらくは、そこには、アーレントの哲学を観照的態度として解釈するという観念論が潜んでいる。それは、労働を受苦性としてのみ捉える労働観の貧困さとかも反映しているのだろう。それについては、後でやや詳しく見てみたい。

 


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職場いじめ問題と派遣労働について

 3月4日のNHKの「クローズアップ現代」で、職場での同僚によるいじめが増えている問題を取り上げていた。

 驚くべきことに、子供のいじめをなくす立場にある教師間のいじめが増えているということである。それに、看護士にもあって、取り上げられた例では、救急治療室の看護士間でいじめがあることで、それが原因で、患者の命にかかわる事件が起きかねないということである。そして、非正社員の中でのいじめも深刻化していて、その原因は、ベテラン労働者が他の労働者をしきっているせいだという。いわゆる新入りいじめであるが、そこには、非正社員が不安定な雇用形態のために、雇用を守るために、それを脅かしかねない新入りを排除しようとするという動機があるように見えた。

 こうした職場でのいじめは、ヨーロッパでもアメリカでもあって、それぞれ政府が対策を取っているという。

 番組は、企業側が、いじめによる生産性の低下が深刻だと気が付いたことから、対策を始めた様子を紹介していた。パート2人が製造業の職場からいじめで止めた例では、新人を教育するための教育費や生産性の低下がはっきりと現われていて、企業利益が大きく損なわれることが統計で示された。訓練されたパート労働者2人が貢献する企業利益の額はかなり大きい。労働者過剰状態から労働者不足になってきているなかで、いじめによって訓練されたパート労働者を失うのは企業にとって痛いものになってきたのである。

 1月の失業率は低下していて、少子化・人口減少の中で、中長期的には労働力不足となることが懸念されている。もちろん、大企業は、日本で雇用できない労働者を他国で雇うのであるが、そこでも同じ問題が発生する可能性もあり、結局、この問題が生産性を引き下げる以上、対策を講じないわけにはいかないわけである。

 ベテラン労働者は、自らの雇用を守るために、防衛的攻撃に出ているわけであり、その利害が共通するために、大ぜいが手を組んで、脅威となりそうな新人いじめとなるわけである。雇用の不安定さや職場で能力主義や個人別の生産性の評価などがプレッシャーとなっているのである。

 番組のキャスターは、チームなり集団労働の評価ではなく、個人別の能力評価・成果主義などに問題があるのではないかと指摘したのだが、呼ばれてきた学者は、それには触れなかった。彼はただ諸外国のように、同僚間のいじめの定義を確定して、問題化することと、企業がトップダウンで対策をとることを提唱しただけであった。

 対策に乗り出したある企業は、社会保険労務士に、点検と対策を求めた。その社会保険労務士は、職場内を視察した上で、パートの休憩室のテーブルの上に、ベテラン労働者の私物がのせっぱなしになっていることを問題として指摘した。パート用のロッカーがないためだとして、ロッカーの設置を提言した。第二に、企業がこうしたいじめをなくす強い意思を示す必要があると指摘した。職場内に、いじめ根絶を記したポスターが貼られた。

 パートは、その企業と雇用関係があり、管理の責任も企業にある。派遣の場合は、雇用関係は、派遣元にあるが、仕事は派遣先の指示に従う。こうした場合の派遣元と派遣先との労働者管理のあり方については、まだ整理がついておらず、ケースバイケースのようである。『労働研究機構』の「派遣労働者の人事管理と労働意欲」という論文で、島貫智行(山梨学院大学専任講師)は、「派遣労働とは,企業の人事管理の観点からみれば,内部労働市場と外部労働市場の両方の要素を併せ持つ人材活用といえる。同時に,派遣労働者個人にとっての働き方やキャリア形成もまた,企業による管理と労働者自身による自己管理の要素をともに含んでいる。その意味で,派遣労働の人事管理は「雇用と自営」の中間形態であるといえよう」と述べている。かつては、正社員による非正社員へのいじめが問題になったことがあるが、この時は、正社員がリストラの対象となり、雇用がおびやかされていた。

