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<title>21世紀の風</title>
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<title>哲学と格差についての読売記事によせて</title>
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<description>　今日の「読売新聞」には、興味深い記事が二つあった。一つは、格差社会では、所得の...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　今日の「読売新聞」には、興味深い記事が二つあった。一つは、格差社会では、所得の高低に関わらず、死の危険性が高まるというデータ分析が発表されたというもの。もう一つは、社説で、哲学教育の重要性を説いていることだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　格差社会で、所得に関わらず死亡の危険性が高まることについては、ストレスが原因だと、山梨大の近藤尚巳助教授らのデータ分析で明らかになったということだ。それは、「慢性的なストレスが自律神経やホルモンの働きを乱して、免疫機能を下げたり、血圧や血糖値を上げたりするのが原因と考えられている」というという。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　死亡の危険を高めることについては、例えば、ガンで直接死亡するというよりも、治療による免疫低下によって、直接的には肺病で死亡するケースが多いというようなことでもある。記事によると、格差を意識することが強まると、死の危険性が高まるということだ。近藤氏は、「健康を個人レベルだけでなく、社会全体で考える必要性を実証した」と語っているという。しかし、これは、平等というものが、社会的な価値として、意識されているか無意識の内に存在しているからこそ言えることである。あるいは、社会的共同性が、平等ということを含んでおり、現在的に存在し、再生産されていることを共同主観的に反映しているのである。そして、このことは、人々が日常的に意識していることと現実の反映としての自覚的意識がいかに異なるものであるかを示している。つまり、表層的な意識に上らないように誤魔化しても、それは身体に影響を与えるというかたちで、意識として出て来て、作用するということである。そこで、社説の話につながってくる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　社説は、哲学を「世界の根本原理を追求する学問」とし、「思考力や論理性を徹底的に鍛える哲学教育の推進は海外で大きな潮流となっている」「幸せとは何かといった思春期の子供たちが抱く素朴な問いは、古今東西の哲学思想との出会いにつながる。新しい生命倫理の問題など現代の複雑な課題に向き合う上でも哲学的思索は欠かせない」と述べている。こう言うと、哲学は、西洋の学問であって、日本あるいは東洋ではあまりなじまないように思われる。しかし、仏教は、学派として発展し、唯識論という観念論であり形式論理学であるが、高い水準の論理学を発展させた。中国においても、哲学は古代より発展している。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　前に書いたが、哲学は、共同体の必要事であり、世界を認識し、共同体がその存在を維持、再生産するための必要なものであった。それは、宗教的形態の下にあって、神の事として、つまりは、共同体を神と表象し、その神の言葉として伝えられていた。そこには、農耕にとって必要な知識や天候についての知識、共同体道徳、世界の起源、男女の発生の原因、等々、共同体生活に必要なあらゆる知識が詰め込まれていた。それは宗教儀式を通するなどして世代から世代へ伝えられていた。近代になると、それは宗教への従属から離れた。そこで、多くは個別学問へと分かれていったが、論理学は、哲学固有の領域として残されている。そして、それが他の学問にとっても重要なのは、論理学なしには、個別科学は、実は、真に理解可能なものとはならないからである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　「晩秋の夜、インターネットやゲームを離れ、哲学書をひもとくのも有意義な過ごし方だろう」という趣味的なものではなく、哲学は、きっちりと学んだ方がいいと思う。そうすると、「格差社会高まるストレス」の姿もよく見えてくるに違いない。　&lt;/p&gt;　&lt;p&gt;&lt;strong&gt;格差社会高まるストレス、高所得層も死亡率増&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&amp;nbsp;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　社会の所得格差が大きくなると、貧困層だけでなく中間層や高所得層でも死亡する危険性が高まることが、山梨大の近藤尚己助教らの大規模なデータ分析で分かった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　社会のきずなが薄れ、ストレスが高まるのが原因らしい。英医師会誌に発表した。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　社会の格差が寿命などに悪影響を与える「健康格差」の報告が最近相次いでいる。慢性的なストレスが自律神経やホルモンの働きを乱して、免疫機能を下げたり、血圧や血糖値を上げたりするのが原因と考えられている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　近藤助教らは、日米欧などで研究された論文約２８００本を調査。その中で信頼性が高いと判断した２８本の計約６０００万人のデータを解析し、格差が健康に与える影響を検証した。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　その結果、格差の指標となるジニ係数が「格差が広く意識され始める」目安とされる０・３を超えると、０・０５上がるごとに、一人一人が死亡する危険性が９％ずつ増えていた。影響はどの所得層や年齢層でも、男女ともに表れた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　こうした傾向は長期間調査するほど顕著で、１９９０年以降に格差の影響が目立ち始めたことも分かった。経済協力開発機構（ＯＥＣＤ）加盟の先進３０か国で、２０００年のジニ係数が０・３以上なのは、日本や米国など１５か国。貧困の影響ではなく、格差の大きさ自体の影響で死亡する人は、日本（ジニ係数０・３１４）が年間２万３０００人、米国（同０・３５７）が同８８万人で、１５か国では同１５０万人になると、近藤助教らは推計した。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　日本福祉大の近藤克則教授（社会福祉学）は「格差が健康に与える影響については議論もあったが、包括的に検証している。健康を個人レベルだけでなく、社会全体で考える必要性を実証した」と話している。&lt;br /&gt;（2009年11月21日「読売新聞」）&lt;/p&gt; &lt;p&gt;&lt;strong&gt; 　哲学教育　論理的な思考力を鍛えよう&lt;/strong&gt;（11月23日付・読売社説）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　「哲学」の語源はギリシャ語の「フィロソフィア」（知恵を愛する）に由来する。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　明治時代の初期、賢哲の明知を愛し希求するとの意味で「希哲学」と訳され、さらに「哲学」と呼ばれるようになって定着した。