 島貫氏は、「本論の分析結果は,派遣労働者の現在の働き方への満足や将来のキャリアの見通しを高める上で派遣先と派遣元の人事管理がともに重要であることを示しており,派遣労働者が派遣労働という働き方を通じて長期的なキャリアを形成していくには,派遣先や派遣元という企業間のパートナーシップだけでなく,派遣先と派遣元,派遣労働者という三者間のパートナーシップが重要であることを示唆している」と述べている。派遣の場合は、企業の人事機能が、派遣元と派遣先に分かれているのとともに、派遣労働者の自己管理が加わって、三者の連携によって、労働意欲を高める人事管理が可能となるというのである。

派遣先と派遣元が担っている人事機能として氏は、①調達,②育成,③評価・処遇の三つを基本的機能とした上で以下のように整理している。

派遣先の人事管理派遣元の人事管理
人事機能全体派遣労働者の活用
(指揮命令関係)
派遣労働者の配置(供給)
(雇用関係)
①調達仕事内容と人材要件の明確化
○ 派遣労働者に任せる仕事内容の明確化
○ 仕事の遂行に必要なスキルや職務経験の明確化
募集・選考(仕事紹介)
○ 派遣先の仕事や職場に関する情報提供
○ 仕事の希望や職務経験のヒヤリング
②育成OJT
○ 仕事に関する専門知識やノウハウの説明
○ 職場のルールや社内規則の説明
Off-JT
○ スキル開発に必要な教育訓練機会の提供
○ 将来のキャリアを考える機会の提供
③評価・処遇評価
○ 評価基準の明確化
○ 評価結果のフィードバック
処遇
○ 賃金管理
○ 就業機会の提供
④その他物理環境の整備
○ 作業環境の整備
情報共有
○ 業務打合せへの参加
苦情処理
○ 定期的な職場訪問や相談窓口の設置
福利厚生
○ 健康管理のサポートや厚生施設の利用機会の提供

 この分析は、あくまでも、派遣労働が今後も長期的に存在するという前提でのものである。派遣元・派遣先・派遣労働者の三者の人事機能面での提携が、労働意欲を高めるというのが氏の結論である。

 「厚生労働省『派遣労働者実態調査』(2005) によれば,派遣先が派遣労働者を活用する目的は「欠員補充等必要な人員を迅速に確保できるため」(74.0%) や「一時的・季節的な業務量の変動に対処するため」(50.1%) が中心である」という。しかしその余地は、労働力の過剰の程度に左右される。日本の企業の多くが、こうした余地を非正社員を増やすことで大きくしようとしたことは、景気回復にも関わらず、非正規雇用の割合が増えていることからわかる。派遣ばかりではなく、パートなどの人事管理が、労働意欲の向上、したがって生産性の向上という企業目的のために、必要とされているわけだ。かつて、派遣に求められていた必要な人員確保や一時的な業務量の変動への対処などの役割を担ってきたパート・アルバイトなどは、今では、基幹的な労働者になってしまった。サービス業では、パートの管理職まで現われている。派遣はその後を担っているわけだが、いづれ、パートが辿ったような道を歩むことになるかもしれない。しかし、パートが企業の基幹的な労働者となったが、それによって人件費が低められたように、そうなると、さらに人件費が低くなり、しかも、雇用の不安定性や労働者の自己管理によるスキル形成などの企業負担の低下した状態が一般化することになるだろう。年金・保険などの企業負担がなくなるということもある。それによって今度は、正社員の給与や労働条件は低めに抑えられることになろう。

 この番組では、社会保障の充実や賃上げやベテラン労働者へのスキル向上機会の提供や昇給や昇進の機会の提供などがもたらすであろう労働意欲の向上やチームや集団的能力の評価ということがチームワークの形成に与える正の影響などに触れていない。しかし、こうした問題の解決のためには、この方が効果的だと思う。

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「自由と生存のメーデー」デモに420名

 5月1日は、労働者の祭典メーデーである。連合系はすでに集会を済ませているが、全労連系と全労協系は、伝統どおり5月1日にメーデー集会を各地で開催している。

 その中でも、ユニークなのが、東京都新宿区で行われた「自由と生存のメーデー07」(同実行委)http://mayday2007.nobody.jp/である。ムキンポ氏のHPに写真がある。http://www.mkimpo.com/diary/2007/mayday_07-04-30_bis.html

 近年、フリーターなどの不安定雇用の若者たちの労組結成が相次いでいるが、このメーデーの核になっているのも、フリーター全般労組という若者中心の不安定雇用労働者の労組である。このような労働組合は、イラク反戦でのサウンド・デモなどの新しい街頭行動スタイル、表現、文化を生みだし、既存の労働運動が組織できなかった若者層の間に、共感と参加を拡大してきた流れを含んでいる。

 終身雇用を前提に、企業と一体になり、企業あっての労働組合と長期的に労働運動を展望する企業別組合や官公労と違って、派遣などは、企業を渡り歩くことも多く、最近では、複数の派遣会社に登録して、日雇い派遣労働者が増えているという。派遣業者は、日雇い労働者からピンハネする手配師と変わらなくなっているのである。

 それに対して、手配師の親分の1人で、厚生労働省の労働政策審議会臨時委員をつとめる派遣会社ザ・アールの奥谷禮子社長は、とっくの昔にへりくつにすぎないことが明らかになっている自己責任論を繰り返して、対策の必要はないと述べている。彼女には、高い見識もなく、品位もない。もちろん、思慮もない。ただ、儲けることを基本基準にして、現実を裁断しているだけのカネの亡者であり、カネの奴隷であり、金儲け機械である。

 こうした連中の頭を支配している「できる者」をよりできるようにし、「だめな者」は排除するという小泉・安部政権に共通する能力主義という「持てる者」の物差しは、それに反対する「持たざる者」たちの広く深い団結で打ち壊すことができる。

 「自由と生存のメーデー」はこの数年の間に数倍の人を集めるようになった。サウンド・デモの威力は、出発時約300人が、終わりには約420人まで、デモ隊の人数がふくれあがるという沿道からの飛び入り参加が多いという沿道の人々との間の垣根が低いことにも現れている。ビデオ・プレスの映像を見ると、警備の警官が、デモに参加するのは危険だからやめてくださいと飛び入り参加を阻止すべく、アピールをしている様子がある。しかし、沿道を歩くフリーターなどの不安定雇用労働者たちとデモ隊の間には、共通の労働体験があり、それが奥深いところでの共感を生み出す。警官の制止を振り切って、多くの若者たちが、飛び入り参加する。

 社民党は今や国会では極少数派となってしまったが、欧米など世界では、政権を握る党も多いなど、社会主義インターナショナルの社民主義潮流という国際的な政治潮流の一翼を占める党である。社会主義インターナショナル系社会民主主義党派は、だいたい労働組合に依拠している労組政党が多い。日本の社民党は、支持労組が少なく、市民運動との連携を強めている。「自由と生存のメーデー」は、そうした潮流とは違ったものであり、そこに、社民党福島瑞穂党首が、最後まで参加するというのは、少々驚きであるが、けっこうなことだと思う。

 不安定雇用層そしてワーキングプアが増大しているのは、1999年の派遣業法改正から、小泉構造改革それを受け継ぐ安部政権の下での、構造的要因によるものである。奥谷はじめ自民党議員などの口からは、やる気のある者はのばすが、やる気のないものは自己責任だという考えが、露骨に繰り返される。やる気という心理的基準を立てているのであるが、その判定基準も示さなければ、評価法もわからない。心理テストでもして「やる気」を測ろうとでもいうのか? 

 先日放送された「ビートたけしのTVタックル」では、「ネット・カフェ難民」を取り上げていたが、その中で、ネット・カフェで寝泊まりしながら、ネットで日雇い派遣の仕事を探しているの29歳の女性の姿を見ながら、桝添自民党参院政審会長は、やる気のない人にやる気のある人から取った税金を使っていいのかという発言があった。彼が言うやる気のある人とは、心の中に「やる気」を持っている人のことではなく、すでに成果・結果を出している人つまりは税金を納めている人という意味である。29歳のこの女性は、「これからはもっと計画的に生きなければ」と語り、「やる気」があることを表明している。しかし、桝添の基準では、この人はやる気のない人に分類されてしまうのである。それから、この場合は、納税者から、消費税納税者が除かれている。消費する人すべて納税者であることが無視されている。

 ビートたけしは最後にかつてならすぐにデモが起きているところだと言った。しかし、実際には、420名のフリーターらのデモが東京で、そして大阪でも同様のデモがあった。若者中心の420名のデモは、近年にない大規模デモであり、数年で数倍に拡大してきていることには、希望が見える。

 格差社会に「使い捨てやめろ」 フリーターら、メーデー集会(『東京新聞』2007年5月1日)