世界の根本原理を追究する学問だ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　１４歳の少女を主人公とした哲学ファンタジー「ソフィーの世界」が日本でもベストセラーになり、哲学ブームと言われたのは、１９９０年代半ばのことだった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　ブームは過ぎ去り、哲学は実用性に乏しい学問と見なされ、多くの大学の教養課程の履修科目から姿を消しつつある。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　しかし、思考力や論理性を徹底的に鍛える哲学教育の推進は海外で大きな潮流となっていることを見逃してはならないだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　幸せとは何かといった思春期の子供たちが抱く素朴な問いは、古今東西の哲学思想との出会いにつながる。新しい生命倫理の問題など現代の複雑な課題に向き合う上でも哲学的思索は欠かせない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　国連教育・科学・文化機関（ユネスコ）は哲学教育の推進に取り組んでいる。高校生などを対象とした哲学教育は、欧米を中心に多くの国で導入されつつある。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　フランスでは高校の最終学年で哲学の基本が徹底的に教えられ、大学入学資格試験には哲学の難題が出題される。人間形成の上で大きな影響を受けたと振り返るフランス人も少なくない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　フィンランドで今年５月に開催された国際哲学オリンピックは、世界２２か国から高校生が参加し、宗教や芸術をテーマに哲学論文を書いて競い合った。日本代表も英語で哲学論文に挑み健闘した。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　哲学を広い意味からとらえ直して教育などに生かす試みは、日本でも芽生えつつある。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　東京都世田谷区では文部科学省の教育課程特例校の制度を利用して、すべての区立中学校で独自の教材を用いた哲学の授業に取り組んでいる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ」を素材に「生きること」をテーマに考えさせたり、伝統織物を知ることで自然と人間の関係を学習させたりするなど指導に工夫を凝らしている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　大阪大学臨床哲学研究室は、いくつかの高校と提携し特別授業を実施してきた。喫茶店などで社会人らが自由に討論する「哲学カフェ」も開催しており盛況だ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　晩秋の夜、インターネットやゲームを離れ、哲学書をひもとくのも有意義な過ごし方だろう。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>雑文</dc:subject>

<dc:creator>ぴゅうぴゅう</dc:creator>
<dc:date>2009-11-23T11:20:43+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://byoubyou.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-d418.html">
<title>オバマ演説について</title>
<link>http://byoubyou.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-d418.html</link>
<description>　アメリカ大統領オバマが来日し、日米首脳会談を行って、ＡＰＥＣ首脳会議に向かった...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt; 　アメリカ大統領オバマが来日し、日米首脳会談を行って、ＡＰＥＣ首脳会議に向かった。以下は、読売新聞の日本での大統領演説の全文である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　来日の１２日、都内は、厳戒態勢にあったが、その中で、天皇在位20周年記念式典があって、それに対する抗議行動に参加してきた。平日にも関わらず、180名（主催者発表）の人々が集まり、銀座から新橋をデモした。街宣右翼が、集会場の周りを大音量を出しつつ、走り回ったり、、途中、警備によって近づけないまま、なにやらがなり立てたりしていたが、なんということなく無事に行動を終えた。奉祝自体が、それほど世間的に広まりを持てなかった中で、右翼の盛り上がりも欠けていたようだ。かれらは、ただ、お国の敵と闘ってますよという実績を示して、それを機関誌なりに載せて、企業や自治体から金を巻き上げようという類が多いので、かっこうだけやれば、それでいいのだろう。在特会は来なかった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　この日、来日したオバマ大統領は、13日に、以下の演説をした。懸案の沖縄問題については、具体的なことは何も言われていない。特徴としては、いろいろあるが、その中でも、太平洋国家アメリカという点を強調していることがまずあげられる。&lt;/p&gt;&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;　米国のこの地域への関与は日本に始まるものだが、そこで終わりではない。米国は、大西洋沿いの港や都市の連なりとして始まったのかもしれないが、何世代にもわたる太平洋国家でもあった。アジアと米国は、この大海によって隔てられているのではない。結び付いているのだ。&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;　ここから、中国、インドなどのアジア重視のオバマ戦略がうかがえる。このことは、間接的に、沖縄の米軍基地のアジア安保における重要性が増すということを示唆していて、米軍基地撤去、負担軽減などを求める沖縄の人々の願いを裏切っている。したがって、ここからは、沖縄の米軍の機能強化という方向が見えたということが言える。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　もう一つは、、オバマ政権の新戦略として、次のような経済政策方針が示されたということである。&lt;/p&gt;&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;米国では、この新戦略の意味は、貯蓄を増やし、支出を減らし、金融システムを改革し、長期的財政赤字や負債を削減することになる。そしてそれは、我々が建造、製造した物を世界中で売る、輸出がより重視されることも意味する。これは米国にとっては雇用戦略ともなる。輸出は、給与のいい数多くの雇用を米国民にもたらす。輸出を少し増やすだけでも、数百万の雇用をもたらす効果がある。こうした雇用で、風力タービンや太陽光パネルから、日常生活で使う技術製品までが製造されている。&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;　一言で言えば、輸出主導型経済への転換ということである。これは、大転換であって、世界経済の構造を大変化させるものである。私は留保するが、これは、基軸国家論者からすれば、基軸国家の交代を意味する。中国が、アメリカに代わって、世界からの輸入を引き受け、世界の生産・供給の受け入れ、需要国となるということだ。それに伴って、基軸通貨国の地位も、アメリカから中国に移るということだ。しかし、今は、まだ、多極化論もあって、複数基軸的な絵もリアルに想定できる段階にあると思うので、ここは慎重に見ておかないといけないところだと思う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　オバマは、「新戦略の重要な一部が、世界貿易機関（ＷＴＯ）新多角的貿易交渉（ドーハ・ラウンド）で、野心的で均衡の取れた合意を達成することだ。これは単なる合意ではなく、世界中の市場を開放して輸出を増やすものだ。その目標をタイミング良く達成するため、我々はアジアの関係国と協力していく準備があり、地域の貿易相手国を交渉のテーブルに招く所存だ。/我々はまた、アジア地域での継続した経済統合が、すべての国の労働者、消費者、事業者の利益となることを確信している」とのべ、アメリカが輸出主導型経済に移行するにあたって、その供給を受け入れる需要の創造を、世界市場、アジア経済統合による市場拡大という方向で実現しようと述べている。それに対する障がいを取り除くことを、アメリカのアジアでの安保戦略の目標とすることを意味する。それは、沖縄にとって、基地機能強化という方向での米軍再編の下での負担強化となる可能性が高い。他方で、中国がアメリカの戦略にとってもつ重みはいっそう重くなっているのであり、中国の動向に注目しなければならない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　オバマ大統領は、アジアでの人権向上を訴えた。沖縄の人々の人権、そして、今、在日外国人の人権を軽く見ている日本政府の姿勢、等々、恣意的ではない人権政策が、アメリカに求められているということを是非自覚してもらいたいものだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　&lt;strong&gt;オバマ大統領演説全文（日本語訳)&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　◆訪日の意義&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　ありがとう。（日本語で）アリガトウ。ありがとう（拍手）。おはよう。合衆国大統領として初めてのアジア訪問の最初の訪問地として東京に滞在出来ることを大変光栄に思う（拍手）。ありがとう。これほど大勢の方々に囲まれるのはすばらしいことだ。日本人と、何人か米国人の姿も見えるが（拍手）、両国間の絆(きずな)を強めるために日々努めている方々だ。その中には、私の古くからの友人で新しい駐日大使のジョン・ルース氏もいる（拍手）。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　日本に戻って来ることが出来たのはすばらしい。ご存じの方もいるだろうが、幼い頃、母が私を鎌倉に連れてきたことがある。何世紀にもわたり平和と静寂の象徴だった巨大な青銅の大仏を見上げたものだ。ただ、子どもだった私は、抹茶アイスの方に夢中だったのだが（笑い）。昨晩の夕食会でまたアイスクリームを食べながら、鳩山首相に思い出話を聞いてもらったことを感謝したい（笑い。拍手）。ありがとう。しかし私は、日本の人々が、わが家を遠く離れた幼い米国人少年に示してくれた温かさやもてなしの心は忘れたことがない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　この訪問でも、同じ精神を感じている。鳩山首相には丁寧な歓迎を受けた。在位２０周年を迎えた天皇、皇后両陛下にお会いする大変な名誉にも恵まれた。日本の人々はもてなしを見せてくれた。そしてもちろん、ここへ来たからには、（福井県）小浜（おばま）市民への表敬と感謝の念を表明しないわけにはいかない（拍手）。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　今回の歴訪をここから始めた理由は単純だ。就任以来、私は米国の指導力を刷新して、相互利益と互いの尊敬に基づいて世界に関与してゆく、新しい時代を追求してきた。アジア太平洋地域における我々の努力は、かなりの部分、試練に耐え、新たな活力を与えられた米国と日本の同盟を通じて根付いてゆくのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　私の就任当初から、我々は両国を結び付ける絆の強化に努めてきた。ホワイトハウスに最初に招いた外国指導者は日本の首相だったし、過去５０年近くで初めてのこととして、米国務長官ヒラリー・クリントン氏の初外遊先は、日本を起点とするアジアとなった（拍手）。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　今から２か月後、同盟は５０周年を迎える。ドワイト・アイゼンハワー大統領が日本の首相の隣に立ち、両国が「対等と相互理解」を下地とする「不朽のパートナー関係」を築きつつある、と述べた日のことだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　以来半世紀、同盟は我々の安全と繁栄の基盤として続き、両国が世界１位と２位の経済大国となる一助となってきた。日本は、米国にとって北米以外で第２の貿易相手となった。日米同盟は、イラク復興からアフリカの角（ソマリア）沖での海賊対策、アフガニスタンとパキスタンの民生支援などまで、日本が世界の舞台でより大きな役割を演じ、全世界の安定に重要な貢献を果たす中で発展してきた。最も最近の例では、アフガン、パキスタン両国の開発に向けた国際的な取り組みの増進に当たり、日本は顕著な指導力を発揮している。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　それにも増して、同盟は我々の共通の価値観を反映しているからこそ持続してきた。国民が自由に、自らの手で指導者を選び、自らの夢を実現するという民主的権利を信じているということだ。この信念があったから、変化を約束した鳩山首相と私とが指導者に選出されることが可能だった。我々は共に、新しい世代の指導力を、我々の国民と同盟とに、もたらすつもりだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　だからこそ、歴史上重要な今この時、我々２人は、同盟を再確認するだけでなく、深化させることで合意した。沖縄の米軍再編に関する２国間合意の履行のため、合同作業部会を通じて迅速に動くことに合意した。同盟が発展し、将来の状況に適応していく中で、我々は常に、平等と相互理解のパートナー関係という、アイゼンハワー大統領の精神を守ることを目指していくのだ（拍手）。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　◆太平洋国家&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　米国のこの地域への関与は日本に始まるものだが、そこで終わりではない。米国は、大西洋沿いの港や都市の連なりとして始まったのかもしれないが、何世代にもわたる太平洋国家でもあった。アジアと米国は、この大海によって隔てられているのではない。結び付いているのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　我々は歴史により結び付いている。アジアからの移民は米国の建設を助け、幾世代もの米国人が軍務に就き、犠牲を払っては、この地域の安全と自由を守って来た。我々は、繁栄を共有することで結び付いている。（両地域の）貿易と通商には、何百万もの雇用と家族とが依存しているのだ。我々はまた、人々によっても結び付いている。アジア系米国人は、米国民の暮らしのあらゆる面を豊かなものにしており、国家と同様、すべての人々の生活もまた、相互に織り合わされているものなのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　私自身の人生も、その物語の一部だ。