派遣労働者やフリーターの若者らによる「自由と生存のメーデー」が30日、東京・新宿で開かれた。「非正社員を使い捨てにするな」「残業代を支払え」。1日のメーデーを前に、いつもは集まることのない若い参加者が集まり、切実な声を休日の繁華街に響きわたらせた。

 音楽を流したトラックが怒りのシュプレヒコールを先導する。「職場に労組があっても入ることのない、フリーターのためのメーデーをやろう」。デモは非正社員をつなぐ地域労組「フリーター全般労組」(東京)が企画。4回目の今年は昨年の4倍の約420人が参加。上野や山谷地区でホームレスを支援するグループや平和団体も加わった。

 「まともに暮らせる賃金を」「派遣会社はピンハネするな」。派遣労働などで働く人たちならではの訴えが続き、大久保地区から歌舞伎町へ約2時間、練り歩いた。

 昨年のデモでは逮捕者も出ており、大勢の警官に物々しく取り囲まれた「サウンドデモ」は人波あふれる沿道の目を引いた。

 「最初は何だろうかとびっくりしたけど、(デモの主張には)共感できる部分もあった」と、都内在住のアルバイト男性(32)はうなずいた。「格差がこんなに広がっても自分が何も言えないのも悔しかった。デモは何もしないよりずっといいと思う」と女性(23)は友人と一緒に見守った。

 この日は福島瑞穂社民党党首も駆けつけ一緒に歩いた。「厳しい状況に置かれた若い人の生の声を聞くことができた」

 京都から参加した介護ヘルパーの男性(32)は「仕事はハードなのに給料は全然見合わない。生活できずに離職する人が増えており、国の無策を訴えたい」と話した。

 集会に先立ち、日雇い労働の現場で派遣で働く男性が日給6千-7千円、月収13万円程度にしかならず、家賃や食費を払うと手元にほとんど残らない生活を紹介。主催者側には労働基準法が無視され、遅刻して罰金を取られたケースなど、悪質な雇用をめぐる相談が絶えないという。

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フリーター「奴隷ですから…」は社会病理を示している 

 下の『毎日新聞』の記事は、今の日本社会の基本的な病理を的確に指摘している。それは、労働という人間の基本的な営みの尊厳が奪われているということだ。
 
 「格差の底辺に置かれた人たちが「労働の尊厳」まで奪われているということだ。そして、それは働く者すべてに広がりつつあるように感じる」と労働現場を取材してきたこの記者は言う。日本経団連は、先の報告書で、「多様な働き方を」と書いているが、その実態は、経営側が使いやすいように労働者を使いたいということであり、多様化の中身は、「労働の尊厳」を奪うことである。それが、働く者すべてに広がりつつあるというのは、日本経団連、規制改革・民間開放推進会議の最終答申でも盛り込まれた「ホワイトカラー・エグゼンプション」導入などのことである。それはしかし、経営側にも広がっているように感じる。この間、企業不祥事の発覚のたびに繰り返される経営陣の謝罪会見でのかれらの表情が、疲弊しているように見えるからである。その原因は、おそらく、競争主義によって、短期的な数字を引き上げることを至上命令として、神経をすり減らしていることにあるのだろう。そして、企業倫理だの法令遵守(コンプライアンス)だの従業員の疲弊やその家族の生活だの安全性だのということに思いをいたす余裕がないということが現れているのである。
 
 前に、前日経連会長奥田豊田会長と建築家安藤忠雄氏が、フィレンツェを訪れてルネッサンス芸術をみて、対談するという番組をみたのだが、奥田氏は、こうした美を鑑賞する教養が十分にあるようには見えなかった。競争にとらわれ、日々の営利仕事に追われて、経営陣もまた、人間的素養を伸ばす機会がなくなっているようだ。連日、テレビ・カメラの前で頭を下げる企業トップの姿を見て感じるのは、非人間性・無教養さである。それに対して、ビル・ゲイツは、教養を感じないのは同じだが、最近は、低開発諸国での病気治療のためのボランティア活動を始めた。それはかなり大規模で本格的なもので、かなり力を入れるつもりらしい。
 