私はハワイで生まれ、少年時代をインドネシアで過ごした米国大統領だ。妹のマヤはジャカルタ生まれで、後に中国系カナダ人と結婚した。私の母は、東南アジアの村で１０年近く働き、女性たちがミシンを買ったり、教育を受けて世界経済への足掛かりを得られる手助けをしていた。だから、環太平洋地域が私の世界観を形成したのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　その時以来、これほど速く劇的に変化した地域は恐らくないだろう。統制経済は開放された市場に取って代わられた。独裁は民主主義に変わった。生活水準は向上し、貧困は急減した。こうした変化を通じて、米国とアジア太平洋地域の運命は、かつてないほど密接につながれている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　すべての人、すべての米国人に知ってもらいたいのは、この地域で起こることが我々の国内での生活に直結し、この地域の将来が我々の利害にもかかわるということだ。我々はこの地域で盛んに商売し多くの商品を買っている。この地域で我々は、自国商品の輸出を増やし、それによって自国の雇用も創出することが出来る。この地域での核軍拡競争の危険が世界の安全を脅かしている。そして、過激派が偉大な宗教を汚し、アジアと米大陸双方への攻撃を計画している。アジア太平洋の新興国と途上国抜きでは、エネルギー安全保障や気候変動の課題も解決できない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　これら共通の課題に対処するため、米国は従来の同盟関係を強化し、地域各国と新たな協力関係作りを検討している。実現に向け、日本や韓国、オーストラリア、タイ、フィリピンとの条約を通じた同盟に期待している。同盟とは過去の歴史文献ではなく、我々が共有する安全保障の土台となる永続的な約束だ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　こうした同盟は安全と安定の基盤であり続け、この地域の国家や国民が、私の少年時代の初訪日当時には思いもつかなかった好機と繁栄を追求するのを可能にしている。米軍が世界で二つの戦争に携わっている間も、米国の日本やアジアの安全保障への責任は揺るがない（拍手）。それは何より、私が誇りとする若い男女米兵を我々がこの地域に展開させていることで明らかだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　今我々は、アジア太平洋地域や、さらに広い世界で、一層大きな役割を果たそうとしている新興国に期待している。民主主義を導入し、経済を発展させることで自国民の偉大な可能性を引き出した、インドネシアやマレーシアのような国々だ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　◆中国&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　米国は、２１世紀には、ある国の安全保障と経済成長が他国の犠牲の上に成り立つ必要はない、という観点から、台頭する諸国に目を向けている。私は、米国が中国の台頭をどう見るか、という問いかけを多くの人が行っていることを承知している。すでに述べた通り、相互に結びついている世界では、一方の力が増せば他方の力が減るというゼロサム・ゲームに陥る必然性はない。国々は、他国の成功を恐れる必要もない。勢力範囲を競い合うのではなく、協力出来る範囲を開拓することが、アジア太平洋の発展につながる（拍手）。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　あらゆる国に対してと同様、米国は中国に対し、自国の利益に焦点をあてながら接していく。まさにこのため、相互の関心事で中国との実務協力を求めることは重要だ。２１世紀の課題に単独で対処できる国はなく、米国と中国も、課題に共同で対処することで、より良い結果を得られるからだ。だから、我々は中国が世界の舞台でより大きな、成長する経済と応分の責任を果たせる役割を担おうとしていることを歓迎する。中国の協力が、我々の経済回復の取り組みに重要なことは明らかになっている。中国はアフガニスタンとパキスタンにおける安全と安定を増進させた。そして、地球規模の不拡散体制に関与し、朝鮮半島の非核化の追求を支持している。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　だから、米国は中国の封じ込めは目指さない。また、中国との関係強化が、米国と他の国との同盟の弱体化につながることはない。逆に、強力で豊かな中国の興隆は、国際社会の強さの源となりうる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　従って、北京でもどこでも、我々は米中間の戦略・経済対話を深め、軍同士の意思疎通を改善していく。もちろん、米中両国はすべての問題で合意することはないだろう。米国は、すべての人々の宗教と文化の尊重を含んだ、我々がいとおしむ基本的価値観を訴えることをためらいはしない。人権や人間の尊厳への支持が、米国に根付いているからだ。だが、我々は憎悪でなく、協力の精神で議論を進めていくことができるだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　我々の２国間関係に加えて、多国間組織の発展で、この地域の安全保障と繁栄を前進させられると信じる。私は、米国が近年、こうした組織の多くと距離を置いてきたことを承知している。だから私ははっきり申し上げたい。そうした時代は過ぎた。アジア太平洋国家として、米国は、この地域の将来を形作る議論に加わり、適切な組織が発足・発展した際には全面的に参加できることを期待している（拍手）。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　それが、今回の旅で私が着手する作業だ。アジア太平洋経済協力会議（ＡＰＥＣ）は、地域の通商や繁栄を推進していくもので、私は今夜からの会議参加を待望している。東南アジア諸国連合（ＡＳＥＡＮ）は東南アジアでの対話や協力、安全保障を促進する触媒であり続けるし、私は１０人のＡＳＥＡＮ指導者すべてと会談する最初の米大統領となるのを楽しみにしている（拍手）。米国は、東アジアサミットが時代の課題に取り組む役割を担う中で、より正式に関与して行きたいと望んでいる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　我々がこうした関与の深化や拡大化を追求するのは、我々すべての将来がここにかかっているためだ。ここで少し、我々の将来がどのようなものになり、我々が繁栄や安全保障、普遍的な価値観や希望を促進するために何を行うべきかを話したい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　◆経済&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　まず最初に、我々は経済の回復を確かなものにし、バランスがとれて持続可能な成長を追求しなければならない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　アジア太平洋諸国やその他各国が講じた、迅速で前例のない、調和のとれた行動によって、経済の破滅が回避され、過去数世代で最悪の経済危機からの脱却が可能となった。そして我々は、国際的な経済構造改革への歴史的一歩を踏み出しており、世界２０か国・地域（Ｇ２０）は、経済協力の最も重要な議論の場となっている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　Ｇ２０への移行と、国際的な金融機関でのアジア各国の発言力の高まりこそ、米国が２１世紀に目指す、より幅広く包括的な参加の枠組みを実地に示すものだ。日本は、主要８か国（Ｇ８）の主要メンバーとして、国際的な金融の枠組みを形成していく中で、これまでと同様これからも重要な役割を担うことになるだろう（拍手）。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　今、我々は、経済回復の入り口に差しかかっており、その回復を持続可能なものにしなければならない。今回の世界的景気後退を招いた、急激な上昇と下降を繰り返す経済サイクルにただ戻るというわけにはいかないのだ。こうした不均衡な成長をもたらした政策を繰り返すことはできない。今回の景気後退の重要な教訓のひとつは、もっぱら米国の消費者とアジアの輸出に成長を依存することの限界だ。米国人が自分たちが大きすぎる負債と失業を抱えていると気付いた時、アジアからの産品への需要は急速に下がった。需要が激しく下降すれば、この地域からの輸出も一気に下がる。この地域の経済はあまりに輸出依存のため、成長が止まってしまった。そして世界的な景気後退は深まるばかりだった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　我々は今、異なる道を取ることが出来るという、歴史的にも数少ない転換点にさしかかっているのだ。それは、我々が米ピッツバーグでのＧ２０首脳会議で誓った、均衡のとれた経済成長のための新戦略を追求することから始めなければならない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　シンガポール（ＡＰＥＣ会議）でもっと詳しく話すが、米国では、この新戦略の意味は、貯蓄を増やし、支出を減らし、金融システムを改革し、長期的財政赤字や負債を削減することになる。そしてそれは、我々が建造、製造した物を世界中で売る、輸出がより重視されることも意味する。これは米国にとっては雇用戦略ともなる。輸出は、給与のいい数多くの雇用を米国民にもたらす。輸出を少し増やすだけでも、数百万の雇用をもたらす効果がある。こうした雇用で、風力タービンや太陽光パネルから、日常生活で使う技術製品までが製造されている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　アジアにとっては、より良い均衡を達成することで、特筆すべき生産性向上により可能となっていた質の高い生活水準を労働者や消費者が満喫する機会が生まれる。住宅や社会基盤、サービス分野への投資も増加出来るようになる。均衡のとれた世界経済によって、繁栄はより遠くまで届き、より深みを増していく。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　過去数十年、米国は、世界で最も開かれた市場の一つを提供してきた。前世紀を通じて、開かれた市場は、この地域の多くの国々や他の国々の成功に寄与してきた。新しい時代に入り、世界中の他の市場を開放することが、米国だけでなく世界の繁栄にとっても重要となる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　新戦略の重要な一部が、世界貿易機関（ＷＴＯ）新多角的貿易交渉（ドーハ・ラウンド）で、野心的で均衡の取れた合意を達成することだ。これは単なる合意ではなく、世界中の市場を開放して輸出を増やすものだ。その目標をタイミング良く達成するため、我々はアジアの関係国と協力していく準備があり、地域の貿易相手国を交渉のテーブルに招く所存だ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　我々はまた、アジア地域での継続した経済統合が、すべての国の労働者、消費者、事業者の利益となることを確信している。我々は韓国の友人と共に、同国との貿易協定に必要な作業を続ける。米国はまた、環太平洋戦略的経済連携協定（ＴＰＰ）に参加する国々と共に、幅広い参加国の顔ぶれと２１世紀の貿易協定にふさわしい高い水準を持つ地域協定を目指した取り組みを続ける。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　連携して取り組むことこそ、我々が経済回復を維持し、共通の繁栄を進める方法だ。だが、均衡のとれた成長を追求するだけでは十分ではない。我々には、我々の惑星と、そこで暮らす未来の世代にとっても持続可能な成長が必要だ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　◆気候変動対策&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　米国は（私の就任以来）、気候変動に関して、これまでにない多くの対策を講じてきた（拍手）。最新の科学を取り入れ、新エネルギーに投資し、効率を上げ、新しい連携を作りだし、気候変動を巡る国際交渉にも関与してきた。米国は、この分野でもっとなすべきことがあるのを理解している。だが、責任を果たしており、今後もそうして行く。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　責任には、コペンハーゲン（１２月の気候変動枠組み条約第１５回締約国会議＝ＣＯＰ１５）での成功に向けた努力も含まれる。それが容易であるといった幻想は抱いていないが、進むべき道は明らかだ。すべての国々はその責任を受け入れなければならない。我が国も含め、主要排出国は、明確な削減目標を持たなければならない。発展途上国も、資金や技術面での支援を受けながら、排出削減に効果的な対策を講じることが必要になる。そして国内対策では、透明性や説明責任が必要とされる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　我々一人一人が、我々の惑星の環境を破壊せずに経済を成長させるために出来ることをしなければならず、それを一緒に行わなければならない。良い知らせは、適正なルールを設け、動機付けを行うことができれば、最高の科学者や、技術者、起業家の創造力を発揮させられるということだ。それは、新たな雇用や事業、全く新しい産業へとつながっていく。そして日本はこの分野では先端にいる。この重要な地球規模の目標達成に向け、あなたたちの重要なパートナーとなることを楽しみにしている（拍手）。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　◆ミャンマー&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　自由と尊厳の希求は、すべての人の生き方を形作るものだ。人類には、考えを述べたり指導者を選んだりする自由や、情報に接する能力、望むような形で礼拝を行うこと、法の支配への信頼、公正な司法行政など、共有するいくつかの理想があるからだ。これらは安定を阻害するものではなく、安定の礎である。我々は常に、これら諸権利を求める人々の側に立つ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　例えば、ビルマ（ミャンマー）に対する我々の新しいアプローチを導いているのもこうした真理だ。ミャンマーに対しては、米国による制裁、他の諸国による関与のいずれも国民の生活向上にはつながらなかった。そこで我々は今、（軍事政権の）指導部との直接協議に乗り出し、民主改革に向けた具体的な措置がない限りは現在の制裁は継続することを明確に伝えた。我々は、統一され、平和的で繁栄し、民主的なミャンマーを支援する。ミャンマーがこの方向に進めば、米国との良好な関係は可能だ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　取るべき措置としては、（民主化指導者）アウン・サン・スー・チーさんを含む全政治犯の無条件解放、少数民族との紛争終結、政府と民主化勢力、少数民族が将来構想を共有するための真の対話がある。ミャンマー政府はこうした道をたどることで、国民のニーズに応え、国に真の安全と繁栄をもたらすことができる（拍手）。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　◆結び&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　米国はこうした措置を通じてアジア・太平洋での繁栄と安全、人間の尊厳を向上させていく。