 規制改革・民間開放推進会議は、最終答申では、企業が一定規模以上の労組としか交渉しないでよいとする労組法改悪は明記しなかった。憲法違反のおそれがあるからだという。
 
 教育委員会設置を義務としないという教育委員会法改訂も盛り込まなかった。というのは、この間、教育委員会の強化が必要との意見が強まっているからだという。教育委員会制度は、骨抜きになっているとはいえ、戦後教育の大きな柱であり、戦後教育から脱却のためには、教育委員会をなくすべきなのだが、そうはしないということらしい。もっとも、教育関係の議論は、教育再生会議に委ねるということらしい。教育再生会議には、規制改革・民間開放推進会議と兼任のメンバーがいるから、そちらで、こういう提言をすればいいということなのかもしれない。しかし、戦後見直しという安倍政権の基本姿勢からは後退している。
 
 いずれにせよ、もはや経営陣は、ただ利益の数字を追い求めるだけで、人間としての人格的完成とか素養・教養の向上や社会や文化への貢献とか社会的尊敬をも求めていないようだ。ただ、ぎすぎすとした労使関係、他人は全てライバルとして競争に生きるだけのようだ。愛国心などが育つはずもない。歴史的教養など、経済競争に忙しい彼らには時間の無駄であり、余計なものである。愛国心がどうのこうのと騒いでいる八木秀次のような大学教授など、無駄な職業に見えるだろう。なにせ、八木氏の専門は、憲法学で、実用的な学問ではない。それよりも、明日使える優秀な技術者や営業を育てることを必要と考えるだろう。それぐらい余裕を失っている。
 
 そのあせりを政治的に体現したのが、小泉政権で、とにかく急いで、性急な実行を求め、目の前のことばかりを焦って変えようとした。その副作用は、上から下までのモラル崩壊に現れている。小泉前総理は「古い自民党」をぶっ壊すと叫んだが、そこからは「新しい自民党」は出てこなかった。破片を寄せ集めただけの残骸だけが残ったのである。その残骸の上に立って、安倍政権は、「美しい国」なる虚しい美辞麗句を並べつつ、醜い強行採決に、醜い郵政造反組復党などの醜い政治を実行している。その醜さに人々はしらけはじめ、内閣支持率急落、不支持率上昇という世論を突きつけた。安倍政権と共にその「背後霊」小泉の亡霊も醜く薄汚れ、この世から追い払われつつある。
 
 日本経団連は、日本的経営の再評価を掲げる。それは人間的な経営であると。そして、企業は、「社会の公器」だという。経営者は社会を構想し、社会のために働かなければならないという。人間的な経営の中身は何か? 社会構想の中身は何か? 企業の公的性格とは何か? 社会に貢献するとはどういうことか? これらの疑問にまったく具体的に答えがない。
 
 下の記事が指摘する「労働の尊厳」の剥奪が、人間的な経営ではないことははっきりしている。そして、それが、社会をよくするものでないことも誰が考えてもわかることだ。社会の中で、社会のために働き、社会をよくすることに貢献している人々を正当に評価し、正当に扱い、正当な報酬と待遇を与えること、それが人間的なやり方というものだろう。社会の成員たる全ての人をそのように遇することが、人間的な社会として当然のことだろう。多様性だのなんだのと言葉をもてあそんで、その実、自分たちだけの都合を優先させ、自分たちだけの自由を実現させようとするのは、その反対だろう。
 
 働く者を奴隷化して自らが主人化することは、人間的な経営ではないし、人としての、社会としての真に価値ある目標にならないことは、古今東西の多くの智者が繰り返し指摘してきたところだ。21世紀になって、働く者が「奴隷ですから」などということを言うような社会が、いい社会ではないことは明らかである。

  記者の目:フリーター「奴隷ですから…」 東海林智
 「奴隷ですから……」

 この1年、労働現場を取材する中で、派遣労働者や携帯電話で日々の仕事の紹介を受けるフリーターからたびたびこの言葉を聞き、ドキリとした。憤り、恨み、あきらめ……。ニュアンスこそ違え、そこには「人として扱ってくれ」という強烈な思いが感じられた。

 「格差社会」が注目を集め、正社員と非正社員としての働き方や少子化、教育など、さまざまな角度から「格差」が論じられた。そんな中、「再チャレンジ」を掲げる安倍晋三首相が登場した。再チャレンジにケチを付ける気はない。そうした制度を整えるのは大事なことだ。だが、気になるのは、格差の底辺に置かれた人たちが「労働の尊厳」まで奪われているということだ。そして、それは働く者すべてに広がりつつあるように感じる。