日本は常に、地域における米国の取り組みの基軸であり続け、米国は日本との緊密な友好関係を通じ行動する。私がきょう述べた関与の拡大を通じ、我々はパートナーとして行動する。米国は、この地域で人格の一部が形作られた大統領を持つ国であり、太平洋国家として行動する。米国は、５０年近くにわたって日本国民との絆を導いた共通の目的意識を基に行動する。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　こうした絆の形成は、前世紀半ば、太平洋地域の戦火が鎮まったしばらく後にさかのぼる。日本がその後、世界が目にした中で最も速くて力強い経済成長、いわゆる「日本の奇跡」を果たしたのは、国民のめざましい回復力と勤勉さに加え、日本の安全と安定に対する米国の関与があったからだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　この奇跡はそれから数十年間の間に地域全体へと拡大し、たった１世代で数百万人の生活と運命が、永久に良い方向へと変わった。こうした進歩は、ようやく手にした平和によって支えられ、拡大を続けるこの巨大な地域の国々を束ねる、相互理解という新たな懸け橋によって、強化されてきた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　米国は、今後もなさねばならない任務がまだあることを知っている。科学技術の急発展が、太平洋の両岸での雇用創出や地球温暖化からの安全保障につながるために。危険な兵器の拡大の流れを逆転させ、分断された半島の南側の人々を恐怖から解放し、そして北側の人々を欠乏と無縁に生きられるようにするために。若い女性が、その肉体ではなく精神によって評価され、あらゆる場所にいる若者たちが能力と意欲と選択次第でどこまでも伸びていけるように。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　いずれも簡単に実現できることではないし、挫折や苦難もあろう。だが、奇跡を果たしたこの地域の歴史は、（世界の）再生の時代において、こうしたことが可能であることを我々に示している。これこそが米国の基本方針であり、日本や地域の国々、国民との共通の目的なのだ。明確に述べておきたい。太平洋地域出身の初の米国大統領として、私は、この太平洋国家（である米国）が、死活的に重要なこの地域における指導力を強化し、持続させていくことを約束する。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　ありがとう（拍手）。&lt;br /&gt;（2009年11月14日 読売新聞）&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>経済・政治・国際</dc:subject>

<dc:creator>ぴゅうぴゅう</dc:creator>
<dc:date>2009-11-18T12:21:07+09:00</dc:date>
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<title>「11月３日に考えたこと」の補足</title>
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<description>　「11月３日に考えたこと」の若干の補足です。 　マルクス・エンゲルスの「ドイツ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　「11月３日に考えたこと」の若干の補足です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　マルクス・エンゲルスの「ドイツ・イデオロギー」の序文にはこんなくだりがある。&lt;/p&gt;

&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;　あるときひとりの感心な男が、人々が水におぼれるのはただかれらが重力の思想にとりつかれているからだと想像した。もしもかれらが、この観念を迷信的な観念だとか宗教的な観念だとか宣言でもして頭におかなくなれば、かれらはどんな水難にも平気でいられるであろう、と。一生涯かれはこの幻想とたたかった。重力の思想の有害な結果についてはどの統計もあらたな数おおくの証明をかれにあたえたのだった。この感心な男こそドイツのあたらしい革命的な哲学者たちの典型だったのである（岩波文庫版）&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;

&lt;p&gt;　なお、この部分は、合同新書版にはない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　ある思想だの観念だのが人々をとらえ、その人を行動に導くには、意志を呼び起こさねばならない。それがたとえ幻想であろうともである。つまり、ドン・キホーテみたいに。しかし、ドン・キホーテを笑うだけではすまないのは、マルクスが言うところの物象化ということがあるからだ。例えば、貨幣は、今では、単なる印刷物に過ぎないが、それを支えているところの社会諸関係によって価値とされており、しかもその基礎には生産関係があるために、たとえ、頭でそういうものだと認識しても、ただちになくすことはできないのである。この物的土台を変革しなければならないのである。では、この変革しなければいけないという意志はどこから生まれるのか。生産関係の矛盾からである。つまりそれがその対立関係の中で動いているところの階級矛盾からである。それを反映するのである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　そういう類のものは他にもあって、ジョン・レノンのイマージンという曲では、国境のない状態や戦争のない社会を想像してごらん、そうすれば解放されるよといったことが歌われている。なぜ、そういうことを想像すると心地よく、解放感を感じるのだろうか。そういうものに抑圧感を感じているからだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　この社会で賃労働していると楽しくないしプレッシャーを感じるのは、そこでの関係に抑圧性があるからだ。レノンにならって言うと、窓の外の通りを、賃労働の廃止と叫ぶデモ隊が通るのを想像してごらん、心地よいだろう、ということ。そうして解放感を感じたら、やっぱり、賃労働で抑圧があると思って間違いないだろう。ここまでは、感覚で把えられるが、それから先は、推理によって進むことが出来る。そういう状態からの解放のために、娯楽でごまかしても一時しのぎでしかないから、例えば、賃上げ闘争というのをしてみる。そのために労組という形態で団結したとして、その場合に、仲間との連帯感があり、それも抑圧からの解放感をもたらすだろう。でも、賃上げはうまくいかないかもしれないし、意見対立などから、仲間割れが起きるかも知れない。でも、その前の解放感の記憶は残る。こうしてこの解放感を手がかりにして、次の解放を求める行動が可能である。もちろん、そうしないことも可能だ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　では、理論の役割は何か？　これは一言で言えば、行く先や足下を照らすライトである。それ以上のものとして理論崇拝に陥ると、上の重力にとりつかれた男のようになってしまう。近代哲学の祖デカルトは、まず感覚を疑えと言って、それでも考える我（コギト）だけは疑えない確実なものだと言った（コギト・エルゴ・スム）。考える我とは理性のことだ。だから、これは理性我と言ってもいいのだが、近代の問題性もずいぶん深まったし、それについての自覚も広く生み出されている。近代は、同時に資本主義の時代である。新たな主体を問うている思想家もいる。近代的な主体、コギト、我＝人間＝理性というのもくたびれてきた。近代は、この我に私的所有者としての責任主体性を与えたのだった。しかし、共有制は同時に存在してきた。共有地、株式会社、入会地、マンションなどの建物の共有分、夫婦・家族の共有財産、等々。コギトは、この世の全てを我の手にと言う。しかし、この世のすべては誰のものでもない、みんなのものだとイメージすると、心地よい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　唯物論は、感覚を認識の基礎に据えることで、こうした理性我を疑う。そうして見えてくるもの、そこに真実への接近過程があるということを感じるのである。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>雑文</dc:subject>

<dc:creator>ぴゅうぴゅう</dc:creator>
<dc:date>2009-11-09T13:28:58+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://byoubyou.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/11-75fa.html">
<title>11・８鳩山とオバマにモノ申す！普天間基地を即時閉鎖し、辺野古新基地を断念せよ！行動報告</title>
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<description>　11・８鳩山とオバマにモノ申す！　普天間基地を即時閉鎖し、辺野古新基地を断念せ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　11・８鳩山とオバマにモノ申す！　普天間基地を即時閉鎖し、辺野古新基地を断念せよ！デモに参加した。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　とはいえ、地下鉄乗り越してしまい、着いた時は、もうデモが水谷橋公園を出たところだった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　多種多様な人々、約５００人が集まって、三線の演奏を先頭に、銀座の街を、日比谷公園入り口あたりまで、元気にデモ行進した。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　今、鳩山政権では、沖縄の普天間基地の辺野古移設問題をめぐって、内部でぎくしゃくしていて、周知のとおり、先日は、岡田外相が、普天間基地の嘉手納基地への移設案を口にして、それが沖縄からの反発を受けたばかりです。その沖縄では、米軍基地の県内移設反対などを要求する県民集会が開かれた。途中、入ってきた情報で、約２万１千名の参加である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　デモ解散後、アメリカ大使館に申し入れ行動に向かった。しかし、そのはるか手前の舗道上で、警官隊に行く手を阻止され、少数代表の申し入れしか認められなかった。そこで、２時間ほど、リレートークをしながら待つことになった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　13日のオバマ来日、日米首脳会談で、沖縄の基地問題は一つの焦点となる可能性が高いが、こうした異常対応は、日本政府のこの問題に対して神経質になっていることをうかがわせた。周囲は、機動隊・警官隊を乗せた装甲車両がずらりと並んでいた。４人ずつに分けられての申し入れで、時間がかかったようである。冬が近づく薄暗くなる中で、多くの行動者たちは、進路をふさぐ警察への怒りと沖縄に基地を集中して、アフガニスタンなどへの侵略戦争を続けるオバマ政権に対する怒りを合わせ、さらに、煮え切らない態度でぶれ続ける鳩山政権に対する不満を抱きつつ、申し入れ者たちの帰りを待ち続けた。そして、申し入れ団の到着と報告を受け、当日の行動を無事終了し、沖縄の２万１千の県民集会参加者と連帯して、さらなる闘いの決意を固めたのである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　沖縄は、米ソ冷戦終了後も、ずっと、日米安保の負担を押しつけられている。民主党の県外移設案は、アメリカ側の強硬な反対にあって、挫折するかいなかの岐路にあって、どうなるのか難しいところに来ている。オバマ政権の東アジア安保政策には今のところ基本的な変化はなく、従来通り、沖縄をその要の位置に据えているのであって、そのため、普天間基地の辺野古移転も、基地機能強化が狙いであって、沖縄の軍事的負担軽減のためなどではないのである。それを変える気がないということは、先のゲーツ国防長官の来日の際の発言などで明らかになっている。民主党鳩山政権は、先の所信表明演説では、少しだけ、しかも極めて抽象的一般的に触れたにすぎない。態度がはっきりしないところに、危惧を感ぜざるをえないわけである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　95年の沖縄県民大会に示された沖縄の意志は踏みにじられ続けている。それを本土側が放置し続けることは許されないという思いで、こうして、沖縄県民集会と連帯して、デモとアメリカ大使館申し入れ行動が取り組まれたのである。申請人数に対して、行動参加者が多いというのが、警察側の阻止の理由だった。しかし、公開で呼びかけたデモである。正確に数を規制するなどということは不可能である。このところ、各種集会デモは、主催者の予想を超えることが多くなってきており、しかも、土日となると、何本も重なることが多くなっている。これも、近年の変化である。沖縄問題については、さらに、大きな行動が予定されている。&lt;/p&gt;　&lt;br /&gt;</content:encoded>


<dc:subject>経済・政治・国際</dc:subject>

<dc:creator>ぴゅうぴゅう</dc:creator>
<dc:date>2009-11-08T20:19:20+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://byoubyou.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/11-78a3.html">
<title>11月３日に考えたこと</title>
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<description>　なぜ、マルクス（おそらくレーニンもまもなく復活するものと私は思っていますが）は...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt; 　なぜ、マルクス（おそらくレーニンもまもなく復活するものと私は思っていますが）は復活してくるのか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　一つの答えは、それ以外に、資本主義の現実を明確に理解できる手がかりを与えるものがないからである。思想や理論は、いくらでも構成できるけれども、我々の感覚は、それが現実をしっかりととらえたものかどうかを、キャッチする。つまり、その理論、あるいは、言葉に対して、なんとなく違うぞと感覚が示すのである。それに対して、イデオローグ、あるいは、インテリなどは、思想だの発想だのが、人間を動かすと思い込んでいる。これは完全に妄想であり、マルクスは、『ドイツ・イデオロギー』で、そういう妄想を徹底的に批判している。それは唯物論によって行われるわけだけれども、そこで、イギリスの唯物論などを評価している。つまり、ベンサムの功利主義などを。しかし、実は、ベンサムの功利主義は、功利主義的人間神話を作り上げただけであり、それを普遍性と信じて、しかもそれをキリスト教道徳と一致するものだとしただけである。功利主義的人間は、物的欲望を動機として、個人にとってもっとも効用のあるものを意志によって選択するという行為基準で動いているとされる。