 神奈川県内に住む男性(42)は、携帯電話で日々の仕事の紹介を受けて生計を立てている。今年2月、大手人材派遣会社に解体現場での仕事を紹介された。「マスクを買って行って」と指示があった。もちろん自前だ。100円マスクを手に、着いた現場で派遣先の社員は防毒マスクのようないかめしいマスクをつけていた。アスベスト(石綿)を使っていた施設の解体現場だ。作業が始まると、ほこりで1メートル先も見えない。派遣のバイト4人はせき込みながら貧弱なマスクで作業をした。これで交通費1000円込みの日給は8000円。マスク代や税金などを差し引くと手取りは6000円程度だ。

 日々紹介を受ける仕事。行ってみないと現場の様子は分からない。危ない現場でも断っていたらすぐに干上がる。こんな仕事を月25日しても、手取りは15万円に満たない。仕事の紹介がない月は月収が5万円以下の時もある。有給休暇も雇用保険もない。自動車工場や公共施設などを転々とした職歴。どこも1年以上の雇用を約束してくれなかったからだ。「安い命でしょ。僕らには何をしてもいいんですかね」。働く喜びや誇りはどこにもない。

 派遣社員で事務の仕事につく女性(40)は、数カ月ごとの細切れ契約を繰り返しながら働いた。海外留学で鍛えたネーティブ並みの英語力も時給には反映されない。契約外の翻訳もこなし、賃上げを求めると「あなたの賃金は物件費で扱われているから無理」と言われた。税金の関係で物件費に回されているのだが、女性は「働いているのに人件費にさえカウントされないと思うと、情けなくて涙が出た」とこぼした。

 他にもガラガラの社員食堂を使わせてもらえず、プレハブ小屋での食事を強いられた請負会社の社員、牛丼屋のバイトを3年続け、「誰よりもうまく盛りつけられる」と誇りを持っていた仕事をバイトだからと一方的に解雇された若者……と、切ない話をいくつも聞いた。

 だが、非正社員だけではない。労働の尊厳を奪うような状況は、正社員の間にも広がり始めている。職場での陰湿ないじめがそうだ。「ダメ社員」と決めつけ「再教育」の名で業務とは関係のない書類の廃棄作業を延々と続けさせたり、倉庫での一人だけの在庫確認を強制して退職に追い込む。こなし切れない業務を負わされ、終わることのない仕事を強いられる。労働相談を長年続けている日本労働弁護団は「過去に経験したことのない異常事態」と、いじめ相談の多さに驚く。

 長時間労働もそうだ。厚生労働省の調査でも30代、40代前半の男性労働者の4人に1人は週60時間以上働いている。これは月にすれば80時間以上残業していることになり、過労死の危険性を指摘されるラインに達する。夫を過労死で亡くした遺族はこう言った。「残された子供は『一生懸命まじめに働いたってお父さんは死んじゃったじゃないか』と言いました」。別の遺族は「人間として生きていけるような労働の在り方を実現してほしい」と訴えた。

 不安定な雇用の下、低賃金で働くか、正社員として死ぬまでこき使われるか。極端な言い方かもしれないが、労働の尊厳を奪うこうした働かせ方が格差の下敷きになっているように思えてならない。「再チャレンジ」した先にたどりつくのが同じように命を削るような働き方をする正社員であるのだとすれば、そこに希望は感じられるだろうか。

 繰り返すが、「再チャレンジ」のシステムを作ること自体は否定はしない。だが、そこには「人間らしく働く」という基本的な要求が満たされていなければならないと思う。それに向き合わない、格差解消、再チャレンジの言葉はあまりにも軽く、空々しい。(社会部)(『毎日新聞』2006年12月26日)

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米移民労働者メーデーによせて

 5月1日のメーデーに、アメリカでは、百万人以上と見られる移民労働者のデモとストライキが行われた。これを指導したのは、SEIU(The Service Employees International Union  サービス労働者国際組合)という労働組合の指導者であった。SEIUは、約160万人の労働者と5万人のOBを組織し、アメリカ、カナダ、プエルトリコを合わせた北米の国際労働組合組織である。先に、全米最大の労組のナショナルセンターであるAFLーCIOを脱退している。

 昔から、旧移民が既得権を守り、新移民を排他的に扱うことは、労働組合運動にもあって、昔の主に熟練労働者を組織していた頃のAFLは、東欧・南欧などからの新移民を組合に入れなかった。それに対して、IWW(世界産業労働者連盟) は、新移民や女性を組織して急成長したということがある。