その場合に、その達成が幸福と呼ばれている。しかし、これらは、感覚的なものなので、個別的具体的なものである。それは、当然にも、他者とぶつかることになる。欲望と欲望が激突し、幸福欲を満たすための物的手段の獲得競争が起きて、争いが起こる。それを調節するのが、市場であって、高い値段を払ったものが財を獲得できるということになっている。しかし、財を得られなかった方は、不満が残る。それを鎮めるために、法律や道徳や規則が作られ、それを破る者には、刑罰が加えられる。しかし、市場において勝者となる金持ちは、どのようにして金を貯えたか？　労働者が働いて生み出した剰余価値を搾取することによってである。単純に言えば、そういうことだ。ちなみに、マルクスは、ベンサム主義を批判しているのであって、別に評価しているわけではない。ベンサム流の唯物論は、それなりに資本主義の現実の現象をある程度はリアルに写しているという点を指摘しているだけである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　一方に、市場において勝者である大金持がいて、この人達が同時に社会の権力者でもある。この人達の不満は、労働者がもっと働いて、自分たちの獲得する富を増やしてくれないということに向けられる。それに対して、貧しい者の不満は、自分の望む幸福を実現するための物的手段、財を容易に手に出来ないことである。大金持ちというのは、物的な手段を多く握っているだけではなく、精神的な手段も多く獲得しようとする。そして、共産主義者などの自分たちへの批判者たちを精神的に屈服させようともする。そのために金を使う。しかし、労働者の感覚は言う。かれらを信用するな、なんかくさいぞ。でも、腹が減っては戦は出来ないから、栄養になるものはいただきましょうとかとかね。金持ちは、自分が金の力を信奉しているものだから、それが、自分たちの支配の及んだ証拠であり、精神的思想的な勝利の証だと思い込んだりする。しかし、マルクス主義的唯物論者から見ると、あるいは弁証法的に見ると、それは、資本家が自分達をやがてうち倒すだろう敵を育んでいるのにすぎないのである。これが本当だということは、幾多の歴史事例が示しているのだけれども、そんな事実も、見えないようになっているのである。『コーラン』によると、アラーの神は、自分たちの敵に対する罰として、目を見えないようにするという比喩を語っているそうだ。要するに、われわれに逆らうのは、かれらが理解力を閉ざされているからだと言うのである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　この間、アメリカで起きたことも、日本で起きたことも、そのことを証している。市場の「見えざる手」は、調和の神ではなく、暴風の神、雷神・風神、スサノオの類であったことが再びあらわになってしまったのである。歴史の針を逆戻しすることはやっぱり不可能だったのだ。そこで、福祉国家という選択肢が呼び出されているのであるが、現にある福祉国家は、自由主義との折衷である。しかし、グローバリゼーションの嵐の中で、多くの国が福祉国家の方に押しやられているのである。あのフランス大統領のサルコジですらそうなのだ。これはマルクス主義経済学の用語で言えば、国家独占資本主義的な方向である。アメリカのオバマ政権も、そうした方向に向かう傾向を示している。レーニンの「さしせまる破局とどう闘うか」などの1917年革命直前に書かれたものに示されたような状況に似てきたわけである。もちろん、当時のロシアと、今の、例えば、アメリカの状況は違いがあって、それがそのまま当てはまるというわけではない。大きい違いがあるが、それでも傾向としてはそういうことなのだ。この間、一つ、はっきりしたのは、デヴィド・ハーヴェイが言うように、この間、市場は、国家権力によって強制的に創出されたものであり、それによって、階級権力が強化されたということである。結局、新自由主義は、多くの人にとって、自由も豊かさも安定も福祉の向上も、幸福の増進ももたらさなかった。それを多くの人々が感じたから、同時に、市場主義を救いの神のように宣伝し、広めた、ご立派な学者やマスコミやイデオローグや政治家たちに対する不信、不満、怒りなどの感情もまた広まっている。感覚、感情が、なかなか言葉化されないものであることから、この蓄積は、身体的な爆発として突如として表面化し、表現されるということは、しばしばあることだし、歴史的にもいくらでも事例がある。しかし、それは、目に見えるものから、推理によって、ある程度は、探っていくことができる。もちろんそれは適当な思いつきやたんなる妄想であってはならない。だからこそ、エンゲルスは、論理学、弁証法の研究の必要を強調しているわけだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　先日、11月３日に、「持たざる者」国際連帯行動に行き、夕方のブッシュ抗議行動にも行ってきた。「持たざる者」の方のデモでは、明治神宮前を通るときに、街宣右翼が待ち構えていて、差別的な言葉や罵詈雑言を、大音量で、浴びせられた。おそらく、厳密には騒音条例違反に達するほどだが、それは、見逃された。「持たざる者」に対して、怠け者とか社会のくずとか、フランスのサルコジが、移民暴動の際に、移民に対して投げかけた言葉と同じことを叫んでいる。街宣右翼の多くは、企業や自治体から金をむしり取ったり、かれらの源流である岸元首相がアメリカからもらった金などで、やってるような類が多い。かれらは、自分たちの利害のためにやっているので、自分が損をするようなことはしないから、大したもんじゃないけれども、「在日の特権を許さない会」などの方は、それとは違っている。かれらは、左翼的なスタイルとやり方を取っている。中心的イデオローグの一人の西村なる人物は、どうも元新左翼党派の活動家らしい。元左翼という右派は、ちょこちょこいる。とにかく、運動スタイルが、左翼に似ているというのが違う。ビデオで見ると、若い女性が、宣伝カーに乗って、柔らかな語り口で、アピールしたりスローガンをコールしているのも、似ている。音声がなく、旗が日の丸でなくて、赤旗だったら、左翼系の集会デモと見分けがつかないのではないだろうか。これは、やはり、ファシズム的な特徴と言えるだろう。もう一つ、かれらは、街宣右翼が反共親米なのに対して、反米右翼的な主張を持っているという特徴がある。かつて、小林よしのりは、単に、自分の本を売ることによって、そのデタラメな主張を広めようとした。運動は、右派新興宗教団体や青年商工会議所、つまりは、自民党の支持基盤が担った。かれらが彼の本をいっぱい買ってブームを作った。「在特会」は、どうなのか、まだ見えていないことが多いが、物的な支援がどこかからあるのではないか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　「持たざる者」国際連帯行動の方は、約150人の結集。韓国からの労働組合活動家のアピールもあり、なかなか充実していたと思った。ブッシュ来日抗議行動は、緊急で、やはり１５０人ほどで、後楽園でのブッシュと小泉元首相の始球式をターゲットに、後楽園を回ってのデモだった。フリーター労組系のサウンド・デモで、在任中、ほぼイラクなどでの戦争に明け暮れたブッシュ元大統領とそれを支持・追随し続けた小泉を糾弾した。&lt;/p&gt;



&lt;p&gt; 　いずれにしても、かれらの差別排外主義扇動は、危険であり、許し難いものだ。かつて、自由民権運動は愛国主義運動化して、日露戦争後、増税などで不満を抱く民衆を扇動して、日比谷焼き討ち事件を起こした。時代が大きく動いているし、それだけ、未来は不透明化しており、漠然とした不安感、閉塞感などに襲われている人々に、差別排外主義と戦争の方向での希望か、それとも、別の社会変革の希望か、そういう選択肢がリアルに突きつけられつつあるようだ。後者こそ、人々を希望ある未来、そして幸福へと導く道である。&lt;/p&gt;　</content:encoded>


<dc:subject>雑文</dc:subject>

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