 アメリカでは、五大湖周辺の自動車産業などの大工業地帯から、南部に工場移転する企業が増え、南部に新工業地帯が生まれ、そこで、メキシコ国境から不法移民が流れ込み、人口が急増している。その他にも、農業・建設・土木・サービス産業などで、不法移民労働者が、今や、アメリカ経済にとって欠かせない下層労働者として、1200万人もが働いている。

 アメリカのかつての基幹産業の労働者は減り続け、それにともなって、AFL-CIOの労働組合員も減少し続け、それに危機感をもったSEIUなどいくつかの大労組が組織を離脱し、ラテン系を中心とする新移民労働者の組織化に積極的に乗り出したのである。それが、今年に入ってからの、300万規模の移民労働者の大街頭デモにつながった。さらに、5月1日のメーデーにおいて、より労働者としての権利を前面に出した職場放棄とデモという形へと発展したのである。その狙いは、SEIU幹部によれば、いかに不法移民労働者がアメリカ経済にとって必要不可欠な存在であるかを示すことだった。

 移民労働者なしには成り立たない経営者たちの中には、この行動に協力して、営業を休止する者も出た。経済的損失もかなり大きかったようで、不法移民労働者たちの存在の大きさを示すことになったようだ。

 日本のメーデーでは、二極化が進み、大企業が過去最高益をあげている中での渋い賃上げに止まったことなどもあってか、「連合」もいつものようなお祭り気分ではいられなかった。今年のメーデーは、今や雇用者の3分の一に達した非正規雇用労働者を組織化するフリーター労組らの小規模なメーデーにさえ、公安警察が予防弾圧的な攻撃を仕掛けてきたように、労使の間の緊張が強まりつつある中でのメーデーだった。

 少子高齢化時代を迎える中で、坂中英徳元東京入管局長など移民労働者の積極的導入を唱える人もいる。移民問題は、今後、日本でも大きくなってくる可能性もある。参考までに、SEIUが掲載している「移民制度改革」という文章を訳してみた。細かいところで、間違いもあるかもしれないが、大意は理解できると思う。あらかじめご容赦を。

 移民制度改革

 全ての労働者のために賃金と利益を向上させる移民制度改革を支持してください。

 4月10日に行われた移民たちの集会について学んでください

 全ての労働者のために賃金と利益を向上させる改革を支援するように、上院議員をせきたててください。

 SEIUのエリシオ・メディナが、エア・アメリカで、壊れた移民制度を改革するためのSEIUの解決策について話すのを聞いてください。

 「包括的」改革のSEIUの定義

 移民は、我が国の基礎を築き、建設して、我々の国で最も厳しい仕事のいくつかを行い続けている。かれらは、管理人、ホテル・メイド、保育者、家事労働者、食器洗い人、建設労働者等々、我々の経済とコミュニティに貢献し、納税する勤勉な労働者である。

 一生懸命にアメリカで働く誰にでも、我々のコミュニティへの完全な参加と同様に家族、入手可能な健康管理と安全な老後を支える給料額をともなう良い仕事の機会がなければなならない。

 しかし、我々の移民法は時代遅れで強制できないものである。そして、この国で働くために、ほとんど整然と合法的なチャンネルを提供していない。

 現在の制度は、アメリカの納税移民である勤勉なほぼ1200万人の市民権を得る道を拒否している。そして、雇い主がこれらの労働者を搾取することをより容易にしている。  これは、アメリカの全ての労働者のための賃金と利益を引き下げるものだ。

 たった今、ワシントンの議員は、そうなるだろう法案を討議している。

 勤勉な納税している移民のための市民権を獲得する道をつくってください

 効果的で安全な境界をつくってください

 我々のニーズで調整される移民制限を定めてください

 不法就労者を搾取する雇い主を罰してください

 家族を再会させてください

 SEIUは、アメリカが移民の国・法治国家として、その遺産に従って生活するとき、我々市民全員が利益を得ると思っている。

 あなたたちは、上院議員に、過去の失敗した方針を拒絶するよう訴えることによって援助することができるし、全ての労働者を保護して勤勉な労働に敬意を払う我々の移民制度を改革する現実的な計画を支えることができるし、我々の経済とコミュニティに作ってきた移民に貢献することができる。

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